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教室の前に到着したので、アキは気合を入れなおして、教室内に足を踏み入れる。
「アキさーん!」
「ダメよエアル。今はアキ先生でしょ。」
中に入るとエアルとミリーが手を振ってくれた。彼女達は前から2列目くらいに座っており、教壇からもよく見える位置だ。これは心強い。
「はいはい、静かにしてください。えっと……今日から私に変わり少しの間アキ先生にこのクラスをお願いします。学園長から好きにしてもらうようにと言われているので全てアキ先生にお任せします。それではアキ先生、お願いします。」
エリがアキに一礼して、教壇を譲ってくれた。彼女に代わり教壇に立ち教室を見回す。このクラスは全員が女子のようだ。席の数が横に8列、縦に8列あり、全席埋まっているので、64人いることになる。結構な人数だなと1週間自分の生徒となる子達を改めて見渡す。するとエアルとミリーと目が合い、また小さく手を振ってくれている。あの子達は手を振るのが好きだなと苦笑してしまう。
「皆さん、こんにちは。朝礼でも挨拶したけど、アキです。アキ先生、アキさん、アキ、呼び方は何でもいいです。歳も皆と同じくらいだと思うし仲良くしてください。授業中は先生生徒という関係だけど、授業が終わったら友達として接してくれてもいいです。それでは皆にもまずは自己紹介をお願いしようかな?」
アキが砕けた口調でそう言うと、皆も少しリラックスしたのか、ホッとした表情を浮かべてくれる。
「いきなり64人も名前を覚えられる気がしないから間違えたらごめんね。なんとか頑張って覚えるけどさ。」
軽い冗談を挟みつつ生徒達の笑いをとる。掴みは大丈夫そうだ。後はエリのアドバイス通り心を鷲掴みにするだけだ。得意の交渉術の出番だとアキは表情を引き締める。
「ただ自己紹介をしてもらう前に、重要な事を言っておきたい。」
教壇を両手で軽く叩き、真剣な声色で宣言する。生徒達はアキの雰囲気が変わったのを感じたようで、緊張した面持ちで次の言葉を待っている。アキも意を決してその言葉を口にする。
「とりあえずお前ら全員足閉じろ。下着見えてるぞ。」
時が止まったかのように、教室が一気に静まり返った。
数十秒の沈黙、そして時が動き出す。
「「「いやああああああ!」」」
生徒全員が必死に制服のスカートを押さえている。涙目になる子もいれば、顔を真っ赤にしてアキを睨んでくる子もいる。平然としてる子はいない。どうやらみんな初心な乙女のようだ。
ただこの指摘は仕方ないだろう。さっき教壇に立った時に気付いてしまったのだ。女子しかいないせいか全員がやたらと無防備だと。学園には男子生徒や男性教師がほとんどいない。だから「男が女を見る」という視線に疎くなってしまう。目の保養にはなるので黙っていてもよかったのだが、それはそれで授業がしにくい。
それにエリが言っていた。
「エリ先生、どうですか。見事に生徒達の心を鷲掴みにしましたよ。」
「ア、ア、アキせんせー!?鷲掴みどころか握り潰してどうするんですかー!」
エリが慌てながらアキに苦言を呈してくる。何も上手く言わなくてもいいのにと心の中で突っ込む。だが勿論アキの交渉術はここからだ。さすがにこれで終了したら本当にただの変態教師になってしまう。
「大丈夫です、エリ先生。みんな、聞いてくれ。真面目な話だ。まずはごめん、デリカシーが無かった。」
まずは生徒達に謝る。
「いい眺めだとは思う。でも知らんふりしてずっと眺めている方が嫌じゃないか?」
「そ、それはそうですけど……。後いい眺めとか言わないでください!」
エアルが恥ずかしそうにスカートを押さえながらアキの意見に同意してくれた。
「俺も男だからしょうがないだろ。でもだからこそ敢えて言った。皆は男性の視線に疎すぎる。女性しかいないからしょうがないのかもしれないが、いつ誰が見ているかわからないんだから自分の所作には注意しなさい。何も男性の視線の事だけを言っている訳じゃない。もし魔法を使って戦闘を行う事を考えているなら相手の視線には注意すべきだ。特にエアル、ミリー。Sランクの2人ならわかるだろう?」
アキはミレーのSランク、エアルとミリーに話を振る。冒険者の頂点だったらそのくらいは理解しているだろう。
「はい・・それはその通りです。」
「確かにアキさんの言ってることは間違ってないけど……。」
「俺はあくまで善意で注意した。でも社会に出たらそういう事はないと思った方がいい。その場合痛い目を見るのはみんなだ。あとエリ先生、貴方も悪いんですよ?」
アキは体をエリの方へ向け、言葉を飾る事なく率直に注意する。本来であれば生徒達への注意はアキではなくエリがすべき事だからだ。
「え、わ、私ですか?」
