第8部 深海のダイヤモンドリング 【7】
その日の午後、迎えのヘリが来ると、シェランとジュード、アズを残して本部隊員と訓練生は皆マイアミに引き上げた。ショーンとマックスは絶対残ると言い張ったが・・・・。
「チームのリーダーと副リーダーが不在だと、みんなが不安がるだろう?だからマックスは帰らないと・・・。それからショーン。マックスの手助けをしてやってくれ。親友のお前だから頼めるんだ。信じてるぞ、2人共」
ヘリの中でマックスは思い出したように叫んだ。
「なーにが“信じてるぞ”だ!よくもあんなセリフを恥ずかしげも無くペラペラとしゃべりやがって!あんな風に言われたら、帰るしかないじゃないか!」
「“親友のお前だから”だもんなぁ・・・。痛い所をついてくれるよ」
キャシーも同様、シェランにうまく説得されたようで、不安げにヘリの窓から下を見下ろしていた。
飛行場で彼等を見送ったジュード達は、仲間の乗ったヘリが遠く小さくなるまでじっと立って見送っていた。いつまでも空を見上げているジュードにアズが「お前は説得上手だから、FBIの交渉人に向いているな」と言うと、ジュードはムッとして振り返った。
「何言ってるんだ。オレは機動救難士になるんだぞ!」
「・・・そうだったな・・・」
冗談の通じない男だと思っているアズの後ろで、シェランが声を殺して笑っていた。
彼等は仲間を見送ったその足で、すぐに行動を開始した。ここに残ると決めた時、ウェイブ・ボートの中を自由に動いても良い許可を、ウェイトマン所長から取った。当然、決して入室できない部屋もいくつか(かなりの数)あるので、行動は制限つきだが、それでも初めて27階へ行った時のように、びくびくしながら歩く必要は無くなった。
その後ジュードは、一人でヘレンの部屋へ向かった。彼女はやっと大嫌いな小娘とその弟分のような訓練生に会わずに済むと喜んでいただけに、ジュードの訪問は、はっきり迷惑だと顔に書いてあった。
ヘレンの部屋もVIP専用の部屋で広々としていたが、部屋の隅にシェランの部屋にある書斎の変わりに、沢山の酒が並んだバーカウンターがあるのを見て、ジュードは思わず心の中で笑ってしまった。この豪快な女大佐にピッタリの部屋ではないか・・・。
ヘレンは赤地に金色の刺繍が施してある一人がけのソファーにどかっと腰掛けると、その長い足を組んで胸ポケットから小さなUSBメモリを取り出した。
「言っておくが、これは君のような一般人が見せてもらえるようなものじゃないんだぞ。私だから貸してくれたが、ウェイトマン所長には渋い顔をされてしまった」
「すみません。必要な項目だけを拝見したら、すぐにお返しに上がりますので」
「当然だ」
ジュードは上から睨みつけるヘレンの手からメモリを受け取ると、すぐシェランの部屋へ向かった。ジュードやアズの部屋にはパソコンが無かったのだ。
シェランは部屋でパソコンを立ち上げて待っていた。メモリをコンピューターに差し込んで所員名簿を開くと、No.1からNo.3,500までの数字がずらっと並んでいて、ウェイブ・ボートで働く所員一人ひとりの個人情報が詰め込まれていた。
顔写真と共に、名前、年齢、出身地、経歴や免許、身長や体重、視力に至るまで記されている。詳細であるがゆえに、決して外部に漏らしてはいけないものであった。
「3,500人か、随分な量ね」
シェランが名簿をマウスでずらしながら溜息をついた。
「まず男性に絞ろう。暗かったけど、かなり身長はあったように見えた。そうだな・・・170センチ以上でいいか。それから過去の経歴だ。今まであの男が破壊した施設に関わりが無いか。とりあえず100人ほどコピーするから、該当する人間を割り出してくれる?」
「分かったわ」
