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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
65/113

第15部 オレゴン・サマー 【3】

「全く、もう・・・」


 ダイニングテーブルに肘を付いて、レゼッタとシェランを横目で見送ったジュードだが、2人の姿が見えなくなると、ほくそ笑んだ。


 シェランはずっとレゼッタに会うのを躊躇っていたようだが、やはり母は偉大だった。ここに来る前にシェランを連れて帰る事をレゼッタに伝えた時、ジュードは言っておいたのだ。


「シェランは15歳の時、事故で両親を一度に亡くしたんだ。だからシェランに家族の話はタブーだよ」

「ご両親を一度に?他に兄弟は?」

「居ない。シェランは今までずっと1人で生きてきたんだ。それでもオレ達の前で、一度も弱味なんか見せずに頑張ってるんだぜ」




 どうやらそれでレゼッタは全てを理解してくれたらしい。母がシェランに優しくしてくれるのはとても嬉しい事だった。そしてもう一つ、とても嬉しい事はシェランが同じ屋根の下に居る事だった。


― あのままマイアミに置いていたら又クリスがやって来て、シェランをデートに誘いかねないからな・・・ ―


 クリスが何も知らずにシェランの家のインターホンを押しても、夏休み中、誰も応答しないのだ。




 ジュードがそんな事を想像しながら遠い目をして笑っていると、シェランの部屋から戻って来たレゼッタが妙な顔をしてジュードの前に立った。


「何、ニヤニヤしてるの?あんた、シェランの部屋に夜這いに行こうとでも思ってるんじゃないでしょうね」

「な、何言ってるんだよ!そんな事するわけないだろ?」

「まあ、いいけど・・・」



 いや、いいわけ無いだろう・・・。  



 レゼッタは口を尖らせている息子の横に座ると、同じようにテーブルに肘を付いた。


「ところで、ジュード。シェランの胸に“アレ”が無かったようだけど?」

「む・・・胸にアレってなんだよ!?」


 真っ赤になって思わず叫んだジュードの頭を「大声を出すんじゃない!」と言いつつレゼッタは平手で叩いた。


「アレって言ったらアレに決まってるでしょう。あんた、ここを出て行く日に私が渡したもの、忘れちゃったの?」


 ジュードは目をしばつかせると ―この時、レゼッタは“すっかり忘れてるわね、このバカ息子”と思った― 黙って頭の中のダイヤルを過去に巻き戻した。2年前、この地を旅立つ日の朝に・・・。






「ジュード!何やってるの?早くなさい!飛行機に乗り遅れたいの?」


 部屋の中からまだ出てこない息子を見に来ると、ジュードはベッドの端に座って靴紐を結んでいた。


「まぁったく、何やってんのかしらね、この子は。早く行かないとバスが行っちゃうわよ」


 部屋に入ってくるなりまくし立てる母に、溜息をつきながらジュードは答えた。


「まだ充分時間はあるよ。大体なんだよ。これで暫く会えなくなるんだから、ポートランドまで車で送ってくれてもいいじゃないか」


 レゼッタは目を細めると、ジュードが座っているベッドの側にしゃがみこんで、きっともう何年も会えなくなるであろう息子を見上げた。


「ジュード。家を出て行くという事は、あんたはもう一人前の立派な大人なんだ。これからはどんな時も自分で判断し、自分の力で道を切り開いていかなきゃならない。だからこそ家を出て行く時は、自分の足でここから出て行くんだ。父さんが守り続けたこのオレゴンの大地をしっかりと踏みしめて、自分の力で歩いていきなさい。いいね?」


「分かってるよ、もう・・・・」



 ジュードはすねたように横を向くと立ち上がった。母が今言ったような台詞をいう事は分かっていた。レゼッタの言う通り、自分はもう大人として1人でやっていかなければならないという事も・・・・。だからこそ最後に子供として母に甘えてみたのだ。


 それにレゼッタがどうしてこの家からジュードを見送りたいのかも分かっていた。この家はレゼッタにとってロバートとの思い出が一番たくさん詰め込まれた家だ。母は今でもここに父が居ると思っている。彼女はここから父と2人でジュードを見送りたいのだ。




 ジュードはベッドの上に置いてあったグレーの布鞄を持ち上げ肩にかけた。学生時代からずっと使っていたその鞄は、もう随分古ぼけて擦り切れていた。ジュードの持ち物は、その鞄一つだけだった。


