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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第16部 新入生 【1】

 ジュードとシェランがマイアミに戻って来た次の日から、新しい学年の1年が始まった。逆転していたジュード教官とシェランの関係は再び教官と生徒に戻った。それでも、ジュードとシェランにとってこの夏は2人だけの特別な夏だった事には変わりはなかったし、他の生徒達もそれぞれの家で楽しい夏休みを送ったようだ。


 ハーディは実家の近くに住む幼馴染の女の子と再会し、遠距離恋愛がスタートした。アズは合宿(もちろん2人の姉と母にちゃんと了解を得て行った)で潜水記録を更に伸ばした。キャシーは不器用な父親がやっと出会った素敵な女性とうまくいくように奔走していたし、エバはサマーキャンプで会ったスマートな男性とメール交換して楽しんでいる。


 その他の男子諸君は、嬉しい出会いがあったり、彼女が出来たとかいう浮いた話は無いものの、普段と変わらぬ、それなりに楽しい夏を過ごした。



 しかし、いつも脳天気で明るいショーンだけは最悪の夏休みだった。久しぶりに帰ってみると、彼の溺愛する妹レイティア・ウェインにボーイフレンドが出来ていたのだ。レイティアも今年13歳でそろそろそんな人が出来てもおかしくは無いのだが、ショーンの知らない内に・・・というのが問題であった。


 散々別れるように彼女を説得し、様々な裏工作を試みたが、ことごとくレイティアに見破られ、最後には「もう!お兄様なんて大嫌い!!」と言われて、身も心もフラフラになってSLSに戻ってきたのだった。


「お前なぁ、いくらなんでも妹に干渉し過ぎだぞ。そりゃあレイティアちゃんだって怒るぜ」

 落ち込んでいるショーンに、サムが追い討ちをかけた。


「何言ってるんだ!レイティアは2年前子役でデビューして、今年ももう2本映画の出演が決まってるんだぞ!そんな大事な時にボーイフレンドなんてもっての外だ!大体マネージャーのエイモスは何をやってるんだ!事務所も事務所だ。そんな事を許すなんて!」


 怒り狂うショーンの肩をピートが叩いた。


「今時古いぞ、お兄ちゃん。女優になるんだったら山のように恋愛して、演技に役立てるもんだろ?ボーイフレンドの1人や2人で目くじら立てていたら身が持たんぞ」


 仲間達がどんなに説得しても、ショーンの耳には耳障りなラジオがどこかで鳴っているようなものだった。なぜなら以上のようなセリフは、妹の為とはいえ、あまりにも醜い妨害工作を仕掛ける彼を見かねた昔の友人達に、夏休み中言われて来たのである。


「とにかく駄目と言ったら駄目なんだ!あんな今年デビューしたての俳優とも言えない芋ガキと付き合うのは!」


 そっぽを向いてしまったショーンに、仲間達はお手上げのポーズを取った。



 そんなショーン以上に不機嫌な男が、もう一人SLSに居た。クリストファー・エレミスは新学期が始まって最初の授業を終えると、さっさと教科書やノートをまとめ、足早に自分の教官室に飛び込み、バーンと音を立てて扉を閉めた。彼は机の上に持っていた本やノートを投げ捨てると、まるで本人が目の前に居るかのように文句を並べ立て始めた。


「一体どういうつもりなんだ?シェラン。夏休みの終わるギリギリまで旅行に行ってるなんて!君のあの時の口ぶりでは、ほんの2,3日か一週間で戻れそうだったじゃないか!(シェランは言ってないが、クリスは勝手にそう理解していた)


 君が帰ってきたら、すぐにでもデートに誘おうと思って僕は早目に実家から戻って来たというのに、君ときたら何時まで経っても家を空けたままだ。おまけに携帯も全く通じないし・・・!」