ジュードがコンピュータのモニターに釘付けになり、シェランもソファーでコピーを選り分け始めた。
「うーん、身長180センチ、該当者ね。・・・え?体重110キロ?これは違うわ。え・・・と。この人は・・・え?この人、男?やだ、女の人にしか見えない。かわいいー!」
一人暮らしが長いと独り言が増えると言うが、シェランも例に漏れずそうらしい。ジュードは“気が散るなあ・・・”と思いつつも彼女の独り言にくすっと微笑んだ。
暫くするとアズが戻ってきた。彼はウェイブ・ボートにある5箇所の脱出口を見に行っていたのだ。
「どうだった?アズ」
明るく尋ねるジュードにアズは暗い表情で答えた。
「ケイコが言ったように本当に50人が限界かもしれんな。一応救助ボールは人数分あるし、吐き出しハッチの作りもしっかりしているから、ちゃんと乗り込めれば助かるんだろうが、パニックに陥った人間に、一列に並んで乗ってくださいって言っても無理だろう」
アズの言葉にシェランも答えた。
「各自の部屋には救助ベストが設置されているけど、この深さからでは余り役に立つとは思えないわ。無論救助ボールに乗れれば、ベストも海上で救助を待つ間役に立つけど・・・」
彼等はアズがテーブルの上に広げたウェイブ・ボートの図面を見ながら溜息をついた。
「この際、一番大切なのは8本のエレベーターかもしれないな。これさえ動けば救助ボールに乗れなかった人も海上に出られる」
ジュードの言葉に他の2人も頷いた。
「そうね。いざという時の脱出経路をこちらで考えて、所員を指導するのもいい方法だと思うわ」
そう言った後、シェランは時計に目をやりながら立ち上がった。
「あら、そろそろ夕食の時間ね。食堂に行かなきゃ、SEALの人達が来ちゃうわ」
「本当にいいのか?別に無理をしなくても・・・・」
なぜかジュードはそわそわしながらシェランに話しかけた。
「大丈夫よ。私は隣で着替えるから、あなた達は気にせず作業を続けていて」
「着替えるって、まさか又あのドレスを着るのか?そこまでする必要ないだろ?」
驚いたように叫んだジュードに、シェランはちょっと顔をしかめた。
「あれはもうヘレンに返したわ。キャシーがワンピースを置いていってくれたのよ」
シェランが隣の部屋のドアを閉めるのと同時に、ジュードは力が抜けたようにソファーに座り込んだ。
実はヘレンに借りることが出来たのは、ウェイブ・ボートの所員のリストだけであった。彼女にはさすがのシェランもSEALの隊員の情報を教えてくれとは言えなかったのだ。
自分の仲間が疑われているなんて気分が悪いだろうし、もし一言でもそんな事を言えば、重艦鬼神と呼ばれる彼女の烈火のような怒りが主砲から発射され、彼等の上に落ちてくるのは間違いないだろう。
そこで仕方なく本人達から個人情報を聞きだす事にしたのだが、軍人である彼等がたいして親しくない民間人にそんな事を話してくれるはずは無かった。
だが、女性なら別だ。個人的に親しくなろうと思えば、彼等の方から話し出すだろう。ジュードは気が進まなかったが、シェランの力に頼る他は無かったのである。
着替えを終えたシェランが隣のベッドルームから出てきた。キャシーから借りた淡い水色のワンピースはシェランにも良く似合っている。
「どう?おかしくない?少し小さいんだけど・・・・」
「いや、か・・・かわいいよ・・・」
真っ赤な顔を片手で隠しながらジュードが答えると、シェランはにっこり微笑んで部屋を出て行った。
「はあぁぁぁぁぁっ・・・・・・」
長い溜息をついて頭を抱え込んでいるジュードを横目で見ながらアズは思った。
― こいつはその内、心労で倒れるかもしれんな・・・・ ―
彼等は真夜中まで3,500人の所員を調べたが、該当する人物は居なかった。ウェイブ・ボートで潜水士として働く男性所員は皆小柄であったし、そのほかの研究員も海の中で暮らしているにもかかわらず、潜水経験など殆ど無いような人々ばかりであった。