「じゃあ、ちょっと早いけど、もう行くよ」

「ちょっとお待ち、ジュード」


 ドアの所でジュードを呼び止めると、レゼッタは彼の側にやって来てポケットから何かを取り出すとジュードの手に握らせた。


 なんだろうと思って目をやると、そこにはキラキラと輝く金色のチェーンがついたネックレスがあった。トップはチェーンと同じ金で、まるで繊細なレースのような金細工に包まれ、これも金細工の小さなバラの花が一つだけ輝いている。



 つい昨日まで、母はこのネックレスをずっと首から下げていた。幼い頃一度聞いた事があるが、確か父が母との結婚が決まった時、記念にと母に贈ったものだったはずだ。子供ながらもジュードは、父にしてはなかなかいい物を選んだなと思ったものだ。


「これ、どう見ても女物なんだけど・・・」


 ジュードは訳が分からない顔で母を見た。


「当然よ。あんたにやるんじゃないもの」


 ジュードは益々訳の分からない顔で「じゃあ、何でオレに渡すの?」と聞いた。


「決まってるじゃない。あんたもこれから一人前の男になるんだから、好きな女の子の一人や二人、できるでしょう?その中でも世界で一番大切だと思える女の子にこれを渡すのよ。父さんもそう言ってくれたんだから」


 

 ジュードは面食らったように母を見た。


― 君は僕にとって、世界で一番大切な人だよ ―


 なんてセリフを、あの純情で鈍そうな親父が言ったのか?今から家を出て行く間際になって、両親のラブロマンスを語られるとは思ってもみなかった。



 しかしどう考えても、これは今から最終試験という難関をパスし、訓練所に入って毎日厳しい訓練に明け暮れようとしている自分には必要の無いものだ。


「でもこれ、母さんが凄く大切にしてたものじゃないか。そんな物もらえないよ。それにSLSは男ばっかりだぜ。(当時はそう思っていた)オレには必要ないよ」


 ネックレスを差し出したジュードの手を握り締めると、レゼッタは少し遠い目をしながらジュードの顔を見つめた。


「ジュード。あんた、父さんに似てきたね」

「何言ってるんだよ。オレは母さん似だろ?髪の色も目の色も・・・」


「でも輪郭は父さんにそっくりだよ。いいから持っておいき。お金に困ったら売ってもいいから」

「そんな事しないよ。絶対にしない!父さんの気持ちを売るみたいじゃないか。オレは絶対にしないぞ!」


 強く否定するジュードを見るレゼッタの目は、とても嬉しそうで、それでいて寂しそうだった。ジュードがSLSの最終試験の切符を手に入れてから今日まで、一度も見ることの無かったレゼッタの本当の心を映しているようだった。


「分かったよ。これはオレが大事に持っておく。でも使えるのは10年後か20年後か分からないぞ」

「いいのよ。一度やってみたかっただけだから。映画のワンシーンみたいでしょ?旅立つ息子に父の形見を手渡す母、なんて・・・」


 そう言ってレゼッタは少女のように笑った。



 レゼッタは家の出口に立ってジュードを見送った。きっとそこが一番ふさわしい場所なのだろう。


“身体に気をつけて”とか“時々メールを出すから”とか、色々な言葉を用意していたが、ジュードは「じゃ、行って来る」としか言えなかった。そしてレゼッタも「行っておいで、ジュード」としか答えなかった。きっと母も沢山の言葉を飲み込んだのだろう。


 家が見えなくなる前に、ジュードはもう一度、懐かしい我が家を振り返った。生まれてからずっと暮らしてきた家。楽しい思い出も辛い記憶も、あの家の壁や床や、そのすべてが知っていた。



 レゼッタはまだ玄関口に立ってジュードを見送っている。そしてジュードは母の隣に居るであろう、父の姿を思い浮かべた。


 オレゴンの空と同じ、水色の瞳を細めて、ジュードの姿が見えなくなるまで手を振り続けたであろう父を・・・・・。


 ジュードはぎゅっと唇を噛み締めると、彼の18年間を見つめ続けてきた家に背を向けた。


 夏の終わりを告げる、朝の冷たく清浄な空気を胸いっぱいに吸い込み、生まれてから一度も離れた事のない故郷の大地を踏みしめ、ジュードは一歩一歩、未来に向かって歩き始めた。


