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「アキさん、無理しないでください。」
アキの悩んでいる様子を見たセシルが心配そうに声をかけてくれる。
「うん?ああ、ありがとうセシル。」
少し頭の中の靄が晴れる。こういう時、気にかけてくれる仲間がいるのは本当にありがたい。
アキは一度深呼吸をして改めて考え直す。
そもそも長期の期限を設定する必要があるのだろうか。ベルの通行許可証、アキ達のSランク証を元に考えていたが、これは特殊な物の可能性がある。ベルは王女だし、Sランクも特権まみれだ。
「ねえ、セシル。国内の魔獣討伐って大体どれくらいかかるの?」
「そうですね、国内の移動はどんなに長くても3日を超える事はないです。討伐にかかる時間を考えても最長でも2週間ではないでしょうか。」
なるほど。それであるならば、どんな依頼も最初から2週間と書き込んでおけばいい。セシルの言葉を言い換えれば、国の横断は最長で3日という事だ。それはミレーやサルマリアに旅していた事でもわかる。国境を超えるのに3日以上かかった事はない。つまり護衛依頼だったとしても、国内の移動であれば片道3日以内で済む。往復でも6日だ。
「国外の依頼の場合は特別な許可証が発行されるんだよね?」
「はい、そうですね。」
国境を超える必要がある依頼の場合は特別な通行許可証が発行されると以前ミルナが説明してくれていたのを思い出す。つまり冒険者証自体には2週間以上の有効期限を持った識別印を刻印する必要はないという事になる。
「あれ?そうか……通行許可証やセシルの同行許可証、商人が持っている貿易許可証はこれで処理しなかったよね。国がするよね。」
「そうですよ?」
普通に忘れていた。国も1つ装置を持っているんだった。ベルがそのような事を言っていた。通行許可証は国が処理すると。詳しく教えててくれなかったが、それはアキがベルに聞かなかったからだろう。必要な知識とあらばベルも進んで教えてくれただろうが、流石に行き交う情報が多すぎる。ベルもアキが何を必要としているかわからなくても当然だ。アキも「国と協会の装置って違うの?」とすっかり聞き漏らしていた。
そもそも冒険者証の刻印は魔獣討伐の為に不完全な物ではないといけないと少し前に推察したばかりだ。通行許可証の完全な魔獣襲撃防止刻印とは条件が違うのだから国と協会の装置に違いがあるのは間違いない。
そんな当たり前の事を忘れていたのはらしくない。
「うーん、らしくないな。もうちょっと情報整理しないとかな。」
「私が頑張ります!お手伝いします!」
セシルが元気よく兎耳をピーンと立てて返事をしてくれる。
「ありがとう。」
難しく考えすぎて大事な前提を忘れていた。本当に研究者にはよくある事なのだが、これは結構凹む。もっとちゃんと考えろよと自己嫌悪に陥る。
「で、当然Sランク証はこれ通さないんだろ?」
「えっと……私Sランクの処理したことないんです……すいません。」
セシルが今度は兎耳を悲しそうに折り曲げて謝ってくる。この兎耳は嬉しい時や興奮しているとさっきのようにピーンと立つが、凹んでいるときや悩み事があるときは今みたいに折り曲がる。
「そうですね、アキさん。Sランクはその装置使いません。Sランクは国境通過する為の許可証も発行しませんし、依頼の受理は書類で処理するだけです。」
アイリが代わりに説明してくれる。
やはりSランク証は特殊のようだ。それであればこの装置は、Sランク以外の依頼の処理に使うだけなので、簡単な術式で済む。おそらく「魔素を取っ手から集約し、後述の魔法を使用。識別信号を1時間おきに発信するのを2週間の間繰り返す。その後識別信号を完全に消滅」に近い事が書かれているのだろう。2週間以上かかる国内での依頼はないのだから、これで適度に魔獣にも襲われるような識別印の完成だ。さらには時間経過で自動的に消えるので証を悪用する事もできない。
