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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第15部 オレゴン・サマー 【2】

 そしてとうとう7月31日がやって来た。卒業式は朝10時からSLS専用港で行なわれる。


 訓練校だけでなく、本部のライフシップや消防艇もぎっしり並んだ港には20段ほどの横に長い階段がついており、港の端から端まで達していた。


 海難救助隊のファンは多く、運がよければ救助に出て行く本部隊員の勇姿や、これからライフセーバーになろうという訓練生達がライフシップで訓練をしている姿を見られるとあって、いつも階段は州外からも見学に来る人やカメラを手に持った人々で賑わっていた。


 その階段の上に卒業式典用のテントや垂れ幕が立てられ、教官達がずらっとその前に並ぶ。3年生は階段の下でチームごとに整列し、1年と2年は卒業生の両側に分かれて、昨日卒業した操船課などの卒業生と在校生は港に横付けされたライフシップの上から式の進行を見守るのだ。


 式はまず校長の祝辞から始まる。その後、3人の担当教官がSLSのバッチを持った係員と共に階段を下りてきて、それぞれのチームの前に立つと、訓練生は副リーダーを先頭に1人ずつ前に歩み出て教官の前に立つ。教官がSLSの文字をかたどった金色のバッチを生徒の着ている青いツナギの胸に一つずつ付けた後、生徒は再び列に戻るを繰り返すのだ。



 その時、生徒が教官と言葉を交わしたり抱き合ったりするものだから、たった15人の胸にバッチを付けるだけでも随分時間を取ってしまうのだが、これは3年間、苦楽を共にした教官と生徒の大切な別れの儀式なのである。


 そして最後にチームのリーダーの胸にバッチを付け終わると、教官達は再び階段の上に戻り、全員で敬礼するのだ。


 この日は恒例行事なので、たまに見学に来る人も居るが、みな遠慮がちに遠くから、この厳かな式典を見守っていた。





 卒業式典当日、最高に晴れ渡った空を映すように、大西洋も最高にキラキラと波が輝く日、ジュード達は朝早くから式典の準備の為、青いツナギを着込んでSLS専用港にやって来た。この日は他の学年も授業は休んで3年生を見送るのだ。


 1年生を教えながら、SLSの青い海と白いカモメのマークの入ったテントを組み立てたり、同じくSLSのマークの入った大きな垂れ幕を立てたりと、する事は山のようにあった。


 ちゃんと1年生を教えておかないと、自分達が3年で卒業する時、当然手伝えないし、今度は今の1年生が新1年生を教えなければならないので、2年生はとても忙しい。



「ジュード先輩!これは何処に運べばいいですか?」

「ああ、アンディ。それは旗のポールだからそこに挿すんだが、1人じゃムリだ。ミシェル。手伝ってやってくれないか」

「はい!先輩!」


「お前等、ちゃんと覚えておいてくれよ。俺達が卒業する時、垂れ幕が歪んでるのなんて嫌だからな」

「もちろんです!マックス先輩!」


 相変わらずまとまりのいい機動と対照的なのは潜水課である。


「こらーっ!テリー!誰が垂れ幕広げていいって言ったんだ!」

「いいじゃないか。どうせ広げるんだから」


 ブレードにテリーが口を尖らせて答えた。


「それは全員で最後に広げるの。ああっ、ミルズ!あんたまで広げるんじゃない!」


 テリーの反対側で垂れ幕を覗いているミルズの下に、キャシーは走った。


「いやぁ、ちょっとどんな物か気になりまして。キャシー先輩、そんなに怒ってばかりいると、しわが増えますよ」

「なんですってぇぇ!?」


 仲がいいのか悪いのか良く分からないが、とにかく何とか10時の式典までに準備は完了した。






 在校生達は左右両側から3年生が入場してくるのをじっと見守った。ウォルター・エダース校長が相変わらず見事な祝辞を送った後、Aチームから順に教官達が祝辞を述べる。その後、それぞれの担当教官がゆっくりと階段の上から下りてきて、それぞれのチームの副リーダーが緊張した面持ちで教官の前に立った。


