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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第12部 分裂 【4】

 会議が終わった後、シェランは暫く席に座ったままだった。アダムスに言われた言葉が、頭の中に繰り返し流れてくる。やっと見つけた自分の居場所。それをこんなにも早く、しかも事故の責任を取るという不名誉な辞め方で去らねばならないのだ。


 自分が辞める事で全てが丸く収まるのならそれでいい。だが・・・。  



 呆然としているシェランを心配してクリスが家まで送ると言ってくれたが、シェランは教官室に用があるからと言って断った。


 AからEまでの会議室は全て4階に在るので、クリスは一つ下の階のシェランの教官室の前まで彼女を送って行った。


「シェラン、自分から辞めるなんて言うなよ」

「レクターはまだ目覚めないの。あの子を置いて辞めたりはしないわ」


 シェランの声はわずかに震えていた。これ以上引き止めるのは野暮と言うものだ。彼女は一人になりたいのだ。それでもクリスはシェランに言った。


「僕はどんな事があっても君の味方だ。例え他の教官が全員君に辞めろと言っても、僕は反対する。それだけは許して欲しい」


「いいえ、駄目よ。そんな事をしたら、あの子達が責任を負うことになるわ」

「だけど彼等だって自分のせいで教官が辞任したと知ったらショックだろう?」


 シェランはちょっと小首をかしげながら彼の顔を見上げて笑った。


「あなただってヘンリーやザックが同じ事になったら、自分から辞表を書くんでしょう?」


 クリスは返事が出来なかった。確かに彼女の言う通りだ。あいつ等の未来の為なら辞表なんて何回でも書いてやる。教官職に未練など無かった。あるとしたら、たった一つ、君の・・・。


「やっぱり僕は君には敵わないんだね」

クリスはシェランに微笑みかけると帰って行った。




 それから暫くしてやって来たのはジュードだった。ブレードの目が覚めた事をシェランに伝える為だ。きっと心配しているだろう。


 シェランの教官室の前に立ってドアをノックしようとしたが、その手が凍りついたように止まってしまった。部屋の中から聞こえてきたのは、小さく押し殺したようにすすり泣く声だった。





 会議の間中ずっと我慢していたが、とうとう耐えられなくなって、自分の教官室に戻って来たのだ。ここなら誰にも泣く所を見られないだろうから・・・。



- 私を辞めさせないで下さい。彼等の教官で居たいのです -


 何度もそう叫びそうになった。もう少し時間をくれたら、きっとみんな分かり合えるのに。でも問題はそんな事では無いのだ。生徒が2人も事故に遭って、その内1人はこん睡状態だ。もしレクターがこのまま目覚めなかったらどうしよう。よしんば目が覚めても身体のどこかが動かなくなっていたら・・・。



 ゾッとするような恐怖の未来と、のしかかってくる重い責任にシェランはなす術も無く、ただ泣く事しか出来なかったのである。





 泣き疲れたシェランが教官室を出たのは、夜の10時を回った頃だった。もう誰も居ないと思われていたのか、廊下の灯りは全て消されてしまっている。その方がいいとシェランは思った。窓から差し込む月明かりで充分歩けるし、何より他の誰かに出会ったら、この泣きはらした顔を見られてしまうだろう。


 シェランは暗い階段を駆け降りると、寮の裏手を走りぬけ駐車場に向かった。広い駐車場には寮生の車も置いてあるが、教官達が止める場所よりかなり奥に止めてあるので、シェランの赤い4駆だけが月明かりを浴びて、ポツンと主人の帰りを待っていた。


 息を切らしながら車に近付くと、運転席のドアの前で何か黒い影が動いたような気がして、ぎょっとして立ち止まった。


「お疲れ様、シェラン」


 聞き覚えのある声の主はゆっくりと近付いて来たが、シェランは思わず顔を伏せた。きっと今、自分の顔はとてもみっともないに違いない。2時間以上も泣いていたのだ。こんなみっともない顔は同僚にも生徒にも、特にジュードには見られたくなった。


「どうしたの?こんな時間に」


 シェランは恥ずかしそうに月明かりから顔をそむけながら言った。


「うん、ブレードがさっき気が付いたから知らせておこうと思って。今日は医務室に泊まって明日は授業に出られると思うよ」

「そう、良かった。レクター・・・は?」


「病院からは何の連絡も無いから、まだ眠ったままだと思う」




 それ以上何も言えなかった。事故の後、すぐに港に呼んでいた救急車に彼を乗せて病院に運んだ。側に付いていたかったが、訓練所に事故の報告をする為に戻ってこなければならなかった。レクターの青い顔を思い出すたび胸が締め付けられて、もう枯れるほど流した涙が又にじんできた。