そして通行許可証や貿易許可証など一般人が使う許可証もおそらく1週間や2週間という期限を付けて発行されているはずだ。国の横断が3日で済むのであれば大陸を横断しても片道2週間以上かかる事はまずありえない。そしてその貿易許可証や通行許可証は毎回発行してもらう必要があり、目的地についたら一度その国へ提出する。その際に再刻印を行えば復路も問題ない。自国に帰ってきたら許可証は返納するらしいので、回収方法も確立されている。もし悪用する為に返納しなくても期限付きなので魔獣襲撃防止の効果はない。
そもそも一般人はそんな刻印が許可証にされているなんて知らないので、犯罪者がわざわざ許可証を持ち歩こうとは思わない。密輸や密入国する為ならば有効かもしれないが、期限が切れた許可証では魔獣襲撃は防止できないので、そう言った犯罪抑制にもちゃんと繋がる。
このシステムはかなり細部まで考えられている。一般人の魔獣被害を最低限に抑えた上で、犯罪者を駆逐できるように作りこまれている。考案した人物はかなり有能だ。
それに冒険者が悪用しない為の防止策もそう言えばあった。
「指紋を取ってるんだったな。協会は確か。」
「アキさん、それ知ってるんですか!」
アイリが驚いたように声をあげる。
「懐かしいです。アキさんと初めて会った時にその話をしましたね。」
セシルがその当時の事を思い出したのか、遠い目をして懐かしんでいる。
「他人が冒険者証を悪用できないように個人識別魔法がかかっていると聞いたので。そういえば新しい識別魔法を別の支部の支部長に提案しましたよ?」
アイリに説明する。それに関しては別に隠す必要もない。それに丁度聞きたい事もある。
「そういえばそんな情報が別の支部から回ってきました。網膜?だとか書いてましたね。あれ考案したのアキさんだったんですか……。なるほど。」
どうやらレイアのババアは協会長にちゃんと報告書を提出したようだ。それが各支部へと共有されたのだろう。
「ちなみに冒険者登録時に取った指紋はどのようにして管理、各支部で共有されているのでしょうか。」
地球のようにインターネットがあり、データベースに登録したらどこからでも照会できるのであれば問題ない。だがこの世界にそんな便利な物はないので、一体どうやって各支部に共有され、冒険者証の悪用防止を管理しているのか気になる。魔獣制度を廃止するのに役立つ情報ではないかもしれないが、知っておいて損はない。
「えっと……メビウスさん、教えてもいいのでしょうか。」
「うん?ああ、アキ君になら構わんぞ。俺はよくわからんからアイリが説明してくれ。」
いや、お前はわかってないと駄目だろうと呆れる。アイリも疲れた表情をしているので多分メビウスの自由奔放さは日常茶飯事なのだろう。
「では個人識別の各支部への共有方法ですが、基本は報告書で共有します。」
アイリ曰く、まず登録の際に取った指紋を複製して国内の各支部へ新規登録者として報告する。そして各支部がそれぞれに管理している冒険者データベースに登録するそうだ。
「国外へは共有しません。量も膨大になる上、時間もかかるので。」
そもそもSランク以外の冒険者が国外へ移動する際は特別許可証の発行が必要になる。だからその際に該当の国へその都度連絡すればいいとのこと。
「そういう意味でSランクだけは特殊ですね。Sになった時点で国内外全ての支部へ報告しますので。」
確かにこの方法であれば最低限の連絡手段で効率のいい管理ができる。この運用方法ももしかしたら魔獣制度を考案した人物が提案したのかもしれない。