 Aチームのケーリー・アイベックは終始笑顔で、生徒と話したり握手を交わしたりしている。Bチームのアダムス・ゲインはここの教官の中では一番年上でキャリアも長いくせに、感極まって泣きたいのをぐっと我慢しているような感じだ。


 Cチームのライル・ウォータラーは周りなど全く気にせず、ボロボロ涙を流しながらバッチをつけていて、生徒から慰められていた。


 笑顔で見送ろうと決めていたケーリーも最後のリーダーの番になると、やはり涙を堪えきれずにアラミスの肩を叩きながら男泣きに泣いていた。


「頑張るんだぞ、アラミス。お前が全ての要なんだからな」

「はい。教官・・・・」



 そんなケーリーとアラミスの様子は、見守っている2年生の胸を締め付けた。1年の頃、同じように3年生を見送ったが、こんなに感動する事はなかった。彼等は自分達の未来の姿を彼等の中に見ていたのである。


 そしてジュードも彼等の姿に自分とシェランの姿を重ね合わせていた。


 1年後・・・・。SLSを卒業する時、自分はどうなっているんだろう。シェランは・・・?そしてクリスは・・・。


 エバやキャシーが言うように、シェランはジュードが本当の意味で大人になるのを待っていてはくれないだろう。


 このままずっと生徒と教官として終わってもいいのか・・・・?




 ジュードが顔を上げると、バッチの授与を終え、教官達が長い階段を登り始めたところだった。



 すべての行事が終了すると、校長と教官は階段の上で、卒業生はその下で揃って敬礼をする。すると全てのライフシップが一斉に汽笛を鳴らし、その後ろに並んだ消防艇が2艘ずつ向き合って、まるで虹を作るようにゲート状に放水を開始するのだ。



 式典が終わるとジュードはマックスや他のリーダーと共にA、B、C入り乱れて話をしている3年生の中に入っていった。男子生徒から少し離れた所でもエバとキャシーが3年生唯一の女性徒であるナタリー・ポートマンの所で、彼女に抱きついて別れを惜しんでいるのが見えた。普段男らしいナタリーも涙を堪えきれないようだ。


 そんな彼女達を見た後、ジュードは自分の名を呼んでいるアラミスに手を振った。初めての合同訓練からずっと、一番可愛がってくれたのはアラミスだった。


「アラミス先輩、テッド先輩。それから先輩の皆さん方。卒業おめでとうございます」


 ジュードが2年生を代表するように祝いの言葉を述べると、アラミスが卒業生を代表して「ありがとう」と答えた。


「これからはお前等が新しい1年生、2年生を引っ張っていくんだ。いい手本になれるように頑張れ。特にAチーム!」


 テッドの言葉にジーンやヘンリーがニヤリと笑う中、ジュートとマックスは苦笑いをしながら頷いた。



 この後は1年、2年そして昨日卒業した操船課などの卒業生と在校生も交えて、全員大ホールに集まり立食パーティがある。遠慮がちに遠くから見守っていた1年生達を卒業生が呼ぶと、みんな一塊になって訓練校に向かって歩き始めた。


 アラミスは1年のアンディ達と共に機動の先輩と歩いているジュードを捕まえると、彼等の中から連れ出した。


「ジュード。俺はおこがましい事を言うのは嫌いだ。だが今日別れたら次に会うのは何年先になるか分からんから言っておく」


 アラミスはやけに長い前置きをすると、歩くのをやめてジュードの方に向き直った。


「お前は周りの人間の気持ちを大事にしすぎて、いつも一歩引いている所がある。だがな。お前がどうしてもこれだけは譲れないと思うんなら、時には相手の気持ちよりも自分の気持ちを優先してもいいんじゃないか?それで駄目なら仕方ないが、相手だって引っ張ってやらなきゃ答えられない時もあるだろ?」



