第19部 I Wish ―願い― 【8】
長らくお待たせしました。再開します!
次の朝、シェランが目を覚ますと、まだジュードの腕の中で寝ていたのに気が付いて、びっくりしたように彼から離れた。
「お早う、シェラン」
彼がにっこり笑って言うので、シェランは真っ赤になって「お・・・お早う」と答えた。ジュードは立ち上がって大きく伸びをすると歩き始めた。
「嵐はすっかり行ってしまったようだよ。さあ、これから片づけが大変だぞ」
「あの・・・手伝ってくれるの?」
「今日は日曜日だし、乗りかかった船だしね・・・」
ジュードは笑うと、靴を探して来るから待つように言って地下室の階段を上がって行った。シェランは立ち上がって彼を見送った後、さっきまで2人で座っていた壁の片隅を振り返った。昨日ジュードが言ってくれた、たくさんの言葉がシェランの胸によみがえってくる。彼女はその場所に向かってにっこり微笑みかけた。
「ありがとう、ジュード・・・」
嵐はシェランの家に甚大な被害を与えたが、訓練校の方は飛んできた何かの破片で本館の会議室の窓が一枚割れただけで済んだ。ジュードはチームのメンバーを集めてシェランの家に突っ込んでいる大きな木を取り除く作業をし、エバとキャシーはシェランと3人で部屋の清掃にあたった。それからガラス業者を呼んで、その日のうちにシェランの家はすっかり元通りになった。
その夜は生徒の外出許可を取って、シェランはマイアミに彼等と共に食事に出かけた。今日手伝ってくれたお礼のつもりであった。そこでシェランは少し早いが、6月に誕生日があるハーディとジェイミーに誕生日プレゼントを渡した。
5月のブレードとサムにはもう月の始めに渡していたので、次の月の彼らに渡したのだ。プレゼントはジュードに渡したのと同じ、皆の写真の入ったクリスタルの写真立てだ。それを送ったのはもう13人目で後7月に誕生日があるピートとノースにそれを渡せば全員に送った事になる。その後はもう、卒業を待つばかりだった。
全員で『ハッピーバースデイ、ハーディ、ジェイミー!』と叫びながら乾杯した。最近合同訓練で鬱憤のたまっているメンバーにはいい息抜きになるだろう。ジュードはハーディとジェイミーにお礼のキスを手の甲にされて、真っ赤になって照れているシェランを微笑みながら見つめた。
バージニア州にある世界最大の海軍基地、ノーフォークの港が見える専用の自室で、ヘレン・シュレイダー大佐は渋い顔でコーヒーを飲みながらデニス・アスレー中尉の報告を聞いていた。
「・・・そこで情報を得たFBIが、ペルーのリマからボリビアのサルタ辺りまで探したそうですが、ルイス・アーヴェンの消息は全く掴めなかったそうです」
「ふん、ご苦労な事だ。FBIはアンデス山脈を横断でもするつもりかな」
ヘレンはたっぷりの嫌味をこめて呟いた。あのルイスがそう簡単に捕まる筈が無い。大体我々にも見付けられないものがFBIごときに見付けられるものか。
「しかし、今まで全く正体の掴めなかった“私という名の男”につながる唯一の人物です。FBIも血眼になって探していますよ」
「だろうな・・・」
別に溜息を吐く必要は無いのだが、ヘレンは椅子に深く腰掛けて息を吐いた。
「そういえば全くの未確認情報なんですが、NSA(国家安全保障局)のほうから、それらしき人物がフロリダに入ったとの情報が・・・」
「何?それは本当か?CIAは確認したのか?」
「いえ、ですから全くの未確認情報で・・・。藁にでもすがりたいという状況ですかね」
「ふむ・・・」
確かに情報源がNSAならCIAに話が行くわけが無い。
「あそこは昔からCIAとは仲が悪かったからな・・・」
ヘレンはボソッと呟いた。
「やっぱりCIAのほうが名前が売れているのが気に入らないんでしょうか」
「バカな事を言うな。名前が知れ渡っているのを喜ぶような諜報部員はバカか、落ちこぼれに決まっている」
そう言いつつも、ヘレンには確信は無かった。
「良いだろう。NSAに義理立てして、フロリダに足を運んでやろう。丁度用もあることだしな」
ヘレンがデニス・アスレー中尉とアレック・ハワードを連れてSLS訓練校を訪れたのは、丁度ジュード達が教官たちと共に本部との合同訓練の話し合いをしている真っ最中であった。合同訓練は明日だというのにこの間の台風でミーティングが遅れ、ぎりぎりの前日になってしまったのだ。
