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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
28/113

第8部 深海のダイヤモンドリング 【3】

2時間おきに休憩を繰り返しながら、3度目の休憩でジュード達は今日の作業の終了を告げられた。後はSEALの別の隊が夜のパトロールを兼ねて周囲を調べるのだ。


 船から再び飛行場に降り立った彼等は、このウェイブ・ボートの責任者であるポール・ウェイトマン所長の出迎えを受けた。


 ウェイトマンは背の低い小太りの男で、決して見栄えのいいタイプではなかったが、そのグリーンの瞳の奥は知的な輝きを備えていた。彼は簡単に自己紹介と挨拶をした後、ウェイブ・ボートの中に案内してくれるようだ。


 彼がポケットから取り出した小さなリモコンのスイッチを押すと、目の前の床が円形にせり上がって来て、エレベーターの入り口が現れた。


「すごい!映画みたいだ」

「俺、テレビでこんなトイレ見た事あるぞ。時間になると地下から現れるんだ」

「よしてよ。トイレに入るみたいじゃない」


 他の隊員は疲れて口も利けないのに、訓練生は元気一杯だ。エレベーターに全員が乗ると「このエレベーターは205メートルを約60秒で上下します。しかし、完全変圧装置のおかげで身体に異常を感じる事は一切ありません」とウェイトマンが説明した。





 ウェイブ・ボートの中は、白い天井と壁に囲まれた整然とした空間が広がっている。海の中から窓を覗いてみた時も同じような無機質な感じだったが、案内してもらった部屋は反対にオーク素材を使った温かみのある部屋で、訓練生もSEALやSLSの隊員と同じように1人に一つの部屋が用意してあった。


 ジュードはさっき外から覗いた窓を今度は中から覗いてみた。部屋の中が明るいので外の様子は良く分からないが、時折光の届く範囲に魚の泳ぐ姿を見ることが出来た。


「これじゃあシェランの言った通り、すぐに飽きてしまうだろうなあ・・・」 


 いくら巨大で近代的な設備を備えた建築物でも、ここでは太陽の光も差さないし、まるで海の中に捕らわれているようだ。水族館で人は水槽の中に捕らわれた魚を見に行くが、ここでは人間の方が魚達に見物されているのである。



 ジュードがぼうっとして窓の外を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。


 ウェイトマン所長はウェイブ・ボートの中を案内しながら、今夜彼等を歓迎する為のディナー・パーティを用意していると語っていた。デイダー社の関係者をそこで紹介するつもりらしい。それでショーンが、Aチームの仲間を連れて迎えに来たのだ。


「みんな、早いな。もうシャワー浴びたのか?」

「お前が遅いんだ。俺達は腹が減ってるんだぞ。とっとと着替えろ」


 訓練の時に着るオレンジ色のツナギ姿のままで居るジュードを見て、マックスがイライラしながら言った。


「もう着替えてるよ。このツナギで行くんだ。これしか持って来てないし」


― 又か・・・・! ―


 皆はあっけに取られたように口をぽかんと開けた。彼はきっと卒業しても、このオレンジツナギを愛用するに違いない。


 よくこれと決めたら、家に居る時も車を洗う時も、もちろん買い物でさえ同じ服のまま暮らしている人間が居るが、ジュードは正にそういうタイプなのだろう。つまりファッションに関して、思い切り無頓着なのである。


「お前な、T.P.Oってものが無いのか?所長がディナー・パーティって言っただろ?そんな所にそんな小汚いツナギを着て行くつもりか?」


「パーティと言っても、SEAL隊員の為に開かれるようなものだろ?SLSの訓練生の事なんか、あんまり眼中に無いって。そういうマックスだってTシャツしか着てないくせに・・・」


「しょうがないだろ。そんなもの開くなんて聞いてなかったし。だがお前よりはマシだ。大体いつまでここに居る事になるか分からないのに、それしか持って来てないなんて、着替えはどうするんだよ」


