第2部 試練 【2】
2月の第2土曜日、ジュード達が受けに行く救急救命士の試験が、フロリダ国際大学で行なわれた。SLSに入校してから初めて受ける試験という事もあって、少々緊張しながら臨んだジュードであったが、シェランの言う通り、クリスの授業をちゃんと受けていれば問題の無い試験であった。
試験を終えたAチームのメンバーが足取りも軽くキャンパスの中を歩いていると、BとCチームのメンバーがやって来て「せっかくマイアミ市内に出てきたのだから、どこかに行かないか?」と誘ってきた。
やっとテストから解放されたのと、土曜日という事もあり、また、他のチームとの交流が一度も無かったので、サムやダグラスは快く引き受けたが、ジュードは戸惑ったような表情で仲間達を見た。
そんなジュードを見て「ジュードも行くだろ?行くよな」と親友のショーンに顔を覗きこまれると、ジュードには断ることが出来なかった。
しかし、そんな仲間の盛り上がりに全くお構いなしの男が居た。彼はA、B、Cチームが混ざり合っている中、くるっと背を向けて帰って行く。ジュードはショーンが放っておけばいいのにと言っても彼を追いかけた。
「アズ!」
彼は毛嫌いしている男の声に立ち止まると、不機嫌そうな顔で振り向いた。
「誰がアズだ?勝手に妙なあだ名を付けるな!」
「だって、アズマって言いにくいんだもん。それに君、オレにケイってファーストネームで呼ばれたいか?」
それは嫌だ、と彼の顔に書いてあったので、ジュードはにっこり笑った。
「一緒に行こう、アズ。一人で帰るなんて危険だよ」
「俺はお前のような田舎者じゃないから大丈夫だ」
「でもマイアミってタクシー代も高いしさ。第一君、一人で帰れるのか?」
その質問にアズはちょっとドキッとした。実は仲間の後ろを付いてきただけだったのだ。
「子供じゃないんだ。英語圏で迷子になるか」
「そうかな?リトルハバナ(マイアミのダウンタウンの西側の街)なんかスペイン語しか通じないぜ?そうそう知ってる?マイアミって80年代に犯罪率の高さで全米でトップに輝いたんだ。どの部門もトップ。凄いだろ?あっ、でも今は殺人率は第3位だからちょっと安全。でも窃盗は相変わらずトップを驀進中だったかな」
ジュードの話を聞いているアズの顔色はだんだん悪くなってきた。
「ここは南米の玄関口だ。どうする?有り金を全部取られてキューバ移民やスペイン語しか話せない人達の中に放り込まれたら。さすがのSLSも探せないよなぁ。俺達海専門だし」
「も、も、もういい!一緒に行けばいいんだろう!お前はいちいち説明が長いんだ!」
怒りながらも仲間の所に歩いていくアズを、ジュードはにっこり笑って見た。そんな彼のことを他の仲間は“世話好きだなぁ・・・”と思った。
ジュードの脅し(?)が効いたのか、確かにダウンタウンの北側にはホームレスのたまり場などがあって、観光客以下の知識しかない彼等は、ダウンタウンは避けようという話になった。
エバとキャシーは女の子らしくマイアミのあちこちに沢山あるショッピングモールに行きたがり、ブランド品に興味の無い男達からはマイアミ・ドルフィンズ(NLF)の試合が見たい等と様々な意見が出た。
しかし彼等の今日の外出許可は午後5時までであり、それを過ぎると食事抜きどころか寮の門限も破ったことになって、色々とややこしい罰則が科せられる。とりあえずマイアミビーチに戻ってから遊ぶほうが安全だと考えて、彼等はアール・デコに行く事にした。
ここは観光スポットとして有名で、20世紀初頭にパリを中心に流行した装飾様式で街が統一されている。直線重視のデザインと柔らかなパステルカラーの美しい街だ。
アール・デコはファッションの街としても有名で、流行の先端をいくブティックが立ち並んでいる。エバとキャシーはブティック巡りをしたいと言ったので、サウスビーチの6stにあるカフェで4時に待ち合わせをすることにして別れた。
14stと15stの間にあるエスパニョーラ・ウェイはこの地区の中でも最も美しいとされる通りの一つで、週末には出店も立ち並ぶ。ジュード達は出店のテントからテントへ渡り歩きながら、色々な物を見て回った。
