第18部 海賊島のクリスマス 【6】
「カリブ海の挙式のメッカ。赤珊瑚とコンク貝が創り出す、ピンク・サンドビーチを有する美しい島の名は?」
誰よりも早くリチャードがボタンを押した。他の候補者達の目が一斉に彼に向けられる。もちろん会場も静まって彼の答えを待った。
『エルーセラ島!!』
リチャードとメリッサが同時に答えた。たぶん2人が結婚式を挙げる候補地なのだろう。
「正解です!!」
会場から歓声が上がる。クリスは苦々しい顔で「くそっ」と呟いた。
「決まりました!最初の試練、“知恵の試練”を制したのは、ジェネラル航空のミスター・リチャード・クロス!リチャード。どうぞプリンセスの居る所に上がってください!」
客席の歓声に送られ、彼はメリッサの待つ崖の上に足を掛けた。同じ航空会社の同僚達も立ち上がって、彼の名を呼んだり口笛を吹いたりしている。
ゆっくりと他のナイト候補のエレベーターが下に降りて行く中、リチャードはメリッサの前に立って彼女の腕を握り締めた。
「もう、君とは離れたくないんだけど・・・」
「じゃあ、ここに居て。リチャード」
メリッサがその細い腕を彼の首に巻き付け、2人が口付けを交わし始めると、観客席から更に歓声が巻き起こった。
「ふん、これで一人脱落ね」
エリーナはちょっと悔しげに隣の2人を横目で見ながら笑った。副機長のジョージも「やれやれ。これで挙式はエルーセラ島で決まりだな」と言いつつ苦笑いをすると、客席に戻って行った。
「リチャードとメリッサは、身分よりも互いの愛を貫く事にしたようですな」
バッカスが、プリンセスとナイト候補が1人ずつ抜けたのをうまく纏め上げた。
ナイト候補がエレベーターを降りると、再び崖に炎が上がり始めた。その炎は崖の途中に等間隔でぽつぽつと灯されている。よく見ると、その炎の間を通って上に行く足場が付けられていた。
それを見てジュードは嫌な予感がした。
― まさか、勇気の試練って・・・ ―
「さあ、それでは次の試練に参ろう。ナイトの勇気を試す試練だ。見ての通り、プリンセスに至る道は炎が燃え盛っている。この炎の道を通り抜け、最初にプリンセスまで辿り着いた者が、勇気の試練を制するものだ。さあ、ナイト達よ!そなた達の勇気を示すが良い!」
ジュードは予想した通りの試練にムッとしながら溜息を付いた。反対にクリスはうつむいたまま勝ち誇ったように笑った。Bチームのトーマス・ミラーが「やった。クリス教官の独壇場だぜ!」と叫んだ。
一般課は他のどの課よりも炎に慣れている。ましてやクリスは精鋭ぞろいの本部隊員であったし、今は一般課の教官なのだ。
だが普通の人々にとっては決して危険はないと分かっていても、炎に向かって崖を登っていくという行為はかなりの勇気を強いられる。下から崖を見上げてジュードとクリスはすでに足場の確認を行なっていたが、他の候補者達は怖気付いた様に崖に近寄る事さえ出来なかった。
「ダン、ピーター。もういいわ。今回は棄権して!」
「パパ、ビクター、セイン。危ないから来ないでね」
レナとパトリシアは友人や家族を気遣って崖の淵から叫んでいたが、エリーナは違った。
「あなた達、何ビビッてるのよ!そんな炎なんて何でもないわ!絶対登って来るのよ!」
セットの裏側についている階段で下に降りようとしていたリチャードとメリッサも、立ち止まって上からその炎のトンネルを覗き込んだ。
「良かった、あなたにこんな所を登らせる事にならなくて。他の人達もきっと棄権するわ」
メリッサが手の平を上に向けて言ったが、リチャードはジュード達の方を見下ろしながら呟いた。
「いや、彼等ならきっと登ってくるはずだ。少しここから見て行こう」
メリッサは笑いながら首をすくめた。
「さあ、勇気あるナイトよ。挑戦する者は崖の下に集合せよ」
バッカスの言葉に集まったのは、クリスとジュード以外はエリーナのナイト候補、マッド・ベリーの3人だけだった。
「あれ?校長は出ないのか?」