「なるほど、わかりました。ありがとうございます。こちらの依頼受託装置はもう大丈夫です。お忙しいところすいません、アイリさん。」
アキはアイリに一礼する。
この装置の術式は大体わかった。後は王国の施設にあるもう1つの装置を見たい。間違いなくこの装置とは術式が異なるはずだ。通行許可証には完全なる刻印がいる。冒険者証とは違う。まあ細かい使用方法・用途についてはどうでもいい、今は術式の確認だ。
その術式も確認すれば計5つの魔法印の術式が判明する。そこから共通点などを抜き取れば解析も進むだろう。
国の施設にある装置であればベルに頼めば見せて貰えるはずだ。それに明日にはサルマリア王家とも対談するので、場合によっては頼んでみてもいいだろう。エスペラルドまで待つとなると正直アキの好奇心が持たない。早く見せてもらえるのであればそれに越したことは無い。もちろん無茶しても仕方がないので、サルマリア王族の人柄次第では大人しく引き下がる予定だが。
「お役に立てたのならよかったです。では戻してきますね。」
アイリがそう言って装置を持とうとするので、アキが遮る。
「だから私が持ちますって。アイリさんはここで待っていてください。受付嬢の人にどこに戻せばいいか聞けばいいですよね?」
「え、ええ。それで大丈夫ですけど……でも。」
「いいから大人しく待ってなさい。」
「は、はい。」
申し訳なさそうにしていたが、アキが強めの口調で言うと素直に頷くアイリ。
アキは装置を持って支部長室を退出する。
アイリに重いものを持たせるのは申し訳ないという理由は本当だ。だが実のところ、この装置の写真を撮っておきたかったからだ。さすがにあそこでタブレットを出して撮影会を始めるわけにもいかない。だからこうして1人になれるように、返却の手伝いを申し出たのだ。
アキは早速装置を床に下ろして、撮影を手早く済ませる。そして受付の子に声をかけ装置を返却し、足早に支部長室へと戻る。
「ありがとうございます、アキさん。」
戻って来たアキの姿を確認すると丁寧に頭を下げるアイリ。
いい支部長だ。アキは年下なのにこの丁重な扱い。客として敬意を持って接してくれる。きっとこの支部の職員からも大層慕われているに違いない。
だからアキも敬意を持って接さなければならない。
「礼はいらないから耳を触らせなさい。」
「はい?」
アイリは一瞬何を言われたのかわからなかったようで、素っ頓狂な声を出す。
「だから耳を触らせろと言ってるの!さっきからぴくぴく動かして!そんなのもう触ってくださいと言っているようなものでしょう!敬意を持って触るからさっさと差し出しなさい!」
アキが捲し立てる。アイリは金魚のように口をパクパクさせて唖然としている。
するとアキの発言を聞いたうちの兎が鬼気迫る表情で詰め寄ってくる。どうやら大層お怒りのご様子だ。
「アキさん!その暴挙のどこが敬意をもって接しているのですか!さっき自分で『敬意をもって接さないと』って言ってたのはなんだったんですか!」
「耳が動いていたら触るのが最大の敬意だ!」
「はい!?何を馬鹿な事を言ってるんですか!そんなの敬意じゃありませんから!もう、お話!お話ですよ!」
セシルが今日は長いです、許しませんと兎耳が怒髪天を衝いたように立っている。これはこれで可愛い兎耳だ。
「セシルよ。どのみちお話が確定してるなら抵抗しても仕方がない。ならば俺はそこの兎耳を愛でるのに全力を注ぐべきなのだ!」
「何が『なのだ!』ですか!バカですか!……ってこら!さ、触るのダメ!」
セシルが言い終わる前に彼女の耳を掴んで勝手に愛でる。怒っていたこの耳が可愛かったのだからしょうがないだろう。
「し、しょうがなくないですから、今怒って……やっ……もぅ……!」
「アイリさん、ほら見るがいい。あれだけ怒っていたうちの兎がこんなに気持ちよさそうにしているぞ。だからほら私に耳を献上しなさい。」