 それがシェランの事を言っているのだと、何となくジュードにも分かった。アラミスは以前、ウェイブ・ボートに行った3年生から事件について色々聞いていた。


 志願して行ったものの、675フィートもの海中にある建物など、普段明るい太陽の光が降り注ぐ広い海しか知らない彼等にとっては監獄と同じようなものだった。本部隊員やSEALを集めて行なわれた説明会では例え一個でも爆弾が内部や外部で爆発したら、海の藻屑となって沈むに違いないと3年生同士で話し合っていたらしい。


 だから彼等は海軍からもう帰っていいと言われた時、飛び上がって喜びたい程だったのだ。



 だがジュードは、シェランとアズが残ると決めたら、自分も残ると言い出した。帰る時、潜水課のリーダー、ジョン・バーンズが「怖くないのか?」と尋ねると「怖いからこそ残ってやらなきゃ。教官は女性だし、アズは仲間だし。少しでも知り合いが多ければ怖さも半減するでしょう?」と笑って答えたので、ジョンはジュードがバカか、超のつくお人よしだと思ったそうだ。



 巡洋艦の事件でもそうだ。ジュードは余りそういう話を自慢げにしない男なので、事件の一部始終をマックスに聞いたが、彼は正に助かる可能性は0に等しかったと言っていた。


「そんな中でもジュードは絶対に諦めなかった。船が明日沈められると分かった時でも、あいつが俺達に送ったサインは ―脱出のチャンスが来た― と言うものでした。多分あいつには絶対守り抜きたいものがあったから、だから諦めるわけにはいかなかったんです。


俺はあいつが教官に笑いかけるたび、男ってのは守るものが出来ると強くなるもんだなぁって思いましたよ。俺も早くいい女、見つけなきゃってね」


 そんなにまでして守り抜いた女を、ただ離れてしまうというだけで諦めるのか?


 アラミスははっきりそう言ってやりたかったが、それではジュードを追い詰める事になるだろう。少々遠まわしな言い方だが、アラミスには“たまには、わがままを言え”としか表現の仕様がなかったのだ。





 大ホールで行なわれるパーティは訓練校からのプレゼントのようなもので、ここも色々な飾りつけがしてあり、3年生の卒業を祝っていた。食事もいつものメニューよりちょっと豪華なものが並んでいる。


 マックスやショーンらと滅多に学食では味わえない生ハムのメロン添えやキャビアの乗ったクラッカーなどを嬉しそうに頬張っているジュードを見て、テッドがアラミスに尋ねた。


「で、ちゃんと言ったのか?」

「一応、俺の気持ちは伝わっていると思うけど・・・・」

「はっきり言った方が良かったんじゃないか?あいつもシェラン教官も、こと恋愛に関しては激ニブだからな」


 3年生の間ではジュードもシェランも、とてつもなく鈍感だと思われているらしい。



 その過激に鈍い2人の内の1人・・・シェラン教官は、ホールの中央でカクテルを手にしたクリスやロビーらと話をしながらチラッとジュードの方を見た。


― どうしよう。とうとう明日から夏休みが始まってしまうわ。本当に私、ジュードと一緒にオレゴンに行くのかしら・・・? ―


 自分の事なのに、どうしていいか分からないシェランはまだお悩み中であった。


 そんなシェランを面白くない顔で見ているクリスの横で、ロビーは“この先、厄介な事にならなければいいが・・・”と溜息まじりに思った。





 卒業生達は訓練校主催のパーティの後も、チームごとにダウンタウンのバーなどを借り切って卒業パーティに明け暮れるが、昨日から走り回っていた1年、2年は疲れきって部屋に戻ってきた。明日から夏休みなので、里心の付いている1年生などは今夜中に用意をして、明日の朝一番に発つものも居るのだ。




 ジュードはシェランの両親の墓参りを済ませてからなので、すぐに帰る必要はなかったが、休暇を取るのでバイトは出来る限り出勤しておかなければならなかった。しかも旅行の準備 ―さし当たって彼が用意しなければならないのはチケットと旅費であった― に追われて、せわしない夏休みの幕開けになった。


