第16話 新入生 【4】
キャシーは自分の命を繋いでいた最後の希望を突き放し、友の両手を目指した。手首にキャシーの手が触れた瞬間、エバも彼女の手首を握り、そのまま全体重をかけて引っ張った。ドサッという音と共に身体が鉄板にぶつかり、キャシーはここがもう空中ではないのだと実感した。
「いたたたた・・」
反動で身体を打ったのか、エバが背中を押さえつつ、キャシーの下から上半身を起こした。
「まったくもう、何考えてんのよ、あんたは。今回はちょっとやばかったわよ。いくらこの天才ライフセーバー、エバ様にも出来る事と出来ない事が・・・」
エバの怒りの叫びは、突然首に抱きついてきた友の強い抱擁でかき消された。
「ごめんね、エバ。ごめんね・・・ごめんね・・・・」
それは喧嘩をしてからずっとキャシーが言いたかった言葉だった。エバは困ったように微笑みながら、謝り続けるキャシーの背中を軽く叩いた。
「もういいわよ。そんなに謝んないでよ。あたしまで謝らないといけなくなるじゃない」
暗い鉄塔の中で女同士が友情を取り戻している頃、大きな救助マットや救急機材を持った男達が気付かれないように撤収を開始していた。
どうせばれるなら早目に説明しておくべきだ、とのジュードの提案に従って、次の日にはピートとサムがそれぞれ休憩時間の時、エバとキャシーに全ての事情を説明した。2人は ―特にキャシーが― 驚いて口も利けずに事の全容を聞いていたが、最後にはニヤッと笑って「やってくれるじゃない、リズ・・・」と同じように呟いたそうだ。
シャワーを浴び終えたキャシーが半分だけ髪を乾かして「教官、お先に失礼します!」と叫びつつ飛び出していくのを見て、シェランはにっこりほほえんだ。
「やれやれ、やっと仲直りしたみたいね」
夕食を終えたエバとキャシーは2階の談話室でおしゃべりの続きをする事にした。天気も良くまだ暗くなっていないので、彼女達はコーヒーを買うと、外のテラスデッキに出て一番海側の席に座った。
「大体サムとダグラスがあんな状態のキャシーを見て、機動を呼んで来ようなんて言うはず無いのよねぇ。すっかり騙されちゃったわ」
エバは昨夜の事を思い出して苦笑いした。
「リズに借りが出来ちゃったわね」
キャシーがコーヒーの蓋を開けながら言った。
「もしかしたら、それが狙いだったのかもよ?」
「何が?」
エバは缶コーヒーをそのまま飲みたくない人の為に置いてある紙コップを自分とキャシーの前において、コーヒーを注いだ。
「あんたがあんまりリズの事を嫌うからさ。あたし、ちょっと注意深く見ていたのよね。あの子、かなり賢い子よ。前にズルが付く位ね」
“賢い”というのと“ずる賢い”とでは随分意味が違う。完全にリズの事を信用している思っていたエバの意外な言葉だった。
「覚えているでしょ?あの子、あたし達が食堂に居る時は、必ず遠くに離れて座っていたわ。なのにあの日、あの見事な啖呵を切ってあたし達の所へやって来た日は、テーブル2つ分しか離れていない所に座った。あたし達に見せ付けて、信用されようとしていたんじゃないかしら。
それにあたし達が喧嘩した日、あの日リズは休憩時間にあたしの所へやってきて、涙ながらにこう言ったの。『エバ先輩、私キャシー先輩に嫌われてるんですか?だったらとても悲しいです』って。正義感の強いあたしなら、必ずあんたに言うわよね。リズと仲良くしなさいって」
キャシーはエバの話を聞いていてムカムカしてきた。何がとっても悲しいよ。鉄塔の上では散々憎たらしいとか言っておいて。まぁ、あれは私を怒らせる為の方便だったのかもしれないけど。
「それであたしが完全にあの子の味方になってしまったと思ったあんたとあたしは喧嘩してしまったわけ。しかも仲直りさせる案をジュード達に提案したのもあの子。これでAチームは完全にあの子を信用したわ。ね?全部彼女が絡んでない?」
「それはそうだけど、一体どうしてそこまでしなくちゃいけないの?」
