第13部 消えた巡洋艦 【3】
湧き上がる拍手の中、ぎゅっと唇を噛み締めうつむいたシェランを横目で見て、ジュードは内心溜息を付いた。
― 全くもう、シュレイダー大佐は・・・ ―
彼女はシェランがこんな風に衆人の注目を浴びるのが嫌いな事を知っているのだ。だからわざとこんな目立つドレスを用意したのだろう。
ジュードは左手で支えていたシェランの右手をもう片方の手に持ち帰ると、左腕をシェランの腰に回し、軽く身体を持ち上げた。驚いたように見上げたシェランに彼は前を見つめたまま囁いた。
「笑って、シェラン。絶対にシェランをこけさせたりしないから・・・」
シェランは彼の手の平の温かさを感じ取ると、顔を上げ小さく頷いた。
ゆっくりとヘレンや艦長の居る方へ向かいながら周りの人々に微笑みかけるシェランは、正に美の女神そのものに人々の目には映った。パールホワイトのドレスがライトを浴びて淡く光り輝き、胸元から背中に伸びた黒いスカーフが優しく揺れる。それは金色に輝く彼女にまるで影のように寄り添う黒髪の青年をも引き立て、彼等の姿を見た人々は溜息を漏らした。
― フン。やはり私のドレスの見立ては間違っていなかったな ―
自らのセンスの良さに思わずニヤリと笑ってしまう、ヘレン・シュレイダー大佐であった。
「素敵だわぁ、教官・・・・」
うっとりとシェランを見つめているキャシーの横でぼうっと立っていたエバは、誰かが後ろからぶつかってきて思わず前によろめいて倒れた。
「失礼、お嬢さん。お怪我はありませんか?」
短い黒髪、日に焼けた肌、引き締まった体つきはライフセーバーを思い起こさせるが、エバに手を差し出している男は、更に気品と優雅さを兼ね備えていた。エバはまず彼の美丈夫に目を取られたが、シンプルではあるが高級そうな黒いスーツの胸に輝く、色とりどりの宝石で飾られたブローチにも目を奪われた。
「申し訳ありません。少々急いでいたものですから・・・」
彼は呆然と自分を見つめているエバをスマートに助け起こすと、金糸の刺繍に縁取られたハンカチをスーツのポケットから取り出し手渡した。
「あ、あの・・・」
「すみません。もう行かなければ・・・」
彼はにっこり微笑むと、今ジュードとシェランが到着した壇上へと向かった。
高級そうなハンカチを胸に抱きしめたまま、呆然と男の後姿を見送っているエバを心配して、キャシーが彼女の顔を覗きこんだ。
「エバ、大丈夫?どこか打った?」
「見つけちゃった・・・・・」
「は?」
「王子様、見つけちゃったわ・・・」
夢心地で呟くエバに、後の3人は返す言葉も無く黙り込んだ。
ジュードとシェランが側まで来ると、艦長がすぐに椅子を進めてくれたので、彼等はやっと一息つく事が出来た。多分ヘレンがあらかじめ言っておいたのであろう。優しいのか意地悪なのか良く分からない人だ、とジュードは思った。
次に艦長が急ぎ足でやって来た男を壇上に迎えると、エバは「あの人よ!キャシー!」と叫んで彼女の腕を握り締めた。
「こちらはミスター・カルディーノ・ホセ・ガロッディ・フィル。ベネズエラの石油王と言えばご存知の方も多いでしょう。テロ被災者救済事業団の副理事もしておられ、このパーティの発案者でもあられる。今夜のパーティは如何かね?カルディーノ」
「ええ、最高ですよ。巡洋艦の中でこんな素晴らしいパーティが開かれているとベネズエラの大統領が聞いたら、何故呼んでくれなかったんだと悔しがるでしょう」
人々の笑いと共に拍手が沸き起こった。その後、カルディーノの音頭で乾杯があり、名目上のチャリティ・パーティが始まった。人々はそれぞれ酒を飲んだり、食事を取ったりしながら、新たなビジネスチャンスを広げようと、名刺を交換し、互いに紹介し合っている。
ヘレンは乾杯が終わるとホッと一息ついたような顔をし、テーブルの上に並べられたウィスキーのグラスを一つ持って会場を出た。彼女はここを守るのが任務なので離れるわけにはいかなかったが、生粋の軍人であるヘレンにはこんな華やかな雰囲気はどうしても馴染めないし、好きにはなれなかった。
ヘレンは会場の喧騒が聞こえる薄暗い廊下の隅に立つと、この長い廊下にたった一つしかない丸い窓から外を見つめた。こんな小さな窓から見えるのは鉛色の暗い海だけだったが、自分のような人間にはそんな海の方が似合っていると思う。