 そしてジュードはうつむいたままのシェランがじっと涙をこらえている事が分かっていた。彼女の教官室のドアを開けることが出来ずにここで待っていたが、あれからずっと泣き続けていたのだとしたら、教官会議で何を言われたのか大体の想像もつく。



 そうして、この人はまた誰にも弱みを見せないで、たった一人で乗り切ろうとするんだ。


「シェラン・・・。例えレクターに何が起こっても、あいつは必ず戻ってくる。オレ達の所に、シェランの所に帰ってくる。そうだろ?あいつはシェランの教え子なんだから・・・」


 シェランはやっと顔を上げてジュードを見た。涙をこらえながら微笑んだ顔は、ずっと泣いていたせいで化粧も無く目も鼻も真っ赤だったが、ジュードにはとてもかわいらしく見えた。


「俺も、一杯乗り越えなければいけないことがある。だから一緒に頑張ろう。初めて出会った、最終試験のあの日のように・・・」



 シェランは黙ったまま何度も頷いた。小さな肩を震わせながら、それでもじっと涙をこらえて立っている姿をジュードは抱きしめたいほど愛しいと思った。もし自分が彼女の恋人だったら、いや、友人だったとしてもシェランは涙を見せてくれただろう。そしたらオレは彼女の頭を抱きしめて、思う存分泣かせてやれる。



 でもそれをこの人は望んでいないのだ。どんな時もオレ達の前では、立派な教官であろうと努めている。だからオレも生徒で居るしかないんだ。今までも、そしてこれから先も・・・。


「レクターは必ず戻ってくる。あいつはオレ達の仲間なんだから・・・」






 次の日、ジュードはマックスに、レクターの事をブレードに伝えてくれるように頼んだ。いつまでも隠し通せるものでは無いし、ブレードも普段通りの生活に戻ったので言っておくべきだろう。本当は自分の口から言うべきだと思ったが、ブレードはまだ怒っているかも知れないと遠慮したのだ。




 それから5日が過ぎたが、レクターが目を覚ます様子は無かった。ジュードはバイトの無い日は病院に行くようにしていたが、シェランは毎日訪れているようだった。


 たまに先に来ているシェランと会うことがある。そんな時彼女はまるで母親がするように彼の手を握って、眠ったままのレクターにチームや授業の話を聞かせていた。


 レクターの身体はとりあえず正常に戻っていて、目が覚めたら普段通りの生活に戻れると言われていたが、何故目を覚まさないのか、医者にも良く分からないようだった。レクターはもしかしたら今のAチームの姿を見たくなくて、目を覚まさないのかもしれない。ジュードは苦笑いをしながら、彼の顔にかかった金色の髪をそっと払いのけた。






 この5日間、ブレードはちゃんとジュードに謝罪しようと何度も試みた。レクターの事をマックスを通して言ってきたのも、きっと気を悪くしているからだろう。やっと謝る決心をしたが、機動と潜水では授業のカリキュラムがまるで違っていて、会えるのは食事の時か授業が終わってからしかない。


 しかし朝に弱いブレードが何とか早起きして食堂に行っても、早起きのジュードはとっくに朝食を済ませてランニングに出ているし、昼と夕食はいつものように1年生に囲まれていた。


 いつもは大声で楽しそうにしゃべっている彼等が、何故か額を寄せ合ってヒソヒソ話したり、ジュードが何か指示を与えている様子が気になるが、とにかく近寄りがたい雰囲気だ。


 では夕食の後、寮に戻ってきた時にと思っていたら、彼は毎日バイトかレクターの見舞いにマイアミまで行っているらしい。真夜中に疲れ切って帰ってくる彼を捕まえてまで謝るのは、何だか方向が違っているように思った。


「全く、何てせわしない男なんだ」


 5日間、ジュードの行動パターンを見ていてブレードは思わずうなった。






 6日目の授業の後、ミシェルは生徒でざわめいている本館の廊下を、人ごみを掻き分けて走り抜け寮に向かった。丁度レクターの見舞いに行こうと寮から出てきたジュードに出会って走るのをやめたが、余りに急いで走ってきたのですぐに声が出せなかった。