 クリスはくるりと向きを変えてドアの方に向くと更に続けた。


「大体、近頃の君はちょっとどうかしてるんじゃないか?いくらチームのリーダーでもジュードの事を特別視しているとしか見えないぞ。もっと教官らしくびしっとしないから、あいつに名前を呼び捨てにされるんだ。それにだね・・・・!」


 更に白熱の様相を見せていた彼の語りは、ドアをノックする音で中断された。


― 誰だ!これからが一番彼女に言ってやりたいセリフなのに・・・! ―


 クリスはムッとしてドアに近付くと「何だ!」と声を荒げながら、乱暴に目の前の扉を開けた。そしてすぐにびっくりして後悔する事になった。シェランが大きな瞳を更に大きく開いて、怯えたように立っていたからだ。


「あ・・や、やあシェラン。ひ・・・久しぶりだね・・・。え・・・と・・・」


 クリスは今朝、シェランと久しぶりに会った挨拶を交わしたのも忘れて再び挨拶をしてしまった。シェランはちょっと困ったような顔をした後、彼の部屋へ目をやった。


「あ・・・ああ、どうぞ。僕一人だから」

「でも・・・話し声がしたような・・・」

「話し声?まさか・・・」


 クリスはさっきまでの勢いなど、どこかへ吹っ飛んでしまったかのように慌ててごまかしながら、シェランを部屋に招き入れた。ノートパソコンを抱きしめたまま、部屋の右端に押しやられているソファーに座ったシェランに、クリスは急いでコーヒーを入れると持って来た。


「それで・・・何か?」

「あ、ええ。まだロビーには話してないんだけど、先にクリスの意見を聞きたくて・・・」


 その言葉でクリスの気分は一気に晴れ渡った。やはりシェランが頼りにしているのは、この僕しか居ないのだ。


「ああ、もちろん!何でも言ってくれていいよ」


 シェランはオレゴンの山中で考えていた計画を話しにきたのだ。


「私、お休みの間に色々考えたんだけど、クリスは一般の教官でしょ?だから一般課の生徒の事はBチームだけでなく、AやCチームの事も全部把握していると思うの」

「ああ、もちろんそうだね」


 クリスはコーヒーを飲みながら軽く答えた。


「ロビーももちろん機動に関してはそうだと思うわ。私もね・・・」


 シェランは膝の上に置いたノートパソコンを広げると、テーブルの上においてクリスの方に向けた。そこには潜水課の生徒一人一人について細かなデータが記されていた。それも1回ごとの授業の内容や誰が何をしたかや、欠点と対策などが細かく分類されている。クリスは画面をスクロールさせて、Bチームの潜水の記録を見てみた。



 9月17日  今日から深海作業訓練に入る。


 訓練内容:それぞれの限界深度の測定。120フィート下に置かれたスクランブルゲージの中に隠されたカラーボールを探し出し、水面に持って帰らせる。


  氏 名      深度              順位


ハリー・マザック  178F  前回より3Fダウン  5    深海作業にまだ慣れていない。


ヘンリー・グラハム 257F  前回より5Fアップ  1    2位のザックをかなり意識している。

                                     人を押しのけてもという態度がある。


ジェイムス・ケリー 107F  前回より7Fアップ  6    120Fと言うだけで臆病になった様子。

                                     訓練次第で回復する見込み。


・・・・・・・・・     ・・・・    ・・・・・・・・・    ・・    ・・・・・・・・・・・・・

            


―これは、凄い・・・―


 クリスは内心驚きながら、生徒の2年生の時の記録を見ていった。毎日、彼らがどれ程成長して行くのかが手に取るように分かった。いつも遅くまで教官室に残っているのは何か理由があると思ったが、こんなものを毎日つけていたのか・・・。


 特にクリスが興味を引かれたのはヘンリーとザックの記録だ。ヘンリーの激しやすい性格。ザックも良く似た所があるが、彼は決してそれを表に出さない事。互いを意識しすぎて2人が実力を伸ばせない事も、この記録を見ていれば分かってしまう。



