第20部 卒業 【3】
彼らを見送った後ジュードは、バイトがあるからと言ってシェランと別れた。シェランもせっかくマイアミに出てきたので、このあと久しぶりにメリーアンと会う約束をしていた。昔良く彼女達と待ち合わせをしたダウンタウンの喫茶店に入っていくと、先に来ていたメリーアンが手を振った。
「珍しいわね。メリーアンが待ち合わせに間に合うなんて・・・」
「24にもなれば、時間も守れるようになるのよ。なんたってバリバリのキャリアウーマンだからね」
学生時代、遅刻常習犯だった彼女も、今ではすっかり社会人である。メリーアンはマイアミにある証券会社でOLをしているのだ。シェランが席に着いて飲み物を注文すると、早速メリーアンが切り出した。
「所で、さっきまで年下の彼と会ってたんだって?」
「彼と会ってたんじゃなくって、彼と共通の知り合いを見送りに行ってたの」
シェランは強く否定した。
「あなた、まだそんな事言ってるの?ずーっと好きだったくせに」
シェランは店員が持ってきたジュースに手を伸ばそうとして、思わず固まった。
「だ・・・誰が、いつそんな事を言ったのよ!」
「あら、じゃあどうして今も彼氏を作らないの?恋人居ない暦24年はちょっと長すぎるんじゃない?」
「あら、メリーアンこそ、周りにカッコイイ証券マンが一杯居るっていうのに、どうして未だに一人身なのかしら?」
「私は選んでるのよ。私に似合う一流の男をね」
「選び過ぎて、その内行き遅れちゃうんじゃない?」
「そのセリフ、そっくりあなたに返してあげるわ。シェラン」
2人はニヤッと笑い合うと手元のジュースを勢い良く吸い上げた。
スポーツジムのプールの周りをゆっくりと見回っていたジュードは、ベティの呼びかける声に振り返った。
「ジュード、今日バイト終わってから時間ある?」
「うん、別に用事は無いけど?」
「良かった。今日でバイト最後でしょ?フレッドとコーネルが貴方のお別れパーティをしようって言っているの。どう?」
「ホント?嬉しいな。もちろん行くよ」
ジュードは笑顔で答えた。
「じゃ、終わったら玄関で待っていて。皆一緒に行くから」
ジュードはふと思いついた事があって、去っていこうとするベティを呼び止めた。
「お別れパーティって何処でするんだい?」
「前に行った店よ。ジュード、途中で帰ったから何も食べてないでしょ?あそこは気に入らない?」
「いや、そんなことないよ」
本当は以前、シェランとクリスが仲睦まじそうに食事をしていたのを思い出したが、せっかく誘ってくれているのにそんな文句は言えなかった。
飲み干したオレンジジュースに付いていた生のオレンジをかじりながら、メリーアンは更にしつこくシェランに詰め寄った。
「それじゃあジュードの方からも、何の告白も無しって事?」
「あ・・・当たり前でしょ?ジュードは前にも言ったけど、訓練校の生徒なのよ。私の事は唯の教官としか思ってないわ」
「そうかなぁ・・・以前ちょっと会った時は随分と彼、シェランの事を優しい目で見ていたけどなぁ・・・」
「それは・・・私が手間のかかる教官で・・・彼はリーダーだから、色々気を使ってくれているだけよ」
「ふーん?本当に?」
シェランはもうその話題に触れられるのが嫌だったのか、手元のライムジュースを飲み干すと立ち上がった。
「ねぇ、お腹すかない?何かおいしいものを食べに行きましょうよ。私この近くの良い店を知っているの」
バイトが終わったジュードは10人余りのバイト仲間と共に『Es Cualquier Cosa』にやって来た。確かシェランは女友達と会うと言っていたから、まさか来ていないだろうと思ったが、前に彼女とクリスが座っていた席をジュードは店に入って思わず見てしまった。そこには違うカップルが楽しげに話をしていたので、何となくホッとした。
ベティがちゃんと予約を入れておいてくれたので、すぐに席に着く事が出来、彼らはみな思い思いの飲み物を注文した。
その頃、すでに店に入っていたシェランは店の一番奥の席で、しつこくジュードの事を聞いてくるメリーアンにムッとしながら2杯目のギムレットを口に運んでいた。酒を飲むのは本当に久しぶりだったが、ジュードの話になると飲まずには居られなかった。
