第6部 リーダー 【2】
ある日の朝、アズは珍しくジュードが布団に潜ったまま、出てこない事に気が付いた。いつもなら誰よりも早く起きて、とっくに早朝練習に出かけているはずだ。別に心配してやる義理は無いのだが、とりあえず布団の中を覗き込んでみた。
「ジュード。朝飯は食わんのか?」
「・・・あ、アズ?あれ・・・もう朝?」
「何がもう朝?だ。さっさと起きないか」
そう言って引っ張った彼の手は、何故かとても熱く感じた。
「お前、熱があるんじゃないのか?」
「熱?そんなの、もう何年も出してないよ」
ジュードは笑いながら起き上がると、まだ眠そうな顔で部屋を出て行った。
機動課はいつもヘリに乗って降下訓練を行なえるわけではない。大抵は基礎訓練に使う12メートルの高さの鉄塔を使って、ロープを昇り降りする訓練が殆どだった。鉄塔はSLSの広い校庭の奥にあって、他の生徒が入らないよう高い鉄の柵で囲まれていた。
1年生の頃、一つ上の先輩達が何も無いロープをするすると昇り降りする勇姿を見て、自分も早くああなりたいと願ったものだが、彼等は今、その先輩達と同じように出来るようになった。上半身にしっかりと鍛え上げられた筋肉が付き、足を使わず腕の力だけで鉄塔の上から垂直にぶら下がったロープを登っていくのだ。
今日は一日中地味な訓練の連続だった。2年になったらヘリに乗ってあっちこっち行けるなんて思っていたのは大間違いだったと彼等は気付かされた。SLSの正式隊員になってもそれは同じで、彼等は毎日こうやって地道な訓練を繰り返し続けて行くのだ。
しかし、その日の昼休みに食堂の入り口にある掲示板に張り出されたミーティングの知らせは、地味な訓練に明け暮れる生徒達をにわかに沸き立たせた。とうとうリーダーが決まったに違いない。午後からの授業もその話題で持ちきりだった。
特に話題の中心はBチームのリーダーに関してである。ザックかヘンリーか・・・。もうリーダーがほぼ決定して他人事のCチームの中には、どちらになるか賭けている者も居た。
「きっと今頃、潜水課の授業で、ザックとヘンリーの間じゃ火花が散ってるぜ」
鉄塔の上から降りる順番を待っているネルソンがジュードの後ろから囁いたが、今のジュードにはそんな事はどうでも良かった。朝から何となくだるかったが、午後を過ぎるとそれが頭痛に変わっていた。
「ジュード。お前の番だぞ」
ネルソンに言われハッとして下を見ると、もうとっくにジェイミーが降りていて、ロビーが早く降りろと叫んでいた。
ジュードは頬に流れ落ちてくる冷たい汗をぬぐうと、目の前のロープを握った。斜めに傾いてきた太陽はそれでもまだ、焼け付くような熱い日差しを送ってきている。鉄の足場を踏み切った時、その太陽が一瞬ぐにゃっと歪んだような気がした。
その後、ロープを持つ手が何故か力を失っていくのを感じたのを最後に、ジュードの目の前は真っ暗になった。
ジュードはいつもの通り授業が終わった後、監視員のバイトに来ていた。プールの脇にある2メートル以上ある監視台の椅子に座って、ぼうっと沢山のクラブ会員の子供達が泳いでいるのを眺めている内、ついウトウトと眠ってしまった。
どの位眠っていたのかは分からないが「キャーッ」という叫び声と「子供が溺れているぞ!」と言う声にハッと目を覚ました。小さな女の子がプールの中央で両手をバタつかせながら溺れている。ジュードは急いで立ち上がろうとした。しかし何故か足が一歩も動かなかった。
ジュードは届くはずも無いのに、必死に手を伸ばした。指の間から見えるその少女が上げる水しぶきが、やがて徐々に静まっていくのを見ながら、ジュードは声にならない声で叫んだ。
「誰か!その子を助けてくれ!」
暗闇からまるで逆バンジージャンプで引き戻されたように、ジュードはハッと目を覚ました。彼の寝ているベッドの左側にある椅子に座って、シェランが心配そうに自分を見下ろしている。その横でエバが鼻を真っ赤にして泣いていた。良く見るとAチームが全員、自分の周りに集まっているのに気が付いた。
「あれ・・・オレ・・・」
さっきのは夢だったのかとホッとするのと同時に、まるで自分の方が溺れていたように、ぐっしょりと汗をかいていることに気が付いた。何故エバは泣いているのだろう?
