第15部 オレゴン・サマー 【9】
昨夜バーリーに言われた通り、ダットは朝早くから山狩りを開始した。
「ギルシュとメガは山の東側だ。ロブソンとビジーは川の流域を探せ。コルトー、バローは西側の岩場あたりを。ジャンとエビルは南側の森だ。ロッドとクラウド。お前等は西から南へ抜ける林の中を探せ。ピールとマキュラーは山の西側から回ってギルシュとメガに合流しろ。あの辺りが一番怪しいからな。
いいか。今日はビッグM以外の獲物には目もくれるな。何が何でもあのガキ共を捕らえろ。逃げようとしたら即殺せ」
手下は頷くと、指示された方角に散らばった。
広大なコロンビア河の流域を、たったこれだけの人数で探すのは骨の折れる仕事のようだが、動物が一番多く生息しているのはジュード達が密猟者の罠を暴いていった半径5キロメートルほどの地域である。
東側からなだらかな山稜が続き、北へ行くほど深い森になっていく。このあたりは平地が多いが、山の両側は逆に林が減り、幾重にも折り重なる玄武岩の崖が連なっていた。
その東側の山の中腹辺りをギルシュとメガはダットに言われた通り、ジュードとシェランの姿を探しながら歩いていた。この辺りはビッグMが以前にも目撃された場所なので、運が良ければこの間逃がした巨大な熊を同時に捕らえられるかもしれないとあって、2人の男達は普段よりずっと注意深くなっていた。
彼等は人間が隠れていそうな茂みや藪の中も銃の柄で振り払ったり、人が入れそうな洞穴なども見逃さなかった。
「くそっ。なかなか見つからねーな」
2時間経っても収穫がない事にメガがイライラして呟くと、ギルシュがニヤッと笑いながら答えた。
「俺はあいつ等はもうとっくに海に流されて魚の餌になってると思うぜ。大体あんな高い崖から落ちて生きていられると思うか?前々から思ってたんだが、あのバーリーって奴は胆の小せえヤローなんだぜ。ガキ共が生きてる夢でも見て怯えてるのさ」
メガも同意するように頷くと、顎をかきながら言った。
「そうだよなぁ。幾らなんでもあの高さじゃ意識を失っちまって、落ちたらそのまんま浮かんで来れないはずだよなぁ」
そんな2人の居る場所から20メートルほど離れた木々の枝が急にざわめいて、彼等は反射的に銃を向けた。暗い森の中から現れたのは、真っ白い馬だった。木々の隙間から差し込む幻想的な淡い光の中で、丁寧に走りこまれた筋肉と美しい鬣がぼうっと白く浮かび上がって見える。
「裸馬にしちゃぁキレイな馬だ。どう見ても野生じゃないな」
「ああ。きっとどこかの牧場から逃げ出して来たに違いない。売りやぁいい金になるぜ」
ギルシュとメガは、ダットにビッグM以外の獲物には目もくれるなと言われていたのもすっかり忘れ、ニヤッと笑って頷き合うと、その美しい馬を捕まえる事にした。
「よーし、よし。いい子だ。動くんじゃねーぞ」
「どうどう」
2人は腰をかがめながらゆっくりと白馬に近付いていった。馬の両側から正にその首を捕らえようとした瞬間、白馬は首をブルッと左右に振って、その力強い後ろ足で地面を蹴った。
「あっ、待て!」
まるで付いておいでと言わんばかりのリズミカルな駆け足で走っていく馬を、ギルシュとメガは必死に追いかけた。だが届きそうになると馬はスピードを出し、人間との差がつくと、速さを緩める。2人はまるでからかわれているような気になり、ムキになって馬を追った。
「こらっ、待てって言ってるだろう!」
業を煮やしたギルシュが馬に飛び掛った。途端に白馬はまるで羽が生えたように地面を蹴って空へ舞った。それとは反対に馬に飛びつき損ねて地面に落ちると思ったギルシュと、同じく勢いよく走ってきたメガの前から急に地面が崩れ落ちた。一瞬で目の前が真っ暗になり叫び声を上げた後、彼等の意識は遠のいた。
密猟者の落ち込んだ穴の側で、白馬はじっと立って誰かを待っていた。
「お疲れ様、ゴールドフロスト。あなたって本当に賢いのね」