さっきまであれ程文句を言っていたセシルがいつのまにか「ふぇぇ」といった感じで気持ちよさそうに目を細めている。チョロい兎だ。
「な、なんでですか!み、耳は駄目です!……でも、本当に気持ちよさそうね……す、少しだけなら……いやダメよ!ダメです!」
「ちっ……。」
気持ちよさそうなセシルを見て、アイリの心が一瞬揺らいだようだ。残念、あと少しだったのに。
「なんだそんなに触り心地がいいのか?どれアイリ、触らせろ。」
「なんでですか!ダメです!」
兎耳の触り心地が気になったのか、メビウスが会話に入ってくる。そしてアイリは絶対に触られまいと必死に自分の兎耳を防御している。
「そうだぞおっさん!その兎耳も俺の物だ!」
「ち、ちがいます!アキさんの物じゃないもん!」
豹変したアキにすっかりたじろいでいるアイリ。
「アキさん、ほら、私の耳で我慢してください。落ち着きましょうね。私も今は怒りませんからね。はい、耳どうぞ。」
「わかった。」
セシルが耳を差し出してくるので、素直にそれを愛でておくアキ。少し取り乱したようだ。ついダブル兎耳に興奮してしまった。でも仕方ない事だ。
「全然しょうがなくないですよ。まったくもう。」
セシルは呆れた顔で苦笑しながらも、アキを落ち着かせる為に兎耳を愛でさせてくれる。さすがセシルの兎耳、いい精神安定剤だ。
「すいません、アイリさん。少々取り乱しました。お忙しいのに大変失礼いたしました。」
正気を取り戻したアキは頭を下げる。
「え……ええ。あれを少々と言い切るのはどうかと思いますが……。」
アイリが引き攣った笑顔で答える。
「それで、耳を差し出す覚悟は出来ましたか?」
「まだその話続けるんですか!ダメです!」
アイリが自分の耳を両手で掴んで必死にこれはダメと睨んでくる。
「冗談です。では長居しても申し訳ないのでそろそろお暇させて頂きます。」
「目!目をみて話してください!明らかに耳に向かって話してませんか!」
獣人はどこを見て話しかけられているのかすぐにわかるらしい。セシルやレオもそうだった。
でも兎耳が彼女の本体なのだからそこに挨拶をするのは当然ではないだろうか。
「違いますから!耳は本体じゃないんだから!」
「そうですか……ではアイリさん。お騒がせしました。さらば我が耳。」
名残惜しいが、仕方ない。アキは一礼をして踵を返す。そしてセシルを伴い支部長室から退出する。
「だからあなたの耳じゃないですから!また来てね!」
何故か最後にまた来いと言ってくれるアイリ。意外に楽しかったのかもしれない。尚メビウスはアイリと話していくから先に帰ってくれとの事だ。
冒険者協会を出て馬車に乗り込むと、セシルが笑顔で教えてくれた。
「同じ兎獣人だからわかりましたけど、耳を触って欲しかったみたいですよ。だから最後にまた来てねと言ったんです。」
さすがセシル、よく見ている。
「そうなんだ。」
「で、触るんですか?」
「別に?セシルがいるし。」
わざわざ触りに行こうとは思わない。偶然会った時に触らせてくれるなら触るけど。
「ならいいです。お話は1時間で許してあげます。」
「やっぱあるんだ。」
「当然です!さっきは『今は怒らない』と言っただけです!私がいるのに他の兎耳に浮気しようとした罪は大きいんですからね!」
口では不機嫌そうにしているが、帰りは2人きりなのが嬉しいらしいセシル。さっきからそっと寄り添って甘えてくる。
セシルにしては随分積極的だ。
「はいはい。」
しかしセシルもすっかり拗ねたり、甘えたり、言いたい事を言う様になってくれた。だからお話くらいにはいくらでも付き合ってあげよう。アリアもエリスも遠慮しなくなってきたし、全体的にいい傾向だ。従者とはいえ、この子達はアキの大事な仲間なのだから。




