第19部 I Wish ―願い― 【7】
5月の半ば頃、4回目の合同訓練の話し合いが本部で行われる事になっていたが、その日は再びやって来た台風の影響でミーティングは中止になった。しかもかなり大型のハリケーンで激しい雨と風の影響で訓練も中止、海に近い本館も立ち入りが禁じられた。
以前の台風で、本館の窓がほとんど全部割れたという経験がある為だ。教官以外の職員も自宅待機が命じられたが、訓練生の安全の為、校長や、各学年の責任者である教官、1年生はケーリー、2年生はハンス、3年生はロビーがそれぞれ寮で訓練生と共に待機した。(シェランも生徒と共に残ると言ったが、校長に命じられて仕方なく自宅に引き上げた)
訓練生もいざという時には緊急避難道具を持って、すぐに寮を出られるようにしておかなければならない。本部から津波の情報が来たらすぐに脱出するのだ。
いざ脱出となれば、3年生が指揮を執るのだが、待機中は2年のリーダーや副リーダーが館内を見回ってちゃんと自室に寮生がいるか確認したり、色々な連絡事項を伝えたりする。3年生も2年生に注意されたりするのは癪なので、おとなしく自分の部屋で待機していた。
「アズ、アズ、見てみろよ。すごい波だぜ!本部隊員も大変だなぁ。今日は事故も多いんじゃないかな」
本部隊員の心配をするよりも自分の事を心配しろと思うアズだったが、ジュードの居る窓辺にやって来た。
「確かに波が荒いな。雨はそんなに大した事は無いから避難するまでは行かないだろうが、風が強すぎる。又窓ガラスがやられるかも知れんな」
それを聞いてジュードはドキッとした。
「窓ガラスが割れるなんて事あるのか?」
「知らんのか?南部じゃしょっちゅうだぞ。俺達が入る前にも何度か本館の窓ガラスが割れて、何人かの生徒が怪我をしたそうだ。だから、本館への入館は禁止になっているんじゃないか」
ジュードはさっきから気になっていた事を改めて思った。シェランの家は海岸から少し離れているとはいえ、かなり高台にある。波の影響は少ないにしても、風の影響はそのまま受けるのではないだろうか。
ドアをノックする音が響いて、ジュードとアズの部屋を覗いたのはアンディであった。
「ご機嫌いかがですか、先輩方。ちゃんと2人とも揃ってますね」
「ああ、アンディ。ご苦労様だね。寮内の見回り?」
「はい。今の所避難しなくちゃならないような情報は入ってきていませんが、避難道具を用意して待機して下さいとの事です」
ジュードがもう用意してるよと言おうとしたが、いきなりアンディが「あっ」と叫んで窓の外を指差したので、ジュードとアズも振り返った。6から7メートルはあろうかという大きなヤシの木が目の前の海岸を風に飛ばされながら通り過ぎていった。
「うわぁー!こりゃすごいや!今のこっちに向かって来てたら大変な事になってましたね」
アンディがその言葉を言い終わらない内に、ジュードは洋服ダンスを開け、中から雨具を引っ張り出した。
「アズ、アンディ!後は頼んだ!」
ジュードはそう言いながら雨具を着込むと部屋を飛び出して行った。
「せ・・・先輩?何処に行くんですか?困ります!ジュード先輩!」
アンディが慌てて追いかけようとしたが、アズに肩を摑まれた。
「行かせてやれ。あいつには何を捨てても守りたいものがあるからな」
「は?ああ、そういうことですか・・・。だったら仕方が無いですね。僕は何も見なかった事にしましょう」
アンディはにっこり笑うと彼らの部屋を出て行った。
寮の階段を急いで駆け下りると、ジュードは激しく雨が叩きつけられている玄関のドアを開けて外に出た。この暴風雨で表の自転車は全てなぎ倒されている。ジュードは自転車のハンドルを掴んで起こすと、ぬかるんだ道へとペダルを漕ぎ出した。
あまりに雨が強く叩きつけてくるので、目も開けていられないような状況だった。風に向かって押し戻されるようになりながらも何とか走っていったが、何度も吹き付けてくる横風に自転車ごとなぎ倒され、途中で自転車を捨てざるを得なくなった。
