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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第12部 分裂 【3】

 要救助船はライフシップをそれと想定して海上に停めてあったので、火は出ていなかったが、潜水のライフシップに付いてきた一般の消防艇はすぐに放水を開始した。


 手動放水はなかなか角度の設定が難しいので、水の放水量で角度を変えないとライフシップまで水が届かなかったり、全く違う所に放水されたりする。まだ自動放水しか経験の無かった1年生もハーディの指導によって、徐々に要救助船の中心に水を放水できるようになってきた。



 潜水課は要救助者に見立てた訓練用の黄色いダミー人形を拾い上げるのに奔走していた。ダミーは水に浮くように作られているのだが意外に重く、一応ライフベルトを巻きつけてあるが抱えるのは大変だった。しかも10人の訓練生に対し、数十個の人形が浮かんでいるのである。



 ミルズが何とか一つの人形を抱えて救助ボートに向かって泳ぎ始めると、後ろからキャシーの甲高い声が聞こえた。


「ちょっと何をやっているの?こんなに要救助者が居るのに1人だけ抱えて泳ぐなんて」

「1人だけって、こんなもの2個も抱えて泳げないだろ?」

「そんな事は無いわ。こうすればいいのよ」


 キャシーは側に浮かんでいたダミー人形の胴の部分に腕を回し、同じ左側の手でもう一体の人形のライフベルトを掴むと、救助ボートに向かって泳ぎ始めた。


 ミルズは女に負けてなるものかと同じように二つの人形を抱えようとしたが、とてもではないが泳げなかった。仕方なくもう一度、一つだけ人形を抱えると、キャシーの後を追った。


 救助ボートの側まで来るとキャシーは「エバ!」と叫んだ。呼ばれたエバは両足をボートの端にしっかり下ろし、両手を差し出した。キャシーが両手に持った人形を持ち上げると、エバが人形につけられたライフベルトをしっかりと握った。


「よし。引き上げるわ」


 渾身の力をこめてエバが二つの人形を同時に引き上げると、周りにいた一般の訓練生達が作業をしながら叫んだ。


「やるな、エバ!さすが船長!」


 キャシーは次の要救助者の救助の向かいながらミルズに言った。


「何しているの。要救助者はまだ山のように居るのよ。早くそれを引き上げてもらいなさい」

「は、はい」


 2人の女性の迫力に、ミルズは素直に返事をした。

 



 泳ぐだけなら1年で一番の速さを誇っているのがテリーである。彼は一般課の訓練生が乗っている救助ボートではなく、ライフシップに備え付けられている直接海に飛び込む為の移動エレベーターの上に3体の人形を放り上げていた。


 そこに二体の人形を抱えたレクターが遅ればせながらやって来たので、つい、いつものようにニヤッと笑って嫌味を言ってしまった。


「先輩。いくら2つずつ運んでも、そんなに遅かったら僕には勝てませんよ」


 だがレクターはそのまま泳ぎつつ答えた。


「テリー、君は既に3人の要救助者をライフシップに上げたけど、彼等はもしかすると死んでいるかもしれないよ」


「何ですって?人形が死ぬわけ無いでしょう」

「これは人形じゃない。人間だ。君は傷ついて溺れていた人を、一般の救難士に任せもせず放り出してきた。これがどういう事か分かるかい?」


 テリーはうっと息を詰まらせて返事が出来なかった。




 アーサーはとてもではないが、人形を抱えて泳ぐ事は出来なかった。だが周りの仲間は皆、何とか一つでも抱えて泳いでいる。彼は波にもてあそばれながらも泳ごうと努力したが、力尽きて人形に摑まり、海の上に浮かんでいた。


「おい、それでは要救助者はもう死んでしまっているぞ」

 

 水の中から突然、目の前に現れたアズに驚いて、人形から手を放したアーサーは溺れてしまい、バタバタと手足を動かした。アズは彼の腕を掴むと、自分の肩にかけて背中を二度叩いた。


