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SLS  特殊海難救助隊  作者: 月城 響
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第6部 リーダー 【3】

 サミーは結局リーダーを断れずにクリスの教官室を出て来た。寮へ戻ると部屋の前でみんなが待っていて抗議されたらどうしようと思うと、怖くて自室にも戻れなかった。彼は校庭の片隅に忘れ去られたように備え付けられたベンチに座ると、一体何故こんな事になったんだろうと、この悪夢の始まりから思い起こしてみたが、だからと言って何が変わるわけでもなかった。


「確かにここには、父さんも兄さん達も居ないけど・・・」


 彼は空を見上げて呟いた。でもそれがどうしたって言うんだ?僕自身は普通の、何のとりえも無い人間じゃないか・・・。





「君、こんな所で何をしているんだ?」


 突然背後から響いてきた声に、彼はびくっとして立ち上がった。振り返るとジュードが、薄汚れて今にも破けそうな布の鞄を肩から掛けて立っていた。彼のくせのある黒髪が月明かりを浴びて、まるで濡れているようにつややかに見える。いや、良く見ると本当に少し濡れているようだった。


「あれ?君は確かBチームの・・・」


 そこまで言いかけてジュードは言葉を切った。確かにBチームのメンバーの1人だと思うが、何故か名前が出てこない。ジュードは少しあせりを感じながら、Bチームのメンバーの顔と名前を頭の中で照合していった。


「サミュエル・ジョンソンだよ。ジュード」


 ああ、そうだ。確かサミーと呼ばれていた。


「ごめん。ちょっとど忘れしちゃって・・・」


 サミーはくすっと苦笑すると、ベンチに再び腰を掛けた。


「いいんだ。僕って目立たないから・・・。ジュードこそ、こんな時間になんでここに?」

「オレ?オレはバイトの帰り。プールの監視員なんだ。オレ達にはピッタリのバイトだろ?」


 ああ、それで髪が濡れているのか。サミーはそう思いつつ、自分の隣に座るように勧めた。


「よくアルバイトなんて許可してもらえたね」

「そりゃあもう、本当に缶ジュースを買う金も無くってさ。仕送りも一切貰ってないって事、教官は知ってるからすぐ許可してくれたよ」


― へええ、意外と苦労人なんだな・・・ ―



 サミーは屈託の無い笑顔で笑うジュードを見て思った。彼はいつも父や兄達の顔色を窺いながら生きてきたが、金の苦労はした事はなかった。軍人が3人も居ると家は裕福である。


 母が毎月送ってくる荷物には、必要の無い服や彼の好きな菓子などが詰め込まれていたし、銀行の口座にも毎月使い切れない額の現金が振り込まれている。多分父には秘密で母がしてくれているのだろう。



「プールの監視員って見ているだけでいいと思ったけどさ、子供がふざけて溺れた真似するし、その度に飛んで行かなきゃならないだろ?一旦プールに入ると子供がまとわり付いてきて、結局泳ぐはめになるし、もうくたくたでさ。この間倒れちゃってチームのみんなには迷惑を掛けるし、教官にはバイトを半分に減らせって怒られるしで、もう大変だったんだ」


 楽しそうに話すジュードを見て、サミーは彼がこんな所でも自分とは違うのだと思った。そんな苦労をしているのに、いつ何処で見かけても彼が笑顔を絶やした所を見た事は無かった。


「Aチームのリーダーになったんだってね、ジュード」

「うん。みんなが選んでくれたんだ。すっごく嬉しかった!」



 幸せそうに星空を見上げるジュードを見ていると、何だかサミーは胸がムカムカしてきた。きっと今彼の目には、その時の仲間の顔がありありと浮かんでいるのだろう。そしてその仲間は、間違いなく彼に最高の笑顔を見せながらこう言っているのだ。


