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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第9部 夏の国に降る雪 【1】

 今回は南部のルイジアナ州ニューオリンズと、北米の一大都市イリノイ州シカゴに行った気分で読んでくださいね。

 ― マイアミ 11月29日 ―


 クリスマス休暇を2日後に控えた日曜日、ジュードは機動のメンバーとマイアミのダウンタウンに出かける事にした。実家へ帰る時のクリスマスプレゼントを買う為だ。ジュードは居残りなのだが、母へ送るクリスマスプレゼントの分くらいは金を残してある。しかし、200ドルでカシミアのひざ掛け(ジュードにはどうにもこれしか思いつかなかった)が買えるかどうかは分からなかったが・・・。


 噂を聞きつけて、サムとレクターもやって来た。彼等はいかにもフロリダらしいプレゼントがいいので、アメリカの何処にでもあるデューティ・フリー・ショッパーズという土産物専門店に行く事にした。ここはタックス・フリー(無税)の店なので、外国人観光客でいつも賑わっている所だ。


 しかし格好付けのマックスはフロリダ土産など持って帰るのは嫌なので、近くのベイサイドを回りたいと言った。ジュードも土産物店にはカシミアのひざ掛けが見当たらなかったので(フロリダでカシミアのひざ掛けを買う観光客はまずいないので当然と言えば当然だが)正午にベイサイドのカフェで落ち合うことにして、マックスと2人でそちらを回る事にした。


 だがベイサイド中の店を渡り歩いたが、ジュードの目標とする物は見つからなかった。両手に山のように両親や弟妹(マックスには弟と妹が2人ずつ居る)への土産物を抱えたマックスが、手ぶらでウロウロしているジュードに言った。


「大体お前、この常夏の国でカシミアのひざ掛けは無理があるぞ?」

「そうだよな。でもオレゴンの冬は厳しいんだ。オレの家はアストリアだから特に上の方だし・・・」




 結局何も見つからないまま、12時になってしまったので、彼等は待ち合わせ場所のフォーストーン・カフェにやって来た。ここは勿論情報通のネルソンお薦めの店で、とにかく量が多くて何でも安いというのが売りらしい。


 彼の言う通りバーガーを注文したらクッションみたいなパンの中に、山のようにハンバーグやトマト、ピクルスの詰め込まれた巨大なハンバーガーが登場した。


「凄い、これで5ドル20セントだって!」

「こっちのポテトも凄いぞ。ジャガイモ10個分はあるんじゃないか?」


 食欲旺盛なライフセーバーの卵達にはありがたい店であったが、それは観光客にも言えるらしい。あちこちから聞き慣れない国の言葉が飛び交っていた。


「所でジュード。お前、手ぶらだけど、教官へのプレゼントは買ったのか?」

サムが巨大なホットドックを頬張りながら聞いてきた。


「教官って、シェランに?何で?」

「何でって、2年になったらリーダーは、チームを代表して教官にクリスマスプレゼントを渡さなきゃいけないんだぜ」

「ええっ?」


 びっくりしてジュードは隣のショーンを見た。


「え?って、知らなかったのか?サミーとジーンはとっくに買ったって言ってたのに」


 ジュードは嘘だろ?と思いつつ、周りの仲間を見回した。つい昨日サミーと会って話をしたが、彼からは何も聞いてなかったのだ。第一サミーがクリスにプレゼントを渡しているのは絵になるが、あの体格のいいジーンが、之もまたごつい体つきのロビーにプレゼントを渡す姿は想像の域を超えている。



 ジュードは又みんなで自分をからかっているのかと思ったが、仲間達は一様に眉をひそめながら「お前、先輩から聞いてないのか?有名な話だぞ」とか「全く信じられないよな、うちのリーダーは」とまで言われると、どうやら口裏を合わせているのでは無いようだ。


