5
ミルナとの会話が途切れたところで一息入れる。アキは地球から持って来ていた保温・保冷対応の携帯水筒を取り出す。川辺にいた時に水を汲んでおいた。それを蓋に移して飲み干す。長話で渇いた喉を冷水が潤してくれる。
「あら、アキさん。そちらは……?」
ミルナが興味深そうに水筒をみている。
「俺の世界からもってきた液体を保存する容器だよ。俺だけ飲んでごめんね。ミルナもどうぞ。」
そういってミルナに水を蓋に注いで渡す。
「あら、ありがとうございます。嬉しいですわ。でもこれは……。」
そう言ってミルナがエレンの方を見ようとするが、アキはそれを止める。
「今はやめとけって。やりすぎてもエレンが可哀そうだ。」
ミルナにしか聞こえないようにアキが囁く。
「あらあら、バレました?しかしアキさんが言いますか?それに察しのいい男は嫌われますわよ?」
「普通に逆だよね、それ。」
「私とっては察しの悪いほうが扱いやすいんですもの。」
そう言ってミルナはくすくす笑う。
「ふふ、でも男性の方と間接キスというのは本当に少し恥ずかしいんですのよ?」
本当か嘘かわからない言い方でミルナは遠慮がちに水を飲み干す。
「ありがとうございます。冷たくて美味しいです。異世界のものは便利ですわね。」
「どういたしまして。恥ずかしいのは本当みたいだね。」
そういうとミルナは一瞬びくっとして視線をそらす。そして少し頬を染め、アキに告げる。
「もぉ……バレてるってわかってましたわ。でもアキさん?わざわざ言わなくてもよろしいのでは?」
そういってミルナは少し頬を膨らます。
「ごめんごめん。あれだ。エレンの仕返しを代行したんだよ。」
「だからそれアキさんが言います?」
ミルナは本当に楽しそうに笑う。アキにとっても居心地が良い時間が流れているとそう感じている自分に驚く。自分はこの世界に来て、この人達に出会い、少し明るくなった気がする。表面上だけ明るく振る舞ったり、ノリよくすることはよくあったが、他人と接して心の底から楽しくなることなんてほとんどなかった。前の世界で出来なかった事を色々とやろうとしているうちにアキは変わりつつあるのかもしれない。
ちなみに警戒や偵察に当たっているソフィー、レオが2人の様子を伺っていた言うまでもなく、いつもと雰囲気の違うミルナに驚いていた。化け物同士、話が合うのかという考えが頭をよぎったが、先刻の事を思い出し、考えを振り払う。エレンについては言うまでもなく幾度となく飛びかかろうとしていたのだが、その度にミルナから軽く殺気で威圧されて出来なかったようだ。
「それでは本題ですわね。Sランクになる必要がある私達の目的についてです。アキさん、私たちのチーム名覚えてらっしゃいます?」
「メルシーだね。」
「はい、そちらはMERSIと書きます。お察しかと思いますが私達の名前の頭文字から取りましたの。」
ミルナはその意味をアキに説明する。Mがミルナ、Eがエレン、Rがレオ、Sがソフィー。最後の1人がおそらく噂の5人目のメンバーなのだろう。だがその前にアキは気になる事をミルナに尋ねる。
「待って、レオだったらLじゃないの?」
「さすがに気付きますわね……レオの名はレオンナード・ボルクスではありません。いえ、レオンナードではありませんわ。」
「なるほど、男の振りをする為に名前を変えているんだね。」
「本当の名はいつか本人からということでお願いしますわ。」
「そうだね、本人から聞くよ。」
「ありがとうございます。それでは続けますね。Iなんですが……イリアという名です。イリアナルア・サッシュベル。」
ミルナはどこか懐かしむような目をして昔話を始める。チーム名のMERSIは彼女達が出会った順番でもあるという。3年ほど前にミルナとエレンが出会い、チームを組んだ。女性のデュオということで結構注目を浴びたらしい。2人とも美人だし当然だろうとアキは思う。暫くしてからレオが加わりトリオに。そしてソフィーでカルテット。
「デュオでいた時間は2週間くらいでしたのよ。気づいたらレオとソフィーがいました。そしてカルテットになって2ヶ月程立った頃です。イリアと出会ったのは。彼女はソロで討伐依頼をしていたのですわ。」
