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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第8部 深海のダイヤモンドリング 【5】

「いいかげん放してくれないか?せっかくの酒がぬるくなってしまう・・・」


 ヘレンは木製のバーカウンターの上で腕を押さえつけたまま、自分をじっと睨み上げているシェランに言った。




 ヘレンの部屋はシェランの部屋とほぼ同じつくりであったが、唯一つ違うのは、このバーカウンターが設置され、その向こうの壁に所狭しと様々な種類の酒が並べられている事だ。ウィスキー、バーボン、コニャック、テキーラ・・・・。


 酒好きのVIPの為に用意されたものだろうが、シェランの部屋の隅にはこれに変わって書斎が設けられていた。


 細長いデスクの前にはこれもまた、所狭しと様々な種類の分厚い本が並んでいる。。海洋学、経済学、フランス語やロシア語の本まであった。この部屋割りをした人物が故意に彼等をこれらの部屋へ案内したのなら、なかなか粋な計らいだろう。


「それとも君も飲みたいのか?オールドグランダット114。本当の酒好きならこういう酒を飲まなきゃねぇ」


 ヘレンはもう片方の手で、そのバーボンのボトルを掴み上げた。


「ライフセーバーになってから、お酒は飲まない事にしているの。いつ呼び出しが掛かるか分からないから」

「それはいい心がけだな・・・」


 シェランがやっと腕を放してソファーに腰掛けたので、ヘレンもお気に入りの酒を口に運び、話の続きを始めた。



「超微生物を知っているか?古代からこの地球上に存在した微生物だが、その生態が明らかになってきたのは近年なんだ。彼等は極端に厳しい自然環境の中を生き抜いてきた微生物で、あるものは何万トンもの水圧が覆いかぶさる海中に生き、あるものは何百度という炎の中で生息する。


 マイナス70度に及ぶ南極の氷の中で生き続けているものもいるし、100万ラド(広島に落とされた原爆の1,000倍)の放射能を浴びても、その生態を変化させないものも居る。それらを称して超微生物と呼んでいるんだ」


 ヘレンはバーボンをグラスに継ぎ足すと、それを持ってシェランの居るソファーの前にもう一度座った。


「超微生物は主に海の近くに生息していると知られている。デイダーはこの超微生物研究では世界でトップクラスの技術と人材を持っているのだ」

「だから何なの?」


 シェランはストレートでバーボンを煽りながら、顔色ひとつ変えないヘレンをムッとした顔で見た。


「たかが微生物の研究を守る為に、3,500人もの人間を閉じ込めておく必要があるのかしら」


「シェラン。アメリカ政府が“たかが”と呼ばれるものの為に、巨額の研究資金を投資すると思っているのか?政府が出資している企業は様々だが、それらの企業はもちろん自社の利益の為だけに存在するわけでは無い。


 彼等はこの地球上に生息する全ての未来の為に働いているんだ。いいか?地球は惑星としては随分老齢だ。にもかかわらず人類は己の利潤を追求する事をやめられない。


 温暖化がどんどん進めば、南極の氷が解けてニューヨークもフロリダも海に沈む。ウォーターワールドだ。反対に地球よりももっと老いている太陽が力を失っていけば、再び氷河期がやって来るだろう。


 オーストラリアの上空には巨大なオゾンホールが開いていて、とてつもない紫外線が地上に届いている。それがもっと広がってしまったら?宇宙からは微量だが常に放射線が降り注いでいる。それを防ぐものがなくなったら、徐々に人類は放射能に侵され、発ガン率は何十倍にもなるだろうな。


 そうでなくても、こんな不穏な時代だ。二つ以上の核保有国がひとつのボタンを押し合っただけで、地球上の80パーセントが死滅する。生き残った人間も放射能に侵されて長生きは出来ないだろう。そういったあらゆる状況を考慮すれば、この超微生物研究がいかに重要か分かるだろう?


