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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第9部 夏の国に降る雪 【2】

 ― ニューオリンズ 12月1日 ―



 マイアミから飛行機で約2時間。ニューオリンズのルイ・アームストロング空港に降り立ったエバとキャシーは、ターミナルから出ているバスに乗って市の中心街までやって来た。


 2年ぶりの故郷が懐かしいのか、キャシーはバスの中からまるでバスガイドのようにエバに町を紹介した。キャシーの実家は都心から少し離れた住宅街にあるので、そこから更に違うバスに乗り換え、半日がかりで彼等はキャシーの実家に到着した。


 バスを降りて暫く歩くと、淡い黄色の壁と茶色の屋根の家が見えてきた。


「あれが私の家よ」


 キャシーは指差した後、思わず立ち止まって家の入り口を見つめた。2年前別れたきり一度も会うことの無かった父が、家の前に立って彼女を待っていたのだ。


「パパ!」


 懐かしさと嬉しさで泣きながら走って来た娘を抱きしめると、父は長い間苦労をかけた事を心の底から詫びた。


 もう大丈夫。これでやっとキャシーは幸せになれる。エバがもらい泣きをしながら彼等の元に歩いていくと、キャシーはエバにも抱きついた。


「良かったね、キャシー」

「うん。ありがとう、エバ・・・」


 その後キャシーが父のヘルマン・リプスをエバに紹介した。そして彼女はやっと懐かしの我が家に入ったのである。




 次の日の朝早くから彼女達は揃って街の中心街へ出かけていった。観光都市として有名なニューオリンズを見ていかない手は無い。ジャズの発祥の地として有名だが、元フランスやスペインに支配されていたという歴史もあって、ヨーロッパの香りがする不思議な町であった。



「ニューオリンズに来たら、まずケイジャン料理を食べなきゃね」


 キャシーに伴われてフレンチクォーター(植民地時代にフランス人やスペイン人が暮らしていた旧市街地。フランス語の標識があちこちに残っている)の有名なオイスター・バーに行った。




 ケイジャン料理とはルイジアナ州の代表的な料理である。元々はこの辺りに移り住んでいたフランス人達のことを指したが、現在では彼等が好んで食べた、スパイスの効いた独特の風味のある料理(ワニ、ザリガニ、ナマズなどを用いた料理もある)全般を指すようになった。



 キャシーはとりあえずエバが好きそうな人気のあるケイジャン料理を頼んでいき、あっという間にテーブルはそれらで一杯になった。スープの中にライスやオクラの入ったシーフードガンボ。オイスター(牡蠣)に粉チーズをかけてオーブンで焼いたフライドオイスター。シュリンプエトフィーユという海老のスパイス炒め・・・。


 特にエバが喜んだのはテーブルのすぐ側でバナナをブラウンシュガーとバターでソテーするケイジャン料理のデザートの定番、バナナフォスターだ。バナナに山盛りのブラウンシュガーをかけフランベすると、炎が高く舞い上がる。それを見てエバは「思わず消防艇で水をかけたくなっちゃうわね!」と楽しそうに笑った。


 勿論それらに加えて、オイスター・オン・ザ・シェル(生牡蠣)を食べる事を忘れてはならない。街のあちこちに点在するオイスター・バーはこの為にあるのだ。


サッパリとした味のオイスターに激辛のタバスコソースをかけて食べる。オイスターが喉を通る時のするっとした感触と後に残る辛味がくせになる味だ。彼女達は2人で合計32匹も食べた。





 おなかが満腹になると、次は観光である。フレンチクォーターのメインストリート、バーボンストリートはミュージシャンや大道芸人があちこちに居て、バーボンというその名の通り、行き交う人々の多くがアルコールを持っている。


ナイト&デイ(夜も昼も)で音楽と人で溢れかえっている、いつでもお祭り気分の愉快な通りだ。



 エバはSLSに入ってから酒を飲んだ男達に2回も絡まれて、ジュードや他のチームメイトに迷惑をかけてしまったという経験があった為、女の子2人で歩くのを少々怖がったが、ここは常に沢山の人が居るので妙な事に巻き込まれる心配は無いようだ。


 とはいえ、余り遅くなるとヘルマンが心配するし、キャシーは久しぶりに父と友人に手料理を振舞うつもりでいた。彼等はこれもまた有名なフレンチ・マーケット(200年以上の歴史を持つ食料品の激安市場)に寄って、新鮮な魚と野菜などを買って帰宅することにした。




 帰りのバスの中でもキャシーは窓の外を通り過ぎていく景色を見ながら、エバに街のガイドを始めた。


「明日はミシシッピ・リバーに行こうね。デキシーランドジャズを聴きながら遊覧できる船があるの。あっ、それからガーデン・ディストリクトもはずせないわね。凄くおしゃれな家が一杯並んでいてきれいなの。


それに今のシーズンはニューオリンズ・スタイルと言って、あちこちで有名なシェフがデモンストレーションをしていたり、大かがり火が炊かれたり、ストリートでポピュラーやゴスペルが響き渡っていたり、それはもうとっても素敵なのよ!」


