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「エリザさん、終わったよ。」
「おかえり、アキ君。授業はどうだった?問題なかったかしら?」
学園長室に入ると、エリザがわざわざ扉のところまで駆け寄って来て、出迎えてくれた。尻尾を左右に揺らしてるから割とご機嫌なご様子。しかしどうやらアキの前では学園長ぶるのをやめる事にしたらしい。すっかり柔らかい口調の親しみやすい猫さんだ。
「ほう、エリザがその口調なのは珍しい。」
「そうなのですか?」
エリザの背後から声が聞こえる。しかも聞き覚えのある声だ。それも1人は毎日聞いてる声……間違いなくうちの王女様だ。エリザの肩越しに部屋を見渡すと、アイリスとベルがソファーに座っているのが見えた。
「アイリス女王陛下にアイリーンベル王女殿下、こちらにいらしたのですね。ご無礼申し訳ございません。」
ベルとアイリスの姿を確認したアキは即座に頭を下げる。まさかこの2人が来訪しているとは思わなかったので、一瞬油断した。
「アキさん、大丈夫です。いつも通りでいいですよ。」
ベルが「アキさん」と呼ぶという事は、エリザにもベルやアイリスとの関係性は伝わっているようだ。まあベルがいいと言うのであればいつも通りの口調と態度でいいだろう。
「そう?でもいきなり来るのは止めてくれ。」
「ふふ、アキさんの驚いた顔が見えると思いまして。」
「この腹黒王女め。」
「最高の誉め言葉です。」
ベルがくすくすと可愛らしく笑う。彼女もすっかりアキにとって大事な仲間の1人になった。ベルと話すのは楽しいし、この笑顔を見るのが好きだ。
とりあえずアキはベルの隣に腰かける。対面のアイリスの隣にはエリザが座る。
「アキさん、アイリーンベル王女殿下を責めないであげてください。私が訪問しようと言ったのです。」
「そうでしたか。しかしどうしてここに?アイリス女王。」
「アキさんが早めにお話をというので来ました。」
アイリスがベルのフォローをする。どうやらベルが気を利かして早速会談を手配してくれたのだろう。本当にうちの王女様は仕事が早い。だがこれは助かる。
「さすがベル。頼りになるな。」
「えへへ、もっと褒めてもいいですよ?」
アキに褒められて物凄く嬉しそうだ。さらには「撫でてください」とそっと頭を傾けてくるので、ポンポンと少しだけ撫でておいてやる。
そんなベルとのやりとりを見ていたエリザがちょっと驚いた表情を浮かべている。さすがにここまで親しい関係だとは思わなかったのだろう。
「まさかアキ君がアイリーンベル王女殿下とそんなに仲がよかったなんてね。ちょっとびっくりよ。」
「まあ、ベルには気に入られていてね。」
「そうなのね、まあアキ君だもの。なんかわかる気がするわ。さすが私にペットになれって言うだけの事はあるわね。」
エリザがくすくすと笑う。彼女が楽しそうなのは大変結構な事だが、さりげなくそういう話を暴露しないで欲しい。
「それで早速だけど……。」
アキは強引に話を進めようとするが、案の定ベルに待ったをかけられる。
「アキさん、その前に大事なお話です。」
「ベル、どうしたの?大事なお話?後でいい?」
とぼけて誤魔化せないかと試してみたが、多分無駄な足搔きだ。ベルのハイライトが消えた目を見ればわかる。うちの王女様は大層お怒りのご様子だ。
「ダメです!今すぐです!大体『どうしたの?』じゃありません!生徒を落としてこないでくださいとは確かにいいました!だからといって学園長を落とそうとしないでください!そういう知恵比べをしているのではありませんっ!今日という今日は許しませんよ!いっぱいお説教しますからね!ちょっとそこに座りなさい!しかもペットになれとはどういうことですかっ!」
アキの前に仁王立ちして腕を胸の前で組み、美しい銀色の瞳で睨んでくるベル。しかし相変わらず綺麗な目だ……などとどうでもいい事を考えつつ、ベルに適当な言い訳をする。
「ほら、俺には最高の兎と狼はいるけど猫が圧倒的に足りないと思わないか?そこにこんな可愛い猫がいたら連れて帰るしかないと思うんだ。」
「知りません!それを言われて『はい、そうですね』と私が言うと思ったんですか!大体10代のぴちぴちな私達がいるのに!年上がいいんですか!そうなんですか!何とか言いなさい!」
ベルにしては珍しくねちねちとお話する気らしい。どうやらソフィー並みの暴走モードに入ってしまった。
とりあえずベルが何とか言えというので、褒めてみる。
「ベルの瞳はやっぱ綺麗だ。俺は好きだな。」
