第8部 深海のダイヤモンドリング 【4】
2日目も朝早くから捜索は開始された。訓練生達はウェイブ・ボートの屋上の捜索を行なっていた。かなりの広さはあるが、屋上には柱とエレベーター以外何も無いので、暗い中でも比較的作業はしやすかった。
午後からジュードはレクターやピート達と、船の上で潜水課の訓練生達が海に飛び込んでいくのを見ていた。彼は潜水課では無いので、彼等より短い時間の潜水を義務付けられていた。減圧症は後から発症する場合もあるので、注意が必要だからだ。それゆえ午前中の潜水を終えると、午後からは潜水課の補佐に回る事になっていた。
訓練生達が3度目の休憩を取っていた時である。轟音を響かせて輸送用ヘリが彼等の頭上を通り過ぎ、ウェイブ・ボートの飛行場に降り立った。シェランがダウンウォッシュの風を受けながら立ち上がり、2人の男が降ろしている大きな荷物を見つめた。
「来たわね・・・・」
彼女は待っていたように呟くと、ライフシップを船着場に寄せるよう指示した。
ヘリから降ろされた荷物をブレードやレクター達が船の中に運び込み、彼等の手によってそれは開けられた。
箱の中には更に木枠の箱があり、中の荷物を厳重に守っていた。幾重にもエアークッションが重なる中から現れたのは、まるで宇宙服のようなヘルメットと潜水服で、シェランはそれを取り上げながら嬉しそうに言った。
「これはね、SEALの化学班が開発中の物を急いで仕上げてもらったの。物理学上1,800フィートまで潜れるんですって。さすがゴリ押しへレンね。思ったより早く着いて良かったわ」
シェランは眉をひそめてその様子を見ている訓練生に向かって、それを広げて見せた。
「1,800フィートだって?そんなの生身の人間が潜れる深さじゃないぞ。第一、物理学上って事は、誰もそれを着て潜った人間は居ないって事だろ?」
思わず叫んだジュードをシェランは満面の笑顔で見つめた。
「当然でしょ?だから私が潜るんじゃない」
ダメだ。全く危機感が無い。それどころか、未知なる体験にワクワクしている子供のような顔をしている・・・。
ジュードは急にマックスの方を振り返ると、声をひそめて耳元で叫んだ。
「マックス!」
「な、な、何だ」
「止めろ!副リーダーだろ?」
「リーダーのお前に止められないものが、何で俺に止められるんだよ!」
ジュードはギリッと歯を噛み締めたまま、潜水課のピートとブレードとレクターを振り返った。
“何だよ、俺達に止めろってのか?”
“出来っこないだろ!”
“ムリ!絶対ムリ!”
ピートは泣きそうな顔で首を振り、ブレードとレクターは両腕で胸の前に大きく×印を作った。
「教官、差し出がましいとは思いますが・・・・」
いつも無口なアズが、仲間達の様子を見かねて口を挟んだ。
「1,000フィートを超えるとダイビング・コンピューターも役には立ちません。いくら教官が身体で深さを測ることが出来ても、深海でその力が発揮できるとは限りません。もし1,800フィートを超えて潜り過ぎてしまったら、大変な事になります」
しかしシェランは、待ってましたとばかりに潜水服の入っていた箱の奥から、大事そうにしまいこまれた20センチ四方の黒い箱を取り出した。
「だからついでに2,000フィートまで対応できるダイビング・コンピューターを作ってもらったの。有名なハリソン社製よ。あはっ、SEALって凄いわね。何でも作らせちゃうんだもの」
― 何が“あはっ”だ! ―
ジュードは益々苦虫を噛み潰したような顔をした。
「で、でも教官。もし深海で何かあっても、僕達では対応できません。第一、連絡の取りようもないじゃないですか」
「大丈夫よ、ショーン」
シェランはにっこり笑って、その箱の下から細いケーブルにつながれたイヤホンとマイクを取り出し、ダイビング・コンピューターに取り付けた。
「何と、このD.C(ダイビング・コンピューター)はね、通信も出来るの。チャンネルをこのライフシップの回線に合わせるとOK!30分おきに連絡を入れるわね!」
シェランはまるでテレビショッピングのアナウンサーが、自慢の商品をお薦めする時のようにダイビング・コンピューターを掲げた。どうやら訓練生に反対されるのを見越していたらしい。