 一方シェランは、ジュードの母親に会う事を考えるたび、毎日ドキドキして過ごさなければならなかった。


「どうしよう。最初になんて言えばいいのかしら。『はじめまして。息子さんの教官でシェルリーヌ・ミューラーです』いやぁ!堅いわ。それに教官だなんて言えない!ああっ、それより服は何を着ていけばいいのかしら?やっぱりスーツ?いえ、それは変よ!じゃワンピース?でもジュードは馬に乗るなんて言ってたし・・・」



 鏡の前に立っては鏡の中の自分に語りかけ、クローゼットを開けて服を出しては溜息を付いてベッドに座り込む。自分でも何をやっているのだろうと思うのだが、どうにも落ち着かないのだ。それが何故なのか、冷静に考えれば分かる事だった。


 それは罪悪感だった。クリスに旅行に誘われた時に感じた罪悪感とは違う。


 きっとジュードは何の気なしに私を誘ったのだろう。彼にとって私はただの教官でしか無いから・・・。


「だって、大草原に馬よ?」


 シェランは誰も居ないのに、言い訳がましく呟いた。このマイアミに居る限り、馬に乗って草原を駆け抜けるなんて魅力的な経験は出来ない。それにどの旅行ガイドを見てもオレゴンの自然の雄大さと美しさを絶賛しているのだ。


「だからこれはもう行くしかない、行かねばならないって書いてあるんだもの。行きたくなるじゃない?それに・・・」


 シェランは寂しそうにうつむいた。


「ジュードはもう、来年の夏には居ないんだもの・・・」



 シェランはお気に入りのワンピースを抱きしめたまま、溜息を付いて再びベッドの端に座った。広いベッドの上には以前ジュードがシェランに買ってくれたペンギン親子のぬいぐるみが、あれからずっとシェランの横で彼女の日常を見守っていた。


 シェランはジュードと旅行に行ける事が、本当はとても嬉しいのだ。嬉しくて楽しみでどうしても心がときめいてしまう。シェランにとってはそれが罪悪感であった。そんな風に思う自分がジュードと一緒に旅行に行くなんて、とてもいけない事をしているような気がする。


 だから本当に行ってしまってもいいのか考えてしまうのだ。





 夏休みに入ってすぐ、シェランとジュードは去年と同じように大きな花束を2つ持って出港した。シェランの両親の墓参りに行くのだ。途中、海でしけに遭う事もなく、思ったよりも早く目的の場所に着いた。


 彼等は沈みかける夕日で、オレンジ色に染まった海に花束を捧げた。


「来年・・・。ジュードは卒業しているから、1人で来ないといけないわね」


 ふとシェランは呟いた。3年生の卒業式の間中、シェランは来年ジュード達が卒業していく姿が思い浮かんでいた。それはきっとクリスもロビーも同じだったろう。ケーリーやライルの姿に自分達を重ねていたのだ。


「どうして?入隊式って一週間後だろ?シェランと墓参りに来てから出発すればいいじゃないか」


 シェランは驚いたようにジュードを見上げた。その頃、卒業生達は自分の事で精一杯なはずである。初めての土地、新しい先輩隊員との出会い、プロとしての初任務。未知の世界への期待と不安で他人の事なんて構っていられないはずだ。


 ジュードにだってそれはきっと分かっている。なのに彼は過去の思い出にしかならない自分にそんな約束をしてくれるのだ。どうして彼がそんなに優しいのかシェランにはちゃんと理由が分かっていた。


 彼は父親を12歳の時に失った。だから両親が一度に亡くなってしまったシェランが、どれ程悲しくて、寂しかったか分かっているのだ。


 ジュードにとってそれは同情でしかないだろう。それでも嬉しかった。シェランは夕焼けと同じ色に染まったジュードの顔を見上げると、にっこり微笑んだ。





 8月5日は卒業生達がそれぞれの支部に旅立つ日である。ただ1人寮に残っているジュードは1、2年を代表してマイアミ空港まで見送りに行った。一番遠いロードアイランド支部に行くCチームは既に昨日旅立っていたので、A、B2つのチームの見送りになった。


