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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第16部 新入生 【3】

― 2日後 ―



 Aチームの誰の姿も食堂で見る事の無かったキャシーは一人で夕食を食べ、重い足取りで女子寮へ戻って来た。3階までの階段が妙に長く感じる。静まり返った寮の中を一人歩いていると、胸を締め付けるような孤独感が襲ってきた。エバはもう戻っているのだろうか・・・。


 ドアを開けて部屋が真っ暗だったら泣いてしまいそうな気がする。キャシーはドアの前に立つと少し間をおいてからノブに手を掛けたが、ふとドアと床の隙間に小さな封筒が置いてあるのが見えた。キャシーは急いでそれを拾い上げた。きっとエバからの手紙だ。―ねえ、もうそろそろ仲直りしない?― なんて彼女っぽく書いてあるに違いないわ。


 キャシーはドキドキしながら封筒から手紙を取り出し読み始めたが、すぐにその表情から嬉しそうな笑顔が消え、みるみる眉が吊り上がっていった。



 『キャシー先輩、こんばんは。お隣のエリザベスです。実は少しお話したい事があるので、いつも機動が使っている鉄塔まで来ていただけません?別に無理にとは言いませんけど、まさかキャシー先輩は敵に後ろを見せたりしませんわよね。

                                   エリザベス・オーエン』



 キャシーはぐしゃっと手紙を握りつぶすと「何なの、この慇懃無礼(いんぎんぶれい)で挑戦的な手紙は!」と叫んだ。エバの事もあってか、リズに対するキャシーの怒りと憎しみは数十倍にも膨れ上がった。


「入学したての1年生のくせに!SLSの最高学年に対する礼儀を教えてあげるわ!!」






 赤い月が夜の闇の中でぼうっと浮かび上がる中、灰色の鉄塔も暗い闇の中にその頂上を吸い込まれたかのように聳え立っていた。鉄塔は4つの足場によって支えられており、これを建てるにあたって地下20メートルまで掘って建てられたと以前先輩達が話していたが、真実は定かでなかった。その大きなセメントで固められた足場部分にAチームの面々が集まって、まるで隠れるように作業をしていた。


「おい、本当にこんな事をして、大丈夫なんだろうな。もし何かあったら確実に退学だぞ」


 ブレードが潜水の仲間にひそひそと囁いた。


「リーダーが他に方法は無いと言って決めたんだ。いい加減腹をくくれ、ブレード」


 アズはこういう時、常にサムライである。彼等の話を聞いていたマックスも話しに加わった。


「エバの方は大丈夫なんだろうな」

「サムとダグラスが張り付いている。談話室で夏休みに知り合ったイケメンセレブの話題で盛り上がっているさ」

 ノースが片目を閉じて答えた。



 火災などで人が上から飛び降りた時などに使う、エアーを入れるタイプの救助マットにやっと空気を入れ終わった頃、ハーディが走って戻って来た。


「教官達は全員引き上げたぞ。残っているのは警備員だけだ」


 それを聞いてジュードは立ち上がった。


「よし、全員配置に付け。決して最後まで気を抜くな」




 赤く登ってきた月がやっと薄く輝くベールを闇の中に広げ始める頃、キャシーは息を切らしながら鉄塔の周りに張り巡らされた金網までやって来た。入り口の横には大きな赤い文字で『関係者以外、立ち入りを禁ず』と示された看板があったが、キャシーはその大きな文字さえ目に入らないように重い金網の扉を押して中に入った。中は静まり返って、周りを見回しても誰の姿も見当たらなかった。


「居るんでしょ!?エリザベス・オーエン!出ていらっしゃい!!」


 キャシーの挑戦的な言葉をあざ笑う様に、深い闇の中から笑い声が聞こえた。


「ほほほほっ。ようこそ、キャシー先輩。私は鉄塔の頂上におりますの。ここから見る月は最高ですわよ。是非いらして下さいな」


 キャシーは鉄塔の上を見上げたが、暗くてエリザベスの姿を見つける事はできなかった。そんな高い塔の頂上に登るなんてごめんだ。深く潜るのは好きだが、高い所はキャシーもシェランと同じく苦手だった。


「話があるなら、あんたが降りてきなさい!それが礼儀というものでしょ!?」

「あら、キャシー先輩、怖いんですの?一般の私が登れたのに。潜水士って意外と臆病でしたのね」


― 潜水士が臆病・・・? ―


 ライフセーバーの中で、最も過酷で卓抜された人間しかなれないと言われている潜水士を、臆病者呼ばわりするとは・・・!


