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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
53/113

第13部 消えた巡洋艦 【7】

 鉄の柱の間から覗く、ごつごつとした岩壁が圧迫感を感じさせるアッサンの部屋で、シェランはエバ達の所に戻る事も許されず、彼の後方にあるソファーに座らされていた。


 押し黙ったままのアッサンは、机の上にある通信機を見つめてシェランに背中を向けて座っている。この用心深い男が背中を見せているのは、どう抵抗してもシェランには何も出来ないと分かっているからだろう。



 さっきシェランはキャビンでアレックと秘密の会話を交わした後、再び走ってアッサンの所に戻ってきた。ちゃんと10分以内に到着したので、エバ達の所に帰してもらえると思っていたら、彼はただ一言「座れ」と言っただけだった。


 何故彼が自分を帰さないのか分からないが ―身の回りの世話でもさせるつもりだろうとシェランは思っていた― シェランはエバやキャシーの居る厨房に早く帰らねばならなかった。エバは殆ど戦力にならないので、キャシーとアメリアだけで食事を作るのは大変だろう。シェランは勇気を振り絞って唇を開いた。



「アッサン・・・・」


 返事はなかった。呼び捨てにしたのが気に入らないのだろうか。今度は丁寧に呼びかけてみた。


「ミスター・アッサン・メルガード?」



 アッサンはゆっくりと椅子を回してシェランを見た。その黒く縁取られた瞳と白眼とが余りにはっきりとしていて、普通に見ていても睨まれているように思える。


「ミスター付けで呼ばれたのは初めてだ。俺の正式な名前はアッサン・フィエドロ・メルガード・アドレだが、皆は隊長と呼ぶ」


「私はあなたの部下じゃないから、アッサンと呼ぶわ。それともミスター・アッサン・フィエドロ・メルガード・アドレと呼ばれたい?」


 彼はその問いには答えず立ち上がると、靴音を響かせてシェランの側まで歩いてきた。


「何だ」

「あ、あの・・・」


 いきなり“何だ”と問われてシェランは戸惑った。どうもこの男とは話がうまく噛み合わない気がする。彼は都合の悪い事や面倒な質問には答えない主義なのだろうか。


「もう食事も運んだし、私に用は無いはずよ。あなたの身の回りの世話なら部下にさせればいいんだし、私は厨房に帰らせて欲しいの」


「俺にメイドは要らん。自分の事は自分でする」

「だったら余計私は必要ないはずよ。3人で食事の用意をするのは大変だし、私も手伝ってあげたいの。それに・・・お腹も空いたし・・・・」



 アッサンは急に後ろを振り向くと、外の兵に食事を持って来るように叫んだ。


「ま、待って。違うの。私は・・・・」



 シェランが急に立ち上がったので、アッサンは銃を引き抜き、彼女の腕を掴むと銃口を首に押し当てた。急激に高鳴る心臓と恐怖でシェランの息は乱れ、唇が小さく震えている。アッサンはじっとシェランの瞳が自分の目を見つめているのを見ていた。


「お前の瞳は大西洋と同じ紺碧なのだな。よく言われないか?そんな濃い(あお)は見た事がないと・・・・」

「いいえ。いいえ、アッサン。言われた事は無いわ・・・」



 彼が銃をホルダーに戻してシェランの腕を放したので、彼女は力が抜けたように再びソファーに座り込んだ。


「俺の後ろに居る時は動くな。勝手に身体が動く」


 今のは間違いだったと言っているのだろうか。いずれにせよシェランはここに居なければならないようだ。




 暫くすると部下が食事を持って来た。彼等の為に用意していたものを皿に盛り分けて持ってきたのだろう。殆ど冷たくなっていたが、それでもシェランには嬉しかった。又銃を向けられては困るので、シェランは一言断ってからトレイの上に無造作に置いてあるスプーンを取り上げた。しかし突然通信機から、けたたましい着信音が鳴って彼女は顔を上げた。


