第16部 新入生 【7】
オレンジ色に輝く夕日がノースビーチを照らし出す頃、ジュードは以前シェランと話した事のある大きな岩がちょうどいい椅子のようになっている場所まで、くたくたになった足を引きずりながら歩いてきた。
「やっと・・・終わった・・・・」
ジュードは浜辺に並んだ岩の一つに腰を下ろすと、疲れ果てたように呟いた。
今日一日で何十人の喧嘩を止めに入っただろう。おまけに仲裁に入ると“お前が原因だ”“理由を説明しろ”とか言われ、今度は逃げるのに精一杯だ。とてもではないが、シェランと話し合うどころではなかった。
それでさっきシェランの教官室に意を決して行ってみたが、だれも居なかったのだ。今は他の教官も黙認してくれているが、その内誰かから呼び出しがかかるような気がする。いや、もうかかっていてもいい筈だ。もしかすると、ウォルター・エダース校長が、事がはっきりするまで動くなとでも言ってくれているのかも知れない。そう思うと、ジュードは15人目の味方が出来たようで嬉しかった。
「ジュード先輩・・・・」
後ろから声をかけてきたのはリズだった。ジュードは「やあ、リズ」と言うと「岩のソファーもなかなかの座り心地だよ」と勧めた。リズは遠慮がちにジュードの隣に座ると、彼と同じように目の前にある大きな夕日を見て、まぶしそうに眼を細めた。
ジュードがシェランの教官室を訪ねた頃には、シェランはもうエバとキャシーの元へ向かっていた。
「キャシー、私よ」
ノックしたが、何の返事もなかった。まだ帰ってきてないのだろうか。それなら中で待たしてもらおうとドアを開けた拍子に「キャアッ!」とキャシーの叫び声がして、目の前で彼女が後ろ向きに倒れる姿が見えた。
「キャシー!」
頭で考えるより先に身体た動いた。シェランがキャシーの身体を抱きとめようとしたが、間に合わず、2人揃って床に倒れこんだ。
「キャシー、大丈夫?怪我は?」
「教官。つまりこれが、真相なんです」
キャシーはどこかぶつけたのか、ちょっと痛そうな顔をして言った。
「教官が見たのは、この画像でしょ?」
エバの声に訳が分からないまま立ち上がって振り向くと、机の上のノートパソコンに、この間シェランが見た忌まわしい画像が映し出されていた。
「あの日は日曜日で、私達はバレーでもしようかという話になってレクターから借りたカメラを持ち、体育倉庫まで行ったんです。中に入ると、色々な種類のボールがあって、面白かったので写真を撮ろうと言う事になりました。丁度エバが撮っていた時です」
キャシーはその時の事を再現するようにサッカーボールを足元に置き、その上に片足を乗せてポーズをとった。
「その時、急にドアが開いて“こらっ、何してるんだ!”ってジュードの声がしたんです。どうやら朝早かったもので怪しい人間が居ると思ったらしいんですが、私はびっくりしてボールに足をとられ、今のように仰向けに引っくり返りました」
シェランはキャシーの説明を聞きながら、じっと画像を見つめた。
「私のキャア!って叫び声で、ジュードは慌てて私を受け止めようと走ってきました。でも距離があったので、さすがのジュードも間に合わなかったんです。私達は今の教官と私のように倒れこみました」
「あの時のジュードったら、凄く怖かったんですよ」
キャシーの話の続きをエバが引き継いだ。
「“バカ!何やってんだ!こんな所で遊んだら、危ないに決まってるだろう!”って・・・・。キャシーは痛いのと怒られたのとで泣き出してしまって、その時の映像がこれなんです」
エバが画像を指差したが、シェランは納得がいかないようだった。
「でも・・・これはどう見ても、ジュードがキャシーを押さえ込んでいるように見えるんだけど・・・・」
「そうなんですよ!」
エバは内心の焦りを気取られないように、何度も頷いた。