ジュードは戻ってすぐ、チームのメンバーに囲まれて引きずられるように談話室まで連れてこられ、又あの偉そうな女大佐がやってきている事を知らされた。
「いいか、ジュード。今度こそ何があっても、あの女大佐の要請なんか受けるんじゃないぞ」
「合同訓練で色々あるってのに、これ以上のゴタゴタはごめんだからな」
どうやらシュレイダー大佐はAチームにとって鬼門なのだろう。そういえば彼女と知り合ってから、シェランの事を大佐と呼ぶ訓練生が減ったように思う。きっと大佐と呼ぶとヘレンの事を思い出すので、みんなシェランの事は普通に教官と呼ぶことにしたようだ。
そしてシェランも、ヘレンが彼女の教官室で待っていると同僚のケーリーから聞いて、急いで3階にやって来た。部屋の前には懐かしい顔の2人の男性が立っている。
「まあ!アスレー中尉、アレック。お元気でした?」
「アフロディテ!ええ、もう私は大変元気でした!」
アレックが憧れの女性に会えたのが嬉しかったのか、満面の笑顔で答えた。そんなアレックに先を越されたのが悔しかったのか、デニスは一つ咳払いをすると、落着いた様子でシェランと挨拶を交わした。
「お元気そうで何よりです。ミス・ミューラー。巡洋艦の事件の時は大変お世話になりました」
「お世話になったのは私のほうですわ。生徒とたくさんの乗客の命を救って下さったのですもの」
「救われたのは我々のほうですよ、アフロディテ。そうそう、ヴェラガルフのダスティン・アラード中佐があなたに会ったらよろしく伝えて下さいとおっしゃっておられました」
「まあ、D中佐、懐かしいわ。お怪我の方はもうよろしいのかしら」
「ええ、あの方は海軍の中でも、うちの大佐と同じくモンスターと呼ばれてましてね」
デニスが声を落としてシェランにささやいた。
「アフロディテ、一度バージニアの方に遊びに来てください。何処でもご案内いたしますよ」
アレックはやっと一番言いたかった事を言えたようだ。
「でも、ご迷惑じゃ・・・」
「全然迷惑なんて事はありません。みんな・・・」
アレックが言いかけた時に、ドアの中から激昂した声が響いてきた。
「デニス、アレック!何をくだらん事をくっちゃべっとるか!とっとと部屋に通さんか!」
『はっはい!!申し訳ありません!シュレイダー大佐!!』
彼等は慌てて叫び返すと、シェランの為に教官室のドアを開けた。
ヘレンは2人の部下に、ドアの隙間からヘリに戻っているように伝えると立ち上がった。
「久しぶりだな」
「ええ。ヘレン、怪我の具合はどう?」
「あんなものは怪我のうちには入らん。私はすぐ任務に戻ったぞ」
ヘレンはゲリラとの撃ち合いの最中に、2発の銃弾を腕と肩に受けていた筈だ。さすがモンスターと部下に言われるだけはある。シェランは笑いながら彼女の為にコーヒーを入れ始めた。
「私のコーヒーは少し濃い目にな」
ヘレンは片足を組んで、相変わらず偉そうである。
「OK。濃い目ね」
シェランはにこにこ笑いながら、彼女に注文どおりのコーヒーを差し出した。
「所であなたが来るなんて、又何かあったの?アルガロンからは何の連絡も無いけど・・・」
「別にちょっと用があったので寄っただけだ。そうそう、ウェイ・ダートン大尉だが、君の生徒の適切な処置のおかげで、一命を取り留めた。リハビリも済んで、今はもう前線に復帰している。本人からもよろしく伝えてくれと伝言があった」
「そうなの?良かった。彼を救助したピートやジェイミーが気にしていたの」
「そうか・・・」
本当はありがとうという言葉を言いに来たつもりだったが、どうも本人を前にすると言いにくいものだった。
そしてヘレンにはもう一つ言いにくい報告があった。それは別にシェランに伝えなくてもいい事だとも思ったが、いろいろ考えた末にやはり彼女に聞かせるべきだと判断した事柄だった。まるで決心を促すかのようにヘレンはシェランの入れてくれたコーヒーに口を付けた。その味は今までどの部下が入れてくれたものより、はるかに自分の好みだったのにヘレンは驚いた。
「もしかして、あんたは料理上手なのか?」
「もしそう思うんなら、一度ぜひ私の手料理を食べに来て。私の家ではいつでも歓迎するわよ」
偽りの無い笑顔で答えたシェランを見て、ヘレンの心は決まった。
へレンがシェランの教官室を出てきた時、丁度彼女を心配して来たのだろう、ジュードと出会った。ヘレンが何となく暗い表情だったので、ジュードはすぐに何かあったのだと悟った。
― 又、シェランを事件に巻き込む気か? ―
