第3部 148F 【4】
機動課の試験が終了すると、一旦シェランが海から上がってきて、15分の休憩を取ることになった。もう試験を終えた機動課は、まだ試験の終わっていない潜水課の邪魔にならないよう、少し離れた船べりに集まった。
機動はもう全員合格は間違いないので気分は軽く、小声で話しながらも会話の内容は明るかった。
ジュードがふと顔を上げて潜水課の方を見ると、彼等はシェランをぐるっと取り囲んで真剣な顔で話を聞いている。ジュードはシェランの隣で彼女をじっと見つめているキャシーを見た。この間の事故が影響していなければいいが、彼女はまだ148フィート潜れるようになっていないはずだ。何とか彼女やチームの仲間を応援する方法は無いだろうか・・・。
「なあ、みんな」
ヒソヒソ話をしていた1年生達は、ジュードの声に驚いたように顔を上げた。
「みんなで潜水の仲間を応援しないか?みんなきっと不安だと思うし、チームも関係無しに応援したら励みになるんじゃないかな」
彼等はそれぞれのチーム同士で顔を見合わせていたが、Cチームのチャック・ギブソンがデッキの入り口でクリスと話をしているロビーをチラッと見ながら言った。
「いいアイディアだと思うけど、うちの教官、頭が固くてな。試験はゲームじゃないぞとか言いそうだし」
「その点はオレに任せてくれ」
ジュードは立ち上がると、ロビーとクリスが立ち話をしている方へ歩いていった。
ジェイミーはサムの隣で面白くなさそうな顔をしてジュードの背中を見ているマックスに気が付いた。又何か文句でも言う気じゃないだろうな・・・。そう考えた彼は先手を打っておくことにした。
「なあ、サム。キャシーとレクターはまだ一度も148フィート潜れた事がないんだって。もし2人が落ちたらAチームの潜水士は3人になってしまう。それってチームとして認められないんじゃないか?ここはみんなで応援して頑張ってもらわなきゃな」
サムもジェイミーの気持ちが伝わったのか、うまく話をマックスに持って行ってくれた。
「おう、そうだな。チームの為に頑張って応援しような、マックス」
「え?う・・・そうだな。チームの為だからな」
サムとジェイミーが片目を閉じてニヤッと笑い合った頃、ジュードもロビーの前で敬礼をしていた。
「お話中失礼します、教官。少し宜しいでしょうか」
「ああ、ジュードか。何だ?」
ジュードは自分を見下ろしている筋骨たくましいロビーを見上げた。ジュードの勝算の要因はクリスにあった。感のいい彼のことだから、ジュードが何かやろうとしている事に気付くだろうが、彼の性格からして、きっと面白がってうまくロビーに口添えしてくれるはずだ。
「僕達は一応合格ラインに居るわけですが、これからも潜水の技能は磨いていくべきだと思っています。何と言っても僕達の仕事場は海なのですから。でも僕達は普段潜水と合同で訓練をする事は余りありません。それで出来れば、潜水課の側で潜る様子を見せていただきたいんです。如何でしょうか?」
「ふむ。心がけはいいと思うが、そんなことをすれば彼等の気が散るんじゃないかな」
「みんなは緊張しているから、僕等のことなんて目に入らないでしょう。まぁ多少チームメイトを見たら、頑張れなんて声をかけてしまうかもしれませんが、決して彼等の試験を邪魔するような真似はしません。宜しいですか?」
ロビーは考えながら、クリスの顔を見た。クリスは内心何かやる気だなと思ったが、何食わぬ顔で笑いながらロビーに頷いたので、彼も許可を与えてくれた。
ジュードは「ありがとうございます」と言いながら頭を下げた後、帰ろうとして、ふと振り返った。
「そうだ。Cチームの友人に聞いたんですが『最終試験の時、ロビー教官と一緒にやれて本当に良かった。出来ればずっと仲間でいたかった』って言ってました。人気あるんですね、教官」
ジュードはロビーの顔が照れて真っ赤になったのを確認してから彼等に背を向けた。彼は左手の親指と人差し指で輪を作ると、後ろの教官達に見えないよう胸の前にそれを持ってきた。仲間達に作戦の成功を伝える合図である。
休憩が終わり、シェランが再び海の中へ姿を消すと、機動と同じように潜水課もAチームから順に2列に並べられた。