「くそっ」
きっとシェランの事だから、こんな暴風雨には慣れっこに違いない。別にオレが行かなくても大丈夫なんだろう。シェランに“何故来たの?寮で待機って言われているでしょう?”と怒られると分かっていても、ジュードは彼女の無事な姿を確かめたかった。もしかして心細くて泣いていたりしたらと思うと、居ても立っても居られなかった。
強い風に逆らい腕で瞳をかばいながら、ジュードはやっと白い大きな屋敷が見える所までやって来た。玄関に至る階段は滝のように水が流れ落ちている。はいずるようにして白い階段を登り、玄関のインターフォンを押したが音が鳴らなかった。
「電源が落ちているのか」
ジュードはあたりを見回した。玄関が駄目なら東側のリビングの窓まで行ってみよう。もしシェランがリビングに居たら気付いてもらえる筈だ。もう既に暗くなっていたので、雨具の中に入れてきた懐中電灯を取り出し、ジュードは家の壁に摑まりながら、ゆっくりと東側へと周っていった。
しかし彼は西側の壁を回ったところで、あっけに取られたように立ち止まった。さっき見たヤシの木より更に巨大な木がリビングのフレンチ・ドアに突っ込んでいる。美しいガラスのドアは見事に大穴が開いて、激しい雨が部屋の中に吹き込んでいた。
「何だよ。これ・・・」
ジュードは大木が開けたガラスの裂け目から中を覗いたが、薄暗いリビングには誰も居ないようだった。リビングがこんな状態では他の窓も危ないかも知れない。ジュードは肘で割れたガラスを叩きつけた。自分が入れる隙間を作ると中へ入り、びしょ濡れの雨具を脱ぎ捨てた。
「シェラン!居るのか?シェラン!」
彼女の名を呼んでも返事は無かった。どこかへ避難しているのなら構わないが、一応ジュードは家の中を探してみる事にした。もしかして風の音が強くて声が届かないのかも知れない。彼女の名を呼びながら、ジュードはとりあえずシェランの部屋を覗いてみてびっくりした。彼女がいつも寝ている筈の広いベッドの上にたくさんのガラスの破片が散らばっている。
以前シェランが南側の窓の下にベッドを動かして欲しいと言ったのでそのようにしたが、それがあだになったのだ。
「シェラン!」
ジュードは広い部屋の中を見回したが彼女の姿は無かった。まさか寝ている時にこのガラスが彼女の顔に降ってきたんじゃないだろうな・・・。ジュードは不安な思いを抱きながらその部屋を出た。彼女の部屋の向かい側は、今は亡き両親の部屋だ。ジュードは一応その部屋も開けてみた。
「シェラン!居ないのか?」
部屋の片隅にまるで小さな少女のように座り込んだシェランは、その声の主を、幻を見ているかのように見上げた。
夕方ごろ、風が更に強くなってきたので訓練校に連絡を入れると、生徒達はみな無事で、非難するほどでは無いとの返答だった。ホッとしてベッドで本を読んでいると、突然、激しい音を立てて頭の上の窓ガラスが割れた。
シェランはびっくりしてベッドを飛び出た後、吹き荒ぶ風の音を聞きながらどうしたものかと割れた窓ガラスを見つめていた。するとリビングの方から激しくガラスの割れる音と、何か巨大なものが家に滑り込んできたような音が聞こえ、恐ろしくなって裸足のまま部屋を飛び出し、両親の部屋へ逃げ込んだのだった。
それからはただずっと嵐の通り過ぎるのを待つように、窓の無い壁に寄り添って座り込んでいた。いつもの自分なら立ち上がって何とかしようと思うのに、この所続いていたニコラスとの確執や、彼のAチームに対する仕打ち、そして何よりも嵐と激しい波の音が3年前の事件を思い起こさせた。シェランはただ両肩を抱えて小さくうずくまっているしか出来なかったのだ。
「シェラン!大丈夫か?シェラン?」
「・・・ジュー・・ド・・・?」
一体何故彼がここに居るのだろう・・・。訓練生はみんな寮で待機中のはずだ。
シェランは目の前に居る彼が、自分の願望が作り出した幻のように思えて仕方が無かった。あまりにもシェランがぼうっと自分を見ているので、ジュードは彼女が怪我をしているのかと思った。
