第1部 A HARD DAY 【4】
レナが携帯の表示を見ると、アルガロンからだった。父に間違いないだろう。
「パパから・・・みたい・・・」
消え入るような声でシェランを見上げたが、彼女は助け舟を出さなかった。
「出なさい。レナ」
仕方なくレナは息を呑んだ後、電話を受けた。
「ハロー・・・」
『レナか?今何処に居る?』
「あ、あの・・・」
『5THに居るんなら帰ってくるな!いいな。絶対にか・・・』
途中で途切れてしまった電話を握り締めて、レナは真っ青な顔をしてシェランを見上げた。5年前、あの時も父は学校に居るレナに電話をしてきて言ったのだ。絶対に帰って来るなと。父が授業中に電話をしてきたのは初めてだった。父の声はあの時と同じだった。どうしようもなく追い詰められた声・・・・。
「うそ・・・。そんな。パパ・・・」
レナは携帯を持ったまま、がたがたと震えてその場にしゃがみこんだ。
「レナ?どうしたの?パパがどうかしたの?」
「シェラン、どうしよう。アルガロンが・・・今度はアルガロンがこの5THと同じ目に・・・・」
シェランはとっさに立ち上がって「救助に向かうわ!」と叫ぼうとしたが、仲間達の顔を見て黙り込んだ。彼等はまだ、ライフセーバーではないのだ。ただの受験生で、殆どが人命救助に関して未経験者だ。
だがアルガロンと5THの間の距離は50Km以上離れているとはいえ、今アルガロンの一番近くに居る救助船は彼等の乗ってきたサクセスファリ号なのである。
「ここから50Km南下した所に、アルガロンという石油採掘場があるわ。多分今そこで火災及び爆発事故が発生している。一番近いのは私達よ。みんな、助けに行く?」
誰もが一瞬息を呑んだが、ジュードは躊躇しなかった。
「当たり前だ。オレ達はライフセーバーになるんだぜ。今日でも合格発表後でも一緒だろ?」
エバもすかさず答えた。
「ええ、そうね。それには船長がいないと駄目ね」
「潜水士候補もいるわ」
キャシーも片目を閉じて答えた。女性達に負けじと男達も次々に叫んだ。
「俺も行くぜ」
「もちろん俺もだ!」
シェランはにっと笑い掛けると、小さなノートパソコンを抱きしめているジミーに言った。
「それで船を操縦してきたのね?アルガロンまで戻れる?」
「は、はい。戻れます」
「じゃあ、あなた達はみんなと一緒に船でアルガロンへ。レナ、私達はヘリで先に行くわよ」
「はい!」
シェランが操縦席に座ると、再びバリバリと空を切り裂く轟音が響いた。レナがシェランの隣に座りドアを閉めようとした時、後部ドアを開けて誰かが乗り込んできた。
「ジュード?」
怪訝そうな顔のシェランにジュードはにやっと笑った。
「あんたがオレに“付いて来る?”って言ったんだぜ」
“あんた”と言われて思わずむっとしたシェランだったが、そういえばまだ正式に名乗ってなかった事を思い出した。
「シェルリーヌ・ミューラーよ。シェランって呼んで」
「シェランか。オレはジュード・マクゴナガルだ」
彼女は「よく知ってるわ」と笑うと、シートベルトを締めた。
ヘリは離陸し、角度を変えて南へ向かって行った。途中シェランはヘリの無線でSLSにアルガロンの火災を伝え、本部からはとりあえず重傷者を先に搬送するようにと指示を得た。これで消防ヘリが向かうはずだ。
レナはホッとする反面、今また炎の中で戦い続けている父を思った。
― すぐ戻るわ、パパ。もう少し頑張って・・・ ―
やがて船一つ無い海上に、いつもとは全く違う黒煙の巻き上がるアルガロンが見えてきた。シェランはヘリを上空で大きく旋回させて様子を探った。どうやら燃えているのは採掘プラットフォームだけのようだ。
ヘリポートに着陸すると、3人はすぐにヘリを降りた。シェランはレナに「私の側を離れないで」と言った後、ジュードの両肩を掴んだ。
「な・・・何だ?」
「ジュード。レスキューとは自分の命を犠牲にしてはならない。どんな事があっても己が無事に戻ってきてこその救助。真のライフセーバーよ。それを忘れないで」
シェランの真剣な眼差しに、ジュードは深く頷いた。
採掘プラットフォームの3箇所から火の手が上がり、非常用サイレンが採掘場のあらゆる場所から鳴り響いていた。火の粉が飛び交う中、アーロンは負傷した部下を背負い、炎から逃れる人々の間に混じって生活プラットフォームの上部へ行くよう指示を出しながら走っていた。後ろからジョンも仲間に肩を貸しながら歩いている。
レナとの無線が切れた後、3度目の爆発が起こったが、5THの時に比べて爆発の規模は小さいようだ。あの男は“遊び”と言ったが、これは警告のようなものだろう。次は無いぞ・・・という・・・。
5THの時もそうだった。まるでゲームでもしているかのように彼は次々と5THに仕掛けた爆弾を爆発させていった。逃げ惑う人々の叫び声を聞きながら・・・。
あの男にとってこの程度の事は遊びでしかないのだろう。そして右往左往している愚かな人間を見てあざ笑っているのか?