 キャシーの心は荒ぶる海流のように激しく猛り狂った。


「もう許さない・・・!!」


 キャシーはすぐ側にあった梯子に手を掛け、一歩一歩上に登り始めた。頂上に向かうほど風が冷たくキャシーの髪を横になびかせたが、キャシーは決して下を見ないように、ただ塔の頂上だけを見つめ登り続けた。


 キャシーが一番上の鉄の台にやっと顔を出すと、エリザベスが月の光を背に彼女を待っていた。


「随分ゆっくり登って来られたのね。私、待ちくたびれてしまいましたわ」


 エリザベスは嫌味を言いつつキャシーに近付いてきた。


「先輩をこんな所に呼び出して、ただで済むと思っているの?エリザベス」


 キャシーは自分とほとんど変わらない身長のエリザベスに詰め寄った。3年生として1年生なんかに迫力負けしてなるものか・・・。キャシーはなるべく上から彼女を見下すように見た。


「あら、どうしてただでは済まないんですの?」

「ここは立ち入り禁止なのよ。そんな所に勝手に入って、あまつさえ先輩を呼び出したのよ。退学を覚悟しての呼び出しでしょうね」


 だがエリザベスはキャシーの脅しに全く怯える様子も見せずにニヤッと笑った。


「そういう意味でなら、キャシー先輩の方が立場が悪いんじゃありません?本来なら教官なり警備員なりに知らせて、こんな場所にやってきている1年生を止めるべき立場の3年生が、何の手も打たずにのこのこやってきて、しかも機動以外は登ってはいけない塔の上まで登って来たんじゃありませんか?」


 キャシーはぐうの音も出ずに黙り込んだ。確かにエリザベスの言う通りだ。だがあの手紙を見て我を忘れたキャシーには、そこまで頭をめぐらせる余裕さえなかった。自分のミスに腹が立ったが、ここまで来た以上、腹をすえるしかないと覚悟を決めた。


「いいわ。お互い退学覚悟の話し合いと言うわけね。・・・で、一体何の話なの?」

「さすがキャシー先輩・・・と言いたい所ですけど、私はキャシー先輩とお話なんてするつもりはさらさらありませんのよ。だってキャシー先輩って、凄く憎たらしいんですもの」

「はあ?」


 よくもまあ、本人を目の前にしてそこまで言えるものだ。キャシーは腹が立つより、呆れて物が言えないと思った。


「だって、キャシー先輩って私とキャラが重なるんですもの。同じ淡いブルーの瞳に同じ栗毛色の髪、頭も良く策略家。それにとってもかわいいし・・・・」

「か・・わ・・?」


 キャシーは怒るべきなのか照れて真っ赤になるべきなのか、とにかくうろたえてしまった。生まれてこのかた、かわいいなどと他人から言われた経験はほとんど無かった。小さい頃も大抵かわいいともてはやされるのは弟の方だった。


 だからキャシーはエリザベスのように自分の容姿に自信を持った事は一度も無かった。それで顔より頭を磨いたのだ。それに絶対口には出したくないが、平凡な自分に比べてエリザベスの方が数倍かわいらしく、愛らしいのはキャシーも認めていた。


 同じブルーの瞳でもエリザベスの方が魅力的だと思うし、彼女の毎日ホットカーラーで丁寧に巻いているような見事な巻き髪と比べて、自分のはただふわふわと広がっているだけだ。第一そんな努力をしても潜水は毎日必ず海に潜るので、一時間かけて巻いた髪などわずか一秒で崩れてしまう。そんな無駄な事に費やす時間はキャシーには無かった。


 そんな自分をいつもかわいい私の妹と呼んでくれるのはシェランだけだった。だから私はエリザベスにやきもちを焼いていたのかもしれない。シェランと並んでいる時、2人は本当の姉妹のように輝いて見えたから・・・。


