第3部 148F 【2】
4月も後半になると、アメリカ全土から避寒に訪れている人々はそれぞれの国に帰るので、海沿いに建てられた別荘も人の姿がまばらになる。それでもマイアミビーチは相変わらず観光客で賑わっていた。
しかしそんなマイアミのリゾート状況は、SLS隊員候補1年生達には全く無関係であった。彼等は毎週のようにやって来る資格試験をこなし、結果を緊張しながら聞く。やっと訓練所の外で行なわれる資格試験を全て取得し終えた彼等は、シェランの潜水の試験を来週に控え、授業を受ける時にも熱が入っていた。
そんなある日、ジュードが食事を終えて部屋に戻ってくると、珍しくアズが起きていて、ベッドの上で本を読んでいた。
いつもジュードが戻る頃には、大抵彼は布団の中でいびきをかいている。日曜日もそうなので、きっと彼も自分と同じように秘密特訓でもしているに違いないとジュードは思っていた。又妙に話しかけて機嫌を損ねてもいけないので、ジュードは黙って布団にもぐりこんだ。だが、彼が起きていると、どうも気になって眠れなかった。
「アズ・・・」
「・・・・」
返事が無いのでもう一度呼んでみた。
「アズってば!」
寮生の部屋は入り口を入ると、まるで鏡を見るようにベッドと机、そしてクローゼットなどの家具が対面式になって並んでいる。彼等の部屋も同じで、右側がジュード、左側がアズの空間になっていた。両側の壁にベッドが備え付けられ、その横に机、クローゼットは入り口側の壁にある。
部屋が広いのでジュードのベッドからアズのベッドまで少し距離があったが、ジュードはベッドに入ったまま彼に呼びかけた。
「何だ」
「シェラ・・・大佐っていつもああなのか?」
「何がだ」
相変わらず愛想の無い受け答えだが、しゃべってくれるだけまだマシかなとジュードは思った。
「つまり、その・・・水に潜ったら出て来ないって言うか、魚みたいって言うか・・・」
「そうだな・・・」
アズは本から目を上げると、ふと思いついたように言った。
「いや、あれは魚じゃない。例えて言うなら、マナティだな」
「マナティ?」
マナティは体長3から4メートルのジュゴンの仲間で、アメリカではフロリダの周辺に千数百頭しか居ない水生哺乳類である。11月から3月頃になると寒さを逃れてクリスタルリバーに登ってくるので、その辺りはマナティと共にダイビングをしに来る人々が毎年沢山やって来る。
ジュードは実際にマナティを見た事は無かったが、フロリダに居れば幾度も彼等の姿をビデオや写真で見かけることになるので、その姿は良く知っていた。
1トン近くあるずんぐりとした巨体に短いヒレ状の前足、灰色の身体。水の中をゆったりと流れるように泳ぐ姿はのんびりしていて癒されるが、決して美しいとは言えなかった。
昔の人々はマナティを人魚と間違えたらしいが、彼等はかなり想像力が豊かだったのだろうとジュードは思っていた。そのマナティとシェランが一緒だって?ジュードにはアズの美的感覚が理解できなかった。それともオレの目が悪いのだろうか・・・。
ジュードはそれ以上アズに何も言う事が出来ず「ふーん、マナティか・・・」と適当に答えて眠ることにした。
それからもジュードは日曜日ごとにシェランのプライベートビーチへ行き、潜水の練習をさせてもらっていた。最初の約束通りシェランはジュードに何も教えようとはしなかったが、彼が潜り出すと潜水士魂がうずき出すのか、あの見事な飛び込み方で海に入り、ジュードが必死に水圧と格闘している横で魚達と戯れながら楽しそうに泳いでいた。
そんな姿を見ていると、アズが彼女の事をマナティと呼んだのが分かる気がした。
マナティは良く水の中で背泳ぎしたり、身体をくるくると回転させたりして泳いでいるが、その姿は水の中に居ることを本当に楽しんでいるように思わせる。シェランも同じだった。地上に居るよりも水の中に居る時の方が、ずっと開放的で楽しそうなのだ。
