第16部 新入生 【5】
ジュードは久しぶりにバイトのない日曜を迎えて、ウキウキ気分で目を覚ました。当然休みの日でも早朝練習は欠かさないので、まだ寝ているアズを起こさないようそっと身支度を済ませ、部屋を出た。
休日の朝早くから起きてくる訓練生などジュード以外は誰も居ない。平日なら彼に感化されたジェイミーが2年の始めごろから一緒に朝練に加わっているが、そんな彼も休日だけはゆっくり寝ることにしていた。
静まり返った男子寮を出て、まだ明けきらない朝焼けに霞む空を見上げると、運動場の方へ向かった。まだ少し冷たい空気の中、海沿いに連なるボードウォークやマイアミへ至る道を駆け抜けるのがジュードは大好きだった。
平日は余り時間が無いので、運動場をぐるぐる回ったり、フィットネスルームに行ってランニングマシーンに乗ったりと、余り校内から出ないのだが、休日は時間を気にすることなくゆっくりと走りこめる。もちろんその後、SLSに戻って朝食をとった後、室内プールで泳いだり、フィットネスでウェイトトレーニングに励んだりと、ジュードがこなす休日の朝のメニューはとても豊富であった。
「今日は海岸線に沿って走ってみようかな」
ジュードが運動場でウォーミングアップの順備体操をして走り出そうとした時、何処からか自分の名を呼ぶ女性の声が聞こえた。
SLSでジュードの苗字ではなく、名前を呼び捨てにする女性は3人しか居ない。柔らかくて透き通るような声のシェラン、ちょっとトーンの高いキャシー。そして強くて張りのあるエバの声である。ジュードはすぐにその声の主が分かって振り返った。
「お早う、エバ。君も今からランニング?」
息を切らしながらジュードの所まで来ると、エバはひどく取り乱したように首を振った。
「違うの、ジュード。私と一緒に来て。キャシーが大変なの!」
「キャシーが?」
ジュードは急いでエバの後を追った。
「キャシーがどうしたんだ?」
「行けば分かるわ。体育倉庫よ!」
体育倉庫は本館と運動場の間にあるプレハブの建物で、殆ど授業には関係ないバレーやサッカーなどのボール類、テニスのラケットやネットなど、生徒が娯楽で使用するものばかりが入っている。休日には生徒がチームごとに対抗試合をしたり、時々教官達も加わって普段とは違うスポーツを楽しんでいた。
そんな体育倉庫に、こんな朝早くからキャシーは何をしに行ったのだろうという疑問も浮かんだが、バレーでもしようとして重い鉄のポールを動かした時、それが倒れてきて下敷きになったのかも知れない。そう考えたジュードは倉庫のドアを開いた後、勢いよく中に飛び込んだ。
しかしジュードの足は、何かに引っかかって前へ倒れこんだ。何とか受身を取って頭から倒れずに済んだが、強く腰を打ってしまった。
かなり痛かったが、今はキャシーの方が心配だ。急いで半身を起こした時、ジュードはそのキャシーが自分に向かって両手で銃をかまえているのが目に入り、びっくりした。
「キャ、キャシー?」
「バーン!なんちゃって・・・」
キャシーはびっくりして口も利けないジュードに向かって銃を撃つフリをすると、ニヤッと笑ってそのおもちゃを後ろに放り投げた。そして尻もちをついて動けない彼の両足の間にひざを付くと、身体をそらせ、ジュードの身体の両側の床に両手をついた。
「キャ・・・キャシー・・・?どうしたんだ?一体・・・・」
ジュードは身動きも出来ずに、すぐ近くにある彼女のまるで青い氷河のような瞳を見つめた。キャシーは今まで見た事のないような微笑を浮かべると、ジュードの肩に左手をかけた。
「ジュード。あなたって近くで見るとセクシーね。そのエキゾチックな黒い髪と海の底のように黒い瞳。とってもそそられるわ」
「はぁ?何を言ってるんだ?あ、頭でも打ったのか?」
ジュードにはもうそれくらいしか思いつかなかった。いや、違う。これは絶対新手の嫌がらせだ。早く逃れなければ・・・・。
しかしジュードがうろたえている間に、キャシーの右手はジュードの左手首を掴み、前に引っ張った。バランスを崩した彼の身体をもう片方の手で押さえ込むと、キャシーは仰向けに倒れたジュードの上から顔を近付けた。
