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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第14部 殺人者 ―助けられない罪― 【3】

 いつも自分からは決して行動を起こさないアズだったが、シェランが駆け出して行った後、初めて自分のパソコンからチームメンバーの携帯に呼び出しをかけた。


― ルームAだ。今すぐ来い! ―


 相変わらず偉そうな文章にチームのメンバーはすぐアズだと気が付いた。そして彼がこんな風に召集をかけるのは、余程の事があるのだと皆知っていた。





 寮の部屋に戻っていたショーンはアズのメールを見た後、嫌な予感に駆られてすぐ彼等の部屋へ向かった。一緒に居たマックスも後を付いて行った。部屋のドアを開けて一歩中へ踏み込んだショーンは「バカヤロウ・・・」と呟いてその場にひざを付いた。後から入ってきたマックスが部屋を見回すと、ジュードの暮らしていた半分の空間だけが綺麗に整頓され、誰の気配も感じなくなっていた。



 ルームAに集まったメンバー達は、アズからシェランがジュードを追いかけて行った事を聞いてすぐに行動を起こした。2人ずつコンビを組んでジュードを探すのだ。


 彼等はコンピューターからマイアミの地図をコピーすると、それぞれの分担地域を決めた。


「ジュードのバカヤロー。俺に一言も無しなんてあんまりだよ」


 半分泣き顔で鼻水をすすっているショーンに、コンビを組んだマックスが煩わしそうに叫んだ。


「俺なんか副リーダーなのに“後は頼む”も無しだぞ。誰が頼まれてやるもんか!あのヤローッ。何が何でも見つけ出して、一発ぶん殴ってやる!」





 ネルソンの入院している病院へ行ったのは、エバとキャシーだった。彼女達もジュードが居る可能性が一番高いと思っていたのだ。2人はネルソンからシェランも来ていた事を聞いて、今度はシェランとジュードを探し始めた。


 マイアミビーチ周辺のモーテルや公園。だがジュードの行方もシェランの姿も見つけられなかった。そろそろ辺りが薄暗くなり、街頭がぽつぽつと灯り始めた頃、エバとキャシーはもう人影も無くなった空港行きのバス停で、ぼんやりと一人ベンチに座っているシェランを見つけた。


「教官!」


 エバとキャシーが走り寄ってきても、シェランはただ悲しそうな目で前を見ているだけだった。キャシーがシェランの前にしゃがみこんで彼女の手を握り締めた。


「教官・・・ジュードは?」


 せきを切ったようにシェランの目から涙がこぼれ落ちたので、エバとキャシーはびっくりして彼女を見つめた。SLSの鉄の女は、今まで一度も生徒の前で涙を見せた事は無かった。いつでも彼等の為に強くあろうと頑張っているのを皆が知っていた。



「行っちゃったの。空港行きのバスに乗って・・・。私、止められなかった。教官なのに・・・なんにも出来なかった。きっともうオレゴンに帰っちゃったんだわ・・・!」


 シェランは両手で顔を覆って泣き始めた。



 エバとキャシーは眉をひそめて互いの顔を見た。確かに空港行きのバスに乗ったのなら実家のあるオレゴンに帰る可能性はあるだろう。だが果たしてあの責任感の強い男が、そんなに簡単にSLSや仲間の事を見捨ててしまえるのだろうか。



 今まで一度も涙を見せたことの無いシェランがまるで少女のように泣きじゃくっているのを見て、エバはとてもシェランのことがかわいらしく見えた。




 教官として潜水士として、生徒の前に立っているシェランは、いつでも凛としていて強くまっすぐで美しかった。そんなシェランはエバの憧れでもあったが、自分達とは違う世界の人間としか思えなかったのも確かだ。だが今の彼女は、ただジュードともう二度と会えないと思うだけで悲しくて寂しくて仕方がないのである。そうだ。この人だってたった2つ年上であるだけで、私達と少しも変わらない普通の女性なのだ。



 エバはキャシーと同じようにシェランの前にしゃがみこむと、彼女のもう片方の手を握った。


「大丈夫よ、教官。どうせあいつの事ですもの。教官や仲間の事が心配でマイアミ周辺をウロウロしてるに決まっているわ。大丈夫。必ずあたし達が探し出してあげる。ね?キャシー」

「うん。絶対大丈夫。必ず見つかるわ。見つけたらすぐに教官の所に引っ張って来てあげるからね」

「えば・・・きゃしぃ・・・」


 シェランは鼻声で呟くと、飛びつくようにエバとキャシーに抱きついた。






 結局その日は夜になってしまったので、門限にうるさいロビーに叱られる前に全員寮へ戻って来た。次の日エバとキャシーから、ジュードが空港行きのバスに乗ったと聞いたAチームのメンバーだが、誰一人彼が実家のあるオレゴンに帰ったと思う人間は居なかった。