「ごめん、聞いてなかった。え・・と、何を買ったらいいのかな」

「そんなの、大佐の好きな物に決まっている」

「そうだ。いつも教官の一番近くに居るリーダーだからこそって物があるだろう」


― リーダーだからこそ? ―


 ジュードにはサッパリ思いつかなかった。それにシェランの好きな物さえ殆ど知らなかった。目の前にある好物のフライドチキンに手も付けられず、頭を抱えて考え始めたジュードを見て、仲間達はニヤッと笑い合った。


 既にサミーとジーンには口裏を合わせるように手を回してある。(サミーはすぐに協力してくれると言ったが、ジーンは食券20枚でやっと承知してくれた)


― せいぜい必死に考えて、素敵なクリスマスを教官と過ごせよ ―


 クリスマス休暇の間、彼等はすぐ近くに居るのに会うことも無いのだろうと気を利かした仲間達の温情であったが、金も女性にプレゼントを贈ったことも無いジュードには、大きな苦悩の始まりであった。




「マックス、マックスじゃないのか?」


 苦悶しているジュードを見ながらニヤついていたマックスは、突然声をかけられて驚いたように手に持っていたジュースをテーブルに置いた。マックスと同じ年頃の男性が3人、彼のすぐ後ろに立っている。3人とも背が高く、がっしりとして鍛え上げられた身体をしていた。


「ユージン、カール、ダッディ・・・・」

 マックスは戸惑ったように彼等の名を呼ぶと、ゆっくりと椅子を引いて立ち上がった。


「お前、どうしてたんだ?心配したんだぜ?」

「何の連絡も無しに、いきなりシカゴから居なくなるなんて・・・」


 顔を上げることも出来ずに旧友の前で立ちすくんでいるマックスを見て、ジュードはシカゴで彼が消防レスキューをしていた時の仲間だとすぐに悟った。


「あの、シカゴのファイヤー・ファイターの方ですよね」

 

マックスの前に座っていたジュードは立ち上がると、彼等の側まで歩いて行った。


「オレ達はSLS・・・特殊海難救助隊の訓練生です。マックスはオレ達チームの仲間なんですよ」


 海難救助と聞いて、ユージン達は眉をひそめた。


「どうゆう事だ?消防レスキューのお前がどうしてそんな所に居るんだ?」


 マックスは彼等に何かを言おうとして顔を上げたが、すぐに又うつむいた。


 どう説明すればいいだろう。SLSに入って、ジュードや仲間達と出会い、共に過ごして来たあの日々を、どう説明すれば分かってもらえるだろうか。




 どうやらこういう時、マックスは急に無口になってしまうらしい。ジュードは彼等を自分達のテーブルに迎えると、手短に今までのいきさつを話した。マックスにとっては余り振れられたくなかったろうが、炎に対する恐怖をみんなと必死に頑張って克服した事。今彼は機動救難士を目指して毎日努力を続けている事。


 そして最後に「彼はオレ達の無くてはならない仲間なんです。彼が居てこそ、みんなが一緒に居てこそのAチームですから」とジュードが言った時、泣きそうな顔をしたマックスの肩に仲間達が手を置いて微笑む姿を見て、彼の以前の仲間はもう何も言う事は無かった。


 マックスは新しい仲間と新しい道を歩いているのである。


 ユージン、カール、ダッディというプロのレスキュー隊と意気投合したジュード達は、日頃の彼等の訓練の様子や、マイアミの何処を観光したのか話をしていたが、マックスは彼等の話が途切れた時、ずっと気になっていた事を尋ねた。


「ユージン、ランディはどうしてる?」


 問われたユージンはハッとしたように他の2人を見た。彼等は黙って顔を見合わせた後、言いにくそうに話し始めた。


「実は・・・ランディは3ヶ月前から行方不明なんだ」

「行方不明?」


マックスは驚いて理由を尋ねた。




 ランディが居なくなる1ヶ月前に彼の自宅が火事になった。彼の妻と3人の子供は深夜就寝中という事もあって、全員逃げ遅れてしまった。しかもランディは丁度その火事のあった夜、任務で他の火災現場の消火に行っていたのだ。