「ジュ、ジュード先輩。急に、教官会議を開くって・・・。今教官達がみんな4階に集まってます」

「レクターの目が覚めないのにか?」


「アダムスが明日の合同訓練までに結果を出すべきだって。あいつ絶対シェラン教官を辞めさせる気ですよ。事故が風化しない内に会議を開いたんです」


 ジュードはやっと落ち着いたミシェルの肩に手を置いて囁いた。


「すぐに全員を集めろ。ロビーとクリス、1年のディックには話を通してある」

「リー教官には?」

「それはお前達の態度次第だ。頼んだぞ、ミシェル。着替えを忘れるな」


 ミシェルは訓練の時のようにきちっと敬礼すると、再び本館へ向かって走り出した。


 ブレードは来てくれるだろうか・・・。ジュードは携帯を取り出して、仲間達に召集をかけながら思った。





 間が悪い男はどんな時でも間が悪いものだ。ジュードが仲間にメールを送っている頃、ブレードはジュードより一足早くレクターの居るマイアミ病院に来ていた。マックスから今日は彼がここに見舞いに来る事を聞いていたので、レクターの前で謝ってしまおうと思ったのだ。当然、病院内で携帯は使用できないので、電源を入れていない彼の携帯にジュードからのメールは届くはずも無かった。


 それを知っていたマックスはすぐにジュードに電話して、ブレードが謝りたい為に病院で待っている事を告げた。



― バカ。オレは謝罪の言葉なんて、欲しいと思った事は一度もないのに・・・ ―


 ジュードは携帯を持ったまま走り出した。


「とにかくあいつを迎えに行ってくる」

「でも時間が・・・」

「全員揃ってなきゃ意味が無いんだ。もし俺が間に合わなかったら後は頼む。タイミングは逃すなよ」


 そう言ってジュードは電話を切ってしまった。


「後は頼むって、俺にか・・・?」

ジュードと違って口下手な男は頭を抱え込んだ。





 金色の夕日が差し込んでくる病室で、ブレードは静かに眠り続けるレクターの顔を見ていた。夕食もとらずに来てしまったので、かなりの空腹を覚えた。もう来てもいい頃なのに、本当にあいつは来るのだろうか。


 マックスは「お前等は互いに気を遣い過ぎなんだよ」と言って笑っていたが、やはり彼をあんなに傷付けたままでは、これから先どうにも居心地が悪かった。


「なぁ、レクター。お前もいい加減目を覚ませよ。腹減っただろ?」

  

 レクターの腕には点滴の針が刺されたままで、とても痛々しそうに見えた。ジュードやシェランはいつもこうやって彼に話しかけているのだろうか。


 シェランは普通に授業を行なっていたが、日に日に憔悴していくようだった。きっと自分のせいでレクターが事故に遭ったと思って、苦しんでいるのだろう。もう少し早く俺がレクターを見つけていたら・・・。


「あいつが来たら何て謝ったらいいと思う?色々考えたんだけど、いい言葉が浮かばなくてさ」


 ブレードは暇なのと空腹を忘れたいが為に、レクターに話しかけた。


“バカだなぁ。ジュードは怒ってなんかいないよ”


 きっと彼ならこんな言葉を返してくれるだろう。

「分かってるけど・・・。じゃあ何て言えばいいんだ?」


“知ってるくせに・・・”


 耳の奥にレクターの明るい笑い声が響いた。




 思えばSLSに入校してレクターと同室になった頃は、余り仲が良くなかったのだ。彼は何事にも真面目で、そのくせ不器用だった。148フィートの潜水試験の時も、かなり悩んでいて、もし落ちたらどうしようが口癖だった。そんな彼を見るとついイライラして、短気な俺はよく怒鳴ったものだ。


「うるせーな!実力の無い奴が落ちるのは当然だろ?」



 今考えればとても冷たい言葉だったと思う。それでもレクターは毎日歯を食いしばって努力し、試験も厳しい訓練も乗り越えてきたのだ。自分が何だかとても嫌な人間に思えて、ブレードはレクターの寝ているベッドに肘を付いて頭を抱え込んだ。


「俺って、何て冷たい奴なんだろ。ジュードにもきつい言葉を言ってしまうし。ああ、嫌な奴。俺って本当に嫌な奴だ!」


“ブレードはそんなに嫌な奴じゃないよ”


「お前はそう言ってくれるけど・・・」


 答えながらハッとして顔を上げ、レクターを見つめた。今の言葉は自分の頭の中に響いてきたように思っていた。だが目の前のレクターはちゃんと目を開けてにっこり微笑んでいる。