ジュードは目を細めると、彼女の手からそれを取り上げた。
「ふーん、確かに凄い製品だね。でもいいのかな?レイモンドに言っても・・・」
さっとシェランの顔色が変わったのを、ジュードは見逃さなかった。
「何?レイに何を言うのよ」
「もちろん『教官はオレ達の反対をよそに、まだ実験もされていない潜水服を着て、1,800フィートも潜ろうとしています』ってね。シェランにとってあの人は本部隊員時代、世話になった大切な先輩なんだろ?昨日だって本部に戻って来いって言ってくれてたんじゃないのか?泣くほど嬉しかったくせに」
「ち・・・違・・・」
「彼にまで心配させていいのか?見ろよ。キャシーなんか本当に泣きそうなほど心配しているぞ?」
シェランはキャシーの顔を見た後、暗い表情になってうつむいた。
「5THの事件の時、あの『私という名の男』は、プラットフォームを支える支柱の中に爆弾を取り付けたの。その深さは970フィート。彼は言ったわ。『取りに行けるものなら、取りに行け』と・・・。だから私は行ったの。970フィートの深海に。今度は1,000フィートを越えてくるわ。必ず・・・・」
シェランは唇を震わせてジュードを見上げた。
「私が行くしかないのよ。その為に私はここに来たの。どうすれば行かせてくれる?」
ジュードはシェランの瞳を見ていられなくなって、彼女から目を逸らした。やっぱり止めようが無いのだ。あの男と今戦えるのは、彼女しか居ない・・・。
― だからさ。ここはジュードが大人になって、子供っぽいあの人を見守ってあげればいいんだ。放っておくと、とんでもない男に狙われちゃうかもしれないからね・・・ ―
『あの男』はシェランがここに来る事を知っている。そして彼女が再び自分に挑んでくる事も・・・。何てことだ。間違いなく仕掛けてある。1,000フィートを超える深海に・・・。
ジュードはやっとシェランが、本当にとんでもない男に狙われているのだと知った。
彼はシェランの手を掴むと、もう片方の手でその手の平の上にダイビング・コンピューターを置いて、彼女の手を握り締めた。
「海軍には原潜救助用の救助函があるはずだ。それを手配させる事。連絡は30分おきじゃなく、10分おきに・・・。約束してくれ。絶対無茶はしないって・・・」
「もちろんよ。みんなに心配をかけるような事はしないわ」
ジュードはシェランの手を離すとデッキから船の中へ入って行った。誰も居ない廊下で立ち止まると、廊下の鉄の壁を拳で叩いて、その握り締めた手に額をつけた。
― どうしてあの人なんだ?なぜ彼女が行かなきゃならない・・・。そしてオレは又、それを見ている事しか出来ないんだ ―
そのまま立ち尽くしているジュードの元にショーンがやって来て、彼の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ。例え1,000フィートの深海でも、教官なら爆弾を見つけて帰って来るよ」
「見つけた時に・・・爆発したら?」
ジュードは呟くように言った。
「そしたらみんな一緒に死ねるだろ?俺は平気だぜ。ジュードと一緒だったら」
「ショーン・・・」
ジュードは困ったように微笑むと、友の肩を握り返した。
ヘレンはウェイブ・ボートの一室で、迷惑そうにその瞳を細めながら内線電話の受話器を耳に当てていた。
「だからね。原潜の救助函がいるの。でないとあの子達、潜らせてくれないって言うんだもの。だからすぐ持って来て。今すぐ持って来て」
原潜の救助函だと?いきなり電話してきて何を言い出すのかと思ったら・・・。
ヘレンは眉をピクピク動かした後、冷静に答えた。
「シェラン。原潜の救助函なんて滅多に使わないものだよ。米国の原潜は沈まない事で有名なんだ。だからサルベージ船にも殆ど積んでいない。大抵はどこかの田舎町の工場で一部解体されたまま出番待ちというところだね。運んでくるにしても、一週間以上かかる。第一、救助函は原潜の救助ハッチに取り付けて使うもので、海中の人間を救助なんて出来ないんだよ」
「構わないわ。それでみんなが納得してくれるのなら・・・」
冗談じゃない。役にも立たないものを時間と経費をかけて持ってくるほど、SEALは甘くない。大体、原潜の救助函など誰が言い出したのだ?
