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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
62/113

第14部 殺人者 ―助けられない罪― 【5】

 週末、ジュード達はシェランの家に集まって彼女の誕生日パーティをする事になった。


 家で料理を作ると自分の誕生日なのにシェランが張り切って作るに違いないので、それぞれ機動、潜水、一般を代表してジェイミー、エバ、レクターの3人が食事の買出しに行き、ジュード、サム、キャシーがシェランの誕生日プレゼントを選びに、後のメンバーが部屋の飾り付けをしたり、高そうな絨毯を汚さないようにビニールシートを敷いたり、午後から走り回って準備をした。


 その間、シェランは手伝うというのをメンバーに断られ、仕方なく自分の部屋でそわそわと夜を待つ事になった。



 Aチームが選んだ・・・といっても殆どキャシーが選んだに等しいが・・・シェランへのプレゼントは、ドライスーツとお揃いのグローブ、マスクのセットだった。もとより、シェランのお気に入りのメーカーから好きな配色まで全て理解しているキャシーの選択は完璧で、彼女を心から喜ばせるに違いない。




 午後6時、エバとキャシーがシェランの部屋に迎えに行くと、彼女は真っ白なワンピースを着てベッドの端に座って待っていた。膝の上には両親の写真を飾ってある写真立てを乗せていた。エバとキャシーは部屋に入るとシェランの両脇に座って、その写真を覗き込んだ。


「教官、本当にいいの?誕生日をお祝いしても・・・」


「考えてみれば、こうやって日をずらせばいいんだし、そんなにこだわることは無かったと思うの。なのに私ったら、何だか意固地になっていたのね。“もう二度と私の誕生日は無いんだ”なんて・・・。今ね、パパとママにも報告していたのよ。今日は生徒達が私の誕生日を祝ってくれるのよって。そうしたらね、何だか2人がこう言っているように思ったの。“シェランは世界で一番幸せな教官だね”って・・・」



 キャシーがシェランの首に抱きつくと、エバももう片方から抱きついた。


「誕生日おめでとう!シェラン教官!」

「ありがとう。エバもキャシーも大好きよ・・・」





 シェランがエバやキャシーと共にAチームの待つリビングルームに姿を現すと、皆でクラッカーを鳴らして「Happy Birthday!」 と叫んだ。シェランが見た事も無いような大きな四角いケーキがリビングテーブルの上に置いてあった。全体のブルーは大西洋で真ん中にSLSの旗と同じかもめのマーク、その下にはチョコレートで『Happy Birthday Tranner!』(誕生日おめでとう、教官!)と書かれ、周りには24本のろうそくが立っている。



 そうか・・・もう24歳になるんだ。そう思った時、ろうそくの向うでにっこり笑ってシェランが炎を消すのを待っているジュードと目が合った。確かジュードの誕生日は9月20日だから、それまで彼より5歳も年上になるのだ。そう思うと何となく嫌だった。


「教官。早く火を消して!」


 ノースがクラッカーを構えながら叫んだので、あわてて息を吸い込んだ。一気に吹き消さなければ本数が多いと思われる。周りはマックスとネルソン以外、全員シェランより年下なのだ。努力の甲斐があってか、炎は一斉に消えてくれた。部屋の明かりがつくと、再び生徒達がクラッカーを鳴らしながらシェランの誕生日を祝った。


「おめでとう、シェラン。これ、みんなからのプレゼント。きっと気に入るよ!」

「う、うん。ありがとう、ジュード。みんな・・・」


 大きなプレゼントの箱を受け取りながらシェランの気持ちは何故か複雑で、早く9月20日が来ればいいのにと願っていた。




 夜も更けると、ライフセーバーになってから酒は控えているシェランとジュードを残して、酔ってみんなリビングのあちこちで眠ってしまった。ジュードは皆を起こして連れて帰ろうとしたが、シェランが「今夜はみんな家に泊まるとロビーに外泊許可を取っているから、このまま寝かせてあげましょう」と笑いながら、エバとキャシーに薄い毛布を掛けた。



 それでもジュードが酒に飲まれるような奴はライフセーバーじゃないとぶつぶつ言っているので、このままでは本当にみんなを起こしかねないと思ったシェランは、リビングからジュードを連れ出すことにした。



「みんなあなたを探してずっと走り回ってくれたのよ。疲れてるんだから寝かせておいてあげましょ?」


 そんな風に言われると、負い目のあるジュードはぐうの音も出なかった。彼はおとなしく彼女の後ろに付いて2階に上がった。以前、クリスマスに雪の降る中、一緒に踊ったテラスデッキに彼を伴ってやってくると、シェランは空を指差した。