「大丈夫だ、落ち着け。俺が居るからお前は溺れたりはせん」


 その一言で急にアーサーは心が落ち着いた気がした。もう手足をバタつかせる事もない。アズは片手にアーサー、もう片方に人形を抱えて、救助ボートに向かって泳ぎ始めた。


「あ、あの、僕、もう大丈夫です。1人でも泳げますから」


 アズがサムに人形を渡した後、再び自分を抱えて泳ごうとしているのが急に恥ずかしくなったのか、アーサーは顔を赤くして言った。


「そうか。俺は姿は見えなくても、海の中か後ろから必ずお前を見ていてやる。だから安心して救助にあたるといい。一体でも持って帰れれば合格だ」


 アズはいつもと同じように仏頂面だったが、その言葉はとても優しく感じられた。アーサーは微笑んで頷くと、再び泳ぎ始めた。




 相変わらず手前勝手に泳いでいるケビンを見て、ブレードは溜息を付いた。彼は余りやる気が無いのか、一番遠くに流れている人形を追いかけてきて、それを掴みながらゆっくりと辺りを周遊している。

 

 きっとジュードなら、こんな厄介そうな奴でもニコニコしながら指導するのだろう。いやあいつなら厄介な奴ほど嬉しそうに世話を焼きそうだ。



 ブレードはライフシップからかなり離れてしまった事に不安を覚えた。辺りを見回すと、他に人影も見えない。こんな時は船の上で見張っているシェランや補佐をしている教官の怒号が飛んでくるのだが、船からかなり離れた場所に来てしまったので、彼等の目も行き届いていないのだ。これでは何かあった時、連絡を付けにくいだろう。


 そろそろ戻るように注意しないといけないのだが、ブレードにはケビンのような能天気なのか自分勝手なのか理解しがたい人間に、どういう態度をとっていいのか良く分からなかった。


 ジュードならどうするんだろう。怒るのかな?それとも優しく諭すんだろうか・・・。いや、こいつはそんな簡単な奴じゃない。だが単純すぎるからやりにくいのかも知れない。とにかく怒っても優しく言っても、返ってくる言葉は前と同じだ。


― 大丈夫ですよ、先輩・・・・ ―



 ブレードは人形を掴んだかと思うと、潜ったり再びその場所に戻って来たりと、一向にやる気の無いケビンの側にとりあえず泳いで行った。


「なぁ、ケビン。お前どうして潜水士になろうと思ったんだ?」


 これは素朴な質問だった。彼の態度はどう見ても、真面目に潜水士を目指している者の態度ではない。


「え?どうしてって・・・。そうだなぁ。やっぱりカッコイイからかなぁ」


 ケビンはまるで友達に話すように馴れ馴れしく答えた。いつものブレードならこれだけでムッとして話をする気力も失ってしまうのだが、今のブレードには気にならなかった。反対に実力がありそうなのに、それをまったく見せずに遊んでいるように見せている、彼の心の底にある真意を覗いてみたくなったのだ。



「カッコイイか。俺もそう思った。機動のような華やかさは無いけど、何より過酷でたった一人で戦い続ける。これこそが男の世界だってね」


 その時ケビンがブレードに向けた笑顔は、明らかに先程までとは違っていた。 ―大丈夫ですよ、先輩- そう答えた時も彼は笑っていたが、先輩と言いつつも明らかにブレードを見下していた。だが今は機動の1年生がジュードやマックスに向けるのと同じ瞳で、ブレードを見て笑いかけたのだ。


「僕も、僕もそう思いました。いわゆる渋いってやつですか?まるでいぶし銀のナイフの持つ鈍い輝きって言うか、敵のアジトに潜入中のFBI捜査官って言うか・・・・」

「ああ、そうそう。そんな感じだ。お前、表現力あるな」


 ブレードは話をしていて、何だか楽しくなってきた。多分彼はアニメや映画のファンなのだろう。


「でも、そんな男の世界に女の人が居るのがミルズは気に入らないみたいで・・・。女が2人も居るチームなんて駄目に決まってるって。あいつ、今もキャシー先輩に逆らって困らせてるんじゃないかな」



 こんな風に仲間の事を相談してくれるようになったら、心を開いてくれた証拠かもしれない。それにこれは彼自身も感じている事なのだ。女が2人も居て、教官までが女なんて付いていけないと・・・。


「大丈夫。キャシーは最近常人じゃない域に達しているからな。その内ミルズにも分かる。なぁ、ケビン。俺もキャシーが潜水士になる為にここへ来たって言った時は、こいつバカか?って思ったし、出来る訳ないだろうと言いそうになった。


 だけどな、男だ女だって言っている内は、俺は男としても潜水士としても駄目なんだって最近分かってきたんだ。大体な。あのシェラン教官なんて、はっきり言ってもう人間じゃないぞ。深海魚・・・いや、化け物だな」


「化け物?あんな綺麗な人なのに?」

「そうだ。大体普通の人間が1,200フィートも潜れるか?しかもあの人が再圧チャンバーに入ったのは、その時の一回きりだぞ。普通のダイバーでも年に2,3回は入るものなのに」


