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今日はエリザと2人きりで昼食を取った。エリも一緒してくれるかなと思ったのだが、食堂にいなかったので仕方ない。ただ昨日も思ったが、ここの食堂の味はいまいちだ。腹を満たすためと思えばさほど気にならないが好んで食べたい物ではない。明日から弁当を作って来てもいいかもしれない……と思いつつ食堂を後にする。
そろそろ午後の授業なので、アキはのんびりと教室へと向かう。エリザは用事があると言って、食事が終わるや否や、そそくさと学園長室へと戻って行った。「急がなきゃ……!」とか呟いていたし、学園長ともなれば色々忙しいのだろう。
教室へと続く廊下を歩いていると、生徒達が相変わらず手を振ってくる。ただ昨日とは違って、話しかけにくる子達も結構いた。「アキさん、握手して!」「先生、今度一緒にお昼食べようよ!」など、やはりアキは生徒達には結構好印象のようだ。それに「エアルとミリーに勝ったんですか」とも何回か言われたので、昨日の模擬戦の話もどうやら既に噂になっているようだ。
「そういえば、肝心のエアルとミリーを今日はまだ見てないな。」
そんな事を考えていたら、後ろから声を掛けられる。
「アキさん、ごきげんよう。お買い物日和ですね!」
「こんにちは、今日の午後楽しみ!」
振り返ると桃色髪と蒼色髪の美少女達が手を振りながら小走りで駆け寄ってくる。
「エアル、ミリー、こんにちは。俺も楽しみだよ。待ち合わせ場所は昨日と一緒でいい?授業の後学園長に報告があると思うから今日も少し待たせちゃうかもしれないけど……。」
依頼を受けている以上、日報は大事な仕事だ。進捗報告は毎日依頼主であるエリザにすべきだし、彼女もそれを望んでいるだろう。
「ええ、大丈夫。待ってるよ。」
「はい、もちろんです。でも今日は連れまわすので覚悟してください!」
ミリーはいつも通りだが、何故かエアルのテンションがやたらと高い。
多分エアルは今日の買い物を相当楽しみにしていたのだろう。彼女は趣味が買い物だと言っていた。それにミレンド商会の服や雑貨が大好きだとも言っていた。大好きな店の商品が格安で買えるかもしれないとなれば大喜びするのも頷ける。ちゃんと爺さんには学校の子達を連れて店に行くと連絡はしておいたので、特別対応して貰えるはずだ。エアルもきっと喜んでくれるだろう。
ただその前に、先ずはガランのところへ寄る。剣をエアル達にプレゼントするというのが今日の一番の目的だ。だからガランにも昨晩のうちに使いを出し、訪問する旨と依頼内容を伝えてある。流石に昨日の今日で彼女達の剣が打てるわけはないと思うが、早めに連絡しておくに越したことはない。
「ああ、何時間でも付き合うよ。」
「やったー!」
エアルがぴょんぴょん飛び跳ねて可愛らしく喜んでいる。
「あーあ、アキさん言っちゃったね?エアルはお買い物がめちゃくちゃ長いから学校の誰も付き合いたがらないんだから。」
ミリーが「私しらないよ」と呆れた顔をしている。
「俺も嫌いじゃないし大丈夫だ。女性の買い物に付き合うくらいの甲斐性はあるよ。ミリーも行きたいところあったら遠慮するなよ?」
「う、うん。ありがと。」
エアルやミリーと買い物の話をしていたら、いつの間にか教室に到着してしまっていた。彼女達は「先に行きますね」と教室へと消えていく。一応授業開始まではあと数分ある。アキも教室に入るべきだろうか。ただ担任であるエリを差し置いて先に教室に入るのもどうかと思い、アキは教室前で適当に時間を潰す事にする。
始業前だからか、廊下に生徒の気配はなく、閑散としている。ただこの静寂はどこか心地よく、どこか哀愁を感じる。こんな気持ちになるのはアキが楽しい学園生活を知らないからだろうか。
エアル達が送っているような青春時代をアキは知らない。ずっと1人で生きてきたアキにはわからない事だ。でも今のアキならわかるかもしれない。ミルナ達に出会い、異世界を楽しんでいる今のアキなら。そんな思いが頭を過る。
「そう考えるとこの依頼、悪くない。既に結構愉快な事もあったしな。」
ただそんなアキの個人的な私情はどうでもいい。今大事なのはこれからの授業だ。アキは余計な考えを頭から振り払う。