レクターが綺麗な色の鳥の羽や貝の付いたアクセサリーのみやげ物をじっと見ていたので、彼と同室のブレードが「彼女に送るのか?」とニヤニヤして聞いた。レクターは「バカ、違うよ」と答えた後、照れくさそうに頭を掻いた。
「お袋がな、一度も海を見た事が無いんだ。俺の実家ネブラスカだろ?アメリカ大陸のど真ん中だからな。だからこんなもんでも喜ぶかなぁと思って・・・」
彼の話を聞いて、ジュードもオレゴンに一人残してきた母を思い出した。
思えばこの半年、毎日のスケジュールをこなすのに精一杯で、ろくに電話もしていなかった。母も遠慮しているのか、ジュードの携帯に一度も電話をかけては来なかった。寮に戻ったらさっそく家に電話しようと思ったのは、ジュードばかりではなかっただろう。
沢山の出店を回りながら、ジュードは気に入ったものを見つけた。透明の細長いカップに入った生のフルーツの盛り合わせで、南国らしいキゥイ、オレンジ、パイン、マンゴーなどが食べやすいように綺麗に切って盛り付けてある。
一番上には皮付きのまま食べられるほど薄い皮のぶどうが乗っていて、ジュードは特にこれがお気に入りだった。入校して初めて食堂でフロリダのフルーツを食べた時、そのみずみずしさとおいしさに驚いたが、外で仲間達と食べると余計おいしく感じられた。
そんな風に飲んだり食べたりしながら歩いていると、あっという間に時間が過ぎて4時10分前になっていた。
Cチームの教官であり寮長でもあるロビーは、生真面目というだけではなく、時間にもうるさかった。もし授業に遅れようものなら、実地訓練の間中ずっと訓練場の周りを走らされるのだ。
それゆえCチームの訓練生は、3時半には帰ってしまっていた。他のチームの者もそれをよく知っているので、すぐにエバとキャシーと待ち合わせをしている6stのオープンカフェにやって来た。
もう4時を5分ほど過ぎているので、これもまた時間にうるさい彼女達にさぞかし怒られるだろうと思っていたら、2人の姿はカフェの中にも外にも見当たらなかった。きっと買い物に夢中になって遅れているのだろうと最初は思っていたが、それから更に15分ほど経っても姿を現さないので、彼女達をよく知る潜水と一般の訓練生が口々に言い始めた。
「やっぱりおかしいよ。エバなんか授業の10分前には席に着いているような奴だぜ」
「キャシーも潜る時は、20分の休憩も取らずに大佐とウォーミングアップを済ませてるぞ」
きっと何かあったのだ。Bチームも探すのを手伝ってくれると言ったので、彼等は再びアール・デコに戻ることにした。二手に分かれてBチームは彼女達の行きたがっていたブティックの辺りを、Aチームは6stに至るまでの道を探すことにした。
表通りに2人の姿を見つけることが出来なかったジュード達は、細い裏通りに入って行った。ここには表通りに無いようなヒスパニック系の土産物屋や、カフェが何軒も並んでいるが、それらは早くも店じまいを始めていて、もう既に閉まっている所もあった。時計を確認すると、既に5時15分前になっていた。
「いい加減にしろって言ってるでしょ!離しなさいよ!」
店の裏から響いてきた声に続いて、バシッと頬を叩く音が聞こえ、ジュード達は「エバ!」と叫んで声がした方へ走った。
人通りの無くなった裏通りで、エバとキャシーが数人の男達に囲まれている。彼等は殆ど日焼けをしていない白人であったので、多分州外から冬を避けてここに来ている観光客だろうとだろうと思われたが、まだ陽が高いというのに酒に酔っているようだ。
エバが叩かれたと思って慌てて路地裏に飛び込んで行ったが、殴ったのはエバの方だった。仲間が助けに来てくれたと知って泣き出しそうになったエバとキャシーを見て、正義感の強いサムとダグラスは今にも飛び出して行きそうな勢いで叫んだ。
「何やってんだよ!お前等!」
彼等が飛び出せば、他のメンバーも行って争いになるのは見えていた。人を助ける立場の人間が他人を傷付けるのは決して許されないことだ。ましてや彼等はまだ訓練生という立場である。
