第14部 殺人者 ―助けられない罪― 【4】
― オレゴン 7年前 ―
オレゴン州・・・フロリダとは真反対の北西に位置するこの地は、アメリカでも有数の美しい大自然を誇っている。そんな自然の息づくこの地で、ジュードは父ロバートと母レゼッタの3人で幸せな生活を送っていた。
父親のロバートはオレゴン州最大の都市、ポートランドの森林保護局に努めていて、重に州と州を代表するコロンビア河周辺に生きる動植物の保護や管理を仕事としていた。
ポートランドは木材や小麦等の輸出産業以外にも電子機器、ハイテク産業などの発展によって急激な経済成長を遂げているにもかかわらず、メトロと呼ばれる複数の事業体、計画を一括統括する機構によって、無秩序な都市の拡大を抑制し、自然と都市の融合に成功した美しい都市である。
それによってアメリカ人の間でも人気が高く、アメリカで最も住みたい都市とも言われている。そんな所に勤めているのだから、そこに住めばいいのだが、ロバートは殆ど森や河を見回るのが仕事なので、都会に住む必要は無かった。
実際、ジュードの家はアストリア市からもかなり離れた森林の中にあったし、食料の半分は自給自足、寒さを凌ぐ暖炉の薪も山から切り出してくるという自然体で野性的な生活を送っていた。そしてジュードはそれを普通の暮らしだと思っていた。
コロンビア河はオレゴン州をまたいで流れる雄大な川だ。そこではオレゴン州とワシントン州の州境にあるコロンビア渓谷や州最高峰のマウントフッド、その山に積もる万年雪の雪解け水が流れる77本もある美しい滝等、自然が作り出す最高の芸術を楽しむことが出来る。
その全てを見守る父に付いて、ジュードもよく山や森に出かけたものだった。時にはテントを担いで何日も渓谷に沿って歩いたりもした。岩肌に流れるミネラルたっぷりの雪解け水を飲んだり、オネオンタ渓谷の奥にある滝壺で泳いだりして、ジュードは父と共にオレゴンの大自然の中で育ってきたのだった。
そんな彼等によく同行していたのが父の弟であるエリック・マクゴナガルであった。彼はアストリアで小さな建築部材の工場を営んでいたが、時々息抜きと称してどこかへ消えてしまう破天荒な社長で、その時は大抵、兄のロバートやジュードと過ごしていた。
おおらかで優しい父と、いつもジョークを言って笑わせてくれる明るい性格の叔父。ジュードはそんな二人が大好きだった。時々山の中で一泊することになり、焚き火を囲んで缶詰のオイルサーデンをかじりながら叔父はよく言ったものだ。
「うちのコリンがジュードみたいに、もうちょっとしっかりしていたらなぁ。一緒に山に来られるのに・・・」
エリックはジュードと父の関係がちょっぴりうらやましいようだ。
「コリンももう6歳じゃないか。ジュードなんか5つの時から俺に付いて、近くの湖や森に出かけていたぞ」
「ダメダメ。あいつはまだガキでな。ちょっと目を離すとすぐ穴に落ちたり池にはまったりで、とてもじゃないがこんな所に連れて来られないよ」
そんなコリンはジュードにとって可愛い弟以外の何者でもなかった。叔父夫婦がずっと子供を見守ってきたように、ジュードも生まれた時からコリンの成長を見つめてきた。彼が初めて歩いた時は一番にジュードの所にやって来たし、初めて言葉をしゃべった時も“パパ”“ママ”の後に“ジュー、ジュー”とジュードの顔を小さな手で触りながら言ったものだった。
ダメダメと言いながらも、早く息子と山歩きがしたくてうずうずしているエリックを見て、ジュードも4人で来られるようになったらどれだけ楽しいだろうと思った。
― 早くコリンに、このオレゴンの雄大な大自然を見せてやりたいなぁ・・・ ―
万年雪が覆いかぶさる勇壮なマウントフッドの頂上を見つめながら、ジュードはいつもコリンの事を思った。
