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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
57/113

第13部 消えた巡洋艦 【11】


 ウォルター・エダース校長率いる、何の武器も持たない救出隊がこの洞窟のような島の外側に到着したのは、午前2時を回った頃だった。



 彼等はすぐにこの島が人工島であることに気がついた。島の内側にはたくさんのブイ(浮き)が付いていて鋼鉄の土台を支えていたからだ。それから彼等は島の下を潜り抜け、ヴェラガルフの巨大な腹の下からそっと海上に頭を出して様子を窺った。



 サムとダグラスの姿が見えないが、彼らは何かあった時に船を動かす為、アトランティック・フィッシュ号で待機である。他の8人は夜が明けるまでに何とか辿り着けたのは良かったが、どうやってヴェラガルフの中に入ればいいか分からなかった。艦の上部にたくさんのマシンガンを携えた人影が見えたからだ。





 暫く船底を泳ぎ回っていた訓練生は、艦の底に外部から何かを点検する為の出入り口を見つけた。大きなハンドルを2人がかりで回し切り引っ張ると、ゆっくりハッチが開いていった。人間一人がやっと通れるような小さな出入り口だ。



 中へ入ってみると、そこは水を止める為の部屋になっていた。入ってきたハッチを閉め、さらに上部にあるハンドルを回してもう一つのハッチを開けると、空気のある艦内に入れるのだ。天井にあるハッチは上向きに開いた。



 まずネルソンが中の様子を窺うように顔を出したが、辺りは真っ暗で誰も居ないようだ。彼が水中ライトを照らしながらその入り口から這い上がると、次々にAチームの訓練生が上がって来て、最後にウォルターが生徒と同様、身軽に這い上がってきた。



 彼等は急いで酸素ボンベを下ろし、ドライスーツを脱いだ。ウォルターがどうやって手に入れたのか、巡洋艦の内部を示した図面を広げると、ピートとレクターが水中ライトでそれを照らした。CG72の図面ではないが、米国の巡洋艦ならば、どれも似たような造りをしているはずだ。



 この艦で一番広いのは武器格納庫と食堂だったので、人質は食堂に集められている可能性が高いとウォルターは判断していた。



「いいか、お前等。言わなくても判っていると思うが、敵は武装している。俺達のような頼りない救出隊が出会ったら、ひとたまりもないからな。絶対勘付かせるな。そしてまず人質が無事かどうか確認する」


「それって凄く無茶な注文のように思えるんですが・・・」


 ネルソンが自信なさそうに言った。勢い良くやって来た彼らもあちらこちらに武器を持った兵がウヨウヨ居るのを想像すると、水から上がったのに背中がぞくぞくするようだ。さっき海の中から見上げた時に見えた黒い人影は映画やテレビで見るようなテロではなく、本物の武装集団なのだ。ウォルターが言ったように武器も何も持たない自分達が運悪く出会ったりしたら、あっという間もなく殺されてしまうだろう。



「自信がないなら帰れ。俺は責任は取らん。それでもいいなら付いて来いと言ったはずだ」


 ウォルターは図面を折り畳んで胸ポケットにしまうと、立ち上がった。


「ちょ・・・校長先生!そんな無用心に歩き回ったら危ないですよ。俺達が先導しますから」


 ネルソンとジェイミーは慌ててウォルターの前に飛び出した。









 SLSのちょっと頼りない救出隊がまだ艦の下部でこんなやり取りをしていた頃、全ての身代金の回収を終えた潜水艇が島の内側まで戻って来た。


 彼等は身代金の受け渡しに8つの島を指定していた。そして島に来る際は必ずヘリで来ること、という条件を付けた。そうすれば他の航空機が追ってくれば犯人にまるわかりになる為、誰も後を付けることは出来ないからだ。


 身代金を積んだそれぞれの家のヘリが島を目指して飛行中、再び連絡を入れる。連絡を入れる場所は海底で待機している小型潜水艇の手前で“今からすぐに身代金の入ったトランクを海に投げ捨てろ”と指示する。ヘリはそのまま飛び去る。


 一つの潜水艇が2つの家族から身代金を受け取ることになるが、時間差で、ほぼ同時に受け取ることが出来るように計画は練られていた。後は海上に浮かんでいる十数個の金の入ったトランクをダイバーが拾いに行き、潜水艇まで戻ってくればいいのだ。




 8つの島に先回りして、犯人が身代金を受け取りに来るのを待ち構えている海軍の精鋭部隊が、いつまで経ってもやって来ない犯人にやきもきしている間に、彼等はまんまと人工島へ戻ってくる。勿論たくみに札やトランクに仕掛けられた追尾装置等は全て途中ではずし、トランクごと海に捨てられた。カルディスとアッサンの計画はほぼ成功したといえるであろう。




 彼等は小型潜水艇があった工場のような広場で、部下が自分達の目の前に運んでくる金の山を見ていた。


「計画通り、全て成功したな」


 アッサンの言葉にカルディスは目を細めたが、笑顔を浮かべてはいなかった。


「この金は約束通り、全て君達への報酬だ。好きに使うがいい」

「本当にいいのか。この計画に使った金は莫大なものだったのだろう?」

「あんな金・・・・」



 カルディスは吐き捨てるように言うと、出口に向かって歩き始めた。重い鉄の扉を開け、細く短い廊下を抜けると、そこにドームの上部からいくつものサーチライトに照らし出された巨大な艦が浮かんでいた。まるで死んだように海の上に横たわっているそれは、もはや鋼鉄の守護天使(ガーディアン)でも無敵の要塞でもなかった。あと数時間もすれば暗い海の底に眠る、ただの鉄の塊となるもの・・・。



「私の計画はまだ終わってはいない・・・」


カルディスはじっとヴェラガルフの姿を見つめた後、アッサンと共に艦の中へ入っていった。

 








 ヘレンがカルディーノやウォルフと共に薄暗い小部屋に閉じ込められてから、その部屋の扉は開くことはなかった。彼らも乗客と同じく、食事も水も一切与えられずに放置されていたのだ。特殊部隊の任務で南米のジャングルやアラスカの極寒の中、何日も飲まず食わずで任務を遂行した事のあるヘレンにとっては耐えられないほどの苦痛ではなかったが、ウォルフは年のせいもあってかこの空腹と暑さ、そして薄暗い小さな部屋での監禁状態にかなり参っているようだ。