心からの賞賛の言葉にゴールドフロストは嬉しそうにブルルッと鼻を鳴らした。シェランは優しく彼女の長い顔をさすった後、その足元に開いた大きな穴を覗きこんだ。これは自然に出来た空洞で直径2メートルの穴は深さ5メートルはあるだろう。
「あら、2人とも気絶しちゃってるわ。まっ、いいわよね。ちょっとお仕置き。これなら絶対逃げられないもの」
シェランはにっこり笑うとゴールドフロストと共に歩き出した。
西側の岩場では今、コルトーとバローが必死に青黒い玄武岩の岩壁を登っていた。壁と言っても少し切り立った山のようなものなので、何とか突き出た岩に摑まりながら登る事ができるのだが、彼等は何故こんな時にこんな場所で、滑り落ちそうになるのを堪えながら岩壁を登っているのか腹立たしい限りだった。
いつもならここは迂回して岩壁の側を通りながらこの壁の上に出るはずなのに、今日はその迂回路を大きな木が倒れていたり、岩がゴロゴロ転がって道を塞いでいたりで通れず、結局この岩壁を登る羽目になってしまったのである。
「全く、何で俺達がこんな事してなきゃならないんだよ!」
コルトーがやけになって叫んだ拍子に足を滑らせ、慌てて両手で岩にしがみついた。
「ただ狩りを楽しんだらいいって言われてきたのに!」
バローは彼等の中で一番若輩のコルトーをうんざりしたように見た。
「あんまりくだらねぇ事しゃべってると本当に落ちるぞ。それに狩りってのは、ちっとぐらい危険な方が面白いんだ。俺がアマゾンでアナコンダと戦った時なんか、大雨で視界は1メートルしか利かないし、河の水はドロドロだし、おまけに奴ぁ10メートルもあったんだぜ。そいつを・・・・」
いつもならバローのヨタ話をあきれながら聞いているコルトーだったが、今はそれどころではなかった。岩壁の頂上から何か黒い点が浮かび上がったかと思うと、それはあっという間に直径10センチほどの丸い塊となって彼等の上から降り注いできた。
油断していたバローは「あああああっ!」と言う叫び声と共に岩壁を滑り落ちた。何とか壁から突き出た岩にしがみついていたコルトーもその塊が泥を丸く固めて作った泥団子だと気付いた時には、体にぶつかってくる塊の勢いに耐えかねて、バローと同じように滑り落ちていった。
気を失っているバローの隣に落ちてきたコルトーは、薄れゆく意識の中で岩壁の頂に立つ人物を見た。陽の光を背に黒い鬣と滑らかに輝くこげ茶色の被毛をした馬にまたがり、その男は馬と同じ黒い髪を風になびかせながら自分を見下ろしていた。
「く・・そ。お前、やっぱ・・り・・・」
その言葉を残してコルトーも力尽きるように気を失った。
正午を過ぎた頃、ジャンとエビルは木々の生い茂る深い森の中で、持参してきたチーズやパンをかじり空腹をみたしていた。追っている獲物を捕まえるか殺すかしたら、どこかで仲間がのろしを上げるはずだ。まだ何処からも煙は見えなかった。
「あ・・・あにぃ、あいつら、まだつ・・・捕まってないのかなぁ・・・。お、お、俺、疲れちまったよ」
ジャンと少し言葉の不自由なエビルは、2つ違いの兄弟であった。どちらも仲間の中で一番古くからダットと組んでこの商売をやっている。兄弟揃って密猟をやるなど、とんでもない兄と弟であったが、彼等はダットと同じように、それを金儲けと猟の楽しみが両方味わえる素晴らしい商売だと思っていた。
「情けねぇ声出すんじゃねーよ。あいつ等を捕まえるかビッグMを捕まえるか、そのどちらかで800ドルの上乗せだぜ。ビッグなボーナスじゃねーか」
「そ、そ、そうだよなぁ。あにき。は、800ドルでなにが欲しい?お、お、俺、新しい銃がほ、欲しいな」
ジャンはエビルの頭を叩いた。
「バカヤロー。お前はこの間貰った金でその銃を買ったんだろうが。たいした腕もねぇくせに新しいおもちゃばかり欲しがるんじゃねー」
「お、お、俺、頭わりぃけど、銃の腕は確かだぞ。あ、あ、あにきにだって負けてねぇからな」