「レクター?」


 自分の声と同時にベッドの向こう側にある入り口からも彼の名を呼ぶ声が聞こえた。


 ジュードはレクターの側に駆け寄ってくると、嬉しそうに彼の顔を覗き込んだ。


「気分はどうだ?どこか調子の悪い所は無いか?」

「うん。大丈夫みたいだ。腕も足も動くよ」


 レクターは布団の中で手足を動かした。


「どうしたんだ?2人共。泣きそうな顔をしちゃって。何かあったの?」


 何かあったなんてものでは無い。ジュードは事情の分かってないレクターに、正に今、教官会議でシェランが今回の事故の責任を取って辞任させられるかも知れない事を手短に話した。


「ええ?それは大変だ。僕も行くよ」


 レクターはベッドの上に半身を起こし、点滴を抜く為にナースコールを押した。


「レクターは駄目だ。今目が覚めたばかりだろう?」


 彼は「大丈夫さ」と片目を閉じて笑うと、ベッドの反対側でぼうっと立っているブレードを見上げた。


「ブレード。お前も行くだろ?僕をおぶって」

「へ?え、え・・・と。俺は・・・」


 ブレードは迷っているのではなかった。ただジュードが自分を迎えに来たとは知らなかったので、気を遣っていたのだ。


「何だ?この期に及んでまだごちゃごちゃ言うのか?そんな奴、もう親友でも仲間でもないぞ?」


 ブレードはやっとジュードを真っ直ぐに見つめた。彼も同じようにじっと自分を見つめている。そうだ。ジュードは謝罪の言葉なんて欲しいとは思ってない。俺は彼を一番傷付ける言葉を知っているけど、一番喜ばせる言葉も知っているんだ。


「ジュード。俺は、俺が一番誇りに思える男をリーダーに選んだ。だから今度は俺が、お前の一番誇りに思える仲間になるよ」


 ジュードは目を細めて嬉しそうに笑うと、手に持っていた青いツナギを放り投げた。仲間の証だとは分かっているが、ブレードはちょっと眉をひそめた後、急いでそれに着替えた。







 SLS訓練校、4階の会議室Aでは、意気揚々と話すアダムスの声が響き渡っていた。彼は今回の事件 ―アダムスは事故ではなく、あえてこれを事件と呼んだ― の事の発端から経緯に至るまで、事細かに並べ立て、事故の責任が何処にあるかを全員に思い起こさせた。


 その隣の会議室Bの中に、マックス以下SLSの青いツナギに身を固めた訓練生が出番を待っていた。


「嫌な奴、本当に嫌な男だわ。あのアダムス・ゲインって・・・!」

「もういいだろ、キャシー。返せよ」


 会議室Aとの境目にある壁に小さなボタン型の聴診器のようなものを取り付けて、彼等は隣の部屋の会話に聞き耳を立てていた。


「それにしても良く聞こえるな、この盗聴器。ノース、これ5日で作ったんだろ?」

「3日さ。そんなもの、通信士の資格を取るより簡単だよ」


 ノースは自慢げに片目を閉じた。


 キャシーから取り返した盗聴器を耳に当てていたネルソンが突然「しっ」と声を上げた後「あのヤロー」と呟いた。


「どうした?ネルソン」

「始めやがった。アダムスの奴、どうあっても教官を辞めさせるつもりだぜ。今全員に教官を辞任させるかどうかの賛否を取ってる」


 部屋の中の空気が一瞬で重くなった。中でもマックスは気が気ではなかった。シェランの辞任が決定すれば、全ての指揮を自分がしなければならないからだ。だがジュードの立てた計画は余りにも体当たりでマックスは不安だった。


「ネルソン、替わってくれないか?副リーダー」

「バカ!今更何言ってるんだ、お前は」


 マックスにはどう考えてもあの強面の教官達を前に、ジュードのようにすらすらと言葉を並べる自信は無かった。そんなマックスを見て1年生も不安そうだ。どうにも頼りない副リーダーの所にヘンリーとザックがやって来た。


「大丈夫だ、マックス。クリス教官が黙ってるはず無いだろ?」

「そうそう。シェラン教官に辞めて欲しくないのはあの人も同じだからな。もう少し時間を稼いでくれるぜ」



 Aチームの呼びかけで、BとCチームの潜水課の生徒も集まったのだ。Bチームのリーダー、サミーも来ている。




 彼等の予想通り、クリスもブレードとレクターに責任が掛からず、シェランも責任を取らないでもいい方法を考えていた。だがそんな都合のいい話はそう簡単にあるわけは無い。


 アダムスは何が何でも誰かが責任を取るべきだと言ってくるだろう。そうなればシェランが全ては自分の責任です、と言うのが目に見えていた。そこでクリスは責任の所在をうやむやにする事を考えていた。



