第14部 殺人者 ―助けられない罪― 【2】
その事故の知らせがAチームの訓練生に届いたのは、それから2時間後だった。彼等は早く病院に行く為にバスではなく4,5人ずつに分かれて車を訓練所に持って来ている仲間の車に乗り、マイアミ病院にやって来た。まだネルソンも入院している病院である。
14人の生徒が足音を響かせてシェランの居る病室まで来ると、彼女の部屋から3人のスーツ姿の男が出てきた。彼等は驚いたように立ち止まって見ている青年達をじろりと見た後、軽く会釈をして去って行った。
「教官!!」
病室に飛び込むように入っていくと、シェランは体中に包帯を巻いていたが、何とかベッドに半身を起こしていた。ウォルターとクリスが彼女のベッドの脇に座っていたが、訓練生に場所を譲るように2人揃って出て行った。
「教官、何があったんですか?どうしてこんな事に・・・?」
訓練生達も薄々気付いていたのだ。ネルソン、ジェイミー・・・そして今度はチームの担当教官。こんなにAチームにばかり災難が降りかかるのは、何か理由があるのではないのか?
「いやあね、みんな。心配しないで。全然大丈夫なんだから。本当に私ったらドジね。ちょっと考え事をしていたら木にぶつかっちゃうなんて。街路樹を3本もなぎ倒しちゃった。だから大きな車に乗っていないと駄目なのよね。あははっ・・・」
シェランは生徒に心配をかけないように出来るだけ明るい声でしゃべった。だがもう2年近く彼女と共に過ごして来たAチームのメンバーには、シェランがこんな風にたくさんの言葉で妙に明るく話す時は何かあると分かっていた。キャシーがベッドの脇にしゃがみこんで顔を覗き込んだ。
「教官。さっき来ていたの、警察の人でしょ?わざわざ病院にまでやって来るなんて、ただの事故じゃないんでしょ?」
シェランはハッとしたようにキャシーの顔を見たが、黙ってうつむいた。真相もはっきりしないのに何も言う事は出来ない。あなた達は誰かに狙われているなんて。
「いいえ、キャシー。本当にただの事故なの。だから心配しないで」
キャシーはうつむいたままのシェランの顔をじっと見た後、立ち上がった。
「みんな!ネルソンの見舞いに行きましょうよ。みんなで行ってびっくりさせてやるの」
メンバー達は驚いた顔でキャシーの顔を見たが、すぐに病室を出始めた。ジュードも立ち上がろうとしたが、エバとサムに両肩を押さえられた。
「あんたはここに居るの。リーダーでしょ?」
「後は宜しくな、リーダー」
― 全く・・・気の利く奴等だな ―
ジュードは苦笑して彼らが出て行くのを見送った。シェランはまだ顔も上げる事が出来ずにうつむいている。
「シェラン。みんな行ったよ。オレには話してくれるだろ?車に乗って、それから何があったんだ?」
車に乗って・・・それから・・・。その後の事を思い出すと、あの時の恐怖が蘇って来て、足元ががくがくと震えてきそうだった。
「ブレーキが・・・急に利かなくなって・・・坂道をそのままのスピードで下りて行ったわ。だからサイドブレーキを引きながらハンドルを切って、木にわざとぶつけたの。そのまま大きな道路に出たら、他の車や人に当たってしまうと思って・・・・。こ・・・」
怖かった。そのセリフをシェランはぐっと呑み込んだ。ジュードに弱音を吐いたら、今まで堪えていた全てがあふれ出てきそうだった。
「警察の話ではブレーキオイルが0だったって。そんなはずはないわ。いつもちゃんと点検しているもの。それにリベリング装置も、誰かに細工された跡があったらしいの。外から見た目は全く分からないけど、体重を掛けると外れるように・・・」
「じゃあ、鉄塔も?」
「ええ。それからアズが使おうとしたアクアラングに穴が開いていた事もあったわ。幸い事前に気付いたから良かったけど、もしそのまま潜っていたら・・・」
何て事だ。狙われていたのだ。オレ達が。一体何故・・・・?
