第17部 鉄人競技会 【4】
3人は笑顔でみんなの声援を受けながら立ち上がった。
スタートラインの所にはグリーンの旗が立てられ、そこから斜めに海に向かって走る。海水が腰の深さになる200m地点にブルーと白の旗が立ち、そこからまっすぐ120m沖にある9つのブイに向かって泳ぎ、ブイをターンして戻ると再び200mをフィニッシュラインに立つ赤い旗に向かって走るのだ。
ジュードはスタートライン上の旗の後ろで準備体操をしながら、回りを見回した。高得点のゲームの為か、やはりCチームとBチームは2年、3年生の機動ばかりが出場している。この競技はスイムもあるのだが、陸上のコースが長いため機動の方が有利なのだ。
Aチームも機動で固めたが、こちらは1年生のアントニーが出場している。最初は不安がっていた彼も特訓の最後には随分とたくましくなった。きっと、カートと共にいい戦力になるはずだ。
― 早く出走しないかな・・・ ―
ジュードは、はやる気持ちを抑えきれずにぴょんぴょん飛びながら身体を揺さぶった。今までずっと見ていただけだったが、やっと自分の番が来たのだ。体中からやる気が溢れ出して来そうだった。
「ジュード、早く走り出したくてしょうがないって感じ・・・」
エバが笑いながら隣に居るシェランとキャシーに話しかけた。
― ほんと・・・うずうずしてる・・・ ―
シェランもくすっと笑って彼を見つめた。
ノイス・ベーカー教官がスタート地点に姿を現すと、各チームの選手達は緊張した面持ちでスタートラインに並んだ。
「レディ・・・」
― ・・・ピィッ・・・! ―
笛の音と同時に選手が海に向かって走り出す。ワーッという歓声を背中で聞きながら彼等はほとんど固まったまま、海に走り込んだ。200m先の旗まで波の抵抗を受けながら必死に走り、深さが腰の辺りまで達する頃、青と白の旗を超えた。
ここからはスイムの早さが勝敗を決める。9つの水しぶきが沖に向かって遠ざかって行くのを、仲間達はフィニッシュラインの前まで走って行って声援を送り続けた。
沖まで団体で泳いでいた選手達は、ブイを回る頃には少しづつバラけてきた。やはり3年生が有力である。先頭の4人にジュードは入っていた。アントニーとカートは一番後方のグループだったが、あきらめずに泳いでいる。
― まだまだ。これからだ ―
彼らが特訓で一番初めにジュードに教えられたのは、最後まで諦めるな、という事だった。
ジュードは彼らが疲れて倒れ込むと「まだまだ、これからだぞ」といつも言って、彼らを背負ってまで走ろうとする。あんまり恥ずかしいので、彼らは自分で走るしかなかった。それでもどうしようもなく疲れて倒れてしまったら、やっぱり彼は自分達を見捨てずに帰ってきて、一緒にゴールしようとするのだ。
最初は“変な人だなぁ”とアントニーは思っていたが、競技会の2日前にはジュードと一緒に最後まで走り切ることが出来るようになった。
それは今日の朝まで続いた。最後のゴールを切って倒れ込んだアントニーに、ジュードが笑いながら手を差し伸べて「ほら、最後まで諦めずにゴールするって最高の気分だろ?」と言った時、あと2年早くここに来て、彼と同じチームになりたかったとアントニーは思ったのだった。
― 絶対最後まで諦めないぞ・・・! ―
ラン・スイム・ランは最後のランで逆転される事もあるので、トップの選手も後方の波を確認するのさえ惜しんで全速で浜へ走る。とにかく選手達は最後まで懸命に泳ぎ、走り続けるのだ。
「戻ってきたぞ!」
トップはCチームのボブ・マーカス、その後ろにジュード。ボブを追って波打ち際を走っている。更に後方からBチームのフィリップ・マクバーン。同じくBチームのスコット・コルヴィン。彼らが浜に上がってすぐ、2年Cチームの副リーダー エリス・パーキー、その後ろには・・・。
「アントニーだ!アントニーが居るぞ!」
Aチームの中から歓声が上がった。たった一人の1年生、アントニーが先頭グループに追い付いてきたのだ。その後を追うように、カート、3年Cチームのチャーリー・デイン、2年Bチームのウィル・パーカーが帰ってきた。彼らも波打ち際を走りぬけ、ゴールを目指して一直線に走り出した。