キャシーの言葉に、エバはニヤッと笑って親指を海に向けて突き出した。
「目的はたった一つ。もちろん、彼よ」
エバが指差した先にある白い砂浜の上を、ジュードがショーンと2人で歩いているのが見えた。2人とも靴を脱いで海に向かっている。風になびくくせ毛を払いながら笑いかけるジュードの周りを、まるでショーンは子供のように飛び回ってはしゃいでいた。
「あーあ、この2年でジュードは随分大人になったみたいだけど、ショーンは相変わらず子供ねえ」
テーブルに肘を付いて、エバは溜息を付きながら言った。
「そ、そんな事無いわよ。ショーンも1年の頃よりはずっと逞しくなって、大人っぽくなったわ」
「ほおお?」
エバはニヤリと笑ってキャシーを見た。
「キャシーちゃんたら。やっぱり巡洋艦でのパーティあたりから、ショーンの事が気になってたのかなぁ?」
「そ、そんな事あるわけ無いでしょ?」
キャシーは慌てて否定した。確かに昨日はちょっと思い出してしまったけど、あれはあれでいい思い出だってだけで、他に意味は無いんだから・・・。
「第一、ショーンと私じゃ身分が違いすぎるわ」
「身分?」
この21世紀に、身分違いの恋という発言を聞くとは思わなかった。しかも親友の口から・・・。
「何言ってんのよ。ショーンもあんたも同じ訓練生じゃない」
「私とショーンはね。でも実家の格差は歴然としているわ。エバも巡洋艦を下りた時『カルディーノの事はもういいの?』って聞いたら『家中の人の反対を押し切ってまで恋を成就させる情熱なんてあたしには無いわ。第一ライフセーバーを辞めるつもりなんて毛頭ないしね』って言ったじゃない。私も同じ考えよ。不毛な恋より教官との約束を果たす方が私には大事なの」
決意を示すようにコーヒーを一気に飲み干しているキャシーを見てエバは“相変わらずお固いわね、こいつは・・・”と思った。
「まあ、いいわ。話を元に戻そう。つまり、リズはね・・・と言っている間に来たわよ、ほら・・・・」
キャシーが下を見下ろすとリズが「ジュードせんぱーい!」と、いつもの甘い声で彼を呼びながら走ってくるのが見えた。
「やあ、リズ」
ジュードは振り返ると、リズに親しみのある笑顔を向けた。
「昨日は遅くまですまなかったね。ちゃんと寮まで戻れた?」
「はい。あのう、ジュード先輩。今日はお暇ですか?」
「ああ。今日はバイトもミーティングもないし・・・・」
― ええ、もちろん知ってるわよ。そのつもりで声をかけたんですもの ―
「実は、消防艇の散水ホースが私だけうまく巻けなくて、ちゃんと巻いておくようにライル教官に言われたんです。でもやっぱりうまく出来なくて・・・。ジュード先輩。ほんのちょっとでいいから手伝ってもらえませんか?もちろん訓練ですから自分で巻きます。でも離れた所から見ていてくれる人が居ないと、ちゃんと巻けているかどうか分からなくて・・・・」
そういう事ならと、ジュードは快く引き受けた。
「リズ、俺も行ってやろうか?もし重くて君が下敷きになったりしたら助けてやれるぜ」
ショーンがニヤリと笑って言ったが、リズは氷のような冷たい瞳を向けた。
「ショーン先輩。私、そんなにやわじゃありませんわ。それに2人も先輩に見られてたら、余計緊張して出来なくなりますもの」
ジュードがリズと一緒に港に向かうのを見送りながらショーンは呟いた。
「ふーん。俺はおじゃま虫って訳だ」
2階のテラスから3人の様子を見ていたエバとキャシーは、ジュードとリズが2人だけでどこかへ行くのを見てびっくりした。
「はああ、やるわねぇ。昨日の恩があるからジュードは何を言われても断れないってわけか・・・」
「何処に向かったのかしら」
「あの方向だと、SLS専用港じゃないかしら」
キャシーはジュードを密かに思っているシェランの事を思うと胸が痛んだ。
「ジュード、大丈夫かな」
「あいつが教官以外の女に、そう簡単になびくわけないでしょ?」