「まだ、午前2時か・・・」


 空腹で目が覚めたのか、カルディーノがゆっくり身体を起こして、ヘレンがいる反対側の壁にもたれかかった。


「腹が減って眠れないのは分かるが、眠れる時には眠っておいたほうがいいぞ。いつ何が起こるか分からんからな」


 へレンの言葉にカルディーノは力なく笑った。眠れないのは空腹のせいだけではなかった。無論、生まれてこのかたこんなひどい目に遭ったのは初めてだったが、彼にとってはそれよりも、勘当した弟が何故こんな事件を起こしたのか、それはもしかすると自分が彼を追い詰めてしまったせいなのかもしれないと思い、心を痛めていたのだった。



「私が全て悪かったのかもしれません。こんなことならカルディスにガロッディ家を相続させ、私が彼の補佐に回ればよかった」

「ハッ、バカバカしい!」


 へレンは頭から否定するように言った。


「家督が欲しかったんなら、もっと合法的で確実な手段をお前の弟なら取っていたさ。こんな世界を揺るがす事件を起こす必要が何処にある?」

「じゃあ、一体何故カルディスはこんな事件を起こしたのですか?」

「知らん!お前が分からないものが私に分かるわけがないだろう!」


 “それでは答えになっていません”とカルディーノは反論しようとしたが、腹が減って力が出なかった。ヘレンはヘレンで大声を出して余計な体力を使ってしまった。


― ええい、くそ!一体いつまでこんな所で待たせるんだ! ―



 空腹でイライラしているヘレンは、黙り込んでいるカルディーノに当り散らした。


「全く、お前の弟は何をやっとるんだ!一度もお前の顔を見に来ないなんて。本当にお前達は仲良し兄弟だったのか?」



「とても仲のいい兄弟でしたよ」


 へレンの質問に答えたのは、カルディーノと同じ声、同じ姿をした彼の弟だった。久しぶりに開かれたそのドアから差し込む光で薄暗い部屋の中に捕らわれていた彼等は、一瞬目を細めて外から入ってきた人影を見つめた。


「カルディス・・・」


 力なく自分の名を呼んだ兄を、カルディスは軽蔑するように見下ろした。


「お久しぶりですね、兄上。快適なカラカスの本宅と違って、ここは随分過ごしにくかったでしょう。でも兄上が居てくれたおかげで、簡単に彼の部下を潜入させることが出来ました。私があなたのふりをして連れて来れば良かったのですからね」


「カルディス。どうしてこんな事をしたんだ。こんな酷い事を・・・」

「酷い・・?」


 カルディスはヘレンと目だけを開けて倒れたままのウォルフをチラッと見た。


「酷いのはアメリカの方じゃありませんか。勝手に人の国の内政に干渉して、反政府主義者を陰で操り、政権を二度も転覆させようとした。それでも言う事を聞かないなら、今度は軍事介入するぞと脅しをかける。南米はアメリカの植民地ではありませんよ」


「だからこそアメリカと祖国の間に立つ人間が必要なんだ。いがみ合ってばかりいては、わが国の為にはならない。だからこそわたしは・・・」

「あなたのやっている事は、アメリカの犬に成り下がって祖国を売る行為に他ならない!」



 厳しい瞳を向ける弟にカルディーノは毅然とした瞳を返した。それは先ほどまで弟の真意を測ることが出来ずに落胆していた姿とはうって変わった兄の姿だった。


「何度も言ったはずだ、カルディス。私の意志は変わらない。誰がなんと言おうと、これが私のやり方だ」


 カルディスはギリッと歯を噛み締めると、立ち上がった兄の目の前に立った。向かい合って立つ2人の兄弟の姿は正に鏡のようだったが、凪ぐ水面のように静かに決意を表すカルディーノの瞳と、嵐の海のように激しく己の意志を突き通そうとするカルディスの瞳は全く対照的であった。



「1959年1月。キューバの国家元首フィデロ・アルハンドロ・カストロ・ルフは己の国を植民地のように扱うアメリカから真の独立を遂げた。以来50年以上もの間、アメリカから経済制裁という形で国家産業である砂糖やタバコの輸入を禁止され、キューバは貧困にあえいでいる。


それでもカストロ政権がアメリカにひざを屈しないのは何故だ?祖国を再びアメリカの市場にしない為、真の独立を守り続ける為ではないか?例え革命家という名を独裁者と変えられても、彼は決して、かの強大な国家にへつらうようなまねはしない。その精神をあなたは崇高とは思わないのですか?」


「ああ、そうだ。だからこそわが国もキューバを石油で支援している。しかし独立を守り続けるゆえにキューバは国家的貧困を呼び、カストロ政権は危険思想の独裁政権と位置づけられ、今やいつ攻撃されてもおかしくない状況にある。そしてそれはわが祖国にも及んでいるのだ。


カルディス、私は親政府派でも反政府主義者でもない。ましてや親米家でもない。ただ祖国の為に私が出来ることを見出し、それを実行しようとしているだけだ。例え歴史に名を残さなくとも、私は私の歴史を作る」


「ガロッディ家の名に泥を塗り、一族に恥をかかせてもですか?」



 兄弟の間に張り詰めた空気が流れた。そんな2人をあざ笑うかのような笑い声が響いてきて、カルディーノとカルディスはヘレンの方を振り返った。



「バカバカしい兄弟げんかだ。民間人のお前等がどうあがこうと事は進む。ベネズエラの政府が考えを変えない限りな」

「変える必要が何処にある?お前らの提唱している正義など、白人にしか通用しない。一体何万人をその正義の名の下に殺したんだ?」


「知らんな。第一、そんなことを知った所で戦争が無くなるわけではないさ」



 まるで相手を馬鹿にするような態度のヘレンに腹を立て、カルディスは彼女の襟元を掴みあげた。だがその瞬間こそが、ヘレンの待っていた時だったのだ。へレンの身体を幾重にもに縛っていた縄は、彼女が立ち上がるのと同時にバラけて下に落ち、カルディスをその自由になった腕で後ろから羽交い絞めにすると、喉元にナイフを突きつけた。