シェランは安心したように微笑むと、ジュードの顔を覗きこんだ。
「ジュード。あなた、降下訓練の途中で落ちたのよ。覚えている?」
“ああ、そうだったのか・・・”まだぼうっとする頭でジュードは思い出した。だがさっき見ていた夢とその前までの現実が重なり合って、何処までが実際の事なのか良く分からなかった。
「先生に診ていただいたら過労ですって。いくらなんでもやりすぎよ、ジュード」
「過労?」
ジュードはやっと目が覚めたように声を上げた。
「オレ、まだ19歳になったばかりなのに?」
「いくら若くても、一日も休まずに毎日ハードな訓練と寝不足を続けていたら、そういう事になるの!ほんとに・・・命綱を付けてなかったら、どうなっていたか・・・」
ジュードはやっとシェランが酷く青い顔をしている事に気が付いた。
「ごめんね、ジュード。あたしが無理な約束をさせたから」
エバはまだ泣きじゃくっている。
「エバのせいじゃないよ。オレも生活費稼ぎたかったし」
ジュードが普通に話し始めたので、他の仲間も安心したように溜息を付いた。その後、シェランには平日のバイトは週3日、日曜も月2回までと決められてしまい、約束を破ったら許可証は破棄すると脅されたので、ジュードは首を縦に振らざるを得なかった。
マックスはまだ少し熱が残って、ぼうっとした顔のジュードのベッドに腰をかけると、彼の額に置かれたタオルを人差し指の先で、軽く2回叩いた。
「とにかく気をつけてくれよ、リーダー。もう肝を冷やすのはごめんだからな」
他の仲間達も枕元に集まってくると口々に言った。
「そうだよ、リーダー。しっかりしてくれなきゃ」
「頼んだぜ。リーダー」
ジュードは妙な顔をして「シェラン、みんながおかしな事を口走っているみたいだけど、これは夢かな?」と聞いた。
「夢じゃないわよ。そうね。ついでにここでミーティングをやってしまいましょう。ジュード・マクゴナガル君。今日から君をAチームのリーダーに任命する。しっかり頼んだわよ。リーダーさん」
「ちなみに俺が副リーダーだ」と笑ったマックスの顔をびっくりしたように見ると、ジュードはベッドの上に体を起こした。
「何で?そんなの駄目だ。出来ないよ。オレはマックスがリーダーでネルソンが副リーダーになると思っていたのに」
「ゲッ、やめてくれ。副リーダーなんて。大体それってただの年功序列じゃないか」
ネルソンは冗談じゃないという風に首を振った。
「それにお前、チームの人間なら誰でもいいって言ってただろ?」
ジェイミーがネルソンの横から顔を出して言った。
「それはオレ以外って意味だ。オレは一番年下だし、経験も無いし・・・」
それを聞いたショーンがムッとした顔で彼の側にやって来た。
「へえ、じゃあ俺がリーダーになっても良かったんだ。でもリーダーって大変なんだよなぁ。危険な現場はいつも先頭に立って乗り込んで行かなきゃならないし、足元が崩れそうな岩場なんか真っ先に降りて安全を確認しなきゃだし・・・ああっ、俺早死にしそう!」
「ショーン・・・・」
心配そうな顔で自分を見ているジュードに、ショーンはニヤッと笑った。
「ほら、心配なんだろ?だからお前がやるのが一番いいんだ。分かる?」
「でも・・・・」
それでもジュードは決心が付かないようにうつむいた。
「あーっ!全くお前は!」
それまで一番後ろで皆の様子を見ているだけだったアズが、急にチームメイトを押しのけ中に割って入って来た。
「男のくせに何だ、その煮え切らん態度は!いいか。これは教官が決めた事じゃない。俺達みんなで決めた事だ。ここに居る全員が、リーダーならお前がいいと言ったんだ。なのにそんな仲間の気持ちも分からん奴など男では無いぞ!」
何事にも無関心で仲間を仲間とも思っていないと考えられていたアズの発言に、メンバーはいたく感動した。
「ヒューッ、カッコいい!サムライだぜ、アズ」
「たまには良い事言うんだな」
ジュードは「“たまには”は余計だ!」と叫んでいるアズの顔を、目を見開いてじっと見た。
「ホントに?みんながそう言ったのか?」
「だからそう言っているだろうが!」
「アズも・・・?」
そう問われて、彼はジュードから目を逸らした。
「俺は誰でも構わんと言ったんだ」
「嘘ばっーかり・・・」
