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「じゃあベルのとこ行ってくる。」
リビングで朝の団欒をしていたら王家の馬車が来たのでアキは出立の準備をする。迎えが来るとは聞いていなかったが、きっとベルが気を利かしてくれたのだろう。徒歩だとミルナ達がついてくると察してくれたに違いない。さすの洞察力だ。ただついてくる気満々だったうちの子達全員が拗ねている。
「アキさんの浮気者ー!」
ソフィーが頬を膨らませているので撫でてやる。あまりにもこの子達が拗ねるから、「デート」の部分だけは否定しておいた。正式な王家の用事であれば彼女達も理解してくれるだろう。
「ごめんな。ベルがどうしても用事があるっていうからさ。何回も言ってるけどデートじゃないから安心しろ。だから屋敷で待ってて。午後は遊ぼうね?」
午後はアキと遊べるとわかって少しは機嫌を直してくれた。まだ不満気ではあるが、アキはなんとか1人で出かける事に成功した。
「やれやれ、困った子達だ。」
アキは溜息を吐きつつ王家の馬車に乗り込む。
しばらく馬車が走り、ミスミルド王立図書館に到着した。すっかり顔馴染みとなった司書にSランク証を見せ、閲覧禁止エリアへの立ち入り許可を貰う。どうやら司書は闘技大会の結果を知っていたらしく、Sランク証を見せても特に驚かなかった。むしろ「おめでとうございます」とお祝いの言葉を頂いた。
アキは早速待望の閲覧禁止図書が保管されているエリアに足を踏み入れる。閲覧禁止エリアは図書館の2階にあるらしい。アキは足早に階段を上る。するとそこには……所狭しと本が並べられている何の変哲もない部屋があるだけだった。ただ少し埃っぽいくらいで、一般図書のエリアとなんら変わりはなく、ちょっと拍子抜けだ。それよりも、銀髪の美少女が部屋の中央に設置されている読書机の隣に立っており、そちらに目を強制的に奪われる。ベルだ。
どうやら彼女は先に到着していたようで、笑顔でアキを出迎えてくれる。
「アキさん!おはようございます!」
「おはよう、ベル。今日も素敵だね。」
「あら、お上手ですね。うふふ、でも嬉しいです。ありがとうございます。」
適当な挨拶を交わし、アキは早速本を読み漁る。ここの本はベルが既に読了しているで、彼女に重要箇所を厳選して貰う。その部分だけをとりあえず読み進める。
「読むの速いですね。」
「速読って技術なんだけど、知らない?」
読書が趣味だったので、少しでも早く読む方法を模索していたら、いつの間にか速読が出来るようになっていた。あくまで独学ではあるが。
どうやらベルは速読を知らないようなので、アキの速読法を説明する。基本的には一般的な速読法と同じ。先ずは全体理解であらすじやテーマだけを把握し、60~70%程度の理解で読む。そして大事だと思った部分だけ精読する。コツとしては音読ではなく視読する事。視読すれば読む速度はいくらでも上げられる。アキで1分辺り5万字くらいだ。熟練者ともなればこの倍以上は出せるらしいが、今の速度でも十分なので、速度を上げる練習はしていない。
「なるほど!今度私も練習してみます。その速度で読めるようになりたい!」
「ベルは王女だし自由時間にも限りがあるから覚えて損はないかもね。」
「はい!今度教えてくださいね?」
「うん、いいよ。」
とりあえず速読云々より、アキは今日明日中には必要文献に全て目を通さなければならない。ベルとの議論が出来るのはそれからだ。王女であるベルがわざわざアキの為に時間を割いてくれているのだからあまり待たせる訳にもいかない。彼女に提案したところそれで問題ないとのことなので、アキはひたすら文献を読む。
そして翌日、予定通り最低限の文献に目を通し終えた。
「凄いなこれは。」
閲覧禁止図書に書いてある事に多少驚きはしたが、実際のところ想定の範囲内だった。記されていたのはやはり犯罪政策に関する記述だ。そしてアキの想像通り、犯罪政策が国家機密だったようだ。書いてある事も、やろうとした事も、理解はできる。だがそれを本当に実行したのが一番の驚きだ。地球であればこんな法案は絶対に政府が承認しないだろう。
「アキさん……。」
ベルがそっと目を伏せる。
「気持ちはわかる。でもこれよく承認されたな。」
「その頃は各国の王の力が現在より『絶対』だったと聞きます。反発はあったでしょう。でも強制的に施行した。結果、改善されたので誰も文句も言えなかったのだと思います。そしてそれが今も続いているということです……。」