 そしてマイアミ・・・。最終試験でシェランに出会って、仲間が出来て・・・。まさかこんなに早く、大切な人や親友や仲間に出会えるとは思っていなかった。とにかく、めまぐるしいスピードで毎日が過ぎて行って・・・。




― えーと、アレはどこにやったかな・・・ ―


 ジュードはシェランや仲間の事から例のネックレスに考えを戻した。絶対に失くしてはいけない物だから、寮に入ったその日に・・・そうだ。確か机の一番上の引き出しにティッシュ(ハンカチも適当な大きさの箱も無かった為)に包んで入れたはずだ。一応傷がついたりしないようにティッシュは3重にして、引き出しの一番奥に入れたから大丈夫だろう。




 ジュードは長い回想を終えると、何食わぬ顔でレゼッタの方を振り向いた。


「もちろん忘れてないさ。あのネックレスは大切に寮の部屋に保管してあるよ」


― 随分と思い出すのに時間が掛かった事・・・ ―


 レゼッタは目を細めて上目使いにジュードを見た。


「大切に保管してあるだけじゃ駄目でしょう?ちゃんと利用しなきゃ。あたしはあんたがシェランを連れて来るって言った時から、あのネックレスがシェランの胸で光っていると思っていたのに・・・」


― どうしてそういう話になるんだ? ―



 どうも帰ってきてからのレゼッタの様子が浮き足立っているように思ったが、そういう事ならちゃんと誤解を解いておかねばならない。



「母さん。シェランはオレより4つも年上で、一流のダイバーだ。それもアメリカ海軍特殊部隊も一目置いているくらい、トップクラスの人間なんだ。勿論ライフセーバーとしても超一流で、SLSの教官連中なんか一番年の若いシェランに頭が上がらないくらいなんだぜ。


 そんな人がオレみたいな金も実力も無い訓練生を相手にするはずないだろ?シェランはオレの保護者としてついてきただけだ。分かった?」


 レゼッタは片手に顎を乗せてジュードの言う事を聞いていたが、やがてにんまり笑った。


「へーえ、そう。シェランに“オレの故郷に一緒に来い。おふくろに会わせるから”なんて言う勇気がないから、保護者として付いて来てってお願いしたんだ」

「う・・・・」


 図星という文字が、いきなりジュードの胸に突き刺さった。


「だって、しょうがないだろ?本当に保護者なんだから・・・。シェランだってオレの事、子供としか思ってないし・・・・・」



 まるで小さな子供が言い訳をするようにぶつぶつ小声で呟くジュードを見て、レゼッタは眉をひそめた。


― なんて情けないの?これでも私の息子かしら。ロバートはもっとマシだったわよ。そりゃあ、ちょっと似たような処も“かなり”あったけど、でもあの人は言う事はちゃんと言ったんだから ―


 レゼッタは心の中で思い切り叫ぶと、軽蔑したように言った。


「ああ、情けない。あんた、よくそんなのでチームのリーダーなんかになれたわね。好きな女の子1人振り向かせられないなんて・・・」

「そ、それとこれとは別だろ?」

「いいえ。別じゃありません」


 レゼッタは耳まで赤くなっているジュードに威厳を持って答えた。


「いい?どんな組織であろうと、リーダーと呼ばれる立場にある者は常に一目置かれ、周りから尊敬されるべき存在でなければならないのです。シェランがトップならあんたもトップになりなさい。そしたらシェランはあんたの事がちゃんと目に入るし、どんな恋でも思いのままだわ」



 ジュードは大口を開けたまま ―それは違うだろう― と頭から否定した。アストリアの中学でもポートランドの高校でもジュードは常にトップクラスだったが、女の子なんて振り向いてもくれなかった。(ガリ勉とは言われたが・・・)


 おまけにスポーツマンでカッコイイ、シェーマス・ディーンを一度ならずも二度までも、あいつの得意スポーツ(確かテニスと乗馬とクロケットだった)で負かしたら、シェーマス・ディーン親衛隊とやらに属する女子に3ヶ月もの間、廊下で会うたびに「フン!」と鼻を鳴らされ、影では「いやらしいわね。そうまでしてSLSに入りたいのかしら」とうわさされ、ジュードはもうやけっぱちで「そうまでして入りたいんだよ!」と叫んでしまった。



 それにシェランと肩を並べるなんて不可能すぎる望みなのだ。キャリアが違いすぎるのだ。本気でシェランと肩を並べようとしたら10年は掛かるだろうとジュードは思っていた。