「そ、そんなんで許しませんから!誤魔化さないでください!う、嬉しいけどっ!ありがとうございます!」
怒りながら喜ぶって相変わらず器用な王女様だ。だが誤魔化しきれなかったらしい。なら次はエリザのフォローでもしてみよう。
「えーっと……そうだ。エリザさんも十分ぴちぴちだろうが。若くて可愛くて、こんなに綺麗な女性だ。それに猫だぞ?」
「だから!そういうことを言っているのではありません!」
「ならこの猫さんの可愛いとこ1時間くらい語ろうか?」
「なんでそうなるんですか!語らないでください!」
ベルが止まらない。このまま放っておいたら30分はお話が続きそうだ。うちの子達のお話癖にすっかり感化されてしまったらしい。
しかしアイリスもいる事だし、話を進めたい。それにこれ以上ベルの痴態を他国に晒すのも如何なものかとも思う。どうやってベルを止めようかと考えていたら、アイリスが会話に入って来てくれた。確かに女王であるアイリスならこの状況をなんとか出来るだろう。
「すいません。あそこでエリザが羞恥で死にそうになっています。夫婦喧嘩に彼女を巻き込むのはやめてあげてください。」
そう言ってエリザの方を指差すアイリス。彼女の指し示す先に目を向けると、尻尾をぶんぶん振って耳をぴくぴくさせながら丸くなっているエリザの姿があった。本当に行動が猫だな。
そんなエリザの姿に苦笑していたら、今度は隣に座っているベルが何やら俯いてぶつぶつ呟いている。
「ふーふ……?ふーふ……ふーふ!」
どうやらベルはベルで「夫婦」というアイリスの言葉にトリップしてしまったらしい。
「ベル、戻ってこい。そこに反応すんな。」
すっかり頭がお花畑になっているベルの頭を殴って正気に戻す。
「ひゃん……もぉ叩かないでください、アキさんのばか。」
とりあえずベルを撫でつつご機嫌を取り、エリザにも声を掛ける。
「エリザさん、大丈夫?ペットになる?」
「うぅ……可愛いとか恥ずかしい。ペットにはならないもん。」
丸まったままのエリザに尻尾で「シッシッ」と追い払われた。どうやら大丈夫じゃなさそうなので、エリザはしばらく放っておこう。
とりあえずアイリスとベルと少しでも話を進めておこう。どうせここで国家機密にあたる魔獣政策について話すわけではないだろうし、移動する事になるのは確実だ。
「お時間を作って頂き助ります。アイリス女王、それでどこで話をしますか?」
「ここでいいでしょう。」
アイリスがさらっと提案する。
「え、でもベル?」
「アイリス女王……ここでですか?」
アキの予想が外れたどころではない。まさかこの場を提案してくるとはさすがに思わなかった。ベルも同じ事を思ったようで、困惑の表情を浮かべている。
「エリザなら大丈夫です。間違いなく私の味方です。私を信用して下さるのであれば彼女も信用してください。お願いします。」
女王が頭を下げた。その意味がわからないベルとアキではない。
「アキさんにお任せします。私はアキさんに従います。」
「わかりました。アイリス女王を信用します。ではエリザさんの復活を待って話をしましょう。」
アイリスが「ここで」というのであればアキに異論はない。それにエリザを味方につけられれば、魔法組合にも繋がりが出来る。
「エリザ、さっさと復活しろ。今の話も聞いてたんだろう。」
「は、はい……女王陛下!だ、大丈夫です!」
さすがアイリス。女王の一言で一発だ。顔はまだ少し赤いが、エリザは丸まるのを止め、表情を引き締めながらソファーに座り直した。
「取り乱して申し訳ありません。女王陛下がアキ君に頭を下げてまで頼むんですから重要な話なのはわかります。」
エリザはそう言うとアキを見つめてくる。「あなた何者なの?」という目だ。当然の疑問だろう。
「ではまずエリザさんが知っておくべき事を説明しよう。アイリス女王、彼女はあの話について何か知っていますか?」
「いえ、当然何も知りません、何も言っていません。」
アイリスが端的に答える。さすがアイリス、エリザにもちゃんと秘密保持をしていたようだ。やはりこの女王に疑わしいところは無いと言える。
「ではまずその辺の話をして、エリザさんにも現行の制度についてある程度理解して貰いましょう。その後、ベルと計画している事について話す、という方向でどうでしょうか。」
「はい、問題ないでしょう。」
アイリスに異論はなさそうだ。隣に座っているベルも「アキさんのお望みのままに」と小さく頷いてくれた。
では……と咳払いを一つして、アキは早速エリザに魔獣制度の説明をする。
「この世界の秘密について話すから、エリザさん、わからない事があったら適宜聞いてね。」
「ええ、わかったわ。よろしくね、アキ君。」