「ああ、それなら・・・・」


 ジュードは愛用の今にも破れそうなグレーの(元々グレーだったのか分からないほど古そうな)布のバックから青いツナギ(ジュードいわく、これはSLSのタキシードである)を取り出して「これもあるから大丈夫さ」とにっこり笑った。




 そしてジュードの部屋から500メートル離れた対角線上にある部屋の中にも無頓着な女が居た。


「きょ、教官?その格好で行くんですか?」


 SLSの青いツナギを着たシェランは、ドアを開けたまま驚いたように叫んだキャシーを振り返った。


「だって、スーツなんて持って来てないんですもの。作業をするだけだって思っていたし。大丈夫よ。これはSLSの公式行事に着るツナギだし・・・と言っても訓練生用なんだけど・・・」


 何と答えればいいのか分からずに絶句しているキャシーの後ろから「ああ、ああ、全くこの女は・・・」と言いつつ大きな黒い影がシェランの部屋に入って来た。へレンである。


「何を考えてるんだ?デイダーはアメリカでも有数の企業なんだぞ。当然SEALの隊員は全員白の軍服で出席する。つまり正装をしているんだ。君は女のくせに恥ずかしくないのか?」


 シェランは突然現れた招かれざる客をムッとして見上げた。


「あら、ヘレン。その赤いドレス、とっても綺麗ね。でも私はSEALじゃないの。必要ないわ」


 ヘレンは両手を腰に当てると、胸をそらしてシェランを見下ろした。


「ほう、そうか。だったら別に構わないが・・・。だが君の生徒はどう思うかな?自分達の教官がそんなT.P.Oもわきまえない服装でパーティに出席するなんて、きっと恥ずかしい思いをするだろうなあ。せっかく尊敬する教官の為に決死の思いで675フィートも潜ったというのに、彼等の思いも浮かばれないねぇ・・・」


 生徒の事を言われると、シェランは泣きそうな顔になった。シェランにとって生徒は誇りだった。その彼等に恥をかかせる位なら、ここで餓死した方がましだ。


「私、行かない。夕食なんかいらないわ。ここに居る」

「何子供みたいな事を言ってるの?いらっしゃい」


 ヘレンがシェランの手を掴んで連れて行こうとしたが、シェランはその手を振り払った。


「行かないと言っているでしょう?私に命令しないで」

「命令するな・・・だと?SEALの重艦鬼神と呼ばれる、この私に向かって・・・」


 ヘレンは鼻の上をピクピクと動かした後、まるで子供のように軽々とシェランを肩に担ぎ上げた。


「キャアッ!何するのよ、ヘレン。下ろして、下ろしてったら!」


 暴れまわるシェランをもろともせず、ヘレンは彼女を担ぎ上げたまま赤いドレスを翻し、のっしのっしと歩き始めた。




 ウェイトマン所長が指定した部屋にやって来たジュード達は、思わず「おおーっ!」と声を上げた。中は広い会場になっていて、海に面した部分が水圧に耐える為の柱以外は全て窓になっている。要人などを招いてパーティをする為の部屋なのだろう。


 きっとSEALや本部隊員と一緒でなければ、ただ食事をとるだけで終わっていただろうとジュードは思った。


 ウェイブ・ボートの所員であろうか、胸に写真入りのネームプレスを付けた男性が、戸惑ったように立っている彼等を見つけて席まで案内してくれた。


 先に来ていたBチームのケインが、親友のキースやハリーとジュードに向かって手を振った。Bチームは潜水課の7人で参加しているのだ。青いツナギ姿のジュードを見てケインが悔しそうに言った。