森の中で偶然イリアを見かけたミルナ達は女性のソロというのもあって彼女の様子を伺っていたのだという。だがイリアの卓越した剣技の前に圧倒された。的確に弱点を突く判断力、威力も速度も出鱈目な攻撃、そして回避速度。何より美しかったのが、舞うように踊り、敵を切り伏せていく彼女の姿だった。
「彼女はいつかSランクになる。みんなそう思いました。そのくらい圧倒的だったのです。」
彼女程の実力者であればソロであるのも納得し、イリアの邪魔になると思いその場から立ち去ったのだという。だがそれが失敗でしたとミルナ。
「向かった方向がいけなかったのです。その方向にはイリアの実力を察知して迂回していた魔獣達がいました。」
魔獣達がミルナ達に気づいて襲いかかってきた。逃げられないと判断し応戦する。その頃のミルナ達のランクはD。当然今の彼女達より遥かに弱く、段々と劣勢に追い込まれていった。連携も今に比べるとまだまだで、Dランク相応の実力しかなかった。
「自分たちの実力を過信していたわけではないんですが、女性だけのチームと騒がれ、どこか慢心があったんでしょうね。」
そもそもその地域はDランクの冒険者には危険すぎる場所で、ミルナ達が行くべき場所ではなかった。それでも仲良く楽しく冒険者をしていた4人にとってなんでも出来るような気になってしまっていたのだ。
「女性のソロだから心配?馬鹿ですわ、私達は。場違いなのは自分達でしたのに。過去の苦く恥ずかしい思い出です。」
ミルナはその時の様子を思い出しながら苦笑いを浮かべる。歩いて話していたはずなのに、いつの間にかアキとミルナは立ち止まって話している。彼女が歩みを進める様子もないのでアキは適当な場所に腰を下ろす。
「座ろうか。」
「はい。」
ミルナもアキの横に腰掛ける。
「逃げることもできない、勝てる見込みもない。私達はここで散るのだなと思いました。」
「そこにイリアが助けに来たんだね。」
「はい、お伽話によくある陳腐な展開ですわ。でも実際にその物語の主人公になった私達にはイリアがとてもかっこよく見えました。」
イリアは4人の前に現れるとあっという間に魔獣達を殲滅してしまう。ミルナ達はそれを憧れの眼差しで見ていた。見ているしか出来なかった。魔獣達が命を散らし、辺りに静けさが戻るとイリアは静かに納刀する。そしてミルナ達に近づいてきて声を掛けた。
「ねぇねぇ、みんな冒険者なのかな?」
「女性だけのチームってすごいね!」
「私はイリア、Bランクだよ。よろしくね!」
「みんなはDランクなんだ?大丈夫!すぐに上がるって!」
「それよりさ、私もチームにいれてよ!」
「いいの?やった!」
イリアはとても明るくて笑顔が素敵な少女だった。年はミルナより1つ上の17歳。イリアと出会ったのが2年前の話なので今彼女は19歳になっているはずだ。
「16歳でBランクは驚きでした。いえ、むしろAやSでないのが不思議なくらいでした。それなのに決して偉そうな態度はとらず、すぐに私達の中心人物になりましたわ。」
あの美しい剣技を持つ彼女、そして危ないところを助けられ憧れを抱いた4人にイリアの頼みを断る理由などなかった。Bランクの彼女が加入したことによりクインテットになったチームの実力は一気に伸びた。イリアは剣技だけでなく洞察力や観察力にも長けており、いつでも的確な指示を出して戦闘をこなし、チームを引っ張っていく。5人となったミルナ達はチームをMERSIと名付け、様々な依頼を達成していった。
「気づいたらBランクに上がる直前まで来ていましたわ。それが1年程前ですの。チームとしても楽しくて……ものすごく充実した毎日でした。起きて、冒険に行って、女の子同士で盛り上がって、美味しいものを食べて、寝て、その繰り返しでした。」
そんな時でしたとミルナは語る。Bランクになりかけていた彼女達だったがイリアは既にAランクになっていた。そしてAランクの中でもやはり屈指の実力者であったイリア。イリア個人に対する指名依頼が殺到するのは当然だ。
「イリアは私達といるのが楽しいと、指名依頼はできるだけ断っていたんですわ。ただある日、イリア宛に指名依頼が入りました。難易度はS。普段の彼女なら適当な理由をつけて断っていたでしょう。」