あいつは今頃どうしているんだろう。この海と同じ暗い灰色の空の下で、何を思って生きているのだろうか。
「ルイス・・・・・」
小さな声で呟いた時、暗い廊下の向こうから人の気配を感じてヘレンは鋭い瞳を向けた。
「シュレイダー大佐」
ジュードの明るい声に、ヘレンは右手の力を緩めた。
「何だ、少年か。シェランを置いてきていいのか?」
「彼女は今座っているし、周りはオレの仲間が固めていますから」
ジュードは小さな窓を挟んで彼女の向かい側に立った。
「あんまりオレ達の教官をいじめないで下さい」
「何の事を言っているのか分からんな」
そ知らぬ顔で答えたヘレンを、ジュードは少し微笑んで見た。
「本当に教官がオレ達に巡洋艦を見せる為だけに、あんなに遠くに出かけたと思いますか?」
「1年生の為だ。ウェイに彼等を励ましてもらっていた」
「それもありますけど・・・・」
急に会場のドアが開いて一人の男が出てきた。暗い廊下に一瞬光が漏れ、明るくなった後、再び暗くなった。男はかなりの年なのか、曲がった腰で杖をついている。彼はこんな所に人が居るとは思わなかったのだろう、驚いたような目で暗がりに立っている2人の男女を見つめた。
ジュードはすぐにその老人の側に行って彼の手を支えながら声をかけた。
「大丈夫ですか?ご気分でも・・・」
「ああ、いやいや。ちょっとトイレに行こうと思ってな。君、場所は分かるかね?」
「え・・・と?」
「その廊下を真っ直ぐ行って左側ですよ」
ジュードの代わりにヘレンが答えると、男はどうもという風に手で合図を送って廊下の向こうに歩いて行った。
「それで?1年生の為だけでなく、何の為だと言うんだ?」
ジュードは先程の老人の出現で気をそがれてしまったのか、ヘレンの顔を見上げると首を横に振った。
「いえ。これは又、今度にしましょう」
「今度?今度とはいつだ?言っておくが、私はお前等と違って暇では無いぞ」
短気なヘレンは言いかけた事を先延ばしにされるのは嫌いだった。
「ああ、分かった。又“あの男”がアルガロンに手を出してきた時か。それとも・・・」
「それとも、又ルイスがシェランに挑戦してくる時ですか?それはいつです?」
逆に質問を返され、ヘレンはぐっと息を詰まらせた。少年には分かっているのだ。彼はいつでもその可能性を危惧している。我々が自分の背中にいつも銃口を感じているように・・・。
「そんなものは分からん。あいつ次第だ」
「あなたが分からないんだったら、他の人間にも分からないでしょうね。でもそれでは困るんです。オレはあと一年でフロリダを出て行かなきゃならないんです。その後はあなたが彼女を守ってくれるんですよね」
「は?何で私がそんな事をしなきゃならんのだ。私は自分と部下で精一杯だ」
ジュードはきりっとした目をすると、彼女の側に歩いて来てぐいっと顎を上げた。
「あなたがあの人を巻き込んだんだ。どんな事があっても守って下さい。絶対に・・・!」
― 子供のくせに、この私に命令する気か? ―
ヘレンはムッとして彼を見据えた。
「嫌だね。そんなに守りたければ、自分で守ればいいだろう」
「出来ないから言ってるんじゃないですか」
「じゃあ、彼女に何かを依頼する時にはお前も呼んでやる。それでいいだろう」
面倒そうに答えたヘレンにジュードはカチンと来た。こっちは真面目に話をしているのに、いくら海軍大佐でもその態度は無いだろう。
「何言ってるんですか?リーダーが自分のチームをほっちらかして、そんな勝手な事が出来るはず無いでしょう。大佐という地位にある人が、いい加減な事を言わないで下さい!」
「ムム・・・。じゃあお前のチームごと呼んでやる!第一、そんなに心配なら、とっとと告白なりプロポーズなりして連れて行けばいいだろう。アマゾンの奥地だろうとアラスカだろうと!」
「はあ?言ってる意味がサッパリ分かりませんね!大体、アマゾンにもアラスカにもSLSの支部はありませんよ!」
もうここまで来ると子供の喧嘩なみだ。2人は顔を近付けて互いに負けじとにらみ合った。
「・・・にしても、遅いな」
ヘレンが急にジュードから目を逸らして呟いた。
「話をそらさないで下さい」