そんな事をする人間には全く心当たりが無かった。今まで彼等は様々な事件に関わってきたが、どの犯人もこんな小さな訓練校の生徒をターゲットにするような小物ではなかった。だがそれでも、Aチームが今事件に巻き込まれているのは間違いないのだ。
ジュードはシェランの包帯の巻かれた手に、自分の手を乗せると彼女に笑いかけた。
「坂道でブレーキが利かなくなるなんて怖かっただろ?でもさすがオレ達の教官だな。サイドブレーキをかけて街路樹にぶつけるのが、一番正しい判断だもんな」
シェランは涙を堪えながら笑い返すと再びうつむいた。
「又、チームの誰かに何かあったら・・・私・・・」
「その事だけど・・・」
全ての事故が偶然ではなく故意なのだとしたら、もう猶予は無い。すぐに動かないと、また何が起こるか分からないからだ。
「これは非常に緊急を要する問題だ。だからちゃんとみんなにも話すよ。余計な恐怖を与える為じゃない。犯人が誰で何の目的でこんな事をしているか分からない以上、自分の置かれている状況をちゃんと把握して自分自身を守る為だ。みんなには常に2人以上で行動してもらう。授業の時も細心の注意を払って。クリスやロビーにも事情を話して協力を仰ごう」
「彼らには私から話すわ。校長先生にも・・・」
「うん。それからエバとキャシーは2人だけで女子寮においておくのは危険だから、シェランの所へ行かせてもいいか?」
シェランはもちろんという風に頷いた。
「それと車が直っても、犯人が捕まるまで使用は避けたほうがいい。エバとキャシーと3人で自転車通学する?」
「私は通勤よ。犯人が捕まるまでって、まさかあなた達で犯人を捕まえようなんて思っているんじゃないでしょうね」
「まさか。さっき来ていた強面の警官が捕まえてくれるだろ?オレ達はおとなしく地味な訓練に明け暮れてます」
― どうも怪しい・・・ ―
心の中で呟くと、シェランはにっこり笑ってジュードの顔を見上げた。
その日の夜の内にジュードは自分の部屋にみんなを集め、シェランから聞いた話を伝えた。エバとキャシーには、それぞれ一般と潜水の仲間から休憩時間などに話してもらうことにした。メンバーは自分達が何故狙われなければならないのかは分からなかったが、とにかくジュードの提案を呑んで、注意深く行動する事にした。
「・・・で?機動、潜水と来たら、次に狙われるのは俺達一般ってわけ?」
サムが皮肉たっぷりに笑った。
「分からんぞ。潜水は未遂だったんだからな」
ブレードがアズの方を見つつ答えた。
「じゃあ、とりあえずライフプレサーバーとライフシップ、消防艇ってところか」
「12人だから4人ずつで3組作ってそれぞれを見張るってのはどうだ?」
「エバとキャシーを抜かすのか?又あいつら“女を差別するの?”ってうるさいぞ」
「だって危険だろ?犯人が一人とは限らないし・・・」
どうやらシェランが思ったとおり、おとなしく地味な訓練に明け暮れようと思っている人間は一人も居ないようだ。とりあえずハーディの意見を採用して4人ずつで3つの組を作ることにした。
ライフプレサーバー等の備品類をマックス、アズ、ノース、ハーディ。港にあるライフシップと消防艇をジュード、ジェイミー、レクター、ブレード。後の4人がヘリや寮等を総合的に見張りながら彼等の食事を運んだりする役目を引き受けた。
次の日、ピートとサムから昨日の話し合いの結果を聞いたエバとキャシーは、想像通り「まさか私たちをのけ者にする気じゃないでしょうね」と言って、人手の居るジュード達のグループに入って来た。それから3日間は何事もなく、シェランも退院して戻って来た。
「このまま何も起こらなければいいんだけどなぁ・・・」
SLS専用港の端にある倉庫の影から、ライフシップや消防艇を見張りながらレクターが呟いた。
「エバ、キャシー。そろそろ教官の家に帰った方がいいんじゃないか?」
ジェイミーが後ろに居る2人に話しかけた。
「大丈夫よ。今日は教官、まとめものがあるから遅くなるんですって」
「ならいいけど、ばれない内に帰れよ。又教官に黙って勝手な事をしてって、すぐ怒るからな」