― きっとカルディーノからだわ・・・ ―



 シェランは聞いていないフリをして食事をしながら聞き耳を立てた。



「随分遅かったな」

『様子を見ていたのだよ。今彼等はドミニカ共和国からジャマイカにかけての大アンティル諸島を捜索中だ。次は小アンティル辺りに行くだろう』


「では先回りしてリーワード諸島なんかどうだ?」

『いいだろう。見つからぬよう気を付けて行け』


「サブマリンエンジンを一つはずして水中を進む。リーワードの次はウィンドワード、トリニダード・ドバゴ。捜索機が右往左往して必死に探す姿が見られるぞ」


 通信機の向こうでカルディーノ(カルディス)がニヤリと笑っているのが分かった。彼は『Buena Suerte(幸運を祈る)』と言うと、通信を切った。



 すぐにカーテンの向こう側にいる兵を呼ぶと、アッサンは小声で何かを命じた。マイアミ育ちのシェランには、スペイン語は馴染みのある言葉だ。よくは聞こえなかったが、アッサンが“金”という意味の“dinero”と“人質”という意味の“rehen”という言葉を言っているのが聞こえた。


 金というのは身代金の事だろう。おととい連れて行かれた人質の身代金を要求するのだろうか。



 シェランは再び通信機の前に座ったアッサンを見つめた。彼が何の為にシェランをここに居させるのか全く分からないが、どうせ殺すのだから何を聞かれてもいいと思っているのだろう。だが何もせずに殺されるのを待っているわけにはいかない。例えどれ程エゴと呼ばれても、生徒達だけは助けたい。これから彼等が救う沢山の命の為にも・・・・。



「身代金を貰っても私達を殺すの?」

「お前達に人質としての価値は無い。政府に金は要求しない」

「どうして?最新のテクノロジーを積んだ巡洋艦と自国の人間よ。政府が見捨てるはずは無いわ」

「どうかな?」


 アッサンは立ち上がると、シェランの食事のトレイに乗ったりんごをナイフで刺してかじり始めた。


「アメリカは常にテロには屈しないという姿勢を崩さない。俺達ゲリラもテロと似たようなものだから、同様の態度を取るだろう。金を要求しても払う気などないし、交渉を長引かせてこちらの位置を探ってくるだけだ。乗客の事は全て調べ上げて、支払い能力の高いものだけに限定した。お前達の事は想定外だったがな」



 想定外・・・・。確かにそうだ。本来なら今日ジュード達はいつものように授業に出て、仲間達と楽しそうに笑いながら食事をするはずだったのだ。私があの日、ヘレンに会いに行ったりしなければ・・・・。シェランは唇を噛み締めた。


「又泣いているのか?泣いてもどうにもならないと、もう分かっただろう」

「例えどうにもならなくても、私はあがき続ける。あなたがこの船を沈めても、私は助け続けるわ。最後のその瞬間まで決して諦めない。私はライフセーバーだから」


 顔を近付けるとその紺碧の瞳に吸い込まれそうになるのをアッサンは感じていた。ただ若く美しいだけのこの女の何処にそんな強さがあるのだろう。すぐにでもその白くてか細い首を絞めて殺してしまいそうな男の前で彼女は決して瞳を逸らさずに言うのだ。


― 私は決して諦めない・・・・ ―



「お前が必死で助けた人間を、この俺が片っ端から撃ち殺していっても?」

「そうしたら又戻って助けに行く。何度でも。あなたが戦う事しか知らないように、私も人を助ける事しか知らないから・・・」


「ライフセーバーとは、愚かな生き物だな」

「そうよ。私達には名誉も誇りも何もない。ただそこに助けられる命があるから存在する。人を救う為だけに命を賭ける。愚かで・・・そしてとても、愛しい生き物だわ」



 ぐいっと顎を上げて微笑んだシェランの瞳に、アッサンはとっくに忘れていた母の姿を思い出した。波打つ黒髪に情熱的な黒い瞳。いかなる敵に対してもひるむことなく向かって行く彼女を、仲間達は“黒い豹”と呼んでいたものだ。