「ジュード、見て。凄いでしょう?」



 本当に降るような星空が見える。オレゴンに比べると星の数は半分くらいしか見えないが、遠くに見えるマイアミの夜景がぼんやりと浮かび上がり、自然の星空と共に不思議な空間を作り上げていた。静かに打ち寄せる波の音を聴きながら、時々瞬きをする夜の灯を彼等は手すりにもたれてじっと見つめた。



「シェラン・・・。あの話の続き、聞きたい?」


 不意にジュードが言った言葉は、シェランをドキッとさせた。もちろん聞きたいが、話しても彼は大丈夫なんだろうか。



「あの手紙を受け取った時は、確かにショックで暫く食事も喉を通らなかったけど、でも心のどこかで信じていたんだ。いつか叔父さんの夢だったオレゴンの山々をコリンと歩こう。コロンビア河からマウントフッドの山頂を見よう。きっといつか出来るって・・・。


だからこそコリンがまだオレを恨んでいて、みんなに酷い事をしたのはショックだったけど、それでもオレにとってあいつは、やっぱり弟以外の何者でもないんだ。ショーンには、甘いって言われたけどね・・・」



 苦笑いをしてうつむいたジュードをシェランは隣から見つめた。確かに甘いのかもしれない。でもこれが彼の優しさなのだ。以前シェランが恐れたように、彼はこの優しさの為に潰れてしまいそうになる事もあるだろう。だがその優しさゆえに彼はコリンを突き放し、仲間を守った。彼にとって仲間は絶対に守り抜きたい存在なのである。


 それゆえに仲間が彼の弱点や足かせになる時もあるだろう。だが反対に仲間がいれば、きっと彼は誰よりも強くなれるはずだ。


「コリンはもうすぐ14歳になるけど、本当にまだ子供で・・・。でもいつか心が大人になった時、シェランやネルソンやジェイミーに本当に悪い事をしたと反省してくれたら、きっとやり直せると思う。そうしたら今度こそ2人で行くんだ。昔、父さんと叔父さんが、兄弟2人で行ったように・・・」



 シェランにはジュードが今見ているのが、目の前のマイアミの夜景ではなく、広大で美しいオレゴンの大地なのだと分かった。そしてその地を2人の青年が本当の兄弟のように、互いの名を呼び合って歩いている姿がシェランにも見えるような気がした。


「素敵ね。コロンビア河の流域はとても美しい場所だと聞いたことがあるわ。私は生まれてから一度もここを出た事がないから、一度くらい北部の山々を見てみたいものだわ」

「ほんと?じゃあ行ってみる?夏休みにでも」

「え?」



 一瞬シェランはジュードが冗談を言っているのかと思った。彼はここへ来てから一度も実家に戻ったことが無い。いつもお金が無いから帰れないと言っていたが、彼は今バイトもやっているし、そんなにお金に困っているようにも見えないからおかしいとは思っていた。


 だから実家に帰らないのは里心が付くから嫌なのだと思っていたが、考えてみれば、たった一人の母が心配でないはずは無いのだ。



 シェランはふと彼と出会った頃の事を思い出した。シェランが入院している時見舞いに来てくれた彼は、もし試験に落ちてSLSに入れなくても、実家には戻れないと言っていた。あの時何か事情がありそうだとは思ったが、もしかしたら・・・。


「ジュード、もしかして今まで実家に帰らなかったのは、コリンのせい?彼の事があったから、もうオレゴンには戻らないと決めていたの?」


 ジュードは「シェランって超能力者?」と笑いながら頷いた。


「金が無かったのも確かだけどね。コリンの気持ちが納まるまで、オレは離れていた方がいいと思っていた。でもそれじゃあ駄目なんだよな。あいつはオレが自分から逃げていると思っているんだから。だからもう逃げたりしないよ。あいつにはもう二度と会いに行かないと言ったけど、見ていてやらなきゃいけないと思う。


だから今年の夏は帰るよ。シェランの父さんと母さんの墓参りに一緒に行ってその後に。どう?シェラン。一緒にオレゴンの大自然を見に行かない?夏はそんなに寒くないし、都会と海しか知らないシェランはきっとびっくりするよ。本当に綺麗なんだぜ」



 シェランはどう答えていいのか分からず目をしばつかせた。とても行きたいのは確かなのだが、果たして“Yes”と答えていいのだろうか。どう考えても、教官が生徒と2人だけで旅行に行くのは問題のような気がする。