 確かにこの頃、リーダー選別を巡って彼らはライバル心むき出しに競い合っていた。だがクリスはそれをいい意味で捉えていた。ライバルと競い合うのは互いの実力を伸ばす事になるからだ。だがシェランは授業を通して、それが反対に彼等の力を相殺してしまうと判断していたのだ。


 リーダーを決めるに当たってクリスが思い悩んでいる時、シェランは「決めるのはリーダーだけじゃないのよ」と言った。その言葉でクリスはヘンリーとザックを副リーダーにする事にしたが、今ではそれが実に的を射た意見だったと確信できる。


 おかげで今Bチームはとてもいい雰囲気だ。サミーがいつも下手に回ってヘンリーとザックを立てているのもあるが、そんなサミーに彼らは実に良く協力し、互いのいい所をチームに生かしている。行動力のあるヘンリー、頭脳派のザック。2人は副リーダーとしてそれぞれの役割を分け合い、チームメイトを引っ張っている。シェランはチームの担当教官のクリスよりも、彼等の事を理解していたのだ。


 そしてそれは記録の最新の部分を見ても分かった。彼らは潜水士として、人間として、そしてライフセーバーとして、そして何よりもSLSのチームメンバーとして大きな成長を遂げていた。これなら1年後、どこの支部に行っても通用する筈だ。



 食い入るように画面を見つめているクリスを見て、シェランはにっこり笑った。


「でもね、クリス。いくら自分の担当課の生徒の事を全て把握していても、自分のチームの他のメンバーの事がなおざりになってしまうのはどうかと思うのよ。それで考えたんだけど、こういった生徒の成長や記録をロビーと3人で交換し合わない?そうすれば自分のチームメンバー全てを把握する事ができるでしょう?」


 パソコンの画面に見入っていたクリスは一瞬「え?」と言いつつ顔を上げた。


― 生徒の記録を交換? ―



 自慢ではないが、クリスは自分でも非常に明晰な頭脳の持ち主だと自負している。だからもちろん、自分の課の生徒の事は全て頭に入っている。・・・のだが、入っているだけで、シェランのこのような記録を見せ付けられると、確かにこちらの方がずっとクリエイティブで実践的だ。


 ロビーもパソコンは使えないが(肉体派の彼の部屋にはパソコンは置いていない)生真面目で細かい性格ゆえに、生徒の記録をノートなどにしたためている可能性は高い。そういえば、ロビーはいつも授業の時クリップボードを持っている。あれに毎回授業の記録をつけているのだ。


 ・・・となると、3人でミーティングをした時、手元に何も資料が無いのは僕だけじゃないか・・・!冗談じゃない。シェランの前でそんな恥をかくぐらいなら、いつも機動が使っているあの鉄塔の上から命綱無しでダイビングした方が余程マシだ。


 だが、生徒の3年分の記録を頭から引っ張り出して全てをデータ化し、まとめ上げるなど至難の業だ。クリスは笑顔で提案の答えを待っているシェランを見ながら、じっとりとシャツに汗がにじんでくるのを感じた。


「そうだね。それはとても素晴らしいアイディアだ。いやあ、実は僕も多少は気になっていたんだ。Bチームの一般の事は詳しいのに、他の機動や潜水のメンバーの事が分からないなんてね。でも、少し時間をくれないかな?そう・・・1ヶ月か・・・いや2、3週間もあれば充分かな。僕も生徒の記録はボツボツ取ってあるんだが、何しろ忙しくてね。少しまとめなきゃならないんだよ」