「何だ。ジュードも今日、実家に帰るのか?」


 ジュードがいつものツナギ姿ではなく、普通のシャツとジーパン姿だったのでテッドが尋ねた。


「はい。この後の便で。テッド先輩のBチームはサウスカロライナでしたね。アラミス先輩達はニュージャージー支部」

「ああ。忙しいとは思うが、来れたら遊びに来いよ」


 アラミスは可愛がっていた後輩と別れるのが少し寂しいようである。


「はい。オレも先輩に負けないようなライフセーバーになったら、必ず」

「こいつ!」

「なかなか言うじゃないか」


 アラミス達は嬉しそうにジュードの肩や背中を叩くと、搭乗を知らせるアナウンスに従ってジュードに手を振った。



 先輩達の姿が見えなくなるまで手を振り続けた後、ジュードは少し寂しそうに呟いた。


「3年か・・・・」



 3年生になったら本部との合同訓練も始まる。又色々問題も起こるかもしれない。どんな1年が待っているかも分からない。でも・・・それでも・・・・。



 ジュードは飛行場の整然とした広い廊下を反対側に向かって歩き始めた。ポートランド行きの便が出発するロビーまで来ると、大きな旅行鞄を足元において、じっと彼が帰ってくるのを待っている女性が居た。


「お待たせ、シェラン。退屈しなかった?」


 ジュードが呼びかけると、シェランは首を振って微笑んだ。


「アラミス達、無事に発った?」

「うん。ちょっと寂しそうだった。きっと不安なんだね。何もかも新しく始めないといけないから」


 ジュードはシェランの重い鞄を持つとターミナルに向かって歩き始めた。


「あ、あの、ジュード!」


 シェランは立ち上がったが、どうにも彼の後ろに付いてはいけなかった。本当にこのまま行ってしまっていいのか、まだ迷っていたのである。


「あの、私、本当に行ってもいいのかしら。だって私はジュードの教官だし、それに今は5つも年上だし(こだわっている)それに、ジュードのお母さんに何て言われるか・・・」


 ジュードはちょっと妙な顔をした。


「いいんじゃない?だってシェランはオレの保護者だろ?」


― 保護者・・・? ―


 今度はシェランが妙な顔をした。何だか余り嬉しくない言われ方だが、確かに生徒にとって教官は保護者である。


 そうか。ジュードは久しぶりにお母さんに会うのが照れくさいのかも知れない。だから保護者である教官に一緒に帰って欲しかったのだ。


 シェランは頭の中でそう理解すると、もう随分先に歩いて行ったジュードを追いかけた。


 そうだ。何も罪悪感なんて感じる事は無いのだ。私は彼の保護者なんだから・・・。


 丁度ターミナルに入るゲートの前で、彼に追いついて先にゲートをくぐると、シェランはジュードを振り返った。


「ジュード、ここはもうアメリカじゃないのよ!私、軍用ヘリには何度も乗った事あるけど、普通の飛行機に乗るの初めて。楽しみね!」


 確かにターミナルのゲート内は無国籍なのだが、国際線ではなく国内線でこんなにはしゃいでいる人も珍しい。


― 何が珍しいって、軍用ヘリに何度も乗ってるって所だよな ―


 ジュードはくすっと微笑むと、ガラス越しに飛行機を指差しながら楽しそうに走っていくシェランの後を、ゆっくりと付いていった。






 マイアミ空港から4時間弱のフライトでポートランド空港に到着した。てっきり涼しいのかと思っていたら、とても暑かったので、これではマイアミと余り変わらないようだとシェランは思った。以前ジュードから聞いていた話だけでオレゴンは常冬の国だと思い込んでいたシェランの重いトランクには、マイアミで買い揃えた防寒着が沢山入っていたのだ。


 ジュードに聞くと、今の時期は少し残暑があって暑いが、8月も中頃を過ぎると随分涼しくなって秋めいてくるそうだ。


「オレゴンは5月から11月にかけて雨が良く降るんだ。だから木材産業が昔から盛んで、生産量は全米一を誇っているんだよ。特にダグラスファー(米松)は耐久性があるからアジアや他の地域に向けてよく輸出されているんだ」