 1,200フィートと聞いてケビンも本当にそんな人間が居るのか、半信半疑のようだった。


「はあ、知らなかった。じゃ、キャシー先輩も?」

「あいつは別の意味で怖い女だ。まあその話は又今度するとして、そろそろ戻らないか?余り遅いと、教官は魚雷みたいに突っ込んでくるんだ。結構怖いぞ」



 冗談っぽく片目を閉じたブレードにケビンは「はい」と笑って答え、彼等は人形を抱えて泳ぎ始めた。しかし彼等よりさらに沖合いから誰かが泳いでくるのが見えて、その方角に目を凝らした。


「あっ、テリーだ。あいつもこんな所まで来ていたんだな。テリー!」


 ケビンが手を振ったが、彼はただ必死にこちらに泳いでくるだけであった。テリーが居るという事はレクターも側に居るはずだ。俺達はさっき辛抱強く1年生に付き合おうと決めたのだから。


 悪い予感に駆られてブレードはテリーの方へ泳いでいった。


 レクターの事を尋ねてみたが、テリーは酷く取り乱していて、訳の分からない事を繰り返すばかりだった。


「落ち着け、テリー。レクターに何かあったのか?彼は何処だ?分かるように話してくれ」


 テリーは何とか自分の心を落ち着かせるとブレードの両腕から手を離した。


「少し・・・ライフシップから離れた所の要救助者を救助しようって・・・。先輩は危険だって言ったけど、僕がどんどん泳いでいったから付いてきてくれたんです。それで人形を抱えて戻り始めて・・・。ちゃんと後ろにいたのに、いつの間にか姿が見えなくなって・・。僕、潜って探したんだけど、み・・・見つからなくって・・・・」




 テリーはもう涙ぐんでいたが、当然だろう。これは非常にまずい状況だ。レクターもブレードと同じように食事を余り取っていないとすれば、低血糖症になっている可能性がある。放置すればこん睡状態に陥り、死ぬ事もあるのだ。ましてや海の中では水圧が掛かる。低血糖症以外にもあらゆる危険がのしかかっている。


「テリー、レクターはレギュレターをちゃんとくわえていたか?」

「は、はい。多分・・・」


「よし、ケビン。すぐに船に戻って教官に知らせるんだ。装備は泳ぎが遅くなるからここで捨てていい。テリー、彼の姿を見失った場所まで連れて行ってくれ」


 ブレードは自信が無さそうにレクターを見失った位置を示したテリーの肩を叩くと、彼にも船に戻るように言って、レギュレターをくわえた。





 ブレードの今の潜水記録は186フィート。普通の潜水士ならこれで充分だが、キャシーやアズの記録にはまだとても及ばなかった。それでも彼は次第に暗さと圧力を増していく海に潜り続けた。早く見つけなければレクターを見失ってしまう。


 辺りが暗くなってきてブレードは水中ライトの灯りをつけた。ダイビングコンピューターの水深計を見なくても、彼にはその水圧と光の届き方で、大体自分の居る深さは分かっていた。もうすぐ自分の限界に達するだろう。



― もしこのまま帰れなくなってしまったら・・・ -



 のしかかってくるような水圧を体中に感じた時、ふとそんな考えが頭をよぎった。いつもなら必ず近くに居るはずの仲間も居ない。外界の全ての音が遮断されたような暗く沈みかえった青の世界。ブレードは正にその真っ只中にいた。


 この時初めて彼は、今まで自分が1人で潜っていたのではなかった事に気が付いた。例え姿は見えなくても、いつもライフラインで繋がった仲間が側にいた事に、どれだけ頼っていただろう・・・。



 それでも彼は下へ向かって手を動かす事をやめなかった。キャシーやアズに出来たのだ。俺にだって出来るはずだ。彼は根拠も無くそう考える事にした。でなければ恐ろしさに仲間を見捨てて逃げ出してしまいそうだった。


 しかし、ブレードは忘れていたのだ。自分もレクターと同じ条件だったという事を・・・・。




 彼は体力を使う潜水の授業があるにも関わらず、他の訓練生達が山のようにパンや卵を食べている横で、朝はジュースと少しの野菜しか取らず、昼もコーヒーしか飲んでいなかった。