「あいつに実家に帰る金なんかあるわけ無いだろ?」

「例え帰れても帰らないって。あの危なっかしいシェラン教官を置いて帰れるわけ無いだろう」


 どうやら皆同意見らしい。最後にマックスが「空港行きのバスに乗ったのは、俺達に帰ったと思わせる為だ。間違いない」と言って結論付けた。



 そこで彼等はまずジュードが向かったマイアミ空港の近くにある安いモーテルやアパートをあたってみる事にした。他の2年のチームやアンディやミシェル達も探すのを協力すると申し出てくれたが、他のチームに迷惑をかけるのはシェランもジュードも望んでいないだろうと思ったので丁重に断った。


 ・・・とはいえ、何故か問題がよく起きるAチームに、寮の門限の22時以降の外出が認められるはずも無かった。彼等は放課後から22時までの時間を利用してジュードを探すほかはなく、なかなか彼の足跡を掴むことが出来ないでいた。







 シェランと別れて空港行きのバスに乗ったジュードは、ひとまず落ち着ける場所 ― 仲間の予想通り、マイアミ空港周辺の安いモーテル― を見つけた。


 バイトのスイミングクラブはすぐ仲間が探しに来るだろうと思ったので(実際ピートとアズが行っていた)そこも辞めてしまっていた彼は、とりあえず働く場所が必要だった。運よく寮付きの工事現場作業員のバイトを見つけた。高層ビルの立ち並ぶマイアミの中心街に建設中の高層マンションで、高い所に慣れているジュードは一気に頂上まで登り、すぐに現場監督に気に入られた。


― SLSの訓練を受けていると、どんな仕事でも出来るんだなぁ・・・ ―



 ビル風の吹き抜ける中、鉄骨の上を歩きながら、ジュードは相変わらず前向きだった。とにかく、くよくよしても仕方がないのだ。ライフセーバーにはなれなかったが、夢は仲間達が叶えてくれる。後は7月31日にある先輩達の卒業式を遠くからでも見送らせてもらって、ネルソンの退院を見届けて、それから・・・・。




 こんな時、いつも最後に思い出すのはシェランの顔だった。泣きそうな顔でバスを追いかけてきてくれた。本当は、シェランは泣き虫なんだと思う。だけどオレ達の為にいつだって強くあろうと頑張っているんだ。



 そして何より心配なのは、シェランが又“あの男”と関わりあうことだ。あの男だけじゃない。ルイスもこのまま黙っているはずは無いと思う。それを考えると不安でたまらなくなる。シェランだけじゃない。又Aチームの仲間まで巻き込まれるようなことになったら・・・。


 離れてしまった自分には、ただ心配するだけで誰も守ることは出来ないのだ。


「シュレイダー大佐に連絡して、もう一度ちゃんと頼んでおかなくちゃな」


 ジュードは青く澄んだ遠い空を見上げた。


 左肩は脱臼した所が完全に直っていないので、まだ重たい物は持てないが、右肩が元気なら仕事をする上でそんなに負担にはならない。ジュードは地上から50階はあろうかという骨組みだけの建物の中で、わずか20センチしかない鉄骨の上を軽々と歩きながら、毎日仲間やシェランの事を考えて過ごした。








 ― 一週間後 ―


 今日は日曜日なので思う存分ジュードを探すことが出来る。とはいえ、無計画に探し回っても見つからない事は、この一週間で証明済みであった。ジュードが2日間だけ泊まっていたモーテルも、見つけた時には既に彼の姿は無く、行き先も不明だった。もっと効果的に探す方法がないか相談する為に、Aチームは朝早くから集合していた。



 ルームAにメンバーが集まると、エバとキャシーが急に騒ぎ出した。


「全く信じられないわ、あのバカ!今日は教官の誕生日なのよ。何をおいても帰ってくるべきでしょう!」

「そうよ。チームを代表してプレゼントも渡さない気なの?」


 このままでは又教官の誕生日パーティに話しが戻ってしまいそうだと思ったピートとサムは、メンバー全員が集まっているこの機会にシェランの両親のことを話すことにした。


 チーム全員が水を打ったように静まり返る中、キャシーはショックで泣き出すし、エバはどうしてもっと早く言わなかったのかと彼らを攻め立てた。



「あんまりだわ。教官がかわいそう。じゃあもうこの先ずっと教官は誕生日を祝えないの?誰もおめでとうって言ってあげられないの?」


 キャシーが泣きじゃくりながら聞いた質問に誰も答えられなかった。それはきっとシェランの気持ち次第であろう。例えシェランが両親を失った悲しみから立ち直っても、その日を祝うのは難しいに違いない。


「愛する者を失った悲しみは、月日が経つほど薄れるどころか深まっていくものだという。きっとジュードはそれを知っているから、あのコリンにも何も言わないんだ」     



 シカゴに居るランディと時々連絡を取り合っているマックスには、その悲しみの深さが計り知れないほど深いものだと分かっていた。どんなに月日が流れてもその痛みは、決して消えることはないのだ。