「でもジェイミーが言ってたわ。“いつまでも片思いのままじゃジュードが可哀相だ”って。もしかしたらみんながリズを応援するかも・・・」
「その片思いって所が間違いなのよね。いい加減シェラン教官の気持ちも・・・・」
「教官の気持ちが何だって?」
2人だけだと思っていた所に、突然後ろから声をかけられ、エバとキャシーは心臓が飛び出すくらいに驚いた。
「ショ、ショーン?あんた、下に居たんじゃなかったの?」
「2人の姿が見えたから、急いで登ってきたんだ。見てたんだろ?ここから全部」
「え、ええ・・・・」
まるで覗き見を咎められたようにきまりが悪かったが、キャシーは正直に答えた。
「で?何処に行ったの?2人は」
エバがすかさず質問した。
「SLS専用港。消防艇のホースがうまく巻けないから、ジュードに見てて欲しいんだって」
「はあ?散水ホース?そんな物、下から順に巻いていけばいいだけじゃない」
「ふーん。やっぱりそうか」
ショーンは不機嫌そうな顔でデッキの手すりに後ろ向きにもたれかかった。
「今夜あたりヤバイかもなぁ・・・。ジュード、船の中で押し倒されちゃうかも」
「ええっ?な、何を言い出すの?ショーンったら」
キャシーが顔を真っ赤にして叫んだ。
「あの子ならやりかねないぜ。あれは目的を果たす為なら、手段を選ばない目だ」
いつも少年のような彼の口から出た辛らつな言葉に、エバはどぎまぎして答えた。
「な、なんでそんな事が分かるのよ」
「あのさぁ、君達。僕を誰だと思ってるの?」
― 出た・・・! ― とエバとキャシーは渋い顔をした。彼がこういう言い方をする時は、お金持ちのお坊ちゃまに戻るのだ。
「僕が小さい頃から一体何百人のハリウッド女優を見てきたと思う?人々から注目されるトップクラスの人間なんて、ほんの一握りだ。その他は何とかして、いい映画に出演したい、出演するには、制作会社や監督の目を引く何かが必要だ。演技力のある人間なんて吐いて捨てるほど居る。それ以外の全ての魅力を彼女達は作り出し、使う。
ビビアンのように、一回のオーディションで合格してスターになるような人間なんて砂浜の中の一粒だけだ。そのスターになる為なら彼女達はどんな事でもするさ。目的を果たす為ならなんでも利用する。恋も友情もね。どんな事をしても成功する。その為にハリウッドに居るんだ。
あの子の目は、そんな彼女達に良く似ているよ。ジュードの事が本気だったとしても、他にも何か目的があるような気がするなぁ・・・」
ショーンの話を聞いていて、キャシーはなんだか怖くなってきた。昨夜の鉄塔でのエリザベスの迫力は本当に凄かったと思う。幾ら下でジュード達が救助マットを用意していたとしても、あんなに躊躇なく人を突き落とせるものだろうか。
「ねえ、私達も専用港に行った方がいいんじゃないかしら。人の恋路を邪魔するのもなんだけど・・・」
エバは頷いて立ち上がろうとしたが、ショーンは首を振ってポケットから携帯を取り出した。
「君達、もう遅いよ。ここに上ってくるまでに僕が手を打っておいた。多分暗くなる前に2人は戻ってくるよ」
自信たっぷりに片目を閉じたショーンを見て、エバとキャシーは顔を見合わせた。
SLS専用港まで訓練所からは歩いて2、3分の距離だ。もちろん本部からは救助要請が来たら、すぐに出動できるようにもっと近い。ジュードとリズは本部の前を通り、港へ向かっていた。
フロリダ本部は1970年の特殊海難救助隊の創立と共に建てられた。訓練校が出来たのはそれより更に1年後で、今のような3年制のシステムになったのはわずか15年前である。それ以前は2年制システムで急速に支部を増やし、全米のあらゆる地域での海難事故に対応できる体制が整えられた。
しかし支部の人員が安定してくると、より徹底されたライフセービングの技術を持つものが求められ、訓練システムの変更、2年制から3年制への移行が行なわれ、“最高の人材を丁寧に育てる”がモットーとされるようになったのだ。