「あいつ真剣に怒ってたものだから、キャシーの上に乗っかっているのにも気付いてないんです。本当に一直線バカですからね。でも教官が見たのはこの画像だけでしょ?この後の画像を見れば、私達の言っている事が真実だって分かりますわ」
エバがパソコンのキーをポンと一回押すと、次の画像が現れた。そこにはさっきとはうって変わったように優しい表情のジュードが、泣いているキャシーを心配しながら頭に手を当てている画面が映し出されていた。
それを見てシェランはオレゴンの山の中で、ジュードが猿を捕まえようとした時の事を思い出した。あの時もジュードは後ろから倒れこんだシェランに大丈夫か?と聞いた後、シェランの頭の傷をすぐに確認したのだ。
― すべては誤解だった・・・・! ―
そう分かった時、シェランはホッとするよりも自分の愚かな行動を恥じた。今、目に映る画像の中のジュードが優しげに仲間を見つめる瞳。それは決してキャシーに何かをしようとしている人間の目では無い事は確かな真実だった。
シェランは口に両手を当てて震えだした。
「どうしよう。どうしよう、私・・・・ジュードにとんでもない濡れ衣を・・・・」
エバとキャシーはそんなシェランの両脇に素早く回ると、彼女の肩を両側から抱きしめた。
「教官、大丈夫です。きっとジュードは教官が心から謝れば許してくれます」
「そうですよ。あいつは人の誠意を踏みにじるような男じゃありません」
キャシーとエバに励まされ、シェランはまだ震えながらも頷いた。
「私、ジュードに会いに行ってくる」
シェランが部屋を飛び出していった後、ホッとしたようにエバはコンピューターのボタンを押した。画面に現れた“消去しますか?”という質問の下に現れたOKボタンをクリックすると、すべての画像が幻のように消え去った。
ジュードを探して本館の中を歩き回っていたシェランだったが、未だに彼の姿を見つけられずにいた。
「何処に行ったのかな・・・」
ふと窓の外を見ると素晴らしく美しい夕日が、海と白い浜辺をオレンジ色に染め上げている。シェランは本部隊員時代から、辛くなったり悲しい事があるといつも行っていた、ノースビーチの岩場を思い出した。岩の前に座ってぼうっとしながら波の音を聞いていると、ゆっくりとその辛さを海が持って行ってくれる気がするのだ。そしてその場所は今ではジュードのお気に入りの場所でもあった。
― 彼はきっとそこに居る ―
シェランは走り出した。
オレンジ色に輝く海を暫く黙って見つめていたジュードとリズだったが、やっとリズが口を開いた。
「ジュード先輩。大変でしたね」
リズに答えてジュードも「うん。そうだね」とぽつりと言った。
「でも、どんな噂が流れても、私はジュード先輩を信じています。ジュード先輩は自分の仲間や教官に酷い事をしたりする人じゃない。絶対に・・・・」
「リズ・・・・」
ジュードが自分をじっと見つめてきたので、リズはジュードの膝の上にある彼の右手に両手を乗せた。
「だから負けないで下さい。どんな噂にも・・・。ジュード先輩が負けなかったら、私も先輩を信じて付いていきますから」
ジュードは嬉しそうに目を細めると頷いた。
「ありがとう、リズ。君はオレの15番目の味方だね」
その時、リズの胸の奥で細い糸がきゅっと引っ張られるような感じがした。
「ジュード先輩・・・・・」
やっとジュードを見つけたシェランだったが、リズとジュードがじっと見詰め合っているのが見えて、それ以上動けなくなった。まるで映画のワンシーンのように、オレンジ色に光る海を背景に手を握り、恋人達が見詰め合っている。その後は誰でも想像がつく。彼等はそっと口付けを交わすのだ。
シェランは声も上げられずに、そのまま立ち尽くした。心臓の音が身体中で鳴り響いている。目を逸らしたいのに逸らせない。
「リズ・・・・」