― 宜しくな。リーダー ―


 それに比べて僕はどうだ?仲間はみんな、とんでもないという顔をしていた。


― お前がリーダーだって?ふざけるな。俺がやった方が余程ましだ! ―



「嬉しかった?僕なんか最悪だよ!今までこんな酷い経験、一度もした事が無い!」


 急に怒り出したサミーをきょとんとした顔で見ると、ジュードは「君もリーダーに選ばれたのか?」と聞いた。


「ああ、そうだよ!どうかしてるよ、クリス教官は。こんな僕にどうしろって言うんだ?こんな普通の、何のとりえも無い僕なんかに・・・!」


 ジュードはやっと彼がこんな夜中に、ここに座り込んでいた理由が分かった。彼は自分と同じように予想もしていなかった事態に戸惑っているのだ。誰も彼もがリーダーになるのを望んでいる訳ではない。


 もしAチームのみんなが選んでくれたのでなければ・・・マックスとアズがあんな風に言ってくれなかったら、ジュードも同じように辞退していただろう。


「ねぇ、サミー。オレだって別にとりえなんて無いよ。経験ならマックスの方が上だし、頭ならキャシーが一番いい。機転が利くのはジェイミーだし、ネルソンの方がずっと話し上手だ」


 サミーはそんな言葉は慰めにもならないと言わんばかりに息を吐くと、ぷいっと横を向いた。


「君はそれでいいんだよ。そういった彼等の得意分野を生かしたり、うまく使う術を知っているんだから。何より君には公益性がある。これはリーダーにとって一番大切な資質なんだ」

「こ・・・公益性・・・?」


 ジュードにはサミーの言っている事が良く分からなかった。自分では今彼が言った事を知っているつもりも無いし、リーダーとしての資質云々、考えた事も無かった。


「つまり1人はみんなの為に、みんなは1人の為にって事だ。どんな優れたリーダーもこれが無ければいずれ滅びる。ナチスドイツのヒットラー然り、フランスのナポレオン然り」

「はぁ・・・・」


 たかだか15人程度のグループのリーダーと歴史上の人物を比べるものでは無いのではと思ったが、ジュードは黙って彼の話を聞いていた。



「でも残念ながら僕にはそういう特質は無い。性格だって地味で際立ったものなんて何も無いし、成績は幼い頃から常に真ん中。ごくありふれた目立たない普通の人間なんだ。それに君、あのヘンリーとザックがダブルで副リーダーなんて、こんな恐ろしい話があるか?」


 ヘンリーとザックの話を聞いてジュードは、クリスも随分思い切った人事をやったものだと思った。それはこのサミーをスケープゴード(神にささげる生贄)にするのと同じ事だろう。


 だが逆に考えれば、クリスはサミーにそれだけの力が在ると判断した事になる。そうでなければ、Bチームは完全にヘンリー派とザック派に分かれて分裂するはずだ。



「あのヘンリーとザックが副リーダーならこんな心強い事は無いじゃないか。普段は彼等に任せておいて、君はいざって時だけ前に出てくればいいんだよ。それにさっきから普通、普通って言ってるけど、一体君の何処がそんなに普通なんだい?」


 サミーはドキッとしてジュードを見た。彼は今僕を普通じゃないと言ったのか?


「大体常に成績を中位に保つなんて並大抵じゃないし、自慢じゃないが、オレは一度聞いた人の名前と顔は忘れない主義なんだ。そのオレが覚えていなかったって事は、君は目立たないんじゃなくて、わざと目立たないようにしていたんじゃないのか?君の言う『普通の人間』で居る為に・・・」






 昔、年に一度やって来るアニータ伯母さんは、その太い腕を振り上げながら良く言ったものだ。


「ホントにこの子はジョンソン家の息子なのかしらね。可も無く不可も無く、余りにも普通過ぎるわ」


 親戚の誰もがそう言った。実の父と有能な2人の兄も誰一人、彼をありふれた普通の子以外にないと思っていた。そして周りの人々が『普通の子』と呼ぶたびに、母は安心したように微笑み、サミーはそれを見て満足していた。だが今彼は、ほんの数分話しただけの友人ともいえないような同級生に、全てを見透かされたのだ。