「あなたはねぇ、シェラン。教官である自分が、4つも年下の男の子を好きになっちゃった事を恥ずかしいと思っているのよ。でも、中学生と教師じゃあるまいし、訓練校なら皆立派な大人同士でしょ?生徒を好きになる事の何処が悪いの?それとも校則に教官と生徒の恋愛は禁止って書いてあるの?」
「そんな事は・・・書いてないわよ。でも・・・」
「じゃあ、言っちゃいなさいよ。このままじゃ絶対後悔するわよ」
「後悔なんかしないわ。私は最後まで彼の教官で居るって、もう決めたんだもの」
シェランは頑なに言い張るとギムレットを飲み干して、近くを通りかかった店員に3杯目を注文した。
メリーアンの言う事にいちいちムキになってしまうのは、きっと彼女の言っている事が正しいと思っているからだろう。でもだからどうなるというのだ?彼は、何度も2人きりになったのに、一度だって私を好きだというそぶりは見せなかった。クリスの様にじっと見つめて手を握ってくるとか、もしくはキスしようとするとか・・・。
それはどう考えても私の事を教官としか思っていないからに違いないではないか。いや、それ以上に今の彼にとっては、立派に卒業してライフセーバーになる事、それ以外無いに違いないのだ。
「私は彼を立派なライフセーバーにする、それだけの為にここに居るの。それにもし私がそんな事を言ったら、彼はきっと気に病んで、卒業後も私の事を心配するかもしれない。そんな風に彼の足手まといにはなりたくない。彼がプロとして活躍する足かせになるなんて、真っ平だわ」
シェランは3杯目のギムレットも一気に飲み干した。
「何、良い子ぶってるのよ。あなたはふられるのが怖いんでしょ?いいえ、違うわね、あなたは卒業した彼が自分の事を忘れてしまうのが怖いんだわ。彼が社会人になって、遠くに行ってしまって、いつか自分のことなんて忘れてしまうのが怖いんだわ!」
それはあまりにも当てはまっている答えだった。今まで心の奥に隠して決して自分では向き合おうとしなかった答え・・・・。
酒のせいもあったのかシェランの頬に一筋の涙が零れ落ちた。それを見たメリーアンは思わずぎょっとした。シェランはそのまま机の上に突っ伏してしまった。
「ご、ごめん、シェラン。私、言い過ぎたわ。あなたを見ていると、つい応援したい気持ちが高ぶっちゃって・・・ごめんね、シェラン」
「シェラン・・・?」
メリーアンの声にジュードは驚いたように立ち止まった。彼はトイレを借りようと思って店の中を歩いてきたのだ。
「シェラン、どうしたんだ?」
机の上に突っ伏しているシェランの側にジュードが走り寄って来たので、メリーアンも驚いた。
「あなたは確か、シェランの友達で・・・メリーアン?」
「ええ、良く覚えていてくれたわね」
シェランはジュードが来た事にも気付いてないのか、まだテーブルの上に顔を伏せたままだった。どうやら急に眠気が襲ってきたようだ。
「シェラン、どうかしたんですか?」
「久しぶりにお酒を飲んじゃったからね・・・。それもギムレットを一気に3杯も・・・。それに、私も色々言っちゃって・・・。ねぇ、シェラン、しっかりしなさいよ。ジュードが来たわよ」
「ジュード?どうして?だって今日はバイトがあるって・・・」
メリーアンに肩を揺さぶられて、シェランは眠そうに顔を上げた。
「もう終わったんだよ。今日は引継ぎだけだったから。みんなが今日でバイトが終わるオレの為に、お別れパーティを開いてくれているんだ。良かったらシェランとメリーアンも参加しない?」
シェランはじーっとジュードの顔を見た後、にっこり笑って「うん」と答えた。
「メリーアンもどうぞ。すぐに席を作らせますから」
ジュードに支えられながら立ち上がったシェランを見て、メリーアンはボソッと呟いた。
「ジュードには随分と素直なこと・・・」
ジュードがシェランを支えながらやってくると、急にベティが大声を出した。
「キャーッ!ジュード、その人ね!ジュードのステディ。噂通りかわいいじゃなーい?」
「ち、違うよ!シェランはその・・・友達だよ」
「あら、じゃあ、そっちのスタイルの良い女性がステディ?」
「メリーアンはシェランの友人なの!第一オレに彼女は居ないんだよ!」
ジュードは店員が用意してくれた席にシェランを座らせると、メリーアンにもその隣の席を勧めた。
「まあ、とにかく楽しくやろうぜ!ジュードのお別れパーティと卒業祝いだからな!」
フレッドがビールを高々と掲げた。