ジュードが自分を呼ぶ声にリズは顎を上にあげ、そっと目を閉じた。
「じゃあ、オレはもう帰るから、君も遅くならない内に帰るんだよ」
「は・・・・?」
ジュードは立ち上がるとリズに手を振った。
銅像のようにその場で固まっていたシェランは、ジュードが急に立ち上がったのでびっくりした。彼はリズに別れの挨拶をしているようだ。
「うそ・・・・」
シェランは思わず周りを見回した。運よくちょっと小さいが、何とか身体を隠せそうな岩を見つけ、その影に飛び込んだ。ジュードが走り去っていく足音が聞こえる。シェランは岩の陰から少し顔を出してジュードの背中を見た後、リズを振り返った。彼女は岩の上で呆然として座っていたが、急に笑い出した。
「あっははははっ。やだ。あんなに鈍い男って・・・・あはははっ。ウソみたい・・・あはははっ」
本館5階にある校長室から見る大西洋は、今正に絶景であった。辺り一面に広がる輝く海を、まるで独り占めにしているような錯覚に酔ってしまいそうになる。
「ふぅーむ、素晴らしい・・・・」
窓際に立ってウォルター・エダース校長は溜息を付いた。だが、その時ウォルターの夕べのまどろみを打ち消すように激しくドアが開いた。
「ウォルター!」
その声の主はびっくりして固まっている彼の側に走り寄り胸の中に飛び込むと、声を上げて泣き出した。
「シェ、シェラン・・・・?」
「どうしたらいいの?ウォルター。私とても大切な人を傷付けてしまったの。それも沢山の人が居る前で!彼に謝りたいけど、謝っただけじゃ済まないわ!だって彼はみんなの信用を失ってしまったんですもの!」
ウォルターは腕の中で泣きじゃくっているシェランを見つめた後、溜息を付いた。
「事情は分かったが、シェラン。余り男の胸に抱きついて泣くものじゃない。幾ら私でも、一応独身の男だからねぇ。妙な気持ちにならないとも限らない」
シェランはびっくりしたように、素早くウォルターから身を引いた。
「ウォルターったら、何を言い出すの?」
「当然の道理を言ったまでだ」
彼はシラッと答えると、窓から離れてソファーに腰掛けた。
「これからは、その大切な人に抱きついた方がいいな」
「ウォルターったら、ジュードは生徒よ」
「ほう。君の大切な人とはジュードの事だったのか」
シェランはぐっと息を詰まらせると「そうよ・・・・大切な生徒の内の・・・1人だわ」と答えた後、また涙目になった。
「どうしてそんなに意地悪な事を言うの?あなたはずっと私のパパ代わりだったじゃない」
「君の父親だから怒ってるんだよ、シェラン。物事の真偽をよく確かめもせずに君がやった事で、沢山の人間に影響を及ぼした。今このSLSがどんな状態か、君は分かっているんだろう?」
シェランはハッとしたようにウォルターの顔を見た後、床に涙をポタポタ落としながらうつむいた。
「申し訳・・・ありませんでした。校長先生・・・・」
彼は立ち上がると、うつむいているシェランの側に行き、今度は彼女をソファーに座らせた。そしてデスクの上にある事務所と直結しているインターフォンのボタンを押し、係員を呼び出した。
「ジュード・マクゴナガルを呼んでくれ」
そう頼んだ後、チラッとシェランの方を見て、彼女に聞こえないよう声をひそめて何かを言った。シェランはただ涙を流しながら、叱られた子供のように座っている。ウォルターはシェランの横に座ると、彼女の肩に手を置いた。
「とりあえずここでジュードに謝りなさい。私も居てあげるから」
ウォルターの言葉にシェランは頷いて涙を拭き取った。
『3年生のジュード・マクゴナガル君。至急、校長室に来てください』
その放送が聞こえたのは、ジュードが食事を終えて、ショーンやマックス達と話をしていた時だった。彼の周りにはアンディとミシェルも居たが(妙に絡んでくる1年生からジュードを守る為だと思われる)皆ハッとしたようにジュードの顔を見た。