しかし待てど暮らせど担任のエリが来ない。もう30秒程で始業時間になる。もしかしたらエリは既に教室にいるのかもしれない。遅刻する訳にもいかないだろうし、時間になったら気にせず教室に入るとしよう。
ゴーン。
午後の授業開始の鐘が構内に鳴り響く。それを合図にアキも扉を開け、教室内に足を踏み入れた。中に入ると、正面の教壇にエリが立っているのが見える。
やはりエリは先に着ていたようだ。少しホッとする。生徒達もちゃんと着席しているし、授業の準備はすっかり整っている。もしかしたらエリは先に来て、アキが授業を始めやすいようにしていてくれたのかもしれない。
「エリ先生、先に着ていたのですね?」
「え、ええ……アキ先生。」
エリにお礼を言おうと声を掛けるアキ。ただどこか歯切れが悪い。何故か居心地が悪そうにもじもじしているし、アキが来た事で少し安堵したようにも見える。
「エリ先生?どうしたん……。」
アキは不思議に思い、エリに事情を尋ねようとして……全てを察した。聞くまでもなかった。教壇に立ったらすぐにわかった。どうやらあれが諸悪の根源のようだ。
アキは教壇に置いてある日誌のような本を手に取り、最前列の生徒をおもいっきりぶん殴る。
「なにしてんだ、このバカ猫。」
最前列中央の席に座っていたのは生徒でもなく、エリザ。
さっきから生徒達が静かなのもこの猫が原因だったようだ。こんだけ女子が集まっていておしゃべりをしてない方がおかしい。そりゃ学園長が生徒を押しのけて最前列に座っていたら、生徒達は委縮もするだろう。エリの居心地が悪くても当然だ。
「な、なにするのよ……だ!言っただろう、け、見学する者がいるだろうと!」
一瞬素が出てしまったようだが、焦って取り繕うエリザ。もうこの学園長の化けの皮を剥がしてやろうか。
ちなみに生徒達はアキがエリザを殴る暴挙に出たのに驚いているようだ。エリもどうしていいかわからずオドオドしている。だが普段のエリザを知っているアキからしてみれば、こんな状況なんら気にする事はない。日常茶飯事だ。ついつい呆れて生徒達の前で殴ってしまったのは反省だが……まあこの猫にはいい薬だろう。
「生徒達が困ってるだろうが。出てけ。」
「け、見学したい。学園長命令だ。許せ。」
エリザをもう一発殴る。反省する必要なんてなかった。この猫の態度は何か癪だ。
「だからなにするのよ!ばか!」
「ええい、見学するにしても後ろに立ってろ。この子達の邪魔すんな。」
エリザが叩かれた場所を撫でながら、必死に説明してくる。生徒の見本となる為に学園長自ら最前列に座るのは当然の事だと。そして後学の為にアキの授業を見学すべきなのだと力説してくる。
まさかとは思うが、昼食の時エリザが「急がなきゃ!」とか言ってたのはこの最前列の席を取る為だったのだろうか。いや、まさか。学園長がそんな暇なはずない。
「おい、そこの猫。一体いつからそこにいるんだ。」
「始業開始の30分前には来たわよ!とーぜんでしょ!最前列確保する為に頑張ったのよ!」
前言撤回。学園長って暇なんだろうか。
しかしどうしたものか。エリザに「別に見学者は問題ない」と言ってしまった手前、この猫を追い出すわけにもいかない。まさか最前列でエリザ自身が見学に来るとは思わなかったが。当然生徒達はどうしていいのかわからないと困惑の表情だ。
「エリ先生、どうします?このバカ猫追い出ししますか?」
「わ、私に聞かないでください!」
エリが首をぶんぶん振りながら後退っている。彼女が駄目ならばと、今度は生徒達に聞いてみた。
「皆がいいっていうなら俺は構わないんだけどね。ミリー、エアルどう思う?この捨て猫保護する?」
「だからって私に話をふらないで!」
「そうです!こ、こっちを見ないでください!」
ミリーとエアルが何も言えないから聞かないでと必死に懇願してくる。他の生徒からも視線を逸らされる。どうやらアキが判断するしかないらしい。しかしこのエリザがそんなに生徒達から畏怖されているとは思わなかった。少し見直した。
ただの可愛い猫なのに。
「しょうがない。だがそこに座ってる以上、学園長じゃなく生徒だからな。」
「勿論だよ。アキ君。さあ、遠慮なく講義をしたまえ。」
相変らず偉そうな猫に無言で日誌を投げつける。
「こらっ!もの投げないでよ!お姉さんを敬いなさい!」