40年を経た本部の建物は今まで2度改築を行なった以外は、ほとんど創立当時の原型を留めている。他の支部はどんどん隊員が増えているが、本部は決して3つ以上のチームを置こうとはしないので、大きさを変える必要は無いのだ。
それでも中の救助機材などは、何処の支部より最新の物が置いてあるし、もちろんヘリやライフシップも同様であった。
当然である。SLS本部に居るのは、全米で50以上あるチームの内、最も優れた3つのチームなのだ。
ここでは3年ごとの訓練校の夏の休暇の間に、一気に建物の表面を塗り替える作業が行なわれる。今年は丁度その年で、ついこの間の休暇の間に、まっ白に蘇った本部の建物をジュードは眩しそうに見上げた。
「ジュード先輩の夢は、やっぱり本部隊員になる事ですか?」
エリザベスの質問にジュードは微笑みながら振り返った。
「半分はそうかな・・・?」
つまり半分は違うって事。でもそれを私には言いたくないって訳ね。まだまだガードは固そう。でも・・・・。
「エバ先輩とキャシー先輩、仲直りできてホントに良かったですね。今日お2人が一緒に昼食をとっているのを見てホッとしました」
言いたくない事を無理に言わせるほどリズは愚かでは無い。彼女は自分に有利な話にとっとと話題を変えた。
「それもこれも全部リズのおかげだね。あの高い鉄塔の上で怖くなかった?」
「それは・・・怖かったですけど、でも少しでも先輩達の役に立てたらって気持ちで一杯だったから・・・・」
― まさか。全然怖くなんてなかったわ。それより勢いあまってキャシー先輩を本当に突き落としてしまう方が怖かったわね。だってあの人憎たらしいんですもの。でもそうなると計画はおじゃんだし・・・・ -
「リズは勇気があるな。きっといいライフセーバーになれるよ」
「本当ですか?嬉しい!ジュード先輩にそんな風に言ってもらえるなんて!」
リズがジュードの腕に抱きついたが、彼は避けることなくリズに微笑み返した。
― あの2人の仲直りに協力した効果は大きかったみたい。これなら確実にいけるわ。今夜こそ・・・ ―
港に着くとリズはジュードを引っ張って、消防艇が並んでいる港の端まで連れて来た。
「あれなんです、ジュード先輩。右から2番目の・・・」
指差しながら消防艇を振り返ったリズは、突然凍ったように言葉を止めた。
「よぉ、ジュード。どうしたんだ?こんな所で」
「あれ?お前等」
船のデッキからひょこりと顔を出したのは一般のハーディとノース、その後ろにはサムとダグラスも居た。消防艇のホースがうまく巻けないと言うとリズが可哀相だと思ったので、ジュードは自分達がここに来た理由は言わない事にした。
「お前等こそどうしたんだ?こんな時間に」
「ああ。明日の訓練で消防艇を使うんだ。いつもサミーに任せっぱなしじゃ可哀相だろ?あいつリーダーの中でただ1人の一般だから凄く忙しそうでな。だから今日の内に俺達で点検しておこうと思ってさ」
ハーディが自慢げに言った。こうやってみんながチームを超えて協力し合うのは非常に良い事だ。ジュードはサミーの変わりに彼等に礼を述べた。
「それにしても1年は困ったもんだな」
サムがノースの後ろから体を乗り出してきた。
「この船の消火ホース。もうぐちゃぐちゃでさ。巻き直すのに凄い時間が掛かっちまったぜ。片付けもちゃんと教えるように2年に言っておかなきゃな」
「あ、それは・・・・」
ジュードは言いかけて口を閉じた。リズは物凄く不機嫌そうな顔をしている。とにかくこの場は何も言わずに帰った方が良さそうだ。
「リズ。せっかく来たけど、彼等が点検しているのを邪魔するのも悪いし、今日は戻ろうか」
「は?あ、そ、そうですわね。ええ。戻りましょう」
リズは不機嫌な顔をジュードに見られて、慌てたように答えた。
「いいのかなぁ。人の恋路を邪魔しちゃって・・・・」
サムがデッキの手すりにもたれかかって、帰っていくジュードとリズの後姿を見つつ呟いた。