― とうとう、来たんだ ―
覚悟したようにジュードが立ち上がると、食堂は一瞬にして静まり返った。
「ジュード・・・・・」
心配そうに声をかけるショーンに笑い掛けると、ジュードは食堂を出て行った。
校長室に来るのは夏休みの前、やっと命の恩人が彼だと分かって、急いでやって来た時以来だった。あの時ウォルターには、自分が7年前に助けてもらった少年だとは告げられずに戻ってきた。
― 彼はオレにどうしろと言うだろう・・・・ ―
誰に何を言われても構わないが、彼にだけは“恥知らず”とは言われたくなかった。それに彼に嘘はつけない。問われたら正直にすべてを話すしかないだろう。信じてくれるかどうかは分からないが・・・・。
ジュードはエレベーターの中で決意すると、校長室の前までゆっくりと歩いて行った。
「ジュード・マクゴナガルです。入ります」
今、SLSの校内で話をしている者は誰も居なかった。皆じっと押し黙って、あちこちに取り付けてあるスピーカーに耳を傾けていた。
― ガチャ・・・ ―
ドアを開ける音がした。ジュードが校長室に入ってきたのだ。
意を決して開けたドアの向こうに立っていたのが、校長ではなくシェランだった事に、ジュードは驚きを通り越してショックを受けた。彼女はあの映像を見たんだ。そう考えただけで、さっき食べた胃の内容物が一気に逆流してきそうだった。ジュードは落ち着かない様子でドアを閉めると、一歩だけ前に進んだ。
― ひどいよ、校長先生。なんでシェランを呼ぶんだ?あなたになら話せると思ったのに・・・・ ―
どうしていいか分からずに押し黙っていると、シェランが嗚咽を漏らしながら大粒の涙を床にこぼした。
「ごめんなさい、ジュード。あなたの立場もわきまえずに、私はとんでもない愚かな間違いを犯してしまいました」
ジュードは心の中で“えっ?”と叫んで彼女の顔を見た。
「全てキャシーが話してくれました。あの日、あなたはただキャシーを助けただけだったのに・・・。それなのに私は勝手に誤解をして、あ、あなたを公衆の面前で叩いたりして・・・・辱めて・・・・。なんてひどい教官なんでしょう。みんなに教官と呼ばれる資格も無いわ。本当にごめんなさい。謝って済む事では無いけど、もしあなたがどうしても私を許せないなら・・・・」
シェランはつかつかとジュードの前まで歩いてくると、涙を拭いて彼を見上げた。
「どうか私を殴ってください。そんな事であなたが受けた精神的ショックや他の人達との信頼関係が取り戻せるわけでは無いでしょうけど、後は私がみんなに話して分かってもらうようにします。だから、だからどうか・・・・」
ジュードは訳が分からないまま呆然とシェランの言う事を聞いていたが、誤解が解けたと分かった瞬間、ホッとして身体中の力が抜けていくような気がした。シェランはもうオレの事を“恥知らず”なんて思っていない。それが分かっただけで、ジュードは暗い地底から太陽の降り注ぐ地上へと引き戻された気がした。
「シェラン。オレはどんな時でも、自分の心に恥じるような行為だけはしないと誓える。それはオレの死んだ親父や、仲間達に誓った事だからだ。それが分かってくれただけで、もういいんだ。失った信用を取り戻すのは大変かも知れないけど、オレにはオレが信じてくれとあえて言わなくても、信じてくれる仲間が居る。
だからオレがずっとこの先も、みんなの信頼に値するような生き方をしていたら、あれは間違いだったといつかみんなが思ってくれるだろう。それでいいんだ」
彼の言葉は今までジュードがずっと信条としてきた事だった。私はそれを知っていたはずなのに。なんの為に彼とオレゴンに行ったのだろう。私は彼が亡くなった父とレゼッタママのような心優しい人たちに囲まれて、雄大な自然にはぐくまれながら育ってきたのを見てきたのに・・・・。
