第8部 深海のダイヤモンドリング 【2】
シェランの教官室を出てすぐに、ジュードはAチームに召集をかけた。集合場所はいつも集まっているミーティングルームAである。
本館の階段を駆け降り、ミーティングルームに向かいながら、ジュードは2年になってすぐの頃、みんなで食事を取っていた時に、マックスが急に話しを始めた事を思い出した。
「俺はみんなのおかげで2年生になれた。本当にありがとう。特にジュードには感謝している。夏休みの間、ずっと俺に付き合ってくれて、いろいろな面で必死に支えてくれた。本当にありがとうな、ジュード」
ジュードは真っ直ぐに自分を見て『ありがとう』と言われた事が無かったので、照れて真っ赤になってしまった。
それからマックスはチームがまとまっている事がいかに大切か、今回の件で良く分かったとも述べた。それは全員一致した意見だったので、この際チーム内で最低限のルールを設ける事にした。
エバとキャシーには事後承諾になってしまうが、彼女達はいつも仲良くまとまっているので、一番問題になりやすい男達だけのルールを決めたのだった。
1.決して1人で悩んだりせず、必ずチームの誰かに相談する事。
2.何か事が起こった時にも必ずチームを通す事。
3.ケンカに巻き込まれた時は、エバとキャシーの身の安全を優先する事。
最後にジュードが『決してチームのメンバーの悪口を言わない。言いたい事がある時は面と向かって言う事』という4つ目の条項を入れて決定した。
「ジュード、3つ目に1人入れ忘れてないか?一番大切な人を」
ジェイミーがニヤッと笑って言うと、ショーンが代わりに答えた。
「あ、いいのいいの。シェラン大佐はジュードが個人的に守るんだからさ」
「何勝手な事を言ってるんだ。大体あの人が、ケンカに巻き込まれるわけ無いだろ?」
ジュードは思わず叫んだが、シェランはついこの間、しっかり自分からケンカに巻き込まれていたのだった。
「ホントにシェランは・・・。体当たりというより、無鉄砲なんだよな。だから放っておけないんだ」
談話室や食堂で友人達と過ごしていたAチームメンバーの携帯が一斉に鳴り響いた。
「ルームAだ」
「行くぞ」
『ルームA』とは彼等が集合する時の合図だ。
「チェッ、今日は俺が当番かぁ・・・」
ノースは『ルームA』の後ろにAzという文字が付いたメールを見てぼやいた。アズは携帯を持っていないので、召集者が任意で選んだ人間がアズを探して連れて来なければならないのだ。
ジュードは集まったチームのメンバーに事の顛末を話して聞かせた。1年生は除外して2年生と3年生で自信のある訓練生は参加してもらいたいと、食堂の横にある掲示板に貼り出す事にした。ライフシップに乗って彼等をフォローする訓練生も必要だ。
次の日の朝、集合場所である中講堂に集まったのは、3年の潜水課からはAチームの副リーダー、メイソン・ポー、Bチームからスチュアート・レイズ、Cチームからリーダーのジョン・バーンズの3人。
2年生はAチームのアズとキャシー、Bチームのヘンリーとザック、Cチームのリーダー、ジーン・ハリスの5人で、後は彼等をフォローする為に2年の3チームから5人ずつ、3年の3チームから5人ずつ、合わせて30人が参加した。
3年の潜水課は3人で2年が5人集まったのが悔しかったのか、メイソンが「今年の2年の潜水課は出来がいいようだな」と呟いた。
だが、もちろんアズやキャシーそしてヘンリー、ザック、自信家のジーンでさえ、675フィートもの深さに潜れる自信は無かった。だが挑戦する価値はある。このオペレーションは合衆国の誇るSEALとの協同作戦であり、現代の粋を結集した装備に触れられるというのも魅力だった。
だがそれ以上に彼等が興味を持っていたのは、シェランの潜る姿だった。どれ程深く潜っても、恐怖を感じない人間はどのように潜るのだろうか。そして、何処まで付いて行けるか、己の限界に挑戦してみたかったのだ。
昼過ぎにSEALから迎えのヘリが3台やって来た。1台は本部のヘリポートへ、後の2台が訓練校のヘリポートに降りて来た。ネルソンの情報によると、本部からは7人の潜水士が参加するらしい。しかし彼等をフォローするのはわずか10人。SLSの本部長官はそれだけ居れば充分と判断したようだ。
本館5階の校長室の窓から、ウォルター・エダース校長は苦々しい顔で訓練生達がヘリに乗り込むのを見ていた。
「全く・・・。あの鼻持ちならない女大佐め!」
昨日の夕方、何の前触れも無くやって来たあの女軍人は、簡単にウェイブ・ボートの件を説明した後、こう言った。
「ここの訓練生も参加させる事になりました」
なりました・・・だと?校長であるこの俺に何の相談も無く決めたと言うのか?