「走れ、走れ、走れェェェー!!」
ケーリーが特訓の時と同じように拳を振り回しながら叫ぶ。先頭でジュードとボブが競り合いになった。すぐ後ろからフィリップも来ている。3人とも歯を食い縛って必死の形相だ。応援している側まで体中に力が入る。
「ジュードォォ!」
「ボブ!ボブ!」
「フィリップ!追い抜けぇぇー!」
ジュードはゴールに達した時、自分達を応援する声が一瞬途絶えたような気がした。赤い旗の向うでノイスがCのマークが付いた白旗を上空に掲げていた。
「負けたぁ・・・」
全員が溜息にも似た呟きを漏らした。
息を切らしつつジュードが上を見上げると、ボブが互いの健闘を称えて右手を差し出していた。
ラン・スイム・ランは15ポイントの高得点なのでCチームは一気に最高点を挙げ、現在の所97点、2位はBチームで82点、Aチームはトップと19点差の78点だ。
次は10ポイントのビーチフラッグであったが、期待のダグラスは3人で2本の旗を奪い合う初戦で、Bチームのザックと2年Cチームのマーキー・ドレインに敗退してしまった。
マーキーはダグラスとザックが2人で1本の旗を奪い合ってくれたので楽勝だった。ザックに負けたダグラスは、彼の副リーダーの面子を懸けた勢いに迫力負けしてしまったらしい。仲間の元に戻ってきた彼は「いやあー、ザックってめっちゃ怖いなぁ。特に目つきが・・・」と笑いながら語った。
しかしその分ミルズとリディは頑張った。彼らは2人とも最終ラウンドまで残り、ミルズにいたっては他チームの3年生を押しのけ、見事に最後の旗を奪い取ったのだった。
これにはまだ2位に浮上しただけであったが、Aチームを大いに沸き返らせた。ミルズは最後の旗を掲げながら砂まみれになった顔を輝かせて「見たか!僕はムカデウォーナーの息子だぞ!」と叫び、それに答えてテリーは「ムカデとゲジゲジに乾杯!」と叫んだが、ネバダ州の出身ではない他の仲間には、彼らのブラックジョークを理解する事はできなかった。
ビーチフラッグのおかげで十分休憩を取れたジュードは ―それでも選手を応援するのに手を抜くような真似はしなかったが― 元気一杯で2kmビーチランを迎えた。
これはスタート位置に立てられた旗から500m先の旗を回り、さらにスタートとゴールの間に立てられた旗を回る。もう一度500m先の同じ旗を回ってゴールまで走るという競技だ。早く走ろうと砂を蹴っても力が吸収されるため、他のどの競技よりも走る距離の長いこの競技は、体力をかなり消耗するのだ。
この後は最高得点のアイアンマンレースが待っている。マックスは「よーし、やるぞー!」と叫んで出て行くジュードを呼び止めた。
「おい、ジュード。張り切るのはいいが、ちょっと力を抑えろよ。アイアンマンレースまで温存しておくんだ」
「力を抑えたら負けちゃうじゃないか」
「そりゃまあそうだが・・・負けないように力をセーブしろと言ってるんだ」
それは非常に難しい注文である。ジュードにはそんな器用な真似はどうも出来そうに無かった。とにかく全力で頑張る。それが彼のモットーであった。
一緒に出場する2年のウェブとジャスティンも「ここは僕達に任して下さい。ミルズにだけいいカッコさせませんから」と言ってくれたが、ジュードは笛の音と共に全速力で走り出した。
「あの・・バカ!」
マックスは頭を抱え込んだが、他の機動のメンバーは「あいつはそうゆう奴だよ」と笑って応援を始めた。
風を切ってトップを走りながら、ジュードはとてもいい気分だった。こんな日はじりじりと照りつけてくる太陽も彼の味方になる。ジュードはショーンと違って、こんなイベントが大好きだった。この競技会のおかげで、普段あまり接触の無い1年生ともよく知り合えたし、競技の間は敵だが、終わったらさっきのボブのように互いの健闘を称え合ったりして友人になれるのだ。
だが勝負の世界はそんなに甘いものではない。
「ジュード先輩、大丈夫かな?」
「2kmっていう事、忘れてるんじゃ・・・」