ある日曜日の朝、ジュードとロバートは早くから釣りに行く支度をしてエリックの家に向かった。今日は叔父と3人で海釣りに行くのだ。彼等は辺りが薄明るくなってきた頃、エリックの家に到着した。インターホンを押して待っていると、中から男の子の泣き声が聞こえて、そのままその声の主は叔父と共に外に出てきた。
「ひどいよ、パパ!どうして僕も連れて行ってくれないの!」
「今日は海釣りなんだ。お前にはまだ早いだろ?」
「やだやだ、僕も行く。ジュード兄ちゃんと一緒に行くんだ!」
どうやらコリンが一緒に連れて行ってくれないのを、すねて泣いていたらしい。彼は父の太ももに必死にしがみついて離れようとしなかった。
「おい、ジュード兄ちゃん。何とかしてくれよ」
エリックが困ったような笑いを浮かべてジュードに片目を閉じた。
「コリン。今日は遠くに行くからコリンは一緒に行けないけど、来週僕の家に遊びにおいで。近くの森にバス釣りが出来る綺麗な湖があるんだ。そこならコリンも一緒に来られるよ」
「今日がいい・・・」
コリンは父の太ももにしがみついたまま、涙目でジュードを見上げた。ロバートとエリックはぐっと息を詰まらせたが、ジュードはにっこり笑ってコリンの両肩に手を掛けた。
「今日パパは遅くなるんだ。・・と言っても夕方には戻るんだけど、それまでママを一人ぼっちに出来るかい?やっぱりここは男としてコリンがママを守ってあげなきゃ。そうだろ?」
「でも、ジュード兄ちゃんのママも一人だよ」
2人の父はさらに息を詰まらせた。
「そりゃそうさ。僕のママはマウントフッドより偉大だからね。そうだ。今度湖に行く時、僕と2人のパパはコリンの言う事を何か一つ絶対にきかなきゃならないんだ。コリンは王様でそれは絶対命令なんだよ。何を命令するか僕達が戻るまでに考えておいてくれるかい?」
コリンはその絶対命令とやらが気に入ったようで、目を輝かせながら父の足から手を離した。
笑顔で手を振りながら見送っているコリンに、同じように手を振っているジュードを見て、エリックはロバートの耳に囁いた。
「兄貴の息子、将来弁護士にしてみたらどうだ?凄い敏腕弁護士になるぜ」
「あはははっ」
アストリアからオレゴンコーストハイウェイでコロンビア河を渡り、そこから104号線でハモンドまで行く。そこであらかじめ借りておいたボートで海に出るのだ。
コロンビア河から海まで最高の天気だった。最初、フォート・スティーブンス・ステイツ・パークが遠くに見える場所で釣っていたが、余り釣れないので午後からはもっと遠くまで行ってみようという話になった。
昼過ぎに到着したポイントは、陸からずいぶん離れている為か、面白いほど魚が釣れた。
「これでコリンに自慢が出来るな!」
エリックは釣り針から魚をはずしながら嬉しそうに言った。
夢中になって釣りを楽しんでいたロバートだったが、少し空模様が怪しくなってきたのに気が付いた。遠くから黒雲がやってきている。
「エリック、そろそろ戻らないか?雲が近付いている」
「なあに、まだまだ大丈夫さ、兄さん。崩れやしないよ」
その時空を見上げたジュードは、何かが胸の奥によぎって行く様な気がした。その足元がむずむずするような、じっとしていられない感じは今まで感じた事の無かった予感だった。ジュードは釣りに夢中になっている叔父に聞こえないよう、隣に居る父にこそっと囁いた。
「父さん、帰ろうよ」
「うーん、でもなぁ、あいつが夢中になっているし。もう少しだけ付き合ってやろう」
しかし海の天気はそのもう少し・・・という予断を許さなかった。彼等が戻ろうと船を動かし始めた頃には既に空は黒雲に覆われ、激しい風とうねる波が彼等の乗ったボートを襲っていた。
「くそっ、舵がきかん!」
暴走しそうになる舵を取っているエリックを助けようとロバートも舵を握った。
「ジュード!救難信号を出すんだ!」
「もう出したよ。父さん」
ジュードは3人分の救助ベストを握り締めると、不安定な床によろめきながら、父の元に駆けつけた。
「先に着なさい。エリック、お前もだ。俺が舵を持っているから」