 だがそんな事をレゼッタに言うと、また“情けない”等と言われてしまうだろう。


 大体、なんで家に帰って来てまでぶつぶつ言われなきゃならないいんだ?これじゃSLSで何かと言うとすぐに絡んでくる、エバとキャシーのうるさいたわ言を聞いているのと同じじゃないか。



 ジュードは疲れたように溜息をつくと、テーブルに手をついて立ち上がった。


「もういい。部屋に行く。長旅で疲れてるんだ」


 だがレゼッタは返事をにごらせて立ち去るジュードに、まだ言い足りなさそうに声をかけた。


「ジュード。言っておくけど、この家に居る限りシェランに妙な事するんじゃないよ。何かあったらシェランの亡くなったご両親に申し訳が立たないからね」


 そんな事、するわけないだろ? と言い返してやりたかったが、もう反論する気力もなかった。


― 一体、シェランと結婚して欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだよ ―


 ジュードは「分かってるよ」とだけ答えると、2階への階段を上がっていった。





 

「夏休み中、ここに居てね」


 という言葉を残してレゼッタが夕食の用意をしに行った後、シェランは一日の疲れもあってか、溜息をついてベッドに座り込んだ。


 色々考えすぎるくらい考えていたが、まさかジュードの母にあんな風に言ってもらえるとは思わなかった。しかもまるで娘のように抱きしめてくれた。15歳で母を失ってから一度もそんな風に母のぬくもりを与えてくれる人に出会えなかったシェランにとって、久しぶりの母親の腕はとても温かいものに感じられた。


 ベッドに寝転がると、シーツから太陽の匂いがした。きっと息子が初めて女の子を家に連れてくるので、レゼッタが昼間の内に布団を干したり、シーツを新しくしてくれたのだろう。そんな心遣いがシェランにとってはとても嬉しかった。



 ドアをノックする音が聞こえたので急いでベッドから起き上がった。ジュードが様子を見に来たらしい。彼は照れくさそうに母親の事を謝った。


「ごめん。びっくりしたろ?パワフルな母で・・・」

「ううん。びっくりしたのは嬉しかったから。良いお母様だわ。夏休み中、ここに居てねって言って下さって」

「おふくろ、そんな事を言ったの?」


 顔をしかめているジュードにシェランは笑いかけた。


「本当はジュードに言いたかったのよ。あんな風に元気に振舞ってらっしゃるけど、寂しかったに違いないもの。ジュードも本当は自慢なんでしょ?とても素敵なお母様だもの」


 ジュードはちょっと照れくさそうに頭をかいた後、シェランに客間の端にあるソファーを勧めた。


「まあね。良いおふくろだと思う。1人でこんな所に住むのは大変だから、アストリアの街に移住したらって言ったけど、父さんと2人で作った、家族の思い出が一杯詰まったこの家を離れるわけにはいかないって言ってね。親父の事を、今でもとても愛していて大切に思ってる。強情ッパリだけど、優しいんだ」


 

 そんな風に母親の事を言えるジュードも、とても素敵だと思った。シェランにはもうそんな風に自慢できる両親は居ないが、それでもいつかジュードに両親の思い出を聞いてもらいたいと思った。




 その夜はレゼッタの手料理が並ぶテーブルで夕食をとった。セルレインは殆ど料理などしない ―出来ない― 人だったので、それはシェランにとって生まれて初めての家庭料理とも言えただろう。自家製の野菜やハーブを使った料理はシェランの空腹だけでなく、疲れた身体や心も満たしてくれるような気がした。


 そして太陽の匂いがするベッドに入ると、シェランはすぐに暖かい眠りに包まれた。同じ屋根の下にジュードと彼の母が居ると思うと、とても安心できた。


 今夜は一人ぼっちの夜じゃないんだ。


シェランは幸せそうに微笑んだまま、やがて深い眠りに落ちていった。





 次の日の朝、ジュードは出かける支度をして部屋を出た。朝食は8時くらいにと昨日レゼッタが言っていたので、多分彼女はもう起きて朝の準備をしているだろう。台所では既に起きていたシェランが支度を手伝っていた。