男である自分が女に押さえ込まれているという、この全く想定外の出来事に、ジュードの頭は真っ白になってしまった。
― ど・・・どうすればいいんだ?しぇらんんんんーっ! ―
思わず頭の中で愛しい人の名前を叫んでみたが、もちろん彼女はまだ自宅の大きなベッドの中で安らかに眠っていた。
「ど、どうしたんだよ、キャシー。君がこんな事をするなんて・・・」
「あら、分からないの?ジュード。私ずっと前からあなたの事が好きだったのよ」
キャシーの栗色の髪が自分の頬に触れた瞬間、ジュードはゾクッとして真っ赤になって叫んだ。
「ウソだ!君がオレの事を好きだなんて、絶対ウソだ!!」
途端にキャシーの瞳がキッとつり上がり、ジュードをにらみつけた。
「ウソ?どうしてそんな事があなたに分かるの?女の子の気持ちなんて全然分からないくせに!」
― 当たり前だ!こんな事をする女の気持ちなんか分かるか! ―
ジュードは心の中で叫んだが、口には出来なかった。キャシーの瞳がそれ程怖かったからである。思わずジュードは彼女から目を逸らした。
「分か・・るよ。君は友達だ。だから・・・・」
「だから何?ジュード、あなたも男でしょう?本当は女なら誰でもいいくせに」
その言葉にジュードはカチーンときて、無性に腹が立った。女なら誰でもいいだって・・・・?
ジュードはいきなりキャシーの後ろ襟を掴むと、力任せに彼女に身体をひっくり返した。さっきキャシーがやったように今度はジュードが彼女の左肩を押さえ込み、反対の手で左手首を掴むと、上からキャシーの顔を覗き込んだ。
形勢が逆転したのだ。生まれて初めて男という生き物に押さえつけられたキャシーの胸は恐怖で激しく波打った。いつもの強がりも何も出てこなかった。キャシーは震えながら本当に怒っているジュードの顔を見つめた。男の人が本気で怒ると、こんなに怖いものなのだと初めて知った。
「ジュ・・・ド・・・」
キャシーは震える声で彼の名を呼んだが、ジュードは決して手を緩めなかった。
「君は本当に、男は女なら誰でもいいと思っているのか?オレは違うぞ。いや、オレだけじゃない。ショーンもマックスもAチームの男達は決してそんな風に思ったりしない。オレ達は絶対そんな事は思わない。
キャシー。オレにとって仲間や友達は、どんな事をしても絶対守り抜きたい大切な存在なんだ。その仲間を遊びやいい加減な気持ちで汚したりなんかしない。だから君もそんな言葉は口にするな。そんな下劣で汚い言葉を君は口にしてはいけない。君はそんな女の子じゃないだろう?」
キャシーは急に恥ずかしい気持ちがこみ上げてきて、声を上げながら泣き出した。
「ごめんなさい!ごめんなさい、ジュード。本当はそんな事を思ってないの。私、分かっていたのに。ごめんなさい・・・!」
ジュードはやっと安心したように、押さえ込んでいたキャシーの肩や腕を放した。キャシーは解放された両手で顔を覆って泣いている。ジュードはちょっと言い過ぎたかな、と思い可哀相になった。まるで妹を慰めるようにその柔らかな髪をなでて「分かればいいんだよ、キャシー。オレの方こそごめんな。痛くなかったか?」と言いつつ、彼女を助け起こそうとした。
その時、やっとジュードは気付いたのだ。エバは何処に行った?
「んふ。いい画が撮れちゃった。リーダー、ご協力ありがとう」
ジュードが顔を上げて見たのは、デジタルカメラを右手に持ってニヤリと笑って立っているエバだった。クリスマスにレクターが親に買ってもらったと自慢していた、500フィート潜っても使える最新型だ。
「エ・・・バ・・・?一体、何を撮ったんだ・・・?」
「決まってるじゃない。ジュード・マクゴナガル。自分のチームの女の子を襲う・・・の図よ」
エバが向けた画像には、泣いている女の子を今まさに襲おうとしているとしか写っていない自分が居た。
― やられた・・・・!! ―
ジュードが急いで立ち上がって扉を見ると、下の方に一本のロープが張られている。自分が密猟者を捕まえるのに使った、あんな単純な罠に引っかかるなんて・・・・!