「なんだとぉ・・・!この俺様がお前なんかより劣ってるって言うのか?」
2人がつかみ合いの兄弟げんかを始めようとした時だった。
「くすくすくす・・・・」
何処からともなく笑い声が聞こえてきて、ジャンとエビルはビクッとして周りを見回した。
太い木の影から現れたのは白馬に乗った女だった。まるで透き通るような白い肌の中からサファイアブルーの瞳を細めて微笑んでいる。木々の間から差し込む光に輝くしなやかな髪が、風もないのにふわふわと揺れているように見えた。
「あ、あ、あにき!よ、よ、妖精だ。妖精だよ!」
「バカ!妖精なんてこの世に居るわけないだろ!」
状況から考えて、この間殺し損ねた女に違いない。あの日は夜だった事もあって、余りはっきり顔は見えなかったが、確かに長い金髪だった。
「あの夜の女だ。捕まえて男の居場所を吐かせるぞ!」
「お、お、おう!」
血相を変えて追いかけてくる男達を一笑すると、シェランはゴールドフロストの腹を蹴った。軽々と足元に倒れている木を飛び越える。
「ゴールドフロスト。あんまり差を開けすぎないでね。撃ってくるかも知れないわ」
シェランは彼女の耳元で囁くと、後ろを振り返り、再び前を見た。前方にある木の幹に小さな赤いリボンが結び付けてある。シェランとゴールドフロストに知らせるための目印であった。
「今よ。ゴールドフロスト」
その声に反応するようにゴールドフロストは前足で強く地面を蹴った。シェランは体が鞍から浮き上がりそうになるのを感じ、思わず下半身に力を入れた。
そのすぐ後ろではジャンとエビルが飛び上がったゴールドフロストの尻尾を掴もうと手を伸ばしていた。だが彼等はいきなり何かにつまずいて前方へ倒れこんだ。木の影に潜んでいたジュードが反対側の木に縛り付けていたロープを引いて、彼等の足を引っ掛けたのである。
「うわっ!」
「あ・・・あ、ああっ!」
ジャンとエビルは叫び声と共に前につんのめり、そのまま地面に激突するかと思ったが、頭から突っ込んだ先は、ふわふわした泥の中だった。しかし彼等はそれが泥では無いとすぐに気付いた。体を包み込むそのドロドロの物は、強烈な臭いで溢れていた。しかも彼等がどれ程あがいても、どんどん体がその中に沈みこんでいくのだ。
「な、なんだ!こりゃぁっ!」
「く、く、くせえ!」
やっとの事で泥から顔を出したものの、既に彼等は胸の辺りまで沈んでいた。何とか前に進もうとクロールで泳ぐように泥を掻き分けていたが、次第に体が重くなっていき、とうとう前に進むどころか、腕さえ上がらなくなってきた。
「何なんだ!これは・・・!」
ジャンが後ろを振り返ると、まるでドロドロの化け物のようになった弟が、銅像のように固まってじっと自分を見ていた。
「あ~に~きぃぃ~」
「ええい!気味の悪いカッコで気持ち悪い声、出すんじゃねぇ!」
ジャンは思わずエビルに叫んだが、何処からか聞こえてきた含むような笑い声に前を向いた。さっき白馬に乗っていた女とその側にこげ茶色の馬を連れた男が立っている。
「きさまらぁぁぁっ・・・!」
ジャンは怒りの叫び声を揚げるとドロドロになった銃を構えようとしたが、殆ど泥の中に埋まってしまった銃はピクリとも動かなかった。当然体も動かない。
ジュードはくすくす笑いながら「馬フンのプールはどうだい?」と聞いた。
「ば・・・馬フン?」
どうりで臭いはずだ。ジャンはまだ後ろから「あ~に~き~」と情けない声を出している弟を無視して叫んだ。
「よくもキサマ・・・!ぶっ殺してやる!!」
「動けない割には威勢がいいな。その中には熱に反応して固まるセメントが混ぜ込んであってね。ほらもう埋まっている部分は殆ど動かないだろう?暫くそのままおとなしくしている事だね」
ジュードはニヤッと笑うと、思いつく限りの悪態をついているジャンに背を向けフェニックスにまたがった。シェランも馬を帰して後を付いていく。