 低血糖症は普通なら体内の糖分が下がってイライラしたり、ぼうっとするだけなのだが、食事を抜いたり激しい運動をした場合は、非常に危険な状態に陥るのだ。しかも彼はレクターを追っていた為、急激な速さで水の中を潜っていた。


 暗がりの中、やっと水中で意識を失っているレクターを見つけた時には、呼吸は激しく乱れ、目の前がぼうっとして気が遠くなりそうであった。霞んでいく意識の中で、レクターの身体に付いているオモリを全てはずし、後ろから彼を抱えて薄暗い海中を上へ向かって泳ぎ始めた。



― 絶対助けてみせる。でなければ、あいつ等に合わせる顔が無い・・・ -


 自分の吐く息の音がだんだん耳元から遠ざかっていくのを感じながら、ブレードは足を動かし続けた。しかしやがてそれさえも動かなくなった時、彼はレクターを抱えたまま、深い闇の中に漂っていた。





 その頃、ジュード達を乗せたヘリはやっとライフシップの上空に到着していた。パイロットのレミーが道に迷っていて到着が遅れたのだ。


「すまなかったな、ジュード。俺が船を見つけられなかったから・・・」

「いいんだ。本来、要救助船の位置がちゃんと把握されているものだからね」




 彼等は早速先ほどの訓練要綱に従って降下準備を始めたが、下を覗いたマックスが船の様子がおかしい事に気が付いた。


 ライフシップの周りには目立つ黄色のダミー人形が沢山浮かんでいるのに、潜水課の誰も海の中には居らず、全員が甲板の上に集まっている。ヘリの到着に気付いたピートやサムが大きく手を振りながら手話を送っていた。とっさにマックスは後ろを振り返った。


「ジュード、下で何かあったみたいだ!」


 ライフシップを覗き見たジュードは、まずシェランの姿を探した。だが、甲板に居るはずの彼女の姿は無かった。それは海の中での事故を示していた。


― くそっ、潜水か・・・! ―



 ジュードはすぐ全員に訓練の中止を伝えた後、不安そうな顔で自分を見つめている1年生を見回した。


「いいか?ヘリを降りるまで決してその場から動くな。約束してくれ」

「はい。約束します」


 1年生はまだ救助を手伝える状態ではない事をジュードは知っていた。彼等は動かない方が救助もスムーズに進むし、又彼等自身に危険が及ぶ事は無い。安心して彼等から目を離せるのだ。


 ヘリが船上に着陸した後、2年生はジュードを先頭にヘリを飛び出した。




「教官が戻ってきたわ!」


 キャシーの叫び声に皆は船べりに駆けつけた。小型の救助ボートの上でシェランは、レクターとブレードを2人一緒に抱きかかえるようにして乗っていた。ボートの上では一般のハーディとダグラスが彼等に酸素キッドをあてていた。


 気を失ったままのブレードとレクターを船にあげると、すぐに心肺蘇生に入った。2人をヘリに収容しようとしたが、シェランがレクターを診た所、減圧症にかかっているようだ。減圧症の患者をヘリで搬送すると、完全調圧機構が無い為、更に悪化させる恐れがある。


 シェランはレクターをライフシップより船足の速い消防艇に運ぶように指示した。すぐにサムとダグラスが用意してきた担架に彼を移し運び出した。シェランはそれを追いながらジュードを振り返った。


「ジュード。ブレードを頼んだわよ」


 ジュードは頷くと、ブレードを乗せた担架を追ってヘリに戻った。



 2年生達が全く慌てることなく着実に作業を進めていくのを、1年生は身動きもせずにじっと見ていた。授業で習った内容が頭の中に浮かんでくる度、早く自分もあんな風に実践したいと思った。その日はそのまま訓練を中止し、生徒達はライフシップに乗って戻ってきた。





 月明かりだけが薄明るく照らし出す医務室で、ブレードはゆっくりと目を覚ました。窓からじっと外を見つめていたジュードは、シーツの擦れ合う音に気が付いてブレードの側にやって来た。


「気分はどうだ?何か欲しい物はあるか?みんなもさっきまで居たんだけど、夕食も取って無かったから帰したんだ」


 ブレードはまだぼうっとした目でジュードを見た後、ハッとした。


「レクターは?あいつ、気を失っていて・・・」


 ベッドから飛び出して行きそうな勢いの彼の肩を、ジュードはそっと抑えた。


「レクターはマイアミ病院だ。軽い減圧症にかかっているみたいだけど、命に別状はないそうだ。あっちは完全介護だし、安心していいよ」


 ジュードはさっき見てきた青い顔色のレクターを思い出した。




 本当の彼は今、こん睡状態にある。低血糖症に加えて、減圧症と酸素中毒にかかっていた。命は助かるでしょうと医者は言ったが、覚悟もしておいて下さいとも言った。減圧症や酸素中毒は脳に深刻なダメージを与える。命は助かっても、下半身が動かなくなるような危険性はまだ残っているのだ。だがそんな事を今のブレードには言えなかった。