 へレンがその行動を起こすと同時に床に力なく横たわっていたウォルフが立ち上がり、同じく縄が解けて自由になった手で、ヘレンに向かって銃を構えたアッサンに銃を向けた。天井からアレックが飛び降りてきて、ウォルフの反対側から同じくアッサンの頭に向かって銃を構えた。



「タラトめ。ネズミを取りこぼしたな・・・」


 アッサンが自分の後ろに居るアレックをチラッと見た。



 ヘレンからの指令を受けてアレックはすぐに武器を調達し、彼等を縛り付けていた縄を解いていた。ヘレンはここにカルディーノが居る限り、いつか必ずこの事件の首謀者であるカルディスが姿を現すと思い、機会を待っていたのである。



「銃を下ろせ、アッサン・メルガード。お前の負けだ」


 緊張の糸を断ち切るようにヘレンが言った。それで彼が銃を下ろせば形勢は逆転するはずだった。だがアッサンは銃を下ろさなかった。そしてそれを見て、カルディスはうっすらと笑いを浮かべた。


「撃て、アッサン。それで私の目的は完結する・・・」


― 目的が完結する?それは一体どういう意味だ・・・? ―



 全く表情を変えずにアッサンは引き金に通した指に力を入れた。


「やめろぉっ!」


 ウォルフとアレックが引き金を引く前にカルディーノがアッサンの身体に飛びつき、彼の撃った弾がヘレンの頭上をかすめ飛んだ。カルディスは一瞬ひるんだヘレンの腕を突き放し、アッサンと共にドアの外へと逃れた。


「アレック!追え!」


 自分は動きもせず、ウォルフが偉そうにアレックに命じた。へレンもアレックと共に部屋を飛び出した。




 出口を目指して走りながらアッサンは後ろを振り向き、追っ手に銃を浴びせかけた。へレンとアレックも両側の壁に身を隠しながら応戦する。激しく銃を撃ち合う音は艦内中に響いた。


 それはホールで人質の見張りに立っているIN-1や他の兵の耳に届き、彼等は2人の兵だけを残してホールを出て行った。



 そしてその音は、今まさに死闘を繰り返していたディーとタラトの耳にも届いていた。たくさんの銃声に混じって、タラトの耳はアッサンの銃が響かせる音を聞き分けた。


― アッサン、何かあった・・・ ―


 今まで取りつかれたように追い詰めていた敵に背を向け、タラトは走り出した。




 ホールにいる人質も銃声を恐れてざわめき始めた。彼らを見張っている2人の兵も、どうも落ち着かないらしく顔を見合わせていた。


「何かあったのかな?助けが来たとか・・・」


 自信がなさそうにマックスがショーンに呟いた。


― 敵は今2人だ。騒ぎに乗じて逃げ出せるかもしれない ―


その時のショーンの考えは、ジュードのそれと同じだった。




「君・・・」


 ジュードが耳の後ろで囁いた声に振り向くと、この間ジュードを庇って殴られていた紳士だった。彼はSLSの訓練生であるジュードが、仲間と共に人質を助ける手段を必死に模索しているのをずっと側で見ていた。そして彼も脱出するなら今しかないと思ったのだ。


「ジュード君といったね。私はシドニー・マーカスだ。私と君と、君の仲間であの2人のゲリラを何とか出来ないかな」

「ここから脱出できても、表で敵兵と出くわす可能性があります。それでも行きますか?」

「ここに居ても、いつかは沈められる運命だ。私は行くよ。家で待っている家族も居るしね」


 ジュードが頷いてマックスとショーンを見た時、ショーンが笑っているような、あせっているような妙な顔をしてジュードに手話を送っていた。


― 天井を見るな ― 



 見るなと言われると余計見てしまうものである。思わずジュードが上を見上げた瞬間、天井に飾り付けられた金や銀のモールの間から、何か黒い塊が2人の兵の上に落ちてきて、彼等は声も立てられずにそれに押しつぶされた。


 ホールの真ん中で立ち上がった8人の青年達は今ジュードが、マックスがそしてショーンが一番会いたかった人間に他ならなかった。



「ネルソン、ジェイミー、アズ!」

「ノース、レクター、ピート!」

「ハーディ、ブレード!」



 ジュード達が懐かしい仲間の下へ走り寄ろうとしたその時、再び天井から誰かが飛び降りてきた。その人物は聞きなれた大声で笑いながら訓練生と同じように身軽であった。


「わっはっはっはっ。どうだ、ジュード。驚いただろう!」



 確かに驚いた。ネルソン達が現れたのもびっくりしたが、SLSの校長がまさか訓練生を先導してこんな危険な所までやって来た事に、さらに驚かされた。




 ネルソン達に命じてさっそく人質の縄を解かせると、ウォルターは訓練生全員を集めた。彼は地図を広げ、正確な現在位置と人質を連れて逃げる経路を訓練生に確認させると、先頭をマックスとネルソン、中間にピートとアズ、後の者は調子を崩している老人や夫人を助けながら逃げるように命じた。


 中間にピートとアズを入れたのは、いざ敵に出くわした時、二組に分かれて逃げる為だ。うまく逃げられれば、島の外で待機しているアトランティック・フィッシュ号に乗ることが出来る。



 マックスとネルソンは人質を連れて表のドアを抜け、廊下に走り出た。ノースやレクター達が弱り切っている老婦人を支えながら後方を付いていった。長時間の監禁で調子のいいものなど誰も居なかったが、皆よろめきながらも必死に廊下を駆け出した。


 一刻も早くここから出たい。陽の光を見たい。そして生き残ったと実感したい。もうすぐ・・・もうすぐだ・・・・!