「だってしょうがないだろ?ショーンが“ジュードの貞操を守ってやってくれぇ!”って泣きながら頼むんだから」
ノースが溜息を付きつつ言った。
「それにしても凄く怒ってたぞ。あの女の子」
ダグラスはエリザベスに興味がないのか、彼女の名前も覚えていなかった。
「俺はあの子より大佐の方が怖いよ。もしまかり間違ってジュードがあの子に何かしてみろ。シェラン大佐、怒り狂って何をしでかすか分からんぞ」
ハーディの言葉に後の3人も“確かに・・・”と思った。
ジュードと別れて自室に戻ったリズは、部屋のドアを閉めるとつかつかとベッドに歩み寄り、枕を掴んで壁に投げつけた。
「全く、なんなのよ、Aチームの男共は!人の邪魔ばかりして・・・・!」
リズは2個目の枕も掴むと、同じ壁に向かってもう一度投げ飛ばした。
「この私がホースの巻き方も知らないとでも思っているの?私は1年の一般の中で常にトップクラスなのよ!何が巻き直すのに凄く時間が掛かっちまったぜ・・・よ!時間が掛かるように、わざとぐちゃぐちゃにしておいたんじゃない!」
ひとしきり叫ぶと落ち着いたのか、リズはエバとキャシーが住んでいる隣の部屋の方をチラッと見た。
「そうね。こうなったら“あの時の貸し”を返してもらいましょうか・・・・」
新学期が始まってから忙しく、何かと問題が起こっていたのですっかり忘れ去られていたが、ジュードは20歳になっていた。男同士でいちいち人の誕生日を覚えている者は少なく、誰もジュードが20歳になった事に気付かなかったが、シェランはちゃんと覚えていて、その日は朝からジュードに「おめでとう」の言葉を言おうと思っていた。
しかし他に生徒が居る前で言葉にするのはどうも気恥ずかしく、かといってジュードが1人きりで居る事など滅多に無いので、朝からずっと彼の事を気にしながら過ごしていた。
昼過ぎ、やっとジュードが1人で食堂から出てくるのを見つけたシェランは、急いで駆け寄って声をかけようとした。
「シェラン教官」
後ろから自分を呼びとめる声にドキッとして振り返った。リズが後ろに手を組んでシェランを見上げている。
「あ、あら、リズ。どうしたの?」
「教官、お昼まだですか?もし良かったら一緒に食べませんか?」
シェランは申し訳無さそうに首を振った。
「ごめんなさい、リズ。もう食べてしまったの」
「そうですか。じゃ又一緒に食べてくださいね」
「ええ・・・」
リズはまだ食事を終えていないはずなのに食堂へ入ろうとせず、本館の外へ出て行った。リズに手を振った後、シェランは急いで振り返ったが、ジュードの姿は既に消えていた。
その日、ジュードを呼び止められたのは、授業の後、教官も参加してのリーダーミーティングに向かう途中だった。3階と4階の間にある踊り場で、シェランはやっとジュードに追いついた。
「誕生日おめでとう、ジュード」
ジュードは一瞬“え?”という顔をしたが、すぐに思い出したようだ。
「あっ、そっか。今日、誕生日だったっけ・・・」
「忘れていたの?」
「うん。忙しかったし。ありがとう、シェラン。覚えててくれて」
そう言うと、ジュードは再び階段を登り始めた。まだ話の続きがあったシェランは急いで彼を追いかけた。
「待って、ジュード。それでね・・・・」
「いらないよ」
「え?」
なぜかジュードの態度が冷たく感じられたので、シェランは驚いたように彼の顔を見た。
「もしかして、シェラン。Aチーム全員にプレゼントを渡そうとか思っているだろう」
「え、ええ。だってみんなで私の誕生日をお祝いしてくれたし。ジュードが一番最初なの。だから・・・・」
「だからいらないんだ。1年かけて15人全員にプレゼントなんか渡してたら大変だろ?俺達はシェランがこうやって誕生日を覚えててくれて、おめでとうって言ってくれるだけで充分だよ」
ジュードの言葉がどんどん突き放すように聞こえてきて、シェランは戸惑いながら反論した。
「でも、それじゃ私の気持ちが・・・・」