 マックスの言葉にふとショーンは、あの冷たく凍りつくようなイブの夜を思い出した。ランディの家族を焼き殺した男を捕まえた時、ジュードが言った言葉・・・。



― 愛する人の命を他人の肩に科せるんじゃない。それはオレやあんたが、一生背負って生きていかなきゃならないものなんだ ―



 ジュードは憎むべきは大切な人を守れなかった自分自身だと言った。そうやって彼はずっと父親を救えなかった自分を責め続けてきたのだ。そしてコリンの父親の死も、自分の力の無さが招いたのだと思っているのだろう。



「ジュードは以前、誰かを恨まなければ生きていけない人間も居るって言ったんだ。きっとそれはコリンの事だと思う。だけどそんなのは身勝手だよ。絶対間違っている。コリンは父親を失った悲しみをジュードにぶつけてそれでいいさ。だけどあいつの悲しみは誰が受け止めるんだ?何でもかんでもジュードが背負うことなんかないんだ。どうして責めたりできる?父親を亡くした時、あいつだってまだ12歳だったのに・・・」



 うつむいているショーンの肩にジェイミーが手を乗せると、マックスが彼の頭をコツンと叩いた。


「泣くな、ショーン。大体な、あいつが責任を背負うのは俺達の為だけで充分なんだ」

「そうそう。ジュードには一生俺達の面倒を見て貰わなきゃならないんだから、さっさと探し出すぜ、みんな」


ジェイミーの言葉に全員立ち上がった。








 赤黒い鋼鉄の骨組みしかない巨大な構築物は、いつもなら明るく威勢のいい男達の声や重機の音が響いているが、今日は日曜という事もあり、3つある入り口も全て閉ざされ、ただ鉄骨の間を吹き抜ける強い風だけが冷たいメロディを奏でていた。



 その工事現場のすぐ近くにある小さなショッピングセンターに、リタ・カルバンは今年5歳になったばかりの2人の男の子を連れてやって来た。彼女は駐車場に車を停めると、息子のトミーと友人のリンダから預った彼女の息子、アランの手を引いて車を降りさせ、ふとセンターの隣にそびえ立つ大きな建造物を見上げた。


― あーあ、私もいつかあんな凄いマンションに住んでみたいものだわ ―



 生まれた時から狭苦しいアパートで、たくさんの兄弟と暮らしてきたリタは、今もそう変わらない暮らしを送っている。彼女がまだ完成もしていない素晴らしいマンションに思いを馳せていると、息子のトミーが母の手を引っ張ってそのマンションを指差した。


「ママ、凄く大きなジャングルジムだよ。登ってみたいね!」

「そうね。凄いジャングルジムね。いつかママも登って(住んで)みたいわ」


 リタは溜息混じりに笑うと、トミーとアランの手を引いてショッピングセンターに入って行った。

 





 ジュードが居なくなってからのシェランは、授業こそは普通に行なっていたものの、日に日に元気を失っていくのは誰の目にも明らかだった。そしてそんなシェランを見て最も面白くなかったのは他でもないクリストファー・エレミスであった。



 時々一晩中泣いていたのではないかと思うほど、赤い目をして出勤してくるシェランを見ると、何だか無性に腹が立った。何が頭にくるといって、あのジュードの為にシェランが泣いているのかと思うと、どうにもこうにもやるせない気持ちになって、あのバカヤロウを責める前に自分を責めてしまうのだ。



 クリスは日曜日だというのに何故かじっとしていられず、仕事に出てきた。だが教官室の机の前に座っても今までの色々な出来事が頭を駆け巡り、ペンを持ったまま目の前の海を見つめていたのだった。


 確かに近頃の俺はあいつに冷たくあたっていたと思う。はっきり言ってあんな年下のまだ二十歳にも満たない子供にやきもちを焼くなんて、恥ずかしいと思う。だがどうしても自分を止められなかったのだ。



 近頃の彼らを見ていると、ただ仲がいいというだけには見えなかった。というより、とてもお互いを大切にし合っているように見える。もちろん恋人とかそんな雰囲気はないが、ジュードがシェランを見る目は以前とそう変わりが無いのに、シェランがジュードを見る目が少し変わったのだ。多分ウェイブ・ボートから帰ってきた辺りから・・・。


 ウェイブ・ボートで何があったかは知らないが、彼女の心を揺さぶる何かがあったんだと思う。シェランがジュードを見る目は・・・そう。あれは信頼の目だ。自分の全てを預けてしまえるほどの・・・。


 クリスは溜息を付くと机に手をついて立ち上がった。




 あれこれ思考していて気付かなかったが、誰かがドアをノックしている。彼が「どうぞ」と声を掛けるとBチーム機動のスコット・コルヴィンが入ってきた。彼は2年生で唯一の地元出身の生徒だ。マイアミに実家があるのにSLSは全寮制の為、寮に入らなければならないのが1年の頃はかなり不満だったらしいが、今はそのほうが楽しいといつも言っている。


 スコットは「お早うございます。教官。あのぉ・・・」と遠慮がちに切り出したが、その目は何故か自慢げであった。


「実は僕の友人がマイアミのある建築会社で働いているんですけど、彼が昨日の夜、僕に電話をしてきてですね。彼が言うには・・・その、最近彼が2日だけ手伝いに行っていた工事現場に二十歳前後の若い男が居たそうなんです。