エダース校長は訓練生を参加させるのは絶対に反対だった。ここに居る限り、彼等はウォルターにとってシェランと同じように大切な子供である。それをお国第一主義の軍に利用されるなど、彼には耐えられない事だった。
だがヘレンは「断る。彼等は私の生徒だ。あなたが軍でどれ程の人間か知らんが、勝手な決定など受け入れられませんな」と答えたウォルターを鼻で笑い飛ばした。
「シェランも同じ事を言いましたが、生徒の方から行くと決めたのですよ。ジュード・マクゴナガル。面白い生徒を持たれたようですな」
ウォルターはハァッと溜息を付くと側のソファーの背もたれに腰掛けた。
「全く、あの子は・・・。いつも予想が付かない事をしてくれる・・・・・」
マイアミからジャクソンビルまではおよそ550キロメートルあるが、訓練生達を乗せた軍用ヘリは、その素晴らしいスピードで1時間も経たないうちに、彼等を海の上にぽっかりと浮かんだ八角形の飛行場まで連れて来た。
軍用ヘリに乗るのも初めてなら、これ程のスピードのヘリにも乗った事のなかった訓練生は、飛行場に降り立つまで胸の動悸が納まらなかった。
上から見下ろしたウェイブ・ボートの飛行場は、八角形の角の部分まで伸びる放射線状に広がった滑走路と、その傘の骨組みに似た滑走路の間に、一つずつ間隔をおいて四つのHのマークが書かれたヘリポートがあった。そのマークの上にヘリが1台ずつ降りて行った。
飛行場に降り立った訓練生達は、四方を海に囲まれている事をまるで感じさせない、その広さにまず驚いた。不必要な物は一切存在しないかのような整然とした鉄の大地。所々に在るはずの建物に下りる為のエレベーターの入り口さえ見当たらなかった。
本部のライフセーバーもヘリから降りてきてヒソヒソ話し合っていた。そういえば本部隊員と共に行動するのも初めてだとジュードは思った。
SLSのライフシップは既に昨日の夜から出港していて、彼等が来るのを船着場で待っていた。飛行場ではSEAL隊員が整列して、ヘリから降りて来たシュレイダー大佐に隊員の一人が駆け寄って敬礼した後、全員海から上がっている事を伝えた。
SLSの本部隊員と訓練生、そしてシェランがヘレンとルイスの後について彼等の前にやって来ると、ヘレンが彼等を紹介した。
「今日から捜索を手伝ってくれる、SLS隊員と訓練生諸君だ。彼等は深海作業専門ではないので、交代の時間は考慮してやって欲しい。それからSLSはチームワークがしっかりしているから我々の手を煩わすような事にはならないと思うが、訓練生はまだこの深さは未経験だ。何かあった時には、海上にいるSLSのライフシップに連絡を付けるように」
ヘレンは部下の顔をぐるっと見回した後、斜め後ろに立っていたシェランの背中を押して自分の横に立たせた。
「彼女の名はシェルリーヌ・ミューラー。海に入ってからは全て彼女の指示に従うように」
シェランが驚いたようにヘレンの顔を見上げるのと同時に、SEALの隊員の一人が「え?」と声を上げた。まだ25、6歳の将校の顔には、ありありと不満の色が窺えた。
「何かな?アスレー中尉」
「あ、いえ。お見受けした所、一般の方のように思いましたので」
「ふむ。想像通り、彼女は一般人だ。SLS訓練校の教官だからな」
― 訓練校の教官?たかが教官如きが俺達に命令するのか? ―
隊員の殆どがムッとしたような顔でシェランを見た。その様子を見てキャシーはわなわなと肩を震わせた。
「無礼だわ。あいつら・・・」
「放っておけ。海に入れば全員黙る」
アズがいつもの仏頂面で言った。
「ああ、そう。そうね・・・」
ヘレンは部下達の予想通りの反応を楽しむように笑うと、彼等の一番端に居る男に話しかけた。
「君はどうかな?ウェイ・ダートン大尉」
大尉と呼ばれた男は、じっとシェランの顔を見た後、全く表情を変えずに一言「従います」と言った。このウェイ・ダートンという男は彼等のリーダーなのか、それとも一番の実力者なのだろう。彼の言葉で否を唱える者は誰も居なくなった。
「ではSLSの皆さん。早速で悪いですが、船に行って準備をして下さい。装備は全て朝の内にライフシップに積み込んであります」
ルイスの声に皆がぞろぞろ歩き始めた。