「私、ギムレットもう一杯!」
シェランは席に着くとすぐに注文をした。
「シェラン、駄目だって。ジュースにしておくんだ」
「何?ジュード、教官の私に命令しようって言うの?」
「キャーッ、ジュードの彼女って訓練校の教官なんだ」
「いや、だから彼女じゃないって・・・」
ジュードがベティに言い訳をしている間に、シェランはちゃっかりと4杯目を頼んでしまった。
もうここまで来るとシェランの勢いは止まらなく、手元のグラスを空にしては次の酒を注文した。
「シェラン、頼むよ。もうやめよう。な?呼び出しがいつ掛かるか分からないからアルコールは控えていたんだろ?」
「いいのよ。どうせニコラスに邪魔されて、救助には参加させて貰えないんだから」
「それは昔の話だろ?」
6杯目を飲み干したシェランを見て、これも又したたかに酔っていたコーネルが叫んだ。
「おーっ、ジュードのステディはいける口だな!さあ、俺のおごりだ。もう一杯!」
「バカ、勧めるな!それにステディじゃないって言ってるだろ?」
「ウィエイターさん。もう一杯下さい」
「シェラン!!」
酔っ払ったシェランに振り回されているジュードを見ながら、メリーアンは心の中でニヤッと笑った。
― おもしろいわあ、この子。きっと今までこうやってシェランに振り回されてきたのね。くすっ ―
ジュードのお別れ会なのか何だか良く分からなかったが、とにかくしたたかに酔った彼らは店を出てきた。フレッドやコーネル達はまだ次の店に行くというので、ジュードはシェランを送るからと言って彼らと別れた。バスで帰ろうとしているジュードを見かねてメリーアンが「こういう時にはタクシーで送るのよ!」と近くに止まっていたタクシーに彼らを押し込んだ。
「いい?ジュード。今日はチャンスよ。しっかり送り狼になりなさい」
メリーアンが思いっ切りドアを閉めると、タクシーはダウンタウンの明かりがきらめく街へ滑るように走り出した。
「何がチャンスだよ・・・全く・・・」
ジュードは自分の肩にもたれて眠ってしまったシェランを、困ったように見つめた。
「シェラン?」
呼びかけても彼女は安心しきった顔でぐっすりと眠っていた。
― あんまり安心されてもなぁ・・・ ―
ジュードは小さく溜息を付いた。
シェランにとって自分は安心できる存在でいいと思っていた。ただ見守るだけでいい。側に居る資格が無いなら、せめて彼女が幸せそうに笑っていられる様に祈る他は無かった。
だがこうして、シェランの穏やかな吐息を独占していると、どうしても自分のものにしてしまいたいと思ってしまう。本当は誰にも渡したくないんだ。クリスにもウォルターにも、他のどんな男にも・・・。
シェランを守れる人間なら誰でもいい。彼女を幸せにしてくれるならそれでいいと何度も思った。だが本当は自分が彼女を独り占めしたくて仕方が無かった。シェランが他の男の腕の中で笑っている姿を考えるだけで、気が狂いそうなのだ。
どんなに押しとどめようとしても、彼の男の部分が激しい独占欲に囚われる。だからこそジュードは、シェランをまるで父親が娘を見守るように接してきたのだった。
ちゃんと解っているさ・・・。 ジュードは心の中で呟いた。あの海賊の島でナイトの扮装をしてパレードに出る時、スタッフの男性が言った言葉が今も耳に残っている。
― ナイトはあくまでナイト。常にプリンセスの後ろに居て、彼女を守るのが仕事なのです ―
それはまさに自分の事だとジュードはあの時思った。決して自分は彼女の横に立つ事なんて許されない。側に居てやることさえ出来ないのだから・・・。
ジュードは自分の肩にもたれかかって眠っているシェランの肩を抱き寄せると、彼女の髪に唇を当てた。シェランの髪の甘い香りと静かな吐息が聞こえる。
「好きだよ、シェラン・・・。どうしようもない位に・・・・」
シェランは家に着く頃には目を覚まして、自分で家の階段を上って行ったのでジュードはホッとしてタクシーに戻った。もし彼女を抱えて家に入るような事になれば、理性を保っていられるか自信が無かったからだ。
寮へ戻るとアズはすでにベッドに潜り込んでいた。ジュードはデスクのライトを点け、そっと一番上の引き出しを開けた。ここに来てから一度も取り出したことの無いネックレス。一生出番が来ない筈のそれを取り出すと、彼は大きく溜息を付いた。
「後15日か・・・・」