そいつはまるで猿みたいに50階立ての鉄筋の間を上から下までするする移動するし、重い鋼鉄の柱も片手で軽々持ち上げるし、すぐ現場監督に気に入られて働いているそうなんですよ。その男がそこに来たのが丁度一週間前・・・。もしかしたらって思いませんか?」


 自慢げに、まだるっこしい話し方をするスコットをチラッと見ると、クリスは再び椅子に座り足を組んだ。


「それがジュードだという証拠はあるのか?名前は聞いてないんだろ?」

「ええ、名前までは知らないそうなんですけどぉ・・・でもその男は左肩を痛めているらしくて、何でも右手一本でやっちゃうらしいんです。それが又みんなに感心されてて・・・」

「スコット・・・」



 そこまで聞けばもう充分だ。これ以上“地元民の僕だから見つけられたんですよ”と言わんばかりの自慢話を聞く必要はなかった。


「すぐにAチームに知らせてやれ。まだルームAに集まっているはずだ」


 スコットはもちろん知っていますよと言わんばかりにニヤッと笑うと、教官室を走り出た。




 クリスは胸のポケットから携帯を取り出すと、シェランに電話をかけようとしたが、ふと指を止めた。この事を知らせたら、家で暗く沈んでいる彼女は、きっと輝くような笑顔で彼の元に駆けつけるだろう。だが別にシェランが行かなくてもあいつはAチームの連中が連れて帰ってくるに決まっている。何も知らせる必要はないんだ。


 クリスは携帯を机の上に置いた後、再び海を見つめた。朝日を受けて光輝く大西洋の青は、やはりシェランの瞳を思い起こさせる。そうだ。今日はあの人の誕生日なのだ。誰にも祝ってもらえない、誰からもプレゼントを貰えない寂しいバースディ・・・。



「そうだな・・・。君にとって最高のプレゼントをあげるよ、シェラン」


 クリスは再び携帯を手に取ると、シェランの電話番号を記録してあるボタンを押した。







 ジュードが働いている工事現場の周りは3メートル近くある白い壁で全て囲まれ、外を歩いている人々からは中の様子は全く見えないようになっていた。いつもは開かれている3つの大きな扉も、今日は休日という事もあって全て締め切られていた。


 そのうちの一つ、小さな裏通りに面している扉は工事関係者も一部の者しか使わない為か、表側に比べて半分の大きさしかなかった。その側で小さな男の子が2人、扉に手を掛けて開くか開かないか試していた。


「ねえ、トミー。止めようよ。中に入ったらいけないから、ドアが開かないんだよ」


 アランはどうやら中から鍵が掛かっていそうなので、ホッとししながら親友のトミーに言った。しかしトミーの方はせっかく母親が買い物に夢中になっている間にうまくここまでやって来れたのに、この巨大なジャングルジムに登らずして帰るなんて絶対に嫌だった。


 彼は周りを見回して白い壁の下側に開いた小さな割れ目を見つけると、アランが止めるのも聞かず、体をかがめながら中へ入っていった。


「早く、アラン。お前も来いよ」


 中からトミーがのぞきこんで呼びかけたが、アランは首を振った。


「無理だよ。僕の体じゃそんな小さな穴を通れるわけないよ。服を破って又ママに叱られちゃう」

「しょうがないなぁ・・・」


 太っちょの親友に溜息を付くと、トミーは内側から扉の鍵を開け始めた。


「早く来いよ。アラン」


 トミーは扉の中から顔だけ出してアランを呼ぶと、辺りに人が居ないか確認するように回りを見回してから扉を閉めた。




 扉の中にはたくさんの資材や作業機械がそのまま置いてあった。アランはこのどう見ても子供が踏み込んではいけない領域を見て、トミーに帰ろうと進言しようとしたが、彼ははるか上を見上げてこのジャングルジムの全景を見た後、建物の奥についている階段を指差した。



「アラン、見ろよ。階段がついているぞ。あれで上まで登れるんだ」


 ジャングルジムに階段が付いているのはへんだよと言う前に、トミーは辺りに散らばった資材を軽々と飛び越え、鉄の階段を登り始めた。


― 全くもう。ママの前ではいつもいい子ぶりっ子しているくせに ―


 アランは心の中で呟くと仕方なく彼に付いて行った。




 だが建物の半分くらいまで来ると風が強く、手すりを持っていても恐怖を感じずにいられなかった。足元からはるか下は、まるでミニカーのような車や小さな点にしか見えない人々が行き交い、目が回りそうだった。


「ね・・・ねえ、トミー。もう帰ろうよ。きっとおばさんも心配しているよ」

「大丈夫さ。ママは一度買い物に夢中になると3時間は帰ってこないもん。僕らがキッズルームを抜け出した事なんて気付いてもいないさ」



 振り返りもせずに上に向かって登っていくトミーを止める事も出来ず、かといってこれ以上登る事も出来ないアランは、どんどん遠くなっていく友の背中を見ていた。


 いつも行動派のトミーの後ろを付いてきたが、今日は絶対行っては駄目だ。子供ながらにアランは頭の中に響く警笛に気付いていた。もうこうなったらリタに知らせる他はない。彼はぎゅっと手すりを握り締めるとゆっくりと下へ降りていった。