 オレゴンの豆知識をジュードに教わりながら、シェランは列車の車窓から外を見つめた。


 ポートランドは全米でも有数の美しい町だと旅行のパンフレットに書いてあったが(行くかどうか迷っていたわりにはちゃんとチェックしていた)整ったビル群の向こうに白い雪を湛えた山が見えた時には興奮して叫んだ。


「ジュード!もしかしてあれがマウント・フッド?」

「そうだよ。オレゴンで一番高い山だ。標高が3、353メートル。休火山でスキー・スノーボード以外にもキャンプやハイキングに来る人も多いんだ。夏はオリンピック選手が練習しているのも見られるよ」


 遠くにぼうっと浮かぶように見える切り立った山頂は、本当に美しかった。


「ポートランドには日本領事館もあるから日本人も沢山住んでいて、彼等は故郷を懐かしんであの山を“オレゴン富士”と呼ぶ。オレもきっとどこかの国に似たような山があれば、きっとあの山を思い出すだろうな」



 それ程マウント・フッドはオレゴンの人々にとって大切な心の故郷なのだろう。マイアミは美しい海とその海のすぐ側に立ち並ぶビル群の融合した都市だが、ポートランドはコロンビア河と山々が近代化した都市と融合していた。


「ここは別名ローズ・シティと言ってね。全米でも有数のバラ園、インターナショナル・ローズテスト・ガーデンを中心に5月から6月にかけてバラ祭りがあちこちで行なわれるんだ。街中バラの花で埋め尽くされるんだよ」


 バラの花で埋め尽くされる街・・・・。なんて素敵なのかしら・・・。


 今度来る時は必ずその時期に来ようとシェランは決意した。





 ポートランドからアストリアまで列車はずっと川沿いに付けられたレールの上を走っていく。直線距離なら125キロほどだが、川沿いに大回りをしていかなければならないので200キロくらいになるだろう。  


 飛行機の中でジュードが「フロリダからオレゴンに飛行機で行くより時間が掛かるよ」と言っていたようにアストリアまででも2時間半かかった。だがその間に見た風景は、シェランに充分時間を忘れさせてくれた。



 列車がポートランド市を離れて暫くすると、荒涼とした大地が広がっていく。海と都市しか知らないシェランにはその大地の広さは圧巻であった。遠くにポツンポツンと建つ家もさらに見えなくなる頃、広がる大地は地平線を描き出す。列車の左側は果てしない大地。右側は豊かな森林と山稜が続いていた。


 あちこちに生えている低木樹以外は何も無い大地。これこそがアメリカなのだと思った。なんて広いのだろう。



 そろそろ沈みかけてきた太陽が山の稜線を照らし出すと、その美しさは息を呑むほどだった。この山の向こう側にコロンビア河が流れているのかと思うと、早く見たくて足元がウズウズしてきた。



 


 アストリアは巨大なコロンビア河の下流域とヤングスリバーに挟まれた川の町である。整えられた道路とビクトリア様式の建物が綺麗で、思っていたより田舎では無いようだ。


 コロンビア河を挟んで対岸にあるワシントン州とを繋ぐ6.5キロもあるトランス・コロンビア・ブリッジはこの市の目玉で、真っ直ぐなハイウェイが川の上を走っている。そのハイウェイだけを観光して2人はタクシーに乗り、この辺りの主要道路である30号線に乗って東へ向かった。



 暫く走るとジュードは小さなバス停のある場所でタクシーを止めた。


「ここからは歩きなんだ。俺の家には4駆じゃないと行けないんだよ」


 ジュードはシェランの重い鞄と自分の鞄を持つと、どんどん何もないような道を歩き始めた。


― ジュードって、一体どんな場所に住んでいたのかしら・・・ ―


 パンプスとスーツで来なくて良かったと思いつつ、おっかなびっくりで彼の後に従った。



 山歩きの好きな人しか歩かないような森の中の道を抜けて、やっと辿り着いたジュードの家は、開拓時代の西部の雰囲気をそのまま伝えているようなログハウスだった。


 丸太の柔らかな風合いをそのまま残してある家の周りには、簡単な柵と大量の薪が置いてある。車庫の中にある車は確かに4駆だった。


 暖かな灯りが漏れている小さな家を見て、シェランはやっと故郷に帰ってきたようなホッとした気分になった。これがジュードが生まれ育った家なのだ。



 だが、いざ家の前に立った時、シェランはそれまでの旅行気分が一気に吹き飛んでしまった。そうだ。とうとう彼の母親に会うのだ。旅行の話が決まってからずっとどんな人だろうと想像してみたが、自分の母であるセルレインしか母親というものを知らないシェランには、どうしても思い描けなかった。


