第11部 マイアミ・デート 【2】
インターネットで見たんだけど・・・と言いつつジュードがシェランを連れて来たのは、何の変哲もない1階建ての建物で、入り口以外は窓一つなかった。出入り口の上にはそんなに大きくない看板がつけられていて『House Of Penguin(ペンギンの館)』と書かれてあった。ペンギン水族館なら分かるが、ペンギンの館とは変わった表示の仕方だとシェランは思った。
何だか怪しい雰囲気と看板に戸惑いながら、シェランはジュードの後ろに付いて暗いエントランスに入った。
「ねえ、ジュード。ここってペンギンの資料館か何か?」
「資料も有るけど生も居るんだ。フンボルトペンギンの行進とか、タッチングがあるんだよ」
「うそ。ペンギンを触れるの?」
「餌もやれるんだって」
それを聞いてシェランの心は子供のように踊った。彼女はまだ1度もペンギンを生で見た事がなかったのだ。
「フンボルトペンギンって、どんなペンギン?」
「体長が70センチくらいで温帯で暮らしてるんだ。サボテンが生い茂っている所に巣を作るかな」
「温帯?サボテン?」
シェランは面食らった。彼女はペンギンは南極にしか生息していないものだと思っていたのだ。しかし実際に南極にしか居ないペンギンは、エンペラーペンギンとアデリーペンギンだけで、他のペンギンは南極周辺か南米、アフリカ大陸南部辺りでも生息している。
― ペンギンとサボテン・・・ ―
どうにもイメージが湧かないまま、シェランは周りを見回した。暗いエントランス周辺にはペンギンの生態や生息地域、世界中に約8種類いる全てのペンギンが写真入りで紹介されていた。さっきジュードが言ったフンボルトペンギンの写真も勿論ある。
シェランは始めそれらを熱心に見つめていたが、ジュードに「餌やりが始まるよ」と呼ばれて、急いで彼の後を追った。
外から見ると小さく見えたが、それはエントランスの部分だけで、園内は意外と広く野外のプールやそれを中から観察できる屋内施設に分かれていて、温暖な地域で暮らすペンギンは外にあるプールで飼育されていた。
今日は年末という事もあってか、中は家族連れなどで賑わっていて、餌やりのコーナーは順番を待つ子供達で一杯だった。
「早く並ばないと餌をやれないよ」
ジュードに手を引っ張られたが、シェランは恥ずかしそうに首を振った。
「だって、子供ばかりよ。並んでるの」
「こんな時に大人も子供もあるもんか。やりたい奴がやればいい。大人気ないと言われようが、餌やりとタッチングは絶対やって帰るんだ」
ジュードは気合一杯に右手で作った拳を振り上げた。
「ジュード、ペンギン好きなの?」
「好き。シェランにも似てるだろ?」
「え?」
今の“好き”はペンギンに掛かっているのであって、決してペンギンに似ている自分の事を言ったのではないのだろうが、シェランは一瞬ドキッとした。
「どうして私がペンギンに似ているの?」
「だって地上では今にもこけそうにおぼつかない足取りだけど、水の中に入るとまるで魚雷みたいに泳ぐんだ。そっくりじゃないか」
それは褒め言葉なのだろうか。どうやら彼の頭の中にはクリスマスの夜、派手にこけそうになったイメージがこびりついているようで、シェランは素直に喜べなかった。
しかし、いざ自分の番がまわってくると、そんなわだかまりはどこかへ飛んでいってしまい、シェランは目の前の池の中を泳ぎながら餌を貰おうと一生懸命首を出しているペンギンに夢中になった。