アキは溜息を吐く。犯罪政策の内容にではない、アキの想像を超える目新しい情報が無かった事にだ。300年以上前の歴史に目を通したが、特筆すべき点は特になかった。いわゆる戦乱時代だったというだけ。それが数百年続き、各国の王家が290年前に打開策を提案、施行した。書いてあったのは基本的にそれだけだ。
「まあ、そうだろうね。でもいくらでも他にやり方あるだろうに。」
「それです!その他のやり方があるなら教えてください!」
「ベルの望みはやっぱそこだよね。」
「ええ……。」
「その前にしておくべき話がある。まずは俺の目的から話そう。」
ベルにイリアの件を説明する。イリアが依頼を受けミレーへ行った事やまだ帰って来ない事。そしてアキ達が彼女を追ってミレー王国は月夜の森を目指している事。イリアの依頼内容についてはある情報筋から得たと適当に誤魔化しておく。
アキは続けてベルに、自分の考察を踏まえたイリアの現状の推測を伝える。
「おそらく月夜の森で死んだか、そこで何かを知って行方をくらました。この内容を見る限りおそらく後者だと考えている。」
月夜の森で何らかの事実を知ったイリアは行動を起こした。おそらくそのせいで人工遺物が地球に転送されたとアキは推測している。勿論この部分はベルには話さないが。
「ちょっと話変わるけど、この大陸の地図のこの海の先には何がある?」
アキは大陸の地図を広げ、ミルナやエスタートにした話をベルにもする。海の先に興味がある事を、そして行ってみたいという事を。
「そ、それは……言われてみれば確かに。」
ベルもミルナ達と同様の反応をする。
「オリハルコンの出現を考えると現実的な話だと思わないか?」
「ええ……その可能性は十分に。」
そこまで話し、アキは一旦話を区切る。
「ベルの欲しい情報を渡す前にいくつか確認したい。」
「はい、なんなりと。」
ベルが頷いてくれたのでアキは核心部分の話を切り出す。
「これを俺が知った事で王家、各国は敵になる?」
閲覧禁止文献を指差しながらベルに問いかける。
「わかりません。なるともならないとも言えます。勿論私が出来る限り抑えますが。」
わからないのはベルがこの考えを誰にも話したことがないからだろう。それも当然だ。ベルはただの王女であって女王ではない。そんな彼女が現国王や前国王が築いてきた国が気に入らないとは言えない。他国の事に関してもそうだ。不用意な事を言えば国際問題に発展しかねない。ただベル曰く、自分と同じような性格の王族もいるらしい。彼女自身が各国全ての王族の性格を知っているわけじゃないので、現状敵にも味方にもなりえるという事だろう。
しかしこの世界の人間を見る限り、国が協力してくれる可能性も十分にある。ミルナ達、エスタートやガラン、そしてベル。アキが出会った人間は地球では考えられないくらい真っ直ぐで真面目だ。まあこれはアキの希望的観測なので、はっきりと各国の立ち位置が判明するまでは敵になると考え慎重に進めるべきだろう。
「ベルがそうしてくれるのは予想してた。ありがとう。敵に回りそうな時は助けてくれ。頼りにしてる。」
アキが微笑むと、ベルは恥ずかしそうに俯いてしまう。
「い、いえ……もし抑えきれない時は早めにアキさんにお伝えします。」
「それでいい。次の質問。ベルはイリアの件調べられる?」
「内密にですよね?多少なら……多分。」
「その辺はベルなら上手くやるだろうから心配はしてない。もし俺の情報を聞いて、俺に手を貸してくれるならお願いする。」
ベルなら抜かりないだろうから任せておけばいいだろう。
「わかりました。」
「もし俺とミルナ達がミレーに行く事になったらいい感じのSランク依頼をベルからしてもらう事は可能?」
「それくらいは容易です。3日後、お任せくださいね。」
さすがベル。「いい感じの依頼」と言っただけで全て理解してくれた。エステル協会長が闘技大会の5日後、今日からだと3日後、受けに来いといった依頼をうまく調整してくれると言うことだろう。
「話が早くて助かる。ベルと話すは楽だね。」
「うふふ、私も同じです。」
「ベルは俺の味方?王家の味方?もし俺が王家の敵になりうると判断した場合、ベルはどっちにつく?っていう質問に答えて欲しい。俺の話を最後まで聞いてからでいい。」
「はい、わかりました。頑張って私の好感度あげてくださいね?」
ベルがふふふと可愛らしく微笑む。
「頑張るよ。じゃあこれがベルが欲しがってた情報だ。閲覧禁止文献に書かれている現行の犯罪政策制度に変わりうる方法を纏めたから目を通して。草案だからあくまで参考程度にね。まずは為政についてだ。」
分厚い紙束をベルに渡す。