「ごめんなさい、ジュード。ごめんなさい」
どんなに謝っても謝りつくせないとシェランは思った。心の底からの後悔がシェランの心を締め付け、それが次々に涙となってあふれ出していた。
「もういいよ、シェラン。泣くなよ」
ジュードはシェランの涙を拭こうとしたが、あいにく何も持っていなかった。その時ジュードは初めて気付いたのだ。何故ショーンがいつも役にも立たないシルクのハンカチーフをポケットに入れているのかが・・・・。
そうだったのか。あれはこんな時の為に必要だったんだ。さすがショーン!3年先の卒業パーティで着る服を1年の時から用意しているだけはある。
仕方がないので、ジュードは少々汚いかも知れないと思ったが、ツナギの袖口を引き伸ばして彼女の涙を拭き取った。
「ほら、もう泣かなくていいから。オレ、もう怒ってないし・・・・」
それでもシェランはしゃくり上げて、泣くのを止められないようだった。
「こんな真っ赤な目で下に降りるつもりか?みんなに笑われるぞ、シェラン教官」
「うん・・・・・」
シェランが自分でも涙を拭き取った時「あーっ、うほんっ、うほんっ」と誰かのわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「盛り上がっている所、邪魔して悪いがね、ジュード」
「なんだ。いらしたんですか?校長先生」
「最初からずっとおったわ!」
ウォルターはムッとした顔で ―心の中では笑っていたが― 答えると、2人の側にやって来た。
「どうだ?シェラン。これで少しは気が晴れたかい?」
「はい。校長先生」
シェランは涙を拭きながら、ウォルターに笑顔を返した。
「では2人で下に降りて行ってコーヒーでも飲みなさい。きっとみんな拍手してくれるよ」
「そんな事、あるわけないです。校長先生」
ジュードは大きく溜息を付きながら首を振った。さっきまでのSLSの悲惨な状況が、2人揃って降りて行ったくらいで良くなるはずはなかった。
「いいから行きなさい。さあ」
彼等はまるで追い立てられるように校長室を出てきた。仕方がないので校長の言ったように、2人で食堂に戻ってきた。ここならまだショーンやマックス達が、ジュードを心配して待ってくれているだろう。
ジュードとシェランが食堂の入り口を入った時だった。そこにいた全員が立ち上がり、彼等に向かって一斉に拍手をしたのだ。
訳が分からず顔を見合わせるジュードとシェランの側に皆集まってくると、口々に「良かったな、ジュード。誤解が解けて」「おめでとー!ジュード先輩!」などと声を上げるので、益々訳が分からなかった。
「あの・・・・なんでみんな知ってるんだ?」
ジュードが不思議そうに尋ねると、Aチームの機動のメンバーがニヤニヤしながら食堂の天井近くにあるスピーカーを指差した。
「うそだろ・・・・まさか・・・・」
ジュードは目の前でニヤニヤ笑っているネルソンの首を捕まえると「どこからどこまで聞いてたんだ!」と耳元で叫んだ。
「もちろん、お前が校長室に入ってくる前から、ついさっきまで」
「つまり、ぜーんぶだよ。ジュード」
ジェイミーが叫んだ。
シェランもやっと訳が分かったのか、、真っ赤になって頬を押さえた。
― わ、私、なんだか訳のわからない事を口走っていたような・・・・。私を殴ってとか・・・・ ―
2人が真っ赤になっているので仲間達は益々あおり出した。
「なんと言っても、最高潮だったのはここだね。『泣くなよ、シェラン。オレはもう怒ってないぜ』」
「いや、やっぱりここだろう。『そんな真っ赤な目で下に降りたら、みんなに笑われるぞ、シェラン』だな」
「だ、誰がそんなカッコつけて言ったんだよ!勝手に作るな!」
益々はやし立てる仲間達の中に、真っ赤な顔で突っ込んでいくジュードをシェランもまだ赤い頬のまま見つめていると、スピーカーからウォルターの声が響いてきた。