 そんな母はアッサンの誇りであったし、怖い鬼教官でもあった。彼女は父と共にアッサンを一流のゲリラに育て上げた。物心ついてから、ただの一度も優しく抱かれた事はなかったし、愛しているという言葉をかけてもらった事もなかったが、アッサンはゲリラとはそんなものだと思っていた。



 だが最後の最後、身体中に銃弾を撃ち込まれ、倒れていくその瞬間、母はアッサンを見て笑ったのだ。まるで彼が生まれた時のように、優しく微笑みながら彼女は呟いていた。


「愛しいアッサン、お逃げ。そして生き延びるのよ・・・・」



 母とは似ても似つかないシェランを見て、何故母親の事を思い出したのかアッサンには分からなかった。シェランはアッサンがじっと瞳を見つめながら手を取り上げたので、一瞬身を硬くした。


「お前の手は・・・白いな・・・」


 彼はそう呟くと、再び椅子に腰掛けシェランに背中を向けた。







 SLSから1人の教官と5人の訓練生が姿を消して3日が過ぎていた。本部の捜索に加わる事も許されず、ただ心配するだけしか出来ないAチームのメンバーは何かいい方法はないかと、夜になるとミーティングルームに集まって話し合っていた。


「やっぱりもう一度、校長に頼んでみようぜ。それで駄目なら直接、本部長官に頼むとか」

「そんなの絶対ムリに決まってるだろ?」


 レクターは年上のネルソンに頭から否定され、落ち込んだ顔でうつむいた。


「こうなったら退学覚悟でライフシップを盗むしかないな」


 いつもはおとなしいジェイミーの大胆な発言に皆は一瞬息を呑んだ。


「協力する。小型のライフシップくらいなら動かせるぜ」


 操船課では無いが、以前家にあるクルーザーを無免許で動かしていたダグラスは決意したように答えた。


「待てよ。海軍の捜索ヘリが海上をくまなく調べても分からないんだぜ。ライフシップで探し出せるんなら、とっくに見つかっているはずだ。何か確証でもないと、船で無駄に時間を費やすだけだ」

「海軍の無線を傍受しよう。俺がやる」


 ノースがぎゅっと手を握り締めたのを見て、ネルソンは普段落ち着いているジェイミーやノース、そしてダグラスまでもが痺れを切らしているのが分かった。


 リーダーのジュードやマックスが居ない時、一番年上になるネルソンは自分が先頭に立たなければならないと理解していた。彼は立ち上がると、全員の顔を見回して反対の意見がないか確認した。


「よし。通信の方はノースとハーディに任せる。ライフシップは俺とサム、ダグラスで調達する。あとの者は・・・」


 そこまで彼が言いかけた時、拳でドアを叩きつける音がして、サミーが息を切らしながらドアを開けた。


「身代金の要求が入った。みんな生きてる!船は沈んじゃいなかったんだ!」



 皆は叫び声を上げながら立ち上がった。もしかしたら巡洋艦はとっくに沈められていて、もう二度と仲間に会えないかも知れないと思っていた彼等にとって、それは何より嬉しい報告だった。彼等はまだ残っているであろう、エダース校長の元へ走った。SLSでは彼が一番の情報源だ。



 緊張しながら校長室のドアを開けると、ウォルターは彼等が来るのを知っていたかのように、今しがた海軍から届いた情報を話してくれた。


 身代金の要求が入ったのは、世界の長者番付にいつも名を連ねている8つの家族であった。ただ犯人は身代金の金額を言っただけで、詳しい引渡し日時や場所は又連絡すると言って連絡を切ったらしい。


『今夜12時までに家の内外に居るハエ共を全て撤退させろ。もし1人でも残っていたら、明日の朝、玄関前に人質の首が並ぶ事になる』



「犯人が最後に言った言葉だ。海軍の巡洋艦を奪って制圧し、まるで煙のように消し去った手際から見て、かなりの武装集団だと判断した政府は、人質の家族からの要望もあって、犯人の要求どおり今夜12時までに関係者全員を一時撤退させる事にしたらしい。まあ、彼等のことだ。盗聴は当然しているだろうし、身代金の引渡しの際に黙って見ているような事は無いだろうがね」