「ミューラー教官の辞任の可否を取る前に、まずこの事故の責任が何処にあるか追求するべきではないのですか?」


 アダムスにとってそれは願っても無い意見だった。責任が生徒にあるとなれば、シェランは必ず自ら辞任すると彼は知っていた。そしてシェランに責任が在ると決まれば彼女を辞めさせる事に誰も反対は出来なくなる。



「ほおっ。ではエレミス教官はこの事件の責任が何処にあるとおっしゃるのですか?」


「私は前々から考えていました。過去10年のデータを調べましたが、潜水課の事故は7回ほど起きている。これは潜水課のカリキュラムが少々厳しすぎるのではないかと思うのです。つまり今回の事故はこのようなカリキュラムを組んでいた、訓練校サイドにあるのでは無いですか?」


「冗談じゃない!」


 興奮して思わず立ち上がったアダムスは、びっくりしたような目で自分を見ている同僚に気が付いて席に座り直した。


「我々が何年このカリキュラムで動いていると思っているんだ。それに訓練生の状態に応じて教官が予定を変更できるようになっている」


「その何年も、と言うのが問題なのです。近年の子供達の身体能力は、以前に比べてずっと落ちているのをご存知ですか?」


「それが何だと言うのだね?彼等は我々が全米から選び抜いたエリートだ。それに君の言い方だと、ここに居られる校長先生のやり方にも問題があると言いたげだがね」




 クリスは一瞬びくっと肩を震わせた。先週の会議には参加していなかったが、今日は決議をする為に、3年生の教官達の向かい側の席に彼は座っていた。本来なら可愛い娘のようなシェランを追い詰めるような会議など出席したくなかったが、こうまで責任、責任と教官が騒ぎ立てると ―うるさいのはアダムスだけであったが・・・― いつものように校長の権限を無理やり行使するわけにもいかなかった。


 エダースはじっと目を閉じて、事の成り行きを見守っていた。


 一方、クリスにとってウォルターは尊敬する大先輩であり、シェランやバーグマン長官を通して知り合った兄のような存在であった。ウォルターの所属していたチームは平均的なチームだったので、彼は本部隊員にはなれなかったが、支部隊員時代の輝かしい功績があったからこそ、このSLS訓練校の校長に推挙されたのである。


 クリスが26歳の若さで本部隊員を辞任して教官職に就いたのも、シェランの為が半分あったが、もう半分はウォルターに“君の深遠なる救急医療の知識を子供達に授けてやって欲しい”と頼まれたからだった。


 つまりクリスにとってウォルターは、家族以外に唯一無二逆らえない存在であった。


 

 クリスはウォルターの顔をじっと見た後、目を閉じた。訓練校側に責任を転嫁する事は、校長自身に責任を押し付ける事になるのだ。


 シェランは隣に居るクリスの服をそっと引っ張って席に着くよう促した。


「もういいのよ、クリス。ありがとう」

「シェラン・・・」



 口惜しそうに座ったクリスをニヤッと笑って見た後、アダムスはいよいよ大詰めに入った。


「責任の所在がはっきりした所で、如何でしょうか、皆さん。何より2人の生徒が事故に遭い、最悪な事に1人は一週間も意識不明の重体だ。ここはミューラー教官に責任を取っていただく他は無いのではありませんか?」


 シェランはひざの上の手をぎゅっと握り締めた。




 その頃マックスを先頭に、1、2年の訓練生達が会議室のドアの外で中に入るタイミングを待っていた。


「今だ。マックス、行くぞ!」

「で、で、でもさ。ジュードがまだ・・・」

「ごちゃごちゃ言ってないで、とっとと入れ!」


 Aチーム全員に背中を押されて彼は会議室に飛び込んだ。その後をまるで津波のように青いツナギの集団がなだれ込んできて、教官達はびっくりしたように訓練生を見つめた。



「か、会議中、申し訳ありません!どうしても今回の事故に付いて教官の方々に聞いていただきたい話がありまして・・・」


 アダムスは目障りな元本部隊員を追い出せる絶好のチャンスを邪魔されてムッとした。


「何だね、君達は」

「2年のAチーム、1年のAチーム。そして2年の潜水課の訓練生です」


 マックスが緊張しているようなので、ネルソンが代わりに答えた。




― 何だか面白くなってきたぞ ―


 憤然としているアダムスの横でケーリーは内心ニヤッと笑った。アダムスは何が何でもシェランを辞めさせたいようだが、さて、彼等はこの尊大な教官にどう立ち向かうのだろう。