「は、はい。こ、こんなに。」
ベルはそこまでの物が出てくると思わなかったのか驚いている。
「ベルは王女だ。俺よりこの国の事を知っている。この草案が国に合うか合わないかはベルのほうが判断できる。とりあえず読んで質問があったらしてくれ。」
「わかりました。」
ベルは早速草案を読み始める。暫く時間が出来たので、アキは適当な図書を手に取り考えに浸る。
閲覧禁止文献の内容をいつどうやってミルナ達に話すか。それが問題だ。ベルがイリアの件を調べてくれるとなったら、その結果と合わせてミルナ達に報告するのがいいかもしれない。もしベルがアキに協力しない姿勢なら、早めに、むしろ今日にでも話したほうがいいだろう。その上で彼女達に今後どうするかを決めて貰うのが最善かと結論づける。
「どうせイリアを探しにミレーに行くとか言いそうだけど。」
あの子達なら間違いなく言う。だがアキが決めるわけにはいかない。イリアを追っているのは彼女達なのだから、この世界の真実を伝えた上で彼女達に決めて貰う必要がある。ベルが協力してくれるのが一番だが、果たして。アキの予想だと……。
「アキさん。」
丁度ベルが声を掛けてくる。アキは考えを中断しベルを見る。
「もう読んだの?」
「ええ、速読……ですか?少し練習したんです。」
「なるほど。」
昨日今日でとはベルらしいと苦笑する。
「アキさん。」
ベルは真剣な表情だ。いつもの優しい笑顔ではない。
「この代案は凄いです。もちろんこの国では使えないものもあります。でもこんなこと誰も思いつかないです。これは、公表出来ません。反逆とも取られます。」
「王家からしたらそういう見方はあるだろうね。」
「ええ。ですが筋は通っています。誰もが納得しうる為政です。」
ベルが震える手を抑えてアキに告げる。
君主制しかないこの世界には寝耳に水な文章に違いない。地球の様々な政体とそれに伴う為政を細かく記したものなのだから。何より王族からしてみれば民主制なんてありえないだろう。
「王女様にそう言ってもらえるのは光栄だね。ただ施行するにしても短期間で出来る事じゃない。長期で時間をかけてやらなければならない。」
「はい。このまま私が女王となったとしても私の世代で終わるかどうかわからないです。」
「さすがベル。で、さらに草案がある。」
アキは別の紙の束を取り出す。
「どの政体をベルが支持するかは別にして、こっちが現状の犯罪政策を廃止した際の実際の草案だ。ベルにとってはこっちがメインだろう。別に今の君主制国家を維持したままでも施行できる。先の書類はあくまで王女としての知識の一部になればと思って為政の種類を纏めたものだ。代案とは少し違う。」
「なるほど、少し目的とずれていたのはそういうことなんですね。でも凄く勉強になりました。さすがアキさん!」
ベルが嬉しそうにはしゃぎながら書類を受け取る。アキと話す彼女はとても王女とは思えない、年相応の普通の女の子だ。
とりあえず後はベルがこの代案を見た上でどういった結論を出すかだ。
「あ……なるほど、こうすれば確かに……。」
ベルがぶつぶつと独り言を呟きながら書類を捲る。暫くして草案を全て読み終えたベルは紙の束をそっと机に置き、アキを見つめる。
「これも今日明日で出来る事ではないですね。」
「そうだね、お金も時間もかかる。でも現行の犯罪政策に変わる方法なのは間違いない。勿論その案にもデメリットはあるが、優秀な部分もある。」
「はい。バランスを考えるとアキさんの案はメリットが大きくデメリットが小さい。現行の方法はメリットは極大ですが、デメリットも極大です。」
「うん。どうするかはベル次第だ。」
ベルはうーんと指を顎に当てて困ったような表情をする。
「返事は明日でもいいですか?一度考えを整理したいです。情報が多すぎて正常な判断が出来そうにないです。」
「いいよ。でもこの書類は持って行かないほうがいい。」
「ええ、もう覚えました。燃やしましょう。抹消しておく方がいいでしょう。」
アキはわかったと頷き、魔素で火を生成、書類を全てを灰にする。ぜっかく頑張って書いたのにという気持ちはあるが、仕方ない。
とりえず今日の話は全て終了だ。続きは明日。だが最後にちょっとベルに意地悪をしたくなったので聞いてみる。
「ねえ、ベル。さっきの俺か国かの質問だけど、今の気持ちだけでも教えてよ。」
「気持ちだけでいうと……国とアキさんで心が揺れています。王女としてダメダメです。今までだったら即答で国だったのに。まったく、アキさんのせいですからね。」
ベルはそっぽを向いて拗ねてしまう。でもどこか楽しそうだ。