ジュードは今にも飛び出して行きそうなサムとダグラスの肩を握って首を振った後、エバとキャシーの腕を掴んで離そうとしない男達の前に立った。皆、26、7歳のスーパーボールの選手のような巨体をしていた。
「彼女達は俺達の友人です。帰していただけませんか?」
「友人ね・・・」
赤茶色の髪の男が左右に首を振りながら、にやっと笑ってジュードに近付いて来た。Tシャツの下の胸の筋肉が盛り上がって、シャツにプリントしてあるスリムな筈のヤシの木が太って見える。彼等から見たら、さぞかし自分は子供に見えるだろうとジュードは思った。
「だったら口を出さない事だ。この娘達は俺達に付き合うって約束したんでね」
「ウソよ!」
すかさずエバが叫んだ。
「彼女達は一緒に行く気は無いと言っています。2人を帰して下さい。俺達は早く戻らなきゃならないんです」
「戻る?俺達に喧嘩を吹っ掛けておいて、無事に戻れると思っているのか?」
彼の言葉が終わるのと同時に、ジュードの頬が激しい音をたてて赤く染まった。
「ジュード!」
ジュードは唇の端に流れる血をぬぐいながら、いきり立つ仲間に「来るな!」と叫んだ。キャシーは既に涙ぐんでいる。
「気が済みましたか?彼女達を放して下さい」
「いいや、済まないね」
再び振り上げた男の手をショーンが掴んで睨み上げた。
「いい加減にしろよ、お前・・・」
「やめろ、ショーン」
「だけど・・・!」
ジュードの目はオレはいいから、と言っている。彼の気持ちは分かるが、このままで済むわけがない。
―クソッ、どうすればいいんだ?―
ショーンは悔しげに唇を噛み締めながら男の腕を放した。
自分よりずっと背の低いジュードを小バカにするように、男は上から彼の顔に自分の顔を近付けた。
「カッコイイよなぁ。ナイト気取りか?」
ジュードはぎゅっと手を握り締めると、ニヤニヤ笑いながら自分を見下ろしている男の目を見つめた。
「オレは死んだ親父から、いつだって自分の心に恥じるような生き方だけはするなと言われて来た。あんた達は自分の心に恥じることは無いのか?男としての誇りがあるなら、このまま黙って彼女達を帰して欲しい」
「ガキが生意気なんだよ!」
ムッとした男がその豪腕を振り上げ、エバの叫び声が響いた。
「ジュードォォ!!」
顎が砕けるような衝撃を受けた後、彼の身体は仲間の間を通り抜け、その後ろにあるガラスのビンの詰まった木枠のケースの中に突っ込んだ。自分の身体が何本ものガラス瓶を割る音を聞いたのを最後に、ジュードの意識は途絶えた。
親友の頭から血が流れるのを見たショーンに、もう迷いは無かった。
「このヤロー!ダサいTシャツ着てんじゃねー!」
叫びながら自分の2倍もある様な男に飛び掛って行き、他の仲間も彼の後に続いた。こうなるとエバも黙ってはいない。
「あんた達とは鍛え方が違うんだよ!」と叫ぶと、自分の腕を掴んでいた男の顎をぶん殴った。
「まぁ、エバ、いけないわ」
キャシーは隣にいた男がエバの行為に驚いて自分の腕を放したので、店の裏に立てかけてあった箒を掴むと、その柄で男の腹に一発、更に痛みで前かがみになった男の後ろから頭を殴って倒すと、微笑みながら彼女に箒を手渡した。
「素手で殴ったら手を痛めるわよ」
ブティックの辺りを、エバとキャシーの姿を探しても見つからなかったBチームが、丁度Aチームが男達ともみ合いになっている裏通りに差し掛かった。騒ぎを聞きつけて行ってみると、Aチームのメンバーが数人の男達と大乱闘の真っ最中だった。
びっくりして止めに入ったが、彼等が劣勢になっているのを見ると加勢せずにはいられなかった。
騒がしい声にジュードが目を覚ますと、仲間達はもみくちゃになって暴れていて、しかもBチームまで混ざっている。彼はびっくりして立ち上がったが、めまいを覚えて頭を押さえた。手に付いた血を見て余計頭が痛くなりそうだったが、彼等を止めようと、もみ合いになっている仲間達の間に割って入った。
「やめるんだ、お前等、やめろ!」
しかし、すぐ側で男ともみ合っていたエバが頬を殴られたのを見て、ジュードは頭にカーッと血が上った。
「お前!女を殴るなんて最低だぞ!」
(エバを殴った男はジュードが見る前に、散々彼女に例の箒で殴られていたのだが・・・)ジュードはその男に掴み掛かった。