 無我夢中で彼等は闇の中にある迷路のような道を走りぬけた。校長に地図を預けられていたネルソンが叫んだ。


「あの階段を上がればデッキに出られるぞ!」


 ネルソンとマックスが両側に分かれて手を差し伸べた。だがその先に進もうとした時、いきなり銃声が響き渡って、人質達はその足を引き止められた。海軍を掃討する為に艦内を見回っていたゲリラが3人、銃を向けて立っていた。


 後もう少しで外に出られたのに・・・・。


 人質達はその銃口を見て、再びいつ殺されるか分からない闇の世界に引き戻されたと思った。


 全部終わった・・・。


 ジュードと共に一番後ろに立っていたシドニーは、諦めたように目を閉じた。家で待つ妻や子供の顔が閉じられた瞳の奥に浮かんできて小さくなっていった。


「全員手を挙げろ。すぐ元の場所に戻るんだ!」


 兵の一人が叫んだが、もう一人が首を振った。


「どうせもうすぐ艦と一緒に全員沈めるんだ。ここで殺っちまえばいい。手間が省ける」

「それもそうだな」


 男の返事を聞いて、人質は皆その場で固まったように動けなくなった。だがその時、再び銃声が響いて3人のゲリラはあっという間にその場に倒れこんだ。ネルソンとマックスが彼等の様子を見ると3人とも確実に急所を撃ち抜かれて死んでいた。



「大丈夫ですか?みなさん」


 柱の影から現れた人物は、上半身裸で身体中に傷を負っていたが、にっこりと微笑みながら近付いて来た。


「デニス・アスレー中尉!」


 ジュードやショーンの声に彼は再び笑った。


「全く、SLSの訓練生は無茶苦茶だな。武器も持たずにこんな所まで乗り込んで来るとはね」




 そして人質達はやっとデッキに至る階段を上がり、初めてここに来た時降り立った甲板の上に出ることが出来たのだった。


 そこで彼らが見たのは艦を取り囲む巨大なドームであった。しかしそこはもはやジュードがエバから聞いていた出入り口も無い密閉された空間ではなく、この艦が飲み込まれた入り口が後方に開けられていた。そこから軍用ヘリが数機入ってきていて、今正にそのヘリから幾人もの黒い衣服に身を包んだ男達が艦に乗り込んでくる所だった。


 訓練生がびっくりして校長を見ると、彼はニヤッと笑って言った。


「この俺が何の保険も無しに、こんな所に乗り込んでくると思うか?」


 ウォルターは訓練生には秘密で、ちゃっかり海軍にも連絡を付けていたのだ。海軍嫌いと言いつつ、本当にタヌキおやじである。



 島の後方に開けられた入り口からは、アトランティック・フィッシュ号も入ってきていた。サムが甲板から手を振っている。


「あそこにSLSの救助船が来ています。なんとかそこまで頑張って下さい!」


 ネルソンの声に励まされ、彼等は最後の力を振り絞るように走り出した。ヘリでやって来たのは海軍かもしくは特殊部隊の人間だとすぐに分かったので、彼等に捕まってまるで引っ立てられるようにヘリに乗せられるよりは、SLSに救助される方が余程親切に病院まで連れて行ってもらえると皆知っていたのだ。


 人質だった人々の引率を一般のノースやハーディに任せて、他の者はシェランやエバ、キャシーを探す為に再び艦の中に戻った。彼等はシェラン達がまだ艦の中に捕らわれていると思っていたのである。

 








 追っ手から逃げる途中、アッサンはカルディスとはぐれてしまった。あの女大佐に捕まってしまったか、あるいは殺されたか、いずれにせよ海軍に見つかってしまった以上、逃げるほかは無い。それを充分承知していながら彼は人工島の中に戻り、島の一番奥にある自分の部屋に向かって走っていた。



 いつものアッサンなら、海中で待機している小型潜水艇にすぐさま乗り込み逃走していただろう。今までありとあらゆる危険の中、生き残ってこれたのも逃亡する時を正確に判断し、その手段を隠し持っていたからだ。だが彼はどうしても迎えに行かなければならなかった。今度こそ・・・・・。





 13年前・・・・・。もう13年も経つのに忘れられない光景がある。その年、アメリカの特殊部隊の助けを得て、コロンビア政府のゲリラ掃討部隊は最大級のゲリラ狩りを行なっていた。ゲリラの潜む密林のジャングルをローラー作戦でつぶしていくのだ。



 アッサンの部隊は逃走せずに最後まで抵抗を続けた。周りを全て敵に囲まれ、生き残る手段を全て失った時、父は銃を構え、敵を見据えながら家族を守るように母やアッサンの前に立った。それを見て父の隣に立とうとしたアッサンの手を取ると、母は側に居たタラトの手に彼の手を渡し、しっかりと握らせた。


 そのまま母は何も言わず、ライフルを取って父のもとへ行った。タラトはアッサンの母の気持ちを理解して、彼を反対方向へ引っ張った。


「嫌だ、離せ。俺はここに残る」

“黒い豹は生きろと言っている”


 アッサンが母を振り返ると、地面に倒れこんでいく母の涙が弾丸に弾かれ、キラキラと輝いていた。


― 愛しいアッサン、お逃げ。そして生き延びるのよ・・・ ―



 優しく微笑みかけた母に背を向け、アッサンはタラトと共に走り出した。敵の弾の飛び交う中、粘りつくような泥沼の中、重なり合う木で前も後ろもわからなくなるようなジャングルの中、彼は夢中で走り抜けた。銃弾が何発も彼の身体の中を通り過ぎたが、それでも彼は倒れなかった。母が生きろと言ったから・・・。



 戦う事だけを教えられ、それだけの為に生きていたアッサンは、その日初めて戦うことを忘れた。どれだけの人間を犠牲にしても、目的を果たす事にただの一度も後悔をした事が無かった彼が、生まれて初めて後悔を覚えた。


 何故あの時、母を連れて逃げなかった・・・?父が家族の前に立って犠牲になってくれた時、何故あの人を置いてきたのだ?