 校長はそれで全てを語り終えてしまったように口を閉じてしまった。


「あの・・・それで、政府には勿論要求があったんですよね。他の乗客達の・・・」

「政府には何の連絡もない。犯人は政府を無視したんだ」


 びっくりして生徒達はざわめいた。


「そんな・・・!巡洋艦まで奪ったんですよ!当然政府に要求が行くはずでしょう?」


 校長は訓練生達の顔も見ずにうつむいたまま答えた。


「犯人が何を考えているかは分からんが、彼等は政府を信用していない。と言うよりアメリカそのものを信用していないんだ。軍の見解では犯人が政府にアクセスしてくる可能性は低いという事だ。犯人にとって必要だったのはその8人の人質だけだったらしい」



 訓練生達はただ何も言えずに青ざめた。それでは教官やジュード達はどうなったのだ?必要が無ければもう・・・・・。


 暗い表情でうつむいている生徒を見回して、ウォルターは自分も泣きたい気分だった。どうして神はこんな試練を我々に与え賜うのだろう・・・。それでもウォルターにはもう一つだけ、彼等に言わなければならない言葉があった。彼等の事を己の命と同じように愛しんでいたシェランの為にも・・・。



「巡洋艦を襲った奴等は正体不明の武装集団だ。君達の安全の為、今後一切この件に関わる事を禁ずる。授業以外で訓練校の敷地内から出るのも禁止だ」


 ネルソン達はびっくりして顔を上げた。


「そんな、あんまりです!俺達の仲間の事なのに・・・!」

「口答えは許さん!」


 ウォルターは今まで見た事も無いような厳しい瞳を彼等に向けた。


「いいか、これはお願いでは無いぞ。SLS訓練校の校長としての命令だ。守れない者は今すぐ出て行け。俺が代わりに退学届けを書いてやる」

「そんな、そんなのって無い!俺は嫌だ!」


 叫びながら校長室を出て行ったレクターをブレードが追って行った。


「ジュード、マックス、ショーン、キャシー、エバ・・・教官!」


 一人ひとりの名前を呼びながらピートが泣き始めると、サムとダグラスも彼の肩を両側から掴んで同じように涙をこぼした。





 黙って飛び出して行ったノースをハーディが追ってきた。彼は運動場まで走りきると突然地面に跪いて「畜生!畜生!」と叫びながら両手の拳を地面に叩きつけた。


「ノース、やめろ、ノース!」


 ハーディがびっくりして彼の両手首を掴んで上に挙げた。


「なんでだ?何処の誰にあいつ等の未来を奪う権利があるんだ?あいつ等が何をした?ただ人を救う為に必死に頑張ってきたのに。なんで、どうしてなんだよ、ハーディ!」


 ハーディの手から力が抜けた。ノースは泣きながら何度も何度も地面を叩き続けた。どんなに手が傷ついて血が流れても、いきなり未来を奪われていった友の無念を思うと、余りの悔しさに彼はそれ以外どうする事も出来なかった。





 校長の言葉に腹を立てて飛び出してきたレクターは、自分を追ってきたブレードの声も聞こえないかのように勢いよく外へ向かって歩いていた。


「レクター!何処行くんだ。外に出たら駄目だって、今言われたばかりだろ?」


 自分の腕を掴んで押し留めようとするブレードの顔をレクターは睨み上げた。


「うるさいな、ブレードは。いつも、いつも!」

「うるさいって何だよ、その言い方は。ちょ・・・待て、レクター!」


 怒っているブレードを無視して、レクターは本部への道をどんどん歩いて行く。これはまずい。あいつ、本部長官に直談判するつもりだ。


「何考えてんだ、お前は!ネルソンにも駄目だって言われただろう!大体なんだよ。親友の俺に一言の相談も無しかよ!」


「相談したらお前に迷惑がかかるだろ?だから俺1人で行くんだ」

「行ったってどうしようもない。本部長官が校長の許可のない俺達を同行させてくれるわけないだろう!」


 彼等はSLS訓練校の出口で腕をつかみ合いながら押し問答になった。ブレードは以前のようにレクターにいきなりのカウンターパンチを食らわないように、しっかりと彼の腕を掴んだ。もし彼が殴ってでも行こうとしたら、こちらも殴って止めなければならなくなる。だがこんな場所で殴り合いをしていたら、本部隊員にまで見られてしまうだろう。