 それに一番の問題は、彼が実家に帰るという事なのだ。当然宿泊代を浮かせる為に、シェランも彼の実家に泊まる事を勧められるだろうが、いくらなんでもジュードの母親に会う勇気なんてシェランには無かった。普通の母親なら4つも年下の生徒の家に教官が泊まりに来るなんておかしいと思うだろう。


 きっと教官のくせに何をやっているのかと非難されるに決まっている。そんなのは絶対に嫌だ。ジュードのお母さんに、なんてはしたない娘なの?等と言われたりしたら・・・。


 考えているだけでシェランは泣きそうになった。そんな事になったら太平洋に飛び込んで自殺しなければならない。




 ジュードとシェランがいるデッキを覗き込むようにして、仲間達が2人の様子を窺っていた。彼等はジュードとシェランが2人きりになれるよう、眠ったふりをしていただけだったのだ。


「やったぜ!教官を旅行に誘っているぞ!」

「しかも実家だ。母親に会わせる気だぜ」



 一番前に陣取って様子を見ていたレクターとブレードはやっと少し ―いやかなり― 進展しそうな2人の仲に喜んだが、機動のメンバーは首を振った。


「いや、あいつはただ単に自然を見に行きたいだけだと思うぞ。山育ちだから都会に飽きたんだ」

「実家に連れて行くのだって、宿代を浮かそうと思っているだけだぜ」



 ノースはワクワクしながら一般の仲間を見回した。


「なっ、なっ。大佐、Yesって言うと思う?それともNo?」

「俺はNoに10ドルだ」


 ハーディがすかさず言った。


「おれもNoだな」

「じゃ、俺もNoに10ドル」


 サムとダグラスもポケットから10ドル紙幣を取り出した。


「それじゃ賭けにならないよ!」


 ノースは思わず叫んだ。




「あんた達、何やってるの?」

「男のくせにのぞき?趣味わる―い」


 突然後ろからエバとキャシーの声がして彼等はびっくりして振り返った。


「な、なに言ってるんだよ。これは友情!心配してやってるんだろ?」

「心配?人の事より自分の事を心配したらどう?そんなだからいくら街に出てナンパしても、彼女が出来ないんじゃない?ピート」


 彼はぐっと息を詰まらせると、同じく一緒に街によく出て行くサムと共にうつむいた。


「せっかく教官が、あんた達なんかにはもったいないような部屋を用意してくれているんだから、とっとと寝なさい!」


 エバとキャシーの剣幕には誰も逆らえない。彼等は2人に追い立てられるように、それぞれの部屋に引き上げた。





「どうしたんだ?シェラン」


 うつむいたまま呆然と考え事をしているシェランの顔をジュードが覗き込んだ。


「え?いっいえ、あ、あの、さっきの話・・・話の続きはどうなったのかなって・・・」


 YesともNoとも答えられないシェランは、何とか話をごまかした。とても行きたいが、やはりそれはいけないことだ。でも今、Noと答える事も何故か出来なかった。


「ああ、そう。あの後ね。もう一年も経っていたんだけど、やっとオレを助けてくれた人がSLSのワシントン支部の人だって分かって会いに行ったんだ」

「ワシントン支部?」

「うん。オレ達は随分ワシントン側に流されていたらしくて、オレゴンよりそっちの支部に連絡が行ったんだ」



 何故かは分からなかったが、ワシントン支部と聞いてシェランは何となく懐かしい気持ちになった。確かにオレゴン支部はニューポートにあるので、ロングビーチにあるワシントン支部の方がコロンビア河に近いだろう。ジュードは13歳の時、初めて訪れたSLSの支部の話を始めた。






 ワシントン州のロングビーチは、8月になるとワシントン州インターナショナル・カイト・フェスティバルが行われ、世界中からたこを揚げに人々が集まり、ニュー・カイト・ミュージアムなどもある場所だが、サーファーでいつも賑わっているロスのロングビーチとは違い、普段は穏やかな波が打ちつける静かで美しいビーチである。


 ロングビーチの港にあるワシントン支部は、SLSの支部の中ではまだ10年弱の歴史しかない新しい支部であった。



 人に道を聞きながらやっと辿り着いたワシントン支部は、穏やかな日差しに映える真っ白な外壁と、その上部に紺色の海と青い空、白いかもめのマーク、その上に真鍮で作られたSLSの文字が輝いていた。ジュードはじっとそのマークを見つめた後、ドキドキしながらガラスのドアの前に立った。