Aチームの一番手はピートとブレード。その後ろにキャシーとレクター。アズは3番手でBチームのジェイムズ・ケリーとバディになっていた。ジュード達は潜水課から少し離れて彼等の両側に並んだ。
「レディ(用意)!」
クリスの掛け声にピートとブレードが海に背を向けて船べりに座ると、途端に彼等の両側から2人の名を呼ぶ声援が上がった。機動課の訓練生達が全員で彼等を応援し始めたのだ。
最初2人は驚いたような顔をしていたが、片手で握りこぶしを作って、それを肩の辺りでぐっと握り締めた後、海に飛び込んだ。機動課の訓練生は急いで船べりに駆けつけると、もう彼等には聞こえないだろうが声援を送り続けた。
ロビーは「あのガキ共ーっ!」と青筋を立てて怒っていたが、ジュードの去り際のセリフが利いたのか、彼等を止めに入るような事はしないようだ。
さすがに機動と違って深度がある為か、ピートとブレードはなかなか上がって来なかった。キャシーとレクターは既に船べりに座って準備を始めている。暫くしてピートとブレードが海面に顔を出した。彼等が船上で見守ってくれていたチームメイトにガッツポーズを取ると、皆でワーッと歓声を上げ拍手を響かせた。
次はキャシーとレクターである。2人ともまだ一度も148フィート潜り切っていないので、ここに居る誰よりも緊張しているはずだ。
「キャシー頑張れ。君なら出来る。俺達の中で一番練習していたんだから」
「レクター、絶対一緒に潜水士になろうな!」
仲間の応援に触発されて、潜水課の訓練生も彼等を応援した。キャシーとレクターは顔を見合わせて頷くと、握り締めた拳を空に向けて上げ、そのポーズのまま後ろ向きに海に飛び込んだ。
「キャシー!」
「頑張れ。レクター!」
キャシーは仲間の声援を聞きながらフィンを靡かせた。
― みんなの応援が聞こえる・・・ ―
海に飛び込む直前、シェランはそっとキャシーの耳元で囁いた。
「待っているわよ・・・・」
仲間が応援してくれている。そして何よりも、誰よりも、あの人が私を待っていてくれる。この暗い海の中で・・・。
キャシーにとってシェランは、きっと幾ら泳いでも追いつけない人であった。彼女の天分と言っていい領域には、生きている内に達する事など不可能だろう。それでもあの人は待っていてくれる。私が一生懸命泳いで追いつくまで。そして又、少し先に行って彼女はこう言うのだ。
― 待ってるわよ。キャシー・・・ ―
陽の光がゆっくりと和らぎ、やがて深い暗青色に変わった世界の中に、キャシーの目指す場所があった。光を失った中で、そこだけが輝いているように見えた。そしてその光の中心でシェランは、大きく両手を広げ、じっと上を見上げた。
ライフセーバーとして、決して恵まれている体型では無い。しかも、女性というハンディもある。だが、あの子は私に会いにやって来た。ただの一度も会った事のない、伝説の女潜水士を信じて。だから私は待っているのだ。あの子が必ず私の元に来ると信じて・・・・・。
シェランの瞳が優しく微笑んだ時、キャシーの手がシェランの両手を掴んだ。2人が頷き合っていると、レクターがとんとんとキャシーの肩を叩いて片目を閉じ、右手の親指を立てた。
船上ではジュード達が心配そうに船べりから海を覗き込んでいた。透明度の高い海は彼等が上がってきたら、その姿を見せてくれるはずだが、未だに2人の姿は見えなかった。
ジュードの頭の中についこの間見たキャシーの青白い顔が浮かんだ。腕の中の彼女が息をしていないと分かった時、体中の毛が逆立つほどゾッとした。だが今日はレクターとバディを組んでいるし、シェランも下に居るから安心なはずだ。
「帰って来たぞ!」
ジェイミーの声に急いで海上を覗き込むと、レクターが海の上に顔を出して、仲間に向かって何度も握り締めた手を上下に振って喜びを表していた。その後すぐキャシーも上がってきて、レギュレターをはずすと「やったわよぉ!」と叫んだ。船の上から沸き起こった惜しみない拍手の中、ジュードはホッとしてキャシーを見下ろした。
「おい」
急に後ろから肩をつかまれ、ジュードはびっくりして振り返った。アズが最初に会った頃も色黒だったが、更に真っ黒になった顔をジュードに近付けた。
「俺に応援はいらんからな」
「何で?みんなやる気になってるのに・・・」