ヘレンの頭の中に、シェランの教官室の前でじっと自分を見上げているジュードの顔が思い浮かんだ。原潜の救助函の事を知っているのなら、それがすぐに用意できない事も分かっているはずだ。
一刻も早くシェランには潜ってもらわなければならない。その為に新しい潜水服の完成を急がせたというのに、彼女が潜れないと言えば、救助函に変わる何かを我々が用意するだろうと彼は考えたのだ。
― 全く、厄介な子だな・・・・ ―
ヘレンは疲れたように首をひねった。確かに救助の手立ても無いまま潜らせるのは危険だ。シェランの両親の事もあって、ヘレンはこれ以上彼女に対して負い目を感じるのは嫌だった。
「分かった。救助函に変わる何かを用意させよう。君のかわいい生徒を納得させられるものをね・・・」
ヘレンは内線を切った後、ニヤッと笑って受話器を置いた。
「この私を利用した以上、君の覚悟も見せてもらうぞ。ミスター・マクゴナガル・・・」
その日の夕食の後、全ての隊員と訓練生は23階にある講堂に集められた。ウェイブ・ボートの内部に設置してある救助システムや脱出口についての説明を行なう為であった。
ここはウェイブ・ボートの中心辺りにある為、窓の無い円形の部屋になっていた。部屋の形に合わせるように壁から中央に向けて椅子が円形に並べられている。
皆が席に着くと、部屋の明かりが消え、四方から光の帯がスーッと伸びたかと思うと、中央の空中にウェイブ・ボートの立体図が浮かび上がった。
今日はウェイトマン所長ではなく、ウェイブ・ボートの警備主任であるジュリー・スミスの説明に従って、その図形は反転したり、上からの立体図になったりと、様々に方向を変えて映し出された。
「どの階にも水の浸入を防ぐシャッターが各セクションに用意されています。例えばここ、15階の水質研究室の5つの窓が破損した場合、この窓に付けられたセンサーが破損を即座に感知し、窓とドアにシャッターが下がります。
もしこのシャッターが水の勢いに間に合わなかった場合、廊下のシャッターが10メートルおきに閉じられる事になっています。ここまでで何かご質問は?」
SLSの隊員の1人が手を上げた。
「ここから脱出する手段は8つのエレベーター以外ないのですか?もしそうだとしたら、供給電力が全て停止した場合、ここは深海で孤立してしまうのでは?」
彼の質問の後、すぐに映像が電力室の場所を示した。ウェイブ・ボートの1階、15階、30階の3箇所で赤いランプが点滅し、そこから電気の流れる様子が現れた。
「そういった現象を防ぐ為に、電力室は3つに分けて電力をウェイブ・ボート内に供給しています。2つの電力室が使用不可能になった場合も1つが残っていれば、48時間、全ての電力を賄う事が出来ます。又、エレベーターが使用不可能になった場合ですが・・・・」
ウェイブ・ボートの立体図の中に5箇所、赤い点滅が現れた。
「館内から直接脱出する為のハッチです。中には10人収容できる脱出用の救助ボールが人数分備え付けられており、海上に出ると自動的に救難信号を発信します・・・・」
説明会の後、シェランはヘレンに話があると言って、自分の部屋から2つ先の彼女の部屋に来ていた。へレンが3人がけのソファーに腰をかけ足を組んだ途端、シェランは立ったまま、ヘレンに厳しい視線を向けた。
「ヘレン。今すぐ3,500人の所員をウェイブ・ボートから退去させて。でないと危険だわ」
「あれして、これしてとうるさい女だね。出来るわけ無いだろう?だから我々が来ているんじゃないか」
ヘレンはムッとした顔で立ち上がると、部屋の隅にあるバーカウンターに行き、好みのバーボンに手を伸ばした。
「分かっているの?たった5箇所よ。これだけの規模と人数の施設に、たった5つの脱出口。一箇所に700人の人間がやって来て、我先にと救助ボールに群がる。最後に生き残るのは何人?」
カウンターで、酒の入ったグラスを口に運ぼうとしたヘレンの腕を押さえつけてシェランは言った。
「全員が脱出しなければならないような事態に陥る可能性は今の所低い」
「全ての窓が割れたら?ここを支えている支柱が折れたら?」