ジュードは立ち上がってエバのそばに歩いて行くキャシーを、恨みがましい目で見た。
「キャシー、君もグルか」
「ごめんね、ジュード。よんどころのない事情があっての事なのよ。それにこれはシェ・・・・」
「キャシー、しゃべりすぎ!」
エバにぴしゃりと注意され、キャシーはハッとして口を閉じた。
「それをどうするつもりだ。引き伸ばしてポスターにして、掲示板にでも貼り出すのか?」
「まさか。そんな事をしたら、キャシーの未来に傷が付くじゃない」
エバはシラッとして答えた。オレの未来はどうでもいいのかよ!ジュードは言ってやりたかったが「どうでもいいに決まってるでしょ」と答えられるのは分かっていたのでやめた。
「これはね、ジュード。脅迫に使うのよ。もちろん、あなたへのね」
「ハァ?キャシーの未来に傷が付くんだろ?どう脅迫に使うんだ。そんな公表も出来ない画像なんか」
ジュードの言葉にエバは声を上げて笑った。
「そうね。じゃ、こんなのはどう?明日シェラン教官が出勤してきて、自分の教官室のパソコンを立ち上げる。教官のパソコンの壁紙は今、オーシャンブルーの大西洋とイルカなんだけど、それがこの画像に変わっていたら・・・・教官、どんな顔をするかしら」
ジュードはそのシーンを想像するだけで、足元から恐怖がこみ上げてきた。
間違いなく殺される・・・。エバと食事に行っただけで「私の可愛い生徒をあんな場所に連れて行って!」って散々こき使われたんだぞ。こんな画像見せてみろ。殺される。今度は絶対殺される。
恐怖の余り、目を見開いて黙り込んでいるジュードを見て、エバは勝負はついたと思った。彼女は脅しのネタをジュードに奪われないよう、2センチ四方の大きさしかないSDカードを抜き出すと、キャシーの胸元に滑り込ませた。
「キャッ、何するの?エバ」
「そこが一番安全だもの。ねぇ、ジュード。大切な仲間の服をひっぺがして辱めたりは出来ないわよねぇ。私達のお願い、聞いてくれるわよね?」
まさに今、ジュードは目の前の女達が悪魔に見えていた。そして自分の人生はこれからもきっと、この小悪魔共にいいようにされるに違いないという恐ろしい予感が渦巻いた。
「オレに何をしろって言うんだ?」
ジュードはふてくされたようにエバから目を離した。
「簡単な事よ。リズとデートしてあげて欲しいの」
「は?デート?断る。好きでもない子とデートする主義はないんだ。第一、そんな事をしたら相手を傷付けるだろ?」
エバはあきれたように片手を腰に当てると、もう片方の手で髪を掻き揚げた。
「ジュード、あんたに決定権は無いのよ。そうね。来週の日曜はバイトだから、再来週の日曜にしましょう。時間は午後1時。待ち合わせ場所は・・・・そう。本館の警備員室の前がいいわ。男女を分け隔てる一枚のドア。その前で待ち合わせなんてステキなシチュエーションじゃない?」
― 何が素敵なシチュエーションだ! ―
ジュードはもう反論することさえ出来ずに心の中で毒づいた。
「いい?リズはこの計画には関わってないから、ちゃんとデートしてあげるのよ。それから、この事を他の誰かに一言でもばらしたら・・・・・」
「シェランにその画像をメールで送りつけるんだろ!」
「その通り。じゃ、宜しくね、ジュード」
キャシーはエバの後を追って倉庫を出て行く間際、ジュードを振り返った。
「本当にごめんね、ジュード」
暫く薄暗い体育倉庫でたたずんでいたジュードは額に手を当てると、諦めたように深く溜息を付いた。
「一体、何を考えてるんだ?あいつらは・・・・・」
エバは自分の隣で小さく溜息を付いて、さっきエバに入れられたSDカードを取り出しているキャシーをチラッと横目で見た。
「全く、キャシーったら、計画をぶっ壊すつもり?せっかく誰も居ない時間にって早起きしたってのに!」
「ごめん、エバ・・・」
キャシーは申し訳無さそうにカードをエバに手渡した。
「だって、ジュードがちょっと可哀相になっちゃって・・・・」
エバは大げさに驚いて両手を広げた。
「はっ、あんたってもしかして惚れっぽいの?それにこの計画を考えたのはあんたじゃない」
「確かにそうだけど・・・。あっ、でも私は惚れっぽくなんかないわよ。ただジュードがあんまり真っ直ぐだから。それにあんなに一生懸命私達の事を思ってくれてるのに・・・って思ったら・・・」
「キャシーィィィ?」
エバは自分だけが悪者にされたみたいで、かなり不機嫌であった。
「ご、ごめん。大丈夫よ。ジュードは何も気付いてないわ」
「そのようね。とにかく賽は投げられた。あとは・・・・」
もう二度と喧嘩はごめんだと思っている2人は、顔を見合わせてクスッと笑い合った。
「2週間後を待つだけね」
次の日、いつものように朝早く目が覚めたジュードだが、どうも気分が優れずベッドから起き上がらずに頭の後ろに両手を当てて、ずっと天井を見つめていた。もちろん、体調が悪いわけではなかった。だが昨日の朝の出来事がどうも納得できない。どうしてあの2人はあんな事をしたんだ?