係員から魚の頭の方からやる事、くちばしで噛まれるといけないので魚の尻尾を持ってやる事などの指示を受けると、ジュードとシェランはもう1人の子供と3人横に並んで、ペンギンの前に餌をぶら下げた。3羽のペンギンは、ぱくっと魚を飲み込んで水の中へ帰って行った。
― なんて可愛いんだろう! ―
シェランが池の中をじっと見ていると隣で一緒に餌をやっていた少女が「ペンギン、可愛いね」と話しかけてきた。
「うん。可愛いね」
シェランも少女に笑いかけた。
外から再び別の建物に入り、地下への階段を下りていくと、そのまま屋外プールの断面が見られるようになっている。外から見るよりプールの中はずっと広く、深さは5メートル、幅は15メートル近くあるだろうか。水の中では確かに魚雷のような速さでペンギン達は縦横無尽に泳ぎまわっていた。
「結構深く潜れるのね、ペンギンって・・・」
「こいつらは小型だけど、大型のエンペラーペンギンなんか最高時速25キロメートル、1,700フィートも潜れるんだ。凄いだろ?」
「1,700?凄いわ」
その建物をそのまま奥に進むと、寒い地域で暮らす中型や、大型のペンギンがいるというので、彼等は薄暗い廊下を歩き始めた。やがて地下の広場に出ると、ガラスの壁の向こうに、それぞれの種類によって区切られたペンギン達の住処が見えてきた。
「ほら、あれがジェンツーペンギン。ペンギンの中で一番早く泳げるんだ。それからあっちがキングペンギン。エンペラーペンギンの次に大きい奴。そしてあの赤い目で人相の悪い奴がイワトビペンギン。性格もちょっと攻撃的なんだよ」
冷たい氷の岩の中で立ったり寝転んだりしているペンギンを見ながら、ジュードが説明をしてくれた。“もっと詳しく”と求めれば、彼等の生息地域から属名まで説明してくれそうだ。ジュードはペンギン博士みたいだとシェランは思った。
「そしてあれがエンペラーペンギン。オレの一番好きな奴」
ジュードは指差すと、シェランを彼等の住処の前に連れて来た。
「ペンギンの中で一番大きいんだぜ。マイナス60度の極寒の吹雪の中でじっと立っている姿って凄くカッコいいんだ。彼等はアプテノディテス属という属名で、意味は『翼の無い潜水者』と言うんだよ」
シェランはじっと目の前で微動だにせず前を向いて立っている体長1メートル20センチもある大きなペンギンを見つめた。さっきのイワトビペンギンほど極悪面では無いが、やはり『皇帝』という名が付いているだけあって態度が大きいように見えた。
― いわゆるふてぶてしいって奴かしら。おまけに鳥のくせに1,700フィートも潜れるなんて・・・。ムム・・・、生意気だわ ―
嬉しそうにエンペラーペンギンを見ているジュードの横で、シェランは自分より深く潜れる『翼の無い潜水者』にライバル心を燃やしていた。
「シェラン、ほら見てごらん。あそこに居るペンギンの足元」
ジュードの指差す方向には親鳥のおなかの皮に隠れるようにして頭が黒で顔は白、体色が灰色の小さな雛が入っているのが見えた。
「可愛い!あれ子供?」
「うん。雛の内はああやって親鳥の足の上に乗って育つんだ。エンペラーペンギンの雛は一番可愛いんだぜ。キングペンギンの雛なんか、まっ茶色で鋭い顔してるからなあ」
シェランはもう一度エンペラーペンギンを見た。そう言われてみればさっき見たキングペンギンは何故かみんな胸を張って偉そうだったが、エンペラーペンギンの方はボーっと立っているだけのようにも見える。良く見れば首の辺りのイエローの模様もキュートだ。
