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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第9部 夏の国に降る雪 【4】

 ― シカゴ 12月16日 ―



 日が沈んで益々冷たい風が辺りを吹き抜けていく中、2人の男はじっと立って互いを見つめていた。マックスは以前自分が命の恩人にした仕打ちを忘れてしまったように、泣きながらランディの手を握り締めたかった。だがきっと彼は忘れてはいないだろう。


「あんたが辛い目に遭って、おかしくなったまま行方不明になったって聞いたから・・・だから俺、戻って来たんだ。あんたがそんなに弱い男だなんて信じられなかったから。どうしても会って確かめたかった。やっぱり狂ってなんかいなかったんだろう?ランディ」


 離れた場所でじっと立ってうつむいているマックスの側に彼はゆっくりと歩いて来た。


「戻ってきた?一体今まで何処に居たんだ?マックス」


 マックスはまるでずっと会えなかった実の兄に会えたような気がした。言いたい事が一杯あるのに、言葉が詰まって出てこなかった。その代わりに涙だけが熱く込み上げてくるのだった。


 マックスはやっとランディの手を両手で握り締めると、涙と共に落ちてくる鼻水をすすりながら、絞り出すような声で言った。


「あんたは迷惑かもしれないけど・・・探してたんだ。ずっと、ずっと会いたかった」

「マックス・・・」


 ランディは彼の肩を抱き締めると、まるで兄が弟を慰めるように、その背中を優しく叩いた。





 帰りが遅いのを心配していた家族や友人達は、マックスが命の恩人を連れて帰って来た事に驚き、歓喜した。丁度マックスの父も仕事から帰ってきたので、家族全員と、ジュード、ショーンにランディを紹介した後、マックスは何日も風呂に入っていなかった彼にシャワーを勧めた。


 髭を剃ってサッパリしたランディを含めて10人になったアレン家は、にぎやかな夕食を始めた。マックスの隣で穏やかに笑っているランディを見て、ショーンがジュードに耳打ちした。


「デンゼル・ワシントンみたいだな。マックスが自慢するだけあって、カッコイイよ」


 ジュードもそう思った。家族を全て失って、自分ひとりだけ取り残されて、本当に気が狂うほど辛かっただろう。だが今の彼はそれを少しずつ乗り越えようとしているように見えた。


 


 マックスはランディに聞きたい事が山ほどあったが、家族の前では話しにくいだろうと思い、自分の事から話し出した。


 フロリダに行ってSLSに入隊しようと思った事。最初はうまく馴染めなかったが、今はすっかり仲良くなった仲間の事。彼等のおかげで炎に対する恐怖を克服できた事。


 そしてジュードが炎上する船に自分の為に飛び込んで行った時、彼の背中がランディの背中とダブって見えたことを話すと、ジュードは真っ赤になって「こんなカッコイイ人と一緒にしたら迷惑だろ?」と首を振った。


「俺はちっとも格好良くなんかないよ、ジュード。実際ついさっきまで浮浪者だったんだから・・・」

「それは何か目的があったからでしょう?」


 ジュードは何気なく言ったが、他の者はハッとしたようにランディの顔を見つめた。戸惑ったような顔をしたランディと、黙り込んだ家族を見てジュードは「あれ?オレ何か変な事言った?」と聞いた。


 ランディはフッと笑いながら「君は不思議な男だね。マックスが変わったのが分かる気がする」と答えた。




 食事の後、ジュード達は、マックスの部屋でランディの話を聞く事が出来た。


 ランディは最初この家に来た時、マックスには何も語らずにすぐ立ち去るつもりでいたが、話をする内、協調性の無かったマックスが沢山の仲間に支えられて自分の役目を担っている事や、何よりジュードやショーンが純粋に友と、彼の恩人である男の為にフロリダからシカゴまでやって来たと知って、彼等を信じる事にしたのだ。



 ランディは最初、何から話していいか分からずマックスのベッドの端に腰を下ろし、床に座り込んで自分を見上げているジュード達を見つめていたが、やがてゆっくりと話し始めた。


「警察の話では、1階の真ん中の部屋・・・長男のレックスの部屋から出火していたらしい。出火の原因は花火もしくは爆竹のような物らしいが、そんな物を俺やジェシカが子供部屋に置くはずはない。警察は子供が持ち込んだと言うんだ。そんな事、絶対に有り得ない。あの子が家の中でそんな危険な物を持ち込んで遊ぶなんて考えられない。そんな事をするなんて、絶対に無いんだ!」



 今まで一度も声を荒げた事の無いランディの憤りに、マックスは何も言えず黙り込んだ。だがマックスも3年間、消防士をやって来て火災現場は見慣れている。ランディの家を実際に見に行ったのも、その信憑性を確かめようと思ったからだ。


 殆ど原型を留めないほど焼き尽くされた家具や柱・・・。火が一気に広がった証拠だ。だがもしガソリンや灯油が撒かれていたら、警察が気付かないはずはなかった。


「あなたの子供が持ち込んだのでは無いとすれば、他に火を持ち込んだ人間がいる事になる。あなたはそれを探していたんですね」


 ランディはジュードの瞳を見つめると、静かに答えた。


「ああ、その通りだよ。ジュード」

「じゃあ、狂ったふりをしていたのは・・・」


「警察はこちらの過失と判断したし、この上俺が狂い出して行方不明にでもなれば、犯人にとっては思う壺だろう?俺は狂った振りをして町をさまよいながら、この3ヶ月間ずっと探していたんだ。殺してやりたいほど俺を恨んでいる人間を・・・」