「話とは何だね。聞こう」


 訓練生の緊張を和らげるように、ケーリーは穏やかに言った。


「はい。ありがとうございます。このたびの事故の責任についてですが、全ての責任をシェラン教官にだけ押し付けるのは如何なものでしょうか。そもそも事故の発端は2年生にもなって自分の体調管理を怠った訓練生に在るのではないでしょうか」


 びっくりして立ち上がろうとしたシェランの腕を掴んでクリスは囁いた。


「君の生徒を信じるんだ。僕もあいつ等を信じる」


 それでもシェランは心配そうに訓練生を見つめた。ジュードとブレードの姿が見えない事はすぐに気が付いた。彼等はどうしたのだろう。ジュードはこんな時、絶対他人に責任を押し付けたりしない人なのに・・・。


「訓練生に責任が在るという事は、ブレード・ウィンタスとレクター・シーバスの2人に責任が在るという事になる。しかしだ。レクター・シーバスは入院中だから仕方がないとして、ブレード・ウィンタスは何故ここに居ないのだね?しかも!君は確かAチームの副リーダーだったと私は記憶しているが、リーダーのジュード・マクゴナガルはどうしたのかね?


 事件の当事者は2人共居ない。チームを代表するリーダーも居ないでは、責任の所在を追及しようが無いじゃないか。どうだね?マックス・アレン君」


 アダムスの言葉にマックスは目を白黒させて黙り込んだ。もちろん他のメンバーもである。



「まっ、待ってください!」


 後方に集まっていた1年生の中から丁寧に切り揃えられた金色の髪を振り乱して1人の青年が飛び出してきた。


「い、1年生のテリー・ハンセンです。今回の事故の責任が何処にあるのかは決まっているんです。全部僕が、僕の責任なんです。レクター先輩は危険だから、これ以上船から離れるなと言ったんです。でも僕は先輩の言う事を凄く軽々しく聞いていて、勝手にどんどん泳いで行きました。先輩はそんな僕を心配して付いてきて事故に遭ったんです。だから悪いのは僕なんです。責任は全部僕に在るんです!」



 泣き出しそうなテリーをかばうように、又1人、後ろから背の高い青年が飛び出してきた。


「1年Aチームのミルズ・ウォーナーです。今回の件はテリーだけの責任ではありません。僕達は先輩の言葉も教官のおっしゃる事にも耳を傾けず、自分達だけでやっていけると思っていました。それがどれだけ思い上がった愚かな考えだったか。罰せられるべきは僕達です。どうか退学にするのなら僕達を退学にして下さい」



 シェランはもう涙をこらえるのが精一杯だった。彼等を信じてよかったと思った。そんなシェランの様子を苦々しい顔で見ると、アダムスはまだ入校して4ヶ月しか経っていない若い訓練生達を見据えた。


「そうか。では全ての責任を取って君達が退学すると言うんだな。1年Aチームの潜水課諸君」


 ぐっと息を詰まらせるとテリーは決意したように顔を上げた。本当は辞めたくなんかない。だが、卑怯者と呼ばれるのだけは嫌だ。


「僕は・・・・」




「お待ち下さい」


 会議室の入り口から響いてきた声に皆が振り返った。マックスはジュードに会えてこれほど嬉しいと思った事はなかった。ジュードは仲間と同じ青いツナギを着て、同じくそろいのツナギを来たブレード、そして彼の背中に居るレクターと共に中へゆっくりと入ってきた。


 Aチームの仲間達がブレードを取り囲んで、寝巻きのままのレクターを下ろした。ブレードとピートに支えられながらレクターは、テリーとミルズの横にやって来ると、驚いた顔で自分を見ているテリーの肩に手を置いて微笑んだ。