皆がくすくす笑っている中、エバがからかうように言いながら、その時の様子を再現するかのように腰に手を当てて、遠くを見つめながら髪の毛を掻き揚げた。
「『フッ、まあ、あいつならいいリーダーになるだろう』って、カッコつけて言ったくせにーっ」
「ああ、聞いた聞いた」
「確かに言ったな」
「う、うるさい!空耳だ、それは!」
ベッドの周りで大騒ぎしている仲間達を見ながら、ジュードは嬉しくて涙が出そうだった。あの最終試験を通過した時よりも、もっと幸せで、まるで夢を見ているようだ。
「泣くなよ?リーダーさん」
以前ジュードに言われた台詞をショーンが彼に言った。そして、ジュードも彼と同じセリフを返したのだった。
「だって、嬉しいんだからしょうが無いだろ?ショーン」
そんなAチームの様子を医務室のドアの影からそっと見ている男が居た。彼は「決まりだな・・・」と呟くと、暗い表情でその場を離れた。
事なかれ主義のクリスにとって、このリーダー選定は大変な心痛を伴う決定事項であった。多分このミーティングの後、Bチームは大きく変化するだろう。それが吉と出るか凶と出るかは、全てあいつ次第だ。
あいつがもし俺の見込み違いだったら・・・・。Bチームは間違いなく分裂するのだ。真っ二つに・・・。クリスは大きな溜息を付くと、生徒を待たせている大講堂へと向かった。
大講堂の沢山並んでいる椅子の真ん中辺りにBチームはいつも固まって座り、クリスを待っていた。彼が姿を現すと、広い講堂に響き渡っていた生徒の声が一瞬で収まり、クリスが彼等の前まで歩いてくる靴音だけが響いた。
彼がいつも生徒をここに集めて話をするのは、この音響のいい大講堂が好きだったからだが、今日に限っては、声の響かない小さなミーティングルームBでも借りればよかったと思った。
クリスは生徒達の前に立つと満遍なく彼等の顔を見渡し、いつものようににっこり微笑んだ後、表情を硬くした。
「さて、今日集まってもらったのは他でもない。君達の想像通り、今日はBチームのリーダーを発表したい。君達にも色々意見はあると思うが、これは決定事項だ。新しいリーダーと副リーダーに協力して、より強いチームの絆を築き、いかなる災害救助にも立ち向かえるチームにして欲しい」
クリスはここで一息置いた。はっきり言って逃げ出したい気分だった。Aチームのあの雰囲気を手に入れるのに、あとどの位掛かるだろう。あそこはいいチームになった。最初は一番の問題児揃いだと思っていたが、彼等はジュードを中心にそれを克服してきた。きっとこれからも、もっといいチームになっていくだろう。
Cチームもそうだ。あそこはAチームと正反対で優等生揃いだった。最初は頭の良さそうな奴を中心に分裂しそうな雰囲気もあったが、ロビーの生真面目な性格を受け入れ、互いにしのぎを削りながらも一つのチームを作り上げてきた。
では、俺のBチームはどうだ?最初は出来る奴と出来ない奴との差が有りすぎた。やっとそれを克服して、いいチームになって来たっていうのに・・・・。
クリスは決意したように顔を上げると彼の生徒を見つめた。
「それでは今から、Bチームのリーダーと副リーダーを発表する」
一番前の列の端と端に座ったザックとヘンリーが互いに振り向き合い、その視線が彼等の真ん中で絡み合った。
「まずは副リーダーからだ。色々考えたが、副リーダーは2人になった」
― 2人・・・・? ―
Bチームのメンバーはざわめいた。今までチームの副リーダーが2人居たなんて話は聞いた事が無かった。
「副リーダーは・・・ヘンリー・グラハム、ザック・ニコラウス。この2人にやってもらう事にした」
ヘンリーはびっくりして思わず立ち上がり、ザックはじっと黙り込んだ。本命と見られていた2人を副リーダーに据えた事で、チーム全員の間に動揺が走り、皆がざわめいたが、クリスは間髪入れずにリーダーを発表した。
「リーダーはサミュエル・ジョンソン、君だ。宜しく頼むぞ、サミー」
リーダー候補だった2人とは対照的に一番後ろの席に座っていたサミーは、みんながびっくりしたような目で自分を振り返って見ているのに気付いて顔を上げた。今クリス教官が言った名前は全くの他人のように聞こえたが、何故みんな僕のことを見ているんだろう・・・?