「恨んでいるってどうして分かるんですか?」


 ショーンが口を挟んだが、確かにジュードにもマックスにも彼を恨んでいる人間がいるとは信じられなかった。


 ランディは同じファイヤー・ファイターだけでなく、シカゴの市民にとっても英雄である。マックスが一度だけ受けた市民栄誉賞も、彼は何度も受賞しているし、防災センターの番組やCM等にも出演している有名人であった。


 彼の穏やかな性格とファイヤー・ファイターとしての資質は彼を知る誰もが愛していたし、信頼していた。


「あんたを恨んでいる奴がいるなんて、俺には信じられないけどな」


 だがランディは腰をかがめてマックスに顔を近付けると、目を細めた。


「光がある所には必ず影が出来る。俺達がレスキューとして生きる限り、それは避けられない事なんだ」


 ゾッとするような言葉だった。これからレスキューのプロになろうとしているジュード達には何故人を助けて恨まれるのか分からなかった。


「助けられた人間はいい。だが助けられなかった人は?マックス。2人の内、どちらか1人しか助けられないと分かっている時、何を優先する?」


「・・・要救助者の年齢。それと性別かな・・・」

マックスは少し考えながら答えた。


「では同じ年の子供だったら?どちらも女の子だったら?」


マックスは思わず頭を抱え込んだ。彼には思い当たる記憶があったのだ。





 丁度今頃の季節だった。マックスがファイヤー・ファイターを辞める事になる少し前、シカゴの中心街にある小学校が火事になった。子供達の昼食を用意していた厨房が火元だったが、少量のガスが漏れていたのに気付かず、火をつけた瞬間爆発し、あっという間に火は学校全体を飲み込んだ。


 1階から2階にかけての生徒は全員脱出できたが、3階の一部と4階以上の生徒は殆ど逃げ遅れた。窓の側に居た生徒達は2台のはしご車によって次々と救出されていったが、校舎の奥で聖歌隊の練習をしていた20人余りの子供達が取り残されてしまったのだ。


 聖歌隊の指導をしていた若い女性教師が子供達を引き連れ途中まで逃げてきたが、煙に撒かれて下の階には下りられなかった。息苦しそうに口を押さえてしゃがみこむ子供を見て、彼女はどんな事をしても子供達だけは助けたいと思った。


 彼女は上着を頭からかぶるように言うと、果敢にも生徒を両脇に抱えて燃え盛る階段を駆け降りた。階下に下りた子供には非常口に向かって走るように指示すると、再び階段を駆け上がり、又子供を抱えて炎の中に飛び込んで行った。


何度もそれを繰り返す内、彼女の全身は火に焼かれ、意識も朦朧となってきた。


― あと、2人・・・・ ―


 女性教師が戻って来た時、既に2人の少女は気を失っていた。


「しっかりするのよ。必ず助けるから」


 子供を抱えて何度も階段を昇り降りした為、腕も足もしびれて感覚を失っていたが、それでも彼女は2人の少女を抱えて後ろを振り向いた。しかし彼女が一歩階段を下りた途端、足元から地面の感触が消え去った。とうとう階段が崩れ落ちたのである。


― もうダメだ・・・ ―


 そう思った瞬間、彼女の右腕を誰かが掴んでいた。何度かテレビで見た事のある顔だ。そういえば学校の防災訓練の時にも来ていた消防隊員だった。


「ランディ・マクレーン・・・?」


 一瞬助かったと思ったが、その時反対側の腕の中に居た少女が居ない事に気が付いた。


「あの子は?ジーナ・・・」


 下の方を見ると、ジーナが3階と4階の間にある踊り場に落ち、気を失ったまま倒れているのが見えた。


「あの子を助けて。お願い!」

「気持ちは分かるがここからじゃムリだ。下に居るレスキュー隊に任せるしかない。そっちの子供を放すなよ。今引き上げる」


 ランディに引き上げられた女性教諭は、それでも彼の腕を掴んで必死に頼んだ。


「お願い、ジーナを助けて。あなたは英雄でしょう?」


「俺は英雄なんかじゃない。ただのレスキュー隊員だ。だから何を優先すべきかを判断しなきゃならない。あんたはこの助かった子の命まで落とさせたいのか?」


 もはや歩く事も出来なくなっていた彼女と気を失ったままの少女を抱えて、ランディははしご車のいる窓まで走った。


「ジーナァァァッ!」




 女性教諭の血を吐くような叫び声が、今もランディの耳に残っている。しかも少女の方は助かったが、彼女は病院に運ばれた後、全身に負った火傷から帰らぬ人となってしまった。


 聖歌隊の指揮をしていたその女性教諭の名前は、マリア・スタングレイ。22歳でまだ独身だったが、年が明けたら結婚する予定だったと後から新聞で彼女の悲劇が報じられた。子供を抱えて何度も炎の中に飛び込んだその人は、正に聖女であり、聖母マリアだったのだ。


 そして階段の下に取り残されたジーナの名も死者の中に連ねられた。彼女はまだ10歳だった。



 ジーナの最後の話を聞いた母親のネラが、彼女の遺体の前で泣きながらランディに詰め寄っていたのをマックスは覚えている。


「何であの子を見殺しにした。あの子が黒人だからだろう。あんたは同じ黒人なのに白人だけを助けたんだ!」


 ネラに胸倉を捕まれ揺さぶられても、されるがままになっているランディを見かねて、仲間のジョナサンが彼等の間に割って入った。


「奥さん、やめてください。ランディは白人だからとか黒人だからとかで人を助けた事は無い。こいつは・・・」


 だがランディはジョナサンの手を握って首を振った。

「ジョン、いいんだ、いいんだ・・・」


 あの時“人殺し”と呼ばれながらも、じっと彼女のやりたいようにさせていたランディを見て、マックスはバカな奴だと思った。どうして何も言い返さないんだ?知らん顔して帰ってしまえばいいじゃないか。あんたはやれるだけの事はやったんだろ?