「頭に怪我をしたのか?あれ、ガラスで切ったにしては血が出てないな」
ジュードの暖かい手が額に触れて、初めてシェランは彼が本物だと分かった。
「ジュード。どうしてここに居るの?」
「どうしてって、心配だから来たんだ。この家、随分高台に立ってるし。実際リビングのドアの所にすごい木が突っ込んで大穴が開いていたぞ」
ああ。さっきの凄まじい音はそのせいだったのか・・・。シェランはまだぼうっとした頭で考えた。
「とにかくこのままじゃ上の部分は危ない。地下室はないのか?」
「え・・・と、駐車場から地下に降りる入り口が在るけど・・・」
そう言いながら立ち上がったシェランの足を見てジュードはびっくりした。
「何で靴を履いてないんだ?こんな時に。ガラスの破片が落ちていたら危ないだろう!」
ジュードに怒られてシェランはおどおどとして答えた。
「だって急に窓ガラスが割れて・・・それでびっくりして部屋を飛び出したものだから・・・」
「まったくもう・・・」
ジュードはぶつぶつ言いつつ彼女に背を向けてしゃがみこんだ。
「地下室まで背負って行くから、早く背中に乗って」
「で・・・でも・・」
「ぐずぐず言ってる暇ないんだ。西部のハリケーンなんか家ごと一軒持って行ってしまうんだぜ。早く地下に行かなきゃこの家もヤバイかも知れないだろ?」
「う・・・うん・・」
シェランが背中に乗るとジュードは駐車場に向かって走り出した。途中リビングを抜けるので、その惨状を見てシェランは悲しくなった。父と母の残してくれた家も護れなかった。シェランはぐっと唇を噛み締めた。
駐車場は全面コンクリートの壁に囲まれているのでびくともしないようだった。シェランの車もそのままの状態で止まっている。車の脇をすり抜けて一番奥に地下室へ続くドアがあった。シェランは「ちょっと待って」と言いつつ彼の背中の上から、整備用の道具が吊るされている壁に掛けてある地下室の鍵を取ってドアの鍵を開けた。
さすが大きな家だけあって、地下室の階段もしっかりしているし、中も多少の災害には耐えられるように作られている。床にはちゃんとじゅうたんが敷き詰めてあったので、ジュードはシェランを余り道具の置いていない安全そうな壁際に下ろした。電気がストップしているので、シェランがキャンプ用のランタンを点けると、ふわっと中が明るくなった。
「綺麗な地下室じゃないか」
ジュードが感心しながら周りを見回した。ちゃんと保存用の食料なども置いてあり、何かあった時にはここで2週間くらいは軽く過ごせそうだ。
「パパが一応避難用にって、いつも整理していたの」
シェランはランタンを地下室の天井に付けると、さっきジュードが降ろしてくれた壁際に戻ってきて疲れたように座った。
「パパとママが残してくれた家も護れないなんて・・・情けないわ」
「しょうがないさ。自然の前で人間は限りなく無力だよ。ただ必死に生き延びる事を考えるだけだ」
ジュードもシェランの横に座って壁にもたれた。
「ジュード、どうやってここまで来たの?大変だったでしょう?」
「途中までは自転車で来たんだけど、あまりに風が強くて前に進めないから後は歩きで来た」
彼は笑いながら答えた。
「寮に・・・戻らなくていいの?」
本当は彼にここに居て欲しかったが、今は待機中の命令が出ている。こんな時に、ましてやチームのリーダーが寮に居ないなんて校規違反になる筈だ。
「どうやら避難命令までは出ないみたいだし、それに今から戻るなんてそれこそ自殺行為だよ。すごい暴風雨なんだぜ、外は。全く去年一つも来なかったからって、何もこんなに早く凄いのが来る事もないだろうになぁ」
そんな危ない目に遭ってまで、どうして彼は来てくれたのだろう。シェランはびしょ濡れの頭を掻きながら笑っているジュードを見上げた。私が女性の教官だから?たった一人でこんな高台の家に暮らしているから?シェランはだんだんと隣に居る彼の存在に、息苦しいような胸の高鳴りを覚えていった。
「ジュード・・・どうして来たの?」