サミュエル・ジョンソン・・・・彼はBチームでは一番目立たない生徒だった。
それは幼い頃から変わりなく、近所の子供と遊ぶ事もあまりなかったし、学校に行っても口数の少ないおとなしい性格で、成績も中位、グループで行動する友達の一番後ろをいつも付いて行っていた。
時々クラスで彼の名前が上がっても「サミュエル・ジョンソン?そんな子居たっけ」と言われるほど、目立たない少年だった。
そんな彼が何故SLSに入隊しようと思ったか・・・。いや、彼自身はライフセーバーという職業がどんな仕事かさえ、当時は知らなかったのだ。
彼の家族は両親と10歳以上年の離れた兄2人の5人家族だったが、彼の父というのが米空軍の将兵で、F−15戦闘機(愛称イーグル:巷で良くトップガンと呼ばれているが、イーグルのパイロットはイーグルドライバーと呼ばれ、一目置かれている)のパイロットであった。
今ではもう戦闘機は降りたが、現在は空軍将軍にまで上り詰めていた。そんな父に習って上の兄は現在陸軍少佐、下の兄は海軍だが、こちらは海に潜る原子力潜水艦乗りになり、今は機械室で彼等のライフラインとも言える生命維持装置の担当指揮官をしながら、どこかの海を潜っているはずだ。
そんな軍人家族の中で、かなり遅れて生まれてきた小さな男の子は、いつも厳格な父や、何かと言うと男は強くなければいかんという、不動の信念を持った兄達の顔色を窺いながら生きてきた。
もし彼が10歳の時、この軍人だらけの家族に嫌気がさしていた母に「この子だけは絶対に軍人にはさせません」と言われてなかったら、今頃間違いなく将校への道を進まされていただろう。
とはいえ、ジョンソン家の息子が普通のサラリーマンになる事など許されるはずも無く、伯母の勧めでSLSの訓練校に入校することになったのだ。将来ライフセーバーとして人の役に立つのならいいだろうと父も許可してくれたし、何よりSLSは全寮制だったので、父親や、たまに帰って来ては軍人の教えを説く2人の兄の影響を、これ以上受ける事にならないだろうと母が一番喜んでくれた。
しかし、だからと言って、リーダーという大それたものになるつもりは毛頭無かったし、自分が選ばれるはずも無いと思っていた。
サミーはぼうっとした目で、眉をひそめて自分を振り返って見ているチームメイトの顔を見回した。みんな冗談じゃないという顔をしている。ヘンリーとザックなどは、今まで一度も見た事の無いような恐ろしい目で自分を見つめていた。
サミーは「以上だ」と言い捨てて去って行くクリスを見て、思わず立ち上がった。
― 何故だ?どうして彼は、僕を選んだんだ? ―
サミーにとってそれは、悪夢の始まりでしかなかった。
「待ってください、教官!」
チームメイトの非難の目を背中に感じながら、狭い通路を走りぬけ講堂を出ると、もう一度クリスを呼んだ。
「お・・・お話があります!」
サミーはどんな時も、すぐに用件を切り出したりはしない。軍人気質を家の中まで持ち込んでくる父や兄には、まずこうやって断りを入れてから話し出さなければならなかった。
クリスにはサミーがこうやって自分を呼び止める事は分かっていた。そして彼がこれから何を話そうとしているのかも・・・。だがそれをBチームの他のメンバーに聞かせる事は出来ない。彼にはどんな事があってもやり遂げてもらわなければならないのだ。弱音を吐く姿を、他のメンバーに見せるわけにはいかなかった。
「話なら教官室で聞こう」
冷たく言うと、クリスは彼に背を向け再び歩き出した。
クリスの教官室はシェランのそれと殆ど同じつくりだったが、不思議な事に入り口から正面の一番奥にある東向きの窓の下に、ぴったりとデスクが付けてあった。そんなことをすれば、入って来た人間にいつも背を向けて座っている事になるのだが、クリスは海を見ながら仕事をするのが好きだったし、たまにしか訪れない同僚や生徒の為に、彼は自分の快適な状況を変化させたりはしない人間だった。
クリスは後ろ向きになった椅子をくるりと回転させてサミーに向き合って座ると「話って何だい?」と笑顔を向けた。