そんな顔をしているジュードにヘレンは小さく首を振った。
「何も事件は起こっていないよ、ミスター・マクゴナガル。だがシェランは今きっと泣いている。私の前では我慢していたから・・・」
それを聞いてジュードはすぐにシェランの教官室に入っていった。ヘレンはほっとしたように溜息を付くと、ゆっくりと廊下を歩いて去っていった。
「シェラン?」
窓の方を向いて背を向けているシェランの側に、ジュードは静かに近付いた。彼女が無理に涙をぬぐわなくてもいいように、ジュードはシェランの斜め後ろに立って彼女の返事を待った。
ヘレンが話したのは、以前港で聞いた、彼女の両親が関わったサウザン・シー・リージャン(1000の海域計画)についての概要だった。これは海軍の計画ではあるが、SEALは協力を要請されただけで、実質的に内容を把握しているわけではなかった。だがヘレンは以前その計画に関わっていた元海軍関係者の海洋学博士に出会い、話をする機会を持ったのだった。
「『1000の海域計画』と一口に言っても、それは海に関わる一つの部分でしかないんだ。例えば、大西洋のバミューダ海域。あれもパズルのようにたくさんあるうちの一つのピースに過ぎない。まさに世界中の海の不思議を調査する、いわゆる未知の分野の調査隊だ。
バミューダに関しては近年色々な事が分かってきているんだが、メタン・ハイドレードを知っているか?メタンガスが高い圧力で水に溶け込み、固体物質になったものだ。氷状物質の中には実に体積の約200倍ものメタンガスが蓄積されているものもあるが、それがバミューダ・トライアングルの船舶や飛行機事故に大きな影響を及ぼしていると現在は考えられている。
もちろんその説が全てではないがね。そのメタン・ハイドレードは温度や圧力の条件によって大量のメタンガスを噴出する。その条件がバミューダ海域では非常に起こりやすい場所だと言われているのだ。それは船舶や巨大な石油採掘機を海に沈めるだけじゃない。メタンガスは空気より更に軽いため、そのまま上昇を続け、飛行機の吸い込み口から機内へ、そしてエンジンプラグに引火する事によって、一気に空中爆発を引き起こす。
いや、それだけじゃない。海底から噴出したメタンガスは、海上で大量の泡になって弾け飛ぶ。その際大量のマイナスイオンを発生し、磁界を作り上げる。その磁気異常によって、船舶のコンパスが異常になるだけじゃなく、はるか空中の人工衛星が頻繁に故障を引き起こす事例も報告されているんだ。
だがその全ては仮説であって、実際に化学的に証明されたわけではないんだ。それを調べて全ての原因を分析していく機関というのがどうやら政府にはあるらしい。この地球上、海域、そして宇宙に至るまで、全てを調べつくさなければ気がすまないらしいな、わが国は・・・。そして全てを知り尽くす事、それが最強の国家である“しるし”なのかもしれない」
「私の両親はその“1000の海域計画”で何を調べていたの?」
「アトランティスだ」
「ア・・・アトランティス?」
シェランはあっけに取られたように叫んだ。
「アトランティスなんてプラトンの著書を勝手に小説にした、架空の伝説でしょう?」
「確かにそういう説もある。だがある程度調査が進んで信憑性のあるものもある。アトランティスの伝説には大西洋説や地中海説などいろいろあるが、例えば地中海説では地中海の島、サントリーニ島の火山の噴火で、津波により滅したミノア王国、これはクレタ文明なんだが、それがアトランティスではないかと言われている。
大西洋ではアイルランドの地形が伝説と似ているため、津波で沈んだように見えたのではという学者もいる。いずれにせよ、いかなる可能性も排除しないのが、わが国のすごい所だな」
「そんな伝説の国を探し出してどうするの?そこに今以上のすごい兵器でも隠されているとか?」
シェランは少々鼻で笑うように言ったが、ヘレンは大真面目な顔で答えた。
「その可能性が無いとは言えないだろう?実質、古代人の技術や英知は現在でもはかり知れないものが数多く存在するんだ。君の両親はその可能性の一つを探していた。この大西洋でね。だが誤解しないで欲しい。以前君に教えた場所は巨大な海溝が海の底に存在し、未だに誰も行った事の無い未知の世界だった。
もしアトランティスがそこに沈んでその海溝を作ったとすれば、大きさ的にもかなり一致するらしい。君の両親は、その仮説にロマンを感じていらっしゃった。だからこそ、政府の依頼を受けて、未知なる海溝に潜る事を承諾してくれたんだ」