「どうしてって・・・」
ジュードは隣でうつむきながらひざを抱え込んでいるシェランを見つめた。
「心配だったから・・・」
「心配するのは私の仕事よ。ジュードはね、チームと自分自身のことだけを考えていればいいの」
シェランは最後の最後まで彼の重荷にはなりたくなかった。
「オレが・・・シェランの事を心配するのは迷惑?」
「迷惑なんかじゃない。迷惑するのはジュードのほうだわ。私は教官なのに、いつだってジュードやみんなに迷惑を掛けて・・・心配してもらって・・・みんなを、あなた達を守るのは私の役目なのに・・・」
シェランは自分が情けなくて涙が出そうになるのをぐっと堪えた。いつだってそうだった。彼らを守らなければならないのに、ジュードはいつだって私の事を心配してくれる。今回だってニコラスにあんな事をされても、彼らの為に反論さえもしてやれないのだ。
「オレは迷惑だなんて思った事、一度もないよ。オレはただ・・・」
ジュードはシェランが泣いていないか、それだけが心配だった。両親を失った時、彼女はもう充分泣いた筈だ。だからこれからは笑って生きていって欲しかった。それだけがジュードの願いだった。
「ねえ、シェラン。ニコラスが何故あんな事をするのか、シェランにはその理由が分かってるんじゃないのか?もし、差し支えなかったら、話してくれないか。それともオレではシェランの信用には足りないかな・・・」
シェランは戸惑ったように彼の瞳を見つめた。そんな事はない。いつだって心の底からジュードの事を信じている。だが・・・。
「その事を話すのが、シェランにとって、とても辛い事ならもう聞かない。以前オレの過去をオレが話せなかった時、シェランはあえて聞かなかった。オレが話せるようになるまでずっと待ってくれた。だからオレもシェランが話してくれるまで待つよ」
「待つ?待つっていつまで?だってジュードはもう後3ヶ月もしないうちに居なくなってしまうのに・・・」
シェランは震える声で尋ねた。口には出さなかったがずっと恐れていた事だった。あともう少しで彼はここから居なくなってしまう。そう考えるだけで心が千切れてしまいそうになるのだ。
「たとえここから離れてもオレは・・・オレ達は、ずっとシェランの生徒だよ。ずっとシェランの事を覚えている。いつだって話せるさ」
「いいえ、いいえジュード。そんなのは駄目。あなた達は過去の事に・・・この訓練校の事なんか忘れて未来へ飛び出していくの・・・。そうでなければプロの世界でなんか生きていけない。それほど辛い世界なのよ」
「それは違うよ、シェラン。この訓練校の思い出があるから、オレ達はどんな辛いプロの現実に直面してもやっていけるんだと思う。オレ達を必死に守り、育んでくれた、教官や校長先生や仲間達の思い出が、オレ達を強くするんだよ」
シェランは隣に座ったジュードの顔をただじっと見つめた。ランタンの光はこの広い地下室を全て照らす事が出来ないので、今自分達の居る場所は薄暗く、彼の表情も半分翳って見える。それでもジュードはいつだってシェランにウソや偽りを言った事が無く、今日の彼もそんないつものジュードの真摯な顔だった。
この人なら、全てを打ち明けても動揺しないだろうか・・・。自分達のあこがれていたプロの世界が思っていたよりずっと汚いものだったとしても、全てのライフセーバーの頂点に立つ本部隊員も所詮は愚かな人間のうちの一人なのだと分かっても、それを乗り越えて、今まで必死に歩いてきた自分の道を間違いだったと思ったりしないだろうか。
教官として、それは許されるものではないような気もする。だがシェランは長い間、心に秘めて誰にも明かさなかった苦しい思いを、今ここで打ち明けたかった。
ジュードなら受け止めてくれるのではないだろうか。私が誰よりも信じ、大好きだと思ったこの人なら・・・・。
「SLS訓練校を卒業して本部に配属された時・・・私、とっても嬉しかったわ。訓練校では1年だけだったから仲間といえるような人は出来なかったけど、今度こそずっと一緒に仕事をしていく仲間が私にも出来るんだって・・・。でも、それは私だけの思い込みでしか無かった。ニコラスをはじめとするBチームの人たちにとって、私は全く必要の無い人間だったの。