レクターが不思議そうに言った。
「きっとクリスとジュード、どちらが早いか高嶺の見物をするつもりだぜ」
ネルソンがフンと鼻を鳴らすとジェイミーが祈るように呟いた。
「ジュードも炎がなかったら、クリスなんかに負けないのに・・・」
「あいつは負けん」
押し殺したように呟く声に、ジェイミーは隣を振り返った。鼻先を膨らませ、唇を尖らせたアズが両腕両足を組んだまま、ふんぞり返って座っていた。彼はずっとそのポーズでいたのでジェイミーはこのゲームが面白くないのかと思っていたが、どうやらジュードの事を心配して緊張していたらしい。ジェイミーはおかしさを堪えながら微笑んだ。
「ああ、そうだな・・・。あいつは負けないさ」
― 何たって、一番大好きな人が上から見てるんだから・・・ ―
挑戦者の為に、崖の上から先端にベルトの付いた鉄製のワイヤーが下ろされた。手足を滑らせて落下した場合の命綱である。ライフベルトを付け慣れているジュードやクリスと同じ様に、マッドも手馴れた様子で命綱のベルトを腰に取り付けた。彼はその太い腕で腰から上に伸びているワイヤーの強さを確かめながら、自分の隣に居るジュードとクリスを見て、“今回は楽勝だな”と思った。
マッドは地元の山岳クラブに入っていて、去年の夏は仲間達とモンブラン(ヨーロッパアルプス最高峰の山)の登頂に成功したし、ロッククライミングは大の得意で、クラブの仲間の中で一番早く登る事が出来るのだ。
― さっきは頭を使う問題だったからほとんど答えられなかったが、火が付いているだけで、いつも登っているのより簡単そうだ。それに相手がガキと軟弱そうなナンパ男だったら勝つのは間違いなく俺だぜ ―
マッドはニヤっと笑った後、炎の向こうで待っている赤いドレスの美人を見上げた。
3人のナイト候補者は準備が整うと、崖の前に等間隔に並んだ。左からクリス、ジュード、マッドの順だ。
「ではナイト候補の皆様、ご準備を」
手下の女性の声に、炎が益々と燃え上がった。候補者達が崖の窪みの部分に手を掛ける。だがその時、ジュードはセットの壁に微妙な振動を感じた。
一瞬ジュードが窪みから手を引き抜いた時「GO!」の合図が掛かり、クリスとマッドは脇目も振らずに登り始めた。
「何やってるんだ!早く行け。ジュード!」
歓声の合間を縫って届いた声に、ジュードはハッとして壁を登り始めた。ロッククライミングが得意なだけあって、クリスはマッドに追いつけなかった。マッドがいち早く炎の間を通り抜けようとした時だった。
突然、ドンッ!と何かを叩きつけるような音がして、回りの炎が一斉に燃え広がった。
「マッド!」
クリスの声の後、マッドが体勢を崩して壁から転げ落ちたが、地面に落ちる前に命綱が彼の身体を支えて止まった。クリスが急いで降りようとしたが、もう一度、低い爆発音が会場中に響き渡り、舞台やセットが激しく揺さぶられた。
足場の悪いセットの上に居たシェランは、とっさに隣に居るジュリーの体を抱きしめ、彼女を含む11人はセットの裏側に振り落とされた。
「マーックス!!」
リーダーの危機感をはらむ声に、彼は立ち上がると後ろを振り向いた。
「サミー!会場を頼む!」
彼は黙って頷くと、ヘンリーとザックに叫んだ。
「チームを左右二手に分けて場内を鎮めろ!」
ヘンリーが立ち上がりつつ「やれやれ、Aチームと一緒に居ると、こういうのに巻き込まれるって事だな」と呟くと、ザックは黙ってニヤッと笑った。
会場内に居た人々は最初何が起こったのかわからない様子でざわめいていたが、舞台の上のスタッフから何の説明も無く、彼らも慌てているのを見ると誰からともなく立ち上がり、上階の出口にワーッワーッと叫び声を上げながら、向かい始めた。
「皆さん、落ち着いて!」
「走らないでください!」
ヘンリーやザックがBチームのメンバーともみくちゃになりながら、懸命に騒ぎを抑えようとしているが、とにかく人数が多すぎて、彼らの声も人々の叫び声にかき消されてしまっていた。