 安心してベッドに横たわると、ジュードは布団を懸け直してくれた。彼はどうしてここに居るんだろう。ブレードはいつもと同じ笑顔を向けてくれるジュードから目を逸らした。謝らなければいけないと思うのに、どうしても言葉が出てこなかった。


「メシ、食いに行けよ。腹が減ってるだろう?」


 そう言った後、ブレードはふと気が付いた。そうだ。どうしてジュードだけなんだ?こんな時、必ずあの人は居るはずだ。レクターの所に居ないのなら、絶対ここに居るはずなんだ。


「ジュード・・・シェラン教官は・・・?」


 ブレードの問いにジュードは何も答えずにうつむいた。すぐに返事が無いのは何よりの証拠だ。




 訓練生が何か問題を起こした時、真っ先に責任を追及されるのはそのチームの担当教官なのだ。きっと今彼女はまるで裁判を受ける罪人のように、教官達に囲まれて責任を追及されているに違いない。全ては潜水士としての自覚が無かった自分のせいだ。


 潜水訓練中は陸上の訓練よりもずっと体力を消耗する。そんな事は訓練生なら誰でも知っている事なのに、ブレードは己の体調管理を怠ったのだ。



「お前も、俺のせいだって思ってるんだろう?」


 ブレードはジュードに背中を向けて呟いた。


「俺みたいな足手まといが居るから、チームに迷惑をかけて、教官にも・・・迷惑ばっかりかけて、みんなに嫌な思いをさせて・・・。ジュード。お前だって、俺なんか居なくなればいいと思ってるんだろ?」


「何を言ってるんだ?俺はそんな事、一度も・・・」

「嘘だ!」


 ブレードは急に起き上がると、ジュードに食って掛かった。


「お前はいつだってそうだ。そうやってみんなの前でいい子ぶって、俺はリーダーだからどんな嫌なやつでも我慢しますってか?俺のせいでチームがうまく行かないのは嫌なんだろう。お前は凄くやりにくいんだろう?お前は俺なんか大嫌いなはずだ。だから俺が失敗したら嬉しいだろう。だったら笑えよ。笑いながらお前なんかチームに必要ない、出ていけって言えばいい!」

 


 ブレードは思いつく限りの悪態をつくと、シーツを頭からかぶってベッドの中にもぐりこんだ。これでジュードは本当に俺の事なんか大嫌いになったはずだ。こんな酷い言葉をぶつけたら、どんな親友でも許してくれるはずは無い。それでいいのだ。きっとジュードは立ち上がって、部屋を出て行きながら言うだろう。


― だったら出て行け。お前なんか本当にチームに必要ないさ ―



 ジュードにそう言ってもらえば、何の迷いも無くSLSを出て行けそうな気がした。もうこれ以上、シェランやジュードやチームのメンバーに嫌な思いをさせたくなかった。



 ジュードは悲しそうに瞳を伏せると椅子を引いて立ち上がった。ブレードは彼の最後の言葉を覚悟したが、何故か彼の手がシーツの上から自分の肩をぎゅっと握り締めたのに気が付いた。


「ブレード。オレは何があっても自分の仲間を笑ったりしない。それにお前がどんなに嫌がっても、お前を見ている。チームの仲間を守り続ける。オレはそう決めたんだ。みんながオレを選んでくれたあの日に・・・。オレは仲間がいる限り、絶対に逃げたりしない。だからお前も逃げるな。いつだってオレもみんなも、お前の側に居るんだから・・・」




 ジュードが医務室を出て行った後、ブレードは堪え切れなくなって目に涙をにじませた。


 ああ、レクター。お前の言う通り、俺は本当にバカだよ。あいつにこんなにまで言ってもらわなきゃ分からなかったなんて・・・。



 ジュードは“俺はリーダーを絶対に辞めたりしない。だから言いたい事があったら、いつだってぶつけて来ていいんだぞ”と言ってくれたのだ。このとき初めて、彼は心の底からジュードに謝りたいと思った。そして今、自分の為に必死に弁明してくれているシェランに・・・・。