「違う。あの男だ。トイレに行ったにしては遅くないか?」
ヘレンとの口げんかでさっきの老人の事をすっかり忘れていたが、トイレまではそんなに遠くないのに確かに遅い。かなり年を取っていたようなので気分が悪くなってトイレで倒れているかも知れない。
ジュードは心配になったが、ヘレンにはあの男を見た時、別の感覚があった。いわゆる長年の勘と言うものか。男はらしくなかったのだ。
一体何が・・・?ご丁寧に杖までついていたのに、何かが鼻に付いた。
ざわざわとせり上がって来る感覚に、ヘレンは走り出した。ジュードもすぐ後を追った。
「お前は戻れ」
「男子トイレを覗くんですか?レディのする事じゃありませんよ」
「SEALにはレディと言う生き物など存在せん」
ヘレンは男子トイレの前まで来ると、ジュードを下がらせ銃を取り出した。
「倒れている老人を撃つんですか?」
「あいつは老人じゃない。黙っていろ」
ドアを蹴り開け中に飛び込んだヘレンは銃を構えたが、そこには誰の姿も無かった。半開きになった個室をひとつひとつ蹴り開けていったが、そこにも誰も居なかった。ヘレンは便座の上に乗って天井についている空調の中を調べ、扉という扉を全て開けたが、危険な物は何も無かった。
「どこか別の入り口から会場に戻ったんじゃないですか?」
「出入り口はあそこしかない。私はずっと見ていたが、あの男が出て行ってから誰も出入りしたものは無い」
ヘレンは襟元についている小さな通信機に口元を近付けると、ダートン大尉を呼んだ。
「一匹、ネズミが紛れ込んだ。探せ。ただし老人の姿をしているかもしれん。気を付けろ」
『了解』
彼等の会話を聞いていたジュードは不思議そうに尋ねた。
「なぜ彼が老人じゃないと思うんですか?」
「臭いがしたのさ」
「臭い?」
ヘレンは手に持ったリボルバーを胸のホルダーに戻すとニヤッと笑った。
「私と同じ、人殺しのな」
トイレから出てきた男は、ジュードやヘレンの居る場所から実はまだそう遠くない場所に居た。先程まで杖を付き、白い髭を生やしていた彼は、今はタキシードの代わりに身体にぴたっと張り付くような黒い上下の服を着、曲がっていた背中もしゃんと伸びている。
彼はトイレの中で上に来ていたスーツを脱いだ。顔を覆っていた髭もはずし、持っていた杖を縮め、それらを全て上着の中に包み込むとトイレを出た。そして廊下の途中にあったゴミ箱にそれを投げ入れ、闇に紛れてここまでやって来たのだ。
この男の役目はヴェラガルフの客の中にただ1人紛れ込み、中の様子を外で待っている仲間に伝える事にあった。パーティの始まりを告げる乾杯の声は、そのまま彼等の作戦の始まりを告げる合図でもあった。
客に紛れて侵入するには武器を持っては入れない。だが男はそれを別の場所から手に入れられるのだ。
巡洋艦や駆逐艦には窓や入り口は殆ど無いが、食糧補給船からの食料を積み込むドッグが艦の後方についている。会場の客らが高々と手にしたグラスを上に挙げた時、食事を出し終えてホッとしている厨房を、食料ドッグから忍び込んだ武装集団が襲い、制圧した。
彼等はすぐに厨房の調理人らが着る白い上着を着用し、ドッグから積荷を運び込んで、中から武器や爆薬を取り出した。
一方、客の中に紛れ込んでいた男は厨房のドアを一回叩いた後、殺気立った仲間に「IN-1」と囁いた。INとはInfiltration(潜入)の略で、この会場を襲ったグループはAR(Arrest:捕獲)班、他にもAT(Attack:攻撃)、DE(Destruction:破壊)などの各班に別れ、それぞれの場所で計画を遂行するのだ。
男は厨房の中に入ると床に置かれた武器を手にした。既にやる事は決まっている。この巨大な艦を制圧するのだ。
ヘレンの指示で艦内に紛れ込んだらしい人間を探して、アレックは1人、銃を構えながら天井や壁に太い配管の通っている廊下を歩いていた。
赤黒い電球が小さく灯るだけのこの場所はどうも薄気味悪いが、腰まである泥水の中を何キロも歩き回ったり、狭苦しい支援潜水艦のロックアウトトランク内に閉じ込められた状態で、海水が満水になるまでじっと待っているよりはずっと良かった。