一方シェランは、お見事と言おうか、次の日の昼過ぎにはウェイブ・ボートに居るSEAL隊員のほとんどから個人情報を得てしまった。
「みんなね、にっこり笑って“教えて”って言うと、何でも教えてくれるの。家の電話番号から携帯の番号まで。SEALの人達って、みんな親切ね」
それは親切と言わずに、下心があると言うんだ。笑顔でシェランが差し出した調書を受け取りながら、ジュードは溜息をついた。
「あ、でも、ルイス・アーヴェン少佐だけは会えなかったの。彼の方はジュードに頼むわね」
「え?何でオレ?」
「だって、SEALの人達が言っていたわよ。彼はジュードの事を気に入ってるって」
何故気に入られたのかは良く分からないが、彼にそう思ってもらえるのは嬉しい事だった。
「ああ、でもルイスは対象外だよ。オレ達が黒い潜水服の男を見たのは2日目の夜だ。でも彼は1日目の夜からサンディエゴに行っていて、戻ってきたのは昨日の朝だったから」
対象外だとは分かっていたが、ジュードはルイスを探し始めた。昨日相談に乗ってもらった礼を言いたかったのだ。彼を探して歩き回っている内、ヘレンと廊下ですれ違ったので尋ねてみた。
「ルイスに何の用?」
ヘレンは怪訝そうな顔でジュードを見た。
「昨日、友人の事で親切に相談に乗ってくださったんです。何とかなったので、少佐にお礼を言いたくて・・・」
そういう事情ならと、すぐにヘレンは教えてくれた。彼は今、頂上の飛行場に出て、隊員の作業状況を見ているらしい。
ジュードは近くのWEST4のエレベーターに乗り込んだ。飛行場へは一番上にある“0”のボタンを押せばいい。
午後の風が気持ちよく吹き抜ける飛行場に、彼の乗ったエレベーターが上がってきた。外に出ると強い日差しに思わず目を細めたくなるほどだ。その明るい太陽の光の中に、1人の男性が船着場に戻ってきた船に向かって何か指示を与えていた。ルイスだ。
彼はいつもの制服姿ではなく、真っ白なブラウスと黒いスラックスという普段着姿であったが、その身長と引き締まった筋肉は何を着てもサマになる。ジュードと同じ、少しくせのある黒髪さえも・・・。
ジュードが近付いてくる気配に気がついて、ルイスは振り返った。
「やあ、ジュード。散歩かい?」
「あ、いえ、ルイスに・・・ルイスさんに会いに来たんです」
彼は笑いながら「ルイスでいいよ」と言いつつ首を振った。
「あの、昨日はお話の途中で走り出してしまってすみませんでした」
「そんな事は構わないけど、君は残る事にしたんだね。その友人の為に・・・。それと、君達のアフロディテの為にも・・・かな?」
「え?」
アフロディテとはシェランの事だろう。SEALの隊員の間で、彼女はそう呼ばれているのだろうか。海から生まれたヴィーナス(女神)の名をあだ名にするとは、さすが粋な人達である。
日差しの中で照れたように笑うジュードを自分の横に来るように呼ぶと、ルイスは飛行場の端に取り付けられた落下防止柵にもたれ掛かった。
先程ルイスが指示を与えていた船は既に船着場を離れ、隊員が何人も海に飛び込んでいく姿が見えた。ルイスは部下が海に潜っていくのを見ながら横に居るジュードに言った。
「君はまだここが危険だと思っているのかい?」
「あなたは・・・終わったと思われますか?」
反対に質問を返され、ルイスは苦笑いをした後、前を向いて海を見つめた。
「いや・・・。だから我々がここに居る・・・」
そのまま彼等は黙ってじっと海を見つめていた。
「あの爆弾・・・」
不意にジュードが呟いた。ルイスの瞳が一瞬、何か違うものを見ているように揺れ動いたが、すぐにいつもの冷静な瞳に戻った。