「しまったあ!俺もそれを着て来ればかった!」

「やっぱりSLSって言ったら、青いツナギだよなぁ」


 キースも頷きながら答えた。


「オレもそう思ったんだけど、チームの奴等には不評でさ。オレンジよりもマシだって、これに着替えたんだ」


「ええ?何で?全員でこれにしたらオシャレだったのに・・・」


― 何がオシャレだ! ―


 苦虫を噛み潰したような顔をしているマックスの肩を、ピートが笑いながら叩いた。



 そんな訓練生から少し離れた円卓には、SLSの本部隊員が和やかに話をしながら、既に飲み物を口に運んでいた。


 さっきまでは緊張していて良く分からなかったが、本部隊員は皆、もう40歳近くか、それを超えているように見えた。さっき船の上でエドガーと会った時37歳くらいに思ったが、隊員の中に居ると彼がかなり若く見えた。


 つまりそれ程、本部隊員になるには時間が掛かるという事だろう。


 卒業して各地の支部に配属されてから、余程の実力をつけてからでないと本部には入隊できない。しかも本部はA、B、Cの三つのチームしか置かないことになっている。引退するまで支部隊員でいる人間の方がはるかに多いのだ。



 そんなSLSの誇る本部のエリート達の向こうに、エリート中のエリートであるSEAL隊員が居た。アメリカ海軍の中でも、更にトップクラスの実力のある人間しか入る事が出来ない海軍特殊部隊。


 シェランの両親の事もあってSEALに余りいい印象を持てないジュードでさえ、眩しく輝く白い軍服にその鍛え上げた身体を包み込んだ将校に、男惚れしないではいられなかった。


 その白い軍服の中にたった一人、今日は真っ赤なドレスを着ているシュレイダー大佐は、さぞかし実力のある女性なのだろう。ドレスを着ているのに軍服で居る時よりも迫力があるのが凄い。


 それにしてもヘレンが居るのに、シェランの姿が見えないのがジュードは気になった。もう着替えて姿を見せてもいい頃だ。





 皆が着席し、パーティが始まる時間になってもシェランは姿を現さなかった。暫くするとウェイブ・ボートの女性所員の1人が、マイクの付いた演台の前に立って丁重に挨拶を始めた。


「皆様、本日は本当にお疲れ様でした。米国の誇る海軍特殊部隊と特殊海難救助隊の方々に守っていただけて、私達も安心して研究にいそしむ事が出来ます。それではまずウェイブ・ボートのポール・ウェイトマン所長を紹介いたしましょう」


 いきなり電気が消えて、入り口のドアの所にスポットライトが当たった。ウェイトマンは地味なタイプだが、派手な演出が好きなようだ。まるでどこかのスターが入場してくるように中央のドアが両方開くと、ウェイトマンが黒のタキシードに身を包んで1人の女性をエスコートしながら現れた。


 キラキラと輝くラインストーンをちりばめたオフホワイトのドレスの女性は、その高く結い上げた髪と胸元にも輝く宝石をちりばめて、ほんの少し照れくさそうに頬を赤らめて立っていた。


 その姿に誰も彼もが目を奪われた。シェランを良く知るSLSの隊員も、訓練生も誰一人声を上げる者は無く、呆然と彼女だけを見つめた。


まるで固まったように衆人の目が自分に注がれているので、シェランは内心、冷や汗をかく思いだった。



― どうしよう、やっぱりおかしいんだわ。へレンが無理やり着せたりするから。もう、ヘレンのバカ!バカバカバカバ・・・・ ―


「ミス・ミューラー」

「は、はい!」


 ウェイトマンがにっこり笑ってシェランを見た。


「あなたのような美しい方と入場できて嬉しかったですよ。どうぞこちらにお掛け下さい」


 シェランはヘレンやルイスの座っている一番前の席を勧められた。


「はい・・・・」


 できれば今すぐ訓練生の側に行きたかったが、仕方なくシェランはヘレンの隣に着席した。



 ウェイトマンが演台に立って挨拶をし、研究所の主要な所員達を紹介し始めたが、ジュードは顔を伏せたままだった。


― 全く、何なんだ?あのシェランは。いつものスーツで充分だってのに、あんな胸の開いたドレスを着て! ―


 ジュードは普段シェランが決して女性という事を武器にせず、実力で男を黙らせてしまう所を尊敬していた。子供のように一直線で男を男と思っていない危なっかしい所もあるが、彼女の中に蓄えられた知性の輝きは、決して表面の美しさに引けをとるものでは無い。