辺りに注意しながら歩いていた彼は、後方から近付く人の気配を感じて、とっさに振り向き銃を構えた。両手を上げて驚いたような顔をしているのは、先程パーティで挨拶をしたカルディーノ・ガロッディであった。
「これは失礼しました、ミスター・ガロッディ。こんな所で何を?」
「実は服を汚してしまいましてキャビンで着替えてきたのですが、今度は帰る道が分からなくなってしまい・・・いわゆる迷子ですね」
そういえばさっきの黒いスーツから濃紺のジャケットと金の縁取りの付いたブラウスに着替えている。パーティ会場に居るのと変わらず軽やかに笑うガロッディを見て“優雅な男は迷子になっても優雅なものだな”とアレックは思いつつ彼の前を歩き始めた。
「ここは迷路みたいですからね。さっきもSLSの訓練生を案内していたら、その内の1人が迷子になってしまって・・・・」
にこやかに話し始めたアレックは、背後に鋭い殺気を感じて振り向こうとした。しかし後ろを見る前に、その後頭部に激しい衝撃を受け、彼の意識は暗闇へと沈んだ。
座ったままのシェランの為に、壁際に並んだ料理を取ろうと入り口の近くを歩いていたエバは、またもや誰かに後ろからぶつかられ、持っていた皿を前に投げ飛ばしそうになった。
― もう、誰よ! ―
ムッとして振り向いたエバの顔は,、いきなり天使の微笑みを浮かべたマリア様に変わっていた。
「ああ、申し訳ない、レディ。二回もぶつかってしまうなんて、とんだご無礼を・・・・」
「いいえ、 構いませんのよ、ミスター・ガロッディ。私はエバ。エバ・クライストンと申します」
一晩の内に二回もぶつかるなんて、これはもう運命でしかない。そうだわ。もしかすると彼は私に気があるのかも・・・・。
エバはかなり都合のいい ―もしかしたら本当に運命かもしれないが・・・・― 期待に大きく胸を膨らませながらカルディーノを見つめた。
「本当に申し訳ありません。ミス・クライストン。暗い廊下から入ってきたもので、ライトに目がくらんでしまったようです」
「お気になさらないで下さい。私の事はエバで結構ですわ。あっ、そうだ。先程お借りしたハンカチを・・・・」
エバが腕に吊り下げた小さなバッグからハンカチを取り出そうとすると、カルディーノはそっと彼女の手を押さえた。
「あれはお侘びに受け取ってください。大した物では在りませんが、今日おろした所でまだ一度も使っておりませんから・・・・」
高鳴る胸に頬を赤らめ、エバはカルディーノを見上げた。
「あ、あのミスター・・・・」
「私の事もカルディーノで結構ですよ、エバ。さっき艦長に伺いましたが、SLSの訓練生だとか。優秀な方なのですね」
「い、いえ、とんでもありません。私なんかまだまだで・・・・」
エバが真っ赤になって首を振っている向こうから、何人かの客がこちらに向かってくるのがカルディーノに見えた。ベネズエラの石油はアメリカにとって魅力的な資源である。ベネズエラ政府以外に、かの地の石油資源を牛耳る男と知り合いになりたい人間はここにも沢山居るのだ。
「全く、こんな場所で無粋な人達だ・・・・」
カルディーノが小さな声で呟くのを聞いて、エバは後ろを振り返った。パーティが始まってから彼の姿を見るたびに、ずっと色々な人物に取り囲まれていた。きっともううんざりしているのだろう。
エバは右手をすっと彼の前に差し出した。かなり大胆な行動だと思うが、アメリカ女は欲しいものを手に入れるのに、つまらない形式なんて気にしないのだ。
「踊っていただけませんか?カルディーノ。それとも訓練生ごときじゃ、あなたのパートナーとしては役不足かしら」
彼はエバの気遣いに気が付いて彼女の手を取ると、まるで騎士が王女に礼を取るように腰をかがめた。
「とんでもない。こちらからお願いしようと思っていた所です」
壁際に並べられた料理を食べていたショーンがホールを振り返って叫んだ。
「おお!エバが王子様と踊っているぞ!」
キャシーが振り返ってみると、まるで映画のワンシーンのように、ざわめく人々の間を明るいオレンジ色のドレスを翻してエバが踊っていた。頬を赤らめてカルディーノを見つめているエバはとても綺麗で、訓練校での彼女しか知らないキャシーは何となく寂しさを覚えた。
「エバってすごい。思った事や言った事を、ちゃんと実行できる力を持っているのね」