― うん。やっぱり可愛いわね。ジュードが一番好きなんだもの。何でも一番ってのは良い事だわ。それに何処と無く気品もあるし・・・ -
女心はころころ変わって大変だが、ジュードはただじっと立つ、その堂々とした姿を見ていた。彼等の愛らしい姿は人々を癒してくれるが、ジュードは彼等の生き方が好きだった。
「シェラン、知ってる?ペンギンは一生、一夫一婦制を守り抜くんだ。彼等は子育てが終わると再び海に戻って別々に暮らすんだけど、又繁殖期を迎えると、数百キロの距離を歩いたり、ドボガン滑り(腹ばいになってフリッパーで氷をかきながら進む事)をしたりして、大陸内部に戻ってくる。その時オスは確実に去年と同じパートナーを探し出すんだよ」
「どうやって探すの?みんな一緒に見えないのかしら」
「一羽一羽、泣き声が違うんだって。彼等は一生の相手を見つけた時に何度も鳴き合って相手の声を覚えるんだ。これを求愛と呼ぶ人も居るけど、凄いよね。どんなに離れていても大切な相手の声を忘れたりしない。必ず見つけ出すんだ。ほら、どのカップルもファミリーもずっと寄り添って仲が良さそうだろ?」
シェランはもう一度彼等のルッカリー(集団営巣地)を見た。さっきはただ立っているだけに見えたが、確かに一羽一羽ちゃんとパートナーと寄り添っている。シェランは優しい瞳でじっと彼等を見ているジュードを見上げた。
彼はどうなんだろう。遠く離れてしまっても覚えていてくれるのだろうか。SLS訓練所で過ごした3年間を。そして、私の事を・・・。
シェランが何も言わずにじっと自分を見つめている事に気付いて、ジュードは彼女に笑いかけた。
「どうかした?疲れたのか?」
「う、ううん。そんな事ないわ」
シェランが首を振った時、タッチングの開始を知らせるアナウンスが流れた。彼等は顔を輝かせて頷き合うと、急いで野外プールのある場所へ戻っていった。
タッチングはプールの奥にある広場の中央で行なわれた。まずフンボルトペンギン達がその広場まで行進をしてやってくる。その道沿いにも沢山の人々が立ち並んで、彼等が歩いてくる様子を見ながら拍手や歓声を上げていた。
シェランはタッチングをする為に並んでいる親子連れの列に並びながら、フリッパー(飛べない羽)を広げてヨチヨチと歩いてくるペンギンの群れを見つめた。
「見て!凄く可愛いわ!」
シェランは周りの子供達と同じように瞳を輝かせて興奮しながらジュードの袖口を掴んで叫んだ。
10人余りの子供達の後、やっとジュートとシェランの番がまわってきた。
「後ろからそっと掴んで、抱いてくださいね」
女性の係員に言われ、シェランは恐る恐る手を出した。フンボルトペンギンは4~5Kgしかないので、簡単に持ち上げる事が出来る。顔をほころばせながら膝の上でじっとしているペンギンを見た後ジュードを見ると、彼もとても嬉しそうに笑い返した。
「ジュード、分かった?羽毛よ、羽毛。やっぱりペンギンって鳥なのね!」
帰る道すがら、興奮気味にシェランはしゃべった。
「うん。フリッパーに触ったけど、結構硬かったなぁ」
「え?フリッパーに触ったの?私も触ればよかった」
こういう場所に付き物なのが出口の前のみやげ物売り場で、ペンギンの姿を描いたステッカーやキーホルダーが所狭しと並んでいた。特に人気なのがぬいぐるみのコーナーで、沢山の子供達がそれ等を抱き上げては両親におねだりをしていた。