 いえ、違うわ。もう一人・・・・・。



「聞いておられますの?キャシー先輩!」


 エリザベスのムッとした声にキャシーは慌てて思考を戻した。エリザベスはいつの間にか、いつも機動が登ったり降りたりしている張り出し台の所に立っていた。その張り出し台はプールの飛び込み台と同じで、その足元の台の下には何も無い空間があるだけだ。キャシーはそれを想像しただけで足元がゾクッとした。


「ですから、キャシー先輩は私の挑戦を受けなければならないのです。お分かりになられました?」

「・・え・・・・」


 いつの間にそんな話になっていたのだろう。まあ、人の話の途中で考え事をしていた自分が悪いのだが、今ちょうど大切な事を思い出そうとしていたような・・・・。いえ、今はこの生意気な後輩を懲らしめるのが先だわ。


「挑戦?3年生の私に1年生のあなたが、一体何を挑戦しようと言うのかしら?」


 月の光を背に張り出し台の上で直立したエリザベスは、そのかげりの中でニヤッと笑うと、いつも機動が使っている4センチもある太いロープを掴んだ。


「機動の先輩って凄いですわね。こんな何の変哲も結び目も無いロープを登ったり降りたり・・・・。キャシー先輩。そんな安全な場所に居ないでこちらにいらっしゃいませんこと?このSLSには臆病な潜水士など必要ありませんわよね」

「もちろんだわ」


 キャシーが一歩足を踏み出すごとに鉄の板がカツーンと冷たい音を奏でた。自分に向かって挑戦的な笑みを浮かべているエリザベスの居る場所に向かいながら、キャシーは自分にとってとても大切な記憶を思い出していた。





 あれは巡洋艦の狭いキャビンの中で、エバとシェランの3人でパーティの準備をしていた時だった。エバはさっさと着替えて化粧や髪を整えると、いつまでもふわふわの髪をどうしていいか分からず、もたもたしているキャシーの髪を上手に束ねて結い上げた。


「素敵だわ、キャシー。そのドレスもとても似合っているわよ」


 エバが鏡の中のキャシーを覗いて叫ぶと、シェランもやって来た。


「本当。とってもかわいい!」


 だが、エバはまだ何の準備もしていないシェランをチラッと横目で見た。


「教官、何やっているんです?生徒の事を褒める前に、とっとと着替えてください。まだ髪もしなきゃいけないのに」

「わ・・・私はいいわ。こんな胸の開いたドレスを着て人前に出るなんて・・・」

「教官、まさか出ないなんて言うつもりじゃないでしょうね。生徒に手間をかけさせないで下さい。さあ、脱いで!」

「あ、あの、でも・・・・」


 エバに無理やり例のドレスに着替えさせられているシェランを気の毒そうに見た後、キャシーは鏡に映った自分をもう一度見つめた。


 生まれて初めて着たドレスは明るいレモンイエローで、日に焼けた肌を余計強調するようだった。平凡な生まれの平凡な自分が、世界中から注目されている人々が集まるパーティに出るなんて・・・。しかもエスコートをしてくれるショーンはハリウッドの映画を製作する会社の社長令息で、そんなパーティには慣れっこに違いない。きっと不慣れでみっともない私をパートナーとして出席するなんて恥ずかしいと思うだろう。



「きゃああああっ!」


 突然の叫び声にびっくりして振り返ると、シェランが全身が映る姿見の前で呆然と肩を震わせていた。


「何これ!嫌よ、こんな姿でジュードに会うなんて・・・。絶対に嫌!」


― え?ジュード・・・? ―


 エバとキャシーは思わず顔を見合わせた。


「ウェイブ・ボートで彼がどんな顔をしていたと思う?ウェイトマン所長と私があの派手なドレスで入場して来た時、ずっと目を逸らして怒っていたのよ。今度は絶対言われるわ。『シェラン、SLSの教官としてのたしなみを思い出した方がいいんじゃないか?』」


 シェランの口真似があまりにもジュードにそっくりだったので、エバとキャシーは思わず笑ってしまいそうになったが、シェランはとても真剣だった。それでやっと2人は気付いたのだ。シェランはジュードをもう子供とは思っていないのだという事を・・・。