「あの爆弾は何故すぐに起動しなかったんでしょうか。オレが“あの男”なら、取り付けた人間がここから離れた段階でスイッチを押すと思うけど・・・」
「さあ、焦らすのが好きなのかもしれないね、“彼”は・・・・。所で君は何故ライフセーバーになろうと思ったんだい?」
急にルイスが話を逸らしたので、彼はこの事件の事をあまり話したくないのだと思った。
― 何故ライフセーバーになろうと思ったか・・・ ―
その質問は不思議と仲間内では、聞いたり話したりはしなかった。別にたいして理由のない者も居るし、アズやキャシーのようにどんな事をしてもなりたいと思っている者も居る。
勿論ジュードは後者の方だったが、訓練校に居る限り、理由があろうと無かろうと、全員でライフセーバーを目指す事に変わりは無いのだ。
だからジュードはAチームの仲間や親友のショーンにさえ、その理由を話した事はなかった。多分シェランは薄々気付いているだろうが、彼女もあえて聞いてきた事が無かったので話してはいない。
それは彼にとって、とても辛く苦い経験を思い起こさせるからだ。どんなに忘れようとしても忘れられない、忘れる事など赦されない思い出だった。それをほんの4、5日前に会った人間に話す事など考えられなかったが、何故かジュードはそれをルイスに話す事に抵抗を覚える事はなかった。
「12歳の時、父が海で亡くなったんです。父とオレは釣りに出ていて・・・。いい天気だったのに、急に空が曇ったかと思うと酷い風が出てきて、あっという間にオレ達の乗ったボートは沈みました。幸いオレは、その時一緒に居た父と叔父に小さな岩場に助け上げられたけど・・・2人は目の前で・・・」
― ジュード!手を放すな!決して放すんじゃないぞ! ―
彼等の最後の声がジュードの耳の奥で今でも鳴り響いている。永遠に覚めない悪夢のように。何度も何度も・・・・・。
「父と兄のように慕っていた人達をオレは助ける事が出来なかった。自分の命を守る事に精一杯で・・・・。もう二度とあんな風に海で命を落とす人が居なくなればいい。オレはその為にライフセーバーになるんです」
ルイスはきっと今も、瞳の奥にその時の光景が焼きついて離れないであろうジュードの瞳を見つめると「すまない。辛いことを思い出させてしまったね・・・・」と言いつつ、彼の肩を握り締めた。
「君はきっといいライフセーバーになる。SEALの少佐の俺が言うんだ。間違いないぞ」
「ルイス・・・・」
ジュードは日の光に透けて優しく輝く彼の瞳を、嬉しそうに見上げた。
ジュードが再びウェイブ・ボートの中に戻って来ると、所員が探し回っていたらしく、彼の姿を見つけると急いで走ってきた。
「ミスター・マクゴナガル。SLSから衛星通信が入っていますよ。30階の通信室まで来てください」
所員に連れられて行った通信室は思ったより広く、10人以上の所員が通信機の前で頭に付けるタイプのイヤホンとマイクで始終、本社のデイダーやその他の機関からの電話を取り次いでいた。
所員が「こちらでどうぞ」と手を差し伸べた先には普通の受話器があったので、ジュードはそれを取り上げた。
『よお、どうだ?そっちは。いい天気か?』
昨日別れたばかりの友の声が、妙に懐かしく聞こえた。
「ああ、元気だよ。ショーンも元気そうだな」
『俺の事なんかどうでもいい。ジュード、戻って来い。今すぐに』
ジュードはくすくす笑いながら答えた。
「何だ、授業のノートを取るのが面倒くさくなったのか?ちゃんと記録しておいてくれよ。次の訓練でリーダーのお前が知らないってどういう事だ!ってロビーに怒られるからな」
『授業のノートなんてどうでもいい。いや、ちゃんと取ってるけどな。それより教官とアズを連れて戻って来い。嫌な予感がするんだ』