授業前にいつもプールでひと泳ぎするアズも起き出して来たが、いつもはとっくに居なくなっているはずのジュードがベッドでふてくされたような顔をしているのを見て、不思議そうな顔をした。
「トレーニングには行かんのか?」
「いや、もう行くよ」
ジュードは答えると、ベッドのスプリングを利用して飛び出してきた。
「なぁ、アズ。女ってさ、何を考えてるかサッパリ分からないよな」
「は?」
アズは一瞬、朝っぱらから何を悩んどるんだ?という顔をしたが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。
「その通りだ。分からんものの事を考えて悩む暇があったら、訓練にいそしんでいた方がよほど有効的だ」
ジュードは二カッと笑った。そういえばアズはいつも口の達者な母と2人の姉に悩まされていたっけ・・・・。
「アズ。たまには一緒にメシ食ってプールに行こうか」
「俺は他人とはつるまん主義だ」
「いいよ。じゃ、オレがアズに引っ付いていくから」
ジュードと苦虫を噛み潰したような顔のアズは、珍しく肩を並べて食堂に向かった。
昼休み、ジュード達は2年Aチームの機動のメンバーと共に食事を取った。昼からの授業で2年生は初めてヘリによる実地訓練を行なうので、彼等の話題はその事で持ちきりだった。当然、潜水課の2年生も初めてライフシップに乗って海に出るし、一般も消防艇での実地訓練に入る。
よく見ると、2年生達の顔は期待にあふれ、皆が今日の実地訓練の話をしていた。
― そういえば、オレ達も初めてヘリに乗る前の日は、嬉しくて眠れなかったよなぁ・・・ ―
ジュードは自分の2年の頃を思い出してにっこり微笑んだ。だが、入り口からこちらに向かって真っ直ぐ向かってくる人物を見て、ジュードは思わずマックスの影に隠れた。
「ジュードせんぱぁーい!」
あたり一面にハートが飛び交っているのかと思わせるほどの甘い声の主が近付いてくると、ネルソンやジェイミーがマックスの影に隠れているジュードを引っ張り出した。
「お呼びだぞ、ジュード」
「ほら、行けよ」
仲間達に背中を押され、ジュードは仕方なく前に出て行った。
「や、やあ。リズ」
「うふ。ジュード先輩。今度マイアミの町をご案内していただけるんですってね。ありがとうございます!」
“デート”が“案内”という表現に変わっただけで、ジュードはホッとする気分だった。後輩を案内するだけなら、そんな問題にはならないよな。そう思ったが、後ろの仲間達は益々調子に乗ってはやし立てるので、とりあえずリズをつれて廊下に出てきた。
「え・・と。それで他に何か・・・・」
「あ、はい。いつ連れて行っていただけるのか教えていただきたくて。待ち合わせ場所とかも決めないといけないし・・・・」
あいつら、それくらい言っておけよ!ジュードは益々、エバとキャシーに腹を立てたが、リズは何も知らないのだ。あたり散らすわけにもいかないので、昨日エバに言われた言葉をそのまま伝えた。
「分かりました。2週間後ですね。楽しみに・・・・・あっ!」
リズがジュードの肩越しに廊下の向こう側を見て驚いたように声を上げたので、ジュードも振り返った。シェランが本館の入り口を入って、こちらに向かってやってくる。
― ウソだろ? ―
ジュードは思わず後ろを向いて、まるでリズを背中で隠すようにシェランの方を見た。彼の姿を見つけたシェランが笑顔を向けて走ってきたので、ジュードは逃げ出す事もかなわず、その場に直立していた。
「丁度良かった。ちょっと相談があって。みんなの誕生日なんだけど・・・・」
シェランは言いかけて、思わず言葉を止めた。リズが彼の後ろからちょこっと顔を出したからだ。
「ま、まぁ、リズ。どうしたの?そんな所で・・・・」
リズはにっこり微笑むと、ジュードの横に出てきて彼の腕を掴んだ。
「うふ。私ね、再来週の日曜、ジュード先輩とデートするんですよ」
「え?」
ジュードとシェランは同時に声を上げてリズを見た。
― ちょっと待ってくれ。さっきまで案内って言ってたじゃないか・・・・ ―