「ねぇ、ジュード。さっき飛んだの、凄かったでしょ?」
シェランがジュードの横に並ぶと自慢げに言った。ジュードはゴールドフロストだけにおとりになってもらうつもりだったのだが、シェランがどうしても乗ると言ったのだ。
「ああ。ゴールドフロストは確かに素晴らしかったね」
「ゴールドフロストも勿論だけど、騎手も凄かったでしょ?」
「うーん・・・」
ジュードは「こらーっ!俺達をこのままにしておく気か?助けんと殺す!絶対殺すぞぉ!」「あ、あにきぃ。くせえよぉ・・・」とまだ叫んでいる兄弟をチラッと振り返ってみた後、シェランの顔を見た。
「そうだなぁ。空中で馬の背から落っこちそうになったように見えたけど、オレの気のせいかな?まッ、あそこで手綱を引かなかったのは賞賛に値するかも知れないけどね」
シェランはぷっと頬を膨らませると、口を尖らせて答えた。
「馬フンのプールを作っていたあたりから思っていたけど、ジュードってやっぱりコリンの従兄だわ」
シェランは高笑いしているジュードを無視して、次の目的地にゴールドフロストを走らせた。
そんなジュードの意地悪な罠が仕掛けてあるとも知らず、ピールとマキュラーはギルシュとメガに落ち合う為、山の西側から東へ向かって進んでいた。時折しげみが揺れるたびに素早く銃を構えるが、どれもウサギのような小動物ばかりで探している人間やビッグMでは無かった。
「妙だな。そろそろギルシュとメガに会ってもいい頃なんだが・・・」
ピールが立ち止まって訝しげに顎をかいた。
「あいつ等の事だから、どこかで休憩でもしてるんじゃないか?」
「チッ、暗くなるまでに見つけないと面倒な事になるぞ」
ピールがぶつぶつ呟くのでマキュラーも「全くだ」と頷いた。
文句ばかり言っていても始まらないので、2人は再び藪を掻き分けながら進み始めた。
「くそっ、見つからないな」
やっとの思いで藪を抜けた時、2人とも顔や手がイバラの棘で引っかかれ傷だらけになっていた。
「もう藪の中はごめんだ。あっちの林の方を探してみようぜ」
マキュラーは言ったがピールは首を振った。
「あんな見通しのいい所に、幾らなんでも隠れないだろう」
「そりゃそうだが、ギルシュとメガならその辺をウロウロしてるぜ。ウスノロだからな。とにかく暗くなる前に合流した方がいいだろ?」
ピールは「それもそうだな」と言って頷いた。
既に太陽は西に傾きかけ、山の稜線をオレンジ色の帯で結び付けている。一日で最も美しく見える時間を迎えたが、ピールとマキュラーにはそんな自然の美しさなど、全く目に入っていなかった。彼等はその太陽がまだ姿を現している内に今日の仕事を終えたかったのだ。
ほの暗い林の中をギルシュとメガを探しつつ進んで行くと、何処からともなく情けない声が響いてきた。
「誰かぁぁー、助けてくれー」
「助けてくれぇー!」
ピールとマキュラーは顔を見合わせた。ギルシュとメガの声だ。彼等は声のする方まで走って行ったが、声はすれども2人の姿は見えなかった。
「ギルシュ、メガ!どこだ?姿が見えんぞ」
「その声はピールか?ここだ。穴ん中だ!」
「早く助けてくれ!あいつ等にはめられた。落とし穴に落とされたんだ!」
― 落とし穴・・・? ―
ピールとマキュラーは、あきれて顔を見合わせた。
「いい年をして、そんな子供だましの罠に引っかかるなんて、やっぱりあいつ等はウスノロだな」
ピールが馬鹿にしたようにマキュラーに囁いた。
「全くだ」
そう言いつつもマキュラーはロープを出した。穴の中の仲間に「今助けてやる」と叫ぶと、声のする方へ歩いて行こうとしたが、急にピールが彼を呼び止めた。
「待て。何か怪しいと思わないか?」
「何がだ?」
ピールはあちこちについている馬の足跡を指差した。
「こんな所に馬が居るのも妙な話だ。それにあいつ等が落ちている穴のあたりまで、まるでこの道を通ってくださいと言わんばかりにキレイに道が付いている。どうも罠っぽくないか?」