「生徒だといった側から偉そうにするな。わかったらアキ先生と呼べ。」
額で日誌を受け止めたエリザは尻尾を逆立てながら怒鳴り散らしてくる。完全に口調が素に戻っているが、本人は気付いていない。自業自得だし放っておこう。
「ほら、さっさと『アキ先生』と呼びなさい。」
アキがここぞとばかりに煽るが、エリザは俯いて口をもごもごさせている。どうやら「アキ先生」と呼ぶのはお姉さんのプライドが邪魔をしているらしい。
「あと発言する時は語尾に『にゃ』を付ける事。わかったな。」
「な、なんでよ!その最後の要求関係ないわよね!」
全身の毛を逆立てるようにして威嚇してくるエリザ。実際に逆立てているのは尻尾と耳だけだが……。しかしその様子を見ていると、本当に猫なんだなと実感する。
そんなやり取りをエリザとしていたのだが、ふとエアルが手を挙げているが目の片隅に入ってきた。
「どうした、エアル?」
「あ、あの……アキさんと学園長ってどういうご関係なんです?」
どうやらアキとエリザの距離感が気になったらしい。他の生徒達やエリもうんうんと必死に頷いている。
仕方ない……ここははっきりと宣言してやろう。
「この可愛い猫は俺のペットだ。お前らにはやらん。」
「違うわよ!バカじゃないの!公衆の面前で何堂々と宣言してんのよ!」
エリザが顔を真っ赤にしながら叫ぶ。恥ずかしがっているのか怒っているのかはわからない。まあおそらく両方だろう。
生徒達やエリはアキのエリザに対する態度に唖然としているようだ。学園長になんて事を言うのかと。アキからしてみればただの猫なので、怖くもいなんともないのだが、生徒達やエリにとっては違うらしい。
「学園長は怖い人なんです!アキさん!」
エアルがエリザの凄さを強調してくる。なんでもエリザは凛としている立派な学園長先生で、尊厳があり、畏怖されるべき人なのだとか。
「嘘だ。これただの猫だよ?」
「ただのってなによ!そもそも猫って言わないでよ!私は学園長なの!偉いの!」
エリザは必死に自分の凄さをアピールしてくる。だがそんな事は正直どうでもいい。それより重要な事がある。
「エリザのせいで授業の進行に遅延が生じている。」
「私のせいではないわよ!どー考えてもアキ君のせいよ!」
「黙れ我が猫。エリザ。」
「だから猫って言うな!それに敬称をつけなさい!エリザさん!おねーさんなの!」
「今は生徒だからいいだろ?それに、ほら……いいのか?」
周りを見ろとエリザを促す。
エリザは忘れているようだが、ここは教室だ。尻尾を逆立てて顔を真っ赤にしているし、口調も「学園長」していない。さすがに生徒達も気づたようだ。エリザがいつもの威厳ある学園長じゃない事に。
「さすがアキさん……あの学園長すら……。」
エアルが呟くのが聞こえる。
さらに耳を澄ますと、「学園長怒ってるけどなんか楽しそう!」「それにアキ先生にあの口の利き方を許してるのよ!凄い凄い!」「学園長可愛い!」など他の生徒達からのざわめきも聞こえてくる。
さすがにエリザも自分の口調と態度が素に戻っていたと理解したようだ。
「ち、違うの!こ、これは違うのよ!」
エリザの顔がどんどん赤くなる。既に真っ赤だったのに、まだ赤くなるのかと無駄に感心してしまった。そして涙目になってぷるぷる震え始め、最終的には机に突っ伏してしまった。本当にこの猫可愛いな。
でも少し苛め過ぎてしまったようだ。エリザの反応が可愛いからついやってしまう。
「エリザはこんな感じでとても可愛くて、接しやすい人だから皆も怖がらずに話しかけるといい。魔法の知識も豊富だし、指導者としても立派だ。きっと面白い話が聞ける。エリザは優しいから生徒の為ならいくらでも時間を作ってくれるよ。」
アキは声高らかに生徒達に宣言する。エリザへのフォローでもなんでもなく、アキの本心だ。「学園長」として威厳を出したい気持ちはわかるが、エリザは絶対こっちの方がいい。生徒達に畏怖されるのではなく、親しみを持たれる学園長の方が間違いなく合っている。だから今日のこれを切欠に、生徒達が気軽にエリザに話すようになれば、きっともっと良い学校になるだろう。
「エリザ、ほらこの子達も今のエリザのほうがいいってさ。」
アキの言葉に生徒達も頷いてくれている。そしてエリザの素を歓迎しているかのように、微笑ましい表情を浮かべる生徒達。教室全体が和やかな雰囲気だ。