水中で何度も回転して気分が悪くならないのかジュードには不思議だったが、そんな幸せそうな彼女を見ていると心が和む。きっとマナティを見に行く人々もこんな気持ちなのだろうと、シェランと泳ぐ度にジュードは思った。
試験を来週に控えた日曜日、訓練所から借りた自転車に装備を積み込むと、ジュードは重いペダルを踏み込んだ。
初めてシェランの家のプライベートビーチに迷い込んだ時は、フル装備を持って良いダイビングポイントを探しながら歩いていたので相当時間が掛かってしまったが、彼女の家は訓練所から車で5分の距離にあった。その位の距離なら自転車でも行ける。何より自転車は、寮生の為にいつでも使えるように何台か揃えてあるので使い易かった。
訓練所を出て暫くたった所で、ジュードは近頃お守りにしている大事な物を持って来たかどうか不安になって自転車を止め、肩から掛けた布の鞄を開いた。
初めてシェランの家に行った時、寝ぼけ眼で目覚めたジュードに、彼女は「亡くなった父の物だけど」と言ってTシャツとバミューダーパンツを貸してくれた。ジュードが「洗って返すよ」と言うと、彼女は「もう要らないわ」と答えた。その言い方にジュードは何となくムッとした。
― ああ、そうか。オレが着た物なんかもう要らないって言うんだな。じゃあ、ありがたく貰っとくよ。着替えは幾らあっても足りないぐらいだからな ―
かなり大きいが彼女の父親の物なら品質は良いに違いない。Tシャツの色は明るい大西洋と同じブルーグリーンで、ジュードの好きな色だった。
彼はその日、その服のまま食堂に行ったが、いつものようにショーンやジェイミーとしゃべりながら食べていると、彼等の周りに潜水課の訓練生が沢山集まってきたので、3人はびっくりして食べるのをやめた。
「ジュード、それ、何処で手に入れたんだ?」
「は?何のことだ?」
「そのTシャツだよ!」
まさかシェランに貰ったとも言えないので、知り合いに貰ったと答えると、皆うらやましそうな顔をした。
「いいなぁ、それ伝説のダイバー、アルフォート・ミューラーのダイビングクラブの服だろ?非売品だから何処にも売ってないし、彼が死んでからクラブも無くなったから、それプレミア物だぜ」
「アルフォート・ミューラー?誰それ」
首をかしげた途端、皆が非難の眼差しを送ったので、ジュードはしまったと思った。良く考えてみれば『ミューラー』と言うのだから、シェランの父親に違いない。彼女の父はそんなに有名人だったのか。
何も分かっていない様子のジュードに、Cチームのビル・ヤングが親切に教えてくれた。
「アルフォート・ミューラーはダイバーとしては世界一だぜ。素潜りの深さと時間で世界記録を持っていて、7年たった今も、まだ誰も彼の記録を更新できないんだ。彼はアトランティック・シー・クラブというというダイビング・クラブを持っていたんだけど、世界中から彼の教えを請いにプロのダイバーが訪れていたんだって。俺達のような潜水士を目指す者にとっては、神様みたいな人さ」
その後みんなが口々に「彼が潜っているDVD持っているぞ」とか「俺も教えて欲しかった。大佐の父親ならきっと教えてくれたのに」等と言って盛り上がっているので、ジュードはこそっとその場を逃げ出した。このシャツの価値も知らない自分が着ていると、皆に妬まれた挙句、競売にでもかけられそうな雰囲気だったからだ。
― 伝説のダイバー、素潜りの神様か。だったらその娘がマナティみたいなのも頷ける。もしかしてこのシャツを持っていたら、潜水が上達するかもしれないぞ ―
彼は次の日曜日からそのシャツを細長く折り畳んで、ウェットスーツを着る時に腰に巻くようになった。そのおかげか練習の成果なのか分からないが、ジュードは少しずつ水圧に慣れてきて、あと少しで26フィートの合格ラインに手が届く所まで来ている。いや、きっと今日こそ26フィートを越えるんだ。
鞄の中にブルーグリーンのシャツが入っていることを確認すると、ジュードは再び自転車を走らせ始めた。
今日は直接マイアミ港に来るように言われていたので、港の中に自転車を走らせていくと、シェランが海に浮かんだボートの上から手を振っていた。多分今日が練習できる最後の日なので、もっと深い所に連れて行ってくれるつもりなのだろう。