「あの・・・何かの間違いですよね。僕がリーダーなんて・・・」
「何故そう思うんだ?」
「だって僕はザックやヘンリーより2つも下ですし、それに一般です。3年の先輩のリーダーだってみんな機動か潜水ではないですか。僕なんかに務まるはずはありません」
クリスは何食わぬ顔で椅子の背もたれにもたれかかると、腕を組んだ。
「ふむ。別にリーダーを一般から選んではいけないという決まりは無いし、Aチームのジュード・マクゴナガルは、君より更に2つ下のまだ19歳になったばかりだが、喜んで引き受けていたよ。年齢は断る理由にはならないね」
ジュードの名を聞いて、サミーはうつむいた。若く見えるとは思っていたが、まだ10代とは思わなかった。やはりAチームは彼を選んだのか・・・・。
「彼は・・・僕なんかとは違います。Aチームは彼をリーダーにする事を、誰も反対しなかったでしょう?」
― さすが・・・良く見ている ―
クリスは口元を緩めはしなかったが、目はニヤッと笑っていた。
サミーはいつもみんなの後ろに居て殆ど目立たない。成績も可も無く不可も無く中程度、どんな授業も真面目に取り組んでいたが、別段これと言って評価される行動も起こさなかった。
だが、この間チームごとで行なった船舶火災の訓練で(彼等は遠足と言って連れて行かれたのだが)他の訓練生が目の前の火災と要救助者に目を奪われている中、ただ一人SLSに連絡を付け、要救助船の位置、火災の状況、海に落ちている人の人数などを正確に伝え、救助を求めていた。
無論、SLS本部には訓練を行なうことを事前に連絡しておいたので彼等が出動する事は無かったのだが、もしこれが訓練ではなく実際の船舶火災であれば、訓練生である彼等が取るべき第一の行動は、サミーの行なった『本部に連絡する事』なのである。
それを知った時クリスは、彼が非常に注意深い人間ではないかと思った。いざという時に本性が現れるというのは大抵悪い意味に使われる。だがサミーに限ってそれは、良い意味で発揮された。
それでクリスは気が付いたのだ。もしかして彼は力を制限していたのではないかと。いつも周りを注意深く見て、決して人より抜きん出る事が無いように。
何故彼がそんな事をしなければならなかったのか、クリスはその原因を調べてみたのだ。
サミーの父は、彼が幼い頃、頭も良く非常に運動神経が良かったのを見て、この子なら私の後を継げると母に言った。父にとっては陸軍の少佐や原潜の中尉などは中途半端な軍人でしかなかった。彼は自分のようにトップになれる息子を求めていたのである。
それを聞いた母は“冗談じゃない。この子まであの2人の兄のようにしてなるものか”と思った。それで物心ついた彼にこう言い続けてきたのだ。
「決して軍人になっては駄目よ。軍人はね、心まで鉄にしてしまわなければならないの。だからあなたは軍人にはならないで。いつまでも私の心優しい息子で居てちょうだい」
サミーはいつも厳格な父や兄達の中で耐えている母を見てきた。だから彼はそんな母の気持ちをくんで、決して父や兄の前で目立つ行動をしなくなった。かと言って成績が下がると責められるのは母なので、常に中位の成績を維持する事にした。
もしサミーが幼い頃から母にそう言われて来なかったら、その抜きん出た才能を発揮して父の自慢の息子になっていただろう。だが彼は誰よりも愛する母の為に、普通の息子になった。苦も無くそれが行なえるほどに・・・・。
「何故ジュードが君と違うと思うんだね?」
クリスは静かに尋ねた。無論その理由をクリスは知っていた。以前シェランに何故ジュードをリーダーにするのか聞いた時、彼女はニヤッと笑って答えたのだ。
「彼はね、最終試験で最初に自己紹介をした時、全員の名前と彼等の持つ資格を覚えていたの。彼と私を除く14人もの人間のね。そして事故の起こった後、それを生かして人員を適材適所に振り分けた。一番危険がある場所には自分が率先して行っていたし、女の子をいたわる気持ちも持っていたわ。あの状況でよ?