 その後悔を忘れる為に、アッサンは国を離れた。タラトと共に新しい地で傭兵部隊を作り、あらゆる戦いの中に身を投じた。そして貰った金は全て部下に与えた。彼はただ戦う場所だけを求めた。どんなことがあっても生き抜いて戦うこと。それがアッサンに父と母が望んだ生き方だったから。


 そして彼は以前にも増して、戦うことだけを考えてきた。目の前で死んだ両親の事も、心の奥底にしまいこんで忘れてしまったと思えるほどに・・・・。



 だがアッサンは出会ってしまったのだ。己の命よりも愛するものを守りたいと願う女に。それはアッサンが忘れようとしても忘れられない母の姿だった。自分を守る為に嵐のような銃弾の中、盾になって死んでいった。きっと彼女もそうするだろう。だから連れて行くのだ。もう二度と母のように置きざりになんかしない。

 




 人工島の一番奥の部屋で、ただじっと座っているだけのシェランにも外で何かが起こっているのが分かった。さっき遠くからゲリラ兵が慌てた様子で部屋を飛び出していく音が聞こえてきた後、急に静かになり、シェランはエバやキャシーの事が心配でたまらなくなった。


 今度約束を破って他の人質に会ったら殺されるかもしれない。それでもじっとしている事は出来なかった。意を決してシェランが立ち上がった時、入り口を塞いでいたカーテンの向うからアッサンが現れ、シェランの手を掴んだ。


「アッサン、どうしたの?何があったの?」


 彼はただ一言「ここから出る」とだけ言うと、シェランの手を引っ張って部屋の外に連れ出した。


「ここから?駄目よ。あの子達を置いてはいけないわ」

「お前は何も考えなくていい。俺と一緒に来るんだ」


 シェランは驚いた顔でアッサンを見た後、彼の手を振りほどいた。


「私はあなたと一緒には行けないわ。私とあなたは生きる場所も未来も共有は出来ない。あなたにはわかっているはずよ」

「お前はどんな罪を犯した人間でも助けると言った」


「もちろん助けるわ。でもそれはライフセーバーとしてであって、私という人間があなたの側にずっと居るという意味じゃないの」

「いいから来い!」


 彼は再びシェランの腕を強引に掴んだ。









 アッサンがシェランを迎えに来る少し前、キャシー達を見張っていた兵が他の男達と共にどこかへ行ってしまったので3人の女性達は顔を見合わせた後、そっとカーテンを開けて外を覗いてみた。艦で何かあったのだろうか。辺りに人の気配はなかった。


「エバ、アメリアさん。ここから逃げましょう。今しかチャンスはないわ」


 キャシーの言葉に2人は頷くと、彼女を先頭に厨房を出た。しんがりのエバは周りを何度も見回し、先頭のキャシーは前だけに集中して、連れてこられた道を進んで行った。出口へと向かいながら、キャシーは後ろの2人をどうやって逃がすかを考えていた。



 アメリアは夫の所へ帰りたがっているが、艦へ戻るのは危険すぎる。とにかく海へ出よう。この人工島の表側まで泳いで2人を上陸させ、何とか私が近くの島まで泳いでいくのだ。何処まで泳げるか分からないが、それしか方法がない。



 ゲリラは皆、巡洋艦の方へ行ってしまっているのか辺りには誰も居らず、彼女達はこの島の小さな港へ出る為の扉まで、何とか無事に辿り着いた。エバとアメリアが見守る中、キャシーは力をこめて最後の扉を引いた。









 ヴェラガルフに乗り込んだ海軍特殊部隊は、アメリカ地区担当チーム4と対カウンターテロ部隊DEVGLUであった。


 彼等は艦の内部の状態で、ここに来ていた同じチームの仲間や海軍兵は殆ど生存していないだろうと判断し、弔い合戦とばかりに容赦なくゲリラを追い詰めていった。ゲリラ側も必死の応戦を繰り返したが、徐々に艦の中心に追い詰められていった。



 そんな中、ジュード達は3組に分かれてシェランやエバ、キャシーの行方を探していた。ジュードはウォルターと2人でシェランを探し、マックスとショーンはレクターとブレード、ネルソンとジェイミーはピートとアズ、四人一組でエバとキャシーを探すことにした。


 彼等は流れ弾に当たらぬよう、低く身をかがめて、なるべく味方である海軍兵にも見つからないよう物陰に隠れながら進んだ。例え海軍の人間であっても、ゲリラと間違えられて撃たれる危険性は充分にある。



 仲間の先頭に立つネルソンは、チラッと時計を見た。ウォルターには20分探しても見つからなければ、船に戻れと言われている。もしその間に彼女達が見つからなかったら・・・・・。


 緊張しながら小さな物置部屋のドアを開けたネルソンは「あっ」と叫んで中に飛び込んだ。奥の壁にもたれかかって気を失っているその人物は、どうやら海軍の人間らしい。身体中に弾丸を浮け、応急的に布が巻いてあるが、彼の身体から吹き出す血を止めきることが出来ずに、全て真っ赤に染まっていた。


「ウェイ・ダートン大尉!」

ピートが彼の名を思い出した。


 ジェイミーはすぐに心音と呼吸を確認した。呼吸は殆ど停止していたが、心臓はまだかすかに動いている。


「まだ呼吸が停止した所だ」

「酸素ボンベ!」

「運び出すぞ!」


 ジェイミーが彼の口に携帯用の酸素ボンベを当てがい、後の3人で彼の身体を持ち上げた。








 嫌がるシェランを引きずるようにして、アッサンはヴェラガルフの巨大な船体の側まで来ていた。銃を構えながら辺りを見回したが、敵の姿は見えなかった。後はここから海に飛び込んで潜水艇で逃げればいい。


「アッサン、やめて。お願いよ。私をあの子達の所に戻して。あの子達の側に居なくちゃいけないの」

「そうしてガキ共を守って死ぬのか?他人の為に死ぬなんて、くだらないと思わないのか?」


 彼の瞳は何かを守ろうとする人間の目だと、この時シェランは初めて気付いた。シェランは今までこんな目をした人をたくさん見てきた。いつも自分を見守ってくれた両親。ウォルター、そしてジュード・・・。


 そうだ。ジュードはいつも、彼の瞳はいつでも・・・そう、初めて共に人を助けたあの日から、どんな時もシェランを見守ってくれていたのだ。


 そしてアッサン・・・。この人も私を助けたいと思っている。それはきっとこの人が、人が死ぬという事がどれ程辛く悲しい事か分かったからではないだろうか。



「アッサン、私は簡単に死んだりしない。あの子達を立派なライフセーバーにするのが私の夢だから。でも例え、彼等の為に私が命を落としても、私はちっとも悔やんだりしない。それは私が決めたことだから。だからこの手を離して。そして一人で逃げて。あなたはもう大丈夫。もう道を間違えずに生きていけるわ」