 いかなる温度にも水圧にも放射能でさえ耐えうる人類を作り出すことが出来たら・・・。それはきっといかなる生物兵器にも対抗できる人間になる・・・」




 黙ってヘレンの言葉を聞いていたシェランは、膝の上の両手を強く握り締めた。結局そうなのだ。人類の未来の為と言いながら、彼等の頭にはそれらを兵器として利用する事しかないのだ。そんなに世界一でいたいのか?だからあの男のような敵が現れたというのに・・・。


「何が起こっても死なない人間を創って、世界最強の殺人部隊でも作り上げるつもり?起こるかどうか分からない未来よりも、今あなた達が欲しい力はそれなのでしょう?」


「当面はそういう方向で動くだろうな。軍の中にはロボットだけの部隊を作ったらどうかと考えている人間も居る。その方が絶対死なないからね。それに人を殺す事をためらったりしない。・・・でも私は・・・人は死ぬからこそ美しいと思うし、人を殺す事を恐れないようなものに、殺させてはいけないと思っている」



 ヘレンの冷たい瞳の中に、ほんの少しよぎった人間的な感情を見て、シェランはホッとしたように肩を落とした。ヘレンは生粋の軍人だ。だから上層部からの命令には絶対に忠実である。だがそれでも、人として時折感じる不信感と葛藤する時もあるのだろう。例え友にはなれなくても、そんなヘレンの人間的な一面を垣間見れただけで良かったとシェランは思った。


「ヘレン・・・人類の未来も大切よ。でも今の私は、ここに居る3,500人の人達を守りたいだけなの・・・」


 シェランはそう言い残すと彼女の部屋のドアを開けた。


「そうだな。君はライフセーバーだからな・・・・・」

 







 部屋を出た後、シェランは明るいライトに照らし出された廊下を歩き始めた。あの後ヘレンは『でも私は軍人だ』と言いたかったのだろうか。


 シェランは自室には戻らずに、すぐ側のエレベーターに乗り込むと、27階のボタンを押した。エレベーターの扉が開いた先の廊下は暗く静まり返っていて、昨日ジュードと来た時と同じように誰の姿も見る事はなかった。


 水族館のような休憩室のドアを開けると、青い光に照らし出された海と、沢山の魚達が憂鬱なシェランの気持ちを癒してくれた。


「餌を待っているの?じゃあ今日は特別サービスね」


 シェランは目の前の魚達に語りかけると、餌のボタンを押した。途端に身を翻して魚が餌に群がった。



 その様子を見ながら、昨日ここでジュードと踊った事を思い出した。初めてだと言っていた彼はとてもおぼつかない足取りで、シェランの足を踏まないように気を遣っていた。


 少しステップに慣れた頃、彼の顔を見上げて「上手よ、ジュード。もう何処に出ても大丈夫ね」と褒めた。青い光に照らされながら微笑み返した彼の顔は、とても大人びていて、いつもの彼とは違うような気がした。



 そういえばあの時、ふと違和感を覚えた。確か出会った頃の彼の背は、私と変わらなかったはずだ。目線が一緒だった。だが昨日すぐ近くに居て気付いたが、シェランの目先にあるのはジュードの肩だった。


― たった一年で男の子ってあんなに成長するのかしら・・・。何だか凄いわ・・・ ―


 普通の男子にしてはジュードの成長は遅い方だろうが、シェランには新鮮な驚きだった。卒業する頃にはもっと背が伸びているのだろうか。教官としてそれは嬉しい出来事のはずだが、シェランは何だか置いてきぼりにされたような気がして、少し寂しかった。


 彼とここで踊ったのは昨日の事なのに、まるで遠い日の思い出のように感じる。


 今日一日がとても長かったからだろうか。それともヘレンの部屋で話した会話が、余りにも非現実的だったからか・・・・。


 いや、そうではなかった。『私という名の男』とシェランはアーロンのように話をした事は一度もない。だから彼の声も知らないし、彼がどんな人間かはかり知る事も出来ない。


 だが、ここに来てからシェランはずっと彼の存在を肌で感じる事が出来た。彼自身がここに居る事など有り得ないが、それでも彼に関する何かがここに在るような気がする。


 それは5THにいた時も感じていたものだった。口では言い表せない何かが、まるで電流が走るように肌をピリピリとそばだてるのだ。

 

 後ろでドアが開く音に、シェランは驚いて振り返った。丁度『あの男』の事を考えていたので、彼が現れたのかと思った。


「あれ、シェラン?やっぱりボタン全部押せなくて心残りだったんだ」


 ジュードの明るい声に、シェランはホッとしたように笑った。


「う、うん、そうなの。ジュードはどうして?」


「それがさあ、今オレの部屋にアズと2人の姉さんが来ているんだ。姉さんの方は、ここが危険だから出て行くように言うし、アズは絶対に嫌だって言い張ってるし、挙句に一番上の姉さんは泣いちゃうしで、とにかく姉弟水入らずで話したほうがいいと思ってオレは出てきたんだけど、他に行く所が無いからここに来たんだ」