「ありがとう、テリー」

「レクター先輩・・・」

「遅れて済まんな。もう大丈夫だぞ」


 ブレードが片目を閉じてミルズに囁くと、後輩達はホッとしたように彼等を見つめた。そんな4人の前に立つと、ジュードは教官達の前で敬礼をした。


「遅れて申し訳ありません。Aチームリーダーのジュード・マクゴナガルです。この度の事故の当事者2人を迎えに行っておりました」


 ジュードは手を下ろした後、ブレードとレクターを振り返り、厳しい目を向けた。


「ブレード、レクター。君達は今回の事故に付いて、教官方に何か弁明する事はあるか」

「ありません!」

「僕も・・・ありません」


 ずっと寝たきりだったレクターは体力がまだ回復していない為か、少し苦しそうに答えた。


「僕達は食事も取らずに訓練をすればどうなるかという事を、何度もクリス教官やシェラン教官に授業で教わっていながら、目先の問題に心をとられて結果を考えずに行動してしまいました。その結果、同じチームの仲間だけでなく、教官や果ては1年生にまで迷惑をかけてしまった事は弁明の余地がありません。申し訳ありませんでした!」


 ブレードとレクターは深々と頭を下げた。アダムスはイライラしながら吐き捨てるように叫んだ。


「じゃあ、2人とも退学だぞ。それでいいんだな!」

「いいえ!」


 ジュードはアダムスをじっと見据えると、胸ポケットから白い封筒を取り出した。


「リーダーの任に就いた時から、僕にはチーム全員に対する責任が生まれます。彼等が責任を取って辞めるなら、僕も共に去ります」


 ジュードが誰も居ないテーブルの上に手に持った封筒を置くと、マックスも「俺も同じです」と言って、胸ポケットから取り出した封筒をその隣に置いた。


「リーダーに責任が在るのなら、私達の方がもっと責任が在ります!」


 キャシーは叫ぶと、同じように白い封筒を取り出した。


「私達は自分の感情に捕らわれて、後輩に対する気遣いや責任を忘れて勝手な行動を取っていました。事故は起こるべくして起こってしまった。全て私達の責任です。私達も共に退学いたします」


 キャシーの後ろに居るアズ、そしてレクターを支えているピートも胸ポケットから退学届けを取り出した。



 ブレードとレクターは全く予期していない事態にびっくりして仲間達を見つめた。このまま本当に仲間が退学になったら、それは全て自分のせいだ。彼等はどうしたものかと顔を見合わせた後、ジュードの背中を見つめた。


「それを言うなら、僕達2年の潜水課全員に責任が在ります」


 ジーン・ハリスが封筒を取り出すと残りの潜水課の者達も封筒を取り出した。


「2年の潜水課全員に責任があるなら、もちろん、Bチームのリーダーである僕にも責任が在ります」

サミーも封筒を上に掲げた。


「せ、先輩達が辞めるんなら、僕も付いていきます!」

アンディが叫ぶと、それは1年Aチーム全員の叫びとなった。


 机の上に付いているアダムスの両手はわなわなと震えた。額に青筋を浮かび上がらせて、ここに居る訓練生のそれぞれの担当教官を見たが、彼等の暴挙に誰一人として眉をひそめる者も、止めようとする者も無い。ロビーなどはまるで自分に関係のないような顔をして横を向いている。それを見てアダムスは無性に腹が立った。


― さてはこいつ等、知っていたな? ―


「そうか。だったら全員退学にしてやる」

 アダムスがそう呟くのを聞いて、ケーリーはびっくりして立ち上がると彼の肩を握り締めた。


「そんな事をすれば、あなたはSLSの教官ではなくなりますよ」


 アダムスが今度はケーリーを睨み付けた。2人の教官が無言で牽制しているのを横目で見て、一般のライル・ウォータラーは小さく溜息を付いた。


「君達は難関と呼ばれる試験をくぐり抜け、やっとの事でSLSに入学した。なのにそれを簡単に手放してしまっていいのかね?特に2年生は1年間、辛い訓練を乗り越えてきたんじゃないのか?」


「オレ達はライフセーバーになる為にここに来ました。人を守り、助けるために・・・。ですが、自分の一番大切な仲間や尊敬する教官を守れなくて、何の為のライフセーバーですか?仲間を見捨ててライフセーバーになっても、オレ達は本当のライフセーバーにはなれない。ここに居る教官や先輩隊員のような、真のライフセーバーにはなれないと思います」


 ジュードに続いて、テリーも答えた。


「僕も先輩と同じ意見です。ただ、たった一つ残念なのは、もっとシェラン教官に教えてもらいたかった。それだけです」


 シェランは頬に流れた涙を誰にも気付かれ無いように、さっとぬぐい取り立ち上がった。静まり返った会議室の中をゆっくりと歩いてジュード達の所に行くと、そこに居る訓練生の顔を一人ひとりじっと見つめた後、教官達が座っているテーブルを振り返った。