「行ってみなきゃ分からないだろ?どうしてみんな、そう駄目だって決め付けるんだ?」

「お前は以前俺の事をバカって言ったけど、バカはお前だ。そんな事をして何になる?みんなに迷惑が掛かるだけじゃないか!」


「それじゃあ、どうしろって言うんだ?お前まであいつ等が死んでしまったって思ってるのか?だからじっとしてろって言うのか?どうなんだよ、ブレード!」


 ブレードの頭の中に消えてしまった仲間達の顔が次々に浮かんできた。一緒に居るのが当たり前だった仲間・・・。笑ったり喧嘩したりして、一生一緒に生きていくはずだった。どうしてこんな事になったんだろう。


「頼むよ、レクター。いつもの冷静なお前に戻ってくれ。もうこれ以上、仲間を失いたくないんだ。頼むよ、頼む・・・・・」


 震える声で呟いたブレードの目から涙が零れ落ちるのを見て、レクターはすべての力が抜けてしまったように地面に座り込んだ。


「もう、駄目なのか・・・?本当にもう駄目なのか・・・?」と呟きながら・・・・。





 仲間達が気を落として校長室を出て行った後も、アズはたった1人でその場に立っていた。彼は泣く事もせず、ただ立ち尽くしていたのだった。


「ケイ・アズマ。みんな自分の部屋へ戻った。君も寮に帰りなさい」


 だがアズはいきなり床に跪くと、両手を床につけ頭を下げた。


「アズマ?」

「お願いです!本部隊員の捜索に同行させて下さい!お願いします!」


 ウォルターはびっくりして彼に駆け寄ってくると、両手を掴んで顔を上げさせた。


「やめなさい。そんな事をしても無駄だ」

「お願いします!お願いします!お願いします!」


 それでもアズは頭を下げ続けた。


「やめるんだ。男がそんな事をするものじゃないぞ!」

「俺には何も無い。何の力も、権利も・・・・。ただの学生でしかない。だから仲間の為に俺が出来るのは、これだけなんです。どうか行かせて下さい。俺達を行かせて下さい。お願いします!お願いします!」

「ケイ・・・・・」


 ウォルターは何も言う事が出来ずに、彼を抱きしめた。


「すまない・・・許してくれ。何の力もない私を・・・許してくれ・・・・」


 まるで潰れていくようなウォルターの心が伝わってきて、アズもそれ以上彼にムリを言う事は出来なかった。


― 行ってくるよ、アズ・・・・ ―


 ジュードの声が今も頭の中で響いてくるのを聞きながら、彼の頬にも涙が零れ落ちていった。





 ノースが疲れ果てて地面を叩くのをやめた時、彼は側でネルソンが立って自分を見下ろしているのに気が付いた。


「ノース、お前それでもシェルリーヌ・ミューラー教官のAチームメンバーか?」


 決まり悪そうに下を向いたノースに、ネルソンは更に言葉を続けた。


「教官は俺達になんて言っていた?まさか忘れちゃいないだろうな」




 突然、ノースの脳裏に日差しに照らされ、キラキラと光る波間が鮮やかに蘇ってきた。その上に浮かぶライフシップのダイビィング・エレベーターの端に立って、口に人差し指を押し当てると、シェランはAチームのメンバーを見回した。


「ねえ、みんな。ここだけの話よ。あなた達はね、いずれ全米一のライフセーバーチームになるの。私には分かるの。だからね、どんな時も自分を信じて、そして決して諦めないで。私にはあなた達ひとりひとりが、宝石のように輝いているのが見える。だってあなた達は私の宝物なんだもの!」