 知らせを受けてランディが自宅に戻った時、家は全焼していて、黒く焼け焦げた柱だけが彼を出迎えた。ランディはたった一晩で最愛の家族も家も、全てを失ってしまったのである。しかも火元は子供部屋で子供の火の不始末だったらしい。


 ランディは常日頃から子供には火災の恐ろしさを教えていた。いくら子供だからと言って彼らが火を軽視するとは思えないと訴えたが、放火の疑いは無く、出火の原因はマクレーン家に科せられた。



 家族を失った事に加えて、消防士である自分の家からの出火。しかも家族が炎に撒かれている時に自分は仕事とはいえ、他人の家の消火をしていたという事実が彼の心を攻め立てた。ランディはレスキュー隊の独身寮に移ったが、憔悴し切って目も当てられない状態だった。


 暫くはそっとしてやろうと仲間達も彼の部屋を訪れる事は控えていたが、2週間経っても職場に復帰してこない彼を心配して、特に仲の良かった2人の仲間が彼の所を訪れた。


 しかし、そこで彼等が見たのは、無精髭を生やしたまま部屋の隅に小さくなってうずくまっている男だった。食事も取らずにもう何日もそのままの状態で居たのが分かるほど、彼は痩せこけていた。


― これがあのランディ・マクレーンか? ―


 彼等は驚いて側に駆け寄り声をかけたが、ランディは何事か意味不明の言葉をぶつぶつと呟くだけで、まるっきり彼等の言葉も聞こえず、姿さえ見えていないようだった。


 どう見ても普通の状態ではないランディを病院に連れて行こうとしたが、手を触れただけで彼は暴れ周り、更に部屋の隅へ逃げてしまった。そして何日間かそんな状態が続いた後、彼は突然姿を消してしまったのだ。




 昔の仲間からランディのそんな話を聞いたマックスは、もはや買い物どころではなかった。当然彼は『勿論ランディは今まで以上に凄いぜ』『何と言っても彼はファイヤー・ファイターの中のファイヤー・ファイターなんだから』という言葉の後にランディの武勇伝が聞けると思っていたのだ。


 マックスの様子を心配した仲間達も彼と共に寮に戻って来た。特にジュードは去年の夏休み、マックスと一緒に過ごしてランディの話を何度も聞いていた。憎らしいと思いつつも彼にとっては最高のファイヤー・ファイター。ランディは正にマックスの英雄なのだとジュードは知っていた。




 帰る道すがら黙って何も話さなかったマックスだったが、ずっとその事を考えていたのだろう、寮の部屋に戻った時、同室のショーンに冬休みの間中かけてランディを探すつもりだと告げた。


「見つけてどうするかはまだ分からないけど、とにかく会いたいんだ。このまま放っておくなんて俺には出来ない」




 談話室でショーンからその話を聞いたジュードはすぐに立ち上がって「オレも行く!」と叫んだ後、驚いたように自分を見ている仲間達の顔を見回してハッと我に帰った。そうだ。気持ちはあっても彼には先立つものが無いのだ。


 勢い良く立ち上がったジュードが落ち込んだように隣の席に着くのを見るとショーンは「・・・という事で、とりあえずは軍資金だな」と言いつつ、ポケットからシルクのハンカチーフ(何故こんなものをいつも持ち歩いているのかジュードには理解できないが、紳士のたしなみだとショーンは思っている)を取り出し、テーブルの上に広げた。