 サミーはまるで息が詰まったように喉の辺りが苦しくなり、心臓の鼓動が体中に響き渡るのを聞いた。耳の奥にずっと残っているクリスの言葉が、何度も繰り返し頭の中に響いてくる。


― サミー。君は何を恐れているんだ?ここには厳格過ぎる君のお父さんも、お兄さんも居ないじゃないか・・・・ ―



 胸の動悸がゆっくりと治まってくるに従って、サミーは肩の力が抜けていくのを感じた。長い間ずっと普通で居なければいけないと思い、いつも気を遣っていたせいで、それが当たり前になっていた。


 でもここには気を遣わなければいけない父も兄も、優しい心の子供のままで居てあげなければいけない母も居ない。何も普通の目立たない人間で居る必要は無いのだ。




 まるで鳥かごの中に閉じ込められていた鳥が、羽を広げて飛び立っていくように心がふっと軽くなった気がして、彼はゆっくりと青い月がほんのりと明るく染め上げている夜空を見上げた。


「そうか・・・。普通でいる必要は、もう無いんだ」


 サミーはぼそっと呟くと、不思議そうな顔をしているジュードに向かって笑いかけた。月明かりに照らし出されたその笑顔が、何故かさっきまでの自信の無さそうな彼とは全く違って見えたが、ジュードも何も言わずに笑い返した。






 怒り冷めやらぬヘンリーとザックは、次の日の授業の後、談話室にサミー以外のBチームのメンバーを集めた。ヘンリーはクリスの判断ミスだと彼の欠点を並べ立て、ザックは静かにサミーの何処にそんな資質があるのかと皆に説いた。


 サミーと同室のラスティン・フォースが「あいつもかわいそうだ。こんな責任を押し付けられて。サミーの為にもみんなでクリス教官に考え直すように頼んでみないか?」と言ったので、Bチームの意見はまとまった。



 だが彼等が立ち上がろうとした時、入り口から入ってきたサミーが、真っ直ぐに自分達の方へ向かってきたので、皆話すのをやめて彼を見つめた。


 今日一日サミーはいつものように一番目立たない席に座り、なるべく仲間達の顔を見ないよう努めていたので、まさか彼の方から近付いてくるなんて誰も思わなかった。


 サミーは全員の顔を見渡せる位置に立つと、仲間達に向かってにっこりと微笑みかけた。


「みんな、今回の人事については、色々意見や反論もあると思う。僕自身もクリス教官に掛け合ってみたけど、彼は考えを変えるつもりは無いと言うんだ。


 それで考えてみたんだけど、いくら教官が望んでも、実力の無い者をリーダーにすえておく事は出来ないだろう?時間がたてば、クリス教官なら分かってくれると思う。だから今はヘンリーとザックに従って、みんながまとまっていることが大切だと思うんだ。何より、チームが団結している事が一番だからね。みんなもそう思うだろう?」



 まるで流れるようにすらすらと言葉を繰り出すサミーを、皆は目を丸くして見つめた。実際この一年、彼が『YES』と『NO』以外の単語を話すのを彼等は余り聞いた事が無かった。いつも自信が無さそうにうつむいて、仲間の一番後ろから付いてくる彼が、堂々と皆の前に立ち、誰もが頷かずには居られないような意見を述べるなど、考えられない事だった。


 ヘンリーは立ち上がったままそれを聞いていたが、もう一度椅子に座り直すと、背もたれにもたれかかって腕と足を組んだ。


「俺はそれで構わないが、お前は本当にそれでいいんだな?」

「もちろんさ。後はクリス教官が判断する事だからね。それじゃ、宜しく頼んだよ。ヘンリー、ザック」


 サミーは2人に笑い掛けると、くるりと背を向けて談話室を出て行った。何故か納得のいかない顔でヘンリーはフンと鼻を鳴らし、ザックは机の上に肘を付いたまま、じっとサミーの去って行く姿を見つめていた。