 クリスから電話を受けたシェランは、それから数秒もたたないうちにタイヤの音をきしませて車を走らせていた。コリンが仕組んだブレーキの事故以来、初めての運転で車はまだ代車だった。その代車が来てからもシェランはあの事故のことを思い出すと怖くてハンドルを握ることが出来ず、訓練校にはエバやキャシーと通っていた頃と同じように自転車で通勤していたのだった。


 だが今のシェランは、その時の恐怖さえ思い出すことはなかった。ただどんなことをしてもジュードに会わなければならない。その思いしかなかった。


「もう、もう絶対に逃がさないんだから・・・・!」







 アランがやっとの思いで建物を下り、リタの居るショッピングセンターへの道を走り始めたすぐ後、彼の出てきた扉の前にシェランが運転する車が音を立てて停車した。車から降りたシェランは鋭い目で建物を見上げた後、アランが開けっ放しにして出て行った扉をさらに引き開けて中へ入っていった。


「ジュード!出てきなさい!居ることは分かっているのよ!」


 しかしどんなに叫んでも休みの日の現場に誰も居るはずはなかった。彼女と同じ部外者のトミーを除いては・・・。


「まさか、お休み?なんて言うんじゃないでしょうね」


 まさかでなくても日曜日は大抵現場関係は休みだろう。シェランはジュードに会うことだけを考えていたので、休日の事まで頭が回らなかったのだ。普段ならそこで落ち込むのだろうが、絶対に彼を連れ戻そうと決意していたシェランは反対に沸々と怒りが湧き起こってきた。


「あいつったら、一体何処まで逃げる気なのかしら」


 ぷっと頬を膨らませながらあたりを見回すと、奥のほうに上へと続く階段が目に入った。


「絶対捕まえて見せるわ」


 シェランは自信満々に呟くとその赤い鉄の階段に足を掛けた。







 その日の朝、ジュードは今ではもうすっかり習慣になってしまった早朝の訓練を終え、寮の近くにあるカフェに朝食を取りに行こうと少しずつ人通りの増えてきた通りを歩き出した。


 朝の訓練といっても、SLSのように立派な訓練施設は当然なかった。それでも彼は訓練所を出てから毎日マラソンや腹筋、腕立て、スクワットなど道具無しでも行なえる基礎訓練をやめることは出来なかった。


 汗を流し息を切らす程運動をしていると、必ずいつも周りに居た仲間の顔を思い出してしまう。彼等のことを思うと無性に戻りたくなってしまう。涙が出るほど苦しかった訓練も懐かしく思ってしまう。そして何よりも一番会いたい人が泣いていないか心配だった。




 そんな時でも仕事のある日は精一杯働いて思い出さないようにするのだが、今日のように休みの日はとても一人で寮の部屋に居られなかった。おまけに今日は7月5日なのである。きっと彼女は又泣き出しそうな顔で(いやもう泣いているかも・・・)両親の命日をあの広すぎる家で迎えているのだ。


 シェランが怒りに燃えながら自分を捜しているとは思いも付かないジュードであった。




「そういえばシェランの両親の墓参り、来年も一緒に行こうって約束したのに、果たせなかったな」


 ジュードは暗い顔で呟くとカフェのドアに手を掛けた。しかし突然中から数人の男達が勢いよく飛び出してきて、彼はびっくりしたように後ろへ下がった。


「あれってきっと飛び降りだぜ」

「こんな近くなんてラッキーだったな」


 男達の話と慌てぶりから何か事件があったようだ。ジュードが急いでガラスの向うからカフェの中を覗くとテレビのニュースがライブ映像を流していた。見覚えのある巨大な赤い鉄筋のビル。その頂上近くに張り出した、長さ5メートル幅25センチほどの鉄骨の端に誰かが立っていた。


 まるで絹糸のような金の髪が波打つように風の中を舞っている。その女性は時折吹きつける強い風に体をそらせながら、いつもの凛とした表情で前を見つめていた。


「シェラン・・・?ウソだろ?」






 足元に感じる不安定な恐怖を何度も心の中で否定しながら、シェランはゆっくりと下を見た。たくさんの人々がはるか遠い地面から自分を見上げている。噂を聞きつけた地元のテレビ局が早々に駆けつけて、肩に担いだカメラを上空へ向けていた。


「あら、テレビ。これは好都合ね」




 シェランはここで騒ぎを起こせば必ずジュードが気付いてやってくると思ったのだ。SLSの教官という立場の自分がこんな風に世間を騒がせたりするのはいけないことだと分かっていたが、こうでもしないと彼は決して姿を現さないだろう。妙に探せば勘のいい彼のことだ。見つかる前に逃げられてしまう。