「俺は一緒に行くから、このくらいでいいな」


 100ドル紙幣を惜しげもなくその上に置いたショーンをジュードは驚いた顔で見た。


「一緒に行くって・・・いや、それより何だよ、この金は!」


 憤慨しているジュードの向かい側から、サムがショーンと同じように200ドルを差し出した。


「気にするな。俺達に金は無いが、親はみんな小金持ちだ」

「言っておくが、お前の為じゃないからな。マックスへのカンパだ」

「そうそう。どうせ持っていてもここじゃ使う時間も無いからな」


 次々に仲間達が投げ出す紙幣を見ながら、ジュードは困ったように溜息を付いた。


「ああ、それからこれ、教官のプレゼント代も入っているからな。Aチームを代表して彼女をアッと言わせるようなプレゼント。宜しく頼むぜ」


 200ドルを人差し指と中指に挟み、それを顔の近くで揺らしながらダグラスがニヤリと笑った。






 小高い岡の上に建つ ―ジュードいわくコンサートホールのような― 広い屋敷に、今はもう主の姿は無かった。それでもシェランは、彼等が亡くなったと知らされたその日から8年間、彼等の過ごしていた寝室を片付ける事はしなかったし、彼女がいつも過ごしている部屋や1人で過ごすには広すぎるリビングの目に付く様々な場所に写真を飾って、この家から彼等の存在を消さないように努めていたのだった。



 だが5日前、ヘレンから両親の話を聞かされ、改めて彼等は海の中へ消えたのだと思い知った。ヘレンは彼等が沈んだ場所を教えたのである。



― 1,000の海域計画サウザンシーリージャン



 それがどんな計画なのか、その内容まではヘレンに聞けなかったが、いずれにせよウェイブ・ボートの存在理由と似たようなものだろう。この国は強くなる事に貪欲なのだ。


 ヘレンが教えてくれた場所は正に大西洋のど真ん中であった。シェランも船でそんなに遠くまで行った事は今まで一度も無かった。


「2日くらい・・・かかるかな・・・」


 シェランは自室のデスクに置かれた両親の写真を見つめながらぼんやりと呟いた。


 それにしても、ヘレンは良くこんな情報を教えてくれたものだと思う。きっと彼女にとってそれは、軍への裏切りに近いものがあっただろう。



 あの日、波の音だけが繰り返し響くのを聞きながら、シェランは帰ろうとするヘレンを呼び止めた。


「そんな事を私に言って大丈夫なの?軍の機密事項なんでしょ?」

「せめて墓参りくらいはさせてやりたいねとあいつが言っていたのさ。彼の最後の願いのように思うから叶えてやっただけだ。何も負い目を感じずに済むようにな・・・・」


 それは彼を殺す日の事を言っているのだろうか。いずれにせよヘレンは自分の手で決着を付けるつもりなのだ。ルイスと、そして彼と友として過ごして来た年月に・・・。



 ヘレンは決意を固めたようだが、シェランは決心が付かなかった。もし両親が沈んだ場所へ行ったら、完全に彼等が死んだ事になってしまう。墓参りに行くとはそういう事なのだ。




 シェランは溜息を付いて立ち上がると、南側の窓のすぐ下に置かれた広いベッドに腰をかけた。3,4人で寝ても充分な広さのベッドをシェランは1人で動かす事が出来ずにジュードに頼んで動かしてもらった。


 だが、ウェイブ・ボートで彼に『自室に入れてベッドまで動かさせたのは誰だった?』と怒られた時、1人で暮らすようになってから男の人を家に入れたのは初めてだった事に気が付いた。ジュードだから昼食を作るという事で笑って手伝ってくれたが、いくら生徒とはいえ本来ならとても軽率な行為に違いない。


 思い出す度にシェランは恥ずかしくて真っ赤になってしまうのだが、意外に楽しかったのも事実だ。


 最初は動かす家具の大きさや多さにうんざりしていたようだったが、彼は何かをやり始めると黙々と作業をするタイプらしい。文句1つ言わずに次から次へと手際よく片付けてくれた。


 重いから手伝おうとしても『いい。シェランは昼ご飯作ってて』と部屋を追い出されてしまった。今思えば彼も一人暮らしの女性の部屋なんて初めてで、照れていたのかもしれない。