 本館の4階はAからEまでの5つの会議室があり、それぞれの用途に応じて使い分けられていた。


 会議室Aは一番大きく、全学年の教官や校長が集まったり、滅多に無いがSLS本部の長官や支部長官を招いたりする部屋で、B、Cは中会議室、D、Eは小会議室になっている。大抵それぞれの学年の教官が個別にミーティングをするのはDかEの小会議室を使っていた。


 しかし今日は機動、潜水、一般の全学年の教官が集まっているので、一番大きな大会議室Aが使われていた。


 シェラン達2年の教官が並んだテーブルの向こうには、1年の教官であるリー・ヤンセン、機動課のハンス・デリー、潜水課のディック・パワーが座り、横に2列になった1年、2年の机を垂直に繋げるように3年の教官達が座っていた。





 シェランから今日の合同訓練中に起こった事故に付いての報告を受けた後、3年Aチームの機動課の教官、ケーリー・アイベックは難しい顔をしてシェランを見つめた。自分の受け持つ生徒が3年になると、会議などの司会や詰問は3年生の教官に引き渡される。ケーリーはこの役目が大嫌いだった。



 3年にもなれば問題を起す生徒は殆ど居なくなるが、1年の内は慣れない集団生活で、意見の合わないチームメイトとのいざこざが起きるし、やっとそれを克服してきた2年の頃は、実地訓練が始まって事故が多発する。その度に教官は肝を冷やし、命の危険を顧みず生徒を助け、そして他の教官連中に囲まれながら弁明しなければならないのだ。


― ああ、嫌だ、嫌だ。俺も何度そんな目に遭ったか・・・ ―



 今の2年Aチームは問題の良く起きるAチームと言われているが、問題の起きないチーム等ほとんど無い。エリートと言えば聞こえはいいが、いわゆるプライドの高いガキ共の集団だ。自分が嫌だと思った人間と協調してうまくやっていこうなどと今まで考えた事の無い奴等に、初めての集団生活のストレスがたまらないわけは無く、そうなると大抵の場合、喧嘩に発展する。



 5年前になるが二つのチームが入り乱れての大乱闘が訓練所内で起こり、血の気の多い男子が正に血まみれで殴り合っている中に、教官全員で飛び込んで止めに入ったこともある。



 そういう面ではAチームも含めて今年の2年生は問題が起こってない方だろう。あの時は物凄くもめて、ケーリーは自分が退職するから生徒を助けてやって欲しいと皆に頭を下げた。


 それなのに今度は自分が他人を追い詰める立場になる。この役目を担うのはもう3回目だが、何回やっても嫌な役目だった。




 そんなケーリーとは対照的に、Bチームのアダムス・ゲインはとても気分が良かった。彼は前々から自分より実力のある ―悔しいが、それは認めざるを得ない― 女潜水士が鼻持ちならなくてしょうがなかった。何が憎たらしいといって、何かの式典の日に、彼女とクリスだけが本部隊員の証である白い制服を着てくるのが何より嫌だった。



 卒業式は1年、2年の全生徒と全教官で卒業生を送り出すのだが、支部隊員出身の彼等には濃紺の隊服しか与えられていない。フロリダの日差しに映える、眩しいまでの白の隊服は本部隊員だけに与えられる特権で、隊員の職を退いた彼等には、永久に手の届かない夢なのであった。



 それを昨日、今日入ったような若輩の彼等が、これみよがしに着ているのを半年前の卒業式で初めて目にした時、どうにもこうにも腹が立って仕方がなかった。特にシェランに対しては、同じ潜水士として敵愾心(てきがいしん)を燃やさずには居られなかったのである。



 その彼女が生徒の体調不良に気付かず、2人もの生徒を危険な目に遭わせた。校長のお気に入りで、いくら生徒が危険だったからという理由があったとしても、ヘリを無断使用して一切お咎めの無かったこの女教官を攻め立てるのに絶好のチャンスだ。




 アダムスは同僚で一般課のライル・ウォータラーが「他にミューラー教官に質問がある方はいらっしゃいませんか?」と言うのを待って軽く手を上げた。


「ミューラー教官。いや、シェランと呼ばせてもらおうか。我々は同じ潜水士だからねぇ。あなたの話を聞いていると、己の体調管理も出来なかった生徒に全責任があるように思われるが、どうなのかね?」


「いいえ、彼等には何の責任もありません。彼等が食事を取る事も出来ずに悩んでいたのも気付かず、ハードな訓練を課したのは私の責任です。処分は全て私がお受けいたします」