以前ジュードがエバと出かける事をシェランに黙っていた時、仲間はずれにされた彼女の怒りは大変なものだった。今回も教官であるシェランには秘密に行動しているので、彼等は気を遣っていたのだ。
「あら、残念ね。もうばれちゃってるわよ」
「へえ、そう。もうばれて・・・」
後ろから響いてきた女性の声に思わず答えそうになったブレードは、そろりと後ろを向いて「わーっ!」と叫んだ。
「バカ!声が高い、ブレード!」
レクターが慌てて彼の口を押さえたが、目の前で腕を組んで立っているシェランに愛想笑いをするしかなかった。シェランは凍りついたようにその場に座っている生徒の間を通り抜けると、一番後ろにへたり込んでいるジュードの前に立ち、腰をかがめて彼の顔を覗き込んだ。
「何が“犯人探しは警察に任せて、オレ達は地味な訓練に明け暮れてます”よ。こんな危険なマネを誰がしろって言ったのかしら?リーダーさん」
「お・・・落ち着いて、シェラン。これには色々と訳が・・・」
「私は充分に落ち着いているわよ。一体どんな理由があるのか聞かせてもらおうかしらね!」
シェランがさらに一歩近付いた時、ジェイミーが小さく叫んだ。
「しっ!誰か来た!」
シェランは急いでジュードの後ろにしゃがみこんだ。
辺りを窺うようにやって来た人影は、一つしかなかった。男に見えるが、背は低く痩せていて女のようにも見えた。ジュード達が息を殺して様子を見ていると、その人物は一番左側の消防艇の中に忍び込んだ。
「チッ、ご丁寧に一番左か」
ブレードが隣のレクターに呟いた。やはり狙いはAチームなのだ。ジュードの合図で、体をかがめたまま一列になって人影が消えた消防艇に向かった。
消防艇の内部に忍び込んだ人物は、すぐに消火システムを制御しているコンピューターがある総合プラットフォームに入った。暗がりの中で制御盤のスイッチを押すと、モニターの電源が入り、そこだけ青白い光が灯った。
腰に吊り下げた袋から一枚のディスクを取り出すと、それをモニターのすぐ右側にあるシステムに差し込もうとした。だがその瞬間、部屋の明かりがパッと灯り、犯人はびくっとしてその手を止めた。ジェイミーが警察を呼びにすぐ船の外へ出て行った。
「今度は消火システムに侵入して、放水口でも操るつもりか?残念だったな。もう二度とオレの仲間は傷付けさせない」
犯人は後ろを向いたまま、固まったようにジュードの言葉を聞いていたが、突然くすくすと笑い始めた。
「何がおかしんだ!お前!」
ブレードが叫んだが、その人物はまるで勝ち誇ったように笑いながらゆっくりと振り向いた。それは金色の巻き毛がまだあどけなさを感じさせる12,3歳の少年だった。真っ白な肌に赤い唇はまるで美しい少女の人形のようにも見え、その幼い美しさが反対にゾッとするものを感じさせた。彼はその水色の大きな瞳を細めながら、仲間の中央にいるジュードを見つめていた。
「久しぶりだね、兄さん。肩は大丈夫?随分とひどく傷めたようだね」
「コリ・・・ン・・・?」
周りに居た仲間は、知り合いのような彼らを驚いて見つめた。
「兄さん・・・って、お前、一人っ子なんじゃ・・」
「ああ、ジュード兄さんのお仲間?初めまして。兄さんの従弟のコリン・マクゴナガルです」
全く悪びれる事無く自己紹介をしたコリンに、ジュードは信じられないような表情で近付いた。
「まさか、お前がやったのか?全て・・・」
「全て?ああ、そうだよ。リベリングが外れるようにボルトを削ったのも、クレーンのアームに切り込みを入れたのも、その女先生の車からブレーキオイルを抜いたのも全部僕さ」
ジュードは、カーッと体中が熱くなるのを感じた。
「自分が何をしたのか分かっているのか?みんな助かったから良かったものの、悪くすれば死んでもおかしくなかったんだぞ」
「ああ、そうだね。死んでいたら良かったんだ。そしたらあんたはもっともっと苦しんだだろう?」
思わず胸倉を掴んで殴ろうとしたジュードを、コリンはギロッと下から睨みあげた。
「あんたに僕を責める権利があるのか?僕の父さんを殺した、人殺しのくせに・・・!!」
― 人殺し?このジュードが? ―
皆が信じられないような目で見つめる中、ジュードの手は力を失ったようにコリンを離した。
「ジュード?うそだろ?お前が人を殺したなんて・・・」