 その内にシュレイダー大佐が迎えに来て、自分達のキャビンに戻ったのだが、シェランはあくまで行かないと言い張った。


「教官。ジュードが目を逸らしていたのは照れていたからで決して怒っていたからじゃないですよ。今日だって教官のエスコートが出来るのを楽しみにしてますって・・・」


 エバがシェランの隣に座って彼女の顔を覗き込んだが、シェランは泣きそうな顔をしてただ首を振るだけだった。


「そうですか、分かりました。じゃ、ここにジュードを呼んできますわ。彼の口から直接感想を聞いてみたらいかがです?」

「エバ!やめて!」


 エバは、高い靴のせいで立ち上がることも出来ないシェランをおいて、さっさとキャビンを出ようとした。


「エバ、やめてあげて。私だって恥ずかしいもの。出来るなら行きたくないわ」

「何言っているの。あんたは充分かわいいし、教官は超が3つ付くくらい綺麗なのよ。2人共、もっと自信を持ってもらわなきゃ困るわ」


 VIPのご子息と知り合いになれるチャンスを潰したくないエバは、今だれよりも強かった。彼女はドレスの裾を翻してさっさとキャビンを出て行ってしまった。キャシーは情けない顔で座っているシェランの側に行って膝の上の手を握った。


「教官、歩く練習だけでもしましょ?私が支えていてあげますから」


 シェランは小さく頷くと、キャシーの手を支えにしてゆっくりと立ち上がり、彼女に微笑みかけた。そのシェランをキャシーは本当に美しいと思った。


― ジュード、良かったね。教官はジュードにだけはみっともない所を見られたくないのよ。私は別に・・・ショーンにだけはとは思わないけど・・・。でも、やっぱり会うのは恥ずかしいなぁ・・・・ ―


 そして彼らはやって来た。ジュードが教官を見てびっくりしている顔ったら無かったわ。真っ赤になって目を逸らしているんですもの。そして彼は・・・ショーンは、恥ずかしくて動けなくなっている私の髪に小さなバラの花束のコサージュをつけると微笑んで言ったのだ。


「ほら、やっぱりこっちの方がかわいいよ。これで何処から見ても立派なレディだ」




 キャシーは自分がエリザベスのように誰から見てもかわいい女の子では無い事を知っていた。そして立派で魅力的なレディにはなれない事も分かっていた。だからせめて、そんな風に言ってくれたショーンにも親友のエバや大切な教官や潜水課の仲間の為にも、彼らが何時だって誇りに思える仲間でいたい。高さが怖くて逃げ出した臆病者だとは決して呼ばれたくは無かった。


 キャシーは張り出し台の端まで来ると、エリザベスと同じように目の前に垂れ下がっているロープを掴んだ。


「これでどちらが先に下に降りるか競おうって訳ね」

「さすがキャシー先輩。でも命綱は無しですよ。それでもよろしくって?」

「望む所よ」


 機動がロープを上り下りする時は、皮やナイロンで出来た専用のグローブを使っている。でなければ、激しいスピードで降下する時、手がずるむけになってしまうからだ。もちろん今、キャシーの手もエリザベスの手も生身のままだ。用心して下りなければ、すべってロープを手放してしまう危険性もある。


「それで?私が勝ったら何をしていただけるのかしら」

「キャシー先輩の望みは?」


 キャシーは大きな目でエリザベスをねめつけた。


「もちろん二度と私に生意気な口を聞かない事。それから私達のリーダーに手を出すのもやめてもらいましょうか。知らないとでも思ってた?」

「ジュード先輩の事はキャシー先輩には関係ないと思いますけど?」


 エリザベスはシラッとして答えた。


「どうせ遊びのくせに。自分に振り向かない男を振り向かせたいだけなんでしょう」


 エリザベスはまるで歌うように高い声で笑った。


「確かに、ジュード先輩にはびっくり。普通泣きながら胸にしがみついてきた女の子を引き剥がします?でもそういうお堅い所がとってもステキ。キャシー先輩には分からないでしょうけど・・・・」


― 分るわよ ―


 キャシーは内心ムッとしながら思った。ジュードは自分が本気で好きになった人にしかそんな事はしない。特に自分の仲間や後輩に、いい加減な気持ちで手を出すなんて、彼には考えられない事だろう。


「あんたが本気でジュードを好きなら、私に勝って御覧なさい。そしたら彼とデートさせてあげるわ」

「その言葉、お忘れなきように・・・・」


 キャシーは片手でロープを手繰り寄せると、月を見上げた。


「3・・・」

 

