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「では出発いたしましょう。」
ミルナが出立を合図するが、アキはちょっと待ってとお願いする。
「ごめん、ミルナ。もうちょっと食休みでいい?」
「慣れない環境で疲れましたか?」
「いや、疲れは大丈夫。休憩ついでに聞き忘れていた事を聞いておこうかなと。」
「なるほど、わかりましたわ。なんでしょう?」
ミルナが尋ねる。
「色々教えてもらったけどこの世界の言葉ってどうなっているの?」
「どういうことですの?」
「国が幾つもあるのに通貨が万国共通ってのが珍しい。だから言語はどうなんだろうって。俺が想像してる通りならちょっと考えがあってね。どうしても聞いておきたいことなんだ。」
「申し訳ありません、ちょっと意味がわりませんわ。」
「えっと……つまり言語は幾つくらいあるの?ミルナが話している言葉は何語?この4国の人達ってみんな言葉は通じるの?文字も?」
「言葉って一つですわよ?文字とかに種類とかありますの?」
ミルナは不思議そうな顔でアキを見つめる。どうやら彼女の言葉から察するに、アキの想像通り、この大陸には1言語しか存在しないようだ。日本語、英語というような種類は存在しない。存在しないからこそ何語という概念が存在しない。1つしかないものにわざわざ名前を付けたりしないからだ。例えばアキがいた世界。その世界に名前なんて存在しなかった。地球という惑星としての名前はあったが、それは火星、水星など複数存在していたからだろう。だが次元を超えた別の世界なんて存在しないものだと思われていたので、わざわざ「世界」としての名前を付ける必要がなかった。
「アキさん……?どうかされましたの?」
「うん、面白いと思って。俺がいた世界は何種類も言葉があってね。国をまたげば言葉も文字も違ったんだ。」
「それは興味深いですわ。言葉が通じないのでは外交など出来ないのではありませんか?」
「複数の言語を話したり書いたり出来る人が一定数いてね、もちろん勉強して覚えるんだけど。それで通訳っていう仕事があった。」
「通訳ですか?よくわかりませんわ。」
「なるほど……。そうだ。ミルナ、さっきの魔法水晶出してくれないかな。」
「はい、いいですわよ。」
ミルナは魔法水晶をまた胸の間から取りだす。突っ込んではやらんが。
「ありがとう。この水晶に刻まれている文字だけど、この世界の人であれば誰でも読めるのか?」
「そうですわね、誰でも読めます。」
「エレンでも?」
「エレンでも。」
「ちょっと!私をバカみたいに言うんじゃないわよ!」
2人の近くに座っていたエレンが抗議の声をあげる。だが当然のように2人はそれをスルーして話を続ける。レオとソフィーは黙ってアキ達の話に聞き入っているようだ。
「じゃあこの魔法水晶の文字がなんて書いてあるか俺に教えて?俺はこの魔法水晶の文字が読めなくてね。」
「はい。『大地に水を顕現せよ、ウォーター』と書いてありますわ。」
「今ミルナが俺にした事が通訳ってことだ。」
読めない文字や理解できない言葉をアキに説明した事がそれにあたるのだとミルナに説明する。単一言語しかない世界だと通訳の意味を口で説明しても分からないと思い、実践させた。
「なるほど……!そういう事ですのね。」
ミルナも納得してくれたようだ。
「じゃあ逆にミルナはこれが読めるか?」
そういってアキは焚火で燃え残った木の枝を拾い上げ、平仮名でミルナと地面に書く。
「なんですの?何かの絵でしょうか?」
「やっぱりわからないのか。これは俺が来た世界の言語の1つだよ。」
「あら、そうなんですか。とても不思議な形をしてますのね……。」
ミルナは興味津々にアキが書いた文字を見つめる。しかし文字は読めないのに何故ミルナ達と言葉が通じるのだろう。通訳の魔法でもかかっているのか、転移した際に脳になにかしらの変化が起きたのか。アキは考察するがさすがにわからない。
「情報が足りなさすぎる。なぜ言葉は通じるのに文字がわからない。」
「申し訳ありません、私もわりませんわ。不思議です……時間があるときに街にある図書館書に行ってみます?何かわかるかもしれません。」
文字を見つめていたミルナが顔をあげてアキに提案する。
「そうだな、でも俺は文字が読めないし付き合ってくれると助かる。」
「勿論ですわ。よければこの世界の文字もお教えします。ところでこれはなんて書いてあるんですの?」
「ちなみにこれはミルナと書いたんだ。」
「私の名前はこう書くんですのね。ふふ、なんか嬉しいですわ。」
ミルナは不意を突いてアキの右腕に抱き着いてくる。そして地面に平仮名で書かれた自分の名前とアキを交互に見つめる。
「どうしたミルナ。」
「いえいえ、名前を書いて頂いて嬉しく思いまして。」
ミルナは悪戯したときの子供が見せる笑顔を浮かべながらアキに胸を押し付けるようにしてさらにくっついてくる。
「やれやれ、冗談も程々にしなよ。」
「アキさんは女性に興味がないんですか?それとも私に魅力がありませんの?」
そんなわけがない。アキだって健全な男子である以上、女性に迫られたら緊張するし照れる。ミルナみたいな美女にされたら尚の事。ただ出来るだけ顔に出さないようにしているだけだ。常に冷静に、演技をして前の世界では生きていたのだから、感情のコントロールくらいお手の物だ。それにもし焦ったとしてもポーカーフェイスにも慣れている。
