第19部 I Wish ―願い― 【6】
5月に行われた3回目の合同訓練も、Aチームのメンバーはまともな訓練をさせてもらえなかった。
合同訓練で認められたら本部隊員と一緒に本当の救助現場に行ける。そんな期待を胸に頑張っていた彼等の望みは、もう決して叶わないのだ。あのニコラス・エマーソンの居るBチームと合同訓練をする限り・・・。
彼等はただ腹筋やスクワット等のもっとも基礎といえる訓練だけをやらされた。以前と同じように、食堂でそれを一方的に発表された時、どうしても我慢できなかったレクターが耐え切れずに立ち上がってニコラスに抗議した。
「いくらなんでもあんまりです!他のチームは普通に合同訓練をやっているじゃないですか!決められた訓練をやらせないなんておかしいです!」
「レクター、止めなさい」
シェランも立ち上がったが、レクターはもう自分を押さえることが出来なかった。この一ヶ月間、押さえ込んできた、やり場の無い怒りが溢れ出して来たのだ。
「どうして・・・どうして僕達だけが、救助現場に行かせてもらえないんですか?どうして僕達が同じ3年生の後片付けをしなければならないんですか?他のチームと同じ訓練を受けさせて下さい。彼等と同じように救助に行かせて下さい!」
「又君か、レクター・シーバス・・・」
ニコラスは彼の側にゆっくりと歩いてきた。その暗い靴音に皆は不安を感じながら、彼等を見詰めた。
「何度も言うようだが、訓練校側に合同訓練の内容について意見を述べる権利は無い。君達の訓練に関しては、それぞれのチームが一任されているのだ」
「でも、僕達だって同じ訓練生です。どうして他のチームは良くて僕達は駄目なんですか?」
ニコラスはその冷たい瞳で、レクターの目を突き刺すように見た。
「我々がそう決めた。本部隊員である我々が、君達にはプロの救助現場に行くだけの実力が無いと判断したのだ。それでもまだ何か意見があるのか?」
― 君達は他のチームより劣っている ―
そう本部隊員に決め付けられたショックで、他のメンバーは青ざめて下を向いた。レクターが震える手を握り締めてニコラスを睨みあげたので、ジュードは彼の前に飛び出した。
「申し訳ありません、リーダー。すぐに訓練を開始いたします」
ニコラスはじろっとジュードを一瞥すると、彼らに背中を向けた。
「レクター・シーバス。君はさっき言った訓練に加えて、腹筋100、腕立て伏せ100、スクワット200追加だ。終了するまで訓練校に戻る事は許さん。ジュード・マクゴナガル、君もリーダーとして責任を取って彼に付き合いたまえ」
「Yes, Leader!」
ジュードが敬礼をしたので、レクターも悔しそうに唇を噛み締めたまま礼を取った。
そんな風にして3回目の合同訓練も終わった。ジュードには、レクターだけでなく他のメンバーがどれ程苦々しい思いを噛み締めているのか良く分かっていた。2年以上の間、本部との合同訓練をどれほど楽しみにしていただろうか・・・・。
なのに、たった5回しかない貴重な合同訓練がもう2回も無駄に終わっている。残りはあと6月と7月に行われる2回だけだ。それもこんな風に終わってしまっては、卒業する時に遺恨が残りそうだ。だが悔しいのは、それだけではなかった。ずっとあこがれていた本部隊員の自分達に対する仕打ちを考えると、皆はそれが悔しくてたまらないのだ。
だがどう考えてもニコラスは、わざと訓練生や教官を怒らそうとしているようにしか思えない。それに乗ったら、今まで自分達が積み重ねてきた全てを奪われてしまうような気がする。ここは我慢するほかは無いんだ。ジュードは皆にも、そして自分自身にもそう言い聞かせた。
ジュードや訓練生、そしてシェランの心が、激しくニコラスや本部Bチームのメンバーに対して憤りを感じているように、ニコラスの心も彼等に会うたびに激しく動揺しないではいられなかった。特にシェランを見ると自分ではどうしようも無い程の憎しみにも似た感情が沸き起こってしまうのだ。
ニコラスはどちらかというと努力家タイプの人間だった。SLS訓練校に入ったのも、大変な努力の末に入校の切符を手に入れた。それからも彼は自分の限界ともいえる努力をして、やっとチームの教官に認められ、リーダーの地位を得たのだった。
彼のチームが本部隊員に選ばれた時、やっと彼は今までの努力が報われたような気がした。どんな夢のような事でも努力すれば、必ず叶うのだと彼は信じた。
だが、シェランは違った。生まれた時から持つ溢れんばかりの才能で、彼女はSLSに入る以前から、全ての資質を備えていた。並みの本部隊員では適わないほどの・・・。だがそれだけなら良かったのだ。たとえどんな才能を持っていようとも、自分達と同じように努力してSLSの隊員になったのなら。
しかし、彼女は違った。訓練校の入校試験でさえ、彼女は適性検査と簡単な試験だけで終わった。そして訓練校もたったの1年間だけで卒業し、そのまま支部隊員として配属されるならともかく、いきなり本部隊員として入隊してきた。では、今まで自分がやって来た努力は何だったのだ?天才というだけで、何故そこまで優遇されなければならないのだ?