 シェランは昨日ウェイトマンが紹介した2人の姉妹を思い出した。豊かな黒髪の姉と、アズに良く似た元気そうな妹・・・。彼等所員にも分かっているのだ。ここは危険なのだと。だから弟を帰らそうとしているのだ。


 それが分かると余計シェランは不安になった。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ジュードが明るい声で尋ねた。


「シェラン、全部のボタン押した?これは何だろ、RED?」


 ボタンを押すと青いライトから赤のライトに変わって、あたり一面が真っ赤になった。


「うわっ、これはいけないな。マックスが見たら火事場みたいで嫌がりそうだ。あっ、シェラン、これ押してみて。このボタン」


 ジュードが指差したボタンを押すと、今度は海が虹色に輝き出した。


「凄い、きれい!海の中に虹があるなんて素敵ね!」

シェランが嬉しそうに叫んだ。


 暫く彼等は黙って虹色の光の中で泳ぐ魚を見ていたが、急にシェランが呟くように言った。


「ジュード・・・私、明日、潜るね」


 それは“救助函に代わる何かが来ていなくても?”とあえて尋ねる必要が無いほど、決然とした言葉だった。さっきの説明会の後、シェランは暗い表情でヘレンと姿を消したが、彼女から何かを聞いたのだろうか。シェランが潜らざるを得ないようにする何かを・・・。


 ジュードは覚悟を決めたように、引き締まったままの表情で前を見つめているシェランの横顔を見つめた。彼女が決めてしまったのなら、もう誰にも止める術は無い。止める権利も・・・。シェランの今の言葉には、それが含まれていた。



― もう、誰も私を止めてはならない・・・・ ―



「分かった。じゃあ明日オレは上に居て、フォローにまわるよ」


 シェランはホッとしたように、彼を見上げて礼を言おうとした。だが、窓の向こうに誰かが居るのに気付いて、虹色のライトに照らされた海の中を見つめた。



 SEALの隊員が着る潜水服とは違う、黒いダイビングスーツに身を包んだその人物は、顔にも黒いフードをかぶっていて、その表情は全く窺えなかった。彼はダイバー達がセーフティストップと呼んでいる安全停止をしている状態で、その場に留まりながらこちらに向かって手を振っていた。


 最初は夜間の見回りをしているSEAL隊員の誰かがふざけているのかと思ったが、彼はSLSの隊員や訓練生が水中で使う手話で、ゆっくりと言葉を送り始めた。


― お前達は・・・全員・・・海に・・・沈む ―

 

 ジュードとシェランは顔を見合わせた後、その男に背を向け、外のエレベーターに向かって一目散に駆け出した。ウェイトマンがこのエレベーターは205メートルを約60秒で動くと言っていたが、その1分間でさえ彼等には長く感じられた。


 飛行場に到着すると、すぐにライフシップに走りこんだ。シェランは潜水服を着込んで、大事そうにしまってあったハリソン社製のダイビング・コンピューターを取り出し腕にはめた。


「これで連絡を付けるから、あなたはここで私をフォローして!」


 シェランは話しながら走り出すと、水音をたてて暗い海に姿を消した。ジュードはシェランが飛び込んだ後、すぐに通信室にとって返して全ての回線をオンにした。


そしてマックスに連絡してヘレンに事の次第を告げ、SEALにシェランが不審に思われて捕らえられたりしないよう、又、先程の不審な人物を探すように指示してほしいと言った。彼等は水中ではライトを使って指示を出しているようなので、すぐに伝わるだろう。




 その頃シェランは、27階の虹色のライトがともる場所まで来ていた。周りに集まっていた魚が、突然の来訪者に驚いて、身を翻しながら逃げて行った。そこから更に潜って先程の人物を探したが、ウェイブ・ボートの光の届く範囲には誰も居なかった。


 これ以上潜っても何も見つけられないだろう。慌てて来たので水中ライトを忘れてしまったのだ。シェランは暫く建物の周囲を回った後、海上に居るジュードに今から戻ると告げて、ゆっくりと浮上した。







 SLSの隊員と訓練生がウェイブ・ボートでの調査を開始してから、三日目の朝を迎えた。ここへ来てから一度も荒れた事の無かった海だが、今日は海流が少し強いようだ。


 シェランはそういった情報と指示をSEALと本部隊員に出すと、ジュード達が居る船に戻ってきた。訓練生が宇宙服のような重い潜水服や装備を木箱から取り出し、準備を整えている間、シェランは不安そうに立って自分を見つめているキャシーの側に行った。