シェランもエンペラーペンギンのぬいぐるみを見つけると、駆け寄って行って嬉しそうに抱き上げた。
「見て!ジュード。エンペラーペンギンよ!ちょっと小さいけど・・・。わあ!子供のぬいぐるみもある。どっちにしようかしら!」
買う気なんだ・・・。
ジュードは両手でぬいぐるみを抱えて楽しそうに笑っているシェランを呆然と見た。彼女のこんな姿をとてもではないが他の訓練生には見せられない。鬼教官で通っているのに・・・。
ダウンタウンで行った雑貨屋で分かったが、どうやら彼女はフリルとレースの世界が好きなようだ。だからぬいぐるみが好きでもおかしくは無いだろうが、それにしては部屋はシンプルだったような・・・。
ふと彼女の部屋を思い出してジュードは思わず赤くなったが、それを打ち消すように咳払いをした後、レジに行った。そして精算を済ませるとシェランの所に大きな袋を持って来て「二つとも持って帰っていいよ」と言った。
「買ってくれたの?」
「うん。気に入ってたみたいだから」
「駄目よ。ここの入場料だって払ってくれたのに。それにジュード、お金ないはずよ。シカゴに行ってからずっとバイトしてないでしょ?」
さすが教官は良く分かっていらっしゃる・・・。
ジュードは自分の財布の中身をシェランに知られているようで、きまりが悪かった。
「大丈夫だよ。明日からシェランの所に行って勉強した後、毎日バイトに行く事になってるから。あっ、でもちゃんとトレーニングは毎朝欠かさずにやってるぜ。ランニングとか、鉄塔の昇り降りとか・・・」
シェランは驚いたように彼の顔を見上げた。
「もしかして、長期の休みの間はいつもトレーニングをしてるの?」
「だって暇だろ?みんな居ないしさ。SLSはジムも完備されてるしプールもあるから、午前中はずっと身体を動かして、午後からは図書館で借りた本を読んだり、海に潜りに行ったりってとこかなぁ・・・」
道理で休み明けは他の生徒より成績がいいはずである。いくらバイトで夜遅くなるといっても、あの堅物のロビー・フロストが寮の鍵を彼にだけ渡しているのはどうしてだろうと思っていたが、きっとロビーは休暇中も彼が毎日訓練を欠かさずにやっているのを知っているのだ。そしてそういった努力が積み重なれば、彼はさらに力を伸ばしていくだろう。
私もちょっと気合を入れて訓練しないと、その内なまってジュードに追い抜かされるかも・・・。 2羽のぬいぐるみを抱きしめてシェランは思った。
車を止めてある駐車場へ向かいながら「夕食のリクエストは?」とジュードが聞くので「安くておいしい所」と答えた。「財布の中身に気を遣われると、エスコートしている身としては辛いんだけど」と彼が言うので「じゃあ、普通くらいのお店」と言い直した。
マイアミビーチに戻るとシェランの知っている店ばかりだろうと考えたジュードはマイアミから少し北上した所にある港の見渡せるダイニングバーにシェランを連れて来た。しかし『キック・レイン・オブ・ベイサイド』という店の前に立ったシェランの顔を見てジュードはしまったと思った。
「ここもネルソンお薦めの店?」
「いや、あいつの言う事はたまに当てにならないから、ここは3年の機動の先輩のお薦め。本部隊員が時々来るって聞いたけど、もしかして来た事あった?」
「レイモンド達と、何度か・・・」
「チェッ、又失敗かぁ」
頭をかいたジュードにシェランは笑いかけた。
「でももう何年も来てないし、久しぶりで懐かしいわ。ジュードが嫌じゃなかったら入らない?」