 談話室を出て廊下に差し掛かると、壁にもたれてジュードが立っていた。


「何だ、心配性なんだな。君は・・・」


 サミーはにっこり微笑んだ。


「Aチームの連中に言わせると、オレは天性のおせっかい焼きらしいんだ」


 ジュードも笑い返した。


「それで?みんなは納得してくれた?」

「うん。とにかくチームが分裂する事だけは避けないといけないからね。あとは、そうだな・・・次の理学療法学の筆記テストで、まず1番を取らなきゃならないな」

「1番?それは凄い。オレなんか下から数えた方が早いぜ」



 ジュードとサミーがそんな話をしていると、丁度談話室に向かう途中だったのだろう、今度Cチームのリーダーになったジーン・ハリスが、副リーダーのアーリー・シンプソンや仲間達と通りかかった。


「これは、これは。AチームとBチームの新リーダー同士で何を話しているのかと思えば、理学療法学のテストで1番を取るんだって?サミエル・ジョンソン?」


「サミュエル・ジョンソンだよ、ジーン。それくらいの意気込みが無いと駄目だなって言ってただけさ」


 妙な噂を流されても困るので、サミーはとりあえず否定した。


「それはいい心がけだな、サミュエル。だが知っているか?筆記試験の上位10番までは常にCチームの人間だ。それに俺は3番以降の成績は取った事は無い。おまけに理学療法学は大の得意分野でな」


「そうか。じゃあ今度も1番に名前を呼ばれるのは君だね。僕もリーダーになった以上は頑張らなきゃって思ったけど、とても君には敵いそうにないや」


 ジーンは満足そうに唇の端をにやりと歪めると「まあ、10位以内には食い込めるよう励むんだな」と笑いながら去って行った。


 ジュードはぎゅっと両手を握り締めて拳を作ると、サミーに顔を近付けた。


「オレも10位以内に入れるように頑張る。だからサミーも負けるなよ!」


 うしろから数えた方が早い順位の人間が10番以内に入るのは随分と難しいだろうと思ったが、ジュードの真剣な表情にサミーは「もちろんさ、ジュード」と答えて笑った。






 理学療法学のテストは、それから一週間後に行なわれた。かなり専門的な医学知識まで組み込まれた難易度の高いテストで、終了した後、皆一様に暗い表情だった。


 ジュードが仲間達に結果を聞いてみると、ジェイミーは「ダメ、半分以上白紙だった」と青い顔をしていたし、筆記試験の得意なショーンも「何か宇宙語が並んでたから、俺も宇宙語で回答してやったぜ」と言いつつ、ノートに絵文字を書きたてた。


 マックスにいたっては「あんなものでライフセーバーの価値が決まるかあ!」と完全に投げやりになっている。ジュードもとりあえず回答は埋めたものの、バイトと訓練の合間を縫っての勉強はなかなかはかどらず、サミーと約束した10位以内に入る可能性はかなり低かった。




 それから更に一週間後、クリスの授業で結果が発表された。彼は不機嫌そうに解答用紙を音を立てて教壇の上に置くと、小さく溜息を付いた。


「お前等、一体俺の授業で何を聞いてたんだ?」 


 いつもの紳士的な話し方も忘れたように、彼はその目を細めて前に居る生徒達をにらみつけた。


「ここに居る三分の一が殆ど白紙の回答だったぞ。おまけにAチームのショーン・ウェイン!何だこれは!こんな絵文字、俺に解読しろと言っているのか?」


 クリスが差し出した彼の回答には、本当に訳の分からない絵文字が並んでいた。それを見て全員が大爆笑している中、ショーンは小さくなって「すみませーん」と呟いた。


「他の者も笑っている場合じゃないぞ。30点以下は週明けに追試だ」


 生徒の「えーっ!」という叫び声など聞く耳も持たないで彼は言った。


「いいか、お前等。ライフセーバーは技能だけが優れていればいいと思ってるんなら大きな間違いだぞ。例え何人の人を救助しても、その後の処置を誤れば、酷い後遺症障害を残す場合もあるし、命だって落としかねん。お前達はせっかく助けた人の命を、目の前で失いたいのか?」