しかし突如、スピーカーから流れてきた笑い声に、誰もがぎょっとして立ち止まった。その自信に溢れた声の主を皆が振り返ると、ウォルターが舞台中央で、先ほどまで海賊バッカスが持っていたマイクを取り上げて大声で笑っていた。
「わっはっはっはっは。何を慌てているのかな?皆さん。まだ『勇気』の試練は終わったわけではありませんぞ」
一瞬で会場は静まり返った。
― これは演出なのか・・・? ―
ウォルターにマイクを奪われたバッカスも我に帰ったように、にこやかな顔でウォルターからマイクを奪い返した。
「私のセリフを横取りしてもらっては困りますな。ミスター・エダース」
彼は何食わぬ顔で片手を振り上げた。
「最大の勇気の試練に打ち勝ったものだけが真のナイトとなり、プリンセスの愛を受けるのです!」
何だか最初の趣旨とは少し違っているが、とにかく会場を鎮めるのが自分の役目だと彼も理解していた。客らも半信半疑ではあるが徐々に自分の席に戻り始めた。
― さすがタヌキ校長 ―
SLSの訓練生達は急いで舞台へ向かった。
バッカス役の男がマイクのスイッチを切ると、ウォルターは彼の耳にささやいた。
「爆発の原因は?」
「昨日、あのセットで少量の爆薬を使ったのです。主人公の青年が爆発に巻き込まれるというシーンで、爆薬も最小限にしていたのですが、それが少し残っていたのかもしれません」
「ふむ・・・。では2次災害が起こっても、会場に危害が及ぶことは無いか・・・」
ウォルターが後ろを振り返ると、やっと地面に降り立ったクリスが、爆発に巻き込まれて転落したマッドの手当てをAチームの一般のメンバーとやっている。どうやら髪の毛が焼き焦げただけで、ひどい火傷にまでは至ってないようだ。
ウォルターが小さな声で救急車の手配をするようにバッカスに言うと、裏に居るスタッフがすでに救急や消防の手配をしているとの返事だった。
Aチームの機動はセットの状態を調べているが、どうやらこのままジュードやクリスがつながれていたワイヤーを使って登ると、向こう側に倒れてしまう危険があるようで、どうしたものかと相談している。ジュードはシェランや中の人々の様子を確認していた。
「シェラン!大丈夫か!」
「私は大丈夫よ。みんな意識があるわ。でもみんな打撲か怪我をしている。こちらに火は来ていないから火傷は無いわ。あっ、ちょっと待って・・・」
セットの向こう側でプリンセス候補や子供達の様子を一人一人確認していたシェランは、メリッサに支えられるように座っているリチャードに気が付いて駆け寄った。右足に力が入っていない。触れるとリチャードは小さなうめき声を上げて顔を歪めた。
「リチャードが足の骨を折っているわ。出血はなし。以上よ」
リチャードは恋人をとっさに抱きかかえて落ちたものの、自分の足を折っていたのだ。
「分かった。そちら側から抜けられそうか?」
シェランは周りを見回した後、自分達が入ってきた入り口を確かめたが、爆発の衝撃で機材が崩れ落ち、怪我人をかかえて乗り越えるのは無理なようだ。
後ろ側も天井を支える柱と壁で塞がれている。シェランがその事をジュードに伝えると、彼は壁の状態を調べているマックスやネルソンの所にやってきた。
「どうだ?登れそうか?」
「やめておいたほうがいい。まだ所々に火がくすぶってるし、人間一人の体重でも向こう側に倒れかねん」
ジュードがセットを見上げると確かに少し向こう側に傾いている。ネルソンの答えを中から聞いていたシェランは、出来るだけ中の人々を壁から遠ざけることにした。
自力で歩けそうなのは、子供達とメリッサ、リタ、エリーナだ。子供達は体重が軽いのとやはり何十人もの中から選ばれただけあって身軽な子が集まっていたのだろう。メリッサはリチャードがかばっていたし、リタとエリーナは幾重にも重なったドレスのおかげで、軽傷で済んだ様だ。しかし、パトリシアは運動神経が少々鈍かったのか足を捻挫していた。