「嫌な予感がするなら尚更戻れないよ。それよりマックスと代わってくれ。大事な話があるんだ」
『何言ってるんだ、俺の予感は当たるんだぞ!』
叫んでいるショーンからマックスが受話器を取り上げたらしい。今度はショーンの叫び声が遠くで聞こえた。
『お前に頼まれていた件だがな。何とか今回参加していたSLS隊員全員に話を聞けたよ。なんでそんな事を聞くんだ?ってなかなか教えてくれない人も居たけどな』
「それで、居たのか?」
ジュードは通信室の所員に聞こえないように声をひそめた。
『ああ。Cチームの人達が確かに1日目、パーティがあった夜、SEALの隊員と仲良くなって色々話をしたってさ。その中で手話を教えたそうだ。いいコミュニケーションが取れたって喜んでいたよ』
「相手の名前や階級は分かるか?」
『ああ。4人だけだったから良く覚えてた。書く物あるか?』
「いや、覚える。言ってくれ」
ここではメモを取っている所を見られる危険性が充分ある。ジュードは自分達がしている事をウェイブ・ボートの所員には知られたくなかった。もしSEALに漏れたら大変な事になるからだ。
マックスは手に持っていたレポート用紙を広げると、ゆっくり名前を挙げ始めた。
『まずアレック・ハワード。これはぺーぺーだな。それから1日目にシェラン教官に文句をつけていた奴、デニス・アスレー。こいつは中尉だ。それとウェイ・ダートン大尉。最後はルイス・アーヴェン少佐だ』
「ルイス?」
ジュードは思わず声を上げてしまい、慌てて周りを見回した後、声をひそめて尋ねた。
「本当に少佐が入っていたのか?」
『ああ。あの人目立つだろ?みんな良く覚えていたぜ。あの中で一番背も高いし、カッコイイからな。本部の隊員も認めざるを得ないって奴だな』
ジュードは自分を連れて来た通信士の男性に礼を言うと、その部屋を出た。
ルイスがSLSの隊員に手話を尋ねていたなんて話は聞きたくなかった。つい今しがた、彼と親しく話をしたばかりなのに・・・・。
だが彼は違う。ジュードは心の中で強く否定した。彼は1日目の夜からサンディエゴに行っていたのだ。
レイモンドが怪しいかもしれないと思った時のシェランもこんな気持ちだったのだろうか。信じている人を疑わなければならないのは、とても辛い事なのだとジュードは知った。
実はジュードはシェランが悩んでいる事を知って、アズと一緒にレイモンドのその夜の行動を調べたのだった。彼は夕食の後、20階にあるバーで同じAチームの潜水士達と共に2,3杯のアルコール飲料を飲んでいた。バーの請求書に彼がサインをしているので間違いはない。
今から深海に潜るのにアルコールを飲むはずは無いので、レイモンドがあの日の夜現れた男では無いとジュードは判断したのだ。
SLSでないとすればSEALしかいない。だがSEALでもなければ、全くの部外者という事になる。その方がいいとジュードは思った。あの夜見た男は何処からかやって来て、そしてその日の内にどこかへ消えたのだ。そうあって欲しい。
シェランはジュードから4人のSEAL隊員の名を聞くと「ウェイ・ダートンは違うと思うけど・・・」と呟いた。どうやらダートンとは5THの事件の際に面識があるらしい。だから彼はヘレンにシェランの命令に従うかどうか聞かれた時、彼女の顔をじっと見た後『従います』と言ったのだ。
きっと5THでシェランの実力を思い知ったのだろう。実際ダートンは小柄な男だったので候補から外れた。あとの3人は皆実力もあるし、背も高かった。
「この中に居るのかしら・・・」
「ルイスにはアリバイがあるから、後の2人が怪しいな。特にこのアスレー中尉はシェランに主導権を握られるのが嫌だったようだし」
ジュードの意見にシェランは首を振って笑った。
「そんな事は無いわ。次の日からみんな生徒みたいに従順に言う事を聞いてくれたわよ」