「冗談じゃないわ。二度と逃がすもんですか・・・・」





 幸いなことにジュードがいつもモーニングを食べているカフェは工事現場のすぐ近くにあった。彼は周りを取り囲んでいる人ごみを掻き分け、表通りに面した一番大きなドアを思い切り引いたが、びくともしなかった。元々この扉は重機などが出入りする大きさなので鍵が掛かっていなくても重いのだ。


 ここから入ったのではないだろうと思ったジュードは裏通りにある別の扉まで走っていった。紺色の車が扉の前に横付けされている。シェランの車ではないが、彼女はきっとここから入ったのだ。車の向うの扉は予想通り開いていた。


「全く・・・バカシェラン」





 時折吹き付ける突風に体を押される度、シェランは本当に足を踏み外して下に落ちてしまいそうな錯覚に襲われた。そうだ。靴を脱ごう。ヒールの付いているパンプスを履いているから体が揺れるのだ。


 シェランは一度深呼吸するとゆっくりと靴を脱ぎ始めた。だがせっかく脱いだ靴をどうすればいいだろう。下に落としたりしたら誰かに当たるかもしれない。そう思うと靴も脱げなかった。


「大丈夫。何とかなるわ」


 もう一度思い直して靴を脱ごうとした時だった。自分の名を呼ぶジュードの声を聞いたのは。


「シェラン!何をやっているんだ?そこを動くな。今行くから」



 シェランは久しぶりに会えた彼に思わず微笑みそうになったが、ぐっと唇をかんで不機嫌そうな顔で彼を見つめた。


「来ないで!あなたはもうライフセーバーを辞めたんだから、人を助ける資格なんて無いわよ」

「そんな事、今は関係ないだろ?大体高い所が苦手なくせに、こんな所まで登ってきてどうするつもりなんだ。自殺でもするつもりか?」



 タイムリーな質問である。シェランはニヤッと笑うと余裕たっぷりに腕を組んだ。


「私に自殺して欲しくなかったら、SLSに戻るって言いなさい。ジュード」

「はあ?そんな話、今ここでしてどうなるんだ?下でいくらでも・・・」

「今したいのよ!」


 どうせ下に降りた途端、さっさと逃げるつもりに違いない。いつも口では負けているシェランだったが、今日は絶対に勝たなければならなかった。決着は今付けるのだ。



「オレは帰れないよ。コリンはオレがライフセーバーになるのが許せないんだ。オレがみんなの側に居る限り、きっと又何かが起こる。オレのせいで仲間が傷つくなんて絶対嫌だ。もう嫌なんだ」


「どうしてそれがあなたのせいなの?ネルソンは言っていたわ。俺がプロならリベリングを持った段階で何かおかしいと気付いてなければならなかった。訓練を訓練と思っていたのが間違いだったって。ジェイミーも私もそう。誰もあなたのせいだなんて思っていないわ」


「それは違う。突発的な事故と故意にやった事とは全然違うんだ。あいつが又何かをしたら、今度こそ誰かが死ぬかも知れない。そんな事になったら、もう耐えられないよ。だったらどんなに辛くてもSLSを辞めるしかないじゃないか。ライフセーバーを諦めるしかないじゃないか!」




 平気な顔をして仲間の元を去ったジュードであったが、それは本当に心が千切れるように辛い事だった。それでも我慢していたのだ。もう二度と仲間が傷つくのを見たくはなかった。そしてコリンにも、これ以上罪を犯させたくはなかったのである。


「ジュード。あなたが本当にコリンのお父さんを殺したんなら恨まれても仕方がないでしょう。でも違うのでしょう?コリンのお父さんはあなたのお父さんと同じ、事故でなくなったんでしょう?」



 ジュードの頭の中に、激しく岩壁に打ち付ける波の音が蘇ってきた。


― ジュード!手を離すな!決して離すんじゃないぞ! ―



 今思えばあれは父の声だったのか、それともコリンの父の声だったのか。


「殺したも同じだよ。助けられなかったんだから・・・」



 これだ。これがジュードの弱さなのだ。シェランはずっと前から懸念していた。いつかきっと彼はこの弱さのせいでライフセーバーとして挫折する日が来るのではないかと。


 彼は目の前で父が死んでいくのを見ている。だからこそ少しでも父のように海難事故で死ぬ人々を救いたい。その思いだけでここまでやって来た。


 だが相手が自然という大いなる敵である限り、人間にはどうしても超えられない壁があるのだ。その時ジュードは、自分の限界を思い知るだろう。人の命の儚さを思って、己の弱さを憎むだろう。悔恨の為に夜も眠れぬ日々を送り、やっと忘れかけた頃に又人の死を経験し、深い闇の中に心を沈める。


 それはかつてシェランが経験してきた全てだった。目の前で死に行く人々に手を差し伸べることさえ許されず、そして彼女は傷つき疲れ果てて本部隊員の座を退いたのだ。


 彼もきっとそうなる。その余りにも優しい心と責任感の強さで全てを背負い、押し潰されてしまう。



― そんな事はさせない・・・ ―



 シェランはぎゅっと唇に力を入れて、うつむいているジュードを見つめた。ほんの少しずれただけで踏み外してしまいそうな細い足場も、体を押し倒さんばかりの強い風も、もう彼女を恐れさせることは出来なかった。シェランはただジュードを守る為だけにここに居た。