エリックはジュードから受け取ったベストを急いで着込むと、再び舵を握った。
「早く、父さん!」
ロバートがジュードからベスト受け取ろうとした瞬間だった。船の右舷が何かにぶつかったような衝撃が起こり、舳先からその何かに乗り上げたように大きく床が傾いた。驚いたロバート達は舵を放して船の後方に投げ出された。
ジュードは握り締めていた救助ベストを隣で倒れていた父の背中にかけながら叫んだ。
「父さん!早くベストを着て!」
だがロバートは立ち上がると、ベストよりジュードの体を抱き上げ、斜めに傾いたままの床を出口に向かって走り始めた。
「エリック、起きろ!船が沈むぞ!」
エリックは飛び起きると、ロバートの後を追って出口を出た。
しかしその間にも船は波に浚われて徐々に流され始めていた。ジュードを脇に抱えたロバートとエリックが船のデッキに出て見たのは、周囲3、4メートルほどの何も無い岩だった。船はこの岩に座礁したのだ。
彼らがデッキの上を走ってその岩の上に飛び降りようとした時には、船は波にさらわれ、再び海の上に戻っていた。しかも座礁した時に右舷にあいた穴から海水が入り、船はすぐに沈み始めた。ロバートとエリックは迷わず海に飛び込んだ。ここからなら何とか目の前の岩に辿り着けるはずだ。
だが激しい雨と風が益々波を荒らし、彼らを唯一の希望の場所から引き離していった。ロバートは自分の首にしがみついているジュードを抱えて必死に泳いだ。
― せめて・・・せめてこの子だけでも、あの岩の上に・・・! ―
豪雨とうねる波のせいで前が殆ど見えない中、ロバートはやっと黒い岩陰が1メートル先に見える所まで泳ぎついた。
― あと少し・・・もう少しだ・・・! ―
あがくようにして、やっとの事で岩に辿り着いたロバートは、再び流されないように両手でしっかりと岩を掴み、自分の首にしがみついているジュードに叫んだ。
「ジュード!登るんだ、早く!」
だがジュードは経験した事の無い海への恐怖と体中が冷え切っているのとで、父親の体から離れようとはしなかった。
「ジュード!」
ロバートがもう一度叫んだ時、海の中から現れたエリックの太い腕がジュードの服を掴んで岩の上に押し上げた。
「ジュード!手を放すな!決して放すんじゃないぞ!」
「うん・・・・」
小さな声で答えると、ジュードは冷たくごつごつとした岩を両手で掴んだ。
それからのジュードには、激しくうねる波が何度も岩や自分の体にぶつかってくる感覚と、恐ろしく耳元でうなり声を上げる風の音しか聞こえなかった。つい今さっきまで感じていた父や叔父の気配が何処にも感じられないと気付いた時、ジュードは気の遠くなるような孤独感に襲われた。
「父さん、叔父さん・・・母さん・・・誰か・・・」
― 誰か、僕がここに居ることに気付いて・・・ ―
それから何時間が過ぎただろう。何度誰かの名を呼んでも、恐ろしくて辛くて涙を流しても、ここには誰も居なかった。ただ、岩ごと飲み込んでしまいそうな波が、何度も誘うように彼の上から降りかかるだけだった。
いっそこの手を放してしまおう。そうしたらきっと楽になれる。しかし心の中で幾度も誘惑が起こる度、父の声が耳に響いてくるのだ。
― ジュード!手を放すな!決して放すんじゃないぞ! ―
手はかじかんで、もう何の感覚も無かった。体中がびしょぬれで、寒くて歯の根も合わなかった。寒さと辛さと恐怖の中、ジュードは父や母、そして叔父の家族と共に過ごした暖かな日々を思った。
マウントフッドの山麓で焚き火に差し込んだ魚を、叔父と2人でどちらが早く食べられるか競争した。叔父の家に行くと、いつもコリンが「ジュード兄ちゃん!」と叫びながら飛び出してきた。毎年夏はジュードの家で叔父の家族とバーベキューを楽しんだ。
だがもう二度とそんな日々は帰らないのだ。ほんの少し・・・ほんの少しだけ戻るのが遅くなっただけなのに・・・・。