「くそっ、反吐が出るぜ」
アーロンは息を切らしながら負傷者を安全な場所に降ろすと、再びジョンと共に炎の燃え盛る採掘プラットフォームに戻って行った。
ジュード、シェラン、レナの3人が共にヘリポートから降りて行く時、火の手の無い生活プラットフォームに向かって、人々が避難していく様子が見えた。きっと負傷者もそこに運ばれているだろう。ジュードはシェランに負傷者の搬送を頼むと、採掘プラットフォームへ向かおうとした。
「ジュード、駄目よ。そっちは・・・」
「大丈夫。建物の中じゃないから、そんなに熱くないし」
「近くに行ったら充分熱いわ。それに炎が風にあおられて危険よ」
「でも要救助者はあそこに居るんだろ?大丈夫。さっきシェランが言った言葉は充分胸に刻み込んだから」
幾ら胸に刻んでも、炎の中の救助は想像するよりずっと危険だ。走り出してしまったジュードをシェランは追いかけたかったが、レナを置いていくわけにはいかなかった。この少女こそ、自分が行けば間違いなくあの中へ父を探しに入っていくだろうから・・・。
― リリアン、あなたの娘は、全くあなたにそっくりよ ―
シェランはレナの手をしっかり握り締めると、生活プラットフォームへと走り出した。
炎は3箇所から上がっているようだが、その中心に近付くほど熱さが増してきた。それに冷たいはずの海風が、この辺りでは熱風に変わっていた。
ジュードは初めて間近に見る火災現場の惨状に眉をひそめたが、それ以上に炎にそれほど近付かなくても身体中に感じる、うだるような暑さと息苦しさに驚いた。
健常者は既に脱出しているようだ。辺りに人影は無かった。ジュードは誰か倒れている人間が居ないか探し始めた。
「おい、君。何をしているんだ。早く逃げろ」
不意に後ろから声を掛けられて、ジュードが振り向くと、がっしりとした体格の男と少し小柄な青年が、頭から血を流してぐったりとした男を両側から支えて立っていた。ジュードはSLSとはまだ名乗れないので、自分の名を名乗り、負傷者を搬送するのでヘリポートへ彼を運ぶように言った。
「ヘリって、まさかレナが帰ってきているのか?」
「ええ。今別の所で負傷者の救助をしているはずですよ」
「あのバカ娘!帰って来るなとあれほど言ったのに!」
その言葉でジュードは彼がレナの父親だと悟った。
「大丈夫ですよ。彼女の側には心強い奴が居ますから」
ジュードはまだシェランの事をよく知っているわけではなかったが、今日一日の彼女の行動は控えめではあったが、自分達の中で誰よりもライフセーバーらしいと思っていた。
「きっとシェランが居れば大丈夫です」
「シェラン?彼女が来ているのか?」
「ご存知なんですか?」
「ああ。彼女がレナの側に居るのか・・・そうか・・・・」
アーロンの顔は安心したように微笑んでいた。シェランがこの親子にどう関わっているかは知らないが、余程信頼されているらしい。とすればレナが彼女をあれほど慕っているのもよく分かる気がした。
「とにかくその人を早くへリポートへ。オレは他の負傷者を探します」
そう言って駆け出したジュードにアーロンは道案内を買って出ようとしたが、ジョンに「俺一人じゃこの人は運べません。だから俺が行って来ます」と先を越されてしまった。早く親子が再会できるように気を遣ってくれたのだろう。
アーロンは16歳の時から面倒を見てきたジョンの背中に苦笑いすると、レナの居るヘリポートに向かった。
大声を張り上げて負傷者を探しながら、ジュードは炎で前が見えなくなる場所まで来ていた。
「誰か居ませんかーっ!」
声を張り上げるたびにむせ返る。これ以上進むのは危険かもしれないと思った時、シェランの言葉が頭に蘇った。
巨大なクレーンはまだ残っていて、その向こう側でもジョンが同じように声を張り上げて負傷者を探していた。灰色の煙が彼を包み込みながら通りすぎて行き、ジュードは思わず目をこすりながらその煙が去った後を見つめた。
人が倒れている。しかも近くに寄って見ると、彼の足は50センチ四方もある鉄骨の下敷きになっていた。ジュードはすぐにジョンを呼んだ。彼はその男を見ると「ニック!」と叫んで駆け寄ってきた。ニックは何とか意識はあるようだが、声を出すことも出来ないほど弱っているらしい。