 それこそが訓練生や同僚の教官さえも、畏敬の念を抱かせる要因なのだ。


「ジュード・・・」


 隣に座ったアズが、うつむいているジュードの腕を肘でつついた。


「さっき、後で話があるって言っただろう」

「ああ。まさか今ここで話すのか?」

「話さなくても、もうすぐ分かる。前を見ていろ」


 ジュードは訳が分からなかったが、言われた通り前を見ると、ウェイトマン所長が丁度女性職員を紹介する所だった。


「・・・彼女は主に海洋生物学を専門としています。潜水士としても有能で、みんなには泳ぐ生物博士と呼ばれていたな?ケイコ・アズマ博士・・・」


 アズと同じ黒髪に黒い目の女性は、長い髪を照れたように掻き揚げながら笑った。Aチームの全員がアズの顔を見た。ウェイトマンは更に次の女性の肩を叩いた。


「彼女はユーコ・アズマ。アズマ博士の妹で、海洋開発チームの若き女性リーダーです」


 彼女は短い髪を茶色に染めていたが、姉よりずっとアズに似ていた。


「アズ。姉さんなのか?」


 ジュードの問いに彼は黙って頷いた。だから彼はここに来たのだ。普段家族からの電話が煩わしいからと携帯を持たない彼も、姉2人の命が危険に晒されているのを知って、居ても立っても居られなかったのだろう。


「2人とも潜水士でな。今でこそエリート隊員の前だからしおらしくしているが、家に居たらもう、うるさいの何のって・・・。俺と親父はお袋を含む3人の女の為に、いつも無口にならざるを得なかった。


 潜水士になってデイダー何ていう大企業に迎えられたものだから、その口の凄さは益々エスカレートして、毎日自慢の連続だ。だから俺は、潜水士の中で最も過酷な海難救助の潜水士を選んだんだ。もう二度と俺の前で自慢が出来ないようにな」



 アズがいつも無口で仏頂面だったのには、そんな訳があったのか。今回の事件に2人の姉が関わっていなければ、きっと彼は潜水士になろうと思ったきっかけなど、チームの誰にも話さなかっただろう。ジュードはテーブルの上に肘を付いているアズの腕をぎゅっと握った。


「大丈夫だ、アズ。みんなここを守る為に必死で頑張ってる。そんな努力が報われないなんて事ないさ。そうだろう?」


 Aチームの仲間達が自分に向かって頷くのを見て、アズは不安そうな顔にほんの少し笑みを浮かべて頷き返した。それは彼が仲間に初めて見せた本当の笑顔だった。






 訓練生達がやっとありつけた食事を懸命に頬張り始めた頃、シェランの周りには沢山の将校が集まって、食事どころではなかった。


「先程は失礼いたしました、ミス・ミューラー。あなたのような方と一緒に仕事が出来て光栄ですよ」

「私はボビー・アラミスです。シェルリーヌ、この後、ぜひ私とダンスを踊っていただけませんか?」

「ボビー、抜け駆けするなよ。では次はこのジュアン・サンダースとダンスを・・・」


 エリート将校に周りを囲まれ、オロオロしているシェランを横目で見ながらヘレンはニヤリと笑った。



「作戦は成功のようだな」

「何の作戦?」


 ルイスが手に持ったソフトドリンクを飲みながら聞いた。


「これで明日から彼女が主導権を握っても、誰も文句は言わないだろう?」

「ああ、そういう意味か、あのドレス。少々高いレンタル料だったね」


「まさか、私が払うとでも?支払いは全部軍に回したぞ」

「さすが、ゴリ押しへレン・・・いや、大佐殿」


 ルイスは苦笑いをしながら目を細めた。





 シェランは何故将校達が急に群がってきたのか訳が分からなかったが、とりあえず全員とダンスを踊ってはいられなかった。それにカクテルドレスを生まれて初めて着たシェランは、こんな胸の開いたドレスを着て男性と踊るなんて恥ずかしくて考えられなかった。