『はっはっはっはっ。どうだ、ジュード!恐れ入ったか!言っておくがこれは全校放送だ。しばらく皆にからかわれるんだな!はっはっはっはっはーっ!では、本日の放送は終了する』 ガコッ(スイッチを切る音)
ジュードは拳を握り締め、ぐうっと力を溜め込むと、思いっきり大声で叫んだ。
「このっ!タヌキ校長ぉぉぉぉぉーっ!!」
こうしてひとまず騒ぎは収まったが、ジュードは相変わらず騒々しい日々を送る事になった。
― 木曜日、午前4時30分・・・・ ―
1年生のジュンとハロルドは、同じAチームの仲間3人と寮の2階にある部屋を廊下の壁に隠れて見張っていた。昨日の校長室の一件で他の1年生は皆ジュードに好感を持ったようだが、この潜水課の5人だけはまだ納得していなかった。
― 口ではなんとでも言えるさ ―
それが彼等の言い分だった。それでアズが言った「ジュードがどんな人間か知りたかったら、午前4時30分に俺の部屋の前で待ってろ」を実行しに来たのである。
「さすがに眠いなぁ・・・・」
ジュンの横でサンディ・ローマイヤーが呟いた。
「しっ、出て来たぞ」
ハロルドが言ったので、彼等は廊下の壁に身を潜めた。ジュードはアズを起こさないようにそっとドアを閉めると、急に走り出した。5人は急いで彼を追いかけた。せっかく4時に起きて腹ごしらえまでしてきたのに、見失ってたまるか。
ジュードは寮を出ると、まず運動場に向かった。軽くウォーミングアップを済ませた後、なぜかキョロキョロ周りを見回している。思わず自分達が居る事がバレてしまったのかと、新入生達はドキドキしたが、どうやら彼は誰かを待っているようだ。
― さては女か?そーれ見ろ。やっぱりただの女ったらしじゃないか ―
「うーん、やっぱりジェイミーに4時半起きはムリか」
ジュードは残念そうに呟いた。
「どうせ1時間は起きてこないだろうから、ボードウォークの辺りを走ってこよう。運動場をぐるぐる回るのも飽きたしな」
誰も来ないので諦めたのか、ジュードが走り出したので、5人は慌てて付いて行った。
「おい、訓練校の外に出るぞ。いいのか?」
ハーティ・アスコットが心配そうに言った。
「構うもんか。怪しい行動をしている先輩を追いかけていったんですって言えばいいんだよ」
ジュンが言うと、ハロルドも同調した。
「きっと今度こそ女に会うんだぜ。尻尾を掴んでやる」
ハロルドはピーヒョロロとアズに言われたのが相当頭にきていた。絶対に付いて行ってやる。彼はそう決意していた。
シェランの誤解が解け、仲直りが出来たジュードは絶好調だった。彼はまだ薄暗いボードウォークをまるで42,195キロを走り抜けるプロのランナー並の速さで走って行った。もう20分ほど走っているが、まだボードウォークは続いているし、ジュードはどんどんSLSから離れている。
「な、なぁ。このボードウォークって何キロくらいあるんだ?」
そろそろ息切れしてきたパトリック・デーリーがハーティに尋ねた。
「さ、さあ。ビーチの端から端までだったら・・・何キロもあると思うけど・・・・」
「まさか端まで行く気じゃないだろうな・・・・」
サンディも苦しそうだ。
「お前等!絶対付いて来いよ!」
ハロルドが後ろの3人を振り返って叫んだ時、ジュードが左に曲がってボードウォークを離れた。
「あ!」
ここで見失ったら元も子もない。彼等は急いでジュードの曲がった道に出て、必死に彼の姿を探した。しかし左側の道路には誰の姿もなった。
― まさか・・・・ ―
彼等が右側を振り向くと、道路わきのヤシの木の下を走っているジュードの姿が見えた。彼は訓練校に帰ろうとして曲がったのではなく、ただボードウォークが単調なので、道を変えただけだったのだ。
― ま、まだ走る気か? ―