 彼があんまり一生懸命やってくれるので、シェランも久しぶりに料理の腕を振るってみた。テーブルの向かい側に誰かが居て、自分の作った料理をおいしいと言いながら思いっきり頬張っている姿は、何て幸せな気分にさせるものだろうとシェランは思った。





 食事をしながら彼と色々な話をした。ジュードの生まれ育ったオレゴンは、このフロリダと真反対の州で、夏の涼しさはいいが冬は特別厳しいらしい。何日も山は雪で覆われ、湖や池は全て凍りつく。フロリダでは一年中マリンスポーツが楽しめるが、オレゴンの山稜では一年中スキーやスノーボードが楽しめるらしい。


 常夏の国でずっと生きてきたシェランには、想像もつかない世界だった。そんな凍り付いた湖の氷に穴を開けて、彼は父とよく釣りをしたそうだ。そして彼の母は、怒るとマウント・バッチェラー(スノースポーツのメッカ)に吹き付ける吹雪のように厳しいらしいが、普段は優しくて、シェランと同じく料理上手だと彼は言った。


「ジュードに頼んでみようかな。一緒にお墓参りをして欲しいって・・・・」


 彼なら同じように海で父を亡くしている。きっと快く承知してくれるだろうが、教官としての自分の立場を考えると、もう彼とは2人きりになってはいけないような気がした。





 ついこの間まで、シェランはジュードを弟のように思っていた。だが、エバと居る時の彼はやはり男の子だったし、それにシェランはウェイブ・ボートで彼と踊った時に気付いてしまったのだ。


 彼はライフセーバーとして、そして男としても確実に成長している。すぐ目の前に居て自分を見下ろしている瞳は、もう出会った頃のジュードのそれではなかった。


 ウェイブ・ボートの事件の時も、彼は訓練生という立場でなかったら、もっと特権が与えられていたら、ルイスを確実に止めていたのではないだろうか。それこそアズやルイスの言うように、彼には本当に警察官になれそうな勘やセンスの良さがある。


 それはシェランが初めて会った時から彼の中に見出していた特質だった。彼が居るからこそAチームは全米一のライフセーバーチームになるとシェランは確信していたのだった。


 しかしその特質ゆえに、彼は自分の身を犠牲にしても他人を庇おうとする事がある。あのウェイブ・ボートの飛行場でルイスが「では守ってみせるか?」と言った時、ジュードだけは彼が何かをするつもりだと気付いていた。


 まるで氷のように冷たいルイスの目を見て、身動きが出来なくなっていたシェランを彼は自分の身で庇った。もしルイスが銃を撃っていたら、犠牲になっていたのはジュードかもしれない。そう思うとシェランはゾッとするのだった。


 エバやキャシーならともかく、教官である自分が彼の足かせになってはいけない。私は彼を成長させ、プロになった彼等を見送る立場なのだ。



「やっぱり1人で行かなきゃ・・・・」


 暗くなった部屋の中でシェランは独り呟いた。






 次の日はクリスマス休暇の前日という事もあって、生徒達はみな浮き足状態である。


 ショーンはクリスマスに帰れないと言ったら、母親から何度も説得を試みる電話が入ってその対処に追われていたし、ジュードはシカゴ行きの切符の手配に忙しかった。


「え?周遊券の方が安い?東海岸の都市3つまで乗り放題・・・。明日です、明日。・・・うん。じゃ、それ買います。ダウンタウンのチケットセンターね。何時まで開いてる?」


 ジュードは明日の朝、10時半に出発する格安チケットを予約できた。


 ジュードが電話をしている横ではショーンも電話中だ。


「だからさぁ、シカゴでの用が済んだらすぐ帰るから・・・違うよ。ママは僕が仲間を見捨てるような男になってもいいの?・・・うん、うん。勿論愛してるって。なるべく早く戻るから。じゃあね」