― 冗談じゃない。恥ずかしい・・・ ―
アズが一緒に潜るBチームのジェイムズを指差して「応援ならあっちの気弱そうな奴にしてやればいい」と言ったので、ジェイムズはムッとして言い返した。
「みんなに応援してもらって試験に落ちたら恥ずかしいもんなぁ」
「何だと?」
ジェイムズに向かって行きそうなアズをAチームの仲間で押さえ込むと、今度はジュードがアズに顔を近付けてヒソヒソ声で言った。
「お前の実力は良く分かっているよ。きっとAチームで一番の潜水士になるってね」
「フン、当たり前だ」
答えるのと同時に彼は躊躇無く海に飛び込んだ。そのすぐ後をジェイムズも飛び込んだ。Bチーム全員が「ジェイムズ、Aチームなんかに負けるな!」と叫んだので、Aチームも海に向かって叫んだ。
「アズ、Bチームなんかに負けるなよ!」
「あいつなら大丈夫だ。何たってチームで一番年下のくせに一番偉そうだからな」
AチームとBチームが二手に分かれて自分のチームを応援し始めたので、Cチームもそれぞれを応援した。
皆がアズとジェイムズの名を呼び続ける中、徐々に彼等の姿が水の中から戻ってくるのが見えた。応援する側も益々ヒートアップする。全員が身を乗り出して下を覗いた時、ザバァッと水音を響かせて2人が同時に海上に顔を出した。彼等は当然の如く合格の合図を出したので、訓練生達は大いに盛り上がった。
生徒がやたらと騒いでいるので、ロビーは「全く、ゲームじゃないぞ」とぶつぶつ言ったが、クリスは楽しそうに笑いながら彼の肩を叩いた。
次はBチームのザック・ニコラウスとヘンリー・グラハムである。
Bチームには7人の潜水士候補生がいるが、この2人はBチームの中で一番の年長者で実力もあった。彼等はいつも何かとぶつかり合うことも多かったが、実力が拮抗している為、互いにしのぎを削ってよい好敵手でもあった。
2年生になると、それぞれのチームでリーダーが決められる。Aチームはまだリーダーどころではない感じだが、Bチームでは多分この2人の内どちらかがリーダーに選ばれるだろうと皆は思っていた。
案の定、船べりに座ったザックとヘンリーはライバル心むき出しの表情でお互いの顔を見つめると、同時に海に飛び込み、今までの中で誰よりも早く戻ってきた。仲間達がザックとヘンリーの名を呼ぶ中、次の訓練生キース・アンダーとケイン・アーカンショーは自信がなさそうに互いの顔を見合わせた。
「レディ!」
クリスの鋭い声に彼等はぐっと鼻から息を吸い込んだ。
「GO!」
銀色の波しぶきを上げて、キースとケインは海に飛び込んだ。
― 大丈夫、女の子のキャシーにだって出来たんだ。必ず行ける・・・・ ―
キースは心の中で何度も呟きながら海の中を進んだ。100フィートを超えた所でキースはダイビング・コンピューターの水深計を確認した。後48フィート・・・。
その時ふとキースはいつも一緒に潜っている親友のケインのことが気になった。彼は試験の前日から良く眠れなかったと言っていたが大丈夫だろうか。
辺りを見回したキースの目に20フィート先を行くケインの黄色いフィンが目に入った。いつも自分の後ろに居るケインが前に居たので、随分張り切っているなと内心微笑んだが、それにしてはフィンの動きが乱れている。良く目を凝らしてみると、彼は首の辺りのウエットスーツを掴んで苦しそうにもがいていた。
― パニック症状だ! ―
キースは急いで彼の側へやってきた。しかし症状を判断する事は出来ても、キースにはその対処の仕方が分からなかった。
潜水士という仕事は大変危険を伴う為、二人一組になって任務にあたるバディというシステムがあるが、SLSではそれを奨励していなかった。
確かにバディシステムは潜水士本人の命が危険に陥った時、一人の力では対処できない場合、危険を回避する為の一つの方法である。だが、相手のダイバーがパニックに陥った場合、もう片方のダイバーだけでパニックダイバーを救出するのは至難の業であり、結局パニックに陥っていない方は、外部からの援助を請う場合が多い。
それゆえ、SLSでは全てチーム制を取っている。訓練生時代からチームを組ませ、プロになってからも続けさせるのは、より深い信頼関係に育まれたチームを作る為でもあった。