ジュードは一番後ろに居るシェランをチラッと振り返ってみた。昨日から怒っているのか、シェランはジュードと顔をあわせようともしなかった。これは又、帰ったらこき使われるかな・・・。そう思いつつ船に上がろうとした時、シェランの後ろから本部隊員が1人、彼女の側にやってくるのが見えた。
背の高いがっしりとした体格と、大きな顔の割には目の細い男だ。
「久しぶりだなぁ、カーナル・オブ・ザ・フィッシュ。彼等が君の生徒かい?」
その男の態度から、シェランが本部隊員だった頃のチームメイトだと思われたが、シェランは何故か表情を硬くした。
「ええ、そうよ。エドガー」
「へえ、君の生徒だからさぞかし優秀な訓練生なんだろうなぁ。675フィートも潜れる人間が8人も居るとはねぇ」
上から見下したようにシェランを見ているこのエドガーという男に、キャシーの“嫌な男感知センサー”は敏感に反応した。(キャシーの身体の中には生まれつき嫌な男を感じ取るセンサーが付いているらしい)
「何、あの男。偉そうね!」
「教官の元同僚かな」
ヘンリーも立ち止まって振り返った。
「彼等はまだ未経験者よ。無理をさせるつもりは無いわ」
「おやおや、そうなのかい?まあ、ここまでやって来たんだ。是非君の教え子の実力を拝見させて頂きたいものだねぇ」
エドガーはその細い目を益々細くしてシェランにニヤッと笑いかけた後、高笑いをしつつ本部のライフシップに戻って行った。
「あれはやっかみだな」
ザックも気になったのか、キャシーとヘンリーの会話に入って来た。
「自分ではシェラン教官に敵わないものだから、俺達をダシに教官を侮辱してやろうと思っているんだ」
「さすが分析好きだけあって、的確だな」
ジーンもやって来た。黙ってムッとしているアズの横で、キャシーは最高のアイディアが浮かんだらしく、目を細めて嬉しそうに笑った。
「まあ、教官を侮辱ですって?そんな事をしてごらんなさい。私の前に跪き、生まれてきた事を後悔しながら『殺して下さい!』と泣き叫ぶまで、酷い目に遭わせてあげる。エ・ド・ガー・・・?」
キャサリン・リプス。この女だけは敵に回してはならない・・・と男達は思った。
SLS本部のライフシップが1隻しか来ていない所を見ると、どうやら本部はSEALに余り協力的ではないようだ。対して訓練校のライフシップは5隻。校長の命であったが、無論、こちらもSEALに協力する為ではなく、シェランと訓練生の為に出されたものだった。
シェランに挑戦的な本部隊員の事も気になったが、ジュードには他にも気がかりがあった。昨日の夜、部屋に戻ったジュードを待っていたようにアズが話しかけてきたのだ。
「ジュード、さっきの建物の名前、ウェイブ・ボートって言ったな」
「え?ああ。そうだけど・・・」
「会社の名前は?」
「えーと、確か・・・デイダーって名前だったよ」
「そうか・・・」
それっきり彼は黙り込んで、ベッドに入ってもずっと眠れないようだった。今日も一段と仏頂面だし、どうして彼はウェイブ・ボートを所有する会社の名前を尋ねたのだろうか・・・。
ジュードは皆に手伝ってもらって深海作業用の潜水服を着ると、身体に合わない大きな潜水服を、同じく一般の仲間に手伝ってもらいながら無理に着込んでいるキャシーの側に行った。
「キャシー。シェランの名誉を守りたいのは分かるけど、無理はするなよ」
「私のことが言えるの?機動のあなたが何故潜水服を着ているのかしら」
キャシーは潜水服が分厚い為か、ファスナーがうまく上がらないのにイライラしながら答えた。
「オレは駄目だと思ったらすぐに上がってくる。だから君も・・・」
「ジュード!」
キャシーはいきなり彼の胸倉を掴むと、厳しい瞳でにらみつけた。
「これは潜水士の戦いよ。あのエドガー・不細工男!(セカンドネームが分からないので勝手に付けている)Kill Him!(ぶっ殺してやる!)」
これは駄目だ。完全に切れている。アズを見ると思い詰めたような顔をしているし、シェランはシェランで昔の仲間にあんな態度を取られたせいか、とても落ち込んでいるようだ。
ジュード自身も127フィートまでしか潜った経験が無いので、他の仲間の足手まといにならないか心配だったし、675フィートなど全く想像も出来ない世界だった。おまけにもう既に『私という名の男』が爆発物を仕掛けている可能性もある。