アンディとミシェルの心配した通り、最初から飛ばしていたジュードは徐々に遅れだし、やがて他のチームに追いつかれてしまった。9人が再び一塊になって足音を響かせる。
2つ目の旗を回ると残り1km。まだみんな同じように走っていた。ウェブとジャスティンも頑張って付いていっている。最初の旗をもう一度回ると最後の500mだ。Bチームのスコット・コルヴィンがスパートをかけた。続いて2年Cチームのアシュトン・ラグネット。同じく3年Cチームのローディ・アズリード。どんどん抜け出してきた。
後300mと言う所で、ウェブとジャスティンも飛び出した。ジュードはまだ後方のグループの中だ。
「何やってんだ、ジュード!」
「ああっ、だから俺がセーブしろって言ったのにぃ!」
マックスが頭を抱えながら叫んだ。最後の50m、ジュードはやっと後方のグループから抜け出した。前に居るトップグループを目指して更にスピードを上げる。
「早く行けーっ!ジュードッ!」
3人抜いた。4人目を抜く。先頭を行くスコットとアシュトンに追いついた。
「ジュード!足が千切れてもいいから走れ!いや待て、足は置いとけ!いやいい、とにかく勝て!走るんだぁぁぁーっ!」
マックスはもう自分が何を言っているのか良く分かっていないほど興奮していた。
「ああーっ!!」
突然Aチームから驚きと絶望の叫び声が上がった。ジュードが砂に足を取られて転んだのだ。すぐに後ろを行くウェブやジャスティンにも追い抜かされた。
「ジュード先輩!」
ウェブは振り返りたかったが、こうなったら自分とジャスティンが頑張るしかないと思って、必死に先頭グループについて行った。だがジュードは立ち上がると再び猛然と走り出した。
「ジュード!!」
Aチームの3年生達は全員彼の名を叫んで応援したが、その時にはもう、スコットがフィニッシュゲートに飛び込んでいた。その次にローディ、アシュトンが到着し、ジュードはかろうじて、ジャスティンと同時に入った。
どうやらジュードは鼻を打ったらしく、赤くなった鼻を押さえつつ仲間の元に戻ってきた。
「ごめん、こけちゃった・・・」
「おまえぇぇ。だから俺がセーブしろって言ったのにぃぃ・・」
マックスが真っ赤に怒った顔を近づけたが、彼は後ろから伸びて来た細い腕に強引に押しのけられた。
「ちょっと、ジュード・・・」
濡れたせいでいつも以上にまとまりのきかなくなった茶色の髪を振り乱してやって来たキャシーは、怒りの余り額に何本も青筋が立っていた。彼女が呆然と立っているジュードの肩を手の平で思い切り押したので、ジュードは思わず後ろによろめいて、しりもちをついた。
「何がこけちゃった、あはは・・よ!分かってるの?ここの連中なんか、自腹でカリブだろうが、ヨーロッパだろうが何処でも行けるけど、私達には先立つものが無いのよ。しかも!これが教官と行ける最後の旅行かもしれないのに。教官だってどれほど楽しみにしているか・・・!」
しりもちをついたまま、キャシーの後ろで大きな瞳を見開いて立っているシェランを見た後、彼女の後ろでエバが“カリビアン・ドリーミィ・ワールド・リゾートへの旅”と書かれたパンフレットを広げている事に気がついた。
“教官が持っていたのよ”
エバがジュードにサインを送る。
“みんなと行けるのを、すごく楽しみにしているに違いないわ”
“ジュードのせいで負けたら教官、泣いちゃうわ”
“きっと私達も泣いちゃう”
シェランの後ろから矢継ぎ早に送られて来るサインを見て、ジュードは頭の中に自分が負けた時のシーン ―シェランとエバ、キャシーが泣きながら恨みのこもった目で自分を見ている― が思い浮かんできてゾッとした。
もしそんな事になったら、この魔女みたいな2人のチームメイトに一生 「あの時ジュードが負けたから、教官と一緒に旅行が出来なくなった」 と言われ続けるに違いない。
ジュードは勢い良く立ちあがると、胸を張って叫んだ。
「アズ!アンディ!この競技、何が何でも勝つぞ!おお、勝って見せるとも!」
肩を怒らせてアイアンマンレースのコースに向かっていくジュードを見送りながら、女って偉大だな・・・とマックスは思った。