 初めて故郷を訪れた親友に自分の町を見てもらいたいのか、キャシーは早口でまくし立てた。


「でもせっかくパパと仲直りできたんだし、2人で水入らずのクリスマスの方がいいんじゃない?」


 エバはキャシーに遠慮するように言った。


「そんな事、エバが実家に戻ってからいくらでも出来る・・・あっ、大変!シェラン教官へクリスマスプレゼントを買わなくっちゃ。だったらロイヤルストリートね。素敵なアンティークショップが一杯あるの。あの素晴らしい屋敷に似合うものがきっと見つかるわ!」


 目を輝かせて語る親友を見て、エバは“これは当分家には帰れそうもないわね”と苦笑いした。






 ― シカゴ 12月16日 ―


 アメリカ南部の暖かいニューオリンズと違い、シカゴはこの冬初めて零下17度を記録した。この辺りでは長期で家を留守にする時も決して空調を切る事は無い。でないと帰って来た時、凍り付いた家に入れず大変な事になってしまうからだ。



 その日の朝、ジュードはベッドから出て、白く曇った窓ガラスの向こうの景色を見て「あっ」と叫んだ。昨晩から降っていたのだろうか、家の周りにうっすらと雪が積もっていた。ルアン、ラッドそしてケイトは既に起きていて、そんなに量のない雪を集めては雪だるまを作ったり雪を掛け合ったりして楽しそうに遊んでいた。


 いつもならそんな風景を見ると自分も参加しようと部屋を飛び出していくジュードだが、今朝はとてもそんな気分にはなれなかった。行方不明になっていたランディが、この寒さのせいで行き倒れになり凍死したかも知れないのだ。


 

 ジュードは小さく溜息を付くと着替えをして1階に下りて行った。キッチンではマックスの母のカレンが9人分の朝食を作るのに追われていた。早起きのショーンとリーザが手伝っている。ジュードも手伝おうとしたが、どうにも気分が乗らず、カレンに朝の挨拶をして席に着いた。


「良く眠れなかったみたいだな」


 ショーンがキッチンから顔を出して聞いた。


「ああ。何だか嫌な夢ばかり見た気がする。マックスは?」

「あいつも良く眠れなかったんじゃないかな。リーザ、一番上の兄ちゃんを起こしてきてくれないか?」


 リーザはにっこり笑って「うん、いいわよ」と答えると、2階への階段を駆け上がって行った。どうやらショーンはすっかり一番下の妹と仲良くなったらしい。


「可愛い妹だな」

「だろ?まっ、僕のレイティアには負けるけどね。何たって彼女は妖精だから」


レイティアとは勿論ショーンの溺愛する妹の名である。



 リーザに起こされた・・・というより、殆ど寝ていなかったような顔でマックスは階下に下りて来た。彼の目の下に出来たくまを見てジュードとショーンは予感が的中したと顔を見合わせたが、とりあえず食欲が無いという彼を励まして朝食を取らせた。





 「今日は特別寒いわよ」と言ってカレンが貸してくれた襟元に毛皮の付いた皮のコートは17歳のラッドの物だったが、ジュードとショーンにはかなり大きかった。それでもコートの下に山のようにセーターを着込んでいるショーンには丁度いいようだ。それから更にニットの帽子を被る。そうしなければ耳が痛くなるほどなのだ。



 この辺りの人々は雪に慣れているのか、道路を走る車の量は殆ど変わらなかった。車が通るたびザリザリと音がするのは、スタッドレスタイヤのせいだろう。その為シカゴの道路は削られて雪の無いシーズンに道路を走ると、かなりのでこぼこ道で車が揺れるらしい。彼等は騒々しい音を立てながら自家用車やトラックの走る大通りを抜け、都心に向かうバス停に向かった。




 シカゴには世界一とか全米一とか呼ばれるものが沢山ある。ジュート達がやって来たオヘヤ空港も然り、北米最大のコンベンションセンター(展示場、会議場、劇場ホールなどで構成される多目的施設)であるマコーミック・プレイスコンプレックス。同じくシカゴ・オートショー(自動車展示会)そしてシカゴの交通網である。


 こんな雪の中でもきちんとバスや電車が動いている事にジュード達は感謝した。この寒さの中、バス停でバスを待ち続けると、彼等の方が凍死してしまいそうだったからだ。


 シカゴ警察はバス停からすぐの所にあった。あちこちにツララの下がった石造りの建物の前に立ったマックスは、まるで歩くのを忘れてしまった様にじっと立ち止まった。


― 兄貴を頼むよ、ジュード。あいつ意外と意気地なしでさ。立ち直りも遅いんだ ―

家を出る時にルアンがジュードに耳打ちした言葉である。


― さすが、弟は良く分かってる・・・ ―


 ジュードはマックスの横顔を見上げると彼の背中を押した。


「マックス、行こう。もしランディだったら、ちゃんと引き取って家族にも知らせやらないといけないだろ?」


 ランディの親兄弟はフィラデルフィラの方に住んでいるので、まだ彼が行方不明になったのを知らない可能性があった。マックスは頷くと、凍り付いた石の階段を登り始めた。



 玄関で受付をした後、すぐに3階にある遺体安置室に向かった。案内の男性が開いたドアの向こうを見て、ショーンはこれほど気味の悪い場所に来たのは初めてだと思った。映画やドラマで見た事のあるシーンだが、本物の死体が、褪せたような緑色のビニールカバーを掛けられて横たわっている中を歩かなければならないなんて、ホラーハウスより迫力があった。