「シェランは教官として充分役目を果たしてる。だからそれ以上の事は考えなくていいんだよ」
まるで余計な事はしなくていいと言わんばかりに答えると、ジュードはさっさと4階に上って行ってしまった。
「なによ、ジュードったら!」
シェランはぷっと頬を膨らませた。
「いいわよ。別の方法考えるから」
リーダーミーティングはいつも4階の会議室Aで行なわれている。まだ会議の時間まで時間があるからか、中には誰も居なかった。楕円形に組まれている会議室の机の椅子に座り、ジュードはテーブルに肘を付いて「全く・・・」と呟いた。
「自分の事で精一杯なくせに、オレ達の誕生日の心配までしてたら身が持たないだろ?その内倒れちまうぞ。バカシェラン・・・・」
訓練の後、そろそろ薄暗くなってきた寮に戻ると、エリザベスは灯りを付け、自分の実家にある部屋より数段ランクの低い寮部屋を見回した。
ここは以前卒業していったナタリーが使っていたもので、男っぽい性格の彼女は3年間使ったこの部屋に一つも女の子らしい飾りをつけることなくそのまま卒業していったので、初めてリズがこの部屋のドアを開けた時はその余りの殺風景さにびっくりしたものだ。
決して新しくはない机、窓際にあるベッド、書棚。この3つしかない部屋を見回した後、リズはすぐ実家に電話して、新しいベッドやサイドテーブルとその上に置くシェード付きのライト、カーテンやファブリックに至るまで配送させたが“SLS訓練生に華美な装飾品は必要ない”との校長の判断で、ベッド用の枕やシーツ以外は返送させられてしまった。
「全く、SLSの男共にはあきれてしまうわ。この私に3年間、こんな部屋で暮らせって言うの?」
そうは言いながらも、訓練生である以上は仕方がないと諦めていた。彼女は真っ白な絹のシーツに包まれたベッドに寝転がると、レースの沢山付いた枕の下から一枚の写真を取り出し、熱い視線でそれをじっと見つめた。
「でもこの人だけは諦めないわよ。そうね。そろそろ行動を起こす時かしら・・・・」
夕日がいつものように西側の窓から差込み、古い廊下や階段をオレンジ色に照らし出す頃、食堂から続いているおしゃべりをしながら、キャシーとエバは女子寮に戻ってきた。
「それでね。125フィートの海底で機材に足を挟まれた要救助者を救助するんだけど、酸素量が3分しか持たないアクアラングを付けた人間を助けるって凄くあせるの。ブレードなんかもう少しでレクターを再入院させる所だったわ」
キャシーが大げさに両の手のひらを上に向けた。
「あたし達もよ。消火訓練施設って1,000度もあるじゃない?ノースが訓練中にこけちゃってさ。消火装備って20キロもあるからなかなか起き上がれなくてね。火が5分で消えるようになってるから助かったけど、教官に『お前等は今仲間を1人失ったんだぞ!バカ者!1年生からやり直して来い!!』って散々怒鳴られちゃったわ」
「クリス教官も訓練中は鬼だもんねぇ」
そんな会話をしつつ階段を登ってくると、途中にある窓の枠に肘を付いてじっと外を見つめるエリザベスの姿が目に入った。
「リズ、どうしたの?そんな所で」
ハッとしたように振り返ったリズの目には涙が光っていた。
「い、いえ。なんでも・・・・」
エバとキャシーに気付かれないように、リズは顔をそらして3階へ上がろうとした。
「待ちなさい、リズ」
2人は階段を駆け上がると、リズを自分達の部屋に連れて来た。決まり悪そうに椅子に腰掛けたリズの側に2つの椅子を持ってくると、エバとキャシーは優しく彼女の手を握った。
「どうしたの?何か悩みがあったら、いつでも力になるわよ」
「先輩・・・・」
リズは辛そうにうつむくと、ぎゅっと右手を握り締め、口元へ持ってきた。
「私・・・。まだマイアミの街に殆ど出た事がなくて・・・。それでジュード先輩に『お暇な時でいいですからダウンタウンを案内していただけませんか?』ってお願いしたんです。でも先輩『暇な時なんか無い』って・・・。私、先輩に嫌われてるんでしょうか」