ブレードが顔を覗き込んだが、ジュードはただ黙って目を伏せた。
「何とか言えよ、ジュード!」
彼が何か言い訳をしてくれたらそれを信じればいい。ブレードは懇願するようにジュードに叫んだ。だがジュードは一言も口を開かず、そのまま逃げるように船から出て行ってしまった。訳が分からないまま、シェランは彼の後を追った。
ジュードが人を殺したなんて絶対に有り得ない。なのに何故、彼は何も言わないのだろう。
呆然と立ちすくんでいるブレードの後ろから、レクターとエバ、キャシーの笑い声が聞こえてきて、コリンはムッとして彼らを見た。
「あっはっははっ、あ・・・あいつが人殺しだって・・・!」
「ジュードが殺人犯なら、あたしなんかマフィアの大ボスね」
「じゃあ、私は凄腕の殺し屋キャシーだわ!」
エバは他の2人と散々身を捩じらせて笑った後、コリンの側に行って彼を上から見下ろした。
「あんた、バカじゃないの?このSLSはね。そんな過去を持っている人間なんか絶対入校できないの。あたし達がどれほど厳しい審査を潜り抜けてきたと思ってるの?」
「そうそう。うちなんか親が別居しちゃってるから大変だったのよ。学校の先生に取り入って調査書に“大変良く出来た生徒です”って書いてもらうのに苦労したんだから」
「大体あいつが人を殺して平気で人命救助なんかやれるような奴だったら、もっと楽な生き方しているよなぁ」
レクターの言葉にブレードは全くその通りだと思った。彼は少しでもジュードを疑いそうになった自分が恥ずかしかった。あいつはいつだって自分ばかりが責任を背負って、一人で気をもんでいた。誰かの為に、いつもバカの上に大が付くぐらい一生懸命だったのに・・・。
ジェイミーと共に数人の警察官が足音を響かせながらやって来た。彼等は最初、犯人がまだ少年だったことに驚いていたが、コリンの方は全くおびえる様子もなく、自分から犯人だと名乗り出た。ブレード達は驚いたように警官に連れて行かれるコリンを見つめた。彼等はてっきりコリンが、恐れから自分は犯人ではないと言い逃れをするのではないかと思っていたからだ。
「SLSの仲間意識って、ホント凄いよね。言い訳もせずに逃げた奴をそんなに信じているんだ。だけどあんた達がどんなに思っても、あいつはもうライフセーバーにはなれないよ。この僕が犯罪者になったからね」
コリンはSLSが五親等内に犯罪者が居た場合、入学を拒否されると知っていたのだ。人形のように白い肌の愛らしい少年が、まるで悪魔のように笑うのを見て、ブレードは背筋が冷たくなった。
― 何なんだ?こいつは。どうしてそこまでジュードを憎むんだ・・・? ―
ジュードを追いかけて港の端までやって来たシェランであったが、暗い海を見つめてじっと立つ彼に声を掛けられずにいた。海の底のように深い彼の瞳は、涙さえ流すことが出来ないほど辛く悲しそうだった。とてもではないが、彼に事情を聞くことなんて出来ない。だがジュードの事を兄さんとまで呼んだ従弟の言葉が、彼の心を深くえぐっていることだけは間違いなかった。
― お前が僕の父さんを殺したんだ ―
きっとジュードの父親の死も関係しているのだろう。彼は以前もその事に関してはどうしても話すことが出来ないようだった。彼が余りにも辛そうだったので、以来シェランは一度もその件に触れてはいなかった。
だが真相を知っているコリンという少年は、ジュードに対して執拗に執着しているように思えた。彼を苦しめる為なら他人を殺してもいいと思えるほどに。あの後彼は警察に捕まっただろうが、本当にこのまま全てが終わるのだろうか・・・。
シェランは益々不安になっていく心を静めるように、ぎゅっと右手を胸の前で握り締めた。
「ジュード、帰りましょ?みんな心配しているわ・・・。ね?」
彼はゆっくりとシェランを振り返ると、ただ黙ってシェランの瞳を見つめた。彼の瞳はとても澄んでいて、とても罪を犯した人間のようには見えなかった。そして同時に、こんなに悲しそうに見開かれた目をシェランは初めて見た。見つめているだけで涙が溢れそうになる。
「シェラン・・・ごめん。みんなを傷付けて。シェランを傷付けて・・・。ごめんな、ごめん・・・」
シェランは思わず彼の両腕を握り締めた。