 そんなマックスも校庭に累々と並べられた少年や少女の遺体を見ると、言葉を失くしてしまった。





「4ヶ月前、俺の家が火事になった次の日、ジーナの母親はシカゴ郊外の小さな病院に行っている。全身のあちこちに火傷を負っていたそうだ。病院に直接行って看護士に話を聞いたが、まるで火事にでもあったようだと言っていた」


 ランディの言葉にマックスは信じられない面持ちで立ち上がった。


「まさかあの母親がやったってのか?あの女はあの時あんたを充分侮辱したんだぞ。その上謝罪しろって言うのか!」


 ランディは責任も無いのにネラの気持ちを察して黙って耐えていたのだ。それなのに未だに恨んでいたなんて・・・。


「そんなの完全な逆恨みじゃないか。理不尽だ!」


 正義感の強いショーンも立ち上がって叫んだ。だがジュードは1人うつむいたまま、まるで遠い昔を思い出すように呟いた。


「誰かを恨まなければ生きていけない人間もいる。それがどんなに理不尽だと分かっていても・・・。それでランディ。あなたはどうするつもりなんですか?真実を突き止めて、その母親をどうしたいんですか?」


 ランディは膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めた。最初の頃はもし犯人が見つかったら、この手でひねり殺してやろうと思っていた。何十件もある彼の関わった火災現場で身内を失った人間をたった1人で探す事が出来たのも、その憎しみという原動力があったからだ。



 だが毎夜凍り付いたビルの谷間に身を沈めながら冷たい夜空を見上げる度、彼の目に蘇るのは楽しそうに笑いかける家族の姿だった。そしてその時溢れ出て来るのは悲しみの涙だけではなく、彼等が与えてくれる暖かな優しい思い出だった。



 犯人に復讐して自分の思いは果たせるかもしれない。だが、目の前に居る妻や子供達は牢獄の中の自分に笑いかけてくれるだろうか。いや、彼等は決して喜ばない。俺の手が血で穢れるのを、この優しい人たちが望んでいるはずはないのだ。



 やっとそう思えるようになった時、彼は街の片隅に設けられた訪ね人の掲示板に自分の名と顔写真が載ったポスターを見つけた。以前、ファイヤー・ファイターの仲間と一緒にミシガン湖に行った時に撮った写真の切抜きだった。


 もう随分前に仲間や仕事を捨ててこの町を出て行った男の名をその中に見つけた時、彼は焼け落ちた自分の家に戻ってきた。あいつは必ずここに来るはずだと思ったからだった。




「俺は自分の手で復讐をするつもりは無い。だがもし彼女が犯人なら、法の裁きは受けてもらいたい。ファイヤー・ファイターの妻や子供として、彼等はいつだって火に対して細心の注意を怠った事は無かった。そんな彼等の汚名を注いでやりたいんだ」


 ジュードはホッとしたように肩を下ろした。もし彼が犯人を殺してやりたいと思っているのなら ―実際にそう思っても仕方の無い事だろうが― 例えどんな理由があっても協力は出来ないと思ったからだ。


「オレ達も協力します。犯人を必ず見つけて、あなたの家族の汚名を返上させましょう」





 ランディがマックスの家に来た次の日、その日は朝からもっと冷え込んだ。彼等は4人そろってカチンカチンに凍りついた道を歩いて、ネラが治療を受けた病院に辿り着いた。医者に彼女の診断書を出してくれるように頼んだが、個人情報だと断られた。だがもし裁判で証言する時が来れば、喜んで出ましょうと言ってくれた。


 4人で手分けして調べた結果、火事のあった夜、ランディの家の周辺でジーナの母に似た人物を見たという証言も得る事が出来た。そうして少しずつ証拠を集め、ネラに突きつけて自首を促そうと話し合って決めたのだった。





 ― シカゴ 12月23日 ―



 イブを明日に迎え、街は本番さながらのムードであった。中心街を走るメインロードの両側に植えられた全ての木々は華やかにライトアップされ、まるで昼間のように明るく道を照らし出していた。


 その輝く道を着飾った人々が楽しげに通り過ぎていく。あちこちの店から流れ出てくる音楽は、何度聴いてもクリスマスの気分を盛り上げてくれた。


 そんな華やかなメインストリートの音楽を遠くに聞きながら、ジュード達は暗い裏通りを抜けてジーナの母親が住んでいるアパートの近くまで来ていた。


 クリスマスも、これからやって来る新しい年も、この辺りに住んでいる住人には関係ないのだろうか、明るい笑い声の聞こえる窓は何処にも無かった。



 彼等は今日、ジーナの母親に会いにきたのだ。まずランディとジュードが彼女の部屋を訪れる事になっていた。


 証拠という証拠は集まらなかったが、できればネラの方から罪を告白してもらいたかった。そうすればもし彼女が逃走した時に備えて、部屋の外で待機しているマックスとショーンが警察に付き添って行くという計画を立てていた。


