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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第13部 消えた巡洋艦 【9】

 キャシーやエバの想像通り、マックスやショーンだけでなく水の一滴も与えられない乗客の疲労はピークに達していた。長時間に亘る軟禁状態。いつ殺されるか分からない恐怖と緊張。艦の動力は完全に切れていた為、人々が捕らわれている会場はうだるような暑さが続いていた。



 空腹もそうだが、暑さのせいで喉が渇き、喉の奥がくっついてしまったようだった。肌も唇もからからに乾き、目を開けているのさえ辛かった。夜になってもその暑さは一向に収まらず、彼らを見張っている兵も上半身裸になってその上から武器をぶら下げていた。




 そのうだるような暑さの深夜、ジュードの居るグループの中から男の声が響いた。ジュードが振り返ってみると、50代半ばの女性が土色の顔で倒れている。脱水症状かもしれないと思ったジュードは妻の名を呼び続けている男の元へ駆け寄った。


 縛られた手で婦人の首に手を当て、口元に耳を近付けた。だがその女性から生きている証は聞こえてこなかった。ジュードが男性に向かって小さく首を振ると、彼は大声で泣き始めた。


「ああ、こんな酷い事が許されるのか?マリサ、マリサ!」


 婦人の身体にすがって泣き続ける男の肩に手を置いて、ジュードは自分の無力さに唇を噛み締めた。




 他のグループの年を取った人々がそれを見て、気分が悪くなったり気が遠くなったりして倒れこんだ。マックスやショーンも駆け寄って様子を見たが、皆かなり悪い状態だ。周りを見回したジュードは冷ややかな目でそれを見ている兵達に叫んだ。


「水をくれ!それが駄目ならせめて外へ出してくれ!こんな所に居たらみんな死んでしまう!」


 だが兵らは何の反応もせずに冷めた目でジュードを見つめるだけだった。


「あんた達はそれでも人間なのか?どうしてこんな酷い事が出来るんだ。この人達が何をしたっていうんだ?」


 するとここを任されているIN-1が、兵達の前に歩み出てジュードに向かい合った。


「ではお前達は我々に何をしたんだ?アメリカは我々の国に何をしたんだ?」


 じっとジュードを見つめる彼の目はとても静かで、傭兵やゲリラと呼ばれる男の目だとは思えなかった。


「国家産業を牛耳り、人々を隷属させ、国を影から支配した。知らぬとは言わせない。お前達がした事を誰も忘れない。歴史はまだ続いているのだ」



 じっとりとした沈黙の中、彼の後ろに居た2人の兵がグループに割って入って来た。彼等は亡くなった婦人を両側から掴むと人々の間から連れ出した。このまま遺体をここに置いておくと、すぐに腐り始めるので海に捨てるのだ。


「待ってくれ!妻を連れて行かないでくれ。やめてくれ!」


 男性が兵の一人にすがりついたが、別の兵に銃の銃床で押し戻された。


「頼む!せめて今夜だけでも・・・・!」


 それでも追いかけようとした男の肩を掴んでジュードが押し留めた。これ以上彼らを刺激すると今度は彼の命が危ないと思ったからだ。彼は何度も妻の名を呼びながら泣き続けた。ジュードはただ黙って彼の手を握り締めていた。一度芽生えた憎しみは決して消えることは無いのだとジュードは知った。








 ジュード達が捕らわれの人質になってから4日目の朝を迎えた。この日、朝から目覚めない人間が2人いた。又死者が出たのだ。今度は男性ばかりで2人とも60歳を越しているようだった。


 もはや悲しむ気力も失ったのか、人々は彼等の遺体が運び出されていくのを呆然と見ていた。半数以上が起き上がる気力も無く、床に寝そべったまま荒い息を繰り返していた。






 その日シェランは眠気を押さえながら、アッサンの部下が運んできた食事を食べていた。アッサンはいつも通り、壁際にある机の前に座ってナイフで刺したりんごをかじっている。又カルディーノからの連絡を待っているのだろうか、彼はじっと目の前にある古びた通信機を見つめていた。