 レゼッタとシェランに朝の挨拶をすると、ジュードが出来上がったサラダやパンを運び始めたので、シェランも飲み物を持って彼について行った。


「昨日は良く眠れた?」

「ええ、とっても」

「ベッドが小さくてびっくりしたろ?シェランのベッドの3分の1くらいしかないんじゃないか?」

「それが普通だもの」


 2人がそんな話をしていると、レゼッタが卵やハムの乗った皿を運んできた。


「ジュード。今日はシェランとアストリアの街に買い物に行くの。あんたも付き合いなさいね」

「はあ?」


 今日は乗馬をしようと思っていたジュードは、びっくりして声を上げた。


― なんで買い物なんだ?そんな事こんな田舎でしなくても、マイアミに戻ればいくらでも大きなモールがあるじゃないか ―


「ここには自然を満喫しに来たんだぜ。第一、なんでオレがそんなものに付いて行かなきゃならないんだよ」


 レゼッタは飲んでいたコーヒーをテーブルに置くと、口を尖らせている息子に顔を近付けた。


「あんた、可愛い娘とショッピングがしたいっていう母の夢を壊すつもりなの?それにこんなか弱いシェランに荷物持ちをさせる気?それでも父さんの息子なの?」


 なにが母の夢だ。そんな夢、聞いた事もないぞ。なんでも父さんって言えばオレが従うと思って・・・。おまけにシェランの何処がか弱いんだ?脚力なんかオレよりずっと上じゃないのか?


 ジュードは心の中でぶつぶつ並べ立てたが、本人達を目の前にそんな事を言えるはずも無かった。


「ジュード、お願い。お母様の言う事を聞いてあげて」


 最後にシェランがとどめの一発をお見舞いすると、ジュードは「Yesイエス,Trainerトレーナー(はい、教官)」と答えざるを得ない。


 シェラン教官のお願い=ご命令は、絶対なのである。




 2年ぶりにハンドルを持つジュードが運転する車で、シェランとレゼッタはアストリアにやって来た。ここにはマイアミに在るような巨大なショッピング・モールは無いが、オシャレに敏感な女性達が集まってくるショッピング・アヴェニューなどはちゃんとある。


 レゼッタは若い女性が気に入りそうな店もちゃんと把握していて、そういった店が並んでいる通りに、運転手兼荷物持ちのジュードを伴ってやって来た。



「シェランはどんな服が好きかしら。やっぱり都会の人だから流行には敏感なの?」

「いいえ、私はそういったものに疎くて・・・。あっ、あのお店、かわいい」


 シェランが指差した店は、以前マイアミのダウンタウンでエバとキャシーのプレゼントを買いに行った店にあったような服が店のショーウインドウに並んでいた。又あんな恥ずかしい店に連れて行かれるのかと思いジュードは気が重たかったが、2人がどんどん前を歩いていってしまうので仕方なく付いていった。



 店に入るなり、シェランとレゼッタは嬉しそうに声を上げた。


「キャー、かわいいお店。私の趣味だわ!」

「私もです!」


 2人は楽しそうに早速服を物色し始めたが、ジュードは全く理解しがたい店の雰囲気に戸惑っていた。


 ひらひらのフリルとレースの世界に、ヴィクトリア王朝風まで加わって、一体どこの国の女王様が着るのだろうと思わせるようなドレスが店の左側にずらっと並んでいる。店の中央と右側にはカジュアルなのだが、どこかレトロなムードが漂った服が並べてあった。幾人かの女性が服を選んでいる所を見ると、全くの流行遅れではないらしい。


 とにかく、流行にも女性の買い物にも全く縁がないジュードにとってここは別世界で、いかんとも形容のしがたい場所であった。



 ふと見ると、Gパンのコーナーでレゼッタがシェランのサイズを聞いていた。


「すみません。私、Gパンって持ってないので、自分が何号か知らないんです」


 シェランの言葉にジュードは驚愕した。Gパンを持っていないアメリカ人がこの世に存在したのか・・・・!


 ジュードはTシャツとGパン、あとは寒さをしのぐ防寒着が一枚あれば生きていけると思っている人種であった。最近ではSLSのオレンジツナギがそれにとって替わっているが・・・・。


「じゃあ、これなんかどう?ピンクのレースが一杯付いてて可愛いわ」


 レゼッタが差し出したGパンは、裾の部分にピンク色のレースが幾重にも付いていて、皮ひもでクロスステッチを施したデザインになっていた。Gパン=作業着という概念を持っている古い頭のジュードには、全く理解しがたいデザインだった。