 エリザベスのカウントが始まった。


「2・・・」


 キャシーはぐっと息を吸い込み、両手でロープを握り締めた。


「1・・・・」


 しかし“GO”の合図がある前にキャシーは急に背中を押され、その足は張り出し台から空へと跳んだ。びっくりしたキャシーは一瞬手を滑らせたが、何とかロープを3メートル滑り落ちた所でもう一度両手でロープを握り締め、あわや落下するのを免れた。


「キャシー!」


 鉄塔の下で様子を見ていたレクターが小さく叫んだ。救助マットをいつでも出せるように構えている者達の間に緊張が走った。ジュードもただひたすら上空を見つめていた。



 ギイィィィッ・・・・。


 軋むような音を立てながら、ロープはキャシーの重みで揺れていた。振り落とされないようにするのに精一杯だ。


「何をするの、エリザベス!」


 キャシーが上を見上げると、張り出し台の上から腰に手を当てたエリザベスが勝ち誇ったように見下ろしていた。


「おほほほっ、嫌ですわ、キャシー先輩ったら。本気でこんなロープを滑り降りたら、手がすりむけて散水ホースが握れなくなっちゃうじゃありませんか」

「はぁ?じゃあ何。最初から私を騙すつもりだったのね、何て卑怯者なの!」


 だがエリザベスはこの“卑怯者”と言う言葉さえ心地良さそうに受け止めた。


「あら、最初に言いましたでしょ。私はあなたが憎たらしいんだって。そんな人間を信じるなんて、まだまだ甘いですわね、キャシー先輩」


 キャシーの摑まっているロープはまだ音を立てて揺れていた。既にキャシーは下を見る勇気も降りる勇気も失っていた。


「そのまま朝まで頑張っていれば、機動の誰かが来て助けてくださいますわよ。では私はこれで・・・」


 エリザベスは最後の捨て台詞を吐くと、もはやキャシーには目もくれずに梯子をつたって降りてしまった。


 キャシーは力を失っていく手を何とか握り締めながら、悔しさに唇をかんだ。エリザベスはとことん私が憎いのだ。だから朝までここに居させて恥をかかせた上で、退学にでもなればいいと思っているのだ。



 キャシーは泣きたいのを堪えながら上を見上げた。ロープの付け根であるクレーンの端はまだ揺れるのをやめていなかった。下に降りれなければ、上に登ればいいんだ。キャシーは揺れが収まるのを待って、3メートル上の張り出し台まで登る事にした。このままここで朝になって自分が恥をかくだけならいい。だが、チームに迷惑を掛けるのだけは避けなければ・・・・・。





 談話室でサムやダグラスと話しこんでいたエバは、壁の時計を見上げてびっくりして立ち上がった。


「やだ、もうこんな時間。寮に戻らなきゃ」

「え?で、でもさ。まだダグラスのガールフレンドの話が・・・」


 サムは何とかエバを引きとめようとした。この時間に女子寮に戻られたら、校庭にはもう出られなくなるからだ。


「それは又明日ね」


 エバが立ち上がった時、急に机の上に置いた携帯が鳴り響いた。エリザベスからだ。エバが電話に出るとエリザベスは泣きそうな声で叫んだ。


「エバ先輩、助けて!キャシー先輩が死んじゃう!」




 エバがサムやダグラスと共に鉄塔に駆けつけたのは、それからすぐであった。上を見上げるとエリザベスが言ったように、3本あるロープの1本に小さな人影がしがみついているのが見えた。


「ちょっと、何とかしてよ!サム、ダグラス」


 エバが2人を振り返ったが、彼らはとんでもないという風に首を振った。


「冗談だろ?あそこまで何メートルあると思ってるんだ?」

「何言ってるのよ。機動との合同訓練で、この鉄塔を使った事あるじゃない」


 エバは彼らに必死に頼んだ。自分ひとりの力ではキャシーを助けられないかもしれないからだ。


「そうだ。機動の奴らを呼んでこよう。そしたらすぐに助けてくれるさ」


 サムの信じられない言葉に、エバはカーッとなって叫んだ。


「何言ってるの?あれが見えないの?呼んでる暇なんかあるわけないでしょ!?もういいわよ!あたしが行くわ!」


 エバは冷たい鉄梯子を握り締め、たった一人で登り始めた。


「全く・・・男なんて・・・!」


 長い梯子の途中でエバは毒づいた。そしてそれは、いつもキャシーが言っている言葉だと気が付いた。そうだ。どうして男なんてあてにしようと思ったんだろう。私達は何時だって2人。女2人で頑張ってきた。どんな時でも励まし合って・・・・。