「助けられないことが罪なら、私達はみんな・・・ライフセーバーと呼ばれる人は全て、その罪を背負っているわ。ライフセーバーとして生きる限り、私達は人の死といつだって隣り合わせよ。


何度心肺蘇生を繰り返しても目覚めない人も居る。助けを求めてしがみつく手を振り払わなければならない時もある。時には一生共に生きていけると思っていた仲間を失うことだってある。それを全て背負いながらもあなたは次の任務に向かわなければならないの。


ジュード。本当の気持ちを教えて。その全てを乗り越えることが出来ないから、あなたは出て行くの?本当にもうライフセーバーを諦めてしまってもいいと思っているの?」




 ジュードはすぐに答えることが出来ずに黙っていた。今シェランが言ったことをまだ経験はしていないが、これから先プロになればいつかは経験することだとも知っている。自分が本当にその時それらの試練を乗り越えられるかどうか自信はなかったが、ライフセーバーの夢を諦めようと思ったことは一度もなかった。


 自分がそれを辞める時は年を取って引退する時だと思っていた。いや、例えそうなってもライフセーバーとして生き続けるだろう。身体の動く限り人を助けながら・・・。



 考え込んでいたジュードは子供のすすり泣くような声がして決まり悪そうに言った。


「シェラン、泣くなよ」

「私、泣いてなんかいないわよ」


 本当にシェランは泣いてはいなかった。今は泣いている場合ではないのだ。だが確かにシェランにもその泣き声は聞こえていた。それも頭の上から。



「ねえ、ここって誰か転落死した人が居るとか?それで夜な夜な泣き声が聞こえるとか・・・」


 シェランは背中に冷たいものが走るような気がした。今は朝だが、シェランには幽霊としか思えなかったのだ。


「そんな噂は聞いたことが無いけど・・・」


 ジュードが顔を上げると、彼等のいる柱のさらに上の鉄骨の柱にしがみつくようにして小さな手と足が見えていた。


「誰かいるのか?」


 ジュードの問いに小さな男の子が柱の影から顔を出したので彼等はびっくりした。こんな高い場所に子供が居るはずないと思ったシェランはやはり幽霊ではないかと思ったが、どうやら生きた人間のようだ。


「君、どうしてこんな所に居るんだい?」


 震えながら泣いている少年を驚かせないようジュードは優しく尋ねた。


「お・・・大きなジャングルジムがあったから登ってきたんだ。ママも登りたいって言ってたし。で・・・でもここまで来たら戻れなくなっちゃって・・・」



 シェランは不安そうに男の子の様子を見つめた。彼が居るのはシェランと同じビルから張り出した一本の柱の上である、そこまで来てしまった彼は自分の登ってきた高さに気が付いて戻れなくなってしまったのだ。


「そうか、君、名前は何て言うんだい?僕はジュード・マクゴナガルって言うんだ」

「ト・・・トミー・カルバン・・・」


 フルネームで答えられるという事はまだ余裕があるという事だ。ジュードは彼に向かってにっこりと微笑むと、近くの柱に手を掛けた。


「いいかい?トミー。今から僕がそこまで行くからそのまま動かないで。手と足にしっかり力を入れていれば大丈夫だから。いいね?」


 トミーが頷いたのでジュードは傍らの柱を登り始め、シェランはトミーのいるすぐ下側まで戻って来た。


「トミー、大丈夫よ。ジュードは高い所に登るのが得意なの。すぐそこに行くからね」


 トミーはシェランに頷き返したが、その小さな目は同時に、はるか下から必死に人ごみを掻き分け、自分の名を呼んでいる母の姿を捉えてしまった。


「トミーッ!!」

「ママ?」



 その瞬間、トミーの腕から力が抜け、彼の身体は張り出した柱の横を滑り落ちた。下に居たシェランはうまく彼の身体を受け止めたが、その反動でよろめき、傾いていく体を立て直すことが出来ないまま滑り落ちた。必死に戻って来たジュードの差し出した手を掴んだが、彼も又、その反動で柱の上から足を滑らせた。シェランの靴が片方、音もなく落ちていった。


 ジュードは何とか右手で鉄骨の端に捕まっていたが、左肩に激しい痛みが走り、シェランの手首を握っていた左手が力を失っていくのが分かった。再び脱臼したのだ。


「シェラン・・・手を・・離すな・・・」

「ジュード?」



 ジュードの手が力を無くしたので、彼の肩に異変があった事はすぐシェランにも分かった。このまま2人分の体重を支えていたら元に戻らなくなる危険性もある。シェランは下を向いて左手に掴んでいるトミーを見た。母を呼びながら泣きじゃくっている小さな子供。どうすればいいんだろう。このままではジュードの肩が・・・。