「キャシーだって潜水士になるって言葉を、ちゃんと実行しているじゃないか」
「私には・・・それしかないもん・・・」
唇を尖らせてうつむいたキャシーを、ショーンは目をしばたたせて見た。こんな自信の無さそうなキャシーは初めてだ。いつだって“男なんかに絶対負けない”が彼女の口癖なのに・・・。
「潜水士だけじゃ駄目なのか?キャシーは潜水士になれた後、どうしたいんだ?」
「私は・・・・」
シェラン教官のような潜水士になりたい、と言おうとしてキャシーは口を閉じた。きっとそんな事は口に出さなくても、チームの仲間ならみんな知っている。そしてそれは決して叶わない夢だとも分かっている。だからあえて口に出せばきっと笑われるに違いなかった。
「キャシーはさ。教官みたいな世界一の潜水士になりたいんだよな」
ほら、やっぱり馬鹿にして。どうして男の人ってこうなのかしら。そんな事、軽く笑いながら言わないで。どうせこの後、それはムリだろうって言われるに決まっているのだ。キャシーはうつむいたまま頬を膨らませるとショーンをチラッと横目で見た。
「俺はさ。今の所、ジュードと同じ機動救難士になる事しか考えてないんだ。それでもって卒業したら、あいつが以前言っていたように、一緒にヘリで飛んで、一緒にリベリング降下して、一緒に人を助けて・・・。でもって終わったら一緒にメシ食うんだぜ。いい夢だろう?」
それは夢というのだろうか。あと一年もすれば、当たり前のように毎日できる事なのに。彼の夢からすればいくら叶わなくても私の夢の方が夢らしいかもしれない。キャシーは心の中で首をかしげながらも笑って頷いた。
食事を運んでくれるはずのエバは王子様に夢中だし、ショーンとキャシーは2人で何か真剣に話しているし、マックスはわき目も振らず、食い気に走っている。
ジュードは仕方なくシェランを残して食事を取りに行く事にした。昼食を取ってから何も食べていないので、ジュードもシェランもたまらなく空腹だったのだ。
ジュードはすぐに戻ってくるからと告げてシェランの側を離れた。
「ジュード、ごめんなさい」
「何が・・・?」
シェランは座ったまま人形のように動けない自分がたまらなく嫌だった。 ―勿論これはヘレンの思惑通りの結果なのだろうが・・・・― ジュードや他の生徒にも気を遣わせてしまっている。もし他に誰も客が居なかったら、この呪われた靴を脱ぎ捨てて、自由に歩き回りたかった。
「私がこんな靴を履いているから・・・」
「それはシェランのせいじゃないだろ?」
ジュードは明るく答えると、もう一度、水中手話で“すぐ戻る”とサインを送って、豪華なオードブルが並べられているテーブルの方へ歩いて行った。
小さく溜息を付いたシェランは、背中に粘りつくような視線を感じて思わず顔を上げ、辺りを見回した。さっき廊下で出会った、いやらしい目つきのオジサン・・・いや、ウォルフ・バトラー大佐が、壁際からじいっとシェランを見つめている。しかも彼はシェランが自分の視線に気が付いたのを知って、ニヤリと笑うと、彼女の方にやって来た。
― やだ。どうしよう ―
シェランは思わず立ち上がろうとしたが、よろめいてしまい、再び椅子に座りこんだ。顔を伏せてどうしようか思案している間に、ウォルフは前までやってきてしまった。しかもあろう事か、手を差し出してダンスに誘ってきたのである。
しかし、いくら紳士的に誘われても、ウォルフの粘りつくような視線が体中にまとわり付いてくるような気がして、シェランは彼と踊るくらいなら、潜水課教官のアダムス・ゲインとでも踊った方が余程ましだと思った。
「も・・・申し訳ありません、バトラー大佐。私、ダンスは苦手ですの・・・」
「按ずる事は無い。私はSEALでNo.1のダンス名人だ。安心して任せたまえ」
―まあ、なんて思い上がった方なのかしら・・・ ―
SEAL隊員全員のダンスを見たわけでもないのに、胸を張って答えたウォルフをシェランは驚いたように見つめた。彼は女性からOKの返事を貰ったわけでもないのにシェランの手を取り、強引に彼女を立たせようと腕を引っ張った。
しかし、その強引な手を誰かがシェランの手から引き離し、なぜか彼は屈辱的にも女性パートナーの組み手をさせられて彼・・・いや、彼女の前に立たされていた。