 涙を浮かべて微笑んだシェランの顔は、最後に見た母のそれと同じだった。


― 愛しいアッサン、お逃げ。そして生き延びるのよ・・・・ ―



「駄目だ。今度こそ連れて行く。来るんだ!」



 アッサンは再び強くシェランの手を握り締めると、海に飛び込もうとした。


「やめて、アッサン。やめて!」



 シェランの叫び声は、一発の銃声にかき消された。彼女の目の前で左胸を打ちぬかれたアッサンの身体はその反動で浮き上がり、海の中に沈んだ。


「アッサン!」


 艦の上で、銃を構えたヘレンが目を細めてシェランを見た後、すぐに背中を向けて姿を消した。呆然と上を見上げていると、水音がしてアッサンの陽に焼けた手が港の端を掴んだ。シェランは何の迷いもなくその手を掴んで引き上げた。


「アッサン、しっかりして・・・」


 左腕で彼を抱き上げ、もう片方の手で血の吹き出す左胸を抑えた。


「大丈夫よ、アッサン。まだ大丈夫。何度でもやり直しは出来るわ。戦う以外にも大切なことは一杯あるのよ。あなたはこれからそれを知るの。そして私達と同じように普通に生活をして、仕事をして、友達と笑い合って、たくさん大切なものを作るのよ」



― ライフセーバーとは愚かな生き物だな ―



 アッサンが以前そう言った時、シェランをなじりながらも彼の瞳は少しだけ笑っていた。それと同じ目で彼はシェランを見ていたが、その目はシェランを通して何か別のものを見つめているようでもあった。そしてアッサンは震える手を伸ばし、そっとシェランの髪に触れた。


Madre(マードレ)・・・・・」


 小さく呟いた後、彼の手は力なく床へと落ちた。


 マードレ・・・それは“お母さん”という意味だった。シェランは涙を浮かべて小さく溜息を付くと、彼の開いたままの瞳を手の平でそっと閉じ、その身体を床の上に横たえた。


― 戻らなければ。みんなの所へ・・・―



 シェランは立ち上がったが、背中から聞こえてきた、まるで野獣のような息遣いに驚いて振り返った。真っ赤な血で染まったナイフを手に持った男が、じっとアッサンの遺体を見つめている。その男の奈落の底のように暗い肌の中から、ギラギラと光る瞳がギョロッとシェランを見た。


“お前が殺したのか?”

「違う・・・・」


 シェランは小さく首を振ると海に飛び込んだ。ヴェラガルフの船体に付けられている鉄梯子まで必死に泳ぐと、それを登り始めた。


― 摑まったら殺される・・・! ― 


 直感でそう思った。恐ろしくて後ろを振り返ることも出来なかったが、男の獲物を求める激しい息遣いがまるで耳元で響いてくるように迫ってくるのが分かった。



 デッキまで登ると、目の前の格納庫の横に付けられているはしごを登る。その先はレーダー塔しかない。シェランはただ後ろから押し迫ってくる恐怖から逃れる為、ひたすら上へ登り続けた。


 途中、足を滑らせて履いていた靴が片方下へ落ちていくのを思わず振り返って見た。タラトが確実に側に近付いてくるのが見えた。シェランは再び上を見上げるとさらに登った。


「お願い、来ないで・・・」



 もうすぐ巨大な8角形のレーダーに手が届く場所まで来ていた。一番近いデッキまで30メートルはあるだろうか。めまいがしそうな高さだった。もう先がない。恐怖に震える手で、はしごの最後の1本を握り締めた時、はるか下から自分の名を呼ぶ懐かしい声を聞いた。



「シェラン!!」



 見下ろした先に、ジュードが必死に自分を追って格納庫の上まで登ってくる姿が見えた。さらにその下のデッキにはマックスやショーン、レクターとブレードが「教官!」と叫びながら心配そうに見上げている。


「ジュード・・・みんな・・・」

 

 たまらなくなって零れ落ちた涙と共に、シェランの手から力が抜け、彼女の身体は空を舞った。そしてそれを見たタラトも鉄梯子を蹴り、ナイフを構えてシェランを追った。



 ジュードは格納庫の上を彼女が落ちてくる方向に走った。空中でシェランの身体に追いついたタラトがナイフを振り上げたその時、2回銃声がしてタラトの右肩と左胸を銃弾が貫き、彼の身体が2度、衝撃の為に後ろに下がった。



 走りながらジュードが見上げると、シェランの落ちる位置はわずかに格納庫からずれていた。


― くそっ! ―


「ジュード!死んでも受けとめろぉっ!」


 ウォルターの迫力ある命令が飛ぶのと同時に、ジュードは格納庫の端を蹴った。


― 落ちる! ― 


 とっさにそう思ったが、シェランの身体を抱き止めた瞬間、誰かが自分の左手を掴んでいたので、ジュードはあやうくシェランと共にデッキに叩きつけられるのを免れた。そのすぐ後、目の前をタラトが落ちてきて、そのままデッキに叩きつけられた。


 思わず目を逸らした後、ジュードはディーがデッキの端で銃を構えたまま、たたずんでいるのを見た。次に上を見上げると、校長がその隆々とした腕を伸ばしてジュードの左手首を握っているのが分かった。


「引き上げるぞ、ジュード」


 ウォルターはニヤッと笑うと、2人分の体重をもろともせずに引き上げたのだった。







 海軍特殊部隊の突入からわずか2時間で、5日間に亘る、巡洋艦強奪犯による人質監禁事件は幕を閉じた。信頼するアッサン・メルガート隊長の死により、指揮系統を失ったゲリラは、統率の取れたSEALの前に次々と破れた。攻撃班であるATの6つの班は最後まで抵抗を続けたが、完全に劣勢と見たDE(破壊班)AR(捕縛班)等の生き残った兵達は投降したのだ。



 カルディスは足を撃たれて動けなくなっている所をSEAL隊員に見つかり、そのままヘリまで引っ立てられた。しかしそのヘリの前で、ウォルフやヘレンと共に保護されたカルディーノと再会することになった。


 足を撃たれて歩くこともままならない状態で、彼は自分を両側から取り押さえている兵の腕から逃れようともがきながら、へレンに憎しみの目を向けた。


「お前達白人に我が祖国を荒らさせはしない。お前達の思い上がりは己の首を絞めるぞ。これ以上の傲慢を、世界も、そして天も決して許しはしない。それを良く覚えているがいい」