「ああ、そこのアパートだ。3階の・・・」


 ランディが指差したアパートを見上げると、一番奥の部屋に灯りが付いていた。ネラはジーナを亡くしてから1人で暮らしているので確実に家に居るだろう。


「じゃあ、計画通りに・・・」

 

 ジュードがマックスとショーンを振り返って言った時、細い路地の暗がりの中からエンジン音を響かせて何かがやって来るのがわかった。甲高く響き渡る音からバイクだと分かったが、そのヘッドライトが何故か真っ直ぐこちらに向かって来たのだ。


「危ない!」


 ジュードはとっさに目の前に居たマックスとショーンの両腕を掴んで走ったが、自分の後ろに居たランディまでは気が回らなかった。しかもそのバイクは取り残された彼に向かって一直線に突っ込んで来たのだ。


「ランディ!」


 全員の叫び声と共にランディの身体は道路の端に飛ばされ、うつぶせに倒れた。バイクは一旦止まった後Uターンし、2度アクセルを空吹かしすると再びランディに向かって走り出した。


 残りの3人は側にあった大きなゴミ箱を抱えると、バイク目がけて投げつけた。男はとっさにバイクを傾けてゴミ箱を交わすと、そのまま反対方向に逃げて行った。


― 一体、何者だ・・・? ―


 疑問はあったが、ランディの腕や足に数箇所の怪我をしている事が分かったので、今日はネラの家に行くのを中止した。





 マックスとジュードに両脇を抱えられてランディが帰って来たので、アレン家は大騒ぎになった。カレンは「大丈夫です。奥さん」とランディが言うのも聞かずに、治療の終わった彼をベッドに寝かしつけた。子供を5人も生み育てている母にとっては、ランディもまだ子供のようなものなのだろう。


 ジュードとショーンは再びマックスの部屋で、さっきの男の正体について話し合った。


「まさかとは思うけど、ネラって事は・・・」

ショーンが口火を切った。


「以前会った時、ネラは太ったおばさんだったぜ」

「それにどう見ても男だったぞ」


 マックスの意見をジュードが補足した。


「ネラは犯人じゃないのかな」

「でもネラが事件の次の日、体中に火傷を負って病院に行ったのは間違いないし・・・」


「じゃあ、ネラが誰か人を雇ってランディを狙わせたとか?」

いかにもお坊ちゃんらしいショーンの意見にマックスは首を振った。


「言っては何だが、あの辺りは特に貧しい人間が集まっている場所だ。ネラにそんな金があるとはとても思えないな」


 暫く3人で考え込んでいたが、ジュードが沈黙を破った。


「あのバイクの男が誰なのか、ランディにも分からないんだからオレ達には見当も付かない。だがオレ達が証拠を持ってネラに自首を勧めに行った途端、あいつは襲って来た。まるでオレ達をネラに会わせたくない様じゃないか。つまりその男は小学校が火事になった時の関係者だって事だ」


「もう一度その関係者全員を調べてみるか?」


 ジュードはカレンが入れてくれたココアを一口飲むと、ニヤッと笑ってマックスを見た。


「そんな暇は無い。明日はイブだぞ・・・という事で、分かっているよな、マックス」

「へ?何が・・・?」





 暗く寂しい裏通りにあるネラの住む部屋は、たった一人の家族を失ってから、ただの一度も笑い声が聞こえる事は無かった。部屋中に飾られた母と娘の写真はもう二度と増える事は無かった。


 このうすら寒い部屋を少しでも温かくしようと、ネラはジーナの為に暖色系の毛織物を沢山買いこんでソファーやテーブル、カーテンにまでそれを使った。だがそれも、彼女の笑い声が消えたあの日から、ネラの心を暖めてはくれなくなった。




 ネラはじっとその毛織物の重なり合ったソファーに腰掛け、震える手で受話器を持ちながら、この零下の夜を連れてくるような男の声を聞いていた。4ヶ月前に見た恐ろしい光景がその男の声と共に蘇ってくるのだ。


「もうやめておくれ。あの男は全てを失ったんだ。家族も仕事も・・・。もう充分じゃないか」

「充分?あいつは今日、お前の所に行こうとしていたんだぞ。4ヶ月前の犯人を追い詰める為にな。いいのか?」


「あんたはあたしの口から自分の名前が出るのが怖いだけだろう。あたしはあの晩、何もしてないんだ!」


 ネラは髪を振り乱しながら首を振った。


「良く言うぜ。あいつの家族を焼き殺して俺達と同じ思いを味あわせてやろうと言った時、お前も喜んで賛成したじゃないか」


「喜んでなんか・・・」


 ネラはすぐ側のテーブルに飾られたジーナの写真を見つめて目をそらした。マクレーンの亡くなった子供の内2人は、そのジーナより年下だった。


「あの場所に居ただけでお前も同罪なんだぞ。いいか。あのランディ・マクレーンが生きている限り、俺達の復讐は終わらないんだ」


 男が電話を切った後も、ネラは受話器を握り締めて電話の向こうから響いてくる電子音を呆然と聞いていた。


― 復讐?何の為の復讐なのだ?彼を殺したってもうジーナは戻って来ないのに・・・ ―



 ジーナが死んでから暫くの事は何も覚えていなかった。あの子の笑い声が聞こえなくなったこの部屋で、まるで屍のように生きていた。ジーナを見殺しにしたあの男が憎くて憎くて、ジーナの写真を抱きしめながら何度もあの男の家まで行った。