 ショーンのママからの電話はもう7回目で、その度に彼は同じような事を言って母を納得させていた。






 授業を終えたジュードは3人分のチケットを取りに行こうと、寮の自転車置き場に向かっていた。すると丁度男子寮の向こう側からなぜか怒った顔のエバと、泣きそうな顔のキャシーがやって来た。


「ちょっと、ジュード。どういう事なの?」

「何だよ、エバ。今忙しいんだ。話なら後で・・・」

「後じゃダメなのよ。教官の元気が無いんだもの」



 怒った顔のエバと泣きそうなキャシー。こんな時の2人に関わると、ろくな事が無い。ジュードは何とか逃げようとしたが、その前にキャシーがまくし立てた。


「とにかく変よ。いつもなら必死に300潜っても“それは潜った内に入らないのよ”って更に深みに連れて行かれるのに“良く頑張ったわね。もういいわ”なんて。絶対おかしいわ!あんな教官初めてよ!」


 ジュードは溜息を付きながら答えた。


「それはただ単に疲れているだけじゃないのか?潜水は体力を消耗するし・・・」

「ジュード、それってあの人に当てはまる言葉?」


 エバに言われて確かにその通りだと思った。彼女は一日中潜っていても平気な女だ。ジュードが黙っているので、更に2人は騒ぎ出した。


「とにかく、あんな顔をした教官を残して、私実家には帰れないわ」

「そうよ。私だってキャシーの実家に行けないわ。何とかしてよ、ジュード、リーダーでしょ?」



 ここに来て初めて実家に帰るキャシーを心配して、エバは付いて帰ることにしたのだ。もし彼女の父親が本当は反省しておらず、以前と同じような態度をキャシーに取るようなら、すぐにでも自分の実家に彼女を連れて行くつもりでいた。 



― リーダー、リーダーって・・・ ―


 ジュードはどうもみんなに体よく使われているような気がして仕方なかったが、鬼教官で知られたシェランのそんな態度は確かにおかしい。2人に聞くとシェランはノースビーチの方に歩いて行ったというので、彼は走り出した。


 

 チケットセンターが閉まるまで後1時間しかない。シェランは考え事をするのによくノースビーチの岩場に行っているようだから、間違いなくそこに居るだろう。


 


 1年の時、一度だけ行った事のある岩場の影に、彼女はあの日と同じように海を見ながら座っていた。きっとシェランはここから見る夕日に染まった海が好きなのだろう。


 以前会った時と同じように濃いオレンジ色の光が辺り一面を包み込み、黒い岩陰以外は波の色さえも赤く染め上げている。



 あの時も彼女が心配で探し回った挙句見つけたのだ。夕日の色以上に赤い上着が岩の上に置かれていたが、今日は彼女の長く伸びた髪がその岩の上に流れるように掛かっていた。時折吹いて来る海からの風にその髪がなびくと、キラキラとオレンジ色の光の玉が舞い散るように見えた。




 ジュードは時間が無いのも忘れて、その後姿に見入った。確か出会った頃のシェランの髪はまだ肩に付くか付かないかの長さだった。


 彼女は長い間そのスタイルを変えなかったが、ここへ来てエバとキャシーに「切らないで」と言われて以来、ずっと伸ばし続けている彼女の髪はもう背中まで伸びていた。



 何を悩んでいるか知らないが、とにかくシェランに元気が無いのはいけない。だがいかんせん時間が無かった。ジュードはぐっと息を吸い込むと「シェラーン!」と大きな声で叫びながら走り出した。


 びっくりしたように振り向いたシェランの側に行って以前と同じように岩に手を付くと、彼女の顔を覗きこんだ。


「シェラン、オレに何か言いたい事があるだろう。いいよ。何でも言ってくれ」


 時間が無いので実に単刀直入である。


「え?いいえ、別に・・・」

「いや、絶対あるよ。何?頼みごと?又部屋の模様替えとか?いいよ。何でもするよ」


 シェランには何故彼が突然こんな事を言い出したのか全く分からなかったが、ジュードは教官である彼女が生徒に悩み事を打ち明けるはずは無いと分かっていた。それで何か頼みごとが無いか聞いてみたのである。