 ジュードの話だと普段は優しくて料理上手だが、怒るとマウント・バッチェラーに吹く吹雪のように怖いらしい。(その表現も良く分からなかったが・・・)


 セルレインは、仕事は出来るが中身は少女のような人だったので、シェランにはジュードの母親像が全くつかめなかったのである。





 ジュードが今日帰ってくる事を知らせておいたのであろう。家のドアは鍵も掛かっておらず、ジュードはすぐにドアを開けて家の中へ入っていった。


「ただいま、母さん。今帰ったよ!」


 息子の声に、ジュードと同じ黒髪で黒い瞳の女性が奥にあるキッチンから飛び出してきた。


「ジュード!」


 てっきり久しぶりに会えた母と子の抱擁が見られると思っていたら、レゼッタはジュードを見た途端、怒ったようにまくし立てた。


「何やってんだい、お前は。ライフセーバーになるまで帰ってこないって言ってたんじゃなかったのかい?おまけになんだい、急にでかくなっちゃって。顔も真っ黒で前か後ろか分かんないよ!」


「ライフセーバーになったら忙しくてとても帰れそうにないから、その前に戻ったんだよ」


 ジュードは母親の言動を予測していたのか、笑いながら答えた。


「母さん、紹介するよ。オレ達のチームの教官でシェルリーヌ・ミューラー教官。オレ達はシェラン教官って呼んでるんだ」


 突然ジュードに手を差し出して紹介され、シェランはびっくりしたように自己紹介をした。


「は、は、は、初めまして、シェルリーヌ・ミューラーです。この度はいきなり押しかけてしまって申し訳ありません!」


 そのままシェランはレゼッタの返事を待ったが、彼女は眉をひそめたまま、じっとシェランを見つめていた。その様子にシェランはかつてないほどの後悔を覚えた。やっぱり来てはいけなかったのだ。どうしよう。教官のくせにのこのこ息子の里帰りに付いて来てなんて言われたら。いや、それよりも息子をたぶらかす、はしたない教官なんて思われているかもしれない。


 泣きながら逃げ出したような気持ちで立っているシェランの前でレゼッタは「か、かわいい・・・」と呟くと、いきなりシェランの頭を抱きしめた。


「可愛いわ!こんな娘が欲しかったの。息子よ、良くやった!可愛い娘をありがとう!」

「誰が結婚するって言ったよ!」


 ジュードはびっくりして叫んだ。


「妙な事、言うなよな。教官に失礼だろ!」

ジュードにしては珍しい発言である。


「なによ。今まで女の子なんか一度も家に連れて来た事ないくせに。この子の事、すごく好きなんでしょ?」


 その間、レゼッタは真っ赤になっているシェランを話そうとはせず、ジュードも真っ赤になって反撃した。


「なに言ってんだよ!教官だぞ?放せよ。シェランが真っ赤になって苦しがってるじゃないか!」


 真っ赤になっているのは苦しいからではなかったが、シェランはとにかくびっくりして声も上げられなかった。こんな風に歓迎してもらえるとは思ってなかったのである。


 そんなシェランにレゼッタはにっこり笑って顔を近づけ「部屋に案内するわ。勿論そこのバカ息子とは別々のね」と言うと「当たり前だ!」と叫んでいるジュードを無視して、シェランを客室に案内する為にダイニングを出て行った。






 



 

いよいよオレゴンにやって来たジュードとシェラン。

2人の距離は、美しい自然の中で少しは縮まるのか・・・。


オレゴンの美しい自然を出来るだけ表現してみました。

旅行に行った気分で読んで下さいね。

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