だからキースも、そして他の訓練生達も一対一の状態でこういった事態に陥った場合の対処の仕方をまだ学んでおらず、とりあえず教官に報告するとしか教えられていなかった。
しかし、キースは迷った。全く自分を見失っている状態の人間を、本当にこんな場所に置きざりにして良いのだろうか。
― どうしたらいいんだ? ―
キースは目の前で苦しそうにもがいている親友に手を貸すことも出来ず、ただ呆然と見つめていた。
― どうしよう。早くしないと、ケインが・・・ ―
気持ちだけが焦った。しかもケインは息をするのも苦しいのか、口からレギュレターをはずしてしまった。慌ててキースはレギュレターの先を彼の口に押し込もうとしたが、ケインは更に苦しがって、両手をばたつかせて暴れ周り、レギュレターがアクアラングからもはずれてしまったのだ。
― ケイン、ケイン、頼むよ。ケイン! ―
キースはもうどうしたらいいのか分からず、自分の方がパニックになりそうだった。
その時、ケインの後ろから彼の首に何かが巻きつき、あっという間に彼を上へ連れて行った。彼等が来るのが余りにも遅かったので、シェランが様子を見に来たのだ。
海上に顔を出したシェランはすぐレギュレターをはずし「クリス!」と叫んだ。彼は既に酸素キッドやライフプレサーバーの用意を整えていた。皆でケインを引き上げた後、クリスが治療を施す。彼の見事な手際は、資格を取ったばかりの訓練生が、思わず見とれてしまったほどであった。
おかげでケインは大事に至らずに済んだが、この後の試験は生徒の心情を考えて中止となった。
その夜遅くまでシェラン達1年生の教官は、試験の際の事故の再発防止と、残りの訓練生の潜水試験の日程調整などを話し合った。
特に問題となったのは、ケインの処分についてである。最初の決定通り、この試験を通過できなかったという事で彼を潜水士候補からはずし、一般にするべきか、反対にあれは事故として、もう一度他の訓練生と共に再試験を受けさせるべきか決めなければならなかった。
シェランはもう一度チャンスを与えるべきだと言い、ロビーはそれではタイムオーバーもしくは148フィート潜れなくて、やむを得ず一般に回らなければならなくなった ―今の所、全員合格しているが― 訓練生に示しがつかないと、反対の意見を述べた。
クリスは最初、自分の担当する生徒の事なので口を挟まなかったが、シェランとロビーが対立し合って一歩も譲らないので、とりあえずケインの意見を確認したいと言った。
「そうね。いくらこちらが再試験を受けさせると言っても、本人にやる気がなければ仕方がないものね」
「やる気がない者は切り捨てるしかない」
四角四面な言い方をするロビーをシェランは睨み付けた。
「そういう問題じゃないわ。みんなの前であんな風になったのよ。ショックを受けてないはずないでしょう?彼は仲間に迷惑をかけたと思って、辞退するかもしれないと言っているの。ロビー、あなたは自分のチームの生徒が同じようになっても、すぐ切り捨てると言えるの?」
シェランに詰め寄ってこられると、どうもロビーは弱いらしい。「いや、そんな事は・・・」と口ごもって首を垂れた。
クリスは苦笑いすると、テーブルの反対側のイスに座ったまま穏やかに言った。
「シェラン。そんなに近付いたらロビーが困ってしまうだろう?とにかく僕がケインと話してみるよ。後の事はそれからでいいだろう。どうせ再試験は一週間後だ」
次の日ジュードは、昨日の試験の後行なわれた心電図の結果を持って、シェランの教官室に向かっていた。本当はサムが担当だったのに、忙しいと言って押し付けられたのだ。
「全く、サムの奴。何が『お前、大佐と仲がいいだろ?頼む!』だよ。絶対あいつ学生の頃、職員室によく呼び出されたんだぜ?だから教官室が苦手なんだ」
シェランの教官室はロビーとクリスの教官室の奥にある。ジュードが唇を尖らせてぶつぶつ言いながら、クリスの教官室の前を通り過ぎようとした時だった。
「もう僕はいいんです。放っておいてください!」
誰かの叫び声がして、ドアが勢い良く開いた。身を硬くして棒立ちになったジュードの前に飛び出してきたケインも驚いたように彼を見たが、すぐに顔を逸らして廊下を逃げるように走り去った。その後を追うように「待ちなさい。ケイン」と言ってクリスが出て来たが、ケインは既に階段を下りて姿が見えなくなっていたので、クリスは諦めたように溜息を付いた。