「それもそうだな」
マキュラーは顎をかくと、周りを見回した。
「とりあえずあいつ等が本物かどうか確かめてみるか?」
ピールが頷いたので、メガは穴の方に向かって叫んだ。
「おい!ギルシュ、メガ!お前等、先週のカードで俺達に幾ら負けた?」
「はァ?そんな事、今はどうだっていいだろ?俺達は朝からずっとここに落とされてんだぜ?早く助けてくれよ」
「いいから答えろ!でなきゃ助けんぞ」
威圧的な言葉にギルシュはムッとしたようだが、メガと相談した後、返事が返ってきた。
「俺がピールに73ドル。メガがマキュラーに57ドル50セント巻き上げられたよ!」
「正解だ」
ピールとマキュラーは顔を見合わせてニヤッと笑うと、それでも銃の柄の部分で地面を叩きながらゆっくりと進んでいった。ギルシュやメガのように子供だましの落とし穴に落とされるなんて、そんなドジはごめんだ。
彼等が穴の側まで行くと、ご丁寧に直径2メートルもある穴の入り口に彼等を逃さないようにする為か、木の棒を組み合わせて作った格子状の柵がはめ込まれていた。2人がその格子の間から下を覗くと、真っ暗な穴の中でギルシュとメガが泣きっ面でこちらに手を振るのが見えた。
格子なんかはめ込まなくても、あのウスノロ共にこんな深い穴が登れるはずないだろう。呆れ顔で互いに顔を見合わせると、彼等は穴の両側に分かれて格子の柵をどかせる事にした。
「行くぞ、ピール」
マキュラーの合図で2人は格子をぐっと握った。しかしその時、彼等は手に妙な感触を覚えた。何かネバネバとしたものがまとわり付いてくる。思わず放そうとしたが、まるで接着剤を掴んでしまったように格子に手が張り付いたままだ。
「なんだ、これは!」
「大型ねずみ用の強力接着剤だ!くそっ、これはそう簡単に取れないぞ!」
叫びながらマキュラーが手をはずそうと格子に足をかけた時だった。
格子の形を作っていたすべての木材がばらけ、穴の中に崩れ落ちていった。
「わあぁぁぁぁー!」
「くそぉぉーっ!」
ネズミ捕りに引っかかったまま、ピールとマキュラーは木材と共に穴の中に落ち、悔しげに叫んだ。
4人の男が狭苦しい穴の中で木材と粘着液にくっつきながら、もみくちゃになってしまう少し前、まだ日が高い頃にロブソンとビジーはコロンビア河の河川沿いを東に向かって歩いていた。
ロブソンは早く始末を付けたいのか、事あるごとに銃を構えてはスコープを覗いて撃つフリをしている。おかげでなかなか進めずビジーはイライラしていた。
「おい、ロブ。いい加減にしろよ。銃を構えるのは、あいつ等に出くわした時でいいんだぜ」
「いつ出くわすか分からんじゃないか。特にビッグMは一発で仕留めんと、反対に襲い掛かってくるぜ」
ビジーが更に反論しようとした時だった。スコープを覗いて河の方を見ていたロブソンが、急に銃を撃ち放した。びっくりして彼が撃った方を見ると、川の中洲にオレンジ色のジャケットが引っかかっていて、ロブソンはそれを目がけて銃を撃ったらしい。
「何やってんだ、お前は!」
ビジーが慌てて彼の銃を抑えると、ロブソンは悪びれもせずにニヤッと笑った。
「何って見ろよ、あのジャケット。あの夜、ジュードってガキが着ていたもんだぜ」
ビジーは疑り深くそのオレンジ色のジャケットを見つめた。確かにあの夜、自分達が追い詰めた青年はあんな色のジャケットを着ていた。
「遠くてよく分からんな。3日前からあそこに引っかかってたんだとしたら、死んでる可能性が高いが、ジャケットだけかもしれん」
「スコープから覗いた時、黒い髪の毛のようなものが見えたんだ。だから撃ったのさ。今ので間違いなく死んだね」
ロブソンは一応確認してくると言って、川の中へ入って行った。
「ロープもつけずに行くのか?ここは結構深いぞ」
「大丈夫。流れも緩やかだしな」