この辛い現実が、もしかしたらただの悪夢かもしれないと思えるほど、ジュードの意識は朦朧として、自分が生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。だが彼は聞いたのだ。うなり声を上げる風をヘリの羽が切り裂く音を。
激しい豪雨で1メートル先も見えないような嵐の中、たった1機のヘリだけがジュードの居場所を見つけることが出来た。救助隊員がヘリをジュードのいる岩場の上に付けるよう指示を出したが、強風の為ヘリの位置は安定せず、前後左右に揺れ動いた。
「ダン、もう少し安定させろ。降りられない」
「これ以上無理だ。大体こんな嵐の中、ヘリを出すこと自体無理がある」
パイロットは機体を飛ばしているだけで精一杯だった。
「分かった。このままここで停まって待っていてくれ」
リベリングを掴んで降下体制をとった仲間を心配して、リーダーの男が駆け寄ってきた。
「待て、ウィル。いくらなんでも危険だ」
「何を言っているんだ。下じゃ必死に小さな男の子が生きようとしているのに。見ろ、もう波に浚われそうだ」
「しかし、許可するわけには・・・」
リーダーの男が話している間に、彼はヘリの真下に滑り降りた。
「君、大丈夫か。よく頑張ったな!」
救助隊員の太くてたくましい腕に抱きかかえられた時、ジュードは父のロバートが来てくれたのだと思った。足場も悪く、波の高さも既に自分の身長を越していたので、彼はジュードを抱きかかえたまま、すぐにヘリに収容するよう指示を出した。
「もう大丈夫だぞ。よく頑張った。もう大丈夫だ」
自分を強く抱きしめて何度も耳元で励ましてくれる男の声を聞きながら、ジュードは夢を見ていた。幼い頃のように、優しくて暖かい父の胸で眠る夢を・・・。
だが2日後、ジュードが病院の一室でやっと目を覚ました時、彼が見ていたのは全て夢だったのだと思い知った。父の姿も叔父の姿も、病院の中で見つけることが出来なかったからだ。ジュードが眠っている間に、既にエリックは遺体として発見されていた。救助ベストを着ていたので発見しやすかったのだ。だがロバートの方はまだ何の手がかりも無かった。
3日後、エリックの妻クレアが、コリンを伴ってジュードに会いに来た。いつも明るく美しいクレアの顔は、夫を失ったショックでまだ青白く、疲れ果てたように目も窪んでいた。それでも彼女はベッドの上に居るジュードに駆け寄ると、彼を息子のように抱きしめて涙を流した。
「ジュード、よく無事で・・・」
「おばさん、ごめんね。僕だけ助かって、ごめんね」
彼女は泣きながらも微笑んで、ジュードの顔を両手で包み込むと、涙をそっと親指で拭い取った。
「あなたのせいじゃないわ。気に病んでは駄目よ」
「ウソだ!!」
急にコリンがクレアの後ろから叫んだ。
「ジュード兄ちゃんのせいだ!兄ちゃんがパパを海に連れて行ったんだ!」
「コリン、何を言っているの?海釣りに誘ったのはパパなのよ」
「だってジュード兄ちゃんは、夕方パパを連れて帰って来るって約束したじゃないか。なのにどうしてパパは帰って来なかったの?約束したのに!来週一緒に湖に行くって約束したのに!お前なんか嘘つきだ。お前がパパを殺したんだ!」
「コリン!やめなさい!」
クレアがびっくりしてコリンの口を塞ごうとしたが、彼は母の手を振り払ってジュードの側に駆け寄った。
「お前なんか大嫌いだ!もう兄ちゃんなんかじゃない。お前がパパを連れて行ってしまったんだ!バカ!お前なんかパパの代わりに死ねばよかったんだ!」
「コリン・・・!」
ジュードはベッドから出て彼の腕を掴もうとしたが、コリンはそれを振り払うと、恨みのこもった目でジュードを見上げた。
「もう二度と僕に会いに来ないで。いい?これは絶対命令だからね!」
吐き捨てるように言うと、コリンは部屋を飛び出した。クレアはショックで口もきけないジュードに謝ると、コリンを追って部屋を出て行った。
退院してから何度かコリンに電話をしたが、電話を取ったクレアの返事はいつも同じだった。