シェランに問いかけた「3,500人もの人間を救えるのか?」という言葉は、そのまま自分自身への問い掛けであった。
ジュードが深刻な顔で考えながらふと顔を上げると、1人壁際に立っているシェランがじっと自分を見ているのに気が付いた。ジュードが固まったように立っていると、シェランがゆっくりとこちらに近付いて来た。
― な、何だ?まさか今更「潜らせない」なんて言うんじゃないだろうな・・・ ―
近付いてくるシェランから目を逸らすと、ジュードは逃げるべきかどうか悩んだ。
「ジュード・・・」
シェランの細い指が自分の髪に触れたのを感じ、ジュードは驚いて彼女の方を振り向いた。
「水中ライトを忘れているわ。下は真っ暗よ」
シェランは頭に付けるライトを彼の首にかけると、他の訓練生の様子を見る為に去って行った。ジュードは彼女の指が触れた額に手をやると唇を噛み締めた。
― 本当に守りきれるのか?オレなんかで・・・・ ―
潜水する9人以外の訓練生は彼等の準備を手伝った後、5隻の船に6人ずつ分かれて乗り込んだ。SLSのライフシップは彼等を乗せた後、ウェイブ・ボートの周りを取り囲むように停泊した。
その内の1隻にジュードと潜水士候補生達が集まると、シェランは2列に並んだ生徒の前に立って、彼等の顔を1人ずつ見つめた。
「3年生とは初めて一緒に潜るわね。メイソン、スチュアート、ダスティン。暫くの間、宜しくね」
目の前でにっこりと微笑んだシェランを見て、3年生達はポーッと顔を赤らめた。シェランの噂は聞いていたが間近で彼女を見たのは初めてで、その整った顔立ちや潜水士とは思えない肌の白さに思わず照れてしまったのだ。そんな3年生を見て、彼等の後ろに居たヘンリーとザックがヒソヒソと話した。
「赤くなっているのも今の内だぜ」
「水の中に入ったら鬼教官に早変わりだからな」
「一瞬で真っ青だ」
隣に居たジーンも呟いた。
シェランがヘンリー達をチラッと見ると、彼等も照れたように笑ってごまかした。
「みんな、今からSEALと合同で潜るわけだけど、何も緊張する事は無いわ。あなたたちはいつもの訓練通りでいいのよ」
シェランは訓練生達の前をゆっくり歩きながら、ひとりひとりに話しかけるように語った。
「ね、想像してみて。この足元に3,500人もの人が住んでいる海中都市があるの。建物の周りには沢山窓があるから、まるでダイヤモンドをちりばめたリングのように輝いていると思うわ。そのリングの中で、人々は毎日暗い海の中に泳ぐ魚や、降り注ぐマリンスノーを見て過ごしているの。きっともう飽きてしまったでしょうね」
彼女は再び元の位置に戻って来ると、にっこり微笑んだ。
「だからみんなで行ってびっくりさせてあげましょう。窓から人が覗いている姿なんて、きっと初めてでしょうからね!」
訓練生達は声をそろえて「Yes,Tranner!(はい、教官!)」と叫ぶと、シェランの後ろに付いてライフシップのデッキに出て行った。
日の光が降り注ぐデッキに立ったシェランは、顔を上げて飛行場の方を見つめた。SEALの隊員達が、飛び込む準備をして彼女の合図を待っていた。彼等の後ろで海風にブロンズ色の髪をなびかせているヘレンにシェランがほんの少し唇の端を歪めて笑うと、ヘレンも少しだけ目を細めた。
途端、シェランはその背に重装備を背負っている事を感じさせないほど、鮮やかに身を翻して海の中に飛び込んだ。SLSの隊員と訓練生もまるで当たり前のようにその後を追って海に入って行った。
シェランの見事な入水に、あっけに取られたように立っていたSEAL隊員は、彼等から少し遅れて海に飛び込んだ。そして彼等は更に驚く事になった。水泡を巻き上げながら潜っていくシェランは、魚というより魚雷だった。
何だ、あれは・・・。あんなスピードで潜っていったら変圧に身体が付いていかないぞ。そうは思っても、一流と謳われているSEAL隊員が、一般人に負けるなど絶対に許せなかった。
アスレー中尉をはじめとする若い隊員達は、何とか彼女に追いつこうと飛び出していった。しかし、300フィートを過ぎた辺りで、全員力尽きてしまった。
反対に訓練生は、シェランに言われた通りマイペースで潜っていた。最初は不安もあったが、下で教官が待っていてくれると思うと心強かった。何よりSEALの深海作業用の潜水服は、いつも感じている水の圧迫感を全く感じさせないのだ。この調子だと、きっと675フィート潜りきることが出来るはずだ。