シェランはまず「何でこんな目に遭わなきゃならないのよ!」とぶつぶつ言っているエリーナとそれを呆れたように見ているリタ、そして子供達を後ろの壁際まで下がらせ、リチャードの肩をメリッサと両側から抱えて同じく下がらせた。そして最後にパトリシアの側に行って、彼女の足の晴れ具合を見た。少しひねっただけで、外傷は無いようだ。
「大丈夫?パトリシア。最後になってごめんなさいね。立てる?」
パトリシアはにっこり笑って頷くと、シェランにつかまりながら立ち上がった。
クリスはマッドを一般の生徒に任せると、ジュード達の所にやって来た。
「中の状況は?」
「良くないです。ほとんど全員が怪我をしています。リチャードは骨折。中から脱出は不可能なようです。壁を登るのは危険なので、今セットを何かで打ち破ろうかと言ってるんですが・・・」
「それは止めた方がいいな」
後ろからウォルターが会話に加わった。
「この爆発は昨日残っていた爆薬によるものらしい。まだ残っていてそれが反応せんとは限らん」
「じゃあ、どうすれば・・・」
困ったように周りを見回した後、上を見上げたジュードは、アーチ状になった天井を支える鉄骨の真ん中に何かを吊り下げる為の大きなフックが付いているのに気が付いた。
「あれは何ですか?」
ジュードの質問に、スタッフの1人が答えた。
「役者が空を飛んで戦ったりする時の吊り下げ装置です。普段は3つ付いているのですが、今点検中でひとつだけになっていますが・・・」
ジュード、クリス、ウォルターは3人で顔を見合わせた。あれに吊り下げてもらえば、こちら側からセットの裏へ回れるはずだ。
「僕が行く。訓練生はフォローを」
クリスの言葉にジュードが一歩前に進み出た。
「クリス教官。オレに行かせてください」
ジュードは丁寧に言ったが、クリスはムッとして彼の顔を見た。
「君はまだ訓練生だ。命令に従えないのか?」
本来ならここで校長であるウォルターが采配をするのだろうが、彼は黙って2人のやり取りを見ていた。
普段はシェランを巡って余り仲の良くない2人だが、緊急時に私情を挟む事などあってはならないと良く分かっていた。訓練生はいかなる場合でも教官の命令に従わなければならないのだ。
「要救助者の中には緊急を要する人間が居るかも知れません。クリス教官が居て下さらないと、一般の訓練生だけでは対処できない事もあるでしょう。オレ達は機動の3年です。どうかAチームとあなたのチームの機動を信じて任せて下さい。お願いします!」
ジュードが深々と頭を下げるのを見て、クリスは ―全く憎たらしい男だ― と思いつつ、小さくため息を付いた。Bチームの事を言われたら、信じると言わざるを得ないではないか。彼は振り返ると、きびきび命令を下し始めた。
「A、Bチーム機動全員で、ジュードのフォローにあたれ!要救助者が出てきたら、一般が応急処置を。動けそうな要救助者から潜水課が外の救急車に搬送する!」
「了解!!」
クリスが指令を与えている間にバッカスがスタッフに命じて、ジュードのすぐ側まで吊り下げ装置を降ろさせ、彼の腰にまだ巻きついていた太いベルトの背中に付いたフックと吊り下げ装置のフックを連結させた。
「この装置の最大重量は?」
「180Kgです」
後ろで作業をしているスタッフが答えた。
「シェラン!180だ!」
ジュードが壁に向かって叫ぶとシェランは立ち上がり、一番近くに居たエリーナを急に抱きかかえた。
「なっ、何するのよ!」
真っ赤になって叫んだエリーナに、シェランはにっこり笑って答えた。
「体重を量っているの。たいてい女性は本当の体重より軽めに言うし、ドレスの分もあるでしょう?」
確かにもしここでシェランに体重を聞かれたら、たとえこんな状況であっても5Kgはマイナスして申告していただろうとエリーナは思った。リタの側に行くと、彼女は右手を揚げて「待って、私はちゃんと申告するわ。47Kgよ」と答えた。