 あの男が子供に囲まれて幸せそうにしているのを見るたび、このまま殴り込んで行って、あの男の目の前で子供をなぶり殺しにしてやりたいとまで思った。


 だがあの夜、しんしんと雪の降る中、あの男の家の前で見張りをしながら、なぜか身体が震えてくるのを覚えた。ポケットからそっと取り出したジーナの写真を見ると、まるであの子が「ママ、やめて」と叫んでいるように思った。自分が何をしようとしているのかを思い出し、我に返った。


― 彼を止めなければ。こんな事は間違っている ―


 急いで家に入って行ったが、既に遅かった。彼が子供部屋に放った火は、あっという間に乾燥していた家中に広がり、ネラは自分が逃げ出すのがやっとだった。そしてニュースでマクレーン家の悲劇が報じられ、ランディ・マクレーンは気が狂った後、行方不明になったのだ。


 ネラはジーンの写真を抱きしめると、さめざめと泣き始めた。もう何をどうしていいのか分からなかったのである。




 イブの夜になった。ランディは再び暗い裏通りを抜け、ネラの元へ向かっていた。たった一人で・・・。


 寒さのせいか、いつもより深く帽子を被り、ポケットに手袋をはめた手を更に突っ込み、背中を丸めながらゆっくりと一歩一歩を踏み出した。やがてネラのアパートが見えてきた。昨日と同じように窓から光が漏れている。昨日襲われた場所に差し掛かった彼は、ごくっと唾を飲み込んだ。

 

 甲高いエンジン音が後ろから響いてくるのに気付いた彼はポケットから手を取り出した後、目を見開いて後ろを振り返った。


― 来る・・・! ―


 ランディが身構えた時、そのバイクのライトの前に誰かが立ち塞がった。


「もうやめておくれ!」

 

 叫びながらネラは両手を広げて目を閉じた。


― もういい。これでいいんだ・・・ ―


「危ない!」


 ランディは走り出すと彼女の肩を抱えて道路の端まで転がった。


「くそっ、2人共殺してやる!」


 男は鋭く叫ぶと、昨日と同じ場所でバイクを反転させ、再び彼等の方に向かって来た。その瞬間、両側のビルの間からバイクを目がけて2本の鉄パイプが飛んできて前後のタイヤの間に挟まり、男のバイクは彼を乗せたまま勢いあまって倒れこんだ。


「ナイスだ!ルアン、ラッド!」


 ジュードはショーンと共に飛び出すと、道路に投げ出された男を両側から押さえ込んだ。


 やっとその場に辿り着いたランディは、ネラを抱えて、道路の端に倒れたままの男の傍に駆け寄った。


「大丈夫か、しっかりしろ!」


 ネラは自分を助け起こしたのがランディだと分かると、驚いたようにもう一人のランディの顔を見た。


「マクレーンが2人?」

「マックス・アレンだ」


 マックスは深くかぶった帽子を取ると、ランディに似せる為に、ペンキのようなもので真っ黒に塗り上げた顔を上げてニヤリと笑った。



 ジュードとショーンに押さえつけられた男は「放せ!」と叫びながらまだ暴れまわっていたが、後からやって来たルアンとラッドにも周りを囲まれて観念したように力を落とした。


 ルアンがうつむいた男からヘルメットを取ると、そばまでやって来たランディは呆然として彼を見つめた。


「君は・・・まさか・・・」

「ランディ、知っているのか?」


 その男は20代後半の男で、地面にねじ伏せられたまま恨みのこもった目でランディを見ていた。


「覚えていたか。マリアの葬式で会ったよなぁ」

「マリア?マリア・スタングレイ・・・?」


 子供を守って死んだ女性教師の名前を聞いて、マックスは驚いたように男の顔を見た。


「婚約者だよ。デュラン、言ってやったらどうなんだい?全部俺がやったんだってね」

 ネラが彼の前に立って叫んだ。


「婚約者って・・・ランディはマリアを助けたんだぞ」


 マックスは何故彼がそこまでランディを憎むのか分からなかった。


「助けた?全身に火傷を負って苦しみながら死んでいったのに?最後の最後までジーナを見捨てたお前を呪いながら死んだんだ。お前はジーナだけでなく、マリアも救わなかったんじゃないか!」


 ランディは呆然と立ったまま、彼の言葉を聞いていた。俺を呪いながら死んでいった?あの人が・・・?


「そんな・・・人じゃない。マリアは自分はいいからジーナを助けてくれと言ったんだ。彼女が誰かを呪いながら死んでいくなんて・・・そんな事はありえない。あの人はそんな人じゃない」


「お前に何が分かるんだ!」


 デュランは自分を抑えている手を振り払うと、立ち上がってランディに向かっていった。


「家族に囲まれて幸せそうに暮らしていたお前に何が分かる。焼けただれた手で俺の手を握り締めながら3日間も苦しみぬいて死んだんだぞ。俺の目の前で。もう手の施しようが無いって見捨てられながら・・・。どんなに悔しかったか分かるか?なのにお前は・・・」