 水を打ったように生徒達は静まり返った。クリスは小さく咳払いをすると、いつもの落ち着いた態度に戻った。


「では、いつものように1位から3位までを発表する。後はAチームからアルファベット順で取りに来い。順位は回答の上に付けてある」


 クリスが一番上の解答用紙を取り上げると、ジーン・ハリスがニヤッと笑って顔を上げた。


「1位は・・・」


 ジュードがサミーを見ると、彼はいつも通りBチームの一番後ろに座って静かに前を見つめていた。


「1位はBチームのサミュエル・ジョンソンだ。見事な回答だったぞ、サミー。100点満点だ」


 皆が目を見開いて後ろを振り向いた。彼はゆっくりと席を立つと、BチームとAチームの間の通路を通り抜け、クリスの居る一段上の壇上に登った。


「良く頑張ったな、サミー。まっ、ほんの実力・・・か?」


 サミーは何も言わずにっこりと微笑むと、解答用紙を受け取って戻って来た。Aチームの中に居るジュードが片目を閉じて握った拳を上げると、サミーも笑いながら頷いた。


 2位のジーンは信じられないという表情で87点の回答を受け取りに行った。3位はキャシーで75点。


 彼女いわく「あら、5位くらいにしようと思ったのに計算違いだったわね」だった。どうやら彼女も実力を制限しているようだが、理由は、女が常にトップだと男って嫉妬深いから色々言われるのが煩わしい、との事だった。


「私はAチームでトップくらいが丁度いいの。今回はジュードが頑張っていたから、私はちょっと上にしょうかと思って」


 11位だったジュードは「キャシーの意地悪!陰険!おかげで10位以内に入れなかったじゃないか」と泣き言を言ったが、キャシーには「私に勝とうなんて10年早いわよ」と笑い飛ばされた。





 相変わらず盛り上がっているAチームとは対照的にBチームはサミーの変わりように全員驚くしかなかったが、30点以下の追試組は彼の側に行って、勉強を教えてもらう約束を取り付けていた。


「うん、いいよ。僕は夕方から図書館に居るから、良かったらみんなで勉強会をしないか?」


 こうしてサミーは毎晩チームメイトの為に時間を割き、週明けの追試は全員高得点を上げさせた。無論、彼はその後の筆記テストも全て満点を取り、更にチームメイトの信頼を深めていった。





 チーム合同の訓練の際には、いつもヘンリーとザックを立てて自分は決して前に出ず、常に一般として彼等の補佐に徹していたが、それでもいつもチームメイトを見守り、いざという時にはいつでも動けるよう、注意を怠った事はなかった。


 小さな岩場に座礁した船を救助する訓練で、ヘンリーとザックがどちらが先に岩場に下りるかを言い争い始めた時、初めて彼は2人の間に割って入った。


 彼等が協力している間はいいが、意見が割れた際、2人の間に入るのを誰もが嫌がった。理屈でやり込めようとするザックと、カーッとなると手を出しかねないヘンリー。間に入れば、とばっちりを食うだけだと皆知っていた。


 いつもならそんな時、クリスが割って入ってくれるのだが、今日は遠くに立って見ているだけだった。



 言い争っているヘンリーとザックの間に入っていくと、サミーはニコニコしながら彼等に言った。


「どうして自分が先に下りた方がいいとおもうんだい?ザック」

「俺の方が体重が軽い。この岩場はもろくて危険だ。俺が先に行って調べてから動くべきだと言ってるんだ」

「それは違うな!」


 間髪入れずにヘンリーが反論した。


「俺の方が運動能力は上だ。例え海に落ちても、潜水の俺はおぼれたりしない。ここは素早い俺の方が早く調べられる」


 サミーは背の高い2人のチームメイトを見上げると、何度も頷いた。


「ああ、2人の意見は確かに的を射ている。でもザック。体重は僕の方がずっと軽いし、それにヘンリー、もし嵐で荒れた海だった場合、いくら潜水士でも危険じゃないか?だからここは僕が行くよ。何かあったら潜水士の君達に助けてもらえるしね。宜しいですか?クリス教官」