 なんてロマンチックな事を言う教官だろう。呆然としている生徒達の前で彼女は少女みたいに笑うと、まるで夢を見る魚のように海の中へ消えていくのだ。




 ハーディはたまらなくなって顔を逸らした。ノースの涙がポタポタと音を立てて落ちた後、地面に吸い込まれていった。


「どんな時も自分を信じて・・・最後まで諦めるなって・・・」

「そうだ。決して諦めるな。お前もライフセーバーなら」


 そう言った後、ネルソンはノースの側にしゃがみこんで彼の耳に囁いた。


「明日、朝7時に技術研修館のドアが開く。一限目の授業までに海軍の無線を傍受できるか?」


 やっと顔を上げたノース、そしてハーディも頷いた。


「やる。やってみせる・・・」

「よし。頼んだぞ。ノース、ハーディ」






 次の日の朝、彼等は昨日ネルソンと約束した通り、技術研修館へ向かった。7時に担当教官であるノイス・ベーカーが研修館のドアを開けた後、すぐに中へ入り、2階にあるコミュニケーションクラスに行った。


 周りに誰も居ないことを確認するとノースが中に入り、ハーディが見張りに立った。しかし中に入ったノースは急に大声を上げて、ハーディを呼んだのだ。


「何だよ、声がでかいぞ、ノース」

「いいから、早く来い。これを見ろよ!」


 興奮しながらノースが指差した、彼ご自慢のお手製通信機の表面にある赤いランプが、しきりと点滅を繰り返している。


「何だ?通信仲間からか?」

「違う。今調べたんだけど、この信号の主はカリブ海から送信しているんだ。ジュードだよ。あいつが俺達に助けを求めているんだ!」


「でも、D・Cなら海の中からって事も・・・」

「違う。海上だ。間違いない。生きてる。あいつ等は生きているんだ!」


 

 ハーディは飛ぶように教室を飛び出した。技術研修館の階段を3段飛びで駆け降り、今ネルソンの部屋に集まって、いかにしてライフシップを盗むか相談中の仲間の元へ走った。


 早く、早く・・・。一刻も早くみんなに知らせてやるんだ。あいつ等が生きているんだって事を・・・・。



 ハーディの知らせを聞いて、ネルソン達も転げるようにコミュニケーションクラスになだれ込んできた。彼等は通信機の赤い点滅を見て、友が生きている事を確認した。


 まだ顔を見たわけでもないのに、彼等は互いに肩を叩き合って喜び合い、ジェイミーは聞こえるはずもないのに、通信機に向かって何度もジュードの名を呼びかけた。


 ネルソンは涙を拭いた後、まだ喜びを分かち合っている仲間を見回した。


「お前等、喜ぶのはまだ早いぞ。教官達を監禁しているのは巡洋艦を丸ごと一隻シージャックしてしまうような奴等だ。はっきり言って俺達なんかに手も足も出る相手じゃない。しかしだ。身代金の要求が政府に来なかった以上、艦はほぼ沈められたと考えて、軍は8組の人質の方に全神経を集中している。軍や政府が俺達学生の言う事に耳を傾けてくれるとはとても思えないが、お前等はどう考える?」


 ネルソンの意見にピートがすぐに答えた。



「相手がどんな奴等かも分からないのに手を出すのは危険だ。ましてや俺達は軍人でもないし、何の武器も持っていない。だが海軍が動いたとして、あいつ等が無事に戻ってくる確証は何処にもないと俺は思う」