「あ、あの、オレ、たまたま通りがかっただけで・・・」
ジュードが立ち聞きをしていたのではない事を言い訳すると、クリスは微笑んで「ああ、分かっているよ」と答えた。
「あの、ケイン。どうかしたんですか?」
「うーん・・・」
クリスは頭に手を当てて困り果てたように言った。
「ケインに再試験を受ける気が有るか聞いてみたんだが、僕はもういいんです、の一点張りでね」
「それはみんなに迷惑をかけたと思っているからじゃないですか?」
「シェランもそう言っていたが・・・。何というか、自信を失くしているんだろうな。女の子でさえ、あの緊張と水圧を乗り切ったのに自分は・・・なんてね」
「そんな。キャシーは特別なんです。あいつはシェランの分身みたいな奴なんだから」
きっとケインはつまらない男のプライドに振り回されているのだろう。せっかく与えられたチャンスを生かさないなんて、それこそ男のプライドが廃るってもんだろう?大体、男だ女だなんて言ってる時代じゃないじゃないか。
ジュードはムッとした顔でシェランの教官室に向かって歩き始めた。
「ジュード、どうするんだ?」
彼はクリスを振り返ると、目を細めて笑いかけた。
「ここには伝説の女潜水士が居るでしょう?潜水士の事は潜水士が一番良く分かってるんです」
ジュードが、シェランの部屋のドアを叩いて入っていくのを見ながらクリスは呟いた。
「シェランの分身ね・・・。やっぱりあいつは油断がならないな」
クリスの教官室のある3階から、ケインは唇を噛み締め一目散に駆け降りた。1階には丁度、今日の授業を終えた生徒達が食堂の方に集まっていた。わいわいと楽しげに話す生徒の声が、何故か今日は自分の事を噂しているように思えてくる。
― あいつだろ?Bチームの・・・ほら ―
― ああ、たかが潜水試験でパニックになった奴だ ―
― 迷惑だよな。最初っから潜水士なんて高望みし過ぎなんだよ ―
彼は耳を塞ぐ代わりに、まるで海の中にアクアラング無しで飛び込んだように息をぐっと止めると、本館の出口に向かって人の波を掻き分け走り出した。
息を切らしながら寮の部屋に戻ってくると、同室のハリー・マザックとキースが心配しながら待っていた。だが今のケインにはそんな友人達の気遣いも重荷に感じられて、クリスからどんな話があったのか訪ねられても、口を閉ざしたままベッドの端に座っていた。
「ケイン?」
ハリーに顔を覗かれて、やっとケインは重い口を開いた。
「来週の金曜、残りの潜水課と一緒に試験を受けるか?って・・・」
キースとハリーは嬉しそうに顔を見合わせた。
「やったぜ、ケイン」
「これでチャンスが出てきたな!」
だがケインはぎゅっと手を握り締めると、うつむいたまま叫んだ。
「何がチャンスなんだ?又水中でパニクって、試験が中止になったらどうするんだ?俺は受けないからな。一般で充分だ!」
「ケイン。誰も試験が中止になったのがお前のせいだなんて思ってないよ」
「どうしてそんな事が言えるんだ?思ってるに決まってるじゃないか。本当にそうなんだから。キース、お前だってそうなんだろ?もう少しで合格に手が届きそうだったのに、俺に邪魔されたんだからな!」
一瞬言葉を失った友の顔を見て、ケインはハッと我に返った。ハリーはムッとしていたが、キースはその瞳に深い悲しみを浮かべてケインを見ていた。
キースとは最終試験の日に初めて会った時から気が合って、同じ潜水士を目指していると聞いてから益々親近感が湧いた。
船が座礁して通信システムも使えないと分かった時、ケインはただ絶望に捕らわれたが、キースは「俺は凄く悪運が強いんだ。だから絶対みんな助かる。大体SLSが俺達をこのまま放っておくはずないだろ?」と言ってずっと励ましてくれたし、決して明るさを失わない強さも持っていた。
それなのに自分の不用意な言葉によって、今まで一度もこんな悲しそうな顔をした事のない親友を深く傷付けてしまった事に、ケインはたまらなくなってベッドの中にもぐりこんだ。
「もう放っておいてくれ。俺にかまうな!」
キースとハリーはどうすることも出来ず、互いに顔を見合わせた。