 サミーはクリスが頷くのを見ると、すぐさま船を降り、岩場を調べ始めた。


「3人なら何とかなりそうだ。ザック、キース、来てくれないか。要救助船を調べる。ヘンリー、悪いけど上の機動ヘリに連絡してホイストを降ろさせてくれ。要救助者を引き上げる」


 サミーは要救助者に見立てた黄色い人形を指差した。


 全てがサミーの指導の下、迅速に行なわれた後、クリスはBチームを褒めた。


「良くやったぞ。特にジャンとスコットの要救助者のホイストへの搬送は見事だった。ただ惜しむらくは少々時間を食いすぎた事だが、皆がやるべきことをやっていけば、すぐに解消する問題だろう」


 しかし、クリスはそんな中でも決してサミーを褒めなかった。彼の態度はあくまでサミーはリーダーとして当然の事をしたまでだという風にも取れた。だがそれはヘンリーやザックの反感を買わないようにとのクリスの配慮だったのである。

 



 それでもヘンリーには不満があった。余りにもサミーの態度が急変した為に、何だかクリスとサミーにだまされているような気さえする。何より面白くないのは、あの理屈っぽいザックが、何も言わずにおとなしくサミーに協力し始めた事だ。以前はいかにサミーがリーダーとしてふさわしくないか、熱弁をふるっていたくせに・・・。


 おまけに近頃のチームの奴等は、やけにサミーに同情的だ。


― あんなに頑張っているのに、クリスは一度も彼を褒めたりしない。リーダーだから当然というのは、かわいそうじゃないか ―


 かわいそう?何がかわいそうなんだ?どいつもこいつも、すっかりあの何のとりえも無いチビに騙されやがって・・・。きっとクリスが裏で糸を引いているに違いない。テストの点数だって、彼なら何とでもなるじゃないか。

 



 ヘンリーは自分の心を納得させる為に、身勝手で理不尽な理由を挙げ連ねながらクリスの教官室に向かった。教官室に入ると、いつも通りドアに背を向けて座っている彼が、首だけこちらに向けて「何だ、ヘンリーか」と言ったのにも腹が立った。


― “何だ、ヘンリーか?”だと?この俺を何だ扱いするんだな。いいだろう。そっちがその気ならこっちも言いたい放題言ってやる ―



 ヘンリーは再び窓の方に向いてしまったクリスの横に立つと、彼を上から見下ろした。クリスの手元には新しい訓練方法を考えていたと見られる走り書きがあり、それはA、B、Cチーム合同でやった場合やBチームだけならという文字の下にいろいろな絵や記号で示され、その様子を構想していたのを窺わせた。


「何だ。何か話があるから来たんじゃないのか?」


 ヘンリーはクリスのこういった態度も嫌いだった。優しげな物腰と紳士的な口調だが、俺は全て分かっているんだぞ、というおごりが彼の瞳に溢れている。それはヘンリーの父親と全く同じだった。いつだって息子を上から見下していた目だった。


「あなたは一体どういうつもりでサミーをリーダーにしたんです?彼が本当にふさわしいと思っているんですか?」

「もちろん思っているよ、ヘンリー。君はそうは思わないのかい?」


 ああ、この言い方だ。優しくてそれでいて絶対NOとは言わせない威圧的な言い方だ。ヘンリーは父親の顔とクリスの顔が重なってくるように思えた。

 