ただその依頼はSランクでいつもの指名依頼とは毛色が違った。依頼主が国であるということ、そして内容が秘境の地での王族の救出活動。依頼達成報酬も当然高額。ちょうどその頃MERSIとして拠点となるホームを買おうとみんなで盛り上がっていた時だった。
「依頼内容は?」
「さすがにイリアにしか伝えられていませんわ。」
ただミルナ曰く、イリアの言動から察するに王族の女の子が秘境の地に迷い込んだ可能性があり、その捜索と救出ではないかとのこと。依頼主が国というだけでもAランクでは断りづらいのに、小さな少女が危険であり、報酬も高額。イリアは受けるとミルナ達に宣言する。ただ勿論Sランク難易度依頼の危険性を知っていたミルナ達はイリアを止める。
「きっと国とか報酬は後押しになった程度ですわ。きっとイリアは……その女の子を助けたい、そんな一心だったのだと私は思います。」
イリアの決断を聞いて止める事はできなかったミルナ達。渋々ながらもイリアを送り出した。行き先は西国のミレー王国にある秘境の地、月夜の森。彼女が出立したのが10か月程前で、それ以来音沙汰が一切ないのだという。
「Sランクの依頼ですし1~2ヶ月はかかると思ってましたわ。ただ3ヶ月、半年と経ち、私達も当然不安になってきたんです。7ヶ月経った頃はみんな絶望していて依頼すら受けず何もしない毎日が続いていました。」
悲しそうな辛そうな声色だ。アキがミルナを見ると普段の彼女では考えられないくらいに悲痛な表情を浮かべている。あまり見ないでくださいとミルナが目線で訴えてくる。
「毎晩自分を責めましたわ。何故もっと必死に止めなかったんでしょうと。でも心のどこかで信じていました。彼女程の実力者が死ぬわけがないと。」
「依頼失敗の連絡は?」
「未だにありませんわ。ですので依頼は継続中と考えるのが妥当です。ただ国や冒険者協会が情報を秘匿している場合はその限りではありませんが。」
「だから自分達で助けにいこうと、確認しにいこうと。」
アキがミルナ達の目的を確認する。ここまで聞けば察しはつくが、ちゃんと彼女の口から聞いておきたい。
「えぇ……そう提案した時、既にみんな同じ気持ちでした。」
「その為にSランクに?」
「Sランクになれば様々な情報を公開して貰えますし、ミレーでも月夜の森でも自由に行けますから。」
「行ってどうするの?」
「助けますわ!私達はイリアが何かしらのトラブルに巻き込まれてい身動きが取れないだけだと思っていますもの!彼女が、彼女が死ぬはずありませんわ!」
ミルナが珍しく叫ぶ。そして目尻にうっすらと涙を浮かべる。
「でも、もし万が一……だったとしても、自分達が見つけて……イリアを……。」
ところどころ声が掠れて聞き取れないが、気持ちは十分伝わったとアキは隣に座っているミルナを撫でる。ミルナが自然と肩を寄せてくる。
「大丈夫、わかったからもういいよ。辛い事思い出させたね。」
ミルナは小さく首を横に振り、らしからぬ口調でポツリと呟く。
「少しだけ、少しだけ待って。」
アキはそのままミルナに肩を貸す。彼女の綺麗な髪の毛が風に揺れ、花のような優しい香りがアキの鼻をくすぐる。
「ミルナは凄いよ。俺なんて何もできない、何もない男だよ。」
皆の前ではかっこよくて、冷静沈着、凛としていて美しいミルナ。腹黒く、計算高いとみんなに恐れられ、頼りになるミルナ。だがBランクだとしても、人外レベルの実力の持ち主だったとしても、それでも18歳の女の子であることに変わりはないのだ。少しくらい弱音を吐いたって不思議でもなんでもない。普段から必死に頑張っているのだからちょっとくらい立ち止まったっていいだろう。
それに自分に比べると、遥かに尊敬に値するとアキは思う。戦闘力はない、友達もいない、ひたすら観測だけして何もせず生きてきたアキ。さらに自分の世界に絶望し捨ててきた屑。そう考えるとミルナは自分なんかより何百倍も凄い人間だ。ソフィー、レオ、エレンにしてもそうだ。自分なんかよりずっとずっと凄い。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。実際は数分程度だろうがアキの体感ではとても長感じられた。
「何も出来ないなんて、そんな事言うものではありませんわよ。」