「オレの親父だって目の前で死んだよ!」


 ジュードはたまらなくなって叫ぶとランディの胸倉を掴んだ彼の手を引き離し、デュランに顔を近付けた。


「嵐の海でオレを助けて死んだんだ。目の前で波に浚われていくのを、オレはただ見ているだけしか出来なかった。余りにも幼すぎて・・・。一体何を恨めって言うんだ?親父を浚っていった海か?もっと早く助けに来てくれたら助かったのにって海難救助隊を恨むのか?」


 ジュードはデュランの手をまるで投げ捨てるように放した。


「違うだろう!憎むべきは力の無い自分だ。目の前で大切な人の命が失われていくのに、何も出来なかった自分自身だ。あんたはそれを認めたくないから、目の前で苦しみながら死んでいく人を守りきれなかった自分が赦せないから、それをランディのせいにして逃げているだけだろう!」


 デュランは力を失ったように地面に膝を付いた。目の前でだんだん弱って行く彼女を見つめながら、何故こんな事になったんだと頭の中で何度も繰り返した。自分がその場に居たら真っ先に彼女を助けに行ったのに。何故あの男はこんなになるまでこの人を助けてくれなかったんだ?


 最後の最後に彼女は俺の手を握り締めながら泣いていた。


「ごめんね。一緒に生きていくって約束したのに・・・。守れなくてごめんね・・・」


 誰も恨んでなんかいなかった。あの人はただ俺にごめんねと謝っていた。静かに閉じられた瞳は二度と開く事は無かった。


 どうして守れなかった?たった一人の大切な人だったのに・・・。


 違う。あの男がこの人を見殺しにしたんだ。そう思わなければ生きていけなかった。あの英雄気取りのランディ・マクレーンにいつか復讐してやる。それだけの為に生きてきた。


 デュランはどうしようもない思いを地面にぶつけた。


「くそっ、くそぉっ!」


 彼の拳からいくら血が流れても、失われた命はもう誰も戻っては来ないのだ。


「自分の愛する人の命を誰かの肩に科せるんじゃない。それはオレやあんたが、一生自分の背中に背負っていかなきゃならない物なんだ」


 ジュードの最後の言葉に、デュランは全ての力を失ってしまったようにその場に泣き崩れた。ショーンがジュードの名を呼びながら彼の肩に手を置いた時、彼等の身を案じてランディが呼んでいたパトカーのサイレンが遠くから鳴り響いてきた。




 デュランは警察官に両脇を抱えられるようにしてパトカーに乗せられ、ネラもランディに頭を下げると、全てを打ち明ける為に別のパトカーに乗り込んだ。一度死を覚悟した彼女が、何か憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔をしていたのが印象的だった。


 ランディは自分に黙ってマックスが囮になったことを怒っているようだった。彼は何も知らずに家で足止めされていたのだが、足止め役をしているケイトとリーザの様子がどうもおかしいのでマックス達の事を訪ねてみると、三兄弟とジュードとショーンが何やら妙な姿で出て行ったというので、慌てて追いかけてきたのだ。


「全く、俺の身代わりをするなんて、無茶をするにも程があるぞ」


 帰りの道すがら、ランディはマックスに向かって言った。


「まあ、いいじゃないか。おかげで犯人も捕まったしさ。これでランディもファイヤー・ファイターに戻れるぜ」

「俺は・・・・」


 ランディは首を振ると寂しそうに笑った。


「3ヶ月以上も勝手をしたんだ。今更レスキュー隊に戻るなんて出来ないだろうな。それに俺は・・・もう、人を助ける事に意義を見出せない気がする」


 ジュードとショーンはハッとしてランディを見つめた。この事件で彼はどれ程のものを失い、傷ついたのだろうか。人を助けて憎まれるという事実がある事をジュードとショーンは初めて知ったのだった。


 しかしそんなランディの腕を掴んでマックスは叫んだ。


「何言ってるんだ。それじゃあ、あんたが今までやって来た事は全部無駄だったって言うのか?この街の人々があんたの事を大好きなのは、あんたが命がけで彼等を守って来たからじゃないか。そんな事を言ったら、ジェシカも子供達もきっとがっかりするぞ!」


 マックスはどうしてもランディにもう一度炎の中を駆け抜けて欲しかった。いや、一度だけでなく、これから先もずっとファイヤー・ファイターとして生きて欲しかった。


「あんたは俺の英雄なんだ。あんたがこの街で炎と戦っているから、俺も荒れ狂う海と戦えるんだ。あんたが俺達の前を走らなきゃあ、俺は誰の背中を追って行ったらいいんだ?」


「・・・お前は・・・相変わらず勝手な奴だな・・・・」


 目頭に涙を浮かべながら、ランディがマックスの頭を片腕で抱きしめるのを見て、ジュードとショーンはホッとしたように微笑み合った。






 次の日、ジュード達は再び巨大なオヘヤ空港に来ていた。ジュードはマイアミに、ショーンは実家のあるロサンゼルスに帰るのだ。何とか25日に間に合ったのでショーンのママも納得してくれるだろう。


 マックスの両親は家の玄関まで見送ってくれ、マックスと4人の弟妹は、飛行場まで見送りに来てくれた。勿論ランディも一緒である。


 相変わらずひっきりなしに離着陸を繰り返す飛行機の音を聞きながら、ジュードはショーンと握手を交わしているランディを見つめた。


 彼の為にも早く事件を解決して心置きなくクリスマスを迎えて欲しいと思ったが、彼にとっては辛いだけのクリスマスに違いない。家族を失って初めて1人で過ごすクリスマス・・・。