「何もそんなに完璧でなくてもいいと思うわ。少しずつ互いのメンバーの事が分かり合えればいいんじゃないかしら」


 クリスはまるでシェランに話はもう終わりにしようと言わんばかりに立ち上がると、パソコンを閉じて同じように立ち上がったシェランをドアまで送りながら言った。


「いやいや、それではせっかくの君の素晴らしいアイディアが無駄になってしまうだろう。そうだな、準備が出来たら僕の方から連絡するよ。3人で色々報告しあおう」

「それじゃあ、ロビーにも話を通しておいていいかしら」

「もちろん。きっとこれまでにない、充実したミーティングになる事、請け合いだね」


 シェランは嬉しそうに彼を見上げると、手を振って隣にある自分の教官室へ帰って行った。もちろんクリスも思い切り良い笑顔で手を振り、彼女を見送った。そして自分の部屋のドアを閉めた途端デスクまで突っ走り、急いでコンピューターを立ち上げた。


「とりあえず全員の名前を入力だ。最近の記録から埋めていくぞ!」


 これでしばらくクリスには、デートもやきもちを焼く時間も無くなった。

 




 こうして新しい一年が始まったわけだが、新2年生にとっては楽しみなイベントがもうすぐやって来る。9月10日は新しい1年生が入校してくるのだ。今までずっと2年、3年の先輩に気を使っていた彼ら(もちろんテリーやミルズのように全く気を使ってない人間も居る)も、やっと後輩が出来るのだ。~先輩などと名前つきで呼ばれるのは少しくすぐったくて、きっと嬉しい事だろう。


 そんな風に後輩が入学してくるのを楽しみにしている2年生を見ていると、何だかかわいいなぁと思う新3年生諸君であった。きっとアラミスやテッドもこんな気持ちでオレ達の事を見ていてくれたんだと考えると、ジュードはつい1ヶ月前に卒業していった彼らを懐かしく思った。





 そんな9月10日は、朝から異様なムードが訓練校内に漂っていた。今年の1年の中でただ一人、女子の入校が決まったのだ。1年生とはほとんど接触の無くなる3年生も、一体どんな子が入校してくるのか期待半分、怖さ半分で(彼らが1年生の時に居た女子の先輩は、ダンプのようなたくましい女性だったので)興味津々であった。



 その入学式の朝、シェランは不幸にも滅多にしたことの無い寝坊をしてしまった。クリスにしたミーティングの話がうまくまとまったので、生徒の記録をより完璧に纏め上げようと夜明け頃まで頑張ってしまったのだ。


― 冗談じゃないわ!又入校式に遅刻するなんて! ―


 シェランにはAチームの入校式の時のようにギリギリで間に合ったとしても、遅刻しそうになった事がジュードにばれたら何を言われるか手に取るように分かっていた。


 どうせあいつの事ですもの。ニヤッと笑いながら「シェラン?まさか入校式に2回も遅刻する教官なんて、ありえないよねぇ?」なんて、さもオレは知ってるんだぞと言わんばかりの嫌味を言ってくるに違いない。


 シェランは駐車場に車を止めると、ストッキングが破れるのもお構い無しにパンプスを手に持って猛ダッシュで本館に向かって走り出した。



 本館の入り口に入ると、辺りはシーンとしていて、もう皆入校式の開かれる大講堂の方に集まっていると思われた。シェランは左腕の時計に目をやった。


― 大丈夫、今ならまだ間に合う ―


 式が始まるまでに講堂の裏手から入り、何食わぬ顔で教官達の居る席に座ればいいのだ。


 だがよそ見をしていたシェランは、いきなり前に現れた何かに思い切りぶつかってしまった。


「キャッ」

「キャア!」


 女の子の叫び声に驚いて相手を見ると、まだ17,8歳の女の子が「痛あい・・・」と言いつつ、転んだ拍子にぶつけたお尻を押さえていた。


「だ、大丈夫?あなた、けがは?」


 急いで駆け寄ってきたシェランを見上げた女の子は、大きな青い目とくるくると巻いた茶色の髪が印象的なとてもかわいい少女で、彼女はその大きな瞳で固まったようにシェランをじっと見つめた。