 自動ドアが驚くほど速いスピードで開いたので、きっとここに居る人達は救助でさぞかし忙しいのだろうと思いつつ入って行くと、受付に座っている女性と、その女性の居るカウンターに肘を着いて、SLSのつなぎを着た大柄な男がのんびりと話をしていたので、ジュードはホッとしたように彼等に近付いた。


 今、ジュード達がいつもしているように、その大柄なライフセーバーも上半身のつなぎは脱いで黒いタンクトップなりだったが、彼はこの辺りの寒さは余り感じないのだろう。




 ジュードが名前を名乗ってここにやって来た理由を受付の女性に説明している間、彼は大きな目を見開いてジュードを上から下まで見ていた。


「ああ、君か!あの時の・・・」


 彼はジュードの説明が終わらない内に手を叩いて叫んだ。


「釣り船が遭難した時の・・・小さな岩にしがみついていた少年だろう?」



 いきなり自分を助けてくれた人に出会えたと思ったジュードは嬉しさの余り叫んだ。


「はい、そうです。あなたが僕を助けてくれた方ですか?」

「ああ、いやいや。俺は上で君を受け取っただけだ。君を助けたのはウィルだよ。全くリーダーの言う事を聞かん奴でな」


 そう話しつつ、彼はジュードを連れてロビーの奥へと歩き始めた。


「俺はエル。見かけ通りデカイからな。Dチームのリーダーをしている。あの時俺は危険だからとウィルを止めたんだが、無視して降りちまったんだ。だが奴の判断は正しかった。君はもう限界だっただろう?」

「はい・・・」


 ジュードは素直に頷いた。本当にもう駄目だと思っていた。あの時ジュードは彼の腕の中で、父に抱きしめられて共に死んでいく夢を見ていたのだった。


「あの、そのウィルという方は今ここにいらっしゃるんですか?」

「ああ、もちろん居るよ。悪いがここから先は、外部の人間は立ち入り禁止なんだ。ここで待っていてくれ。すぐ呼んできてやるよ」




 そう言ってエルがドアの向うに姿を消すと、ジュードの胸は期待が一杯になり、どんどん動悸が高まっていった。あの時は殆ど意識が無かったせいで顔も覚えていないが、あの張りのある温かい声は今でも覚えている。


― もう大丈夫だぞ。良く頑張った。もう大丈夫だ ―


 彼に会ったら、まず何を言おう。とりあえず助けてくれたお礼を言って、それから・・・。






 人の倍もあるような歩幅で、エルはウィルの居る待機室までやって来た。出動の命令が無いライフセーバーは、訓練中でなければ大抵この部屋で新聞を読んだり、軽い食事を取ったりして過ごしている。ウィルはいつも座っている窓際の席で一人、コーヒーを飲みながら本を読んでいた。


「ウィール!」


 エルがニヤニヤしながら呼びかけると、彼は呼んでいた本を下ろしてエルを見上げた。


「相変わらず小難しい本を読んでいるな。ウィル、お前に客だぞ」

「客?誰だ?」


「ジュード・マクゴナガルって子だ。覚えているだろ?一年前、釣り船が嵐で転覆して父親と叔父は死んだが、お前が小さな岩の上で必死に頑張っていた男の子を助けた。あの子だよ」

「ふーん?」



 ウィルは気のない返事をすると、再び本を取り上げて読み始めた。エルはむっとした顔でその本を机の上に押し付けると、ウィルの顔にその大きな顔を近付けた。


「お前、又会わないつもりか?いい加減にしろよ。13歳の子供がたった一人で、オレゴンからお前に会う為だけに出て来たんだぞ」


「いつも言っているだろう?俺は任務で助けたんだ。だから礼を言われる事も、感謝される必要も無いね」

「いいじゃないか。人を助けて感謝される事の何処が悪い?」


「じゃあ、反対に助けられなかった人からは、恨みをかうのが当然になる。それでもいいのか?」

「お前の言っている事はへりくつだ!」



 周りに居る仲間達は彼らが大声で ―と言っても大声を出しているのはエル一人だったが― やり合っているのを横目で見ながら、又かという顔をした。頑固で理屈屋のウィルと、柔軟で誰とでも仲のいいエル。この二人が親友なのが、ワシントン支部の七不思議の一つだった。