 シェランは彼の顔をじっと見つめながら2,3度瞬きをした後うつむいた。ジュードの方から何でも頼みごとを聞くと言ってもらうと、つい話してしまいそうになる。昨日1人で行くと決めたばかりなのに・・・。


「でも・・・」

「ほら、やっぱりあるんだ。シェラン、我慢はいけないよ。せっかく長い休暇が始まるんだから全部吐き出してすっきりと迎えなきゃね」


 シェランは悩みながらも口を開いた。本当は言ってはいけないと思う気持ちと、どうしても一緒に行って欲しいという気持ちが戦っている。“忙しいから”と断ってくれた方がいいと思うし、“いいよ”と笑って言って欲しかった。



「明日からジュード、お休みでしょう?暇な時でいいから付き合って欲しいの。出来れば2日くらい・・・」


 2日と聞いてジュードは迷った。1日だけなら日曜日で事足りるが、2日となると、このクリスマス休暇以外で取る事は出来ない。しかし何でも言う事を聞いてやると言った以上、もう引っ込みは付かなかった。


「それって急いでる?すぐじゃないと駄目?」

「いえ、そんな事は無いけど・・・」

「オレ、明日からマックスと一緒にシカゴに行かなきゃならないんだ。マックスが昔世話になった人が行方不明になっちゃって・・・」

「行方不明?」


 顔を曇らせたシェランを見て、ジュードはランディの家族に起こった悲劇を話すのはやめた。家族を失ったシェランに、これ以上同じような話を聞かせたくは無かったのだ。


「それじゃあ、駄目ね。いいの。本当は1人で・・・」

「クリスマス!」

「は?」

「クリスマスには戻る。それまで待てないか?」


 彼に両腕を捕まれたシェランは声も出せずに固まっていた。


「絶対に帰ってくるから、それまで待ってて。いい?」

「う・・・うん」


 シェランが頷くとジュードは「うっしゃあ!クリスマスだぁ!」と拳を握り締め、立ち上がって走り出した。シェランはただ呆然と彼の背中を見送っていた。





 

 ― シカゴ12月1日 ―



 シカゴのオヘア国際空港に降り立った時、ジュードは思わずぶるっと身震いをした。便に遅れが出るほどでは無いが、かすかに雪がちらついている。それを見た途端ジュードは空を見上げて叫んだ。


「マックス!ショーン!雪だ、雪が降ってるぞ!」


 ジュードにとって雪を見るのは2年ぶりだった。足元からやって来る、染み入るような寒さも・・・。


 シカゴは12月には最低気温がマイナス20度に達する事もある。嬉しそうにその冷たい冬を堪能しているジュードの後ろで、マックスとショーンはフロリダの暖かい冬を懐かしく思った。



 そんな彼等の居るターミナルには、ひっきりなしに飛行機が着陸を繰り返していた。オヘア国際空港は世界第一位の国際空港であり、世界で一番忙しい空港とも呼ばれている。


 7本の滑走路、5つのターミナルとそれを結ぶ無人のリモートトレイン。発着陸が20秒に1機と言われているのだ。


 世界で一番忙しい空港は、やはり世界で一番と思われる規模と広さを誇っていた。


 このやたらと広い空港をやっとの思いで出た3人は、重い荷物を持って(と言っても、ジュードはいつもの今にも破れそうな鞄に、適当に服を詰め込んだだけであったが)高層ビルの立ち並ぶ大都会を抜け、郊外にあるマックスの実家に向かった。