「あ、あの、申し訳ありません。私・・・ダンスは訓練生としか踊らない事にしています。ほら、あそこに居るブルーのツナギを着た男の子。彼が私の専属のパートナーですの」


 シェランの言葉と一斉にSEAL隊員が自分を見たのとで、びっくりしたジュードは思わず好物の海老のシュリンプを飲み込んでしまった。むせながら水を一気に飲んでいるジュードの横にマックスやショーンがニヤニヤしながらやって来て、彼の肩を両側から叩いた。


「ご指名だぞ、ジュード」

「これは後で大佐をダンスに誘わなきゃだね」

「は?冗談だろ?オレはダンスなんか踊った事無いぞ」


 ジュードはまだ苦しそうに胸を叩きながら答えた。


「嘘つくなよ。高校の卒業パーティで踊っただろ?」

「ああ、それ。パスしたんだ。入学金はためていたけど、飛行機代が足りなかったからさ。バイトに行ってたんだ」


「何だって?」


 そこに居た全員が叫んだ。一生に一度の思い出に残る、高校の卒業記念パーティまですっぽかしてバイトに行くとは・・・。


「お前、卒業パーティで一緒に踊りたい女の子も居なかったのか?」


「女の子?それどころじゃないよ。SLSは学科試験もハイレベルだから、勉強とバイトは両立させなきゃならなかったし、身体も鍛えておかないと適正試験で落とされかねないし、もう忙しくって・・・。あっという間だったね、高校の3年間なんて・・・・」


 これはもう哀れと言うより見上げた根性だ。ここまでSLSに青春と情熱を注ぎ込んでいる人間は珍しいだろう。



「あーあ、ジュードがぐずぐずしているから、本部隊員に教官をさらわれちゃったぞ」


 レクターの言葉に振り向くと、1人の本部隊員がにこやかにSEALの隊員と挨拶を交わしながら、シェランの手を引いて彼等の中から連れ出していた。きっと困っているシェランを見かねて助けに行ったのだろう。


 彼はシェランよりずっと年上のようであったが、シェランが彼に向ける親しげな瞳で、彼が先程海の中でエレベーターの周りを点検していた本部の潜水士だと分かった。


「気になる?あの方、Aチームのリーダーですって」


 フォークを握り締めたまま呆然としていたジュードの横に、いつの間にかキャシーがやって来て、耳元で囁いた。


「Aチーム?シェランは本部でAチームだったのか?」

「いいえ、教官はBチームよ。あのエドガー・イヤミ男と同じね」


 ジュードは妙だなと思った。本部からは17人の隊員が来ている。という事は、エドガー以外にもBチームのメンバーがいる筈だ。なのに何故、昔の仲間であるシェランに誰も声をかけないのだろう。


「クリスに次ぐ新たなライバル出現って感じかしら?ジュード」


― 全く、入れ替わり立ち代り人をからかいに来て・・・・ ―


 ジュードは知らん顔をして、テーブルの真ん中に置かれたフルーツの盛り合わせに手を伸ばした。


「あっ、でもクリスはダメね。5年も一緒に居て、告白の一つも出来ないんだもの」

「告白できないのは、本気で好きだからだろう?」


「まあ、ジュードッたら・・・随分とライバルに同情的なのね」

「ライバル?」


 彼は鼻で笑い飛ばすと、オレンジを皮ごと口に放り込んだ。


「クリスもあの本部隊員も立派な社会人だ。大人で自分の生活をちゃんと築いている。オレみたいな金も無い、力も無い、ただの訓練生なんかにライバル視されたら向こうが迷惑さ」