「じゃあ、いいんだな。本当にあの子を帰してしまっても!」

「ああ、構わん。お前から適当に言っておいてくれ」

「この頑固者のへ理屈屋!あんな礼儀正しい、いい子に会わなきゃ、お前一生後悔するぞ!」


 それでも顔をあげようとしないウィルに腹を立て、真っ赤になって「この大バカヤロウ!」と叫ぶと、エルは再び大股で待機室を出て行った。


「後悔なんかしないさ・・・」


 ウィルはチラッとエルの後姿を見て呟くと、再び本に目を戻した。



 ドアの向うにいる少年はどれだけ期待に胸を弾ませているだろう。そう思うと、胸が痛む。彼はジュードの顔を見ずに切り出した。


「すまんな、君。あのバカ、とんでもない頑固者でな。今まで自分が救助した人に一度も会った事が無いんだ」



 いつもならウィルに会いに来た人に対して、彼は気分が悪くて・・・等と適当にごまかすのだが、さぞかしがっかりするだろうと思っても、エルはジュードにウソがつけなかった。



 エルの言葉を聞いて、ジュードは確かに残念であった。だが最初から会って貰えるとは余り期待していなかったのだ。ライフセーバーはとても忙しいと聞いていたし、第一、救助した人全てに会っていたら、身が持たないだろうとも理解できた。


 ジュードにとっては、このワシントン支部に恩人が居ると分かっただけで、そしてその恩人がこの扉のすぐ向うに居るというだけで充分嬉しかった。



「あの、それじゃあ、ウィルさんに伝えていただけますか?あの時ずっとあなたが励ましてくれたおかげで、僕は生きる力を貰いました。あなたの腕は父さんの腕と同じように強くて温かかった。僕もきっと、あなたのようなライフセーバーになります。必ずなりますって」



 ジュードの輝くような笑顔に、エルは思わず胸が詰まった。その笑顔には一点の曇りも無かったからだ。


「本気か?だったら機動救難士になれ。俺もあいつも機動救難士だ」

「はい!」


 ジュードはもう一度輝く笑顔を彼に向けると、ぺこりと頭を下げて去って行った。


「ジュード!あの大バカヤロウの名はウォルター・エダースだ。別に忘れてしまってもいいぞ!」

「ありがとう。忘れません!」







 懐かしそうに昔を語るジュードの横でシェランは妙な顔をした。ウォルター・エダース?ウォルター・エダースってまさか・・・。


 シェランは混乱する頭を整理しようと右手を額に当てた。そういえばワシントン支部と聞いて懐かしく思ったのは、ウォルターが校長になる前に配属されていた支部だったからだ。エル・・・というのは、ウォルターがSLSの本部長官、エルミス・バーグマンを呼ぶ時の愛称である。あの2人は昔同じワシントン支部でDチームだった。



 そういえば、今までおかしいと思う事が何度かあったのをシェランは思い出した。


 最終試験の日、ウォルターは受験生に向かって自己紹介をする時、こう言ったのだ。


― 私は、このSLS訓練校の校長であります ―


 あの時シェランは何だか妙だと思った。普通“校長のウォルター・エダースです”と名前を名乗らないだろうか。


 そうだ。あの時すでにウォルターは知っていたのだ。自分が昔会う事を拒んだ少年が、本当に夢を叶えてここまでやって来たという事を。だから名前を名乗れなかった。それに以前、ジュードが初めて校長室に来た時も、まるで久しぶりに帰ってきた息子を出迎えるように、わざわざドアの所まで迎えに行ってソファまで案内していた。


 いつもなら生徒に対しては座ったまま“ああ、そこに掛けたまえ”なんて偉そうにふんぞり返って言っているくせに。おまけに訳の分からないジュードにロイヤルコペンハーゲンの話なんか一生懸命していたし・・・。



 考えていると、シェランはだんだん腹が立ってきた。ジュードが出て行った時、血相を変えて追ってきたウォルターは全ての事情を知っているようだった。ジュードに会う事を拒んでいた彼がコリンの事まで知っているはずはない。つまり彼は約束通りジュードがSLSにやって来た事に驚いて、全ての事情を姑息に調べ上げたに違いないのだ。


 それにしても2年生にもなって自分の訓練校の校長の名前を知らないジュードもジュードだ。きっと校規もパラパラめくったくらいで殆ど中身も見ていないに違いない。(図星)


 確かにシェランも二人きりの時はウォルターと呼ぶが、生徒の前では必ず校長先生と呼んでいたから気付かないのも無理は無いが・・・。


 いや、生徒の中にもそんな人は大勢居るだろう。別に校長の名前など知らなくても、直接授業で関わるわけではないから、さほど問題にはならないのだ。


 そうだ。やっぱり悪いのはウォルターだ。生前、父のアルフォートが“ウォルターは昔、凄く頑固で融通のきかない男だったんだよ。今じゃ全然分からないだろう?”と言って笑っていたが、本当にバカで融通のきかない男だったのだ。



 ウォルターったらよくも2年もの間、この私にまで黙り通したわね。ジュードの過去の事で私が気に病んでいるのを知っていたくせに・・・!