良く手入れされた白いボートは12人乗りのプレジャーボートで、中には発電機やGPS,魚群探知機などの装備をフルに備え、300時間は軽く航行できるボートだった。しかも奥に行くと、温水器や冷蔵庫以外にコンロ、電子レンジ、ステレオやエアコンまで標準装備されているのを見て、ジュードは驚く前に絶句してしまった。
ボートの事は良く知らないが、きっと豪華なプール付きの家が軽く一軒は買える値段だろう。
「伝説のダイバーってのは、さぞかし儲かったんだろうな」
ジュードがぼやくように言うと、シェランがボートのエンジンをかけながら答えた。
「さあ、お金の事は良く知らないけど、ママの方が凄かったんじゃないかしら。ママは理学博士で環境微生物研究の第一人者だったのよ。いつもフロリダ中の大学から講演依頼が来ていたし、マイアミ大学海洋学研究所の客室研究員でもあったの。このボートもママが魚探知とGPSの付いているボートが必要だったから買ったのよ」
― たかだか魚が何処を泳いでるか知る為に、何十万ドルもするボートを買ったのか? ―
ここまで来ると、もうジュードにはさっぱり理解できない世界だった。
「もういいよ。とにかくオレは来週のテストを合格するので精一杯なんだから」
「そう。それが一番大切よ。所で、いつも潜る時に腰に巻いているTシャツ・・・・」
壁際にある豪華なソファーセットに座っていたジュードは、ギクッとしてシェランを見上げた。いつも腰に巻いていたお守りの正体を知られてしまったのだ。
「何で、何で知ってるんだ?」
まるで怒ったように彼は問いただすが、海から上がってきた時に彼自身がウェットのファスナーを半分降ろすので見えてしまうのだ。ましてやそれはシェランが渡した物である。細かく折っていても分かってしまうだろう。
「俺が貰ったんだから、どう使おうと勝手だろ?大体シェランが『あなたが着た物なんか要らないわ』って言ったんじゃないか」
ジュードは鞄を抱え込んで早口でしゃべった。
「私、そんな言い方していないわよ」
「しなくったってそういう意味だろ?オレは洗って返すって言ったのに」
シェランはジュードが何をすねているのか分かって、くすっと笑った。
「だって、ジュード。パパはもう居ないのよ。洗って返してもらっても・・・辛いだけだわ」
ジュードはハッとしたようにシェランを見た。
― オレって何でこうなんだ?何て気が利かない奴なんだろう・・・ ―
ジュードは自分も同じように海で父親を亡くしている事を、今更ながら思い出した。
「ごめん、本当にごめん。あれは、その・・・シェランの親父さんが伝説のダイバーだって聞いたから、身に付けていたら少しは上達するかなって、お守り代わりに・・・」
「やっぱりそうだったのね。役に立っているのならパパも喜んでいると思うわ」
「どうかな。たった26フィートも潜れない奴にTシャツをやるなって怒られるかも・・・」
楽しそうに笑い声を上げるシェランと、溜息を付くジュードを乗せて、ボートは白い波を後方に巻き上げながら、紺碧の大西洋に向かって出港していった。
シェランがお薦めのダイビングポイントは ―彼女は「それほど深くないわよ」と言っていたが― ジュードにとっては充分な深さがあった。彼はもう水深計を見ながら潜ることに恐れを抱いてはいなかったが、潜っても潜っても底の見えない海は、不慣れな人間を恐れさせるには充分だった。
きっと本番のテストでもこの程度の深さに連れて行かれるのは間違いないだろう。
ジュードは一人で装備の確認をすると、一呼吸置いて海に飛び込んだ。17フィート・・・19フィート・・・。目の前が徐々に暗さを増していくにしたがって、ジュードの行く手を遮るように水圧も増してくる。ダイビング・コンピューターの水深計が20フィートに達した瞬間、彼はいきなり反転して、光の差す方に向かった。記録が伸びない・・・。