「そんなの、あと2年もしたら解決する問題だわ」


 キャシーもフルーツの皿からリンゴを取ると、シャリシャリと音を立ててかじり始めた。


「分かってないな。オレ達は卒業したらフロリダから出て行くんだぜ?ジョージアやサウスカロライナならまだしも、西海岸のワシントンやカリフォルニア支部なんか、はるか彼方だ。時差まである。側にも居られない奴に何が出来るんだ?」


「じゃあ、本部隊員になって戻ってくればいいわ。それならお隣同士だもの。いつでも会えるわよ」


 キャシーもショーンと同じように甘い事を言っている・・・。ジュードは溜息を付きながら首を横に振った。


「SLSにオレ達みたいなチームがいくつあると思う?その中で本部隊員になれるのは、ほんの一部だ。彼等を見てみろよ。みんな40歳前後だぜ。例えオレ達が認められて本部に配属されたとしても、10年先か20年先か分かりはしないんだ」


 急にキャシーはガタッと音を立てて椅子を引くと立ち上がり、腰に手を当てて彼を見下ろした。


「何だ。ジュードって意外と意気地なしなのね。そんな事じゃ、教官の夢はいつまで経っても叶いっこないわ」


 キャシーはむっとした顔で彼に背を向けた。


「シェランの夢って何だよ」

「さあね、自分で聞いたら?」


 振り返りもせずに答えると、キャシーは肩を怒らせながら去って行った。


「何だよ、キャシーの奴・・・」

 



 食事を終えるとジュードは部屋に戻る事にした。他の人々はまだ会場で仲間同士語り合っていたが、パーティなどの雰囲気に慣れていないジュードには堅苦しいだけで、部屋に戻って寝た方がマシだと思ったのだ。


 建物の一番東側にあるエレベーターで21階まで下り、エレベーターホールから更に東の廊下を抜け、ドアについている差込口にカードキーを差し込んだ。しかし、何度入れても差込口の上に『ERRORエラー』と表示されてドアが開かなかった。さては部屋を間違えたようだ。

 

 カードキーを取り出して部屋のナンバーを確認すると『WEST21−17』と書いてある。確かにドアには『17』の表示があったが、ここは東側である。西側のNo.17の部屋と間違えたのだ。


「しまった。西と東じゃ真逆じゃないか・・・」

 

 恥ずかしそうに呟くと彼は反対側に向かって歩き始めた。




 ジュードが建物の中央にあるエレベーターホールに入ろうとした時だった。


「ごめんよ、シェラン。君を泣かせるつもりは無かったんだ」


 中から聞こえてきた男の声に、ドキッとして廊下の壁に身を隠した。さっきの本部隊員とシェランがホールの隅で話し合っていたようだ。


「レイモンド、私・・・・」


 シェランは両手で顔を覆い隠して、声を詰まらせながら泣いていた。泣きそうな顔は何度も見た事があった。だが彼女が人前で涙を流す所をジュードは一度も見た事が無かった。


― あの男、シェランに何をしたんだ? ―


 カーッと体中が熱くなるのを感じた後、ジュードはもう何も考えられなかった。気が付いた時にはシェランと彼の間に割り込んでいた。驚いたように見下ろしているレイモンドをジュードはきつい目で見上げた。