彼は腰まで河の水に浸かりながら、勢いよく水をかき分け中州に向かって進んでいった。オレンジ色のジャケットの背中には、さっき自分が放った銃弾の痕が残っている。ロブソンはにやりと笑ってジャケットを取り上げたが、すぐさま「くそっ」と呟いた。
それは人間が居るように土や草を盛り上げて作ってあっただけで、髪の毛に見えたのも黒緑色の草を寄せ集めたものだった。
「おり、ロブ!どうだったんだ?」
川岸から叫んでいるビジーに合図をしようとしたが、彼の体は急に足を滑らせたかのように、水の中に沈んだ。
「お、おい!ロブ?」
ビジーがびっくりして川の側まで駆け寄った。
そしてロブソンは、川の中で世にも恐ろしい物を目にする事になった。見た事もないような白い肌の美しい女が、水の中で自分の足を引っ張りこみ、必死に水面に上がろうとする後ろ襟を捕まえて、更に水の中に引き込もうとするのだ。
彼女はもうずっと水の中に居たはずなのに、アクアラングも何もつけていなかった。ただにっこり笑いながら、その行為を繰り返すだけだ。
「た・・・助けてくれ!」
やっと水面に顔を出したロブソンは、その叫び声だけ残して再び水の中に引っ張りこまれた。
「た、大変だ!」
ビジーは自分の腰にロープを巻きつけると、その先端を近くの木にしっかりとくくりつけ、川の中に入っていった。
「おい、ロブ!どこだ。おい!」
だが仲間の返事はない。ビジーがロブソンの沈んだあたりに注意を払いながら川の中を恐る恐る進んでいる間に、ジュードは彼がくくりつけたロープの先端をはずし、それをフェニックスの鞍にくくりつけた。
「行け!フェニックス!」
ジュードがフェニックスの尻を思い切り叩くと、馬は火が付いたように走り出した。
「う・・う・・・うわぁぁぁっ!」
まるで水上スキーのように体が水面を寝転がって走った後、ビジーはバキバキと小枝を折る音を立てながらフェニックスに引きずられて行ってしまった。多分フェニックスが帰ってくる頃には完全に気を失っているだろう。
ザバァァッと水音を立てながら余裕で立ち上がったシェランは、片手に気を失ったロブソンの襟首を掴みつつ、もう片方の手で顔にかかった髪を後ろに振り払った。
「ねぇ、この男、今すぐ蘇生させる?もう2、3時間眠ってて欲しいなら、目覚めた頃、また水につけるけど」
ジュードは引きつった笑いを浮かべて頷いた後“さすが深海の魔女(キャシーのあだ名)の教官だけはあるなぁ”と思った。
もうすっかり日も暮れてしまったというのに、仲間から何の連絡も来ないことにダットはすっかり腹を立てていた。彼はいつも集合場所に使っている川沿いの岩場で座って待っていたが、いい加減堪えきれずに立ち上がった。
「何をやってるんだ、あいつらは!」
ごつごつとした玄武岩の岩を飛び越え地面に降り立つと、彼はとりあえずここから一番近くに居るであろう、ロッドとクラウドの所へ行ってみることにした。彼等は西から南へ抜ける林の中を探しているはずだから、もうとっくにこの集合場所に着いていてもいいはずだ。
「全く、あのバカ共。たかがあんなガキ2人を見つけられないってのか?何年プロのハンターをやってるんだ」
ダットは悪態をつきながら、自慢の銃を肩に担いで西へ向かった。
20メートル以上も光の届く大きなサーチライトで閑散とした林の中を照らしながら歩いていくと、遠くに妙なものがぶら下がっているのが見えた。よく見るとそれは大きな木の枝から片足をロープで吊るされ、逆さまになったままぶら下がっているロッドの姿だった。
「何をやってるんだ?お前は・・・!」
びっくりしたようなダットの声を聞くと、ロッドは頭に血が上って気を失いかけていたようで、弱々しくダットに助けを求めた。