「何を言ってるの?あれはあなたのせいじゃないでしょう?あなたが謝る必要なんて何処にも無いのよ」
だが彼はうつむいたままシェランの手から離れた。まるでもう誰かに優しくしてもらう資格など無い人間のように・・・。闇の中に消えていくジュードの背中を追う事はもう出来なかった。
次の日、朝一番にキャシーから聞いた話は、シェランをゾッとさせるのに充分だった。自分が犯罪者になることで身内を陥れようとするなんて、普通の少年の考えることではない。それほどの憎しみを抱くのは、本当にジュードが彼の父親を殺したのかとも考えられるが、彼を知る誰もがそれを信じていないのは、シェランをとても救われた気分にしてくれた。だから昨日の事を口に出すものも誰も居なかった。
その日の昼休みにシェランが食堂を覗くと、いつものように彼はショーンやマックス達と楽しそうに昼食を食べていた。時折、彼の瞳がまるでいとおしむように仲間達を見つめているのは、きっと安心したからだろう。もう誰も傷つくことは無いのだ。昨日の夜ジュードの事が心配で殆ど寝付けなかったシェランは、ホッとしたように微笑んだ。
放課後シェランが自分の教官室に戻ってくると、ジュードがドアの所で彼女を待っていた。彼は珍しく彼女のことを「シェラン教官」と呼んだ。いつもちゃんと教官と呼びなさいと言っていたはずなのに、シェランは妙に違和感を覚えた。
「どうしたの?何か・・・」
「うん。以前エバとキャシーがシェランの誕生日パーティの話をしていただろう?困ったんじゃないかと思って・・・」
「ああ、その事・・・」
実はコリンが起こした騒ぎのせいで、すっかり忘れていたのだ。シェランにはそれよりも、身内から犯罪者が出て、ジュードが訓練校を退学にならないよう手配する事で頭が一杯だった。
「オレがちゃんと言っておかなかったせいで、あいつら先走ったみたいだから、サムとピートには話したんだ。ごめんな。シェランに断りも無しで」
「そんな・・・いいのよ。あの子達も私の事を思って言ってくれたんだし、そのうち私の方からちゃんと話すわ」
ジュードは頷くとシェランをじっと見つめた。彼の瞳が何か言いたげだったので、シェランは「なあに?どうかしたの?」と尋ねたが、彼は何も答えなかった。ただ、昼間仲間達を見ていたのと同じように、シェランを見つめていた。まるで吸い込まれるように彼の瞳を見ていたシェランは、急に階段の方から響いてきた声に驚いて振り返った。
「ジュード!何処だ、ジュード!」
ウォルターだ。5階の校長室から降りてくるのだろう。ウォルターがこんなに声を張り上げているのをシェランは初めて聞いた。彼女はウォルターを呼ぼうとしたが、今度は後ろからジュードに手を握られて驚いたように再び彼の方を振り向いた。ジュードはまるでいたずらっ子のように にこっと笑うと、シェランの手を離して反対側のエレベーターへと姿を消した。
ウォルターは血相を変えて下りてくると、ジュードが来なかったか尋ねた。
「ええ。今まで居たけど、もう逃げちゃったわ。ジュードが何かやったの?」
冗談交じりにシェランは笑ったが、ウォルターは真剣な顔で彼女の腕を掴んだ。
「彼を追うんだ、シェラン。あいつを行かせるな」
その言葉で、彼の手の中に白い封筒と便箋が握り締められているのに気が付いた。中身を確認しなくても分かる。それは・・・。
シェランは体中の血が引いていくのを感じた。
「何?どうして退学届けなの?ジュードが書いたの?」
「彼は今回の事件の責任を取って辞めると書いている。だが彼には何の罪も無い。彼はただ生きようとしただけなんだ。もし罪があるとしたら・・・助けられなかった罪を背負うとしたら、それは私なんだ」
― 助けられない罪・・・? ―
シェランにはウォルターの言葉の意味を全て理解することは出来なかった。だが、彼がジュードの過去に深く関わっていることは間違いないだろう。
「一体どういう事なの?あなたは知っているのね?彼の昔の事を」
「知っている。だが今は彼を追ってくれ。君しかあの子を止められない。ジュードを・・・君の夢を叶える男を失ってもいいのか?」
シェランは後ろを振り向くと、一目散に駆け出した。階段を駆け降り男子寮へ向かう途中で、アズが息を切らしながら走ってきた。