シェランはヘレンの話を聞きながら、じっと窓辺に両手を着いて海を見つめていた。両親の気持ちは分かる。あの人たちが無理やり政府に強要されて、海に潜ったのではないと信じられる。だが・・・・。
「ねぇ、ヘレン・・・。それは娘の誕生日をすっぽかしてまで行かなければならなかった事なの?」
へレンは大きく溜息を付いた。シェランにはずっとそれが心残りだったのだろう。自分の誕生日が両親の命日になってしまった事が・・・。
「あの日は昼過ぎに捜索は終了する予定だった。君が学校から帰ってくるまでにはね」
それ以上シェランが何も質問してこないので、ヘレンは部屋を出てきたのだった。
SLS専用港は、今まさに夕日の色一色に染まっていた。そんな中でじっとオレンジ色の海を見つめながら、夕日よりも更に赤い色の髪をなびかせて、女大佐は一人、じっと波間に並んでいるライフシップや消防艇を見つめていた。波が静かに船の横腹に打ち付ける音だけが辺りに響いている。
「なぜ、シェランに今更あんな事を言ったんですか?」
別にヘレンは彼を待っていたわけではなかった。だがヘレンはジュードがそう言って自分を責めに来るのが分かっていて、ここを立ち去る事が出来なかったのだ。
「知っていたのに、なぜ教えてくれなかったんだと、又あいつに言われたくなかったからだ」
へレンは正直に答えた。
「そうですか・・・・」
ジュードはヘレンの隣に立って、彼女と同じように夕日に染まっている海を見つめた。この頑固で人に決して弱みを見せない女大佐は、もしかしたらシェランに友情を感じているのではないだろうか。ただ照れくさくてそれを上手く表せないのだろう。
「シェラン、最初は泣いてましたけど、後で貴女にありがとうと言っていました。貴女のような立場にある人が、軍の機密を話してくれるのには、とても勇気が要っただろうと・・・・」
「フン、機密なんてものは、どうせ何処からか漏れるものだ。君のような一般人が巡洋艦の最新兵器に詳しいんだからな」
ジュードは微笑むとヘレンの方に向き直った。
「実は明日、オレ達と本部との合同訓練があるんです。もし良かったら見に来てもらえませんか?」
「は?何で海軍大佐の私が、そんなつまらないものを見学に行かなきゃならんのだ」
「だって、クッキー、おいしかったでしょ?」
ヘレンは最初、何のことかさっぱり分からない顔をした。本当にこの少年は時々訳の分からない事を言い出すんだ。
「クッキーとは、シェランがノーフォークまで送ってきた、あの大量のクッキーのことか?」
「ええ、覚えていますか?巡洋艦で言いかけていたのも、そのことなんです。あれはシェランが貴女の為にたった一人で焼き上げたんですよ。そりゃもう全身粉まみれになって・・・」
「何でそんなこと分かるんだ。お前、見ていたのか」
「ええ、オレは小麦粉の買出しに付き合っただけですけどね、すごい量だったから。でも作るのは一人で一生懸命作ってましたよ。オレはそれを横で見ながら、試験問題を解いていただけです」
ヘレンはムッとしたような顔をしながら、横柄な態度で答えた。
「それと、私がガキの訓練を見に行かなきゃならないのと、どう関係があるんだ」
「シェランはあれを作っている間、ずっと言ってました。“ヘレンはとても大切な親友を失ってしまって、今とても辛いと思うの。でもこれを食べて少しでも元気を出してくれたらいいな”って・・・。“あなたは決して一人じゃないんだって思ってくれたらいいんだけど”って・・・」
「あの・・・バカ・・・!」
ヘレンは益々苦虫を噛み潰したように呟いた。
「この私が、寂しいよーって泣いているとでも思ったのか!全くバカにも程がある!あんなものを必死に作って・・・。私なんか、あいつを泣かすような事しかしていないんだぞ!」
「シェランは今、もっと泣いています。合同訓練は彼女にとって、地獄にいるのと同じ位に辛い事なんです」
「ほう?それは一体どういう意味だ?」
ジュードはヘレンにシェランが本部隊員を辞めなければならなかった事件を含めて、全てを話した。彼女は信用に足る人物だと思ったからだ。
ジュードの話が終わったのは、夕日がビルの谷間に完全に沈んでしまった頃で、港のあちこちにぽつぽつと小さな明かりが灯り始めた頃だった。
ヘレンは「SLS内部の事情など私は知らん。全くくだらん。くだらな過ぎる!」と憤慨したように言うと、足音を響かせながらヘリポートに向かって帰っていった。