 一年の半ば頃、男子についていけなくて、情けなくて悔しくて、ベッドの上で怒り狂って枕を投げ飛ばしていた私にキャシーは言った。


「私も悔しい。だってエバが負けるはず無いもん、負けるはず無いもん!」


 泣きながらキャシーが自分の枕を彼女のベッドに叩きつけた。2人は何度も思い切り枕をぶつけ合い、共に泣いた。


「明日は絶対勝ってみせる!二度と“女はやっぱり邪魔だ”なんて言わせないわ!」

「うん!絶対勝ってね。私も負けないから!」


 そう言って2人が笑い合った時、部屋中に白い羽毛が飛び散って、まるで天国に来たかのようだった。

 




 やっとロープの揺れが収まったので、キャシーは慎重に左手を放し右手の少し上を掴んだ。


― 大丈夫。いけるわ・・・ ― 


 頭の中で呟くと次に右手を放し、もう一つ上へ・・・。そして左手。しかし左手はロープを掴んだ瞬間、ズルッと滑った。


「キャア!」


 それと同時に身体もずり落ちる。何とか必死に両足をロープに絡み付けて止まった。荒い息で見上げると、張り出し台は更に遠くなっていた。


― もう嫌・・・・ ―


 悔しさと、いつ落ちるかもしれないという恐怖でにじむ涙をぐっと堪えて、もう一度挑戦を始めた。だがほんの50センチ登った所で、キャシーはもう自分の体重を支えるので精一杯になってしまった。


 SLSの潜水士がこんなロープも登れなくてどうするのよ。そうは思うのだが、命綱の付いていない状態でこんな高い場所に取り残されたのは初めてだった。


 もう駄目だ。朝までなんて、絶対もたない。ここから落ちたら死ぬのかな・・・。もしよしんば生き残ってあのエリザベスの事を訴えても、誰が信じてくれるだろう。



 辛くてどうしようもなく悲しい時、何時だって笑ってくれた親友は、あの根性の捻じ曲がった策略家の後輩の味方になってしまった。いや、きっとこのSLSの誰もが・・・ジュードやショーンでさえ、私の言う事よりエリザベスを信じるだろう。


 誰にあの小悪魔の正体が分かる?きっと彼女は知らないと言い通すに違いない。彼女からの手紙はまだポケットの中に入っているが、パソコンで打った手紙など、何の証拠にもならない。


 キャシーの目からぽろぽろと涙が零れ落ちてきた。ただ悔しかった。せめて最後にもう一度、エバに会って謝りたかった。


「エバ、どうしてここに居てくれないの?何時だって一緒だったのに・・・・」


 自分の手が力を失っていくのを感じる。もう駄目だ・・・。そう思った瞬間、キャシーは今一番会いたい親友の名を叫んでいた。


「エバーッ!!」



「ここにいるわよ!」


 突然響いてきた声に、キャシーはぎくりとして目を開けた。エバが鉄塔の間から顔を出して、自分を見ている。キャシーはそれが限界に来ている自分が作り出した幻だと思ったが、その幻はいつものキラキラと強く輝く黒い瞳でしっかりと彼女を見ていた。


「キャシー、私が両手を差し出すから、ロープを放して両手で私の手首を掴んで。絶対に助けるから。いいわね?」


 キャシーはまるで夢を見ているかのようにゆっくりと頷いた。たとえ目の前のエバが幻で、ロープを放した瞬間に消えてしまっても構わないと思った。どうせあと数分もすれば落ちる運命なのだ。



 エバは両足をしっかり広げて、下半身に力を入れると両手を鉄塔の外に差し出した。


「いい?行くわよ。3・・・」


 鉄塔の足元で上を見上げているジュード達の手に力が入った。


「2・・・・」


「マット隊、準備」

 ジュードが仲間に合図を送ると、鉄塔の影に隠れていたマット隊が出てきて、地面にマットを備えた。


「1・・・来て、キャシー!」






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