キャシーはSEALの若造共がシェランを追いかけられなかったのを見て、非常に小気味よかった。ヘンリー達も“あいつ等真っ青だぜ”“追いつけるわけないのにさ”とSLSの仲間同士で交わす水中手話を送っていた。
彼等の後ろに居たアズは、更に後ろに居るジュードをチラッと振り返った。多分途中で引き返す事になるだろうから、見ていてやった方がいいと思ったのだ。アズが自分の方を振り返ったのに気付いて、ジュードは彼の側まで潜ってきた。
“どうだ?アズ。下までオレとバディを組まないか?”
ジュードが水中手話で話しかけてきた。
“機動がこの俺様と組もうってのか?いい度胸だ”
そんな顔をしているアズにジュードはもう一度手話を送った。
“足手まといにはならないさ”
ジュードが何の迷いも無くフィンを靡かせたので、アズは驚いたように彼の背中を見つめた。熟練したダイバーでも、そろそろこの深さに恐怖を感じて前に進めなくなる頃だ。アズはゆっくりと息を吸い込むとジュードの後を追った。
“おい、見ろよ”
ヘンリーが近くに居たザックやキャシーに手話を送った。
“アズとジュードが一緒に潜ってるぞ”
“へえ、珍しい事もあるもんだ。あいつは他人には無関心かと思っていたがな”
ザックが驚いたように返事を返した。
“それにしても少しペースが速くないか?”
止めに行こうとしたジーンをキャシーは首を振って制した。
“大丈夫よ。何てったってお子様は元気一杯だもの”
暫く潜っていくと、前方に数人の本部隊員がフィンをなびかせているのが見えた。
― 居た居た。1、2・・・6人か。という事は、後の1人はシェランを追っているんだな。さっきのあのエドガーという男か・・・? ―
ジュードは少しスピードを上げて彼等の横にやって来ると、顔を覗きこんだ。隣りから3人目の男がエドガーだった。デストロイヤーフードと水中眼鏡のせいで顔は分からないが、眼鏡の奥にあの細い目が見えたので分かったのだ。
― なんだ。口ほどでもない・・・ ―
ジュードは彼に向かってニヤッと笑い掛けると、手を振って追い越していった。エドガーはカーッと頭に血が上ってジュードを追いかけようとしたが、周りの仲間に止められた。
その様子をアズは後ろから見ていた。
― あいつ、ちゃっかり復讐しやがった・・・ ―
さっきシェランがあの男に嫌味をぶつけられていた時は、冷めた顔をしていたくせに、本当は頭にきていたのだろう。アズはあきれながらも、自分もジュードと同じ事をしてエドガーを追い越して行った。
500フィートの辺りでジュードが停まってアズを振り返ると、2人して腹を抱えて笑った。いつも仏頂面をしているアズも、エドガーの怒り狂っている姿を思い出すと、笑いすぎてレギュレターが口から外れそうになった。
次第に圧力を増していく海に向かって、彼等は再び潜り始めた。いつもなら水圧と深い闇への恐怖が襲ってくる頃だが、ジュードもアズも殆どそれを感じなかった。
SEALの最新式の潜水服のおかげもあるのだろうが、すぐ横に信頼できる仲間が居るのは大きな安心感に繋がった。ジュードはアズの潜水能力を信じていたし、アズはジュードがいざという時には頼りになる奴だと分かっていた。
周りがパニックに陥るほど、ジュードはだんだん冷静になっていくような気がする。アズはすぐ隣を泳いでいる彼の存在を感じながら思った。
初めて会った時は、おしゃべりで子供っぽくて、一番嫌いなタイプだと思っていた。ジュードも常に嫌味な態度を取る俺を、やりにくい奴だと思っていただろう。だが彼はみんなで集まる時、決して俺を仲間はずれにしなかった。
携帯で連絡も付かないし、見つけても素直に言う事を聞かない俺を、ジュードは必ず探し出して引っ張って行った。もしこいつがそうしてくれなかったら、俺はきっとチームの中で孤立していただろう。
あんなに嫌な態度を取っている人間にどうしてそんな事が出来るのか不思議だったが、彼はきっと『仲間』という名前が付いただけで、見捨てられなくなる性分なのだ。
アズはジュードの方を振り向いた。向けられた水中ライトの光の中、なかなか覚えられなかったSLSの仲間同士で交わす水中手話で彼に話しかけた。
“後で話がある。聞いてくれるか?”