だから大丈夫だよとエリザをそっと励ましてやる。
「ほ、ほんとに?変じゃない?」
羞恥で死んでいたエリザが少しだけ顔を上げ、チラチラ周囲の様子を伺う。
「みんなのお姉さんなんだろ?」
「うん。」
アキの言葉にエリザは小さく頷く。
「よし、じゃあ授業するよ。今日は頼りになるお姉さんもいるし、わからない事あったら何でも聞くといい。」
生徒達が元気よく「はーい!」と返事をしてくれる。
「今日は『これ』を教える。」
アキは掌に炎を顕現させる。
「炎・火魔法について。まずは『燃える』現象の解説をする。これを理解することで詠唱破棄に繋がるし、威力を上げることも出来る。せっかくだし実演しよう。」
実演を交え、視覚化してあげた方が生徒達にはわかりやすいと思い、アキは紙、銅、鉄を用意しておいた。
「細かい説明を始める前に理解して欲しい事がある。それは炎にも種類があるという事だ。見てて。」
アキは700℃くらいの火球を魔法で生成、用意しておいた素材に着火させる。この温度だと銅や鉄の融解温度には達していないので、燃えて灰になるのは紙だけだ。
生徒達は「それが?」と言った表情だ。彼女達が使っている火魔法は多分これだろうから、その感想も当然だろう。だが次は1200℃くらいの炎を顕現させ、残っている物質に着火させる。すると融解温度に達している銅は当然溶けるが、鉄は溶けない。最後に5000℃くらいの炎で鉄も溶かす。
見た事もない高温の炎魔法に生徒達は目を丸くしているようだ。実演した甲斐があった。これで炎にも種類があると実感できただろう。
「最後のは闘技大会でアキさんが使ってたやつね!」
ミリーが興奮した様子で叫ぶ。
「ミりーの言う通りだ。他の皆も闘技大会は見ていたんだよね?」
生徒達、エリが真剣に頷いている。アキの一言一言を聞き逃すまいと必死になっているようだ。本当に勉強熱心な生徒達や先生だ、教え甲斐がある。
ただ誰よりも真剣な表情をしているのはエリザだ。真剣どころか鬼気迫る表情と言った方が正しいかもしれない。この猫さんは本当に仕方ないなと苦笑する。多分午前中の説明じゃ理解出来なかったエリザは、アキが「午後は簡単に説明する」と言ったから授業に参加しに来たのだろう。そして意地でも理解をする気らしい。
「実際にはもっと温度を上げる事ができる。それこそ人が瞬間的に蒸発するくらいに。でもそんな魔法、こっちにも被害がくる。だから現実的にはこのくらいが限界になってくるんだ。」
まあそんな超高温の火魔法なんて魔素が足りなくて発動しない可能性が高い。それに数万度の燃焼を発生させる理論なんてこの子達はわからないだろう。そんな事に時間を使ってる暇もないので、これ以上は割愛する。
とりあえずは燃焼の基本的な理論だ。
「これを見てわかる通り、炎にも種類がある。そして何故物質が溶けたり溶けなかったりするのか。この辺りを踏まえて燃焼、つまり燃えるという事、の原理を説明する。」
そこからアキは出来るだけ噛砕いて、燃焼に必要な要素を説明した。特に酸素の説明にはもの凄く気を使った。原子論は最悪理解出来なくてもいいので、そういう物だと思っておけばいいと生徒達には伝える。
「以上が燃焼理論の大まかな内容だ。魔法を行使する際、これをきちんと想像出来れば詠唱は要らない。言葉でこれ以上言ってもわからないだろう。今から訓練場に移動して実技ということでいいかな?」
大半の生徒が頭から煙を吹いているように見えるが……とりあえずやってみようと生徒達を励ます。わからない事があったらその都度説明してやればいい。その為にアキがいるのだから。
その後は実技の為、訓練場に移動したのだが、昨日の半分くらいの時間しかかからなかった。どうやらアキの講義を忘れないうちに実践してみたかったらしく、生徒達は迅速に訓練場へ向かってくれた。ただエリザが誰より早かったのには笑った。アキが実技って言った瞬間に、生徒達を押し退けて教室から飛び出して行ったのだから。「生徒達の為に」とかどの口が言っていたのかと呆れる。
まあ全員がそんな様子だったので、訓練場についたら好き勝手にやり始めるかと思ったのだが、みんな静かにアキの指示を待っている。こんなに素直で良い生徒達なのはきっとエリによる指導の賜物なのだろう。