海上に顔を出したジュードは、浅い息を繰り返しながら濡れた髪を掻き揚げた。潜るポイントを変えただけで、こんなに不安を感じるとは思わなかった。
それから3時間経っても一向に進歩の無い自分に憤りを感じながら、ジュードはもう一度レギュレターを口にくわえた。
「ジュード!」
シェランがボートの上から呼んでいる。
「もう1時過ぎているわ。お昼にしましょう」
「待って!後もう少しなんだ!」
ジュードはレギュレターを取って叫んだ。
「あせってもいい結果は出ないわ。とにかく休憩しましょう!」
確かにシェランの言う通りだ。ジュードは溜息を付くと、ボートに向かって泳ぎ始めた。
疲れ切った顔でジュードが現れると、シェランは家から持ってきた昼食をテーブルに並べ始めた。
ジュードはいつも迷惑をかけないように適当にパン等を買って持ってくるのだが、それを見たシェランは「それだけで潜るなんて駄目よ」と怒りながらも、いつも何かを用意してくれている。決して協力はしないと言っていたが、今日も最終日なのでこうしてボートまで出してくれた。
そんなシェランの心遣いが、ジュードにとって大きな支えになっていた。
フランスパンにローストビーフやレタス、オニオン、トマトなどをたっぷり詰め込んだサンドを頬張りながら、シェランと潜水についての話をする。こんな休日も今日で最後だと思うと、ジュードは少し寂しかった。
「どう?記録は伸びた?」
野菜ジュースを置きながら笑いかけるシェランに、ジュードは苦笑いをしながら首を振った。
「何か原因と思う事はあるの?昔、海で溺れたとか・・・・」
ハッとして顔を強張らせた彼の表情は、それが答えだと語っていた。
ジュードの運動能力は、SLSの試験を通過してきたことで証明されている。だとすれば、彼は潜ることが出来ないのでは無く、海の深さや暗さを恐れて先に進めなくなっているのだ。
「差し支えなければ話してみて。少しは気が楽になるかも・・・」
ジュードにはシェランが自分の為に言ってくれているのは良く分かっていた。潜水士として何か助言をしてくれるつもりなのだろう。
だがジュードはどうしても重い口を開く事が出来なかった。6年前のあの日の事を全て思い出してしまったら、もっと水を恐れて海に入ることさえ出来なくなりそうで、彼はただうつむいたまま「ごめん・・・」と漏らした。
「いいのよ。言いたくなかったら言わなくて」
シェランは笑って答えると食事の後片付けを始めたが、船橋から鳴り響く鋭い信号音に、持っていたトレイを勢い良く置いた。
ブリッジに飛び込みシステム盤を見ると、赤いランプが点滅している。救難信号だ。
「船の位置は?」
「ここからすぐよ!」
シェランが舵を握ると、ボートは勢い良く反転し、波の上を滑るように走り出した。
それから5分もしないうちに船は信号の主を見つけた。その船影を見た時、ジュードは嫌な予感に駆られた。
彼等の乗った大型のプレジャーボートが救難信号を発信している小型のボートのすぐ側に停泊した時、自分の感が正しかったことをジュードは恨めしく思った。白と紺の船体に書かれたSLSのマーク。1ヶ月前、キャシーに乗せてくれと頼んで断られた時の物に違いない。
「どうしてこんな所に操船課のボートがあるの?」
シェランは訝しげに呟きながら、ボートに乗り移ったが、誰も居なかった。
「シェラン!キャシーは?キャシーは居たのか?」
「キャシー?」
シェランは目を細めて、船の上に居るジュードを見上げた。
「どうしてキャシーがこんな所に居るの?」
ジュードはシェランの瞳が怒りに染まっていくのを感じながら答えた。
「あいつ、一人で練習してたんだ。潜水試験の為に・・・」
「ジュード、あなたそれを知っていたの?どうして私に報告しなかったの?」
「だって秘密練習だぜ?誰にも知られたくないだろう?オレだって・・・」
「あなたは違う。あなたの側には私が居たわ。でもキャシーは一人だったんでしょう?」