「オレ達の教官です。泣かさないで下さい」


「ジュード?」


 シェランはびっくりして顔を上げると、ジュードの背中を見つめた。


「ジュード?君がシェランの言っていた、Aチームのリーダーか?」


 穏やかに微笑んだ男はとてもシェランに酷い事をするような人間には思えず、ジュードは戸惑ったように彼の瞳を見つめた。


「ジュード、違うのよ。レイとは・・・昔話をしていて、昔あった辛い事を思い出してしまっただけなの。彼は悪くないのよ」

「本当に・・・?」


 シェランを振り返ってみると、彼女はまだ瞳を潤ませながらもジュードに微笑み返した。


「ええ、本当よ」




 ジュードはレイモンドの方へ向き直ると、深々と頭を下げた。


「お話中割り込んで、申し訳ありませんでした!」


「いやいや、話はもうほとんど終わりだったんだ。俺はもう戻るから、後は君が部屋まで彼女を送ってやってくれないか?」

「いいわよ。もうそこなんだから」


 シェランは断ったが、レイモンドはジュードの耳に顔を近付けると囁いた。


「彼女はちょっと子供だから気付いてないけど、あんな格好でウロウロさせられないよな。男なら分かるだろ?ジュード」


 ジュードはくすっと笑うと彼に頷いた。


「何?男同士でこそこそと・・・」


 シェランは不服そうに彼等を見つめた。


「いいから、帰ろう、シェラン。本部のリーダーの言う事は聞かなきゃダメだろ?」

「まあ、教官の言う事をちっとも聞かない悪ガキは何処の誰だったかしらね」

「はいはい。オレは悪ガキですよ」


 ぶつぶつ文句を言いながらもジュードと並んで帰って行くシェランの後姿を見ながら、レイモンドは苦笑いをしつつ頭をかいた。


「“オレ達の教官です。泣かさないで下さい”…か。教官冥利に尽きる言葉だよなぁ。あんな生徒が居たら戻って来いって言っても、本部に戻るはずは無いか・・・」





 シェランがカードキーを差し込んだ部屋は、さっきジュードが間違えて開けようとした部屋だった。彼は内心、鍵を開けようとしていた所に彼女が帰って来なかった事を感謝した。


「あっ、そうだ!」


 シェランは急に何かを思い出して、キーをバックにしまうと「ちょっと来て」と言いつつ、ドレスの裾を翻して歩き出した。


「さっきレイモンドにいい場所があるって聞いたの。行ってみましょう」


― 行ってみましょうって、こんな時間にそんな格好でか・・・? ―


 ジュードがどうしようか戸惑っている間にも、シェランはどんどん歩いて行くので、仕方なく彼女の後に従った。廊下の途中にある『STEP』の表示のあるドアを開けると階段室になっていて、シェランは更に上へ行くようだ。


「何処まで行くんだ?エレベーターで行った方が早いんじゃないか?」


 そろそろ息切れしてきたジュードが尋ねた。


「何言ってるの。これも訓練よ」


 シェランは平然として答えた。


 後ろから見ていると、シェランの履いているヒールの高さは5、6センチあるのだが、ジュードはそんな高い靴を履いて、こんな階段を何段も登っていけるのが不思議だった。


 そろそろ太ももの部分が痛くなってきた頃、シェランはやっと目的の階に付いたのか、再びドアを開けて暗い廊下に出た。ドアの横には27階と表示されている。廊下は壁の下側にフットライトが灯っているだけで薄暗く、ジュードは不安を覚えた。


「シェラン、勝手にウロウロしていいのか?」

「大丈夫よ。私達企業スパイじゃないんだし・・・」


 だがこれは、そう取られても仕方のない行動だ。こんな場所にわざわざ多大な資金をかけて研究所を建てていること自体、外界からの敵の侵入を防ぐ意味もあるだろう。政府からの依頼は決して一般人に知られてはいけない事柄も含まれているはずである。


 そんなジュードの不安などお構い無しに、シェランはやっと目的の部屋を見つけたのか、嬉しそうにドアの取っ手に手をかけた。


「見て、ジュード!とっても綺麗よ!」


 ドアの向こうの部屋は思ったより広く、さっきのパーティ会場と同じように海に面した部分が全て窓になっており、外側には青いライトが沢山ついていて、暗い海を照らしていた。そのせいで明かりのついていない部屋にも海の中から光が差し込んで、幻想的な空間を作り出している。