 シェランは覚悟を決めたようにじっと前を見つめて答えた。リーから預った1年生に何も無かった事は不幸中の幸いであるが、彼の信頼を裏切った事に変わりは無く、シェランにはそれが一番の苦痛であった。


 そしてアダムスにとってその答えは願ってもない言葉だった。彼は全責任が生徒にあると言えば、シェランが全ての責任を自分でかぶるに違いないと思ったのだ。


「では、もし我々で話し合った結果、今回の責任を取ってあなたに辞職していただく・・・という話になっても構わないのですね?」



 その場に居た教官達はびっくりしたように一斉にアダムスを見た。彼が前々からシェランに良い感情を持っていない事は薄々分かっていたが、まさか追い出したいほど嫌っていたのか?



 そんな中、リーは決然とした表情を、全く崩さないシェランを見ていた。教官にとって自分のチームの卒業を見届けられないほど悲しい事は無い。自分がかつてそうだったように、彼女も初めての卒業式で彼等にSLSの金色のバッチを手渡す日を夢見ているはずだ。


 シェランはじっと自分を見ているリーに気付いて彼を見つめ返した後、もう一度前を向いて答えた。


「はい。どんな決定でも従います」





 会議室Aのドアの向こうで聞き耳を立てていたテリーとミルズは、びっくりして他の3人の顔を見つめた。


 2年のAチームがブレードの寝ている医務室から食堂へやって来た時、彼等も丁度そこに居合わせたが、先輩達は誰もしゃべろうとはせず、食事も喉を通らないようだった。当然だろう。仲間の1人がこん睡状態で、悪くすればまともでない身体になってしまうかも知れないのだ。チームの教官は間違いなくこの事故の責任を追及されるに違いない。



 ミルズはシェランを泣かせたままなのがどうにも居心地が悪かった。彼女が何処にあるの?と聞いたライフセーバーとして、男としての心を見てもらいたかったのに、ただキャシーの後ろを付いて泳いでいただけで、事故が起こっても何も出来なかった。



 テリーはバディを組んでいたレクターを助けるどころか見つける事さえ出来なかったのがどうしても悔しかった。自分の実力を過信し過ぎていた事にやっと気が付いたのだ。


 彼が沈んだ場所さえはっきりと言えなかったのに、それでもブレードはレクターを探し出した。シェランが2人を連れて戻ってきた時、ブレードは気を失っているにも関わらず、レクターをしっかりと抱きかかえていた。


 どんな事をしても、仲間を助けたいと願う彼の思いが伝わってきた時、シェランが“例えどんなに深く潜れても、あなた達はライフセーバーにはなれない”と言った意味がようやく分かった気がした。



 余りにも落ち込んでいる先輩達の為に何か出来る事は無いかと考えて、とりあえず会議の様子を探ろうという事になった。この提案にはディッキーも笑って「もちろん協力する」と言った。


 しかしまさか辞職という話になるとは思ってもみなかった。こんな話をあの落胆しているAチームの先輩に聞かせられるわけが無い。彼等が青い顔をしていると、中からクリスの声が聞こえてきた。




「ちょっと待って下さい」


 シェランの横に座っていたクリスは立ち上がると、全員の顔を見回した。


「彼女は望まれたからこそ、本部隊員を辞めてここにやって来た。彼女のような実力のある人間を一度や二度の失敗で手放すのは、この訓練校のみならず、SLSの将来の為にならないと思いますが・・・」


― ふん、又本部隊員か・・・ ―


 アダムスはムッとしながら椅子の背にもたれかかり、両腕を前で組んだ。



「君は本部隊員より支部隊員が劣っているから、言う事を聞けとでも言うのかね?我々は教官だ。君達の教官としてのキャリアはわずか1年と半年にも満たない。過去の経歴を持ち出してきても、ここでは通用しないよ」


「本部隊員はチームとしての資質が優れているというだけであって、全員が一流なわけではありません。だが彼女は一流だ。それはここに居る全ての人間が認めている事ではないのですか?」


 アダムスがムッとした顔でクリスを睨みつけた時、シェランの手がクリスの腕を掴んで小さく囁くような声が彼の耳に届いた。


「クリス、もういいの。やめて」

「でも・・・」

「お願いよ。クリス・・・」



 クリスは気持ちが納まらないまま席に着いた。シェランはブレードやレクターに咎めがあるくらいなら、自分が辞めた方がいいと思っているのだ。冗談じゃない。彼女がここを辞めるのは、俺との結婚が決まった時だ。それまでは一緒に仕事をして、一緒にあの手の掛かる奴等を見送ってやらねばならない。