「もしかして、シェルリーヌ・ミューラー教官ですか?」


 その言葉でシェランは彼女が今日入校する生徒なのだと分かった。


「まあ、じゃああなたは今日入学するただ一人の女の子?」


 彼女はハッとしたように立ち上がり「エリザベス・オーエンです」と名乗った。シェランはすぐそこにある大講堂の裏口を見て、心の中で小さく溜息を付いた。きっとエリザベスは初めての場所で迷ってしまったのだろう。そんな女の子を1人で大講堂の入り口から入らせたら、とても目立って恥ずかしい思いをするに違いない。


― これで完全遅刻ね。ジュードがどんな顔をするのか目に浮かぶようだわ・・・・ ―


 シェランは諦めたように微笑むと、呆然と立って自分を見つめているエリザベスの手を取った。


「一緒に行きましょう、リズ。私があなたの席まで案内してあげるわ」




 シーンと静まり返った大講堂には、ジュードが入学して来た時と同じように新しいA、B、Cチームが中央の列に並んで座り、左側の壁際に2年生、右側の壁際には3年生がそれぞれ1年生の方に向いて、やはりチーム毎に分かれて座っていた。


 かなり緊張した面持ちの1年生になめられないよう、2年も3年も普段より凛々しい表情で座っていたが、3年のAチームだけは、どうも全員落ち着かないようにソワソワしていた。それもそのはずである。既に一段高い講堂の壇上には全てのチームの教官が之もまた、SLSの隊服を着て座っているというのに、自分達Aチームの教官だけが居ないのである。


「おい!大佐はどうしたんだよ、ジュード!」

「オレに聞くな。エバかキャシーに聞いてくれ!」


 ジュードはイライラしながら隣のマックスに小さな声で叫んだ。


― 冗談じゃないぞ、シェラン。入校式に3年の担当教官が遅刻したらサマにならないじゃないか! ―


 それでなくても問題のよく起きるAチームと、妙なレッテルを貼られているのだ。ジュードがリーダーとして気を揉んでいると、とうとう時間になったのか、エダース校長が壇上に姿を現した。


― もうおしまいだ! ― 


 ジュードが頭を抱え込んだ時、大講堂の一番後ろのドアが開いて、シェランが見知らぬ女の子と共に入ってきた。彼女はもう覚悟を決めてしまったのか、静まり返って自分を見つめる1年生の間を堂々と胸を張って通り抜け、Cチームの一番前に一つだけ空いている席にエリザベスを案内した。


「どうぞリズ、ここがあなたの席よ」


 しかしエリザベスは席には座らずに壇上に居るウォルターを見上げると、深々と頭を下げた。


「遅れて申し訳ありません、エダース校長先生。1年Cチームのエリザベス・オーエンです。実は女子寮からこの講堂に向かう途中で迷ってしまい、困っていた所をシェルリーヌ・ミューラー教官が探しに来て下さったのです。おかげでここに無事着くことが出来ました。ありがとうございました、ミューラー教官」


 エダースはにっこり微笑んで「ああ、女子寮からここへは少し入り組んでいるからね」と言うと、彼女達に席に着くよう促した。



 いつもの様に校長の祝辞が始まると、ピートが隣のキャシーにそっと囁いた。


「なかなかやるね、あの女の子。これでシェラン教官の一番のお気に入りは、キャサリン・リプスからエリザベス・オーエンに移ったかな?」


 キャシーはムッとした顔をすると、ピートを睨みつけた。




 こうした事情もあって、エリザベスは入学した時からSLS中の注目を集めていた。もちろん、彼女のライフセーバーらしからぬ愛らしい表情や雰囲気も人気の理由で、食堂などに彼女が姿を現すと1年生の男子生徒は皆、エリザベスの居るテーブルで一緒に食事を取るのを競い合った。


 後輩に女子が入って来たら、さぞかし楽しいだろうと思っていたエバも、これにはムッとしてしまった。エバが入学した時は、同学年も先輩もエバを決して特別視したりしなかった。彼女にとってはその方がありがたかったが、1年の女子が他の男子生徒にお姫扱いされているのは、同じ女として面白くないものだ。