パトリシアとメリッサの体重を聞いた後、シェランはリチャードの足に固定する棒を拾ってきて、ドレスの裾を破った布で巻きつけた。
「メリッサ、少し寂しいだろうけどリチャードとは一緒に行けないわ。彼がこの中では一番重症だから、最初に出てもらうわ」
メリッサは頷いたが、リチャードは首を振った。
「彼女を先に助けてやってくれ」
「リチャード。飛行機事故の時、何を優先すべきか、機長のあなたが一番良く分かっている筈よ。そうでしょ?」
ピシャリとシェランに言われて、彼はあきらめた様にメリッサの肩を抱きしめた。
シェランは彼らの側を離れると、5人固まって座っている子供達の元へ向かった。こんな状況でさぞかし心細い思いをしているだろうかと思っていたが、彼らは輪になってじっと中心に居る人物の話に耳を傾けている。
「いいかい?ぼくのグランパは、世界一のライフセーバーなんだ。今まで助けた要救助者の数は星の数ほど居るんだよ。要救助者って知ってる?海で溺れたりして助けを求めている人の事を言うんだよ」
黒い瞳を輝かせて祖父の自慢話をしているのは、ゲインの孫のジュリアスである。
「心配しなくても僕のグランパか、グランパの育てた訓練生がすぐに助けにやって来るよ」
シェランは自分が彼らを励ます為に用意していた言葉を言ってくれているジュリーを頼もしげに見つめた。
「ジュリーの言う通りよ。すぐに助けがやってくるから心配しないでね」
シェランは不安そうにしている2人の女の子達の肩に手を置いた。
「そうだよ。シェランはグランパの一番弟子なんだ。だから僕は全く無傷だろ?落ちる時シェランが僕をかばってくれたからさ。ね?シェラン」
「え、ええ・・・」
確かにゲインとシェランは同じ潜水士だが、シェランが自分の一番弟子等と聞いたら、ゲインがどんな顔をするか考えなくても分かる。きっとこの世で一番嫌いな食べ物を無理やり食べさせられた時と同じ顔をするだろう。
それでもシェランはにっこり笑って胸を張った。
「ええ、そう。アダムス教官は世界一のライフセーバーで、私は世界で二番目のライフセーバーなの。もうあなた達は助かったも同然ね」
舞台の中央ではゲインが「さっさとワシの孫を助けんか!!」と叫び出したいのを必死にこらえて、ジュードが準備をする様子を見ていた。こんな事になる位なら、わざわざ金を払ってまで大切な孫をこんな所にまで連れて来るのではなかった。
ゲインは潜水士である自分の身がこれ程もどかしいと思ったことは無かった。もし機動救難士だったら、こんな若造になど任せず、自らが愛するジュリーを助けに行くものを・・・。
マックスがジュードの背中のワイヤーをもう一度確かめてから、スタッフに吊り下げ装置を動かすよう右手を揚げた。
「ジュード、気を付けろよ。リベリングと違って安定悪いぞ!」
ショーンが叫んだように、この吊り下げ装置はリベリング装置のように太くしっかりした作りではなかった。背中から2本の細いワイヤーで吊り下げられているだけの装置では、いつも使っている救命道具のように信頼が置けなかった。
昔、テレビで役者が ―確かピーターパンの舞台だった― こんなワイヤーに吊り下げられて劇場の中を飛ぶシーンを見たことがあった。あの時は実に簡単そうに飛んでいるように見えたが、実際やってみるとそんな簡単なものでは無い様だ。
― こんなもので人を抱えられるんだろうか・・・ ―
少々不安であったが、とにかく早くセットの内側に居る人間を助け出さなければならない。
セットを超える前に舞台の上を見ると、皆が舞台脇からマットレスを持ってきて落下した時に備えてくれていた。気を失っていたマッドはもう一般の訓練生によって、外へ運び出されたようだ。
ゆっくりと体がセットの上を越えて行き、内部の様子が見えてきた。要救助者達は上から何かが落ちて来ないよう、なるべく後ろに下がって座っている。子供達の側に居たシェランがジュードの姿に気づいて立ち上がった。