それはやっぱりあのドレスの効果だろう。全くどいつもこいつも手の平を返したみたいに態度を変えるんだから・・・。
ジュードが心の中でぶつぶつ言っている間、シェランは自分が調べ上げた隊員達の調書をめくっていた。
「そうそう。それにこの2人。あっ、やっぱりそうだわ。ほら、アレックもデニスも携帯以外に自宅の電話番号まで教えてくれたのよ。親切でしょ?」
ジュードは思わず眉をひそめた。いくらなんでも爆弾犯が自宅の電話番号までペラペラしゃべるだろうか。彼は訳が分からなくなって頭を抱え込んだ。
その日の夕方、シェランは災害に遭遇した場合の避難経路と脱出方法を説明する為に、ウェイトマン所長に彼が信頼する部下や警備担当者を集めてもらい、説明会を行なった。例え今回何も起こらずに済んでも、いつか事故が起こらないとも限らない。シェランは少しでも多くの人々が助かるよう指導していくのは、SLS隊員としての勤めだと思っていた。
「災害が起こった際、あなた方にやっていただきたい事は、まず所員達を落ち着かせることです。どんな状態に陥っても毅然として冷静に対処する事。誘導するあなた方の態度一つで助かる人間の数は変わってくるのです」
プロのライフセーバーであるシェランの言葉は、所員達の心に響き渡った。彼等はここが決して安全な場所ではない事を知っているのだ。誘導指導員として選ばれた所員の中にアズの2人の姉も居た。熱心に話を聞いている彼女達を見ていて、シェランはアズの顔を思い出した。彼も授業の時はいつもこんな瞳をしているのだ。
2時間に亘る説明会を終えて会場を出てきたシェランは、ケイコに後ろから呼び止められた。彼女の隣には勝気な瞳のユーコも居る。
「ケイ・アズマの姉です。いつも弟がお世話になっております。ずっとご挨拶をと思っておりましたのに、遅れて申し訳ありません」
「彼から話は聞いていますわ。お2人とも潜水士だとか・・・」
ケイコは「はい」と返事をした後、姉らしい質問をした。
「あの、ケイは学校ではどうでしょうか。ちゃんと潜水士になれますか?」
「勿論ですわ。とても優秀な生徒ですよ。私の持っている潜水課の中では5本の指に入る候補生です」
ケイコは明るい顔でユーコと笑い合った。
「先生、今はあの子にとって大事な時期です。なのにあの子は私達の為に授業を休んでまでここに残っているんです。どうか先生から、あの子に帰るように言っていただけませんか?」
シェランは困ったように微笑んだ。教官になって初めて会う生徒の家族から、いきなり難しい頼みごとをされるとは・・・。
「彼は確かに私の生徒です。でも、その前に男の子です。彼が男として自分の意志で決めたものを、いくら教官だからと言って私が止める事は出来ないし、してはいけないと思うんです。それに彼は・・・彼等は、誰かがどんなに止めても一度決めた事を覆すような子達じゃないから、だから私は・・・いつも見守る事しか出来なくて・・・」
シェランは自分が情けなくて言葉を切った。己の力の無さをいつだって悔やみながら生きていかなければならない。どんなに精一杯やっても、いつもどうする事も出来ない壁にぶつかってしまうのだ。
「でも・・・それでも、私はいつも側に居ます。例え何があっても、どんな事になっても、私は彼等の側に・・・」
ケイコとユーコはじっと自分達を見上げた若い教官の手を順々に握り締めると、それ以上何も言わずに去って行った。
一方アズは館内の避難経路の確認を終え、ジュードに頼まれていたある物を探し始めた。ウェイブ・ボート内に仕掛けられた爆弾である。
当然館内は、SEALが最初に来た日にくまなく調べ上げられた。掃除道具を入れるボックス、配管内部、エレベーターの天井裏からトイレのタンクの中まで。