「それと、このお花の一杯ついたカットソーを合わせてみて」


 レゼッタは恥ずかしがっているシェランにそれらの服を持たせると、フィッティング・ルームに押し込み、カーテンを閉めた。



 どうやらレゼッタはシェランを着せ替え人形にして遊ぶつもりらしい。そう思ったジュードは次にシェランに何を着せるか服を選んでいる、母の側に行った。


「母さん、シェランにあんまり恥ずかしい格好させるなよな。あんな華々しい服とかピンクのレースなんて、彼女に似合うはずないだろ?」


「似合うわよ。可愛いんだもの。あんた、都会に行っても全然センスってものを学んでこなかったのね。少しは洗練されて帰ってくるかと思ったのに、がっかりだわ」

「どうせ、オレはノーセンスですよ!」


 母の的確な指摘に、ジュードは外で待つことにした。着せ替え人形になって妙な格好をしているシェランなんて見たくも無い。


「ちょっと待ちなさい、ジュード。あんた、シェランがせっかく着替えてきても何も言ってあげないつもりなの?」

「だって心にもない事、言えないだろ?」


 心にもないという事は、レゼッタのコーディネイトなど全く信用していないという事だ。


 ホントにこの息子は・・・。だから娘が欲しかったのよ。もうちょっとロバートが長生きしてくれれば・・・。


 レゼッタはムッとしてジュードの顔に自分の顔を近付けた。


「あんた、さっきシェランとこんな話をしていたわねぇ。シェランのベッドは我が家のベッドの3倍もあるんですって?どうしてそんな事を知っているのかしら?」


― なんで今、そんな話になるんだ? ―


 ジュードはびっくりして息をするのも忘れたように口をパクパクさせた。


「つまりベッドルームに入ったって事?あんたまさか、教官であるシェランに何かしたんじゃないでしょうねぇ」

「し、し、し・・・してないよ!出来るわけ無いだろ?ちょっと家具を動かす手伝いをしただけだ!」


 レゼッタは慌てふためいて言い訳をしている息子から顔を離すと、いかにも大げさに両手を上げた。


「ハッ、全く情けないね、うちの息子は。ベッドルームにまで入って好きな女の子に何も出来ないなんて。これでも父さんの子かしら」


― 何でここで父さんが出て来るんだよ。父さんってそんなに手が早かったのか? ―


 ジュードは真っ赤になって頭を抱え込んだ。


「ジュード、どうしたの?頭が痛い?」


 シェランの声に驚いて顔を上げたジュードは、彼女の姿を見てもっと驚いた。


 先程、母が選んだ服を着て立っているシェランは、今まで出会ったどの女の子よりもキュートに見えた。胸元に付いている沢山の花飾りやGパンの裾を彩るピンクのレースも彼女のすらりと伸びた長い足を引き立たせ、良く似合っていた。


「やっぱり。いいわ、シェラン。そうね。この服なら髪はこんな感じがいいかしら」


 レゼッタは恥ずかしそうに立っているシェランの後ろに回って髪をいじり始めた。


「裾をちょっとカールさせて、後ろの髪はアップにした方がいいわね。どう?ジュード。可愛いでしょ?」


 レゼッタはシェランの髪を持ったまま、自慢げにジュードを見たが、彼は赤くなったまま顔も上げられない状態だった。レゼッタに頼むからこれ以上可愛くしないでくれと言いたい気分だった。


「う・・・うん。すごく・・・似合ってるよ」

「ほっほっほっ、そうでしょう」


 レゼッタは勝ち誇ったように笑うと、シェランに着せる次の服を再び選び始めた。





 昼食を挟んで4時間も経った頃、ジュードは両手一杯に洋服やアクセサリーの入った袋をぶら下げて、疲れ果てたように歩いていた。あれからレゼッタは5件も別の店に行き、20回以上もシェランを着せ替え人形にした挙句、気に入った服 ―着るのはシェランだが、決定するのはレゼッタであった― を買い占めた。



「ああ、楽しかった!娘が居たら、こんな風に買ってあげたかったのよね!」

  

 疲れ果てているジュードとは対照的にレゼッタは元気一杯である。


「明日も行きましょうね、シェラン」

 

― 明日も?明日もこのとんでもなく疲れるショッピングに付き合わなければいけないのか? ―


 ジュードは叫びそうになったが、疲れて声も出なかった。高校の友人達が昔「女の買い物と裁判はどちらも悩んで長くなる。あれほど疲れるものは無いな」などと生意気な事を言っていたが、本当だったのだ。