足場の良さそうな場所の上部でジュードは後ろを向いて叫んだ。
「よし、いいぞ。降ろしてくれ!」
ジュードはすぐにメリッサに支えられているリチャードの側に駆け寄り、彼の背後から脇を抱えた。ゆっくりとリチャードの体が引き上げられていく。
「メリッサ・・・」
リチャードが手を差し出すと、彼女は彼の手を握って「私もすぐ行くわ」と笑いかけた。
シェランはジュードが迷うことがないよう、次に救出する要救助者の順番を決めていた。3年になってすぐの身体検査でジュードの体重は75Kgだったので、あと105Kgの余裕がある。子供達の体重は一番重い少年から31Kgのカートン、26Kgのトム、2人の女の子が24Kgのネリー、22Kgのアリス、ジュリーが21kgであった。シェランは子供達全員を集めると、彼らの顔を1人ずつ見つめながら言った。
「もうすぐさっきのお兄さんが戻ってくるから最初にジュリーとアリス。それからネリーとトム。最後にカートンに行ってもらうわ」
だがジュリーが立ち上がって「待って」と声をかけた。
「僕は最後のシェランと一緒に行くよ」
「ジュリー、あなたはこの中で1番小さいのよ。救助の鉄則はお爺様に教えてもらってるわよね」
「でも僕は無傷だもの。それにカートンとトムが合わせて57kgだから48kgもあまっちゃうでしょ?それより、ネリーとアリスなら46kgだからあと59kgもある。カートンとトムも一緒に行けるよ」
確かにゲインが自慢するだけはある。だがシェランは首を振った。
「ジュリー、確かに計算上はそれでいけるわ。でも安定の悪いワイヤーで吊り下がっている人間が4人もの人間を抱えるのは危険なのよ」
しかしジュリーはニヤッと笑うと、その深く黒い瞳でシェランを見上げた。その時初めてシェランは気が付いたのだ。何故、狡猾で抜け目のなさそうなこの少年に親しみを覚えたのか・・・。
それはいつもジュードが何か企んでいる時に見せる眼と同じだったのだ。誰の侵入も許さない、深海のように暗く底知れない瞳・・・。
「大丈夫だよ。彼なら出来る。だって、あなたの好きになった人でしょう?」
その台詞のすぐ後にジュードが降下してきたので、シェランはジュードの顔をまともに見ることが出来ないまま、ジュリーの言う通り、4人の子供を彼に預けた。
ジュードは最初、このシェランらしくない人員の振り分けに戸惑ったような顔をしていたが、すぐ片腕に2人ずつ子供を抱えて戻っていった。後は女性を1人ずつ抱えて帰るのだ。
とりあえず捻挫をしているパトリシア、次に体重の軽いリタ。―この時エリーナは「何でそうなるのよ!」と大騒ぎをしたが、シェランの一睨みで黙り込んだ― 次にそのエリーナ、そしてメリッサが助け出され、軽傷ながら彼女らもすぐこの島の病院に向かう車に搬送された。
最後にジュードがシェランとジュリーの元に降りて来ると、シェランが彼に「疲れてない?」と聞いた。
「まさか、これしきで疲れるようならSLSでリーダーにはなれないよ」
彼は笑顔で答えると、かがんでジュリーを抱き上げた。
「しっかり摑まってるんだよ」
ジュリーはシェランを見ながらにやっと笑うと「うん。ジュードお兄ちゃん」と答えた。
彼がジュードの名を呼んだ事にドキッとして、シェランが顔の表情と眼で ―ジュリー。いらないこと言っちゃ駄目よ― と釘を刺すと、彼はそ知らぬ顔でシェランの手を取って、ジュードの首に巻きつけた。
真っ赤になっているシェランを見てジュードも少し照れ臭そうな顔をしつつ、彼女を抱き上げた。
「引き上げてくれ!」
ジュードの合図で徐々にワイヤーが引っ張られ、体が上に引き上げられていく。丁度セットを超えたあたりで、放水車が入ってきて、壁でくすぶっている火に水を掛けているのが見えた。
「シェラン。もっとしっかりジュードの首に抱きついてないと途中で落ちちゃうよ」
突然ジュリーに言われて、シェランはムッとして答えた。