 そして彼はヘレンの横に立っているカルディーノにも向かって言った。


「兄上も良く覚えておられよ。あなたが親愛を抱く国が、あなたの弟を殺すのです」


この時へレンは確信した。これこそがカルディスの目的だったのだ。

 







 最後の扉を開けたキャシーは、ヴェラガルフの周囲が一変していることにすぐ気付いた。海軍がやっと来てくれたのだ。だとしたらSLSのライフシップも来ているかもしれない。


 救助船ではなかったが、アトランティック・フィッシュと横に書かれた黒い船 ―その名でキャシーはすぐにシェランの関係者だと気が付いた― でノースやハーディが、船に残っていたサムやダグラスと共に人質になっていた人々を保護しているのが見えて、彼女達もすぐその船に向かった。



 アメリアは救助された人々の中に夫の姿を見つけると走り寄って、ずっと堪えていた涙を彼の腕の中で流した。そんな夫婦の様子を微笑んで見ていたキャシーはシェランの姿が何処にもないことに気が付いた。再び巡洋艦の中に戻ろうとしたが、エバや他の仲間に引き止められた。


「私は行くわ。教官を置いては行けないもの」

「気持ちは分かるけど、中はまだ危険なんだぜ」

「そうよ。ジュード達が探してくれてるんだもの。信じて待ちましょう」


 それでもまだキャシーは首を振って、手を離すと走り出しそうであった。そんなキャシーに一般のサムが、珍しく真面目な顔をして言った。


「今ここに教官が居たら何て言うかな。“こんなにたくさんの要救助者を置いて何処かへ行ってしまうような人間はライフセーバー失格よ”ってな」


 彼は調子が悪そうに床に倒れこんでいる人々に目を向けた。


「あの人達を病院に送り届けるまで世話をする人間がいる。お前はそれでも行くのか?命が危険な人間だっているんだぞ。それがシェラン教官のAチームメンバーのする事か?」


 キャシーはぎゅっと唇を噛み締めたまま、助けられた人々を見つめた。分かっている。あの人はこの人達を放置して自分を捜しに来ても喜んではくれない。


「エバ、手伝うから何でも言って」


キャシーはエバと共に人々の世話を始め、サムは自慢げに仲間達に片目を閉じた。







 マックスとショーン等がジュードの元へ駆けつけたのは、ウォルターが彼とシェランを引き上げた直後だった。


「ジュード、大丈夫か!」

「教官は?」


 ジュードは息が乱れて仲間達に返事も返せないまま、腕の中に居るシェランを見た後、脱力してしまったように頭を下げた。


「どうした、まさか・・・教官・・・」


 マックス達が驚いて、しゃがみこんでいるジュードの腕の中を覗くと、シェランは気持ちよさそうな寝息を立ててすやすやと眠っていた。皆もジュードと同じように溜息を付いてその場に座り込んだ。





 SEAL隊員に引っ立てられて行くカルディスの背中を悲しげに見つめた後、カルディーノも消沈したように他のヘリに保護された。投降したゲリラを乗せたヘリが、この巡洋艦を取り囲んだ島の入り口から出て行くのを見ながら、ヘレンはじっと甲板の端にたたずんでいた。



「全て終わりましたね」


 声の主をチラッと振り返ると、ヘレンは再び帰っていくヘリを見つめた。


「体中切り刻まれている割には元気そうですな、アラード中佐。あなたもヘリに乗って病院に向かったらどうです?」


 彼はヘレンの横に立つと、同じように見えない空を見上げた。


「私は他の奴等とはちょっと鍛え方が違いましてね。ヴェラは私の愛妻のようなものです。サルベージ船を待って、こいつと一緒にノーフォークに戻りますよ。誰も居なくなったらこいつが寂しがる・・・」



 船が愛妻・・・?少々変わった奴だとは聞いていたが、妙な趣味があったのだな。



 ヘレンは口の両端を下向きに歪めたが、すぐにいつもの固い表情に戻って彼の方を向いた。


「そうですか。では私はヘリに乗ってサンディエゴに向かいますよ。次の任務が待っている」


 彼女は敬礼をしたディーに同じく敬礼を返すと、彼に背を向けたが、ふと振り返った。


「アラード中佐。これは終わりなんかじゃない。始まりと言ってもいい」


 ディーにはヘレンが言った言葉の意味が分かっているのだろうか。目を細めて答えた。


「では終わらせてあげましょう。我々が・・・」

「さて、それはどうかな・・・?」


 敬礼をしている部下に迎えられながらヘリに乗り込むヘレンを見て、ディーはニヤッと笑った。


「さすがSEALの重艦鬼神。休憩も無しとはね・・・」








 一番看護が必要だったのは、人質よりウェイ・ダートン大尉だった。海軍のヘリが去ってすぐやって来たSLSの救助ヘリに、ダートンや至急病院に運ばなければならない人々を搬送し終わった頃、眠ったままのシェランを抱きかかえたジュードやウォルターが仲間と共に戻って来た。



 皆が彼等の周りを取り囲んで喜びを分かち合っていると、ウォルターがむくれた顔で「ジュード、さっさとシェランをベッドに運ばんか」と言った。どうやら格納庫の上でジュードとウォルターのどちらがシェランを運んでいくかもめたらしい。



 シェランを抱きかかえようとしたウォルターにジュードが「オレ達の教官ですからオレが連れて行きます」と言ったので、ウォルターが「俺は父親代わりだぞ」と反論した。しかしジュードが「オレは教官が受け持つAチームのリーダーです」と言ってウォルターの手から強引にシェランをさらって行っててしまったので、ウォルターは父親としての自尊心を傷付けられてしまったらしい。


 心配していたのは分かるが、どちらにせよ2人とも大人気ないなぁとマックスは溜息を付いた。








 人工島を出港したアトランティック・フィッシュ号は、何とか燃料切れになる前にSLSの救助船に出会うことが出来、ジュード達は必ず戻ると誓った友のいる場所に戻って来られたのだった。彼等は病院で検査を受け、一日休みを取った後、普段通りの授業に戻った。授業をすっぽかして仲間を助けに行ったネルソン達も、校長が一枚噛んでいたおかげで、お咎めを食らうことはなかった。