「すみません。ジュードのお母さんに、こんなにしていただいて・・・」

「まあ、シェラン。ジュードのお母さんなんて他人行儀だわ。レゼッタって呼んで。なんならママでも構わないわよ」


― 何がママだ!? ―


 ジュードはやっとの事で声を出した。


「何言ってるんだよ、母さん。シェランは嫁さんじゃないって言っただろ?」

「いいじゃない。いずれそうなるかも知れないでしょ?まっ、あんたがこんなに腰抜けじゃあ、確率は低いでしょうけど」


 ジュードは思い切りカウンターパンチを食らったように、くらくらしてきた。


「それじゃあ、レゼッタママって呼んでもいいですか?私、ママが居ないからレゼッタみたいなママが居てくれたら嬉しい」

「キャーッ、なんって可愛いのかしら、シェランって!」


 レゼッタは嬉しそうに叫ぶと、又シェランの頭を抱きしめた。



 駄目だ。とてもじゃないが、この母と娘 ―今そうなった― の間に割り込めそうもない。


 クリスをうまく出し抜いて、夏休み中シェランを独占できたと思っていたジュードに、思わぬライバルの登場であった。


 


 それからもレゼッタはシェランを連れてあちこちに出かけた。勿論ジュードはそのたびに、運転手として付いて行かねばならなかった。 


 雨の日でもレゼッタはシェランに料理を教えたりレース編みを教えたり、シェランもお礼と言って掃除に励んだり、家の中でも実に2人は楽しそうであった。



 そんな母を見ていて、どうやら娘が欲しかったと言うのは本当だったのだとジュードは思った。だったらどうして作らなかったのだろうという疑問も浮かんだが、よくよく考えてみると父のロバートはジュードが小さい頃、殆ど家に居なかった。



 コロンビア河は巨大な川で、その流域も広大である。その全てを父は殆ど1人で見回っていた。もちろん他にも父と同じ仕事をしている人は居たが、父ほど、このオレゴンの自然を愛し、詳しく知っている人間は誰も居なかった。


 だから何日も家に帰ってこない事が多かったのだ。おまけにジュードが5歳になった頃からそんな父とずっと共に山歩きをするようになった。


 もしかしたら・・・。いや、多分、レゼッタは寂しかったのだ。


 息子なんてつまらない。すぐ父親と同じ道を歩んでいってしまう。だがもし娘が居たら、いつも母親の側に居て、一緒にショッピングをしたり、料理をしたり出来ただろうに・・・。


 たった一人で夜、食事を取りながら、きっとレゼッタは思っていたのだ。



 ジュードは父と一緒に自然の中で過ごすのが楽しくて、そんな母の寂しい気持ちに気付いてもやれなかった。おまけに7年前、ロバートは帰らぬ人になり、ジュードはSLSに入学する為に遠いフロリダに行ってしまったのだ。


 そしてシェランも15歳の時に母を亡くしてから、ずっと1人で寂しかったに違いない。




 ジュードの家はこの小さな家には不釣合いなほど大きな暖炉があり、その前に暖かい色で統一されたソファーが並び、暖炉の点いていていないこの時期でも暖かな雰囲気に包まれていた。


 そんなリビングのソファーに腰掛けて、今夜レゼッタはシェランにラベンダーのサシェ(ラベンダーとサテンリボンで作るヨーロッパの古いポプリ。タンスに入れて虫除けなどに使う)の作り方を教えていた。


「ジュード、見て。サシェよ。ほら、いい香りでしょう?」


 どうやら出来上がったのか、シェランが赤紫色のリボンで編み上げた15センチほどの長さのポプリをジュードの鼻先に差し出した。ラベンダーのほのかな甘い香りが、優しくジュードの鼻をくすぐった。


「凄いわね。レゼッタママって何でも出来るんだもの。これって10年くらい持つんですって。私帰るまでに沢山作って家中においておくわ!」


 シェランは嬉しそうに笑うと、再びレゼッタの横に座って2個目の制作に取り掛かった。



 ジュードはそんな2人を見つめた後、家の外から聞こえてくる雨音に耳を澄ました。いつもなら煩わしいだけの雨音が、今夜はなぜか優しいリズムを刻んでいるように聞こえる。


 どうせしばらく雨が続くだろう。その間、好きなだけ母と娘で居ればいいさ・・・。


 ジュードは幸せそうな笑い声を聞きながらフーッと溜息をついた後、ソファーにもたれかかって目を閉じた。





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