 カーテンの向うからアッサンを呼ぶ声がしたので、彼は立ち上がって少しだけカーテンを開けた。両肩にマシンガンを2機ぶら下げた部下が立っていた。


「人質が騒いでいる。特にあの若い奴等、うるさすぎるぜ。まるで医者気取りで年寄りの世話をしていて目障りだ。殺っちまってもいいか?」


 シェランはドキッとして食べていたパンを下に置いた。ジュード達に違いない。彼女は両手を握り締めて、彼等のスペイン語を聞き取ることに集中した。


「どうして騒いでいるんだ?」

「又死人が出た。水を飲ませろとうるさい。暑さで気が立ってるっていうのに、ムカつくぜ」


― 水を飲ませろ・・・? ―


 シェランは思わず自分が今食べていた食事を見た。もしかして人質は・・・・。


「どういう事なの?アッサン!」

 

 シェランは叫んで立ち上がった。彼女は自分が食事を与えられていたので、人質にも同じように食事が与えられていると思っていたのだ。


「食事を与えていないの・・・?水さえ・・?」


 アッサンは腰に手を当て、憮然としてシェランを見た。


「当たり前だ。どうせ死ぬ奴等に何故与えなきゃならない?」



 その答えにシェランは気が遠くなりそうだった。生徒が人質になったのも全て自分のせいなのに、何も知らずにのうのうと食事をしていた。そう思うと身体を引き裂き、今まで食べたものを全部取り除きたくなった。


「ひどいわ。私だけこんな・・・・」


 立ち上がれば撃たれるかもしれないと思ったが、じっとしてはいられなかった。シェランは兵と話しているアッサンの側まで駆け寄った。


「お願いよ。彼らに食事を与えて。それが駄目なら、せめて水とパンだけでも・・・・」


 だがアッサンは煩わしそうに彼女から目を逸らした。


「駄目だ。食事も水も余分な物など無い。いいから座っていろ」

「嫌よ。彼らに水を与えて。このままじゃみんな死んでしまうわ!」

「うるさい!」



 アッサンはシェランの顔も見ずに、いきなり腕でシェランの身体を払いのけた。丁度それがシェランの頬に当たり、彼女はそのまま後ろへ倒れこんだ。真っ赤に晴れ上がった頬を押さえてシェランは上半身を起こした。



 そうだ。どんなに憎んでも取りすがっても、この男は交渉になど応じない。


 シェランは唇を噛み締めるとすばやく身体を起こし、廊下に立っていた部下の腰に下がっているナイフを引き抜いた。とっさに部下がマシンガンを構えたが、アッサンが手で抑えた。


「お前は本当にバカだな。そんなもので俺が殺せるとでも思っているのか?」

「ええ、もちろん・・・思っていないわ」


 シェランは彼に向けたナイフを反転させ、自分の首元に当てた。


「ねえ、死ぬ前に一つだけ願いを叶えてもらえるんでしょう?だったら私の血を彼らに与えて。そうしたらあなた達の水は減らないでしょう?」

「本気で言っているのか?」


 アッサンはバカにするように鼻で笑った。


「そんな事をして何になる。どうせみんな死ぬのに」

「それでも私は、あの子達が苦しむ所なんて見たくないの」



 何の迷いも無くシェランは首に当てたナイフを引いた。銃声が響いた後、一瞬何が起こったのか分からないようにシェランは自分の手の平を見つめた。アッサンが銃を引き抜いている。手の中にあったナイフが後ろに弾き飛ばされたのに、手は無傷だったことに驚いた。


 とっさに床に落ちたナイフを拾おうと走り出したが、アッサンに腕をつかまれ壁際のソファーに投げ飛ばされた。彼は怒ったようにシェランを睨みつけた後、入り口に立っていた部下に命令した。


「人質に水とパンを与えろ。今回だけだぞ」


 最後の一言はシェランに向かって言ったのだが、彼女はホッとしたように溜息を付いた。アッサンは本当に怒っているようで、棚にあった小さな木箱をソファーの上に体を起こしたシェランに放り投げた。