だって、しょうがないわよね。彼らは元々私なんかが居なくてもちゃんとチームとしてやってきたんだもの。私は彼らの仲間として、最初から受け入れてはもらえなかった・・・。休憩時間も外に飲みに行く時も、私は声を掛けてもらった事が無かったし、いつだって一人だったわ。
それを見かねて、レイモンドがニコラスに言ってくれた事もあったんだけど、彼はそんな時こう答えるの。“まだ十代の女の子を、俺たちと同じ遊びに誘うわけにはいかないだろう”って。そう言われたらレイもそれ以上言いようがないわよね。それでかわいそうに思ったレイが、Aチームと食事に行く時によく私を誘ってくれたの。
でも私はまだそれでも期待していたわ。一生懸命やっていたら、いつか彼らもきっと分かってくれるって・・・」
シェランはその後の言葉を選ぶように一息ついた。ジュードはじっと彼女の横顔を見ながら話を聞いていた。
「私ね・・・。本部に配属されてから、一度もまともに救助に参加させてもらった事が無いの。つまり、潜水士としての仕事をほとんどしていないのよ」
ジュードは心の中で思わず“何だって!?”と叫んだ。シェランの実力を知っていて、それを生かさなかったというのか?
「だからほとんど一般の人たちに混じって・・・それでも迷惑な顔をされたんだけどね。でも何もしないではいられないでしょう?そうして我慢していれば・・・どんなに悔しくても辛くても頑張れば、いつかニコラスも分かってくれると思っていたの。でも・・・甘かったわ。彼は私に一生、潜水士としての仕事をさせるつもりなんてなかったのよ」
シェランは泣きたいほど辛そうにうつむいた。あの事件を思い出すと、息が詰まりそうになる。あまりに辛くて他の誰にも話した事は無かった。何度も何度も夢に見た悪夢を今、自分の口から話す気になったのも、やはりジュードだから・・・。
「3年前、ドイツの客船ルードビッヒⅡ世号が大西洋沖60Kmの所でインドネシア船籍の船と衝突し、2,800人もの人が、海に投げ出されたの。海は大時化でたくさんの人たちが救助ボートからも投げ出されていた。私たちが駆けつけた時にはウルファン号の船体も炎上していて、あたりはまるで地獄のようだった・・・」
「その記事読んだよ。256名もの人が死亡したんだってね」
シェランはチラッとジュードを見ると苦笑いした。
「調べたの?」
「うん。ごめん。オレ達はリーダーだから、今度の合同訓練で本部隊員から何かを言われた時にみんなが動揺しないよう、ちゃんと説明する義務があると思ったんだ。でも結局その事故の事と、信憑性の無い噂話しかオレ達には分からなかったけどね」
「つまり、私が査問委員会から審問会に掛けられて除隊させられたとか・・・?」
「うん・・まあ・・そんな所だけど、でも誰も信じていないから。本当のシェランを知っていたら、そんなのはウソだってちゃんと分かるから」
ジュードは一生懸命シェランを庇うように言ったが、シェランは冷たく笑った。
「あら半分は本当の事よ」
「シェラン?」
シェランは彼のまっすぐな瞳に耐えられなくなったのか、彼から目をそらした。
「あの日は本当に地獄だったわ。機動もヘリを飛ばせないから潜水と同じように海に飛び込んで・・・。みんな必死だった。要救助者の数が余りに多くて、とてもじゃないけど助けられる人数に制限があった。みんなが目の前で助けを求めていたわ。助けてくれ!熱い!冷たい!沈む!って。
なのに・・・ニコラスは・・・あの男は私に言ったの。そう、いつものように・・・。
『ミューラー。君が居なくても救助は充分出来る。君は黙ってここで見ていればいい』
どうしてそんな事が出来るの?一人でも多くの潜水士が必要とされているのに・・・」
シェランは激しく揺さぶられる船の上での出来事を今、目の前で起こっているかのように思い出していた。