それは決してシェランの責任では無かったが、ニコラスは憤りを感じずには居られなかった。何故彼女だけが優遇されるのだ。そんなに彼女が特別だというのなら、俺達も彼女を特別扱いしてやろう。決して仲間として迎えてやるものか。
ニコラスの心はシェランを見るたびに修正できないほど歪んでいったのだった。
そしてそれはシェランの周りを取り巻く全てに向けられた。彼女と共に入隊してきたCチームのクリストファー・エレミス。シェランの事を何かというと庇って来るレイモンド。それに彼女の入隊を決めた本部長官、エルミス・バーグマンとその親友のウォルター・エダース。そして今は彼女の最も愛しているAチームのメンバーも、ニコラスにとっては全てが憎しみの対象だった。
元々、バーグマン長官が赴任するよりも先に本部隊員だったニコラスにとって、エルミスもウォルターも気に食わない存在だった。歴代の本部長官は全て引退した本部隊員の中から選ばれていた筈だ。なのに訓練校の校長ならまだしも、この本部に支部隊員出の長官が就任するなんて、ニコラスには耐え難い屈辱に感じられた。
確かにエルミスもウォルターもSLSの中では特異な存在であった。ウォルターは入学当時からSLS開校以来の秀才だと呼ばれていたし、エルミスもその身長もさながら、彼の身体能力の右に出るものは居ないともてはやされていた。
彼等にとってただ一つ残念だった事は、彼等のチームのメンバーがあまりにも平均点だったという事だ。だから彼等は本部隊員にはなれなかった。もし、彼等がチームメイトにも恵まれていたなら、必ずこの本部にやってきていただろうと誰もが知っていた。だからといって支部隊員に本部隊員が命令されるなんて・・・・。
おまけに初めての会議で長官は、あのジュードをまるで親友のように扱っていた。ミューラーといい、ジュードといい、何故エルミスは彼等ばかりを特別扱いするんだ?
シェランがまだ彼のチームにいた頃、日を追う毎に、シェランとその周りを取り巻く人々に対する憎しみは増して来る一方だった。
そしてとうとうあの事件が起こったのだ。もうニコラスは自分を止める事が出来なくなっていた。
何よりも目障りなあの女をここから追い出してやる。やっとの事でそれが叶い、彼女も彼女の友人だったクリスも本部から姿を消したというのに、今度は隣の訓練校の教官になって帰って来るなんて・・・。
一体何処まで目障りな女なんだろう。そして何故、彼女と俺は同じ潜水士なんだろう。もしどちらか一方が機動や一般なら、こんな憎しみを感じる事は無かったかもしれない。あんな事件が起こる事も、あんなに大勢の人を犠牲にする事も・・・。
ニコラスは小さな溜息をつくと自室のベッドの上に座り込んだ。もうあと何回彼女と会わなければならないのだろう。もし彼女の存在を消す事が出来るのなら、どんな事でもしてしまえるかも知れない。あの時のように・・・。
そう考えると自分が恐ろしかった。それでもきっと彼女の姿を見ると、自分を見失ってしまうだろう。彼女の自分には無い、輝くばかりの才能の故に・・・・・。