「あの潜水服を着たら身動きが取れないから・・・」


 そう言ってシェランはキャシーを抱きしめた。


「絶対大丈夫よ。心配しないで・・・」

「はい。教官・・・」


 重装備を身に付けるのを、レクターやピートに手伝ってもらいながら、シェランはマックスと共にダイビング・コンピューターの通信テストをしているジュードを見た。


 昨日あの男(体型からして、多分男だろうとシェランは判断していた)を見つける事は誰にも出来なかった。彼はSEAL隊員の目をかいくぐって、どこかへ消えてしまったのだ。


 一体なぜ、何の為に彼は来たのか?そして誰にも知られないよう気を遣っていたにもかかわらず、なぜシェランとジュードの前に姿を現したのか・・・。

 


 昨日ウェイブ・ボートに戻ったシェランは、ジュードと共に黒い潜水服の男の事をヘレンに報告したが、どうしても彼がSLSの隊員が使っている水中手話で話しかけてきた事は言えなかった。もしそれを知れば、ヘレンは間違いなくここに居るSLS隊員を尋問にかけるだろう。


 だが本当にSLSの隊員なのだろうか・・・。彼等はSEALからの依頼が無ければウェイブ・ボートに来る事はなかった。SEAL隊員も絶対にここがあの男のターゲットになっていると確信していたわけではない。SEALがSLSに依頼をしたのは偶発的なものだったのでは?しかしそれを全てあの男が事前に知っていたとしたら・・・。


 『私という名の男』は常に自分しか居ないように思わせているが、たった1人の力であれだけの事が出来るはずは無いのだ。とすれば、彼はそれなりの組織を持っている事になる。


 もし彼の息がかかった者が、軍やFBIに潜入していたとしたら・・・。SLSに居てもおかしくはないのだ。何と言ってもSLSはアルガロンや全米にある石油関連の施設に一番近い位置にあるのだから。



 しかし何よりもシェランが恐れていたのは、SLSの中でシェランと互角の実力があるのは、ただ1人しか居ないという事だった。もちろん彼はきっとシェランほどの実力は持ち合わせてないと否定するだろう。どんなに潜れても700フィートが限界だと。


 だが、どれ程頭の中で否定しても、昨日会った男がSLSの隊員だとすれば、レイモンド以外には考えられないのだ。


 昨日へレンに「何故、敵だと分かったのだ?」と聞かれた時、シェランが曖昧な返事を返してもジュードは何も言わずに居てくれた。その後もシェランに何も質問はしなかった。きっと彼も思っているのだ。もしかしたら・・・と。





 ダイビング・コンピューターの点検を終えて、ジュードがシェランの側にやって来た。分厚い潜水服に身を包んだ自分は、あまり格好のいいものでは無いだろうとシェランは思った。


「まるで宇宙服みたいね。とても重いわ」

「宇宙と同じさ。深海は未知の世界なんだから」


 ジュードはそう言いつつ、、シェランの腕にD・Cを取り付け、彼女の耳にイヤホンをはめた。


「通信はマックスとピートが担当する。オレ達は酸素キッドを用意してデッキに居るから」

「ええ、宜しくね。みんな」

 

 デッキの縁まで重い身体のまま歩いていくと、シェランはアクアラングを背負った。今回は深海用のヘルメットに直接レギュレターがついているヘルメット潜水なので、息をするのは楽そうだ。向かいの飛行場の隅ではSEAL隊員達が、まだ潜らずにシェランの様子を見守っていた。


 彼等はシェランの事が心配なのだろうか。それとも彼女が特別仕様の潜水服で何処までやれるのか、見届けようと思っているのだろうか。


 潜水用のヘルメットは何かあった時に目立つようにか、潜水服のように紺色ではなく白で、顔の部分は透明だが完全密封されていた。それを潜水服に訓練生が繋げると、シェランはもう前方しか視界が利かなくなった。



― 未知の世界・・・・ ―



 シェランもまだ1,000フィートを超えて潜った事は一度もない。そこに何があるかも分からない。もしかしたら昨日の男が待っているかもしれない。

 




 ライフシップから直接海へ入る為のオートデッキにシェランが乗ると、デッキはゆっくりと海に向かって下りていった。デッキの下部が着水する寸前、シェランはチラッと訓練生達を振り返り、まるで消えるように海に沈んだ。次にSEAL、本部隊員、訓練生が続いた。