 ダグラスも頷いた。


「そうだ。敵には最新の武器システムを積んだ巡洋艦がある。それで近付いてきた軍を攻撃し始めたら、正に戦争だ。人質どころじゃないぞ」


「第一、軍は俺達の言う事なんか聞いてくれっこない。この間、ノーフォークに直接電話して偉い人に繋いでくれって言ったのに、相手にもしてもらえなかったぞ」


 サムはいつの間にか、そんな大胆な事をしていたらしい。ダグラスがあきれた顔で親友を見た後、再び語り始めた。


「校長から話を通してもらえば何とかなるかも知れないが、それでは俺達は又置いてきぼりを食うだろう」

「冗談じゃない!これ以上、こんな所でじっとしているのはごめんだ!」


 レクターが叫ぶと、ハーディも頷いた。


「あいつ等が助けを求めているのは俺達だ。何とか俺達だけで助け出す方法を考えよう」



 全員が頷いた時、ずっと通信機の横にあるコンピューターをいじくっていたノースが皆の方にモニターの画面を向けた。その画面には西インド諸島から南米にかけての地図が映し出されていた。


「信号が発信されているのは、ベネズエラ北方沖のブランキージャ島の周辺だ。この辺りは島が多くて行ってみないと詳しい位置は分からないと思う。海図(チャート)の航路は・・・・・」



 ノースの説明を聞きながら食い入るようにモニターを見ている仲間の気持ちは、もはや聞くまでもないだろう。ネルソンは昨夜の内にサムやダグラスと共に燃料が満タンに入ったライフシップを見つけておいた。彼等が初めてここへ来た時、最終試験で使ったサクセスファリ号だ。


 その後、皆で思いつく限りの荷物を積み込んだ。食料、水・・・人数分のライフプレサーバーを整え、救難信号や通信設備など異常がないか確認し、いつでも出港できるように準備を整えた。



 ネルソンが時計を確認すると、7時半丁度だった。8時からの一限目の授業が始まる前に抜け出さなければならない。彼等は10分後にネルソンの部屋で落ち合う事にし、寮へ戻った。




 7時50分。ネルソンがそっとドアを開けて外の様子を確認したが、誰も居なかった。朝食を終えた後は、大抵そのまま授業が始まるまで本館で過ごす生徒が多いので、今からここを抜け出す彼等には好都合だった。


 ネルソンの部屋を出ると、皆走り出した。2階廊下から1階へ至る階段へ走りこんだ彼等は先頭のネルソンとピートが急に立ち止まった為に、次々と前にぶつかる事になった。


「何やってるんだよ。危ないじゃないか!」


 ネルソンの後ろに居たレクターは、彼の高い背中から前を覗き込んでぎょっとした。ジーンとサミーを先頭に、BチームとCチームが、そして1年生と3年生までもが、階段の上から1階にかけて彼等の行く手を塞いでいたのだ。



「おやおや、1限目が始まろうというのに何処へ行こうというのかな?Aチームの諸君」

「まさか、僕達が何も知らないとでも・・・?見くびられたもんだ。ねえ、ジーン」


 先頭に居るジーンとサミーがニヤッと笑って彼等の手に持った荷物を見ると、もう手遅れだが、ネルソンはそれを背中に隠したくなった。



 もう駄目だ・・・。まさか3年の先輩まで出てくるなんて。きっとライフシップを盗む計画も、ばれているに違いない。言い訳も出来ないまま、その場で立ち尽くしていると、3年のリーダーが3人揃って階段を上がってきた。


 3年Aチームのリーダーはアラミス・マグワイヤと言って、機動の先輩という事もあり、ジュードやネルソン達は1年の頃からよく可愛がってもらったものだ。その先輩に見咎められたら、ネルソン達にはなす術もなかった。



「ネルソン、ロープは多めに積んでおけといつも言っていただろう。全く、何かあったら俺達にも相談しろと言っておいたのに、勝手にしようとするから、こういうミスをするんだ」