ミルナが顔を上げてアキを見る。落ち着いたのかいつものミルナらしい笑顔になっている。
「事実だって。」
まだ出会ってちょっとしか経ってないが、観察を得意としているアキにとって彼女たちの事を理解するには十分な時間だ。
それでわかった彼女たちの事。ミルナは凛としていていつも素敵なお姉さん。ソフィーはいつも可愛い笑顔でチームをいい雰囲気にしている。レオは男装して辛い思いをしているはずなのに、微塵もそんなところを見せないで明るくてとてもいい子だ。エレンは素直じゃないけどまっすぐで優しい。それでいてみんな強い。全員がこのチームには欠かせない存在だとアキは思った。自分に比べること自体が間違っているんだとミルナに話す。
「よく見てますのね。」
「まあね。だからダメダメな俺とは違ってみんな凄いんだよ。」
「あらあら、それなら私はそんなダメダメさんを仲間に入れてしまったんですの?」
「あぁ、大失敗だな。」
「ふふ、それなら追い出しちゃいますわよ?」
アキとミルナは顔を見合わせて笑う。軽口を叩けるくらいにはいつもの調子を取り戻したようだ。
「ならイリアを助けて追い出されないようにしないと。」
「ダメダメなアキさんにそんなこと出来るんですの?」
「出来るかどうかわからないけど、やる。」
「30点ですわ。」
「それは手厳しい。」
ミルナはアキにそっと抱き着いて耳元で小さく囁く。
「でも今の私には100点でした。」
ミルナがさらに密着してくるので、彼女の温もりが柔らかい肌を通して伝わってくる。こんな綺麗な女性に抱き着かれてドキドキしないわけがない。少し恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。
「あと、さっきアキさんとお話するのは楽しいって言いましたけど、お世辞じゃなくて本当ですのよ。自分でも不思議なんですけど……なんか落ち着きますわ。こんな私ですがこれからも構ってやってくださいね。」
その気持ちは嬉しいが、いい加減離れて欲しい。この状態は不味い。
「本心なのはわかったから、離れようか。そろそろ来るよ。」
「はい、それを待ってますのよ。」
完全にいつものミルナに戻ったようだ。
「そうですか……。」
アキが呆れた表情を浮かべる。そろそろ来るというのはもちろんアレのことだ。このチームにはすぐに襲い掛かってくる猛獣がいるのだから。
「いつまで抱き合ってるのよ!あんた殺されたいの!」
「そうですよ、離れください!」
そうエレンだ……そしてまさかのソフィー。意外な人物が釣れた事にアキとミルナは少し驚く。
「あらあら、ソフィーどうしたんですの?アキさんから離れろということですか?」
「あ、いや違います!それはほら……あれです!ミルナさんから離れてってことで!」
「どうせ聞いていたんでしょう。アキさんがソフィー可愛いって言っていましたわね。」
「そ、そうなんですか?よ、よく聞こえなかったので!知りません!」
「わかってますわよ、そういう事にしておきましょうね。」
「だから違うんですー!」
ソフィーは必死に否定する。美味しもの食べさせたり、可愛いと言ったりするだけで懐いてくれるソフィーもエレン同様にチョロいのかなと思うアキ。
「ミルナに手をだしたら殺すって言ったわよね!」
そういやエレンもいた。ソフィーはミルナが相手しているのでアキはエレンの相手をしておこう。
「出してない。」
「出したわよ!」
「いつ?どうやって?詳しく。」
「さ、さっきよ!どうやって……どうやって……ど、ど、どういうことよ!」
「だからどうやって手を出したの?」
「だ、だからさっきミルナを……その……!」
「え、聞こえない。」
「だ、だからさっき!ミ、ミルナを抱きしめたでしょ!」
エレンが顔を真っ赤にしてさっきのアキの行動を必死に説明する。むしろアキはミルナに抱きしめられたんだが、どうやらエレンに都合のいいように事実を捻じ曲げられてしまったようだ。
「あ、ごめん。何か言った?もっかい。」
「しねぇえええ!今すぐ死になさい!」
ちなみにレオは木の上から周囲を警戒しつつソフィーとエレンをやれやれといった表情で見つめている。
「確かに僕も嬉しかったけどね。いやでもお仕事放り出しちゃだめでしょ。」