 こんなに重い装備を着けて水中で動けるか心配だったが、水に入ると思ったより快適だった。完全防水と1,800フィートの水圧に耐える潜水服は、周りの音を一切遮断して、いつも聞こえていた空気が水中に吐き出される音さえ聞こえてこなかった。


 レギュレターを口にくわえなくていいのは、まるで魚になった気分だ。しかも重装備のおかげでいつもより早く潜れそうな気がする。


 シェランはまるでマナティが、身体を回して一回転する時のように水の中で回ってみた。


― うん、いい感じ・・・ ―


 SEALの隊員が何をしているんだろうという目で見ている。シェランはもう一度、今度は前から回転して頭を下に向けると、イルカがその尾びれを力一杯振って海底に潜る時のようにフィンをなびかせた。


 一瞬で姿が見えなくなったシェランを、心配そうに見つめていたキャシーの後ろから、アズが肩を叩いた。


“今日の教官は絶好調だ。安心しろ”


 キャシーは頷くと、仲間と共にエレベーターの周辺を点検し始めた。今日は訓練生が8本のエレベーターと飛行場と建物を繋ぐ柱を調べるのである。

 





 ウェイブ・ボートの光の漏れる窓の横を潜り切り1階に着いた時、シェランはふと上を見上げた。ただ1人、彼女の後ろを付いて来ている者が居た。SEALから提供された黒と濃紺の潜水服の人物は、水中で停まると彼女に手を振った。


「レイ・・・・」


 胸が締め付けられるような感覚を覚えながら身を翻すと、シェランはダイヤモンドリングの底に潜って行った。ここからは一切光の届かない、闇の世界である。





 ウェイブ・ボートの底辺に沿って進んで行くと、やがてその中心に建物を支える巨大な柱が見えてきた。これだけの建物を支える柱なので大きいのは当然だが、確かにヘレンが駆逐艦の水雷魚雷を撃ち込まなければ破壊できないと言った意味が分かった。シェランはゆっくりと水中ライトで照らしながら、柱の周りを回り始めた。



 急に耳元で“ザザッ”という雑音が流れた後、マックスの声が響いてきた。


『こちらホープライト(希望の灯)号。教官、そっちはどうですか?』

「快調よ。丁度建物を支える柱に到着した所。今からこれを調べながら潜っていくわ」


『了解。ジュードの奴、こっちに来て教官と話さないかって言ったのに、ずっと海を見つめていますよ。だからムリせずに戻って来て下さい。あっ、それから海の中があんまり快適だからって、10分おきに連絡するのを忘れないで下さいね。でないと心配して飛び込んで行きそうな奴が約2名居ますから』


「了解よ。では又10分後に・・・・」

 





 暗く圧力を増していく海は、人間など決して寄せ付けない脅威に満ちていた。音も光もない世界・・・。進もうとする手を押し返す威圧感。


 周囲50メートルもありそうな柱の周りを螺旋状に下っていきながら、シェランは柱に怪しいものが無いか見ていった。時折強い海流が流れている所に差し掛かると、バランスを崩しそうになる。900フィートを超えた辺りで水中ライトを上に向けると、暗い海の中に、はるか上へと伸びる柱がぼうっと見えた。





『ハロー、ホープライト号。こちらシェラン』


 通信室でシェランからの連絡を待っていたマックスは、急いでマイクに飛びついた。


「こちらホープライト号。教官、大丈夫ですか?」

『ええ、さすがに900を超えると、かなり水圧を感じるわね。でも・・・ずっと・・・よ・・・』

「教官?」


 さっきまで鮮明に聞こえていたシェランの声が、急に雑音にかき消された。


『―ザザッ―・・・マックス?・・・聞こえ・・・―ザザザッ―・・・』

「教官!シェラン教官!」


 マックスがどんなに呼びかけてもシェランの返事はなく、その内、雑音すらしなくなってしまった。ピートがすぐ外に飛び出して、ジュードを呼んだ。


「ジュード、来てくれ!教官と連絡が取れなくなったんだ!」


 急いで通信室に駆けつけたジュードが何度呼びかけても、やはりシェランからの返事は返ってこなかった。ショーンも心配そうに通信機を見つめている。


「シェランは何て?」


「900フィートまできているって。ちょっと水圧を感じる。でも・・・って言っていたから、多分その後、まだ大丈夫とか言おうとしていたんじゃないかな」


 以前シェランは970フィートまで潜った経験があるので、きっとまだ余裕はあるはずだ。さっき連絡をしてきたのはウェイブ・ボートの底なので、200フィートを約10分で潜っている計算になる。では5分・・・いや、水圧が増すから後10分くらいで1,000フィートを越えるのか・・・。