 シェランが再びうつむいて考え込んでいるので、ジュードは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。


「シェラン、どうしたんだ?さっきから・・・」


 シェランは急に顔を上げると、ジュードの両腕を掴んだ。


「ジュード、あのね、あの・・・」


― あなたの会いたかったウォルター・エダースは、SLS訓練校の校長先生なのよ ― 


 そう言いかけてシェランはふと思い留まった。ジュードの話を聞いていると、ウォルターは現役時代一度も救助した人に会わなかったようだ。わざわざオレゴンから自分を捜してたった一人でやって来た少年にも会わないなんて、何か理由があったのではないだろうか。


 過去はどうあれ、今のシェランにとってウォルターは優しい父親以外の何者でもなく、その彼がひた隠しに隠している秘密を、自分の口から告げることは出来なかった。かと言って、このまま何も知らないではジュードが可哀相だ。


 シェランはびっくりしたように自分を見つめているジュードを見上げて、どうしたらいいのか悩んだ。


「あ、あの・・・ジュード。いつでもいいから校規を見て。まだちゃんと見ていないでしょう?」

「校規?」


 ジュードは何故、今更シェランが訓練校の規則集などを見ろと言うのか分からなかった。まさか知らず知らずの内に校則に触れる何かをやってしまったのだろうか。


「オレ、何かやったのか?」

「ううん、違うわ。でもとにかく帰ったら、いつでもいいから校規を見て。いい?1ページ目よ。1ページ目を端から端までちゃんと読むの。いいわね?」


 シェランはあえて“いつでもいいから”という言葉を強調した。ジュードがウォルターの事を知るのは、彼の気持ちに任せることにしたのだ。







 次の日シェランは、今はドライスーツを着るシーズンでもないのに、Aチームから貰ったプレゼントを嬉しそうに着ていたらしい。


 その日、ジュード達もとても嬉しい報告を貰った。3年の先輩ともう一度合同訓練が出来る事になったのだ。アラミスやテッド達が、このままでは後輩がかわいそうだと言って、ケーリーに諮ってくれたらしい。うまくいけばネルソンも退院していて、訓練に参加は出来なくても見学くらいは出来るだろう。




 余りに嬉しくて、ジュードは昨日シェランに言われた事をすっかり忘れていた。夕食の後、部屋に戻ってアズの顔を見た時、やっと校規の事を思い出した。いつでもいいとシェランは言っていたが、思い出した時に見ておかないと、きっとそのうち忘れてしまうだろうと思ったジュードは、入学したての頃、机の何処かに放り込んだままの校規を探し出した。



 確か紺色の表紙だったはずだ。真ん中の引き出しに入れた記憶は間違っていなかったらしく、いらなくなった書類の中から埋もれるように、SLSのマークが地模様になった紺色の表紙の小さな冊子が出てきた。アズが何を今更校規なんか取り出しているんだ?という顔で見ているので「昨日読めって大佐から命令があってさ」と言いつつ、ベッドに寝転んで1ページ目を開いた。



 ページの左側にはこのSLS訓練校の写真を背景にSpecial Life Savingという文字とSLSの基本精神が書いてあった。


There is no substitute for human life. We know that for certain.

(人の命はどんな物にも代えられない。それを知るのは我々である)


― 素晴らしい基本精神(スローガン)だ! ― 



 今更ながらジュードは感動していた。シェランはこれを見せたかったんだな。そう思いつつ、右側のページを見ると、今度は訓練校の校長が隊員が着るのと同じ紺色の制服を身に着けて、以前ジュードも行った事のある校長室のデスクに掛けている写真が載っていた。彼の後ろにも見覚えのあるSLSのマークが入った旗が、壁に張られていた。


 何だ、校長の写真か・・・。そう思ったが、端から端までちゃんと読めと言われていたので、その写真の下にある彼の名前も見た。


「ああーっ!!」


 普段落ち着いているアズもびっくりするような大声を張り上げると、ジュードは呼んでいた校規をベッドの上に放り出して、アズが文句を言う間もないほどすばやく部屋を飛び出した。




 本館の5階まで一気に駆け上がると、息を切らしたまま校長室のドアを叩こうとしたが、一瞬彼は躊躇した。助けてもらったのは、もう7年も前の話だ。彼はすっかり忘れてしまっているかもしれない。それにあの時だって会ってくれなかったのに、今更なんだと言われるかもしれない。だからシェランははっきり言わなかったのだ。彼にこの事を言うかどうかは自分で判断しろという意味だろう。