彼を受け入れない人間も居たけど、それでも彼は決して彼等の事を見捨てなかった。一度仲間になった人間を、彼はとことん大事にするわ。私が決めなくても、Aチームのメンバーの気持ちはもう決まっていると思うわよ」
シェランは初めて会った時から、ジュードの特性を見抜いていた。だが俺は最近まで全く気付かなかった。余りにもサミーは自然体だったからだ。彼にはすっかり自分を偽る事が身に付いているようだが、それから俺は色々な事を思い起こしてみた。
以前消防艇の訓練で、トーマス・ミラーが全く違う方向に放水口を向けて放水しようとした事があった。そのまま放水していたら、間違いなく2、3人は海に投げ飛ばされるか、デッキの縁に叩きつけられて大怪我をしていただろう。だが寸前で放水口が上に向いて、彼等は水浸しになるだけで済んだ。
あの時は大騒ぎで、サミーがブリッジから出てきたのを見ても、気にも留めなかったが、彼はあの時リモートコントロールにして放水口を上に向けたのではないだろうか。
サミーは自信が無さそうにうつむいたまま、ぼそぼそとクリスの質問に答え始めた。
「以前僕達がAチームの乱闘騒ぎに巻き込まれた時、僕等はただ巻き込まれただけで責任は全てAチームにあると教官に言いました。確かにそうかもしれません。でも一緒に喧嘩をしたのは間違いないんです。きっとそれを聞いたAチームの人達は、僕等の事を卑怯者だと思ったでしょう。
でも僕達は怖かった。クリス教官や他のBチームのメンバーに迷惑が掛かる以上に、自分達が処分されるのを恐れたんです。退学だけはなりたくなかった。
そんな自分が恥ずかしくって・・・やっぱりAチームのあのメンバーには会いたくなくって・・・。でもそんな時って、余計会ってしまうものなんですね。談話室に向かう廊下で彼等とばったり出会っちゃって・・・。僕等は何も言えずにうつむいてました。そうしたらジュードが僕達の方に近付いてきて、何て言ったと思います?『ありがとう』って言ったんですよ」
サミーは悔しそうに唇を噛み締めた。どうして彼はこんな僕達を許せるのだろう。
『君達のおかげでエバとキャシーは無事だった。あとは俺達が何とかするから、気にしないでくれ』
あの時のジュードは、本当に感謝しているように微笑んでいた。
「何とか出来る様な・・・状況じゃなかったのに・・・。それでも彼は笑ってくれたんです。平気な顔をして通り過ぎる事さえ出来なかった僕達の為に・・・・。それにケインが一般に落とされそうだった時も、Aチームに協力してくれるように説得してくれたのは、ジュードだって後からケインに聞きました。でもケインもあの乱闘騒ぎの時、喧嘩に加わっていた1人だったんですよ!」
サミーの声はだんだん興奮して大きくなった。彼は自分が恥ずかしかったのである。
「僕なら自分に罪を擦り付けて逃げた奴の為に、何かしてやろうなんて絶対に思わない。どうしてあんな風に笑えるんですか?何故“気にするな”なんて言えるんです?退学になりたくないのは彼等も同じだったのに・・・!」
クリスはサミーの長い語りをじっと黙って聞いていた。そうだ。きっとジュードはそういう男だろう。そして彼はその気質で、もし本人に実力が無かったとしても、みんなに支えられてリーダーとして成長していくに違いない。あのシェランがそう認めたのだから・・・。
シェランの事を思った時、ふと彼の心の中に自分でも理解できないような、どろどろとした感情が湧きあがってくるのを感じた。そしてそれは、近頃一度感じた事のある感情だった。ジュードがこの教官室の前で彼女の事をシェランと呼んだ時、彼の心を揺さぶった感覚・・・。
シェランが彼を認めているように、僕は彼女に認められているのだろうか?
目の前に居るサミーの不安そうな顔を見て、クリスは自分の思考を止めた。今は彼とチームの方を優先すべき時だ。
「サミー、ジュードはジュード。君とは違う。彼は彼のやり方でAチームを作り上げていくだろう。君ならどんなチームを作る?どんなBチームにしたい?」
「僕にはそんな力はありません。教官だって分かってらっしゃるでしょう?僕が普通すぎるほど普通の人間だって事を」
「サミー。君は何を恐れているんだ?ここには厳格すぎる君のお父さんも、お兄さんも居ないじゃないか」