ジュードはにっこり笑って頷いた。
『ダイヤモンドリング』とはシェランンらしい表現であったが、果てしなく続く暗闇の中にそれが浮かび上がって見えた時、ジュードとアズは思わず息を呑んだ。近付くに従って、ウェイブ・ボートはその巨大な全容を彼等の前に現し始めた。
ルイスがこれを都市と言った意味が良く分かる。頂上の部分は飛行場を支える柱と8本のエレベーターが並んでいる以外は何も無く、500メートル先はぼうっとしていて良く見えない程だ。30階建てのビルと同じ高さなので、リングの輝きははるか下まで続いているように見えた。
泳ぎながら建物に見とれていたアズの耳に、ダイビングベルの音が聞こえてきた。ジュードはこんな深海に潜ったことが無かったので知らなかったが、音の伝達の早い水中ではベルの出す高い音の方が暗闇でも分かりやすいのだ。
訓練生の為にベルを鳴らしていたシェランは、本部隊員よりも早くジュードとアズが到着した事に驚きつつも嬉しそうに彼等の肩を叩いた。既にSEALの隊員はウェイブ・ボートの周りを調査しているようだ。
シェランはSLSの水中手話の通じないSEAL隊員の為に、コイルスプリングロープでB.C(水中で着るベスト)等に取り付けて使える水中ノートを持って来ていた。何度も繰り返し書き込みと消去が出来る磁気式水中ノートで、まだ手話を覚えていない1年生の頃、潜水の授業に良く使っていたものだ。
まだ消去していない文字を見ると、『1階から15階までを調査して下さい』と書いてあった。これを見たSEALの隊員達は、実に先生らしいアイテムに目を丸くしただろうと考えるとジュードとアズは又吹き出しそうになった。
暫く待っていると、本部隊員とそれから少し遅れてキャシー達が到着した。本部隊員も訓練生も誰一人欠けていなかった。
シェランは彼等に16階から30階を調査し、怪しい物があったらすぐ近くに居るSEAL隊員に知らせるよう指示をした後、訓練生達に“大丈夫?”と聴いてきた。全員が一斉に“OK”のサインを出すと、シェランは誇らしげな眼差しを彼等に送った。
その後、シェランは彼等から離れて、海上まで続くエレベーターを調査する為に上がって行った。
205メートルもの長さで8本もあるエレベーターの周囲を何度も上昇、下降を繰り返すのは、いくら減圧症に掛かった事のないシェランでも非常に危険な作業であった。
シェランがゆっくりと上昇していくのを不安げに見つめていたジュードは、隣のエレベーターの周囲を調べながら1人のダイバーが下降して来るのを見た。本部隊員だ。先に到着していた1人だろう。ジュードは以前キャシーを助けた時にシェランが言っていた言葉を思い出した。
― 本部隊員でも私に付いて来られるのは、1人しか居ないのよ ―
その1人に違いない。シェランはゆっくりと螺旋状にエレベーターの柱の周りを回りながら上昇し、下降してきた彼とすれ違い様に手を振り合った。
ぼうっと上を見上げていたジュードは、目の前でグレーのフローブが動いているのに気が付いて、その手の主を振り返った。キャシーが“何をボーっとしているの?行くわよ”と合図していた。