もちろん嫌なはずなどない。ジュードは微笑んでシェランの為にドアを開けた。
店は誰でも気軽に入れるカジュアルな雰囲気で、店内のあちこちに天井からテレビモニターが吊り下げられている。こういったモニターは大抵NBA(バスケット)、NLF(アイスホッケー)、NFL(フットボール)などの試合を中継しているものだが、今日は何もやってないのか、マリンスポーツを楽しむ人々の映像が流れていた。
席はピークの時間帯ではないのかまだ空いていて、2,3組のカップルがいるくらいだ。カウンターでグラスを磨いていたマスターがシェランを見てびっくりしたように叫んだ。
「カーナル・オブ・ザ・フィッシュ!久しぶりだなぁ!」
店の客が一斉にシェランの方を振り向いたが、彼女は気に留めることも無くマスターに笑いかけた。
「久しぶり、マスター。元気そうね。レイ達は来ている?」
「ええ。月に一度位は来られてますよ。あなたが居なくなってから、本部は男ばっかりで灯が消えたようだって寂しがってたなぁ」
シェランはにっこり微笑むとジュードを紹介した。もちろん友人として・・・。
「本部のAチームは、大抵あそこの角に座っているの。すぐ上のモニターで良くNBAを見ながら飲んでいたわ」
シェランが指差した席はカウンターから少し離れた角だったが、誰も居なかったので彼等はその一番端の席に座った。
店員の青年が新しい客にいつ呼ばれてもいいように、カウンターの外に出てからマスターに問いかけた。
「カーナル・オブ・ザ・フィッシュって、あの・・・?」
「ああ、お前はここに来てまだ3ヶ月だから会った事が無いんだな。そう。ダイバーの神様、アルフォート・ミューラーの娘さ。彼女自身も伝説の潜水士って呼ばれてる」
「知ってますよ。マイアミじゃ有名ですからね。でも、どう見ても普通の女の子にしか見えないなぁ・・・」
メニューを見ながら楽しそうに話をしているシェランを横目で見ると、マスターは片目を閉じてニヤリと笑った。
「当たり前だろ。好きな男の前じゃ、どんな女も普通の可愛い女の子さ」
軽い飲み物とシェランが推薦する料理をいくつか注文した後、ジュードは後ろを振り向いてガラス越しに外の風景を眺めた。
「ここは特等席だな。マイアミの夜景が良く見える・・・」
「レイはああ見えても結構お店にはうるさいの。味も良くないと駄目だし、勿論席も一等席じゃないとね。彼はこの特等席は自分のだと決めちゃって、いつもジュードが今座っている席に座っていたわ」
シェランがとても懐かしそうにレイモンドの話をするので、ジュードは今まで心の中でわだかまっていた事がつい口をついて出てしまった。
「シェランは本部隊員時代、レイモンドと付き合っていたのか?」
シェランのびっくりした顔を見て、ジュードは自分の失言を後悔した。
「ご、ごめん。立ち入った事を聞いて・・・」
だがシェランは急に噴出すと、おかしそうに笑い始めた。
「ジュードったら。私が18歳で入隊した時、レイはもう41歳よ。とっくに結婚して子供も2人居たはずだわ。私とレイが・・・あははっ、信じられない!パパの年と変わらないのに。あははははっ・・・」
目の前で大笑いしているシェランを見て、ジュードは何だか恥ずかしくなってきた。妻帯者でしかもその時41歳という事は、今46歳?そんなにいってたのか、彼は・・・。
キャシーの奴、絶対知ってたに違いない。何が新たなライバル出現だよ!本当にAチームの奴等は、みんなしてオレをからかって遊んでいるんだから!