「いや、ミルナは美人で魅力的だよ。顔に出ないだけだ。でも俺も男だし、あまり不用意なことしないほうがいいぞ。どうなっても知らないからな?」
「あらあら、怖いですわ。」
そう言ってミルナは妖艶な笑みを浮かべる。何か裏がありそうな行動だ。気になるので少し心に留めておく事にする。
ソフィーとレオは口を挟めないようで、心配そうに成り行きを見守っている。何故ならポーカーフェイスからは程遠い存在のエレンが今にも飛び掛かりそうになっているからだ。
「なに2人でイチャイチャしてんのよ!あんたミルナになんかしたら殺すわよ!」
アキが口を開こうとしたがミルナがそれを遮る。
「うふふ、嫉妬ですか?エレン。」
「ち、違うわよ!私はミルナが心配で……!」
「大丈夫ですわよ、アキさんも非常に喜んでくださっているみたいです。やっぱりアキさんも胸の大きい女性のほうが好みなんですの?」
ミルナがアキに話を振る。急にとんでもない無茶振りをされたアキだが、冷静にエレンに向かって説明してやる。
「安心しろ、エレン。俺は絶壁でも大丈夫だ、好きだぞ。」
「な、なんで私に言うのよ!殺すわよ!この変態!」
エレンが自分の胸を隠しながら毎度のごとく叫ぶ。ミルナが自分で仕掛けた癖に、程々にと目で訴えてくる。
「わかっているって。大体ミルナのせいだろうが……。」
ミルナに向かって溜息を吐き、アキはエレンに優しく声をかける。
「エレン、待って。ごめん。おいで。」
「なによ……。」
文句を言いつつも素直に近づいて来てくれる。アキは地面に文字を書いてエレンに見せる。
「ほら、これ。書いたぞ。」
「なんて書いてあるのよ。」
「え、断崖絶壁。」
「ぶっ殺す!今すぐにぶっ殺してやるわ!」
短剣を抜き、刃先をアキの鼻先に構えるエレン。だがこんな状況でもミルナは後ろでくすくす笑っているし、ソフィーとレオも止めに来ない。まあ当のエレンからも威圧感を感じないので、本当に攻撃するつもりがないのはアキにでもわかる。なんだかんだで優しい子だなとアキは思い、エレンの頭の上に手を置く。
「悪い。エレンが俺の相手してくれるのが嬉しくてついからかってしまう。許してね。ほら、俺の世界の言葉でエレンってのはこう書くんだ。」
アキは地面に今度は片仮名でエレンと書く。
「ば、ばか。そんなんで許してなんてあげないんだから!」
口ではそういいつつも嬉しそうに自分の名前を見つめるエレン。自分に妹がいればこんな感じなのかなと、アキはどこか心地よさを感じる。ただそれと同時に頭をよぎる言葉がある。
「チョロいな。」
「はい、チョロいですわ。」
アキとミルナが同調する。
ちなみにソフィーとレオは事の顛末を見て呆れていた。
「アキ入れたの間違いだったかな。」
「私も少し思った。うちにはミルナさんって化け物が既にいるのに。それにアキさん多分ミルナさん以上の化け物だもん。」
「だよねー、化け物2人って選択肢間違えたかな。」
誰にも聞こえないような小さな声で2人が話す。
「じゃあそろそろ行こうか。」
「そうですわね。」
アキとミルナは立ち上がりソフィー達の方へ近づくと、優しく声をかける。
「ソフィー、先行偵察させてごめんね。でも俺は化け物じゃないよ。」
「レオ、引き続きお願いしますわね。あと私は化け物ではありませんわよ?」
間違いなく自分達にしか聞こえない声量で話していたソフィーとレオは顔を引き攣らせて笑う。逆らったら生きていけない、変な事考えてはダメだ。そう心に誓った。そして今後も2人のおもちゃになるであろうエレンに向けて優しい目を向けるのだった。
出発して暫くしたところでミルナが切り出す。
「アキさん、先ほどおしゃっていた考えってなんですの?先ほど書かれた文字と関係が?」
「ああ、そうだね。ミルナにはあの文字どう見えた?」
「3つとも雰囲気が全然違いますわね。全部別の言葉なのですか?」
「なるほど。あれは俺の世界では片仮名、平仮名、漢字という3種類の文字だ。全部日本語っていう1つの言語の文字なんだよね。言語内でもこういう種類があるよっていうのを見せたかった。つまり俺の世界の言語はそれだけ複雑ということだね。」
エレンをからかいたかったというよりこれを伝えたかった。本当の目的はこっちで、エレンと遊んだのはおまけだ。
「ミルナ、ちなみにこの3種類の文字を織り交ぜて書かれた文章を解読できると思うか?」
「絶対に無理ですわね。大昔に使われていた古代語なら参考にできる文献が残っているのでなんとかなります。ただこれは参考になるものが何もないですもの。ヒントなし、全く別の世界の文字となれば解読どころか文字とすら認識出来ないでしょう。」
「だろうね。ちなみにこの世界の機密文書とかそういった物はどうしてる?」
「そうですわね、普通に書いて厳重に保管、輸送する時は厳重に警備をつけて……あ、そういうことですのね?」
「うん。ミルナがこの世界の文字を教えてくれるって言ったけど、俺の世界の文字も覚えないか?いざという時役に立つと思う。」
「はい、是非!これが使えるようになったらどんな内容でも気兼ねなく文書に残す事ができますもの。読めるのはおそらくアキさん、そしてアキさんが教えた人だけでしょう。」
ミルナは新しい知識を覚えられるのが嬉しいのか満面の笑顔だ。それを見ているとこっちまで楽しくなってくる。アキ自身が知識欲の塊のような人間なので、もしかしたらミルナのように知識に貪欲な人には親近感を持ちやすいのかもしれない。