 ショーンは思わず“俺は外で待つよ”と言いかけたが、マックスの顔を見ると、とても言い出せなかった。案内してくれた男性は検死官だろうか、死体に掛けてあるのと同じ、緑色の制服を着ていた。彼はゆっくりと靴音を立てながら進んで行くと、ある遺体の前に立ち止まって「彼です」と言った。



 マックスは震える手でそのカバーを掴んだが、どうしてもめくる事が出来なかった。ジュードが彼の手を押さえて「オレがやるよ」と言うと、ゆっくりとカバーをめくり始めた。


 しかしショーンはその男の髪の毛がチラッと見えただけで、とても耐えられず目を閉じた。暫く何の物音もしないので恐る恐る目を開けてみると、隣でマックスが目頭を押さえて泣いていた。


「マ、マックス・・・まさか・・・」

「違う。ランディじゃない・・・」


ホッと肩を落とすと、ジュードはカバーを元に戻した。



 死体の前で“良かったな”とは言えないので、彼等は無言のまま警察署を出てきた後、やっと微笑み合った。


「さあ、寒いけど頑張ろうぜ。今日はランディの旧友の家を回るんだろ?」

「ああ!」

彼等は白い吐息を吐きながら、今度は駅に向かって歩き始めた。






 ― Windy City ― 風の町と呼ばれるこのシカゴに吹き付ける季節風になびいているのは、2週間以上前にジュード達が貼り付けたポスターだった。山のように貼り付けられた尋ね人の他のポスターを隠したりしないよう、遠慮がちに下の方に貼られていたが、赤や黄色の凝った装飾が人目を引くのだろう、一人の男がじっとそのポスターを見つめてビルの谷間を吹き抜ける風の中に立っていた。


 薄汚れたナイロン製のコートはいかにも寒そうに見えたが、彼は更にその下にも分厚いコートを羽織っていた。どこかで拾ってきたかのような糸のほつれたニットの帽子の下の目は、ポスターの下へと動いていった。そして伸ばし放題の無精髭に覆われた顔を歪めると、彼はぼそっと呟いた。


「マックス・アレン・・・?」





 ランディの足跡を探してジュード達はシカゴ中を歩き回った。彼は元々フィラデルフィアに住んでいたので、シカゴにはファイヤー・ファイターの友人が殆どだった。それでもランディの応援していたNLFアメリカン・フットボールのベアーズを通して知り合いになったファン仲間や、ジャズの好きだった彼の行きつけの店などで、仲良くしていた友人を聞いて、その家を訪ね歩いた。


 だがみんなランディとは暫く会っていないと言うだけで、手がかりになるような事は誰も語ってくれなかった。





 日が落ちると更に冷え込むので、マックスはジュードとショーンを家に帰らせることにした。彼はランディの家に行ってみようと思っていたのだ。彼の妻と3人の子供が炎の中に消えたあの家に・・・・。


 ジュードが付いて行こうかと言ってくれたが、1人でいいと答えた。ショーンは生まれて初めて、死体置き場などに連れて行かれて参っているようだし、これ以上彼等に悲惨な物は見せたくなかったのだ。


 


 マックスは凍り付いた誰も通る人の無い道を、白い息を吐きながらひたすら歩いた。


― 行ってどうなるものじゃない ―


 そうは思うものの、行かずにはいられなかった。いや、行かなければならないのだ。ランディがその目で見た光景を、自分の目にも焼き付けておく為に・・・。



 冷たい空気のせいで喉が息苦しさを感じてきた頃、やっとランディの家の近くまでやって来た。閑静な住宅街の中で、そこだけ世界が変わってしまったように見える。黒く焼け落ちた柱。家の中の物も跡形も無く燃え尽き、形を変えたその悲しい焼け跡を慰めるかのように、白い雪が静かに横たわっていた。



 以前、一度だけ仲間と共にこの家を訪れた事がある。あの頃はまだ子供は2人で、妻の名はジェシカと言った。美人で明るい女性だった。


 息を切らしながら家の前まで来たマックスは、やっとそこに人が立っている事に気が付いた。上から下まで真っ黒な衣服を着ていたので、焼け焦げた柱と見間違えていたのだ。自分の吐く白い息に包まれながら、マックスはまるで泣いている様なかすれた声でその男の名を呼んだ。


「ラン・・・ディ・・・?」

 彼はマックスが来るのを知っていたかのようにゆっくり振り向くと、その疲れたような顔を彼に向けた。

「やっぱりお前だったか・・・。マックス・・・」

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