シェランは怒りに声を震わせた後、すぐに魚群探知機を作動させた。魚より大きな人間を捉えるのにソナーは10秒もかからなかった。彼女は潜水道具の入った小さな道具入れのドアを開け、水着のままアクアラングを背負うと、すぐ様海に飛び込んだ。
ジュードもすぐにシェランの後を追った。シェランの影を見失わないように必死に水を掻き分けながら、ジュードはキャシーに会った日の事を思い出していた。
確かに彼女は一人だった。だがジュードは自分の事で精一杯で、それがいかに危険な事なのか、考えもしなかった。だからこそシェランは遊んでいるふりをして、ずっと見守ってくれたのだ。教官として・・・・。
ごめん、キャシー。君が怒っても止めるべきだったんだ。どうしていつも事が起こってから後悔するんだろう。又目の前で誰かを失うなんて、そんな事はもう耐えられないのに・・・。
シェランの頭は探知機のモニターが示した、キャシーが現在居るであろう深さと位置を正確に把握していた。125フィート・・・、もう少しだ。
薄暗い海の中で、シェランは妹のように愛している生徒の揺れる髪と青白い顔を見た。彼女がキャシーの腕を掴んだ時、誰かの手がキャシーのもう片方の腕を掴んでいた。ジュードが同時に上に引き上げようと合図を送っていた。
海上に戻ってくると、シェランが先にボートに登り、アクアラングを降ろした。その間ジュードはキャシーを抱きかかえて、彼女の口のレギュレターを取り、顔色を見たが、海の中で見たのと同じように青白かった。息をしていないのだ。キャシーを船の上に引き上げると、すぐにシェランが心肺蘇生を行なった。
「酸素キッドは?」
「積んでないの。でも大丈夫。高気圧障害にはなってないと思う」
シェランが息を切らしながら答えたので、ジュードは「交代するよ」と言ったが、彼女は首を振って断った。
ジュードはキャシーの為にタオルと毛布を持って来た。汗にまみれながら必死に心肺蘇生を繰り返すシェランを見た後、時計を確認した。
キャシーは水中で何かあって戻れなくなった時の為に、ある程度時間が経過すると救難信号を発するようにしておいたのだろう。その“ある程度”という時間が問題だ。
シェランが心肺蘇生をやり始めてから既に5分が経過している。海中での呼吸停止時間が5分以上前だと、既に10分が経過している事になる。呼吸停止後10分が経過すると、死亡率は50パーセントに上がるのだ。
ジュードはキャシーの呼吸が停止したのが、もっと後であることを願った。そしてシェランも思いは同じであった。彼女は心の中で必死にキャシーの名を呼び続けた。心臓は動いている。後は呼吸さえ戻れば・・・。
― キャシー、目を開けて。息をするのよ。キャシー! ―
青白いキャシーの顔に、いつもの明るい彼女の顔がダブって見えた。
キャシーは潜水の前の授業が終わると、すぐにウェットに着替えて、シェランの名を呼びながら走って来た。キャシーの潜る姿を見て、シェランは彼女が心の底からダイビングを愛しているのだとすぐに分かった。
他の生徒ももちろん可愛かったが、キャシーとエバは女の子というのもあって、シェランには特別な存在であった。特にキャシーはシェランの跡を継いでSLSの潜水士になる夢を持っている。シェランはいつの間にかキャシーを自分の妹のように思い、熱意を持って教えた。そしてキャシーは全身全霊でそれに答えた。
だがそんなキャシーも、ジュードと同じく水圧の壁にぶつかった。131フィートを超えた時、初めて海を恐ろしいと思った。毎日男子生徒と同じ訓練をして体は鍛え上がっていたが、心がまだ付いていかなかったのだ。
体中を押し潰すような水圧に生まれて初めて気付いた時、キャシーの心は孤独と闇に囚われてしまい、軽いパニックを起こした。
キャシーならいつかはそんな心の弱さを克服できるとシェランは信じていたが、キャシーには耐えられなかった。シェランの跡を継げるのは自分だけだと信じていた潜水の能力が、ただの思い上がりだったと思い知らされた時、彼女は幼い頃から呪文のように繰り返されてきた言葉を思い出した。
― やっぱり女は何をやったって駄目なのさ・・・・ ―