「辞職する事が全ての責任を取る方法であるなら、私はすぐにでも出て行きます。でもそれで二度と事故が起こらないようになるでしょうか。


 私は人命救助と命の尊さを人に教える者として、これからも起こり得る事故の再発防止に努め、彼等を立派なプロのライフセーバーに育て上げる事こそが、本当の意味で責任を取る方法だと思います。どうか先輩の教官の皆様。未熟な教官と生徒ですが、私達をこれからも教えていって下さい。ここで・・・このSLSで学ばせて下さい。お願いします!」


 シェランが頭を下げると、一斉に後ろの生徒達も頭を下げた。





 シン・・・と静まり返った中、誰かが手を打ち鳴らす音が聞こえた。リー・ヤンセンが立ち上がって彼等に拍手を送っていたのだ。その後、ロビーやディック、その他の教官達も立ち上がって拍手を始めた。


 その惜しみない拍手の中でジュードはホッとしたように溜息を付くと、後ろに居るブレードとレクターを振り返った。安心して力の抜けたレクターを潜水の仲間が急いで支え、ブレードの周りを他の仲間が取り囲んでいる。


 サミーが軽く片目を閉じて左の親指を立てた。その隣でジーンが“今回の件は貸しだぞ”と水中手話を送っている。彼に協力を要請するのに随分苦労したジュードは、困ったように苦笑いを返した。



 アダムスの肩を掴んでいたケーリーは、その肩を軽く叩くと、ムッとしながら訓練生を見ている彼の顔を覗き込んだ。


「もういいだろ?アダムス。彼女は俺達の後輩じゃないか」

すねたように溜息を付いたアダムスを見て、ケーリーもホッとしたように笑った。





 ウォルターといえば、じっと目を閉じたままだったが、口元はニヤニヤと笑っていた。そんな彼を見て笑いをこらえながらクリスが後ろを振り向くと、サミーとBチームの潜水課が彼を待っていた。


「何かやると思ったが、まさか自主退学とはね。だが、サミー。その退学届けの中身は白紙だろう?」

「ばれました?ジュードが41人も退学にしたら授業料を払ってもらえないから絶対大丈夫だって」

「それでこの人数か。全く知能犯だな、あいつは」


 クリスは苦々しそうな顔をした後、さわやかに笑いながら彼のチームと共に去って行った。




 ジーン達はロビーが近付いて来ると全員で敬礼をした。


「お前等。そんなに簡単に辞められると思ったら大間違いだぞ。俺はどんな事があっても、お前等をスーパースペシャルなプロにしてみせるからな。覚悟しておけ」

「はい!」


 のしのしと大股で去って行くロビーの後ろを、Cチームのメンバーも追って会議室を出て行った。



 1年生達はリーがいつもの無表情な顔でこちらをじっと見ているので、絶対に彼が怒っていると思った。


「勝手な事をして申し訳ありませんでした!」


 テリーとミルズがチームメイトの前で頭を下げると全員が同じように叫んで頭を下げたまま、リーの言葉を待った。


「私はいつも、自分の担当する生徒の事を誇りに思っているが、今日ほどそう思った事は無い。みんな、良くやった」


 彼等はびっくりして顔を上げた後、満面の笑顔で微笑んでいるリーを取り囲んだ。



 アダムスはきまりが悪かったのか、さっさと会議室を出て行ったようだが、シェランは3年の教官であるケーリーとライルに迷惑をかけた事を謝罪した。


「気にする事は無いよ、シェラン。事故に遭った2人の生徒も無事なようだし」

ライルがシェランに笑顔を向けると、ケーリーも片目を閉じて笑いかけた。


「それにしても君のチームは面白いな。特にあのリーダー。くさいセリフだが効いたよ。“ここに居る教官のような真のライフセーバー”とはね」


 シェランは最高の笑顔を彼等に向けると、出口で自分を待っているAチームの元へ誇らしげに歩いて行った。






 次の日の合同訓練は、再びチームごとに行なわれた。前日レクターを病院まで送っていったシェランは、強引に病院から抜け出したレクターと共に医者から相当叱られたらしいが、彼の容態が安定しているので元気一杯だった。


「さあ、みんな。今日はライフシップに乗って海に出るわよ。一般も機動も全員海に潜るからそのつもりでね!」

「はい!」


 29人の訓練生の声が港にこだました。今日もフロリダは快晴。大西洋は最高に青く輝いている。








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