ジュードとジョンは急いで鉄骨を取り除こうとしたが、男2人の力でもそれは全く動く事なく、彼の足の上に横たわっていた。
「くそつ、こんな時におやっさんが居たら・・・」
口惜しそうにジョンが呟いた。
「無線か何か持ってないのか?」
ジュードの質問にジョンは更に悔しげに答えた。
「いや、慌てて出てきたから・・・。でも持っていても使えないんだ。全ての電波をあいつは遮断しやがった。あの男はそういう男なんだ!」
― あの男・・・? ―
ジュードにはジョンが何を言っているのかよく分からなかったが、とにかく助けを呼べないのなら、自分達で何とかするしかなかった。
「そうだ、ジョン。こういう時は“てこの原理”だ」
「おおっ、てこだな」
彼等は頷き合うと適当な鉄筋を探し出した。少々鉄が焼けて熱いのなんて、今の彼等には全く感じなかった。彼等はそれをニックの足のすぐ側に差し込むと、力一杯押し下げた。
鉄のきしむ音が何度かした後、やっとその赤黒い鉄の塊が浮き上がった。ジュードが鉄筋を抑えている間に、ジョンがニックの両腕を引っ張って引きずり出した。
すぐに彼を運ぼうとしたが、足の出血が酷い。それに足の曲がり具合から見て、彼の足は先ほどの鉄の柱によってバラバラに砕けているように見えた。
― どうすればいいんだろう、こんな時・・・ ―
ジュードは今ほど救急救命士の資格を持っていない事を悔しいと思った事はなかった。たとえ免許が無くても勉強くらいしておけばよかった。夢だけではライフセーバーになれないのだと彼は思い知った。
「とにかく止血だけでもしよう」
ジュードは上着を脱ぐと、それを引き裂いて、ニックの足に巻き始めた。彼が痛みの為に押し殺したようにうなり声を上げるのを聞く度、迷いが生じて手の力が抜けていくような気がした。
― 誰か、誰か来てくれ。この人を早く病院へ運びたいんだ。ショーン、シェラン・・・誰か・・・! ―
「ジュード!」
ショーンの声だ。そのすぐ後ろにはジェイミーも居た。ジュードはホッとしたように彼等の名前を呼んだ。ジェイミーがすぐにニックの側に駆け寄って足の様子を見た。
「いいぞ、ジュード。このまま運ぼう」
なんて力強い言葉だろう。ジュードは言葉も無く頷き、ニックを皆で抱え上げた。
海上ではやっと到着したサクセスファリ号に受験生が作業員を引率していた。
「重傷者はヘリで運びます。こちらには軽傷の人から乗ってください!」
「定員は60名ですけど、すぐにSLSから救助が来ます!」
顔に火傷を負った人を助けながらエバが船に乗り込むと、救急救命士の資格を持った者達が駆けつけて医務室に連れて行った。ホッとして周りを見回したエバの目に、ぼうっと船の端に立ちすくんでいるマックスが映った。
― どうしたんだろ、あいつ。こんな時、一番にすっ飛んで行きそうなのに・・・ ―
確かに元消防レスキューの彼には、うってつけの現場である。
「マックス?マックス!」
二度声を掛けられて、やっと彼はエバの方を振り返った。
「ああ、何でもない。中の怪我人を見てくるよ」
彼は不思議そうな顔をしたエバを残して、船の中へと姿を消した。
ジュード達がやっとの思いでへリポートに到着した時には、ヘリは既にエンジンを掛け、離陸体制にあった。ジョンの姿に気が付いてアーロンが操縦席から降りてきた。ニックをヘリの中へ担ぎ込むと、もう定員一杯であった。
アーロンはレナをここから離れさせたかったのだが、実はレナはまだヘリの免許を持っていなかったので、ジョンが操縦をすることになった。
シェランの横で無邪気な顔をして去って行くヘリに手を振っているレナを見て、ジュードは溜息を付いた。
無免許でヘリは飛ばすし、接触型放電装置というわけの分からないものを作って船をシージャックするし・・・オレの13歳の頃はもっとかわいかったぞ。
彼女の将来に一抹の不安を感じるジュードであった。
「あっ、見て。消防ヘリだわ!」
レナの指差す方向からSLSのヘリが3機やって来た。
森林火災などでは下にウォーターバケットという500リットルの水が入るバケツをぶら下げているが、石油や電気火災などの特殊な火災の場合は水では効果が無く、ハロゲン化物消化剤などを用いる。