「ヘ、ヘレン・・・?」
目を白黒させて、ウォルフは自分より頭一つ分高いヘレンの顔を見上げた。
「SEALで一番のダンサーとは知らなかった。いや、実は私もチーム4では一番の踊りの名手と言われておりましてな(もちろんウソ)」
「そ、そうかね。しかし私はこちらの女性を・・・」
「いやいや、彼女のダンスより私の方がうまい。いざ・・・」
ヘレンが大きな顔を近付けてニヤッと笑うと、ウォルフは真っ青になって顔を引きつらせながら彼女の手を振り払った。
「ど、どうやら私はSEALで二番目だったようだ。とてもあなたには敵いませんよ。では、私はこれで・・・」
― 全く。任務の途中で女を口説いとる場合か! ―
あたふたと逃げていくウォルフを、鼻を鳴らして見つめていたヘレンだったが、シェランの所に戻ってきたジュードが、自分を見てくすくす笑っているのでムッとした。
「何がおかしい!」
「意外と優しいんですね。シュレイダー大佐」
「は?何をあほな事を言っとるんだ。大体お前がシェランの側を離れるのが悪いんだろう!」
「オレが行こうと思った時には、既に大佐があの強引な方の手を握っておられましたので・・・」
“握って・・・”という言葉を聞いただけで、ヘレンは背中に虫唾が走る思いだった。そうだ。なんで私がこの憎たらしい女を助ける為に、あの大嫌いな男の手を握らなければならんのだ!後でトイレに行って手を洗ってこよう。ヘレンは真剣に考えた。
食事をおいしそうに食べ始めたシェランに聞こえないように、ジュードはさきほど廊下で会った男の事をヘレンに尋ねてみたが、まだ部下から何の連絡も無いようだ。
「按ずるな。すぐに捕まる」
ヘレンはそう言ったが、本当にそうだろうか。部外者がこのパーティに潜入するのは簡単な事ではなかったはずだ。パーティの出席者の中に手引きしたものが居るとしたら・・・?
途中で姿を消したという事は、あの男の目的はこのパーティにもぐり込むだけでは無い。この艦に潜入するのが目的だったのだ。一体何の為に・・・?
無表情を崩さないヘレンも同じ事を考えていた。これ以上部下から連絡が無ければ、ウォルフにここを任せて部下の所に行き、指揮を執るべきか・・・?
ヘレンは彼女から逃げるように会場の隅に行ったウォルフをチラッと見た。いや、あいつに頼みごとをするなんて真っ平だ。第一そんな事を言ったら、根掘り葉掘り聞かれ、DEVGRUに支援を頼む事になる。あんなネズミ一匹、ここに居る私の部下だけで充分だ。
しかしそれはヘレンの判断ミスであった。アッサン・メルガード率いるゲリラ部隊、AT(Attack:攻撃)1から6班は先に厨房を占拠したAR(Arrest:捕獲)班の手引きによって、密かに搬入ドックから侵入、艦の内外で警戒にあたっている海軍兵やSEAL隊員を二人一組になって襲って行った。
アッサンの育てたゲリラ部隊の遊撃術が優れていたのもあるが、彼等は油断していたのだ。この巨大な巡洋艦に小さな小船で乗りつけ、その身一つで戦いを挑んでくる人間など存在しないと・・・・。
厨房の中でひたすら隊長からの指令を待つAR班の所に、突然会場から酔っ払った客が入って来た。一瞬、銃を構えそうになったが、パーティに潜入していたIN-1が彼等の動きを止めた。
「お客様。どうかなさいましたか?」
彼はまるで高級ホテルのホテルマンのように笑顔で客の前に立つと、右手を後ろにやって仲間に武器を引っ込めるように指示した。
「すまないが、水をくれるかね。喉が渇いてしまって・・・」
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
客は受け取った水を一気に飲み干すと、上から下まで真っ黒な服に身を包んだ男にグラスを返しながら小首をかしげた。
「君は妙ないでたちをしているね。他のコックみたいに白衣を着ないのかい?」
「これですか?実はこの後、皆さんを楽しませる余興がありましてね。その為の服なのです」
「ああ、それは楽しみだな」
客は酔っていたのか、厨房の中に張り詰めたように漂う空気など気に留めることも無く、笑顔で出て行った。
「そう、楽しみにしているがいい。恐怖の余興をな・・・・」