「ごめんなさい、ジュード。出たくないって言っているの」
何回目かの電話でクレアはいつものように断った後、ジュードに言った。
「あの子、本当に子供なのよ。大好きなパパが居なくなってしまったのを誰かのせいにしないと耐えられないの。でもいつかきっと分かる日が来るわ。だからそれまでコリンのお兄さんで居てあげてね」
それから父の遺体がやっと彼等の元へ戻って来た。かすかな期待を抱いて待っていた妻と息子の希望は全て消え去った。悲しい別れの式を終え、母と子、2人だけの生活が始まった。
クレアにはエリックの残した工場があったが、ジュード達には父の遺したわずかな財産しかなかった。母はアストリアの町へ働きに出、ジュードも13歳になった頃から働き始めた。
その間もジュードはコリンの事を忘れることができなかった。たった一人の従弟。ずっと弟のように愛してきた。ジュードは電話をするのはやめて、暇をみては彼に手紙を書いた。
一年余り、一方通行の手紙を送り続けたある日、学校から帰ってきたジュードを珍しく早く帰っていたレゼッタがニコニコしながら待っていた。
「何?母さん。ニヤニヤして・・・」
「ふふ。いいものあげましょうか、ジュード」
母が背中から取り出したのは一通の白い封筒だった。
「あなたの弟からよ。良かったわね。諦めずに手紙を出し続けて」
「ほんと?ほんとに?母さん!」
ジュードは母から手紙を受け取ると、それを持って飛ぶように自分の部屋に走った。
裏側に書かれたコリン・マクゴナガルの名前を確かめると、ジュードは封を切った。きっとコリンはこう書いてくれているに違いない。
― あの時の絶対命令は取り消し。又会おうね、ジュード兄ちゃん ―
期待に胸を膨らませて、四つに折り込まれた白い便箋を開いた瞬間、ジュードはまるで世界が自分の上から落ちてくるような衝撃で手紙を落とした。その紙の上には大きな文字でたった一言がつづられていた。
― 人殺し ―
ジュードの受け取った手紙の文面を想像しただけで、シェランは体中が震え、息が詰まりそうになった。廊下で息を潜めて、ジュードの話に耳を傾けていたAチームのメンバーも呆然と立ち尽くした。
「ひどい!」
エバが耐えられなくなって口を押さえ、キャシーもエバの肩を抱きしめて泣き始めた。ブレードとレクターは以前一度だけ見たコリンの人形のように整った冷たい顔を思い出して、ぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。堪えきれないように頭を押さえたショーンの肩をマックスは軽く叩くと、仲間達を連れてその場を離れていった。
話を聞いているだけでこんなにもショックなのに、実際にその手紙を受け取ったジュードはどんな気持ちだっただろう。心の底から大切に思っている誰かからそんな手紙を書かれるなんて、きっと奈落の底に突き落とされるようなものだろう。
最愛の父を失って辛いのは彼も同じなのに・・・。
シェランにはジュードがいつも明るく笑っていられた事が不思議なくらいだった。きっと6年間かけて必死に頑張って立ち直ってきたのだろう。それでもこの経験を思い出すのだけは、本当に辛かったに違いない。それを私は思い出させてしまったのだ。
ただの好奇心で聞いたわけではなかった。だが父を失い、ずっと弟のように愛してきた存在に人殺しと呼ばれ、いわれの無い復讐を受ける。そんな恐ろしくも辛い経験をどうやったら分け合えるというのだろう。
シェランは頭の中が真っ白になった瞬間、ジュードを抱きしめていた。
「シェ・・ラン・・・?」
「ジュードは・・・ジュードは何も悪くない!そんな事みんな分かっているわ。あなたの仲間はみんな分かっている。だからジュードが出て行く事なんて無いの。私が・・・私が守るから。あなたの仲間は絶対守ってみせるから。だから帰ってきて。あなたはライフセーバーにならなきゃ・・・ならなきゃ駄目。絶対ならなきゃ駄目なの!」