彼等は仕方なく再びジュードの後を追い始めた。
― 1時間後 ―
ジュードはSLSに戻って、すぐに食堂に行った。
「お早う、テディ!」
「よお、ジュード。今日はいつもより走りこんだな」
食堂のチーフであるテッド・ブレスはSLSの食事の管理を全て任されている男だ。以前は名門ホテルの中にあるフレンチの名店で、シェフ・ド・キュイジーヌ(総料理長)を務めていた。ここの食事はバイキング形式で、まるで立食パーティのように壁一面に並んだバットに様々な料理が並ぶが、訓練生がどの料理を選んでも、栄養が偏らないように考えてあった。
ジュードは自分の為に一つだけ用意してある朝食のトレイを彼から受け取ると、一番近くの席に着いてすぐさまパンを頬張った。
「ジェイミーはどうしたんだ?昨日来るって言ってたから、あいつの分も作ってあるんだが」
テッドは気のいい男だが、食べ残しにはうるさい。(当然であるが・・・)今まで好きな物を好きなだけ食べ、嫌いな物は全て残すという贅沢な暮らしが当たり前だった者が、ここに来て食べ物のありがたさを教えられるのだ。
とはいえチーフ・テッドと食堂の料理人軍団(中にはもと3つ星レストランのシェフも居る)の作り出す料理はおいしく独創性にあふれ、訓練でへとへとの空腹青年が食べ残す事は殆どなかった。
「もうすぐ来ると思うから置いておいてよ。あっ、それとオレは鉄塔に居るって伝えてくれる?」
ジュードはもう既に食事を終え(彼のトレイには山盛りにパンや卵、ソーセージ、サラダなどが乗っていたが・・・・)空っぽになった皿の乗ったトレイをテッドに返した。
休憩も取らずに出て行こうとするジュードにテッドは「たまには骨休みしろよ!」と声をかけた。
「うん。でも今、絶好調なんだ!」
元気に飛び出してくジュードを見ながら、一連の事件をすべて見ていたテッドはニヤリと笑った。
走りすぎてヘロヘロになったジュンとハロルドがSLSにやっと辿り着いた頃、ジュードはすでに鉄塔の昇降訓練を行なっていた。途中の道でパトリック、ハーティ、サンディの順に脱落。何とかジュンとハロルドは歯を食いしばって走ったが、とてもではないがジュードのスピードには付いていけなかったのだ。
「サ、サンディ達は・・・大丈夫・・・かな・・・」
「もし迷ったら・・・タクシーでも拾って、帰ってくるだろう・・・」
ハーッ、ハーッ、ゼーッ、ゼーッを繰り返しながら、2人は立ち上がる事も出来ずに座り込んでいた。ジュードが鉄塔のロープを真ん中まで登った所で、運動場を走ってくるジェイミーの姿が見えた。
「お早う、ジェイミー!」
ジュードはロープに片手だけで摑まって手を振った。
「すまん。ジュード。昨日あれだけ“明日こそ4時半に起きるからな”って豪語したのに・・・・」
この時、息を切らして声も出ないジュンとハロルドは“なんだ。待っていたのは彼だったのか”と思った。
「しょうがないよ。4時半と言えばまだ暗いし・・・。今から走るのか?付き合うぞ」
そしてこの時、ジュンとハロルドは顔を引きつらせて“まだ走るのか?”と心の中で叫んだ。
「いや。眠気覚ましにプールに行ってくるよ。そろそろ、アズやジーンも来ているだろうし。ジュードも後から来るだろ?」
「ああ。これが終わったら行くよ」
ジュードはするするとロープを登ると、反対側にまわってロープを降り、又登り始めた。
「わあ。本当に8秒だ」
やっと戻ってきたサンデイが、彼等の後ろで声を上げた。
まるで羽が生えているみたいだ。・・・・と誰かが言っていたが、どうやったら腕の力だけで、あんなに早くロープを登れるんだろう。ジュードの姿を見ている1年生達の胸の奥で、何かがうずうずと動き出すような感じがした。
ジュードは昇降訓練を終えると、プールに向かうようだ。プールといえば潜水のテリトリーである。ジュン達はやっと戻ってきたハーティやパトリック(彼等はやはりタクシーで戻ってきた)と頷き合うと、一目散に寮に水着を取りに戻った。