ジュードがムッとした顔で考え込んでいると、店員がテーブルに置いたグラスを持ってシェランが彼の顔を覗きこんだ。
「どうしたの?ジュート。ドリンクが来たわよ。アルコールは入ってないけど、乾杯しましょ?」
グラスを合わせると澄んだ音が辺りに響いて、まるで2人を包み込んだようにジュードは思った。ウォーターキャンドルの灯りが揺れるたび、ジュードの心も少しずつ揺れ動いている。もう後1年と8ヶ月。その間に何回、彼女とこんな時間が持てるんだろう。
優しく灯るろうそくの炎の向こうで、楽しそうに笑うシェランの顔と明るい声を、例えどんなに遠く離れても決して忘れないだろうとジュードは思った。
シェランが自分の愛車を家の車庫に入れたのは、もう月が高く上がって砂浜を青白く染め上げている時間だった。車庫から自宅に入る事も出来たが、シェランはジュードが自転車を止めてある玄関先まで一緒に歩いてきて、彼に買ってもらった大きなぬいぐるみの入った袋をドアの前に置いた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ」
「オレも・・・ありがとう。鞄。えっと・・・本当に楽しかった?」
不器用に問いかける彼にシェランは笑いながら頷いた後、目を伏せた。
「パパとママが居なくなってから、誰かにプレゼントを選ぶ事もなくて・・・。だから今日は本当に楽しかったわ」
ジュードはシェランが自分の物を買う以上に真剣に鞄を見ていたのを思い出した。それであんなに一生懸命選んでくれたのだ。
少し冷たい夜風がシェランの髪を後ろにさらいながら通り過ぎると、彼女の左耳のピアスが月の光を浴びてキラキラと輝いた。こうやって今朝と同じようにここに立っていると、クリスがこれ見よがしにシェランの頬に口付けを残していった事を思い出してしまう。
あの人はいいよな。何をやったってサマになるんだから。きっとシェランの横に並んでいても・・・。
シェランはジュードが黙っているので居心地が悪かったのか、彼に別れを告げて背中を向けた。
「シェラン・・・!」
ジュードはとっさにシェランの右腕を掴むと自分の方へ引き寄せた。びっくりしたように振り返ったシェランの髪がジュードの右の頬に触れた後、彼女の左の頬にさらさらと落ちていった。
シェランの怯えたように開かれた目を見て、ジュードは激しく後悔した。
― 何をやってるんだ?オレは。クリスみたいに出来るはずも無いのに・・・! ―
「明日、又来るから・・・。そしたら、勉強教えてくれるよな・・・」
「え、ええ。勿論よ。ジュード」
戸惑ったように笑ったシェランの頬を、まるで何かを拭い取るように親指ですっと撫でた後、ジュードは自転車に飛び乗った。
「お休み!シェラン・・・!」
緩やかな坂を上って彼の姿が見えなくなると、シェランは左の頬に手を当てたまま呟いた。
「おやすみなさい。ジュード・・・・」
ジュードいわく“オレのベッドの2倍以上ある”シェランのベッドは、勿論特別に注文して作らせたもので、彼女が10歳になった時の両親からのプレゼントだった。シェランは山のように横に並んだ枕の前にペンギン親子のぬいぐるみを置くと、夜着に着替えてベッドにもぐりこんだ。
小さな愛らしい子供ペンギンのぬいぐるみを持つと、今日生まれて初めて触れた本物のペンギンの感触を思い出す。
「可愛かったな・・・」
今日一日にあったいろいろな出来事が頭に浮かんでくると、シェランは幸福に浸ることが出来た。それにしても気になるのはさっきのジュードの行動だ。
「何だったのかしら・・・。あれは・・・」
ジュードは時々訳の分からない行動をする。他の男の子達の行動は何となく先が読めるのだが、ジュードの事は今ひとつ良く分からなかった。だからジュードがクリスにやきもちを焼いて彼の口付けの跡を拭い取った事など、シェランは気付くはずも無かったのだ。
「虫でも付いていたのかしら・・・。それとも汚れていた?まさか・・・!」
シェランは恥ずかしさの余り真っ赤になって、子供ペンギンを抱きしめ、もう一羽の親ペンギンのおなかの下に顔を沈めた。
「どうして私って最後の最後にいつもこうなの?」
ジュードはきっと口では言えないので黙って取ってくれたのだ。でもどうせ取るなら、もっと早く取ってくれなきゃ。それともそんなに目立たない汚れだったのかしら・・・。 とにかく過ぎた事を悩んでいても仕方がない。
「明日から気を付ければいいんだわ・・・」
シェランは呟くと、そのまま浅い眠りからゆっくりと深い眠りに落ちていった。ソーグラスミルズで彼と2人で聞いた太鼓の音が遠くから響いてくるような気がした。
炎のように激しく、水のように豊かな音・・・・。
「又聞きたいな。ジュードと・・・一緒に・・・・」