 うつむいていたネルソンは驚いたようにアラミスを見つめた。


「ロープは足しておいた。食料も増やしておいたから、大食いのマックスが乗ってきても大丈夫だぞ」


 Bチームのリーダー、テッド・ブレスがニヤッと笑うと、Cチームのリーダー、ジョン・バーンズも彼等に片目を閉じて、親指で後ろを指差した。


「外に全員が乗れるバンが用意してある。教官連中は俺達が足止めするから、安心して行って来い」

「先輩・・・・・」


 アラミスは泣きそうな顔をしているネルソンの肩を叩いた。


「必ず教官とジュード達を連れて戻って来い。いいか。自分が生き残ってこそのライフセーバーだ。それを忘れるな」

「はい!」


 Aチームが声をそろえて返事をすると、訓練生達はさっと階段の両側によって彼等に道を開けた。


「先輩、気を付けて!」

「絶対戻って来いよ!」

「何かあったら、すぐ救難信号を出すんだぞ!」


 他のチームのメンバー達が階段を駆け降りていくAチームに声をかけた。




 全員がバンに乗り込むと、ネルソンがハンドルを握った。窓から覗くと、さっきまで彼等を見送っていた訓練生達が本館へと向かって走っている姿が見えた。きっとAチームが授業に出てこないのを「あいつらショックで寝込んでます」等と言ってごまかしてくれるに違いないと思うと、おかしくなってノースとハーディは顔を見合わせてほくそ笑んだ。




 3年の先輩が手を回してくれたのだろうか、SLS専用港には誰の姿もなく、彼等は左から二番目に泊めてあるサクセスファリ号に走り寄った。しかし途中、ダグラスはふと気になるものを見つけた。


 昨日サクセスファリ号の隣には普通のライフシップが停泊していた。しかし今朝は、見た事もない大きなクルーザーが泊まっている。このフロリダの明るい太陽には全く不釣合いな真っ黒な船体の横には派手な金色のラインが入っており、船首には同じく金色の文字で『Atlantic(アトランティック) Fish(フィッシュ)』と書かれていた。



 Atlantic(アトランティック) Fish(フィッシュ)?まるでシェラン教官の事じゃないか・・・・。


 そう思いつつライフシップに登りかけた彼等の耳に男の笑い声が響いてきて、一瞬ぎょっとして隣の黒い船を見上げた。


「甘いな、Aチームの諸君。教官の目はごまかせても、校長である私の目はごまかせんぞ」



 黒いタンクトップに黒いジーンズというラフなスタイルで、黒光りするクルーザーの上に仁王立ちになり自分達を見下ろしているウォルターは、まるで映画でよく見る悪役の親玉(ボス)のように彼等の目に映った。


 彼はもうライフセーバーを引退して久しいはずだが、陽に焼けた腕や胸の筋肉は全く衰えてはおらず、よく見かける本部隊員となんら変わりが無いように見えた。


「君達が昨夜、一生懸命積み込んだ荷物は、全て引きずり下ろしておいた。実にご苦労だったな」


― あんまりだ・・・! ―



 Aチームの訓練生達は校長の仕打ちが悔しくて、持っていた荷物を地面に叩き付けそうになった。確かに黙ってライフシップに乗って行こうとしていたのは悪い事だが、すべてを知っていて自分達のする事を笑いながら見ていたのかと思うと、校長の底意地の悪さに腹を立てずにいられなかった。


「あんまりです!それは確かに俺達のやろうとしていた事は、命令違反だし悪い事だって分かっています。でも黙って見ていて今になってこんな所でストップをかけるなんて酷すぎる!せっかく3年の先輩が積んでくれた食料まで引き摺り下ろすなんて!」


「ほお?君達の脱走劇に3年生まで関わっていたのか。それは初耳だなぁ」


 ネルソンは真っ青になって首を振った。


「ち、ち、違います。3年の先輩も1年生も関係ありません。これは俺達が勝手にやった事で、その・・・」


 ウォルターは面倒くさそうに首の辺りを2、3度かくと、自分が乗っている船と港の間に付けられた渡り板を指差した。


「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと登って来い、ネルソン。シェラン達の居る位置は分かっているんだな?ノース」


「はっ、はい。え?校長先生?」


 ノースはびっくりしたようにウォルターを見上げた。


「下ろした荷物は全部こちらに積み込んである。お前らを泥棒にするわけにはいかんからな。言っておくが、何が起こっても責任は取らんぞ。覚悟して付いて来い!」


 ネルソン達は顔を見合わせると、声を合わせて「了解!」と叫んだ。

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