しかしその結果、何処からも爆発物は発見できなかった。その後、建物の外部に爆弾が取り付けられていた事が判明し、ヘレン達は部外者の犯行だと結論付けた。内部の人間ならわざわざ1、200フィートもの深海に潜ってまで爆弾を取り付けなくても、建物内に仕掛けるはずだからだ。
だがジュードはどうしてもあの爆弾に不信感を抱かずにはいられなかった。何故取り付けたならすぐに爆発させなかったのだろう。これが内部に離反者が居るのではないかと疑う原因となった。
もし内部の人間なら、SEALが調べた後に取り付けるのが妥当だろう。そう考えたジュードはアズに爆弾を探すように指示したのだった。
飛行場に登って来たエレベーターのドアの前で待っていたヘレンは、ドアが開くなり乗っていたジュードに言った。
「・・・で?この私をこんな場所まで呼び出す程の用事なんだろうな。ミスター・マクゴナガル」
「わざわざ来て下さってありがとうございます、シュレイダー大佐。本来ならこちらから伺うべきですが、女性の部屋をお訪ねするのも失礼だと思いましたので・・・」
丁寧に頭を下げた彼に、ヘレンはフンと鼻を鳴らして答えた。若いくせに妙に礼儀正しい彼の態度をヘレンは嫌いではなかった。それに若い男性に女性として気を遣われるのは気分の悪いものでは無い。
「ほう?私の部屋に盗聴器でも付いているというのかな?」
珍しくヘレンはエレベーターから降りてきたジュードに笑いかけた。
周りを取り囲むSEALの船が灯す小さな明かりがぽつぽつと海に浮かんで、まるでどこかの港に居るように錯覚させる。そんな海に浮かんだ飛行場の上を彼等は揃って歩き始めた。
「その可能性が無いとは言い切れませんので」
「何?それはどういう意味だ?」
一瞬でヘレンの表情から笑みが消えた。ジュードはその女性らしくない太い眉をひそめて不満を顕にしているヘレンを見上げた。
「その質問にお答えする前に、一つだけ質問を許していただけますか?」
「何だ」
「オレの想像ですが、あの10個の爆弾。あれは本当に爆弾でしたか?爆弾だったとして、本当にウェイブ・ボートを支える柱を全て破壊できるだけの威力はありましたか?」
一体何を言い出すのだろう。ヘレンはむっとしてジュードを見下ろした。たかだかSLSの訓練生の分際で・・・。そんな事を大佐である自分の口から言えるわけが無いだろう。だが言って何か問題があるのだろうか。それより彼が私をここに呼び出した意味を知る方が今は大切な気がする。
そんな風に考える自分を少しおかしいとヘレンは思った。いつもならバカバカしいと言って彼の呼び出しにも応じなかったはずだ。
だが、ヘレンは守りたいと思っている人間の為に迷う事なくここに残った彼を、煩わしいと思いつつもその勇気を賞賛していた。それは愛するものを守る為に祖国に殉ずる軍人と同じ心なのだ。
「命がけで取ってきたシェランの事もあるから黙っていたが、確かにあれだけではこのウェイブ・ボートの巨大な支柱を全て破壊するのは無理だ。詳しい結果はまだ出ていないが、せいぜい表面を覆っている50センチ程のセメントをはがすくらいが関の山だろうな。あれではこのウェイブ・ボートを海に沈める事は出来ないというのが我々の見解だ。あの男もたまにはミスをするのだな」
「そうですか・・・・」
小さな声で答えたジュードの横顔は、まるで泣いているように見えた。その両手で冷たい鉄の柵を握り締めながら、どうして彼はそんな悲しい顔をしているのだろう。
「シュレイダー大佐。今から言うオレの言葉を聞いたら、あなたはきっとお怒りになられるでしょう。でも一度だけ、たった一度でいい。このオレを信じてもらえませんか?あなたの協力がどうしても必要なんです。ここに居る3,500人の命を守るため、そしてあなたの大切な部下を守る為に・・・・」