「エリ先生が注意と指導をしておくべきことでしょう。毎日教壇に立つエリ先生ならいつもこの光景を見ているはずです。なのに注意してないってのはダメでしょう。この子達が可哀そうです。『明日からは男の先生がくるから注意しなさい』と一言言えば済んだはずです。」
「あ……そ、そうです……うぅ……すいません。」
エリが泣きそうなくらいに凹んでいるので肩を叩いて落ち着かせる。ちょっと強く言い過ぎたかもしれないが、エリであればすぐに言葉の意味を理解し、自省して立ち直るだろう。彼女の性格を考えればこれくらいの注意が丁度いいはずだ。
「俺が来なければわからなかった事でしょうし、エリ先生もあまり気に病まないでください。みんなもこれからは注意するようにね。スカートである以上、気をつけなさい。」
生徒達も大分落ち着いたのか、素直に頷いてくれているので大丈夫だろう。
「よし、じゃあ今度こそ自己紹介してもらおうか。まず深紅のエアルから。」
「へ、変な渾名つけないでください!ばかー!」
エアルが罵倒してくる。だが仕方ないだろう。また少し油断していたのだから。ちなみに周りの生徒達からは「エアルって赤なんだー」とざわめきが聞こえる。そのせいかエアルは羞恥で顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「また見えたからな。次からはもっと酷い渾名付けるから。嫌なら意識しなさい。」
「うう……はい……。えっとエアルです、Sランク冒険者。趣味はお買い物です。」
アキの再三なる注意のおかげか、エアルもちゃんと足を閉じて女の子らしい座り方をするようになってくれた。よかったよかった。
「エアル、よろしく。そしてみんな女の子らしい座り方になったし、そっちの方が可愛らしくていいと思うよ。他のクラスの子達にも教えてあげるといい。じゃあ次はミリー。」
「ミリーよ……えっと、趣味はお料理。」
しかしエアルもミリーも女の子らしい趣味を持っているなと、女子力の高さに感心する。是非うちの子達に教えてやってくれ。特に料理を。そんなどうでもいい事を考えていたら、ミリーから逆に質問が飛んできた。
「ねえ、アキさん。わ、私のは見えたの?」
逆に聞いてくるパターンがあるとは思わなかった。そんなに気になるのだろうか……。とりあえず聞かれたからには答えなければ。
「どうした金色のミリー。」
今度は周りからどよめきが聞こえる。「金ってどうなの……。」「凄くない?」「ありえないよね。」等と散々な事を言われているようだ。さすがにアキも金色の下着はどうなんだろうとは思う。
「金じゃないから!ありえないから!今日は白と青の縞々だもん!」
「縞柄のミリーよ。自分でばらしてどうする。今のはただの誘導だ。分かった風を装い、相手から情報を引き出すテクニックだ。有用だから覚えておきなさい。でもSランクなんだから引っかかるなよ。」
ミリーの性格上、こうやって挑発すれば口を滑らすだろうと思い誘導してみたが、見事に策に嵌ってくれた。彼女のは見えなかったのに、わざわざ自ら可愛い下着を履いてると教えてくれるのだから……なんていい子だ。まあミリーはエレンに近い性格をしているから扱いやすい。まあ素直でいい子って意味だ。
「私でやるなー!ばかばか!ばかーっ!」
ミリーが涙目になりながら必死に叫ぶ。
「Sランクの2人が簡単に遊ばれているわ……アキ先生凄い。」
「恐ろしい……気を抜けないわね。エアルとミリーの犠牲は無駄にしないわ。」
生徒達からひそひそとそんな話声が聞こえてくる。ちなみにエアルとミリーは完全に撃沈したようで、机に突っ伏して羞恥で悶えている。
「うん、気は抜かないようにね。エアルとミリーは犠牲になったと思おう。だから2人の死を無駄にするな。自分の所作にはしっかり注意するんだぞ。」
アキの指導に生徒たちが元気よく「はい」と声を上げる。先生って結構楽しいかもしれないなとアキは感傷に浸る。
「「死んでないからー!」」
エアルとミリーは羞恥から生き返ったようで、息の合った突っ込みを披露してくれた。
しかし自己紹介に趣味を加えるのはいい案だ。他の生徒達にも趣味を言うようにとお願いした。それにその方が名前を覚えるのにも役立つ。下着の色で覚えるのもどうかなと思っていたので丁度いい。
一通り自己紹介も終わり、生徒達、主にエアルとミリー、も落ち着きを取り戻したようなので、いよいよ講義を行う。
「皆は闘技大会見てたんだよね?」
アキが尋ねると、生徒達から黄色い声が上がる。
「はい、かっこよかったです!あんな魔法使いたい!」
「女王陛下を救ったの素敵でしたー!」
エアルが教えてくれた通り、生徒達はアキに好印象を抱いてくれているようだ。好感度は先程の一件で急降下したと思うが。
「そう言ってもらえるのは光栄だね。せっかくだし皆が覚えたいことを教えたい。こういうのがやりたいってことでいいのか?」