ジュードがシェランの顔を見ると、彼女もリズから目を離してジュードを見つめた。一瞬、2人は黙ったまま互いを見つめあったが、どちらともなく目を逸らした。
「そ、そうだわ。私・・・潜水の子達と待ち合わせが・・・早く行かなきゃ・・・・」
シェランはまるで言い訳をするように呟くと、彼等の横を通り抜け本館の裏側へ向かった。海岸へ抜けるドアを開けると、潮風がいきなり吹いてきて髪を巻き上げた。
シェランは目をぎゅっと閉じて砂の侵入を防いだ後、ゆっくりと目を開けた。午後の日差しが白い砂浜に反射して、まぶしさに思わず目を細めた。彼女はそのままその場に座り込むと、砂浜の向こうに白い波を上げている海を見つめた。
ジュードはリズと付き合うことにしたんだろうか・・・・。
「きっと、そうだわ・・・」
シェランは心の中の思いをふと呟いた。彼はいい加減な気持ちで下級生をデートに誘ったりしない。リズとデートをするという事は、彼女の事が好きだという事だ。
そういえばこの間、ジュードの誕生日に会った時、妙に冷たくされたのを思い出した。きっとあの頃からジュードはリズの事が好きだったのだ。だからリズ以外の人から誕生日プレゼントなんか貰って、リズに誤解されたくなかったのだろう。
シェランは自宅の部屋に置いてある、銀色の包装紙に包まれたプレゼントを思い出した。日記帳サイズのそのプレゼントには、男の子用らしく紺色のリボンが巻かれている。
本当はあの日ジュードに会った時、何が欲しいか聞こうとしたが断られたので、勝手にこちらで選んで買っておいたのだった。だがそれは彼にとって、とても迷惑な話だったのだ。凄く悩んで一生懸命選んで買ってきた自分はとてもバカだと思った。何も気付かなかったなんて・・・・・。
シェランはそのまま昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るまで、じっと海を見つめていた。
それから一週間、自宅に戻るとシェランはジュードの為に買ったプレゼントの箱を眺めて暮らした。
彼との思い出は、いつだってシェランの心の中で鮮やかに生きていた。それを思いだすたびに、涙がこぼれそうになるのをじっと堪えた。まだ2人が付き合うと決まったわけでは無いと思う時もあったが、だからと言って自分とジュードの関係が変わるわけではなかった。
いつかジュードが訓練校を出てどこかの支部に配属されたら、きっと彼はそこで愛する人を見つけるだろう。そして結婚して子供が出来た頃、久しぶりにこの訓練校の事を思い出してやってくるかもしれない。そして大切そうにしまってある写真を取り出してこう言うのだ。
「やあ、シェラン。これ、オレの嫁さんと子供。可愛いだろ?」
おまけに私はその時まだ独身で、ジュードに「なんだ、シェラン。まだ結婚してなかったのか?早くしないと行き遅れちゃうぞ。あっ、もう行き遅れちゃってるか」なんて言われたりして。
「そ、それって、ものすごく嫌かも・・・・」
シェランは思わず頭を抱え込んだ。女の子の想像力というものは、何処までも発達するものである。シェランは目の前にあるプレゼントを両手で握ると、決意したように呟いた。
「そうだわ。もし2人が付き合っていたら、これをお祝いにプレゼントしよう。これなら2人の為にって送ってもおかしくないもの・・・・」
一方ジュードはこの1週間、仲間達にずっとからかわれて、うんざりしていた。いつの間にかジュードがリズをデートに誘ったことになっていて、リズに憧れていた1年生からは「横取りした」とうわさを立てられるし、2年生からは「おめでとうございます、ジュード先輩!」などと、ちっとも嬉しくないお祝いの言葉をかけられるしで「オレはデートになんか誘ってないぞ!」と思わず大声を上げそうになった。
しかしジュードの耳には“もし一言でもバラしたら・・・・”というエバの言葉が、呪いの呪文のように常に警告音を鳴らしていた。もし誰かにエバとキャシーのせいで・・・と言ってしまったら、あっという間にあの映像がシェランのパソコンに流されるに違いないのだ。
とにかくデートでも案内でも何でもいいから、早く終わらせてしまいたかった。そうすれば幾らあの2人でも本当の悪魔では無いのだから、あのデータを消去してくれるだろう。