「ここの窓はガラスじゃない。すぐそこに海があるように見えるが、水族館でも使われている厚さが6メートル以上あるアクリル板だ。滅多の事では割れん。もし全ての窓が割れたら、防水システムが働いて、中までの進入は防がれる。それにここを支えている支柱は、駆逐艦の水雷魚雷クラスの破壊力が無ければ壊す事が出来ないほど、強固な材質を組み合わせて作られている。君が心配しているような事にはならないよ」
シェランはそれでもヘレンの腕を放そうとはしなかった。
「じゃあ、なぜ私を呼んだの?可能性があるから、あの潜水服を作らせたんでしょう?ヘレン。彼に狙われて助かった所はある?私達が居たにもかかわらず、5THは二度と再起できない鉄屑の城になったわ。今まであの男が施設を破壊するのに一度でも失敗した事があったの?」
答えは否だった。なぜかアルガロンは最初から壊すつもりがなかったようなので難を逃れたが、今まで彼が関与していると思われる事件で、再起できた施設は一つも無いのだ。
バーカウンターの上で腕を掴まれたままのヘレンは、シェランと視線を絡ませていた。本当に彼等は厄介だ。潜水士という名が付いているのだから、ただ命令通り潜っていればいいものを・・・・。
「君達一般の人間には理解できない実験や研究を、ここではやっているんだ。ここだけじゃない。政府が出資している企業なんて、殆どがそういう目的の為に動いている。この深海の城は、外部からの侵入を防ぐ目的だけで建てられたわけではない。ここに居る所員を外に出さない、鉄の檻でもあるんだ」
シェランとヘレンがライフセーバーと海軍大佐としてにらみ合っている頃、ジュードは部屋で、テーブルの上に先程の説明会の時に貰った館内地図や説明書を広げて目を通していた。
「いくら人数分の救助ボールがあっても、700人以上の人間が一気に押し寄せたら殆ど機能しないなぁ・・・。救助ハッチ以外に助け出す方法は無いんだろうか・・・」
地上の建物のように非常口も無く、外に脱出しても、この水圧の中に生身の人間が出れば助かる見込みは無い。例え何らかの手段で海上に出る事が出来ても、酷い減圧症にかかって命を落とすだろう。
ウェイブ・ボートの館内地図を前に頭を悩ませていると、突然誰かがドアを激しく叩く音が聞こえた。相手が急いでいるようなのでこちらも急いでドアを開けると、いつもの数倍ムッとした顔のアズが無言で部屋に入ってきた。
「アズ、部屋を間違えてないか?」
彼には悪いが、久しぶりに1人で過ごせる部屋をジュードは快適に思っていた。しかし、そんな同輩の事などお構い無しで、彼はドアを勢いよく閉めると、ジュードに顔を近付けた。
「いいか、俺はここには居ない。誰が来てもここには居ないからな!」
まるでなぞなぞのような言葉を残して彼がベッドの向こう側に姿を隠した途端、再びドアを何回も叩く音と、女性の叫び声が聞こえてきた。
「ケイ!居るんでしょ?出てきなさい!」
「私達から逃げられると思っているの?」
外に居る2人の女性の声に聞き覚えは無かったが、状況からいって昨日紹介されたアズの2人の姉だろう。彼はあれから彼女達に見つからないように隠れ回っていたが、とうとう見つかってしまったらしい。
ジュードは開いた途端にアズと間違えられて顔を殴られたりしないよう(それ程、ケイコとユーコの声は迫力があった)ドアを開けてすぐ身を引いた。だが彼女達はジュードには見向きもせず部屋の中に飛び込んでくると、ぐるっと部屋を見回し、すぐにベッドの後ろに隠れたアズの耳を掴んで引っ張り出してきた。
「いたたたたっ、何するんだ!」
「何するじゃない!来ているのなら、どうして私達に知らせないのよ!」
ユーコはアズと並んでいると、まるで双子のように良く似ている。顔色が浅黒いので余計似ているように見えるのだ。
反対にケイコは、彼等から少し年齢が上に見えた。潜水士というより、やはり博士というのにふさわしいだろう。私服ではなく、ここの所員が着ている白衣を羽織ったままだったので、余計に年上のように見えた。
ユーコは黙ってむくれている弟に腹を立てながら更に続けた。