閉じた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。戻ってもいいのだろうか。こんなにも大切な人達を傷付けてしまったのに・・・。
「それじゃあ、シェランは誰が守るんだ?」
ジュードはシェランの胸から照れたように顔を離した。
「私?決まっているわ。ジュードが守ってくれるんでしょ?ずっとそうしてくれてたじゃない。それに私の誕生日をみんなでお祝いしてくれるんでしょ?リーダーのくせに来ないつもり?」
シェランにとって誕生日を祝うことは、どれほど心を葛藤させることだろう。それでもシェランはジュードを取り戻したかった。彼にライフセーバーとして生きて欲しかった。
ジュードはまだ少し照れたようにシェランの顔を見つめると微笑んだ。
「シェランの誕生日プレゼント、まだ買ってないんだ」
病院の出口を出た時、ジュードは不覚にも泣きそうになって無理やり笑顔を作った。階段の下でAチームの仲間達が一列に並んでジュードを待っていたのだ。彼等の真ん中に立ったマックスが、腰に手を当てて叫んだ。
「ジュード、お前はな。弟に遠慮しすぎなんだよ。だから甘えん坊の弟はいつまでもお前に甘えるんだ。兄貴だったらな、一発ガーンと言ってやれ!」
さすが5人兄弟の長男だ。ジュードは思わず苦笑すると、階段を駆け降りた。
― オレがどれ程、お前達に会いたかったか分かるか・・・? ―
男友達に頭を何度も叩かれながら嬉しそうに笑っているジュードにエバが言った。
「お帰り、リーダーさん」
2日後、マイアミ警察の児童・少年課に身柄を預けられていたコリンは、その罪を問われることなく出所してきた。彼のような少年の場合、保護者が引き取りに来る事になっているので、てっきりコリンは母が来ているのかと思って出て来たが、外で待っていたのはジュードだった。母親に来られたりしたらもっと困るくせに、コリンはジュードを見るとむっとしたように顔を逸らした。
「コリン、すぐにオレゴンに戻るんだ。叔母さんが心配しているぞ」
「ママに・・・知らせたの?」
「電話があったんだ。コリンが家出して戻らない。そっちに来ていないかって・・・・」
ジュードが海難救助隊に入ろうとしているという噂を聞いたのは、つい3ヶ月前の事だった。父を見捨てた人間がライフセーバーになるなんて許せない。あいつはきっと僕やパパの事も忘れてしまったんだ。だったら思い出させてやる。あいつを人を救うライフセーバーになんか絶対させてやるものか。
そう思ってコリンは母にもジュードの所へ行くことは黙って出て来たのだ。母には父とロバートの墓参りに行くと言って家を出た。帰りにレゼッタの所で何日か過ごすからとも言っていたので、クレアはまさか、コリンがフロリダまで一人で行ったなどとは思いもしなかった。だが、余りにも帰りが遅いのを心配してレゼッタに連絡を取ると、彼女の家には一度も立ち寄っていなかったので、ジュードに電話をかけたのだ。
コリンは事件を起こす2週間前からSLSにいて、ジュードを見張っていた。子供がホテル等に行くと家出と思われて ―本当に家出なのだが― 必ず警察に通報される。コリンはSLSの女子寮がエバとキャシー、そして3年生のナタリーが使っている部屋以外は全て空室なのを知ると、誰にも見つからないよう1階の物置部屋に隠れた。そこなら鍵が掛かっていないからだ。
食事は寮生達が一気に押し寄せる時間を狙って、大胆にもSLSの訓練生のふりをして食堂で堂々ととっていた。そうやって彼はジュードがどれほど仲間や教官の事を大切にしているか知ったのである。
大切なものを失う辛さを誰よりも知っているからこそ、コリンはジュードを狙わず、仲間や教官に狙いを定めた。そしてそれが身内である自分の仕業だと知った時、やっと僕の事を思い出すだろう。自分が僕から何を奪ったかを思い出して、ライフセーバーになるのを諦めればいい。