 一流企業の社長で、誰も彼もが自分に頭を下げに来るのが当然だと思っている、あのおごり高ぶった男にそっくりだ。誰がそう思いますなんて言ってやるか。


「思いませんね。大体おかしいじゃないですか。今まで無口でちっともパッとしない奴が、いきなり成績はトップ。リーダーシップを発揮して的確な命令を下す。そんな事が出来ますか?誰かがあいつを裏で操ってるんじゃないかって疑ってしまいますよ」



 ヘンリーの言い回しは、明らかにクリスが裏で画策しているんだろうと言わんばかりだった。

つまりテストの内容を漏らしたり、次に行なう訓練の内容を事前に教えているという事だ。


 “これは酷い言われようだな・・・”とクリスは思った。自分が生徒にそんなに信用されていなかったとなると、クリスには相当なショックではあるが、これはヘンリーのやっかみもあるだろう。クリスは椅子を回転させてヘンリーの方を向くと、腕を組んで背もたれにもたれ掛かりながら彼を見上げた。


「ヘンリー。お前は俺を信用できないと言うのか?」


 彼の鋭い瞳に、一瞬ヘンリーはドキッとした。もしかして言いすぎてしまったのかも知れない。ヘンリーは思わずクリスから目を逸らした。


「そ、そんな事はありません。ただ、あいつが急に変わりすぎて、なんだかおかしいなって・・・」


 クリスはしどろもどろに話すヘンリーの前を通って部屋の中央に立った。


「俺が今回の件で何も考えてなかったと思うのか?はっきり言って、物凄く惚れてるけど、絶対ふられると分かっている女にプロポーズするくらい悩んだぞ」

「はあ・・・・」


 それはシェランの事を言っているのかな?と思ったが、もちろん口には出せなかった。とにかく良く分かる例えであった。


「俺はお前等が休暇で実家に帰っている間に、サミーの実家のあるワシントンまで行って来たんだ。とにかく有名な一家でな。あのあたりでジョンソン家を知らない人間は居なかったよ」

「あの、一体何がそんなに有名なんですか?」


 以前のサミーからは、そんな有名な家族に囲まれて育って来たとはとても思えなかった。もしかして芸能人一家だろうか・・・。


「サミーの父親は元空軍の戦闘機乗りだった。今は将軍にまでなっている。この父親がこれでもかというほど軍人気質でな。3人の息子は赤ん坊の頃から軍隊と同じ生活を強いられてきた。


 起床は朝4時半、熱があっても寝坊なんか許されない。朝食までにみっちりと体力作りをさせられた後は勉強だ。何事においてもトップを目指す父親は、ジョージ・ワシントン大学の教授を招いて家庭教師をさせていたらしい。もちろん英才教育だ。そのおかげか10歳年上の兄は陸軍の少佐、下の兄は原潜乗りになって、家の中に更に軍人が増えた」




 ヘンリーは聞いているだけで吐き気がしてきた。いつも偉そうな自分の父親が、とても普通のよき父親に思えてくるほどだった。いや、まぎれもなく父は良き家庭人だった。確かに忙しく世界中を飛び回っていたが、母や息子、娘に何かを強制した事は一度もなかった。


「かわいそうなのは一番下の小さな弟だ。幸か不幸か、彼には天分の才能があった。走ってもトップ。泳いでもトップ。アルファベットなど3歳の頃には空で言えたし、5歳でレーニンの『マルクス主義と3つの源泉』を読みきって感想を言っていたらしい。小学校に入る頃には彼は街中で天才少年として有名になっていた。

 

 もちろん喜んだのは父親だ。この子こそ私の跡が継げる、と彼の未来は定められた。だが、母親は死んでも嫌だったらしい。『お願いだから軍人にはならないで・・・』と物心付いてきたサミーに言い続けた。


 そして10歳を迎える頃、彼の才能は費えた。成績も中位。走っても泳いでも中位。いつも目立たず余計な事を話さず、ただ可も無く不可もなく・・・・サミーは天才少年から普通の少年になった・・・・」



