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千代に八千代に手をとって  作者: 桃実花子
1/1

出会う

「ほら、ケンちゃん。今日は暑いからお茶でも飲んでおゆき」


茹だるような夏だった。油蝉の鳴き声は騒がしく、高い空は宇宙の星まで見通せそうな青だ。時折吹く風が風鈴を揺らす。目を開けたのは日本家屋の縁側で、誰かが畳の上を歩く音がする。何かとても懐かしい気分だ。


「ああ、ありがとう」


よく冷えた緑茶を受け取り、喉を潤す。一息ついてふと我に返った。


「……いや、誰?」




今年の最高気温は38℃。都内をスーツで、しかも徒歩で動き回るにはあまりに殺人的で、ハンカチが1枚や2枚では足りない汗が吹き出す。昼過ぎのニュースで熱中症特番を組んでいたのを頭の遠くにやりながら、焼けるアスファルトの上をただひたすら歩く。さすがに身体に熱が篭っていくのがわかり、少し休むことにした。鞄からペットボトルを取り出すが、既に水滴しか残っていない。


「水……あ、無い…」


小さな公園のゴミ箱にペットボトルを捨てると、木陰に置かれたベンチに掛け、長く息を吐いた。何もこんな時期に外に行かせなくても、とは思うが仕事は仕事。次の行先はと手帳を開くと同時に、突然視界が霞んだ。咄嗟に目頭を押さえたが紙に落ちた温い汗を見た瞬間、ついに脳までがぐらぐらと揺れる。これはまずい。そうは思ったものの、使い物にならない脳から手足に信号が送られることは無く。

ベンチから転げ落ちるようにして倒れ伏した俺──ケンイチが最後に見たのは、砂利の上で同じように乾き切った、ミミズの亡骸だった。




「……ていうのは覚えてる?」

「いや…まあ、何となく。でも君のことは知らないな」


お茶を持ってきたついでに縁側に座り込みそんな話を聞かせてくれたのは、涼しげな着物に身を包んだ13歳ほどの少年であった。毛先が茶色がかった黒いストレートの髪は耳の下辺りで綺麗に切り揃えられており、髪と同じ色の目が垂れ気味な眼窩に収まっている。顔のどのパーツも整えられていて、どう見たって美少年と呼べた。


「そうねぇ、ボクもあなたの鞄を見てあなたの名前を知ったくらいだから。初めまして、ボクはヤチヨと申します」


そう言って少年──ヤチヨはその場に正座し、丁寧にお辞儀をした。年端もいかない少年にしては大人びた態度で、少し面食らった。慌てて居住まいを正そうとすると、ヤチヨが笑い柔らかく制す。


「楽にしてなさい、あなた倒れたんだから。熱中症って怖いんだよ〜?さっきこーんな顔してたんだもの」


両手で自分の頬を寄せ、白目を剥いてみせるヤチヨ。先ほどと打って変わった年相応な子供っぽさに、思わず吹き出す。


「ありがとう、ヤチヨくん。俺はケンイチ」

「ヤチヨでいいよ、ケンちゃん」

「お、おお…さっきからその、ケンちゃんて…?」

「あ、嫌だった?ごめんなさいね。なんだか癖で」


どう呼んでも平気だと答え、緑茶を飲み干した。

それにしても、ここは一体どこなのか?縁側からはどう伸び上がっても、都会のビルなど見当たらない。不思議がる俺に、ヤチヨは「誰も知らない穴場なの」と微笑んだ。そんなものか、と呟くとヤチヨがふと立ち上がった。


「お茶飲んだらおやつ欲しくなっちゃったね。塩大福でも持ってきましょ」


なんだか婆ちゃんみたいな雰囲気だ。とは言っても、祖母の顔ははっきりと思い出せない。生まれて間もない頃に亡くなったと聞いた。つまるところ、大人になるまでに読んできた漫画にいるような、ごくありふれたお婆ちゃんのような…と言ったところか。

いつの間に持ってきていた塩大福を半分にちぎってこちらへ寄越すヤチヨに、視線を投げる。


「どうかした?もしかして、粒餡は嫌い?」

「あ、いや…好き。……っあ!外回り!!」


半分の大福を貰おうとしたが、漸く我に返る。そうだ、のんびり涼やかにお茶をしている場合ではなかったのだ。外回りもほぼ日課のようなものとはいえ、大事な仕事である。部屋を見回し荷物を抱えたが、そこでふと気付いた。


「なあ、ヤチヨ…ここから俺がいた公園って…どうやって行くんだ…?」


ここは見知らぬ日本家屋。辺りの風景も見覚えはない。どう帰ればいいのか。


「ああ、そうね。ケンちゃん、ボクの手を取ってこっちに来てちょうだい」

「え?どういうこと?」


塩大福を頬張ったまま、ヤチヨはおもむろに右手を差し出した。話の流れについていけず、思わず聞き返す。答えることはせず俺の手を取り、どこかに引っ張っていった。畳の空間から廊下に出て、客室と見える部屋や台所、十数枚の戸と無限に続くような障子を横目に黙って着いて行った。本当にとんでもない広さだ。手を繋いだのは一人で行ったら迷子になってしまうからだろうか。


「もしまたここに来たくなったら、夜の12時に同じ公園においでなさい。待ってるよ、ケンちゃん」


前にいたヤチヨがふとそう言った。真意を問おうとした時、目の前に広がったのは自分の倒れていた公園だった。

先程までの涼しい空間や畳の匂いはどこにも無く、猛烈な熱気が再び全身に纏わり付く。突然の眩しさに目を細め、辺りを見回す。


「…何だったんだ…?」


つい数分前まで話していた黒髪の和服の少年はどこにもいない。何気なく腕時計に目をやると、倒れたと思われる時間から10分ほど経った頃だった。はっとして手帳を開くと、約束の時間まであまり余裕が無いことに気付く。


「マズいッ」


取引先までの道へ踏み出し、汗を拭う間も惜しみ走り出した。




ほんの少し、いつの間に飲んだ緑茶の香りが鼻についた。

初めて投稿します。亀更新になると思いますが気長に待っていただけると幸いです。

黒髪和服の美少年に甘やかされたい。

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