「自分でやれ」


 箱を開けてみると包帯や薬等が入っている。シェランは消毒したガーゼを取り出して首に押し当てた。刺すような痛みと共にジュードの顔が浮かんだ。







 捕らわれの乗客が水とパンを与えられたのは、それから暫くたってからであった。エバ、キャシー、アメリアの3人の手に水とパンが乗ったトレイを見た時、乗客達は皆このまま死んでしまっても構わないと思うほど嬉しかった。


 そしてアメリアが夫のいるグループに、キャシーがマックス達のグループに、エバがジュードの居るグループにそれぞれ食料を配り始めた。



 アメリアは心配していた夫のヨセフが疲れてはいるが、まだ他の乗客に比べて元気な様子だったのでホッとした。ヨセフは妻から水を受け取る時、そっと尋ねた。


「大丈夫なのか?」

「ええ、あなた。私は大丈夫よ」


ほんの一言だけ言葉を交わした後、夫婦は微笑み合った。



 ジュードはこのチャンスに、エバからできるだけの情報を聞いておきたかった。彼女ならきっと注意深く観察しているはずだ。


「この船はね、今島の中に居るの。教官の話では島は人工島で、この船を隠す為に作られたんじゃないかって」


 エバもジュードに自分の見知っている事を全て伝えておこうと小声で早口にしゃべった。


「それで敵兵は何人いるか分かるか?」

「はっきりした事は分からないけど、食事は大体50人分くらいは用意しているわ」


 50人・・・・。たったそれだけでこの巨大な艦を制圧したのか・・・・。しかも人工島だって?やはりカルディーノ・ガロッディが資金を提供しているに違いない。



「エバ。出来る範囲でいい。ライフプレサーバーか酸素ボンベの位置。それと脱出用の救助ボートが無事かどうか調べてくれ」

「了解」

「それから、シェランの姿が見えないけど、無事なんだな?」


 シェランの事を聞かれてエバはドキッとした。まさか、あの殺人鬼のような男の元へ単身向かったとは、とてもジュードには言えなかった。しかもまだ戻って来てないなんて・・・。


「あ、あのね。教官は・・・・」


「そこ!何をしゃべってる!」


 兵の一人に咎められて、エバは言葉を止め立ち上がった。


「うっさいわね。ちょっとこぼしちゃったから拭いてあげてたのよ」


 彼女はシラッとして答えると、次の乗客に水を配り始めた。



 キャシーは黙ったまま心配そうに自分を見つめるマックスとショーンを見て、思わず泣き出しそうになった。シェランの事も心配で胸が張り裂けんばかりだったが、彼女はここから脱出できるまで、決して泣かないと心に決めていた。


 キャシーは信頼する2人の仲間に笑顔を向けると“私は大丈夫よ”と手話を送った。






 やっと水を飲んで一息ついた後、ジュードはグループの中で気分がすぐれない人の様子を見に行った。皆あまりに喉が渇いて水を一気に飲み干してしまったので、パンを食べる気力が出ないようだった。特に昨日妻を亡くした男性は自分も同じ道を辿ろうと決意しているのか、水を飲もうともせずにじっと紙のコップを握り締め、それを見つめていた。


「大丈夫ですか?毒なんか入っていませんよ。オレも飲みましたから」


 ジュードは彼の側に行って声を掛けた。だが彼は目に涙をにじませてうつむいた。


「もう一日・・・。あともう一日早かったら・・・・」


 男の悔しい気持ちが伝わってきて、ジュードは彼の肩を握り締めた。


「それでも奥さんはきっと、あなたに生きて欲しいと願っておられますよ。どうか飲んで下さい」


 ジュードの説得でやっと男が水に口をつけた時だった。マックスの叫び声が響いた。


「しっかりして下さい!俺の声が聞こえますか?」


 ジュードはとっさに立ち上がって駆け出した。脱水の患者が急激に水分を摂取すると、心不全や中枢神経の合併症を起こす危険があるのだ。


 だがジュードはグループを飛び出した途端、一人の兵に銃床で思い切り殴られ、前列に座っていた人々の中に身体ごと投げ飛ばされた。体を受け止めてくれた男性が「やめたまえ!」と言いつつ、まだジュードを殴りつけている男を止めようとしたが、彼も同じように殴りつけられ、辺りは騒然となった。