 しかしシェランはアッサンと2人きりで過ごさねばならなかった緊張と、殆ど眠っていない状態が続いていた事もあって、SLSに戻ってきてからもずっと医務室で眠っていた。3日目の朝日と共に目覚めたシェランが最初に見たのは、ベッドサイドの椅子に座って自分を見つめているジュードの顔だった。反対側ではキャシーが布団に顔をうずめて眠っている。


「お早う、シェラン。気分はどう?」

「・・・お早う、ジュード。気分は・・・そうね。とってもお腹が空いているかも・・・」


 ジュードはにっこり微笑んで、眠っているキャシーを起こした。

 







 カリフォルニアのサンディエゴに到着したヘレン・シュレイダー大佐は、普段と全く変わらない様子で的確に仕事を終えると、アレックと共に再び軍用ヘリでバージニア州のノーフォークに戻った。入院しているウェイ・ダートンの見舞いに行く為である。


 ウェイは随分危険な状態であったが、彼を助けてくれたSLSの訓練生達が適切な処置を行なっていたおかげで、一命を取り留められたのだと医者が言っていたらしい。全く意に沿わないが、謝礼に行かねばならないようだ。




 今回の事件でヘレンは3人の部下を失った。その中にはいつもウェイとコンビを組んでいたマーティン・ミラー大尉も含まれていた。彼はウェイと同じで決して目立つタイプではなかったが、彼より7つも年上だけあってキャリアも軍人としての資質も併せ持っている、ウェイにとっては良き先輩であり友でありパートナーだった。


 マーティンの遺体は上から下に向かって4箇所、短冊状に切られていたらしい。ゲリラが4人、彼の上から長いナイフで切りかかったのだ。


 両親を失ってから人を救うことに命を懸けているシェランの前で誰かを殺すのは気が引けたが、それでもアッサン・メルガードだけは許しておけなかった。ヘレンは部下の敵を討てたことを後悔していなかったが、あの時シェランが悲しそうな瞳でヘレンを見上げていた事は彼女の気持ちを重くしていた。



 ヘリの中で部下の死亡報告書に目を通しながら、暗い表情をしているヘレンに気を遣ってアレックが話しかけた。


「それでも何とか事件が解決してよかったですね。今朝のニューヨークタイムズにも“アメリカ海軍の見事な働き”という見出しが出ていました」


「何が見事なもんか。行方を突き止めたのも、先に到着したのもSLSのガキ共だ。エダース校長が訓練生の事は伏せておいてくれと言ったから、海軍の手柄になっただけさ」

「それは・・・そうですが・・・」


 アレックはまたもや言葉を失った。


「それに事件は何も解決していない。あの頭のいいカルディス・ガロッディがこのまま黙っていると思うか?」

「え?でも彼は今、連邦政府に身柄を拘束されて・・・」


「そんなもの、あの弟思いのお優しくて大金持ちの兄貴が放っておくわけないだろう。政府の役人もびっくりするような保釈金を積んで、自分の元に連れて返ってくるに決まっている。そうしたらあの弟は又、何をしでかすか分かったものじゃないさ。あの弟・・・カルディスの目的はまだ達成されていないんだ」





 捕らわれていた薄暗い小さな部屋の中で、カルディスを取り押さえ、全ての形勢が逆転するはずだったあの時、カルディスが言った言葉でヘレンは何故彼があんな事件を起こしたのか分かったのだ。


― (私と共に)撃て、アッサン。それで私の目的は完結する ―



 それはつまり自分が死ねば、彼の目的が達成されるという意味だ。ヘリで護送される前も、彼は同じような事を言った。


― アメリカがあなたの弟を殺す・・・・ ―




 カルディスの双子の兄カルディーノは、名門ガロッディ家の長男として生まれ、余す所なくその富を受け継ぎ、自身の事業をも大成させた男である。無論その影には弟カルディスの献身的な支えがあったからであろうが、その心の底から仕えてきた兄が自分の理想と国家の為に、非常に不利な立場に立つ事を選んでしまった。


 カルディーノは徐々に険悪になっていくアメリカとベネズエラの関係を危惧し、その間に立って両国の橋になることに決めたのだ。しかしそれは南米の諸国家や彼の祖国の人々にとって、裏切りとも取れる行為であった。だが例えアメリカの犬と蔑まれても、カルディーノは彼のやり方で祖国を守ると決めていたのだ。


 だがそれは、ずっと陰に回って兄を守り続けてきたカルディスにとって、堪えられない屈辱であった。兄のやり方が・・・ではない。兄が祖国の民に蔑まれる事が堪えられなかったのである。



 カルディスにとって兄のカルディーノはその人柄や品格もさることながら、事業の才に優れ、全ての民から敬愛されるべき人物であって、決して蔑まれたりする対象であってはならなかったのだ。だがカルディーノの決意は固かった。アメリカとの信頼関係を築く為に迷いもせず、アメリカ人女性と婚約してしまった。



 その時カルディスは決意したのだ。兄が何よりも愛し、信頼しているのは他の誰でもない、カルディス自身である。その溺愛する弟がアメリカに殺されたら・・・?それも自分の目の前で・・・。だから彼は我々を生かしておいたのだ。その手で己を殺させる為に。


 もしそうなったら、いかにカルディーノでもアメリカを憎み、敵対するに違いなく、彼は再びカルディスの自慢の兄に戻るだろう。だからこそカルディスの目的はまだ果たされてはいないのだ。



 全く方向は別だったが、兄弟が国を思う気持ちは同じだった。ただカルディスの兄を思う気持ちは、カルディーノが国を思う気持より勝っていたのである。命を捨てても、彼は兄を(いさ)めようとしたのだから・・・・。



 ヘレンはヘリの小さな窓から遠く霞む空をその目に映しながら、やはり自分を裏切った男の目的が何だったのか思いをはせた。カルディスは兄を愛するがゆえに裏切った。では、あいつは?ルイスの裏切りは一体何の為だったのだろう。


「事件は何も終わってはいない。そしてあの“私という名の男”との戦いも、まだ始まったばかりなんだ・・・・」






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