 一方キャシーは別の意味でエリザベスを敵対視していた。何が腹立たしいといって、入校式の終わった後、シェランがすぐエリザベスの所に行って彼女の手を握り締めて微笑んでいたのが一番許せなかった。その時以来、ピートに言われた言葉が耳について離れなかった。



 そんな理由もあって、エバとキャシーは普通なら1人でやって来た後輩が寂しがっているだろうと部屋に遊びに行ったりするものだが、彼女が隣の部屋に入寮してから一度も尋ねた事は無かった。エリザベスの方も入校式の前の日に一度挨拶に来たきり2人の部屋へ行く事は無かったので、エバとキャシーはエリザベスに対して最悪の印象を抱いたままだった。



 そんな女子の問題には首を突っ込まないのが男にとって何より無難である。入校式の時キャシーをからかったピートを始め、Aチームの男子はエバとキャシーの前ではエリザベスの“エ”の字も出さないようにしていた。それに3年生はそんな個人の事情をいちいち考慮している暇は無いのだ。



 1年の面倒を見たり、学校行事の中心になったりするのは、ほとんど合同訓練などで顔を合わせる2年生の仕事になり、3年生にはSLSの最高学年としての義務と責任が嫁せられる。いよいよ訓練校の外へ出て、プロのライフセーバーとの合同訓練を経た後、3チームしかない本部隊員の片腕として、本当の救難現場にも同行する事になるのだ。


 他の支部にはいくつもチームがあるのに本部には3チームしかないのは、そういった訓練校と連携が出来るという利点もあるからだ。とはいえ、幾ら2年間修行を積んできているとはいえ、3年生もプロの世界では足手まといになりかねない事は分かっていた。


 それ故、3年の教官達は2年の時とは比べ物にならないほど厳しい訓練を始めるのだ。ロビーは経験者だがシェランとクリスは3年生を受け持つのは初めてになるので、それは彼らにとっても試練であった。


 


― 厳しい訓練 ―


 それは確実に死の危険性を孕んでいる。教官はその訓練を課せながら、訓練生を守らねばならないのだ。連日の教官会議でロビーにはシェランとクリスにそれを教える役目があった。


 特に生命の危険と常に隣り合わせの潜水課を受け持つシェランは、その重責と毎日必死に戦っていた。時には自分の事を嫌っているアダムス・ゲインにも頭を下げ、教えを請うた。何といってもアダムスはここでは一番経験の長い教官なのだ。そしてクリスも一般の生徒に炎の中の厳しい訓練を課せつつ、シェランとの約束を守るために毎夜、生徒の記録を作り続ける毎日を送っていた。




 そんな教官達と同じように大変なのが各チームのリーダー、副リーダーであった。2年の時は月に一回だったリーダーミーティングは週に一度に増え、教官との打ち合わせなども加わった。特にリーダーは卒業後チームを引っ張っていく要となるので、彼らにはそれ専用のカリキュラムも用意されていて、リーダーミーティングの際に各課の教官にみっちり教えられる事になっていた。



 そんな中でもジュードは以前からやっていたスポーツクラブのプール監視員のアルバイトを続けていた。ミーティングやらリーダーとしての用事で随分日数は減ったが、何とか両立できる様に頑張っていた。手元の資金が少なかったのもあるが、何かあった時、以前のように仲間からカンパをされなければ何も出来ないような事態にだけはしたくなかったのだ。





 夜の11時頃、久しぶりのバイトからジュードが自転車に乗って帰ってきた。平日の夜はお年寄りの会員が居るので気は抜けないが、水泳教室の子供は居ないので比較的気分は楽だ。