 丁度ここを負かされているIN-1がアッサンの所に行っていたのもあって、他の兵が隊長の元へ駆けつけホールでの騒ぎを知らせた。アッサンは立ち上がったシェランをチラッと見たが、何も言わずにIN-1と共に部屋を出て行った。


 何も言わなかったという事は付いていっても構わないという事だろう。シェランは急いで彼の後を追った。


― やっとみんなに会える・・・! ―





 アッサンはホールのドアを勢いよく開けると、ジュードや紳士を殴りつけている数人の兵の中に割って入った。


「何をやってるんだ、お前らは」

「グループから出るなと言っておいたのに、飛び出してきたんだ。だから殴っただけだ」

「くだらない騒ぎは起こすな。まだ敵の生き残りが居るんだぞ」

「だったら沈めちまえばいい。どうせ全員殺すんだ。こいつらに人質としての価値は無いんだろ?」



 4日間にわたる監禁状態は人質の身体や精神状態に深刻な影響を及ぼしていたが、監禁している側にもストレスを与えていた。人間の緊張はそんなに長く持続するものではなく、加えて敵は強大で、いつかは見つかるのではないかという不安が彼等の中に常に存在していたのである。



 アッサンは自ら鍛え上げた部隊の実力はかっていたが、SEAL等の生粋のエリートとは違うことも分かっていた。そろそろ彼らが痺れを切らしてくることも・・・。


 自分に食って掛かってきた兵達の肩を叩いてアッサンは出口の方に連れて行った。それを見てシェランはやっと起き上がったジュードの側に駆け寄った。うつむきながら唇の端に流れる血を拭い取っている彼の頬は紫色にはれ上がっていた。


「オレは大丈夫だから、彼を・・・」


 ジュードに言われて、シェランは後ろに倒れている紳士を助け起こした。気を失っていた男を気付かせるとシェランは彼に「大丈夫ですか?ご気分は?」と尋ねた。


「気分は・・・大丈夫ですが、喉が渇いて・・・」



 シェランが周りの人々を見ると、皆同じように思っているのか、じっと救いを求めるようにシェランを見つめていた。たった一杯の水では喉の渇きを癒すことは出来なかったのだ。


「分かりました。何とか水を貰ってきます」


 立ち上がろうとしたシェランは、ぎゅっと腕をつかまれて驚いたようにジュードを振り返った。


「あいつと・・・一緒に居るのか?」


 それは一体どういう意味なのだろう?ジュードは私とアッサンの事を疑っているのだろうか・・・。


 シェランは返事を返すことも出来ずに、ただ目を見開いて彼の瞳を見つめた。アッサンと一緒にいる時よりも、それは恐ろしい沈黙だった。


「首・・・怪我したのか?あんまり無茶するなよ」


 にっこり笑ってジュードはシェランの手を握り締めた。


 シェランがあの男と共に来た時はびっくりしたが、とにかく今は無事なようだ。少し疲れてはいるが、3日前別れた時と変わらないのは、自分や他の人質と違って食事も与えられているからに違いない。


 シェランは泣きそうになるのを堪えながら頷くと、ジュードの手を握り返した。


― 頑張らなければ・・・ ―



 シェランは立ち上がると、部下に何かを言い聞かせているアッサンの元へ歩いていった。ジュードもマックスもショーンも・・・そしてエバとキャシーも、絶対に死なせはしない。人質の中で唯一アッサンの側にいることを許されているのは自分だけなのだ。

 

だがアッサンのすぐ後ろまで来た時、シェランは彼がはっきりとこう言うのを聞いた。


「今夜、身代金が全て手に入る。明日、夜明けと共に艦を沈めるのだ・・・」



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