『ニコラス!何を言っているの?目の前で救助を求めている人達が居るのよ!』
『君は命令された通りにしていればいい。君は実戦などほとんど経験せずに本部に来たんだ。行っても足手まといになるだけだ』
『私が足でまといですって?それならあなたの方がよっぽど足手まといだわ!私は行くわ!彼らを助けなければ』
シェランは自分用のアクアラングを持って海に出る準備を始めた。
『止めないか!!』
ニコラスは彼女の手から強引にレギュレターを取り上げた。
『今行ったら君は命令違反を犯したことになる。審問会に掛けられてもいいのか?』
『勝手にすれば?』
シェランは怒りに任せて彼からレギュレターを奪い返すと、口にくわえて海に身を躍らせ飛び込んだ。
「それでも私が助けられたのはほんの20人あまりだった。せめてもう少し早く飛び込んでいれば・・・」
シェランは口惜しそうに唇をかんだ。
「でも審問会なんか開かれなかったんだろう?状況を聞いていたら、どう考えたって悪いのはニコラスの方じゃないか。それに2,544名もの人たちが命を取り留めることが出来たんだ。SLSに何の責任も無い筈だろう?」
「ええ、世間の誰もがそう思ったわ。SLS内部でも、あの時の本部隊員の活躍は素晴らしかったと皆が言っていたほどよ。でも審問会は開かれたの。何故だと思う?ニコラスが私を命令違反の罪で訴えたのよ」
ジュードは驚いたようにシェランを見た。
「だってそんな事をすれば立場が悪いのは彼の方じゃないか。シェランほどの潜水士をわざと潜らせなかったんだぞ?」
「そうね。船の上で起こった事をそのまま伝えていたのなら、彼の立場はかなり悪くなっていたかもしれないわね。でも彼はこう言ったの。“シェルリーヌ・ミューラー隊員はすぐに潜水せよとの私の命令を無視し、他の隊員が要救助者の救出に追われている間、船から降りようとはしなかった。やっと私が説得し彼女を海へ潜らせたが、そのせいで救助に支障が出て多くの人命が失われたのだ”とね」
―なんて奴だ!!―
ジュードの顔はこわばったように固まってしまった。それではまるっきり反対じゃないか。
「それでシェランは何て言ったんだ?もちろん反論したんだろう?」
「ええ、もちろんありのまま伝えたわ。つまり彼の言っている事と正反対の事をね。でも彼はもう長い間、本部でリーダーをやっている人。反対に私は入ったばかりの新参者。審問官たちがどちらを信じているのか、手に取るように分かったわ」
「・・・それで、本部を辞めさせられたのか?」
「いいえ、結局査問委員会はどちらにもお咎めなし。という結論を出したの。嵐の最中、しかも他の皆が救助に懸命になっている中、激しく揺れる船の上で起こっている小さな出来事に誰が気付くというの?誰も私たちのやり取りを見ているものは居なかった。
だからどちらの証言が正しいのか、誰も判断する事はできなかった。それにどちらかが悪いとすればSLSの名に傷が付く事も考えられるでしょう?だからSLSはこの問題を不問に付したの。だからどちらもお咎めなし」
シェランは疲れたように立てていた膝を床に下ろすと、腿の上に握り締めた手を置いた。
「でも、シェランは辞めたんだね・・・」
「ええ。だって彼等と仲間で居る事なんてもう出来ないもの。これから先も・・・。もう、私には一生仲間は出来ない。私は仲間と思っていた人たちに裏切られた。いえ、彼らにとっては最初から私なんて仲間じゃなかったの。唯の邪魔者でしかなかった・・・。
それに気付かされた時とても悲しくて、今まで無視されたり、嫌味な事を言われて泣いた以上に辛くて・・・。でもSLSの教官になって・・・ジュードや他の訓練生達が、一生懸命努力している姿を見てやっと分かったの。私が如何に愚かだったのかって事が・・・」
「愚か・・・?」
「だってそうでしょ?他の隊員たちは毎日激しい訓練と血のにじむような努力の末に、やっとプロのライフセーバーになって、それから更に彼らは努力を重ねて本部隊員にまで登りつめた。なのに私はたった1年で訓練校を卒業し、すぐに本部に配属されたの。そんな優遇されている人間は誰も居ないのに、私はそれが当たり前のように思っていた。誰だって・・・腹が立つわよね・・・」