 地上で高い鉄骨の柱から人が一人ずつ足を踏み外すたび叫び声をあげていた見物人達は、今度は急に歓声を上げ始めた。

「頑張れ!もうすぐだぞ!」

「がんばれー!」


― くそっ、何がもうすぐなんだよ・・・・ ―


 左腕からどんどん力が抜けていく。右手の先が3人分の体重を支えきれずにゆっくりと鉄骨から離れていくのを感じた。


― もう駄目だ・・・・! ―



 ジュードが唇を噛み締めて目を閉じた瞬間、右手首が何か暖かいものに包み込まれたような気がしてハッと顔を上げた。


「大丈夫か?ジュード。すぐに引き上げてやるからな」

「何やってんだ、お前は。辞めてまで人命救助してるんじゃねーよ」


 いつものようにさわやかに笑うジェイミーと、ひねくれたように口を尖らせているマックスが、しっかりと彼の腕を掴んでいた。向う側の柱ではショーンが彼等の身体に巻きつけた命綱を柱に巻きつけながら、ひどく怒ったような顔でジュードを見ていた。


「ジュード。今度僕に黙って出て行ったら、お尻ペンペンだからな!」


 ジェイミーとマックスに引き上げられながら、ジュードは思わず息を詰まらせた。





 工事現場の周りに集まった人々は、マックス達がいとも簡単に3人の人間を引き揚げていく様を見て歓声を上げていたが、同じく下に残った一般や潜水の仲間達も上を見上げてホッと一息ついた。


「やっぱり機動ってサルだよなぁ」

「俺、あんな高い所、絶対無理」


 ブレードとレクターが感心している横で「ふん!バカとサルは高い所に登りたがるんだ!」とアズは叫んだ。ジュードを見つけてホッとしたのか、彼にもいつもの毒舌が戻ってきたようだ。




 トミーを背中に担いだマックスが下りてくると、リタが泣きながら我が子の側に駆け寄ってきた。それと同時に彼等の周りは取材陣やテレビカメラに囲まれてしまったが、彼等は一切何も答える事無く、顔を隠しながら人ごみを掻き分け走り出した。(もちろんジュードはドサクサに紛れて逃げられないように腰に命綱を巻かれ、その端はショーンが持っていた)


 トミーを助けたのはいいとして、もともとの騒ぎを起こしたのはシェランである。こんな事がSLSにばれたら又アダムス・ゲインに何を言われるか分からないと思った彼等は、とにかく逃げることにしたのだ。ジュードやマックス達とは別の所にいた一般や潜水の者達もすぐに逃げ出した。






 必死で後を追いかけてくるマイクやカメラを持った人々を何とか撒いて、彼等はマイアミ病院に走りこんだ。


 ジュードは以前、ジェイミーを受け止めたとき転倒したせいで肩に強い衝撃を受け、関節内にひびも入っていた。それがまだ完治していない内に再脱臼すると、靭帯や周辺に筋肉損傷、神経組織の圧迫等を引き起こしている事もある。こういう時には素人が元に戻したりせず、すぐに専門医に見せるのが一番なのである。



 肩から三角巾で左腕を固定したジュードが診察室を出てきた時、少し蒼い顔をしていた。どうやら関節を戻す時、相当痛かったらしい。てっきり診察室の外にはAチームがずらっと並んでいて今回の件を口々にののしられるだろうと思っていたジュードは、待合室にシェランだけが一人で座っているのを見てホッとした。


「どうだった?」

「うん。ひびが入っていた所が更に広がったみたいで相当怒られた。しばらく左腕は絶対使うなって・・・」


 彼は笑いながらシェランの横に座った。その後黙ったまま座っているジュードとシェランに見えないように体を隠しながら、少し歩けるようになったネルソンとAチームの13人が廊下の影から様子を見守っていた。彼等はシェランになら、ずっとジュードが心に秘めていた過去を話すのではないかと思ったので、2人きりにする事にしたのだ。



 暫く押し黙ったままいたシェランが、口を開いた。


「ジュード。あなたの辛い過去を私なんかが聞いちゃいけないと思って一度も聞かなかった。いつかあなたが話してくれる気になるまで聞かないでおこうと思っていたの。でも、以前ジュードは言ってくれたでしょ?“オレも一杯乗り越えなければいけないことがある。だから一緒に頑張ろう”って。あれから私、ずっとその言葉を励みに頑張ってきたのよ。


巡洋艦で人質になってみんなから引き離された時も、私達は一緒に頑張ってるんだから一人じゃないって・・・ずっと自分を励ましてきたの。そんな風に自分を勇気付けなきゃならない程、私は新米教官で、何の力も無くて、いつもみんなに迷惑をかけて。ジュードがSLSを辞めるほど悩んでいたのにも気付かないで、本当に頼りない教官だわ」



 ジュードは黙ったまま首を横に振った。そんな事は無い。シェランがいたからAチームはここまでやってこられたのだ。


「でも、そんな私でもあなたと一緒に頑張らせて欲しいの。ジュードと一緒に頑張りたいの。お願いだから一人で全てを抱え込まないで。私も一緒に頑張らせて」


 ジュードはシェランを見た後、少しうつむいて考えていたが、やがてゆっくりと閉じられた過去を開け始めた。二度と忘れられないあの日を・・・・。





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