ジュードが行くと、プールの隣にあるトレーニングジムでジーンが副リーダーのアーリーと一汗流している所だった。
「お早う、ジーン、アーリー」
声をかけると、2人は笑顔で手を振り返した。トレーニング中に声をかけるとアズは不機嫌になるので、一番端のコースを独り占めにしてひたすら泳いでいる彼には声をかけずにジェイミーの名を呼んだ。
今日はまだ3人だけなので、多少ふざけても構わないだろう。
「よーし、ジェイミー。競争だ!」
「負けたらハン・ウォン・ファの巨大ビビンバ丼、奢れよ!」
ジェイミーは最近、韓国料理にはまっている。
「じゃあオレは、ロング・バケーションの超絶ビッグパフェだ!」
ジュードの「・・・だ!」を合図に2人は同時に飛び込んだ。
1年生がやっと着替えてプールにやって来た頃、ジュードとジェイミーはデッドヒートの真っ最中であった。いつの間にか2年の機動や潜水課まで集まって、彼等に声援を送っている。
「わーっ!ジュード先輩、ペース上げて、ペース!」
「ジェイミー、そのまま突っ込めーっ!」
ジュードが更に速度を上げた。負けじとジェイミーもスピードを上げる。ジュードがわずかに遅れ始めた。
「ジュード先輩、頑張って!」
「ジェイミー、突っ込めっ!」
タッチ2つ分ジュードが遅れて、プールの壁に手をついた。
「ワァァァーッ!」
皆の歓声が上がる中、ジュードは息を切らしながらジェイミーの健闘を称えた。
「さすがジェイミー。泳ぐの早いな」
「先に20キロも走ってきた奴に負けたら、俺、泣くよ」
2人は笑顔で右手を挙げると「ビビンバ!」と叫んで手を叩き合った。
「まるで鉄人レースだな」
ハロルドの後ろでパトリックが呟いた。まさにそうだ。彼は毎朝誰よりも早く起きて、こんな過酷な訓練を事も無げにやっているのだ。そしてそれはこの間アズが言った言葉からすれば、自分の為ではなく、人を助ける為、何より彼の仲間を守る為なのだ。
「どうだ、お前等。ジュードに付いて行けたか?」
後ろを振り返ると、ケイ・アズマが彼のブロンズ色の肌にピッタリの黒い水着を履き、腰に両手を当てた姿で立っていた。
「いいえ。付いて行けませんでした」
ハロルドは正直に答えた。ジュンもサンディもハーティ、パトリックも、誰ももうジュードを女たらしの駄目な男、とは思わなかった。
「そうか。ではこれから毎日励め。訓練に訓練を重ね、己の限界と闘い、知識を取り入れ、力の限り生きてみろ。そうすれば3年後、お前達が憧れる本当のライフセーバーになっているはずだ」
― 本当のライフセーバー ―
それが何なのか、訓練を始めたばかりの彼等には良く分からなかった。だが少なくともここにいる先輩達はそれに近付いているに違いない。彼等の心の中にジュードが日頃言っている言葉が、蘇ってくるのが分かった。
― ライフセーバーに名誉も栄光も必要ない。ただ人を救う為、助けられる命を助ける為に、ただそれだけの為にオレ達は在るんだ ―
「あれぇ?お前等、来ていたのか?」
アーサーがケビンやディッキーと立ち上がって近付いて来た。ピートとブレード、レクターも居る。
「やるじゃないか、お前等。俺達が一年の頃なんかヘトヘトで、とてもじゃないが朝早く起きて訓練しようなんて思わなかったぜ」
ブレードに褒められると、1年生達はちょっぴり頬を赤くした。
「せっかく来たんだ。一緒に泳ごうぜ。今度は潜水の俺達で競争するんだ」
レクターが誘った。
「ピート先輩は潜るのも速いけど、泳ぐのも速いぜ」
アーサーがもじもじしている1年生をせかし、揃ってジュード達の居る所へ戻って行った。そんな彼等をニヤッと笑って見るとアズは「全く騒がしい。トレーニングにならんな」と呟きつつ、プールを後にした。