 いつものように男子寮に向かう道を走っていると、ふと本館の裏手で白い影を見たような気がした。


― 誰だ?こんな時間に・・・ ― 


 ジュードのように許可を貰っている訓練生以外は、もうとっくに寮に居なければならない時間だ。もしかしたら不審者かもしれない。ジュードは自転車を降りて、その影が横切って向かった本館の入り口に近付いて行った。案の定、その誰かは本館の扉を開けようとしている。


「君、何をしているんだ?」


 鋭い声にその人物はビクッとして扉の取っ手から手を離した。こちらも振り向かずにじっと後ろを向いたまま立っているのを見て、ジュードは益々不信感を抱いた。もしかして泥棒だったら、振り向きざまに撃たれる危険性もある。マイアミはオレゴンよりずっと危険だとジュードは知っていた。彼は用心しながら黙って後ろを向いている人物に近付いていった。


「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。中に入って何をするつもりだ?」


 だがその人物はいきなり声を上げて泣き始めると、ジュードの懐に飛び込んできた。


「ごめんなさい、先輩!私、迷子になっちゃって・・・!」


 ジュードはびっくりして、その人物の両腕を掴んで自分から引き離した。


「君は・・・」


 ピンク色の頬に掛かる栗色の巻き髪、淡いブルーの瞳からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。それがいまSLS中の男子から注目されているエリザベス・オーエンだった事に、ジュードは更に驚いた。


「私・・・私、今日マイアミでどうしても買わなければいけないものがあって、一人で出かけていたんです。でも帰り道が良く分からなくて・・・。ここには誰も知り合いなんか居ないし、電話も出来なくて、それでこんな時間に・・・」


 ジュードがびっくりして大口を開けている間に、エリザベスは泣きながら言い訳をした。本来ならエバやキャシーが彼女の面倒を見ているはずで、そんな時は2人に助けを求めるのだろうが、最近の彼女達の様子からエリザベスの事を毛嫌いしている事は少々鈍感なジュードも気付いていた。


「そんな時は寮長であるシェラン教官に連絡をすればいいんだよ。必ず助けに来てくれるから。明日にでも教官の携帯番号を聞いておくといい」


 ジュードは落ち着いてそう言うと、本館の扉を開けた。女子寮には本館の中を通らないと行けない事になっているのだ。


 本館を入るとすぐ右手に大食堂があり、いつもジュード達が見ている掲示板なども並んでいて、その前には2階へ上がる階段がある。それから更に奥へ行くと十字路になっており、左に行くとこの間1年生が入校式を行った大講堂。右に曲がって次に左に曲がると、裏口に出る。


 裏口のドアの前には警備員室があり常時警備員が待機していて、時々本館の管理を任されているケーリー教官が、そこで仲良しの警備員とコーヒーを飲みながら話をしていたりする。


 男子生徒(男性教官も含む)はその先には行けないことになっていた。裏口から向こうには女子寮があるからだ。もし興味本位で警備員の目をくぐりぬけ、不届きにも女子寮に忍び込んだりしたら、即刻退学処分になるのは間違いない。


 エダース校長はこういう事に対してはとても厳しく、校規にも『即退学に処す』と記されていた。だからジュード達はなるべく、いや入学してから一度もこの裏口には近寄った事は無かった。