「教官!ジュードが居ない!荷物が全部無くなってる!」
シェランはすぐさまアズに背中を向け、再び走り出した。
何処に行ったのだろう。走りながらシェランは、今日垣間見たジュードの姿を思い出した。まるで包み込むような目で仲間達を見ていた。きっと今日一日、彼はああやって友に別れを告げていたのだ。そして私にも・・・・。
海に向かって走っていたシェランはハッとしたように立ち止まった。彼は会いに行ったのだ。最後の仲間に・・・。彼女は再び方向を変えると、大通りに走り出て右手を振り上げた。
― 早く・・・早く行かないと・・・ ―
昨日の夜、まるで心に穴が開いてしまったように感じた説明できない不安がシェランの胸を駆り立てた。
― 君の夢を叶える男を失ってもいいのか? ―
ウォルターの声が自分の頭の中の声と重なって響いた。もし今彼と離れてしまったら二度と会えない予感がする。そんなのは嫌だ。目の前に停まったタクシーにすばやく飛び乗ると、シェランはマイアミ病院へと車を走らせた。
夕暮れ時の道路はとても混んでいて、思ったように前に進めなかった。シェランは運転手に「ここでいいわ」と叫ぶと、タクシーから走り出た。
どうして彼は何も言わないで行ってしまうのだろう。そんなに私は頼りない教官なんだろうか。彼が退学にならないように、ジェイミーもネルソンもコリンへの起訴を取り下げるに違いないのに。そうすればコリンは無罪、ジュードはSLSを退学しなくても・・・。
だがシェランはその思考の合間に、昨日見たコリンの表情を思い出した。
― 死ねばよかったんだ。そうすればあんたはもっと苦しんだだろう? ―
彼の瞳はまるで、生きている限りジュードを憎み続けるとでも言っているように冷たかった。例え無罪にならなくても、コリンはそのうち釈放される。その時ジュードがSLSに居れば、コリンは再び彼の仲間を傷付けに来るだろう。それが一番ジュードにとって辛いことだと知っているのだ。そしてそれをジュードは恐れた。何よりも彼は自分の仲間を守りたかったのだ。
シェランがネルソンの病室のドアを開けた時、彼はベッドに半身を起こして、ぼうっと前を見ていた。
「ネルソン、ジュードが来なかった?」
シェランが近付くと彼は小さく肩を震わせ、シェランの方を向いた。
「夢だと・・思ったんです。ジュードがすぐ側に居てじっと俺を見てるんです。あいつ、泣きそうな顔で何度も何度も謝るんですよ。ごめん、ネルソン。ごめんなって。そしてマックスと一緒に後を頼むって・・・。どうしてあいつがそんな事を言うんですか?」
シェランは、こみ上げてくる涙を止める事が出来ずに病室を飛び出した。
― いやだ。このまま会えなくなるなんて、絶対いや・・・・! ―
自分が教官である事も、ずっと思い描いていた夢も何も考えられなかった。ただもう一度彼に会いたい。それだけでシェランは走り続けた。何度も立ち止まって周りを見回した。
― まだ居るわ。まだそんなに遠くに行ってない・・・ ―
祈る様な気持ちで薄暗くなってきた町を駆け抜けた。石畳の広い歩道の上から、バスターミナルを臨んだ。何処かへ行くとしたらきっとここから行くはずだ。必死に探し回るその瞳で、彼女はやっと捉えたのだ。以前プレゼントした紺色のバックをたった一つ肩から下げて、空港行きのバス停に向かう彼の後姿を。
「ジュード!!」
シェランの叫び声は、丁度到着したバスの騒音にかき消された。ターミナルに並んでいた人々が、次々と乗車していく。
「ジュードッ!!」
彼女は叫びながら歩道の降り口を探して走り出した。その時である。シェランの声が聞こえないはずなのに彼はゆっくりと振り向いた。50メートル以上向うにある橋の上から叫んでいるシェランを見つめた。
「ジュード!行っては駄目!駄目よ!!」
シェランは首を振りながら必死に叫んだ。
― シェランは、いつも駄目って言うんだな ―
ジュードはそんな瞳で微笑むと、両手を上に挙げてSLSの手話で語り始めた。
― Aチームを・・・頼むよ・・・シェラン・・・ ―
サインを送るとすぐにジュードは背を向け、今まさに出発しようとしているバスに飛び乗った。
「ジュードォォッ!!」