 険悪なムードを察して、ケーリーが立ち上がった。


「とにかく今日はもう遅いですし、何よりレクター・シーバスがまだ危険な状態だ。答えは彼の回復を待ってからでも良いのではないですか?」

「そうだな。それが良いと思う」


 ライルがそう締めくくったので、結論はその時に出すという事になり、会議は終了した。





 逃げるように会議室の前から走り去ったテリー達は、暗い夜道を抜けて寮まで戻って来た。寮の入り口でホッとしたように座り込むと、ミルズは仲間の顔を見回した。


「どうする?」

「どうするったって・・・」


 どう考えてもあのアダムスという教官は、シェランを追い出そうとしているようにしか思えなかった。他の教官はどう思っているか分からないが、アダムスがシェランの責任を追及して辞職を促せば、他の教官達も賛成するかもしれない。いや、その前にあの覚悟を決めている様子からして、シェランの方から辞職願いを出すのでは無いだろうか。


 いつも自信に溢れているテリーとミルズも、どうしたらいいか分からず、その場に座っていた。



 今までどんなに好き勝手をしても、友人も教師も誰も咎める者は居なかった。無論、成績も優秀で難関と言われるこのSLSの試験も苦も無く合格。テリーもミルズも自分に出来ない事は無いように思っていた。友人や教師が何も言わないのは親の威光や多額の寄付のおかげだったが、全て自分の力だと思い上がっていた。



 だがここでの彼等はただの生徒で、しかも入学したての1年生。あの礼節を重んじる教官達が1年坊主の話に耳を傾けてくれない事は、この4ヶ月で良く分かっていた。テリーもミルズも初めて自分の無力さに気が付いたのである。





「お前等、こんな所にいたのか?」


 階段の上から響いてきた声に振り返ると、チームの仲間達が全員揃って下りてきた。潜水課と同室の仲間がいつまでも戻って来ないルームメイトを心配して皆で探しに来たのだ。


「どうしたんだ?みんな元気ないな」


 ウェブ・レーシーが同室のアーサーの顔を覗きこんだ。テリーもミルズも何も言わずにうつむいているので、ディッキーがさっき聞いた会議の様子を伝え、シェランが辞めさせられそうな事も話した。


「ふーん、それで?お前等はシェラン教官が辞めさせられた方が都合がいいんだよなぁ」


 機動のアンディがちょっと意地悪っぽく尋ねた。自分のチームの潜水課が同じ潜水の先輩と、もめているのは皆知っていた。


「最初は・・・そんな事も思ったけど、でも・・・」

 

 ミルズは口ごもった。涙を浮かべながら“誇りを持った男の心は何処に行ったの?”と言ったシェランの顔が今も目の前にちらついている。


― ごめんね、痛かったでしょ? ―


 あの時、自分の頬に触れた優しく白い手は、とても“鉄の女”とあだ名されている女とは思えなかった。


「あの人はあの人のやり方で、一生懸命僕達を教えようとしていた。だけど僕はそんな教官の気持ちも何も分かってなくて、先輩の事も凄く馬鹿にしていた。だからもう一度、教えてもらいたいと思っているんだ」


「テリーは?」


 今度はミシェルがうつむいたままのテリーの顔を覗きこんだ。


「僕も同じだ。本当の実力をつけて、シェラン教官に見てもらいたい」

ディッキーがアーサーやケビンの顔を見ると、彼等も微笑みながら頷いた。


「よし、分かった。何とかシェラン教官を辞めさせないで済む方法を考えよう」


 立ち上がったアンディをテリーは自信が無さそうに見上げた。


「考えようって言っても、僕達には難しいと思うぜ・・・」


「お前等、もっと仲間を頼りにしろ。俺達は同じチームなんだぞ。5人では出来ない事でも15人揃えば何とかなる。それに俺達には心強い先輩も居るだろ?事情を話せばあの人達ならきっと立ち上がる。何たって自分のチームの教官なんだ。大丈夫。ジュード先輩はアイディアマンだし、他の先輩達も行動力がある。みんなで協力すれば絶対なんとかなるさ」


 やっと顔を上げて仲間達に微笑んだテリーとミルズを見て、アーサーはシェランの言葉を思い出した。



― 仲間は宝石で、教官はそれを輝かせる力を持っているのよ ―







 



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