 だがジュードはとりあえずエリザベスを裏口まで送る事にした。中はもう消灯されて怖い位に真っ暗だ。入校式でも迷子になったような子だから、又迷ったら可哀想だ。


「オレは男子だから警備員室の前までしか行けないけど、そこまで送るから・・・」


 そう言いつつ歩き出したジュードの後を追って、エリザベスは彼の横まで行き、ジュードの顔をその大きな瞳でじっと覗き込んだ。



「ん?何?」

「あの・・・ジュード先輩ですよね。3年Aチームリーダーの・・・」

「うん、そうだけど・・・」


 ジュードは何故彼女が自分の事を知っているのか分からずに答えた。


「やっぱり!2年の機動の先輩達が言っていました。ジュード先輩は優しくて頼りがいがあって、機動の中で一番凄い人だって・・・!」


 ジュードは思わず照れて頬を赤くしたが、すぐにくすっと笑って首を振った。


「それは、褒めすぎだよ」


 きっとそんな事を言ってくれるのはアンディかミシェル辺りだろう。ジュードは否定しながらも、後輩がそんな風に自分の事を言ってくれるのがとても嬉しかった。


「でもジュード先輩はあの高い鉄塔をたった8秒で登ってしまうんでしょう?そんな人は他に誰も居ないって・・・」


「そんな事は訓練しだいで何とでもなるものだよ。でも機動に求められるのは速さだけじゃない。様々な救助現場での対応力、判断力。技術や技能以外にも必要なものは一杯ある。そういった意味では、オレはまだまだヒヨッコなんだ。それにね、エリザベス・・・」


 ジュードはにっこり微笑んでエリザベスを見た。せっかく自分の事を褒めてくれた後輩の事も褒めておかないといけないだろう。


「そんな風に先輩の事を言える後輩を持った方が、オレにはずっと誇らしい。機動の2年生は本当にいい奴ばかりだから、何か困った事があったら相談するといいよ。あっ、でも君は一般だったっけ・・・」

「はい。Cチームのライル教官は一般の教官でもあるので、とてもやり易いですわ。早く消防艇に乗って海に出たいです」


 どうやら道にはよく迷うようだが、見かけよりしっかりしているらしい。あの入校式での様子を見る限り、SLSのあらゆる試験を女子でたった一人くぐり抜けてきただけの事はあるだろう。入校式での彼女の対応は見事だった。おかげでシェランは3年の担当教官が入校式を遅刻したなどというレッテルを貼られずに済んだのだ。



 廊下の角を左に曲がると、警備員室の明かりが小さな窓から漏れていた。ジュードはその手前で止まった。裏口を出て真っ直ぐ行くと女子寮だ。もう迷う心配は無いだろう。


「じゃあ、オレは怖い警備員のオジサンに見つからない内に寮に戻るよ」

「はい、ありがとうございます、ジュード先輩。それから・・・」


 エリザベスはにっこり笑ってジュードを見上げた。


「私の事はリズって呼んで下さい。シェラン教官もそう呼んで下さってますから」

「ああ、そうだね。お休み、リズ」


 ジュードはそこで手を振ってエリザベスと別れた。それから一度も振り返らずにさっさと戻って行くジュードを見つつエリザベスは呟いた。


「ふーん、あれがジュード先輩かぁ・・・。なかなか手強そう・・・」


 彼女は謎めいた笑みを浮かべると、まるでもう何年も前からここに住んでいたかのように堂々と女子寮に戻って行った。



 ジュードは急いで本館を後にした。こんな時間に本館をウロウロしていると、今度は自分が怪しまれかねない。だが本館の入り口が開いていたという事は、警備員以外にまだ中に教官が居るという事だ。ジュードはふと3階を見上げた。シェランの教官室の明かりだけが窓から漏れているのが分かった。


 近頃リーダーミーティングでよく顔を合わせるが、最近のシェランはきりっと眉を吊り上げていつも緊張しているように見える。同室のアズがまるで入学したての頃のように疲れきって戻ってきては、ベッドに倒れ込んで眠っているのを見ると、相当潜水の授業が過酷なのだろう。


 初めて3年生を受け持つシェランは必死なのだ。彼等を守り、育て、立派に卒業させる為に・・・。きっと今も教官室で一人、授業や生徒の事を考えながら仕事をしているのだろう。



 こんな時ジュードは、たまらなく自分が小さく思える。もしオレが彼女の生徒でなかったら・・・。もっと大人だったら・・・。頑張っているあの人の側に居て、励ましてやるくらいは出来るのに・・・・。


「オレも頑張るよ、シェラン。リーダーとして・・・」


 ジュードは彼女の部屋の窓に向かって呟くと、男子寮へ戻っていった。


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