ダットは「全く・・」と顔を歪めながら歩いていこうとしたが、足元に転がっている何かにつまずいて思わずこけそうになった。光を向けてみるとそれは白いネットに囚われて身動きが出来なくなっているクラウドだった。ネットには何か接着剤のようなもの(これもネズミ捕り用の強力粘着剤と思われる)が塗りつけてあり、相当もがいたのであろう、クラウドはネットと粘着液に完全に囚われ、ぐったりと力を失って横たわっていた。
― 何なんだ?この無様な有様は・・・ ―
考えられるのは、あのジュードとかいうガキが仕組んだに違いないという事だ。
「あんのガキーッ」
ダットは憎しみを込めて歯をギリッと噛み締めると、とりあえず逆さまに吊るされているロッドの縄を切って彼を下ろした。クラウドにいたっては、触るとこちらも巻き添えを食いそうなので、とりあえずは放っておくしかなかった。
ダットは、ふらふらしながらやっと立ち上がったロッドにバーリーに連絡を付けるよう命じると、銃を握り締め、更に林の奥へ進んで行った。この時間になっても誰も戻ってこないという事は、他の仲間も同じように罠に落ちている可能性が高い。
バーリーが“あいつはこの山の全てを知っている”と言っていたのに、舐めてかかった自分の落ち度だ。きっとあのジュードとかいうガキはあれからすぐ罠を仕掛け、手ぐすね引いて俺達がやってくるのを待っていたに違いない。
「くそガキ共・・・ぶっ殺してやる!」
ダットは銃をいつでも撃てるように左脇に抱え込むと、あたり一面に響き渡るような声で叫んだ。
「出て来い、ジュード!どうせ近くに居て見てるんだろう!」
だが彼の声は空しく響いただけで、何の反応もなかった。
「クソッ!」
ダットは顔を歪めながらつばを吐き捨てると、そのまま闇の中を歩いて行った。
頭に血が上ってふらふらになりながら、ロッドはやっとの事でバーリーの家に到着した。彼に自分達が罠にはまった経緯を説明し、多分他の仲間も同じ目にあっているだろうと話すと、力尽きたように床にへたり込んだ。
バーリーは“役に立たない奴め”とばかりにロッドに一瞥をくれると、さっさと表に停めてあった車に乗り込んだ。もしダットまで失敗したらこちらの身も危なくなる。
彼は助手席のシートの下から古新聞に包まれた物を取り出した。久しぶりに持つ銃は以前持ったよりずっと重たく感じた。バーリーは同じようにシートの下に隠してあった銃弾を取り出すと、銃の弾奏を引き出し、ひとつひとつ丁寧に弾を込めた後、じっとそれを見つめた。
まだこの銃で人を撃った事は一度もない。もちろん殺した事も・・・・。
以前ダット達に付いて森を回った時、一度だけ面白半分に鹿を狙ってみた。もちろん全くの素人であるバーリーの弾が当たる筈もなく、鹿はそのまま逃げてしまい、ダットや他のハンター達に散々笑われたが、バーリーはそれでいいと思った。
こんな乱暴な事は、密猟者と呼ばれる野蛮な奴等に任せておけばいいのだ。俺はあくまでビジネスマンで製品を売るのが仕事なんだから。
その鹿さえ殺せなかった自分が人を殺そうとしている。それもあのロバートの息子を・・・・。ただひたすら自然を愛し、そして自然からも愛された男・・・・。
― なぁ、バーリー。俺達が自然を愛し、共存しようとする限り、いつだって自然は俺達に味方してくれる。だが俺達人間が己の力に驕り高ぶり、自然をないがしろにしたら、必ず報復を受けるだろう。それほど自然は全ての生きとし生けるものにとって、偉大で脅威なんだ。だから俺達はいつだって彼等に対して、尊敬と畏怖の念を忘れてはならないんだよ ―
ダットに対して自然を見くびるなと言ってしまった時、お前はロバートの事を随分嫌っているが、今のセリフは彼の息子と同じだったと言われて、バーリーは自分の中にもロバートが言ってきた言葉が息づいていた事を思い出した。だから回りの目も気にせず叫んだのだ。
― あんな奴と一緒にするな・・・! ―
「そうだ。俺はお前とは違う。お前の息子ともな・・・・」
バーリーは鈍く輝く重い銃を懐にしまうとエンジンをかけ、ハンドルを何度も切りながら、でこぼこの山道を進んで行った。