 車に乗って40分ほど走ると、広い道路の向こう側に芝生と歩道が続き、その向こう側に家が立ち並ぶ典型的な住宅街が見えてきた。



「俺の家は中流だからな。あんまり期待するなよ」


 マックスはジュードではなくショーンに向かって苦笑いを浮かべたが、それでも中庭にはちゃんと立派なプールがあるし、車が3台入る屋内車庫と、野外に2台止められる車庫が家の左側にあった。


 マックスが木製の玄関ドアを開けると、両親と4人の弟、妹達がこぞって彼を出迎えた。

 

 最初彼等はマックスよりずっと年の若いジュードとショーンを見て、彼の後輩だと思ったらしい。同じチームのチームメイトだと分かると、一様に驚いた顔をした。


 背の高いマックスの家族らしく、みな背が高い事にジュードとショーンは圧倒された。


 マックスの下には20歳と19歳の弟、その下に15歳と13歳の妹が居たが(一番下の妹とマックスの年の差は11歳もある)その13歳のリーザという妹でさえ、もう少ししたら、ジュードより少し背の低いショーンと変わらない身長になるだろう。


「壁みたいなファミリーだなぁ・・・」


 ショーンは苦笑いをした。



 そんな家族に囲まれて夕食をとった後、彼等はマックスの部屋で、どうやってこの広いシカゴでランディを探すかを話し合った。とにかく後24日しかない。ジュードがシェランにクリスマスまでに戻ると約束したのは他にも理由があった。出来ればショーンもクリスマスを彼の家族と過ごさせてやりたかったのだ。


 正式隊員になれば、なかなか長期休暇は取れないので、余程実家に近い支部に配属されない限り、家に戻る事は出来なくなる。ジュードはショーンの母や彼自身の為にも、何とかクリスマスまでにランディを探し出し、マックスが望んでいるように彼にもう一度レスキュー隊員に戻ってもらいたいと考えた。


 だがそれは口で言うほど簡単な事では無いだろう。


「とりあえず、明日の朝一番に警察へ行って行方不明者のリストを見せてもらおう。それから多少金は掛かるけど、新聞の尋ね人欄に広告を出すのはどうかな?」


「いいぜ、金なら俺が払う。ファイヤー・ファイター時代に蓄えた分があるからな。ランディの為なら全部使っても構わない」


「うん。それと彼の写真があるか?街の中にも行方不明者のポスターを貼る掲示板があるから、あれにも貼っておこう」





 次の日の朝、ジュードとマックスは2人でシカゴ警察へ向かった。その後シカゴ中の新聞社に電話して尋ね人欄に記事を載せるよう頼むのだ。


 一方ショーンは、家に残ってポスターを作っていた。コンピューターにランディの写真を取り込み、赤や黄色の目立つ配色で“探しています”という見出しと、連絡先のマックスの名前と携帯の番号を入れた。


 出来上がるとそれを持ってカラーコピーをとりに行く。ジュード達が戻って来たら、街の掲示板にそれを貼りに行く事になっていた。


 一番上の兄とその友人達のする事をただ見ていた弟や妹達も、ランディがマックスの命の恩人だと聞くと、一緒に探すのを手伝うと申し出てくれた。


 一番目の弟のルアンとリーザ、2番目の弟のラッドと上の妹ケイト、そしてジュードとショーンが二人一組でマックスは1人でショーンが作ったポスターを持ち、昔ランディが仲間とよく行ったレストランやパブを回ることにした。




 それから二週間は何の収穫も無かったが、その日の夜遅く警察から連絡が入った。マックスは飛びつくように電話を受け取ったが、彼の顔は受話器の向こうから響いてきた声によって一瞬で曇った。


 ほとんど「はい」だけを繰り返してマックスは沈んだ顔で受話器を置いた。


「マックス、警察は何て言ってきたんだ?」


 心配そうに聞くジュードとショーンを見て、彼は唇を噛み締めた。


「今朝、ブラックストーンストリートで見つかった凍死体がランディと特徴が似ているらしい。明日見に行ってみるよ・・・・・」





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