「よし、じゃあまずはエリザがお姉さんとして見本になろうか。」
やはりトップバッターはエリザにやってもらうのがいいだろう。きっと理解さえすればアキより分かりやすく燃焼を説明できるに違いない。その次はエリ、最後に生徒達という順番が効率的だと思う。人に教えると言うのはやはり難しいので、ここは本職の先生達に任せたい。だからエリザとエリが教えられるようになるのが一番だ。
「ええ!アキ君!私の汚名挽回する姿をそこで見てるといいわ!」
「汚名を挽回するのか。そして更なる汚名を背負うのだな。さすがエリザ。」
呆れた顔で突っ込む。やる気があるのはいい事だが、この猫さん本当に大丈夫だろうか。
「ち、違うの!ちょっと間違えただけなんだからね!」
必死にアキに弁解するエリザの姿を生徒達が優しい目で見守っている。優しくて可愛い学園長としての印象が定着してきているようだ。
「わかったから早くやれ、世界の理を司る猫よ。」
「へ、変な渾名付けないでよ!ばかばかっ!」
エリザは口を尖らせて拗ねつつも、魔法を行使しようと試みる。だが上手くいかない。おそらくまだ理解が足りないのだろう。
悔しそうにしているエリザにアキは助言してやる。
「少し詠唱を使ってみようか。『ファイヤ』だけ言ってみて?俺が現象を口に出して言うからそれをエリザは頭の中で想像しなさい。最後に『ファイヤ』で発動。的はこの短剣。」
アキは短剣を取り出し、前方へと投げる。
「うん。わかったわ。」
素直に頷くエリザ。
エリザは掌を上に向け、目を瞑る。集中する為だろう。アキはエリザの肩に手をそっと置いて、燃焼原理を口にする。この行動に意味は無い。少しでもエリザにアキの考えが伝わればと思い、やってみた。
「掌に鉄があると想像して。そこに先ほど説明した酸素や酸化剤を大量に注ぎ込むイメージだ。最後に点火エネルギー、着火する為の火を生成。よしエリザ、詠唱。」
「うん、ファイヤ。」
高融点金属材料などは説明してもわからないだろうから、燃焼媒介は鉄でいいだろう。鉄を媒介に発火させれば、鉄は溶かすことが出来る。そして酸化剤や酸素についてもいまいちわかっていないようなので、詠唱を使って現象理解を補填させる。詠唱が魔素への伝達イメージを補完してくれるはずなので、これで発動するはずだ。
アキの予想通り、エリザの掌に炎が顕現する。彼女はそれを短剣に向けて飛ばす。エリザの炎は鉄を燃焼媒介にしているので温度がおよそ1600℃くらいだ。アキの炎魔法より温度は低い。だが鉄の融解温度には達している。短剣に着弾したエリザの火球は、融解速度は遅いが、無事鉄を融解させることに成功した。
「おめでとう、エリザ。」
「やった!できたわよ!これがお姉さんの力よ!」
お姉さん全く関係ない。でもまあ嬉しそうに飛び跳ねてはしゃいでいるし、水を差すのはやめておこう。
だがどこか微笑ましいので「良く出来ました」と撫でておく。
「こ、こら!おねーさんを撫でるんじゃありません!やめなさい!」
口ではそう言っているが尻尾が喜んでいる。左右に嬉しそうにぱたぱた揺れている。それにアキの手を振り払ったりしてこないので、撫でられるのはなんだかんだで嬉しいだろう。本当にうちの子達と似ていて素直じゃない猫だ。
「あとは今のをどれだけ一瞬で出来るかだ。エリザなら練習次第ですぐに出来るから頑張れ。」
これでエリザは問題ないだろう。次はエリ、そして生徒達だ。アキは各自練習を開始するように伝える。
「今みたいな感じで各自やってみて。わからない事があったら遠慮せず何でも聞いてくれ。その為に俺がいるんだから。そしてとりあえず詠唱は使ってもいいから炎の温度を上げる事に意識をしなさい。慣れてきたらエリザのように詠唱を短く。最終的には無詠唱を目指そう。」
それから2時間程実技訓練を行い、今日の授業は終了になる。結局エリザ以外は鉄を融解させることが出来ずに終わった。さすがは学園長と言ったところか。生徒達はまだまだ燃焼を理解するには時間が掛かりそうだ。
出来なくてすっかり落胆していた生徒達だったが、明日以降も教えるから安心しろと伝えると、「頑張ります!」と意気込んでいた。これなら大丈夫だ。この子達の熱心さがあれば数日で出来るようにはなるだろう。こんな真面目で優秀な生徒達を持ててアキは満足だ。