 ジュードはドアを叩くことも出来ず、かといって立ち去ることも出来ずに、ただその場に立ち尽くした。







 3方向に窓のある明るい校長室もそろそろ薄暗くなって来たというのに、エダース校長は明かりもつけずにじっとデスクの椅子に座っていた。


 毎年色々な問題が起こるたびに頭を悩ませないといけないが、2年のAチームは有り過ぎだ。巡洋艦に乗って人質になった生徒など、今まで一人も居なかった。おまけにジュードは退学届けなんか書いてくるし、あれを見た時、体中から温度がなくなったくらいヒヤッとした。


 

 ウォルターはぼうっとデスクの上に飾ってある写真を見ながら考えていた。デスクの上の写真立ては3つ。教官全員と写った写真。シェランとシェランの両親と共に写った写真。そして現役時代、エルと二人で肩を組んで撮った写真。




 ジュードが初めてワシントン支部に来た日、彼を無下に追い返したウォルターの下に凄い勢いで戻ってくると、エルは真っ赤な顔で叫んだ。


「いいか、よく聞け、この臆病者!ジュードはな、一言だって父親を助けてくれなかったとか、そんな恨み言は言って無かったぞ。それどころか、あの子は輝くような瞳でこう言ったんだ。


“あの時ずっとあなたが励ましてくれたおかげで、僕は生きる力を貰った。あなたの腕は、父さんの腕と同じで強くて温かかった。僕もきっとあなたのようなライフセーバーになる。必ずなる”ってな。


あの子の言っていた一言一句を決して忘れるなよ!そしていつか後悔しろ。何であの時ジュードに会ってやらなかったんだってな!」



 ウォルターは溜息を付きながら、写真立ての中のエルを人差し指の先でこついた。


「もう、充分後悔しているよ・・・」




 エルの言う通り、俺は臆病者だった。助けられなかった人々の事を思うと、自分のやっている事が本当に正しかったのか、ライフセーバーとしての自分に自信が無かった。


 もしかして救助に向かったのが俺でなかったら、彼等は助かっていたのではないか・・・。そう考えると、恐ろしくて仕方がなかった。だから助けた人に対しても、全て任務でした事と割り切ることにした。ただ命じられたとおり仕事をしているだけなのだと・・・。



 だがあの荒れ狂う波の中で、必死に岩にしがみついて生きようとしている命を見た時、任務も命令も全て忘れてしまった。ただあの子を助けたいと思う気持ちだけでリベリングに手を掛けた。ジュードの時だけじゃない。いつだって人を助けようとする時は任務だ、命令だ、仕事だなんて全て忘れてしまっている。


 そこに居るのは人間の心を持ったライフセーバーである自分だった。それでも恐れはいつだって俺の心を支配していた。それゆえに決して自分が救助した人に会わなかったのだ。自分のやった事は全て任務でやった事。だから礼なんか言う必要はないんだ。



 だがあの時の男の子は違った。彼は謝礼の言葉以外に、もう一つの言葉を用意していた。


― 僕もきっと、あなたのようなライフセーバーになります ―




 そしてジュードはあの13歳の時、俺に言った言葉どおり、このSLSにやって来た。レベルの高い試験ばかりじゃない。父親も無く、資金も無い中で様々な試練を乗り切って・・・。



 最終試験の合格者の中にあの子の名前を見つけた時、自分がSLSの試験に受かった時よりも、ずっとずっと嬉しかった。彼の処に行ってすぐに名乗りたかった。


「5年前、君が会いに来てくれたウォルター・エダースは私なんだ。あの時はすまなかった。そしておめでとう。SLS訓練校の校長として、心から歓迎するよ!」



 だがそこで又、俺の臆病な虫が俺を押し留めた。今更言ってどうなるんだ?