 その青い光に魚達が群れて集まっていて、正に水族館のようであった。どうやらここは所員の為に設けられた休憩所のようだ。所々にテーブルや椅子が並べられていた。


「ジュード、見て。餌をやる事も出来るみたい」


 窓際に沢山スイッチが並んだプレートがあり、シェランがその一つを押すと海の中に餌が放出され、ゆったりと泳いでいた魚達が急にざわめいて餌に群がった。


「へええ、だから魚がここに集まっていたんだ」


 彼等はこうやって気まぐれに出てくる餌を、ずっと待っていたのだろう。ジュードはシェランの隣に行って餌に群がる魚を見た後、嬉しそうに餌のボタンを何度も押しているシェランを見つめた。彼女はジュードより四つも年上なのだが、その横顔はまるで子供のようだ。


「もういいだろう?シェラン。ここには又暇な時に来ればいい。今日はもう遅いし・・・」

「もう帰るの?だってまだ全部のボタンを押してないわ」


 まるで子供・・・ではなく、本当に子供のような返事である。


「気持ちは分かるけど・・・え・・と、シェラン、そんな格好だし・・・」


 シェランはびっくりしたように口を押さえると、青い顔でうつむいた。


「やっぱり、やっぱり似合ってないのね。もう、ヘレンが無理やり着せたりするから、生徒の前で恥をかいちゃったじゃない!」


「え・・・?」


 彼女の言葉でやっとジュードは、全てがあの重戦車みたいな女大佐の仕業だったと分かった。考えてみればシェランが任務に就くのに、こんなドレスを持ってくるはずが無かったのだ。ジュードはホッとする反面、そんな風に思う自分をふと嫌だと思った。

 



 シェランは何もしなくても充分綺麗だ。だがこうやって着飾れば、もっと魅力的になって、色々な男を虜にするだろう。さっきのSEAL隊員達のように・・・。オレはそれを見たくないだけなんだ。


 彼女は若くて独身で、何を着ようと、どんな生き方をしようと、それは彼女の自由だ。他の誰かが彼女に『教官として、いつも慎みのある姿でいろ』何て言うのは、そんなのはただの、くだらない男のやきもちでしかないのだ。


 ジュードはうつむいたシェランの前に立って彼女を見下ろした。海から訪れる光に照らされてシェランの髪や胸元のラインストーンが、呼吸するたびにキラキラと青く光り輝いている。ゆっくりと胸の鼓動が高まっていくのをジュードは無理やり押さえ込んだ。



 どうせ側に居る事なんて出来ないのだ。息づかいが聞こえるほど、こんなに近くに居ても、余りにも君は凄すぎて遠すぎる。だったら側に居られる間だけでも守りたい。何の力も無い、こんなオレだけど、せめて君がいつも幸せそうに笑っていられるように・・・・。


「そんな事ないよ。とてもよく似合ってる・・・・」


 ジュードは驚いたように自分を見上げたシェランに笑いかけた。


「みんなシェランが、余りにも綺麗だからびっくりしてた。SEALの隊員なんて皆シェランのファンになっていたし、あの嫌味なエドガーも目を白黒させてたぜ。オレ達は凄く自慢だった。“どうだ、見たか。これがオレ達の教官なんだぞ”って・・・・」


 まるで花が開くようにシェランが笑うのを、ジュードは初めて見た。これでいい。きっとこれがAチームみんなの望んでいる事なんだ。


「シェラン、踊ってくれる?オレ、ダンス初めてなんだけど・・・」

「もちろんよ。あなたは私の専属のパートナーだもの」


 シェランはジュードが差し出した手を取って、ゆっくりとドレスの裾を翻した。






【予告】 第8部  深海のダイヤモンドリング 〈4〉


 Aチームの大反対に、とりあえず深海に潜るのを断念したシェラン。

そんな彼女とジュードの前に、SEALの潜水服を着た謎の男が現れた。


 彼はSEALなのか、それともSLSの隊員なのだろうか・・・。

やっと得た手がかりを元に、ジュード、シェラン、アズの3人は動き始める。

 


 

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