プロローグ 石油採掘場の娘
アメリカ合衆国フロリダ州の大都市、マイアミ市の東400Kmの大西洋の中、大陸棚上にそれは建っていた。
近年発見された新しい大型石油天然ガス田の採掘施設の名はアルガロンと呼ばれ、この総面積520平方メートル、埋蔵されている軽資原油とコンデンセート油は、確認されているだけでも1,627トン、天然ガスは275億5千立方メートルという、蔓延した資源不足に悩む合衆国の新たな希望となる油田の石油採掘を行なっている。
アルガロンはガイドパイプ受け台と海底に固定する24本の杭(総量1,600トン)その上に据え点けられている4層から成る採油・採掘プラットフォーム(総量7,000トン)180名収容の生活プラットフォーム(総量2,000トン)そして後部にヘリポートを備え付けた近代的な海底石油採掘・採油プラットフォームであった。
ここでは常時160名のスタッフが採掘作業を行なっていたが、今後30年以上天然ガスを供給できるこの施設には、妻子と共に暮らしている従業員もいる。アルガロンの責任者であり、石油採掘士でもあるアーロン・ベネディクトもその一人で、一人娘の今年13歳になるレナと共に暮らしていた。
レナはアルガロンの前に、彼らが暮らしていた石油採掘場の中で生まれた。父と同じ技術者だった母は、父や仲間の勧めたマイアミの病院には行かず、レナが生まれるその日まで仕事をしていたと、母が亡くなった今でも仲間達の語り草になっていた。
今日もマイアミの学校に行っていたレナが、同じようにここで生活している子供達とヘリに乗って戻って来た。だが彼女はヘリから降りるなり、他の子供達のように居住区には帰らず、父の居る採掘プラットフォームに向かって、光を浴びると更に真っ赤になる髪を振り乱し、急ぎ足で歩き出した。
「パパ!」
現場で若手のリーダーであるジョン・ヘンドリクスと図面を見ながら話していたアーロンは、レナがその髪にも負けないほど真っ赤な顔をして歩いてくるのを見て、不機嫌そうに顔を上げた。
「レナ。ここに来たら駄目だといつも言っているだろう!」
だがレナは父のけんまくに怯えるような少女ではない。鋭い瞳でアーロンを見上げたレナに、嵐の予感を感じて、ジョンは2歩後ずさりをした。
「パパ、5THを取り壊すって本当なの?」
5THというのは彼らが以前暮らしていた採掘場の愛称である。アルガロンの半分程度の規模であったが、15年もの間稼動し続けた採掘場は、今は機能していない鉄屑の城になった。それで彼等はアルガロンに移って来たのである。
「5THはもう役目を終えた。取り壊されても仕方ないだろう」
「どうして?船の航行に邪魔になるわけじゃないし、今まで壊される予定なんて無かったじゃない。あそこは私の生まれた場所よ。それに・・・」
「レナ、お前の気持ちも分かるが、あれは国のものだ。それをどうしようと、俺達には何も言う権利は無いんだぞ」
アーロンは穏やかにレナに言い聞かせていたが、心の中は決して穏やかではなかった。彼は出来れば5THを取り壊す事を、レナには隠しておきたかったのだ。
― 一体誰がレナに言ったんだ?さてはエルラだな。なんで夫のロビンは寡黙なのに、あの女はおしゃべりなんだろう―
実は5THはその全ての役目を終えた訳では無かった。だが終えざるを得なかったのだ。5年前に起こった火災は、5THの主要部分を殆ど破壊してしまった。残り少ない資源を掘るのに、5THを直すのは経費がかかり過ぎる為、修復を諦め、5THはその15年に亘る役目を終えたのだった。
その5THの生命を絶った火災によって、アーロンは部下を35名も失った。そして36人目の被害者に彼の妻、リリアンも居たのだ。
「私の気持ちが分かる?うそ。パパは何も分かっていないわ。あそこはママのお墓なのよ。ママは5THとその仲間を守る為に、勇敢に炎と戦って死んだの。ママの墓標が壊されるのを、パパは黙って見ていろって言うの?」
妻の事を言われると、アーロンは頭にカーッと血が上って自分に押さえが利かなくなる。あの日、アーロンも必死に火災の消火にあたっていた。誰が死んでもおかしくないほどの事故だった。
―事故・・・?―
いや、違う。あれは仕組まれたんだ。35人の部下もリリアンも、みんな殺されたのだ。
バシッという激しい音に、ジョンは更に2歩後ずさりした。真っ赤に晴れ上がった娘の頬を見て、一瞬躊躇した父親を彼女は頬を押さえもせずに見上げた。
「パパは何を恐れているの?ママが死んだのはパパのせいじゃないのよ。私は、ママとの思い出を失う方が余程怖いわ」
くるりと背を向けて去って行く娘を呼び止める事も出来ず、アーロンは溜息を付きながら頭を抱え込んだ。
―今のは相当効いただろうなぁ・・・―
ジョンは父親とも慕っているアーロンを、少し離れた所から同情深く見つめた。
「全く、何なのよ、パパッたら!」
採掘プラットフォームから生活プラットフォームに向かうレナの足取りは怒りに満ちていた。体格の良い父親の前でずっと虚勢を張っていたのが緩んだのか、今頃になってズキズキと痛んできた頬を、彼女は手の平で押さえた。
「ほんとに、弱虫のくせに馬鹿力なんだから・・・馬鹿オヤジ!」
レナは更に毒づくと、落下防止の為にプラットフォームの端に取り付けられた柵越しに広がる大西洋に目を向けた。
ここは船舶の通り道ではない為、時折やって来る石油タンカー船以外の船は殆ど見かけなかった。だが黒煙を巻き上げ、いつも採掘機達の合唱が聞こえる360度海に囲まれた鉄の城は、レナの故郷であり、母と同じ技術者を目指す彼女の生きる場所であった。
レナは遠い目で海を見つめた後、胸ポケットにいつもしまってある母の写真を取り出して笑いかけた。
「見ていて、ママ。ママのお墓は私が守ってあげる。SLSなんかに絶対に渡さないわ・・・」
数ある小説の中からこの作品を選んで下さって本当にありがとうございます。
次はいよいよ本編が始まります。主人公のジュードもやっと出てまいります。
第1部 A Hard Day(とんでもなくしんどい一日)てな意味ですが
お暇な時にでも読んでやってくださいね。