ジュードはバイト先のプールサイドで溜息を付きながら、明るい空が見えるようにガラス張りになった天井を見上げた。
月曜日の放課後、食堂でいつものようにキャシーを待っているエバの所にリズが走ってやってきた。彼女は改めてジュードとマイアミに行ける事になった礼を言うと、2枚のチケットを取り出した。
「これ、良かったらお2人で行って下さい。但し今日しか有効じゃないんですけど・・・・」
エバがチケットを受け取ってみると、3つ星レストランの招待券だった。チケットの左側にはとてもおいしそうなフランス料理のコースの写真が載っており -この時、空っぽだったエバのお腹がグーッと鳴った― 右側にはその店の名と地図、一番下に有効日がスタンプで押してあった。
「これ、本当に貰っていいの?誰かと行く予定だったんじゃ・・・」
「いいえ。お2人へのお礼ですわ。それじゃ、私、ちょっと用がありますので・・・・」
リズが急いで姿を消したので、エバは“やっぱり急用が出来て行けなくなったのね”と思った。だがとにかく3つ星レストランの無料券なんて、どんな理由であれ嬉しいに決まっている。エバはキャシーと部屋に戻って、3つ星レストランにふさわしい服・・・・は余りなかったが、とりあえず少しでもおしゃれな服に着替えると、キャシーの髪を完全に乾かして、部屋を飛び出していった。
放課後、シェランはシャワーを浴び着替えを済ませて教官室に向かっていた。2階から3階へ至る階段を上がっている時、上から降りてきたリズと出会った。彼女はシェランを見つけると、慌てて階段を下りてきた。
「教官!エバ先輩とキャシー先輩が会いに来ませんでした?」
「え?いいえ。来ていないわ」
「そうですか。なんだかお2人共、教官に聞いて欲しい悩みがあるとかで、さっきからずっと探していたみたいですけど・・・」
「悩み?でもさっき授業でキャシーに会った時は何も・・・・」
「きっとエバ先輩と一緒じゃなきゃ言えない悩みなんですわ。私にも何も言って下さらないから」
シェランは不安にかられて2人を探し始めた。食堂や談話室を覗いても彼女達の姿は無かった。近頃2人はリズとも仲良くしていたのに、その彼女にも言えない悩みなんて、きっと深刻なものに違いない。シェランは急いで本館を出ると、女子寮に向かった。3階の彼女達の部屋のドアをノックしても返事はなかった。
「エバ、キャシー?」
中まで入って覗いてみたが、やはり2人は居ないようだ。
「変ね。何処に行ったのかしら」
仕方がないので部屋を出ようとしたが、ふとエバのベッドの上にポツンと置いてあるデジタルカメラが目に入った。きっとこの訓練校での思い出を2人で撮り合いっこしているのだろう。
シェランはにっこり笑ってそれを拾い上げた。しかし、彼女はそこに映し出された画像を見た瞬間、ゾッとしてそれをベッドの上に落とした。
「なに・・・?今の・・・・」
ジュードがキャシーを押さえつけて・・・・・?そんな事あるはずない。そう思いつつも、胸の動悸が治まらなかった。シェランは大きく息を吸い込むと、震える手でもう一度それを拾い上げた。
だがそこに写っていたのは、疑いようのない事実だった。ジュードが今まで一度も見た事のないような怖い顔をして、泣いているキャシーを押さえ込んでいる。シェランは目を逸らしたいのを堪えて、それを確認した。回りは暗くてよく分からないが、キャシーの頭の向こうに白いポールが2本立っている。どこかで見た覚えがあった。
そうだ。あれはバレーのネットを張る時に使うポールだ。ではここは体育倉庫・・・・?
それが分かった時、シェランの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。間違いない。ジュードはここにキャシーを呼び出して、こんな酷い事を・・・。エバとキャシーが相談したい悩みとはこれだったのだ。
シェランは力を無くしたようにカメラをベッドの上に置くと、その場に崩れ落ちた。ウソだ。信じたくない。でも、もしこれが本当なら・・・・・。
「許せないわ」
震える声で呟くと、シェランは立ち上がって部屋を飛び出した。