エバとキャシーはムッとした顔をすると、急に立ち上がった。
「あらあら、ジュードったら。女の子からの誘いを断るなんて、幾らなんでも礼儀知らずね」
「本当。あいつったら、いつの間にそんなに偉くなったのかしら」
キャシーは大げさに毒づくと、再びリズの手を握った。
「リズ。あなたジュードの事が好きなの?」
エリザベスはハッとしたようにキャシーの顔を見た後、再びうつむいた。
「そんな、私なんて・・・。ただ憧れているだけなんです。ジュード先輩って本当に素敵な先輩だから。でも私のこと、きっとしつこい女だと思ってらっしゃるでしょうね」
「そんな事は無いわ。あなたが実力のある訓練生だって事は、ジュードも認めているのよ」
キャシーは立ち上がると、彼女の肩に手を置いて顔を近付けた。
「分かったわ、リズ。あなたには私達の仲裁に入ってくれた借りもあるし、ジュードには私達から頼んであげる」
「本当ですか?キャシー先輩!」
エリザベスは嬉しくてたまらないように思わず椅子から立ち上がった。
「もちろんよ。私達の言う事なら必ずジュードは聞いてくれるわ。何たってチームメイトですもの。ねぇ、エバ?」
「ええ。女の子の気持ちも分からないニブチン少年には、一度思い知らせてあげないといけないわねぇ」
「ありがとうございます。エバ先輩、キャシー先輩!」
エリザベスは胸に手を当てて嬉しそうに叫ぶと、彼女達の部屋を後にした。
「仕込みはOKね」
ドアの外でエリザベスはニヤリと唇の端を歪めて笑った。
「まさかショーンの言う通りになるとはね。あの子、あたし達を利用しに来たのよ」
エバがフンと鼻を鳴らして、今エリザベスが出て行ったドアを見つめた。
「きっと今頃、私達をうまく丸め込めたと思って、部屋の中で楽しげに笑ってるじゃないかしら」
キャシーもそれに答えるように隣の部屋の方を見た。
3日前、ジュードとリズはショーンの予言どおり、暫くすると訓練校まで戻って来た。まだ談話室のテラスで話し込んでいたエバとキャシーは、本当に戻ってきた2人を見て、驚いたようにショーンを見た。
「すごいわ、ショーン。一体どんな魔法を使ったの?」
「大した事じゃないさ。おじゃま虫を4匹送り込んだだけ」
ショーンは大した事は無いと言いつつ、自慢げに笑った。
「ああ、あの4匹ね・・・・」
エバにはすぐ、同じ一般課のチームメイトの顔が浮かんだ。
エリザベスと別れたジュードは、2階に居るショーンに気が付いて、彼の名を呼びつつ手を振った。ショーンはそれに答えて「すぐ降りるよ、ジュード!」と叫び返した後、エバとキャシーを振り返った。
「いいかい?君達。2,3日の内に彼女、きっと今度は君達にアクセスしてくる。その時は頼んだぜ」
謎の言葉を残して去ろうとしたショーンを、キャシーが呼び止めた。
「どうして私達に・・・なの?」
「まだ“仲直りの貸し”を返してもらってないだろ?何の為に君達の仲直りに協力したんだ?もちろん、君達に“貸し”を作るためさ。彼女はそれを必ず利用する。あの子はそういう子さ」
軽く片目を閉じて去って行ったショーンを見送るキャシーがちょっと赤い顔をしているのを、もちろんエバは見逃しはしなかった。
そして3日後、ショーンの予言どおり、エリザベスはエバとキャシーに“仲直りの貸し”を返してもらいに来たのだ。
「でも良かったの?簡単に引き受けちゃって。ジュードって優しそうに見えるけど、結構頑固よ」
エバがちょっと心配そうに言った。
「結構?ああいう古いタイプはね、とんでもなく頑固者よ。でもさっきエバも言ってたでしょ?女の子(シェラン教官)の気持ちも分からないニブチン少年には、お灸が必要だって」
夕日を反射してキラリと光るキャシーの瞳を、エバはニヤッと笑って見た後、黒いくせ毛髪を掻き揚げた。
「ああら、キャシーちゃんったら、とってもステキな悪巧みを思いついたみたいね。お・し・え・て?」