 例え犯人が捕まっても、彼の気持ちが晴れる事は無いのだ。


 ショーンと挨拶を終えたランディがジュードの名を呼んで彼を抱きしめた後「ありがとう」と言ったが、ジュードは彼の辛い気持ちが伝わってくるようで、素直に笑えなかった。


「あの、オレ達じゃ頼りないかもしれないけど、もし何かあったらオレ達の事を思い出して下さい。又マックスと一緒に来ますから・・・」


 ランディは微笑むとジュードの肩に手を置いた。10歳以上も年下の青年が、ほんの1週間前に知り合ったばかりの自分の事を、こんなにも気にかけてくれているのだ。


「ジュード。君の美徳は人の心を思いやる気持ちを持っている事だ。君は言ってくれたね。愛する人の命を背負って一生、生きていくんだと。俺もそうなれるように・・・彼等の死を他人のせいにして逃げないように・・・君のように強く生きていけるよう頑張るよ」


 そう言って微笑んだランディの顔は、昨日までの彼とは少し違って見えた。辛い過去を抱きしめながらも、彼は前に向かって歩き始めたのである。


 ジュードとショーンが彼等に別れを告げて手を振った時、リーザがさっと走り出してショーンの頬にキスをした。


「ショーン、また来てね。私、待っているから」

「うん」


 ショーンはリーザに笑い掛けると、ジュードと共に去って行った。彼等の姿が遠くなっても、まだ手を振っている妹にケイトは目を細めた。


「あんた、本当にショーンが好きだったんだ。私はジュードの方がタイプだけどなぁ。すごく純情そうじゃない?」


「うーん、ジュードも悪くないけどぉ、ショーンの家ってビバリーヒルズにあるんですって。レオナルド・ディカプリオのご近所だそうよ。住んでみたいと思わない?」


「ステキ!じゃあショーンと結婚したら、私とジュードを招待してね。素敵なロケーションで絶対彼を落として見せるわ」


「ええ、でもその前に妖精のようなレイティアちゃんを味方に付けなきゃね」

「そおよ。妹ってね、時には彼のママより手強いのよ」


 ランディが笑いながら「君の妹達はしっかりしているなぁ。じゃあ、将来はウェイン婦人とマクゴナガル婦人だね」と言ったので、ケイトとリーザは嬉しそうに微笑んだが、マックスたち三兄弟はあきれて物も言えず黙ってうつむいていた。





 ― マイアミ 12月25日 ―



 シェランは朝から機嫌が悪かった。一昨日戻ってきてから何処にも行かずに待っているのに、ジュードは戻らないどころか連絡もして来ないのだ。


「今日は25日よ!クリスマスよ!何よ、ジュードったら約束したくせに。25日には戻るって・・・!」


 シェランは清掃業者が掃除をしているにも関わらず、朝から家中の掃除を始めていた。イライラする時は身体を動かしているに限る。


 1階が終了すると2階へ行った。2階は1階の半分の広さしかないが、それでもシャワールーム付きの大きな客間が5つと1階よりは小さいがリビングとキッチンもある。


 そこも終えると、シェランは2階の残りの部分全てを占めるサンデッキへ出た。丘の上に建つこの家のサンデッキからは大西洋やマイアミの町が一望できた。



 昔は良くここで父が運営していたアトランティック・シー・クラブの仲間達とバーベキュー等をしたものだが、両親が亡くなってからこの広いデッキに立つのは、時折星を眺めに来るシェランだけになってしまった。


 彼女は暑い日差しの照りつける中、デッキの隅から隅まで掃除し終えると、潮風がさわやかに吹き付ける白い手すりにもたれ掛かり、穏やかに波打つ海を睦めながら溜息を漏らした。


「パパ、ママ。私、ちょっと変かなぁ・・・・」




 シェランは家の中に戻ると今度は拭き掃除を始めた。ピカピカに磨かれている大理石の床だけに飽き足らず、家具という家具、電化製品や階段に至るまで拭き上げた。それが終わると洗車、家の壁まで磨き始め、全てが終わる頃、外は真っ暗になり、シェランはへとへとになっていた。


 今日彼女が椅子に座ったのは、朝、昼、晩の食事の時だけだった。それでも身体を動かしていたのは、余計な事を考えないで済むように、そして、ジュードへの怒りを発散させる為だった。


「さすがに疲れちゃった・・・」


 シェランは重い足を引きずって、昼間徹底的に掃除した2階のサンデッキに上がって来た。ガラスのドアを開けると、ひときわ美しい夜空が彼女を出迎えてくれた。


「今夜も星が綺麗・・・・」


 いつも海を眺めるお気に入りの場所には彼女専用に椅子があったが、シェランはそれには座らずに朝と同じように手すりにもたれ掛かると、何の光も見えない海を見つめた。少し冷たくなった夜風が頬を撫でると、何だか泣きたいような気持ちになってきた。


 こんな事になるんだったらメリーアン達の誘いを受ければ良かった。そうしたらつまらない誤解を彼女達にされる事も無かったし、こんな風に1人で惨めなクリスマスを送る事も無かったのに・・・。


 シェランは後悔しながら更に考えた。


 大体どうして私はこんなに彼を待っているのかしら?今日がダメでも明日戻って来てくれればいいじゃない。


 何度もそう思うのに、やっぱり約束を守って欲しかった。心のどこかで彼の事を信じていたかった。この何日間か、ずっとジュードの事を考えている自分はやっぱりおかしいと思う。彼がクリスマスには戻ると言ってくれたのが、どうしてあんなに嬉しかったのだろう。