― わざわざワシントンまで探してやってきたのに、扉一枚向うにいる僕にどうしてあの時会ってくれなかったんですか? ―


 きっと彼はそう言うに決まっている。どうせもう5年も前の話だ。それに校長として一人の生徒を特別視するわけにはいかない。このままでいいんだ。黙っていればあの子は3年で卒業するんだから・・・。




「全く・・・何処までバカなんだ?俺は・・・」


 ウォルターは自分に嫌気がさしたように机に肘をつくと頭を抱え込んだ。俺はとっくにあの子を特別視している。彼があの後どうしていたとか、この学校に入るのにどれだけ苦労したとか全部調べたくせに。そしてどんなことをしても、あの子を俺と同じ機動救難士にしてやりたいと心の底から思っているくせに。


 まるで一人息子に自分の後を継がせようと躍起になっている父親みたいに・・・。





 遠慮がちにドアを2回ノックする音が聞こえて、ウォルターはいつものように答えた。


「どうぞ」


 だがドアの向うにいるはずのノックの主は入ってこなかった。ウォルターが不思議に思ってドアを開けると、ジュードが立っていたので、彼は思わず“わあっ”と叫びそうになるほど驚いた。


「ど・・・どうしたんだい?ジュード、何か・・・」

「あ・・・あの・・・」



 ジュードは何をどう話せばいいのか分からず口ごもった。今更7年も前の話をしてどうなるんだ?そうは思っても、このまま何も言わずに帰ることが出来ずにドアをノックしてしまったのだ。


「あ・・の、この間は退学届けなんか書いて、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

「ああ、その事か。構わないよ。すぐ破り捨ててしまったしね。私は君が帰ってくると信じていたから」



 ジュードはウォルターのその言葉だけでもう充分な気がした。例え、助けられた者と助けた者とのつながりは無くても、彼とは今SLSという大きな絆で繋がっている。それはきっとこの訓練校を卒業してもライフセーバーである限り、決して切れないものなのだ。


「あの、校長先生。オレはもう二度とここを辞めるなんて言いません。どんな事があってもライフセーバーになります。SLSの先輩隊員のような、そして・・・」


 ジュードはぐっと顎を上げると、ウォルターの瞳を見つめた。


「あなたのような、ライフセーバーに・・・!」


 きちっと敬礼をして去っていくジュードの後姿を固まったように見ていたウォルターは、困ったように頭をかいた。


「さては・・・ばれたかな・・・」






 本館の5階から急いで階段を駆け降りると、4階の資料室から出てきた3年の機動の訓練生に会った。


「よお、ジュード。放課後も元気一杯だな!」

「はい。だってもうすぐ先輩との合同訓練ですから!」


 笑顔で答えて階段を駆け降りていくジュードを、アラミスやテッドはにっこり笑って見送った。


 3階に降りると、シェランが丁度教官室から出てきたところだった。


「シェラー・・・」


 開いたドアの向うからクリスがひょいと顔を出したので、びっくりしてジュードは「・・・ン教官」と付け加えた。よく見るとシェランが出てきたのはクリスの教官室だった。


 シェランはクリスと少し言葉を交わした後、ジュードの方を振り向いた。


「どうしたの?ジュード。やけに元気ね」


 シェランはジュードがウォルターの所へ行って来たのだと気付いていた。彼の様子を見る限りきっと話がうまくいったのだろう。



 ジュードはいつものように「ありがとう、シェラン」と言いたかったが、クリスの前ではとても言えなかった。困ったように押し黙っていると、クリスが憤然とした顔をしながら耳元で囁いた。


「俺はもう引き上げるから、好きなだけ呼び捨てにしろ」


 ジュードはびっくりして顔を上げたが、クリスは本当にそのまま帰って行った。


― どうしたんだろう、クリスは。何か悪いものでも食べたのかな? ―


「ジュードったらどうしたの?何かいい事でもあった?」


 シェランは彼がウォルターの事を報告してくれるのだろうと思ってその返事を待った。だがジュードはクリスの登場で気を削がれてしまったらしい。礼は別の形でする事にした。


「シェラン、夏休みは一緒にオレゴンに行こうな!」

「・・・は?」


 シェランはまさか昨日返事を濁した話題が再び浮上するとは思っていなかったので、一瞬、言葉を失った。


「シェランのお父さんとお母さんの墓参りの後でいいな。墓参りの日、決めておいてくれる?航空券(チケット)買うから」

「あ、あの。でも・・私、あの・・・」


「コロンビア河に沈む夕日は、それはもう綺麗なんだぜ。シェランと一緒に見たいんだ。それからオレゴンの大草原を馬で走るのもいいな。シェラン、馬に乗った事ある?」

「な、無いけど。でもその前に・・・」

「あっ、お金の事なら気にしなくていいから。オレ、それくらいの蓄えはあるし。じゃ、用意しておいて」



 ジュードはシェランがオロオロしている間にさっさと話を決めて行ってしまった。ジュードにすればウォルターの事を教えてくれた礼のつもりなのだろうが、シェランにとっては大事件だった。


「どうしよう。私、ジュードのお母さんに会うの?」


 シェランの夏休みは波乱含みの幕開けになりそうである。




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