エリザに見せたように無詠唱で炎を掌に顕現させる。ついでに氷魔法で近くにあった花瓶と花を凍らせておいた。生徒達への特別サービスだ。
「すごーい!やりたいです!アキ先生教えてー!」
「女王陛下を救った魔法ね、キャー!」
女子に手放しで褒められるというのも悪くない。調子に乗ってしまいそうだ。それに少しはこの子達からの好感度を回復させれたといいが。
だがこれは依頼だ。報酬を貰う以上、与えられた仕事はきっちりやらねばならない。遊びに来ているわけではないのだから。
「今、俺は無詠唱でちょっと特殊な魔法の使い方をした。どちらから覚えたい?一週間という限られた時間しかないから皆の希望に合わせる。もちろんこれ以外でも構わない。俺が知っている事であれば教えよう。」
生徒達がどれを教わるかで盛り上がっている。暫くは黙って見ていたのだが、中々にヒートアップして来たので、止めたほうがよさそうだ。これ以上放っておいたら喧嘩になるかもしれない。
アキは魔法の言葉を口にする。
「こら、喧嘩しない。喧嘩したら……ばらすからね?」
やはりこの魔法の言葉は効果的だ。生徒達は即座に言い争いを止め、笑顔になった。別に脅したつもりはなかったのだが、エアルとミリーのおかげだろう。あの2人の犠牲があったから効率よく授業を進められる。2人にはまた感謝しなければ。
「まあ、喧嘩になるような話題を振った俺も悪かった。だから多数決を取ろう。一番多かった案を採用。エリ先生手伝って頂けますか?」
「は、はい。それではみんな紙に何を学びたいか書いてください。5分後に回収しますー!」
流石はこのクラスの担任だ。きっちり指示を出して仕切ってくれた。
「さすがエリ先生、頼りになる。」
「い、いえそんなことはないです……。」
エリが褒められて嬉しそうだ。先ほど注意したことで落ち込んでいると思ってフォローしたのだが、必要なかったかもしれない。
多数決の結果は、無詠唱と現象理解、この2つが抜きん出ていた。まあ当然だろう。ただいくつかおかしな意見が混ざっていたらしいが。
「い、いくつか不適切なのがありますが、とりあえずこの2つでいいですか?アキ先生。」
「せっかくなので不適切な意見も教えてください。生徒の貴重な意見、聞いておきましょうよ。」
「え……えぇ?」
エリが戸惑いながらも読み上げてくれた。「アキ先生、恋人はいますか。」「どういう女性がタイプですか?」「私達の中で選ぶなら誰にしますか?」「本当に全員の下着見たんですか?」「何色が好きですか?」「エアルが赤ってどう思いますか?」ただの質問コーナーになっている気がしないでもないが、せっかく聞いてくれたのだから答えるべきだろう。
「とりあえず深紅のエアルについて1時間くらい語ればいいのか?」
「やめて!そんなに語らないで!なんでそれをピンポイントで選ぶんですか!」
エアルがちゃんと突っ込んでくれるのが嬉しい。やっぱりいい子だ。
「全員の下着を見たのかについては『いいえ』だな。本当の事を言うとエアルの深紅しか見えなかったから大丈夫だ。安心して欲しい。」
「全っっ然大丈夫じゃないですからー!」
唯一の被害者が「もうやめて」と叫ぶ。とりあえずエアルの事は無視して続ける。
「でも言わなければみんな油断したままだっただろ?あの反応を見ればわかる。だから見えた風を装って注意した。深紅みたいになりたくなければ気を付けてね。」
「もー!これ以上私を苛めないでくださいー!」
エアルが机に顔を伏せてしまう。ただ他の生徒達は見られなくてよかったと安堵の表情を浮かべている。そしてちゃんと足を閉じて女の子らしく座ってくれているので、アキが注意した甲斐はあったようだ。
「じゃあ残りはまとめて答えよう。恋人はいません。好きな色は青と銀かな。好きなタイプは一緒にいて楽しい子、安心できる子。この中から選ぶとしたら……まあエアルとミリーかな。」
エアルは顔を伏せていて表情は見えないが、アキがエアル達を選ぶと言った瞬間、耳まで真っ赤にしていた。ミリーもちょっと恥ずかしそうに下を向いている。
「なんでですかー?」
教室のどこからか質問が飛んできた。
「単純に知っている2人というのもあるけど、エアルとミリーは毎回俺の言葉にちゃんと反応してくれるいい子だからね。それにちょっとた事で照れている2人可愛くない?今もほら。」
全員の視線が2人に集まり、エアルに続いてミリーまでもが羞恥で顔を机に伏せてしまった。だがせっかくなのでもう少し彼女達で遊んでおこう。
「はい、注目。深紅のエアルと縞柄のミリーが照れています。」
「「もうやめてってばー!」」
エアルとミリーが素晴らしい犠牲になってくれたおかげで、アキはすっかりクラスのみんなと打ち解けられた。エリもなんだかんだ楽しそうに生徒達との交流風景を見ていたし、初日の掴みとしては概ね合格だろう。後でエアルとミリーにはめっちゃくちゃ文句を言われて拗ねられたけど。