 ジュードは少し考えてから、側で不安そうな顔をしているマックス達に言った。


「とりあえずキャシー達が休憩で戻ってきても、教官に連絡が取れなくなった事は秘密にしておこう」

「そうだな。他の奴等はいいが、キャシーは潜って行きそうだからな」


 その後ジュードは、海流が強いせいかもしれないので、常に回線をオンにして呼び続けてくれと頼んで、再びデッキに出て行った。


「良かった。あいつ意外と落ち着いていて。キャシーの事まで考える余裕があるのなら大丈夫かな」


 ショーンが安心したように呟いた。


「さあ、心の中じゃかなり取り乱しているかも知れないが、不思議とあいつは、何か起こる前はなりふり構わず心配して必死に止めようとするんだが、いざ事が起こってしまうと急に冷静になる。あいつはそういう男だ。だから俺達のリーダーなんだろ?」


「さすが副リーダー。良く見てるねぇ」


 ピートとショーンはニヤッと笑った。






 タイミングがいいのか悪いのか、ヘレンが手配した救助函の代用品が到着したのは、それからすぐ後だった。


 呼び出しを受けてホープライト号が船着場に到着すると、丁度それは軍用ヘリから降ろされてSEALの隊員の手で彼等の船に積み込まれた。シェランの潜水服が入っていたのと同じくらいの箱を開けてみると、やはり同じように木枠に守られた潜水服が出てきた。


 その側にはもうひとつ、かなり大きく細長い木製の箱があり、それを開けてみると真っ黒な流線型のボートが出てきた。


 ボートと言っても人が中に乗るようなタイプではなく、上にまたがるようになっていて、前方にはブレーキ付きのハンドルがあり、その間には2個のメーターがあった。ハンドルの下側、ボートを挟むようにしてライトが2個取り付けられており、後方にはスクリューが一基ついている。


ハンドルを操作しながら水中を移動する物だろうが、ジュードはそれを見るなりムッとしてヘレンを見上げた。


「救助函に変わる何か・・・を手配してくださるとお聞きしましたが、これは一人用の水中バイクですよね」


「ああ、そうだ。敵に気付かれないよう、島などに上陸する際に使うものだ。重にシークレット・オペレーション(秘密作戦)で使うので、余り君達の目に触れる事は無いだろうな」


「これでどうやって深海に潜るんですか?」


 不機嫌そうな顔のジュードに、ヘレンは片目を閉じて言った。


「もちろん改良は加えてあるぞ。これは普通、横にしか進まないのだが、35度以上の角度で潜れるようになっている。それにスピードも最低3ノットを保てるように設計されているんだ。それなら減圧症の心配もあるまい?」

 

 ジュードはレスキューボール(救助球)のような、人間が乗り込んでそのまま浮上できるものを想像していただけに、落胆せずにはいられなかった。これでは気を失った人間を救助するのは困難だろう。


「不満なようだな、ミスター・マクゴナガル。せっかく君の為に用意してあげたのだが?」

「どうしてオレの為なんですか?」


「上でやきもきしながら待っている方がいいのか?シェランが途中まで帰ってきたら、君でも迎えに行けるだろう?まあ、シェランなら大丈夫だと思うが。彼女は特別だからな」


― 特別・・・ ―


 確かにシェランは特異な才能を持っている。天才ダイバーと呼ばれた父の才能を余す所なく受け継ぎ、己も伝説の潜水士と呼ばれるようになった。


 だが彼女自身は普通の女性だ。きっと同じ年頃の女の子達と一緒にカフェにでも座って話をしていたら、彼女が伝説の潜水士とか、鉄の女とか呼ばれている人間だとは誰も思わないだろう。


 それでもシェランは生身の人間が誰も行った事のない深海に、今たった一人で挑んでいる。彼女自身が望んだことではなく、自分以外の人間を守る為に・・・。心細くないはずは無いのだ。熟練したダイバーでも深海ダイブは滅多に行なわない。それほど危険だと分かっているからだ。


 ジュードは水中ボートのハンドルをぎゅっと握り締めた。


「操縦の仕方を教えてください。何かあった時には、オレが行きます」







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