 クリスは一息つくと、もう一度ヘンリーの側へ戻って来て、デスクの椅子に腰掛けた。ヘンリーは何の質問も反論もせずに、話の続きを待っていた。


「サミーには内緒だが、彼の母親とも会ってきた。彼女はサミーを軍人にせずに済んだ事は喜んでいたが、息子が母親の為に自分を押し殺して生きて来たのも知っていた。全てを話してくれた後、サミーの母親はこう言ったんだ。


『先生。あの子は本当に優しい子なんです。私の為に・・・ただ、母親を泣かせたくない為だけに、あの子は全てを耐え忍んできた。“余りにも普通すぎる子”“ジョンソン家にふさわしくない子”何度そう蔑まれても、あの子は決して本当の自分を誰にも見せなかった。


 でも、やっとあの子は大人になって、自分の道を歩き始めた。だから先生、サミーに教えてやってください。もういいんだって・・・。私の言葉やジョンソン家や、そんな全ての呪縛から解放されてもいいんだよって・・・・』


 そしてあいつは、俺に言われるまでも無く、自分で呪いを解いた。ヘンリー。お前はサミーが変わったと言ったが、あいつは変わったんじゃない。元に戻っただけなんだ。今、あいつはゆっくりと自分を取り戻し、お前達仲間の中で、本当の自分を見つけようとしているんだよ」





 ヘンリーは何も言葉を出す事が出来ないまま、クリスの部屋を出てきた。家族の中でじっと自分を押し殺して生きてきたサミーの事を思うと、自分がいかに甘やかされてきたか良く分かった。


 傲慢な父に逆らって、学生時代は随分悪さをして暴れたものだ。SLSに入ったのも、親父の跡なんか絶対に継ぐものかという反抗心が殆どだった。


 あの話の後、クリスは沈みかけた夕日に照らされた海を見て、眩しそうに眼を細めながら言った。


「あいつは軍人にはならなかったが、幼い頃から軍人としての気質や生き様を父や兄に叩き込まれてきた。だからあいつは誰よりも注意深く、周りを見守る事が出来るんだ。きっと無意識に・・・。なあ、ヘンリー。俺は判断ミスを犯したか?お前達の為に、誰よりもふさわしい男を選んだつもりなんだがなぁ・・・・」



 そんな事、念を押して言われなくても分かっていたさ。あんたがそんな(やぶさ)かな人間じゃないってことは・・・。きっとザックは気付いていたんだ。そして認めた。サミーをリーダーとすることに。



― いくら能力に長けていても、心が伴わなければライフセーバーにはなれないのよ ―


 潜水の授業の時にシェランがよく言う言葉だ。そんな当たり前の事が、今やっとヘンリーには分かった気がした。


 ふと気付くと、彼は食堂の前に下りてきていた。何となく中を覗くと、Bチームの仲間に囲まれて、サミーが楽しそうに笑っているのが見えた。以前ならその笑顔に舌打ちでもしてイヤミな言葉でも並べ立てていただろうが、今のヘンリーはサミーの側に行って「良かったな」とでも言ってやりたい気分だった。


― 冗談じゃない。そんな急に手の平を返したような態度が取れるか ―


 くるりと背中を向けたヘンリーをサミーは目ざとく見つけると、立ち上がって叫んだ。


「ヘンリー。良かったら一緒に食べようよ!」


 ヘンリーはほんの少しだけ顔を傾けて後ろを見た。仲間達が笑顔で「来いよ、ヘンリー」と呼んでいる。ザックが“まだすねてるのか?”という顔で手招きした。


「チッ、しょうがないな。たまにはリーダーと一緒に飯を食ってやるか・・・・」


 そう呟くと、新しい副リーダーは仲間の元に歩いて行った。





予告 【第7部】 仲間


 仲間達の策略でエバとデートすることになったジュード。シェランにだけは知られたく無かったジュードは、つい彼女に嘘をついてしまう。ひょんなことでそれを知ったシェランは・・・?

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