「ジュード・・・」


 彼の名を呟くと悔しくて涙が出そうになるが、教官たる者こんな事で泣いてはいけないと唇を噛み締め空を見上げた。遠く高く、飛行機の飛ぶ音が聞こえる。暗くて姿は見えないが、きっとこの上空を飛んでいるのだろう。


「ジュード、今何処に居るの?私との約束・・・思い出す暇も無い?」


 シェランが空を見上げて呟くと、沢山の星がきらめきながら舞い降りてくるような気がした。いや、実際に降ってきた。冷たい氷の結晶となって。


「何?これ。・・・まさか雪?うそ・・・」


 信じられない面持ちで周りを見回した。だが、確かに雪だ。テレビで何度もこんな風に舞い降りてくるのを見た事がある雪だ。常夏の国で生まれ育ったシェランにとって、生まれて初めて見る本物の雪だった。


「どうして?こんなに暖かいのに・・・」


 シェランが冷たい感触を手の平に感じながらふと下を見ると、誰かが庭に立って彼女を見上げていた。


「メリー・クリスマス、シェラン。これはチームのみんなからのプレゼント。気に入った?」


 ジュードはにっこり微笑むと1階の屋根部分しかない緊急避難用のはしごに飛びつき、軽々とシェランの居るサンデッキに登ってきた。シェランはその様子をただびっくりしたように見つめていた。



 今日はもう戻ってこないと思っていたジュードが目の前に居る。それもこんな幻想的な夏の国に降る雪の中で・・・。


 まるで夢を見ているようにシェランは彼を見つめた。


「これって、プレゼントなの?」


「うん。こんな常夏の国でも雪の降るクリスマスを味わいたいという贅沢者の為に、ホワイト・クリスマス・サービスって言うのがあってね。ちゃんと本物の雪をアラスカから運んできて、それを降らせてくれるんだって」


 ああ、さっきの飛行機の音はこれだったのか・・・。


 シェランはまだ遠くに聞こえる微かなエンジン音を聞きながら思った。


「シカゴの空港に降りた時、雪が降っていたんだ。凄く綺麗でさ。シェランにも見せてあげたいなぁって・・・」


 ジュードの言葉にシェランは思わず涙が溢れそうになってうつむいた。彼はちゃんと約束を覚えていたのだ。そしてその言葉通り戻って来た。こんな素敵なプレゼントを持って。


「え・・・と、それから・・・」


 ジュードはズボンのポケットから、ピンク色のリボンが付いた小さな小箱を取り出すと、シェランに手渡した。


「これはオレからのプレゼント。そんなに良い物じゃないけど」


 少し恥ずかしそうなジュードの顔に笑い掛けると、シェランは箱を開いた。中には銀色のケースがあり、その中には同じ銀色の小さなカサブランカの花のピアスが入っていた。その花の中には、更に小さな宝石がいくつも埋め込まれていて、手元で揺らすとキラキラと輝いた。


「ちょっと訓練校でするには派手かなと思ったけど、シェラン、髪の毛が随分伸びたし、その位じゃないと見えないと思って。それにカサブランカが好きだって以前言っていたから」


 シェランは本当に嬉しそうに微笑むと、すぐにそれを耳に付け、片方の髪を掻き揚げて彼に見せた。


「似合う?」

「うん」


 本当に良く似合っている。シカゴの町でこれを見つけた時、これだと思いすぐに店に飛び込んで買ってしまった。


 何しろ手持ちの金が200ドルだけだったので、母へのカシミアのひざ掛けは、ウールのひざ掛けに変わってしまったのだが、寒いシカゴに行ったおかげで母へのプレゼントも買えたし、送る事が出来た。きっと昨日か今日あたり、オレゴンの実家に着いているだろう。



 シェランは今までぐずぐず考え込んでいたのを全て忘れてしまったかのように両手を広げると、初めて体験する雪を体中に感じながら、デッキの上を小走りに駆けたり、スカートの裾を翻しながらくるくる回ったりして楽しそうに笑った。


「ありがとう、ジュード。こんな素敵なクリスマス・プレゼント、初めてよ!」


 シェランは嬉しそうにジュードの方に走り寄って来たが、急に足を絡ませ手前に倒れこんだ。


「きゃっ!」


 ジュードが慌てて受け止めたので、何とか地面に激突するする事は免れたが、シェランは物凄く恥ずかしかった。きっと昼間の疲れのせいだ。


「ご、ごめんなさい、ジュード・・・私、あの・・・」


 シェランは赤くなりながら離れようとしたが、彼の腕が背中に回って身体を抱きしめるのを感じて急に鼓動が高鳴った。


「ジュ、ジュード?」

「寒くない?シェラン」


 頬から彼の体温を感じると、ドキドキして声を発する事も出来なくて、ただ頭を何度も振って頷いた。

 

ジュードはシェランを抱きしめていた腕を緩めると、彼女の手を取った。


「また踊ってくれる?復習しておかないとステップを忘れそうだ」


 その学生らしい言葉にホッとしたように、シェランはジュードを見上げて微笑んだ。

 

 ゆっくりと降り注ぐ雪がシェランの髪に薄く積もり、月の光を受けてキラキラと輝くたび、まるでベールみたいだなぁ、とジュードは思うのであった。



 








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