シェランの言葉の最後は震えていた。涙が手の甲にぽたぽたと落ちていくのを見た後、ジュードは彼女の手をぎゅっと握り締めた。
「そんなこと無い。シェランはちっとも悪くない」
シェランはジュードに手を押さえられているので、涙を拭き取る事も出来ないまま彼を見上げた。
「後から入ってきた人間が、自分より年が若いとか、女だからとか、自分より実力があるとかで、その人間を嫌ったり、いじめたり仲間はずれにするのは、そんな事は男のする事じゃない。そんなのは違う・・・それはオレ達が毎日、汗と砂まみれになって掴み取ろうとしているライフセーバーじゃない。オレは・・・オレ達は、そんなライフセーバーにはならない。絶対にならない」
力強いジュードの言葉をシェランはずっと待っていたように思った。何度も彼がニコラスのような本部隊員に減滅して、ライフセーバーになるのを嫌になってしまったらどうしようと思うと、彼にも誰にも言えなかった。でもやっぱり彼は違う。彼はどんな話にも自分の決意を変えたりはしない強い人だった。
そう思うとシェランはとても嬉しくて、そして、やっと自分の気持ちをそのまま言葉にしてもらえたのが嬉しくて、ただ涙が溢れるのを止められないように彼の顔を見つめていた。
「シェラン・・・。シェランは初めて会った日、一緒にアルガロンで救助をした時、あの時は確かにオレ達の仲間だった。オレ達は一緒に、あの男と火災に立ち向かったんだ。その後、シェランは教官だったって分かったんだけど、でも・・・あの時からオレは・・・ずっとシェランの事をチームの仲間だと思ってきた。
オレ達のAチームはいつだってシェランが居てこそのAチームなんだ。後何ヶ月かで卒業してオレ達はシェランと離れ離れになるけど、でもシェランはこれから先もずっとオレ達の仲間なんだ。
だから、いつか本当の仲間になろう。シェランが教官の仕事を全う出来たと思ったら・・・自分で納得した時に、オレ達のところに来たらいい。オレ達は待っているから。このアメリカのどこかで、世界一の潜水士を迎えても恥ずかしくないチームになって、ずっと待っているから・・・・」
それが、シェランがずっと待ち望んでいた言葉だった事を、ジュードは知ってはいなかっただろう。シェランはくしゃくしゃになるほど顔中を歪めると、大声を上げながら彼の胸に飛び込んだ。今までずっと胸の奥に溜め込んできた、悲しい、つらい、寂しい、そんな全ての感情が噴き出してくるのを感じながら、シェランは今まで両親の前でも一度もあげた事のない大きな声で、ただ泣いた。
そしてジュードはそんなシェランをまるで父親のように抱きしめた。
「シェランは今まで悲しい思いをたくさんしてきた。どんな寂しい夜も一人で過ごしてきた。一杯あった辛い事も・・・頑張って一人で乗り越えてきた。でもこれからシェランの周りは、たくさんの人たちで一杯になるよ。たくさんの人間がシェランの生徒になる。シェランはいつだって彼らに囲まれているんだ。だからこれからは、楽しい事が一杯待っているよ。これからシェランの行く道には、きっと幸せが溢れているから・・・・」
シェランはジュードがそんな風に自分の事を思ってくれるのが、ただただ嬉しかった。溢れ出る思いを、シェランは涙と共に彼にぶつけて預けた。そうしてもいいと、ジュードの暖かい腕が言ってくれていた。
一時間近く泣き続けたシェランは、疲れ切ってジュードの腕の中で眠ってしまった。そんなシェランをジュードは微笑んで見つめると、まだ流れてくる涙の後をそっと指でぬぐってシェランの金色の髪の中に唇を沈めた。シェランの髪の柔らかな香りが胸を締め付けるのを感じながら、彼はそっとささやいた。
「シェランが、これからもずっと幸せそうに笑っていられますように・・・・・」
ちょっと暫くお休みします。
再開は春ごろの予定です。