「あなた、SLSに入ってからママにも連絡を入れてないんですって?冷たい息子だってママが嘆いていたわよ」
「嘘だ。あのお袋が連絡を入れないくらいで、いちいち寂しがったりするもんか!」
「バカ者!」
妹達のやり取りを見ていたケイコが、いきなりアズの頭に鉄槌をお見舞いした。見ているだけのジュードも頭が痛くなりそうだったが、当然アズは頭を押さえて声も上げられなかった。ジュードは一人っ子なので、兄弟げんかが出来るのはうらやましいと思っていたが、これはとてもうらやましいという雰囲気ではなかった。
「母親はね。いつまで経っても息子がかわいいものなの。それなのに、夏も冬の休みも一度として家に帰ってないなんて!」
ジュードは思わず「え?」と声を上げてしまった。なぜならジュードはアズが夏休みも冬休みも、他の仲間と同じように帰郷するのを見送ってきたからだ。それなのに実家にも帰らず、一体何処に行っているというのだろう。
「アズ!家に帰ってないってどういう事だよ!」
今度はジュードが彼に詰め寄った。アズに限ってはと思うが、もし悪い仲間とでも関わりがあるのなら、何が何でもやめさせなければ・・・。
「お・・・お前には関係ないだろう!」
「ほう?関係ない・・・。リーダーのオレにも言えない事か。なら教官に申し出て、3人でじっくり話し合おうじゃないか。どうだ?今からシェランの部屋に行くか?」
シェランの名を聞いてアズの顔色がさっと変わった。色が黒いので顔色は分かりにくいが、きっと青くなっているだろう。彼にとってもシェランは尊敬する潜水士なのである。そしてそれは彼女が直接教えている潜水課の訓練生全員に共通しているとジュードは知っていた。
「ひ、卑怯だぞ。教官の名前を出すなんて!」
「卑怯?卑怯ねぇ・・・・」
ジュードは目を細めながら嬉しそうに笑うと、2人の姉に押さえつけられているアズに顔を近付けた。
「仲間を悪の道から救い出す為なら、卑怯者でも何にでもなるけど・・・。知っているよな?オレがそんな奴だって事」
知っている・・・彼は心の中で呟いた。
マックスが2年に進級できなくなりそうだった時、このバカは平気で炎の中に飛び込んだのだ。その時アズは機動でなかったことを感謝したくらいだ。誰があの偉そうな(自分の事は棚に上げて)デカブツ男の為に命を懸ける必要がある?
「あ、悪の道って何だ。俺は何にも悪い事なんてしてないぞ!」
「へえ?実家に帰るふりをしてオレを騙していたくせに・・・」
「誰が実家に帰るとお前に言ったんだ!俺はただ、ダイビングクラブのキャンプに参加していただけだ!」
「ああ、そうか・・・」
彼がいつも自信にあふれているのは、どこかで秘密特訓でもやっている成果だろうと思っていたが、夏も冬も潜りに行っていたなら納得できる。やはり彼は口だけの男じゃないと分かってジュードは嬉しかった。
しかし納得がいかないのは2人の姉だった。彼女達はアズを実家にも帰らずにキャンプに行くなんて身勝手であり、行くなら行くと母に断りを入れるべきだと攻め立て、その後ジュードにも食って掛かってきた。
「大体何?あなた。姉弟の間に割って入ってきて。リーダーって何なのよ」
ジュードはこういった技術もあり、能力に長けた人間の前では、ある程度上品ぶっておくことが信用を売る第一の手段だと心得ていた。彼はにっこり微笑むと丁寧に話し始めた。
「名前も名乗らずに失礼しました。僕はケイ君のルームメイトで、ジュード・マクゴナガルと申します。彼の所属するAチームのリーダーをさせていただいておりますが、リーダーと言ってもチームのまとめ役のようなもので、とてもケイ君の才気あふるるお2人の姉君に及ぶものではありません」
この言葉でケイコはすっかりジュードが気に入ったようだ。
「まあ、礼儀正しくていい子じゃないの。良かったわね、ケイ。良いお友達が出来て」
だがユーコは、ムッとしながらジュードを見ているアズを見て、何か感じるものがあったらしく、表情を変えなかった。
「だからって口出ししていいものじゃないでしょ?この子は私達の弟なの。弟に関しては私達に責任が在るのよ」