だがハロゲン化物は毒性が強く、吸い込むと嘔吐、頭痛、知覚障害などの様々な症状を引き起こしかねない。しかもヘリは空中からそれを散布するので、プラットフォームの上に居る彼等に降りかかってくる可能性は大きかった。
レナはシェランの手を掴むと我先にとヘリポートを降り始めた。無論、他の者達も彼等の後を追っていった。消防ヘリが到着した事で、皆の足取りは軽かった。3機の消防ヘリは、炎の上をゆっくりと旋回しながら消火剤を散布し始め、勢いよく燃え盛っていた炎は徐々にその姿を縮めていった。
レナはここで暮らしているだけあって、すばやく最下層に降りると、まだ階段の上に居るシェランに手を振った。
「シェラン、早く、早くー!」
シェランはレナに手を振り返すと、彼女に答えようとした。しかしその視線の先にある最下層の上部を支える鉄骨から、パラパラと鉄屑の落ちるのを見たのだ。
「レナッ!」
その名を叫ぶのと同時にシェランは走り出した。その瞬間、10トン近くある巨大な鉄骨がレナの上に崩れ落ちた。シェランはレナを抱きかかえ、プラットフォームの端まで走った。
「シェラン、駄目だ!」
ジュードの声にシェランは自分がまだ危機を脱したわけでは無い事を悟ると、転落防止柵を掴み、身を翻して空へ飛んだ。彼等の姿が見えなくなった後を追うように、5メートル以上もある鉄の塊が転落防止柵を破壊し、そのまま海に落ちていった。
「シェラン!」
階段を急いで駆け降りていくジュードの脳裏に、シェランがこの地に降り立った時に言った言葉が蘇った。
― どんな事があっても、己が無事に戻ってきてこそ、真のライフセーバー・・・ ―
空中でシェランはレナの頭をしっかりと胸に抱きしめた。最下層とはいえ、30メートル、およそビルの10階にあたる高さだ。海面に叩きつけられたような衝撃の後、2人は暗い海に沈み込んだ。
後を追ってきた鉄骨が一本、シェランのすぐ目の前を無数の水泡を巻き上げながら通り過ぎ、深く暗い海の底へと消えていった。更にもう一本・・・。そして最後の一本がシェランの背中を直撃した。
衝撃と共に激しい痛みが背中に走り、シェランは吸い込んでいた空気を全て吐き出してしまった。それでもシェランはレナを離さなかった。鉄骨は2人を日の光が差さないほどの深い海の中へ押し込み、やがて彼等の側を離れ、海の底へ落ちていった。
シェランは上を向いた。もう鉄骨は落ちてこないだろうか・・・。必死に自分にしがみつき息を堪える小さな命を抱きしめて、シェランは泳ぎ始めた。
5年前、5THで会ったレナの母、リリアンをシェランは忘れた事は無かった。彼女は100名以上居る従業員の母のような存在で、一人っ子のシェランが彼女に姉のような感情を抱いたのは当然といえるだろう。
その彼女がシェランの目の前で炎の中に消えて行った時、シェランは自分の無力さをその時ほど思い知った事はなかった。リリアンはシェランがライフセーバーを目指すきっかけとなった人なのである。
そしてシェランにとってその娘のレナは、自分の妹のような存在だった。どんな事があっても、守り抜きたい存在・・・・・。
ジュードは船着場まで駆け降りると、そこから必死にシェランの姿を探した。アーロン達も2人の名を呼びつつ探している。船に乗って従業員を引率していた受験生達も下りてきて、海の上に人の姿が無いか探し始めた。
だが陽の光を受けて輝く海はただ、船着場の縁に穏やかに波を打ち付けるだけで、他には何もその上に見る事は出来なかった。
― くそっ、自分で言ったんじゃないか。どんな事があっても無事に戻れって・・・! ―
ジュードは口惜しさに思わず叫んだ。
「戻って来い、シェラン!ライフセーバーになるんだろ!?」
ザバッという水音と共に、白い手がジュードの足元の鉄板を掴んだ。シェランがレナを抱きかかえたまま、顔を出したのだ。
ジュードはすぐにショーンやジェイミーの名を叫ぶと、彼女を引き上げ、仲間達も手伝った。レナが気を失っていたので、シェランは彼女を寝かしつけるとすぐに心肺蘇生を行なった。レナが自力で息を始めると、シェランはホッとしたように彼女の髪を撫でた。