「お、落ちたりなんかしないわよ。私は世界で二番目のライフセーバーなんでしょ?」
「ああ、それ?あの時は子供達を安心させないといけないからそう言っただけ。第一、ライフセーバーの基準に世界一とか二番とかないでしょ?」
― 何て憎たらしいのかしら。こういう所、ジュードにそっくり! ―
シェランはプッと頬を膨らませたが、ジュードが更に腕に力を入れて自分を抱きしめたのに気が付いた。
「ジュード?」
シェランがジュードの顔を見上げる間もなく、放水車から溢れ出る水が3人を包み込み、彼らは頭からびしょ濡れになってしまった。思わずぎゅっと目を瞑ったシェランの足に地面が触れ、自分が元居た舞台の上に降り立った事が分かった。
「シェラン、上を見てごらん」
ジュードの声に眼を開けると、放水車から放たれた水と太陽の光が作り出す7色の芸術が、彼らの上にまるで王冠のように輝いていた。
シェランはにっこり笑ってジュードと顔を見合わせた後、ひざを付いてジュリーの頬にキスをした。その瞬間、会場中の人々が立ち上がり、歓声を上げながら拍手を始めたのだ。
「決まりだね、シェラン」
ジュリーに言われても、シェランとジュートは訳の分からない顔をしていた。
「決まりましたぁ!!」
マイクを持ってバッカスが走り寄って来る。仲間の訓練生はみんなニヤニヤ笑ってジュードを見ているし、クリスは不快感をあらわにして舞台を降り、どこかへ行ってしまった。
「今年のクリスマス・プリンセスはぁ・・・」
自分の隣に来て叫んでいるバッカスを見て、シェランは今すぐここから逃げ出すべきだと考えたが、ジュリーの右手がしっかりと自分の左手を握っていた。
「紫の王女、シェルリーヌ・ミューラーです!!」
客席からワーッと歓声が上がった。
「そしてクリスマス・ナイトは、彼女が選んだジュリアス・リード君と、見事プリンセスを救い出した、ミスター・ジュード・マクゴナガルです!!」
客席から更に大きな拍手と歓声が沸き起こった。
「ウソだろ・・・?」
シェランが助けに行った自分よりも、ジュリーにキスしているのを見てショックを受けていたジュードだったが、(子供にやきもちを焼くのもどうかと思うが・・・)この結末に唖然としてしまった。
そして同じように事の成り行きを、呆然と見ている男が居た。アダムス・ゲインは孫が助け出された時、すぐにでも駆け出していきたかったが、一緒に居たのがシェランと彼女のチームのリーダーだったので、礼を言うのが嫌でジュリーが彼らから離れるのを待っていたのだ。
― いきなり何だ?よりによって自分の一番嫌っている女が、一番かわいがっている孫の頬にキスをするなんて・・・ ―
だが、ずぶ濡れになってボロボロの衣装をまとっているにもかかわらず、虹の中に降り立ったシェランはとても気高くて、彼女がジュリーにキスをしているのを見てもちっとも嫌だとは思わなかった。その光景がとても美しかったからこそ、観客達は今も鳴り止まぬ拍手をしているのだから。
「おじいちゃん!」
ジュリーの声にはっと我に返ったゲインは、顔をほころばせて孫を抱き上げた。
「おじいちゃん、僕クリスマス・ナイトに選ばれたよ。すごいでしょ?」
「おお、すごいすごい。やっぱりジュリーは世界一賢くてかわいいジュリーだなぁ」
ジュリーはその大きな瞳を細めると、子供っぽく笑いながら彼の頬にキスをした。
「違うよ、おじいちゃんが世界一のライフセーバーだったからだよ」
その後、騒ぎを聞き付けてやってきた、このドリーミィ・ワールドの総支配人ピーター・カステロイドが観客全員に事故の説明や謝罪をした。そして観客のパニックを沈め、迅速な人命救助を行ったSLS訓練生に感謝の言葉を述べた後、ピーターが「本当はあなた達全員がクリスマス・ナイトです」と締めくくると、客席から大きな拍手が起こり、全ての舞台は終了した。
もちろん、怪我をしたリチャードやパトリシア、その他の出演者に充分な慰謝料が支払われたのは云うまでもない。