彼女はジュードを睨みつけるとアズの腕を掴んだ。
「来なさい。あんたの上司・・・いえ先生に言って、あんたをここから追い出してもらうから」
ジュードはびっくりして思わず叫んだ。
「ちょっと待ってください。追い出すってどういう事ですか?彼をここから帰らせるという事ですか?」
「そうよ。この子に居てもらう必要なんか無いからね」
― 必要が無い・・・ ―
そんな風に姉から言われるなんて、どんな気持ちだろう。ジュードはうつむいたまま黙っているアズを見て、口を出さずにはいられなかった。もう上品ぶってなんかいられるか。
「必要無いってどういう事ですか?彼は志願してここに来たんです。あなた達が心配で、2人の姉を守りたい一心で、今まで潜った事の無い深さに辿り着いたんです。最初は思ったより簡単に潜れたけど、何度も繰り返しこの深さにもぐり続けるのが、どれ程の重労働か分かりますか?みんな再圧チャンバーに何度も入りながら、必死に頑張っているんですよ」
「必死にならなきゃ守れない人に守ってもらわなければならない程、私達はヤワじゃないの。全くSEALも何を考えているのかしら。SLSの隊員ならまだしも、訓練生なんかを連れてくるなんて」
― なんかだって・・・? ―
ジュードのムッとした顔と、暴言を吐くユーコをハラハラした顔でケイコは見つめた。
「確かにあなた達プロのダイバーからすれば、オレ達は取るに足らない存在かもしれません。でもアズは潜水士になる為の努力を一度だって怠った事は無い。毎日尊敬する2人の姉のような潜水士になる為に、そしていつかあなた達を追い越してプロのライフセーバになる為に、彼はこの海の深さと自分自身と戦い続けている。
そんな弟を誇りと思わないで、ただの訓練生呼ばわりするんですか?オレが兄貴だったらここまで潜ってきたというだけで、良くやったなって抱きしめてやるけど」
ユーコはぎゅっと唇を噛み締めて顔を逸らした。出来るなら彼の言う通り、立派になったと褒めてやりたい。子供だとばかり思っていた弟が、チームのリーダーにこんなにも認められるほど頑張ってきたのだから。
どうしていいか分からずに黙り込んでしまった妹の肩を握り締めると、ケイコはジュードに笑いかけた。
「ジュードって言ったわね。あなた兄弟は?」
その問いにジュードは一瞬、顔を曇らせた。確かに彼には弟が居た。本当の弟ではなかったが、ジュードにとっては本当の弟以上に大切な存在だった。目の前にその顔が浮かんだが、ジュードは打ち消すように首を振った。
「そう、一人っ子なのね。だからあなたはチームの仲間を自分の兄弟のように思っているのかしら?もしそうなら、ケイだけじゃない。あなたもその仲間を連れて出て行きなさい」
ケイコはまるで今にも泣き出しそうに眉間にしわを寄せているユーコの手を握り締めた。
「さっきの説明会で図面を見たでしょう?あの5箇所の脱出口が何か起こった時に本当に機能すると思う?」
その質問の答えを知っているジュードは、黙ってうつむいた。
「そうね。あなたはリーダーだから気付いているのね。あんな物はなくてはならないから、お義理でつけたようなものよ。私の予想では3,500人の内、助かるのは最初に救助ボールに乗れた50名だけだと思っているわ。後は間に合わないか、自滅するだけ・・・・。
ジュード、ここにはね。外部に決して出してはならない情報や研究があるの。ウェイブ・ボートはそれを守る為、そして内部からの機密漏洩を防ぐ為に存在する。ここに何か在れば、それを知る人間達も共に海に沈む事。ウェイブ・ボートが設計された時からそういう計画だったのよ」
「そんな事はさせない!」
突然アズが叫んだ。彼の目に涙がにじんでいるのを、ジュードは初めて見た。我を忘れて叫ぶ姿も・・・。
「私達の力じゃどうにもならない力が、この世界には在るの。私達が今直面しているのは、そういう力なのよ・・・」
自分を抱きしめたケイコの腕の中からアズはジュードを見つめた。まるで懇願するようなその瞳を、ジュードはどうする事も出来ずにただ見つめ返した。