「コリン、本当にオレが叔父さんを見捨てたと思っているのか?助けられたのに助けなかったと思っているのか?」
「だって、連れて帰ってくれるって約束したじゃないか!」
すねたように叫んだコリンを見下ろして、ジュードはマックスの言う通りだと思った。コリンは父親の死を他人のせいにして、その悲しみから逃れたかった。だが今はジュードが彼や彼の父を忘れて、新たな生きる道を見出したことが許せないのだ。
そんなにもずっとお前や叔父のことを負い目に思っていて欲しいのか?お前のことを一日だって忘れたことはないのに・・・。
「お前が何故、何の罪も問われずに出てこれたのか分かっているのか?」
「知ってるよ。にい・・・あんたのお友達が訴えを取り下げたんだろ?」
思わず兄さんと言いそうになったコリンは、わざと悪ぶって答えた。
「そうだ。彼等は自分の痛みや恨みよりも、オレがライフセーバーになる事を望んでくれた。そして何よりオレがお前に犯罪者になって欲しくないという気持ちを汲んでくれたんだ。彼等がどんな思いでそうしてくれたか、分かるか?」
コリンにはそれがどういう思いなのか答えられなかった。コリンの心はそれほど子供だったのである。リベリングを中からうまくはずして落ちるような仕掛けを作ったり、車からブレーキオイルを抜くとどうなるか分かっていても彼の心は全く成長していない子供だったのだ。
「コリン、オレはお前がどれだけ反対しようと、必ずライフセーバーになる。それが仲間の望んでくれたことだから。親父やお前の父さんも、きっとそう望んでくれているだろうから。コリン、叔母さんの処に帰るんだ。そしてもうここには来るな。オレも約束通り二度とお前には会いに行かない」
急にコリンは胸の奥に冷たい痛みが走るのを感じた。ずっと憎んでいたはずなのに、もう二度と会わないと言われる事が、これほど心を痛くするのは何故なのだろう。その時コリンは、自分が何を望んでジュードを傷付けてきたのか悟った。
彼はジュードを本当は憎んでなどいないのだ。ただ、ジュードと自分をつないでいた父という存在がなくなった為に、彼が自分のことを忘れてしまうのが怖かった。今のジュードのように何よりも大切な仲間や新しい道を見つけてしまえば、六つも年下の従兄弟のことなど忘れてしまうに違いない。だからジュードが言った『絶対命令』という言葉を使って彼を遠ざけた。優しい彼はきっと何度も連絡を入れてくる、そう思ったのだ。
だが今更、何を悟った所で全ては遅い。ジュードはもう、僕の事を弟とも思っていないんだ。そして今度は彼が仲間を傷付けた僕を憎む番だ。それならそれでいい。僕を憎んでいれば彼は僕の事を忘れないだろう。
「僕が憎いんだろ?大事な仲間を傷付けたから・・・」
「憎い?オレの気持ちがそんな簡単な言葉で表せると思っているのか?」
ジュードは冷ややかに笑うとコリンに顔を近付けた。
「お前がどうしてもオレを許せないのなら、オレを殺しに来ればいい。だがもしもう一度、オレの仲間や教官に手を出したら・・・オレは絶対にお前を許さない。例え地の果てまで追いかけても、オレはお前を殺す。そしてオレも一緒に死んでやるよ。本望だろう?」
背中を向けて去っていくジュードが本気だという事は、幼すぎるコリンにもよく分かった。今までジュードは自分がどんな事をしても、本気で怒ったことなど一度も無かった。どんな時でも笑って許してくれて、いつだって優しかった。
だがもうジュードはコリンの甘えを決して許してはくれない。“本望だろう?”そう言った時のジュードの目はゾッとするほど怖かった。コリンは足元が震えてくるのを感じた。
「本気で僕を殺すの?本気で自分も死ぬの?」
「当たり前だ。オレはお前の兄貴だぞ。弟の罪は一緒に背負い込むさ」
弟・・・。
それは例えどれほど突き放しても、どれほど憎んでも切れない関係だとジュードは言っていた。それがコリンに伝わったかどうか分からないが、次の日の夜、クレアからコリンが戻ったと連絡を受けた。