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3、




軋む車輪を無理やり回す。


照りつける灯りは、忌々しい程に僕達の居場所を叫び続ける。



逃げる。逃げる。逃げる。とにかく走って、逃げる。


額から滲み出る冷や汗を拭う暇もなく、僕は脇道へと飛び込む。夢の街を歩くのではなく、走るという作業はこれ程までに苦痛なのか。ゴミ箱や、自転車が放置された狭い小道を障害物を避けながら、どうにかこうにか走り抜ける。車椅子を押しながら、止まることなく逃げ続ける。


ちらりと後ろを振り返れば、そこにいるのは顔。



顔、顔、顔で埋め尽くされた歪な球体。


嘲笑の表情を貼り付けた病的な程に白い顔が、爛々とした瞳を浮かべている。どれも同じ表情の白いマネキンの首を何個も集め、ボールの形に集めた容姿の化け物。狂気的な笑い声を上げながら、ごろごろと転がり移動する夜の住人だ。


声多き少数派と名づけている。


「あははははははははははははははははははははははははははははははは」


強烈で狂った嗤い声が夜の街に響く。

膝丈程度の大きさで、夜の住人にしては小さめだが、それが三つ。ゴミ箱も自転車も吹き飛ばしながら、大声を上げ殺意を持ち僕達を追い続けてきている。


「な、何が起きているんですか」


 震えるような声が、車椅子の上から聞こえる。彼女の声だ。

鎖で繋がれ視覚を封じられている彼女は、何が起きているのか感じ取ることも出来ずに、ただ恐怖に耐えるように唇を噛み締めている。そんな怯える彼女に、僕は何をどう説明していいのか分からないこの状況をぐっと飲み込み、出来るだけ明るい声で答える。


「大丈夫だよ、うん。恐らくだけど」


口から出たのは、この上なく陳腐な言葉。そんな戯言で、彼女が安心できる筈もないだろう。そもそも現状、あの化け物から逃げ出す算段なんか、僕の頭では浮かんですらいない。それでも、そんな僕の頼りない言葉に、彼女は小さく頷いてくれる。


心の底から湧き出る恐怖をぐっと押し殺し、震えながらも頷くのだ。


やはり、美しい。そう想う。

異質と異常が混ざり合う夜の街の中で、彼女は一際美しい輝きを放っている。綺麗な心を保っている。だからこそこんな場所で動きも視界も封じられた状態でも、気が狂う事も無くいられるのだろう。


 それが、この芸術的な美しさを創り出しているのだ。そう確信する。


 だから思う。壊したくない、この芸術を。

 そして考える。彼女を守らなければならない、と。



 思い出す。ほんの少し前、彼女と出会った時の事を──……、







 足音が響く。

 何かが腐ったような饐えた臭いが鼻につき、生温い風が気持ち悪く頬を撫でる。それらを肌で感じ取り、僕はようやく夜の街で目を覚ました。

 夢の世界にも関わらず、目覚めると云うのは変な言い方だろうか。だが、そういう表現が一番しっくりくるのだ。


気が付けば、僕は懐中電灯を握り締め、この夜の街を歩いている。まるで夢中になっていた出来事からふと気を反らした時の様に、僕という意識がこの場所で目覚める。それ以前、何をしていたのか、どうして此処を歩いているのか、それら全て思い出す事も出来ない。


 これが、この夜の街での目覚め。

 現実での苦痛を伴う目覚めとは違う、静かな目覚めだ。



 さて、目覚めて一番最初にするのは、いつも現状把握だ。

 夜の街は僕が住んでいる本当の街と構造が酷似している為、大体どの辺りを自分が歩いているのかは、直ぐに理解する事が出来る。


 今、僕がいる場所は大通りや商店街から少し離れた住宅街。特に目立った場所はなく、夜の住人と出会える頻度もそんなに高くない。夜の住人の観察を目的としている僕からすれば、云わばハズレの場所であった。

 ただ、こう云った場所では、今まで見た事もない夜の住人と出会える可能性もあるが。まあ、それも何年も歩き続けている僕にとっては、そうそう起きる出来事でもないけど。



 では、今夜の探索はどの辺りで行うか。


 少しばかり思考に耽っていた僕の耳に、聞いた事がある音が響いてきた。



からから、からから。



音を耳にした瞬間、心臓が鷲掴みにされたように跳ね上がる。この音は、あの車椅子の音。驚きと期待、久しぶりにネガティブでない感情が、僕の中から漏れ出してくる。


あの時、目の前で潰されてしまった彼女の車椅子が発している音。


是は彼女だろうか。彼女は生きているのだろうか。いや、そもそも、この夜の街に死という概念は存在するのだろうか。

湧き上がる思考を無理やり押し殺し、僕は周囲を見渡す。すると、暗い世界の中で僅かに燈る電灯が目に入る。



 ──、彼女だ。



 何かを思考する前に、僕はそう確信する。


其処に理由など何処にも無い。だが、あの少女が、街灯の下にいると僕には確信できた。そして同時に、彼女に会いたいと云う黒く粘り気のある想いが胸の中で駆け巡る。湧き上がる。爆発する。


気が付けば、僕はあの街灯に向かって駆け出していた。まるで光に誘われる蛾のように、光を目指して走り続ける。小道を走り、脇道を抜け、道路を曲がる。


解からない。何故、此処まで彼女に固執してしまうのか。この堪えようの無い感情は何処から産まれているのか。僅かに残る正気の部分で、自問自答する。

分からない。判らない。解らない。ワカラナイ。其れでも、心の底から漏れ出す感情が、この夜の街で培われた気持ちの悪いほど黒い心が彼女を、あの美しい芸術を求め、身体を突き動かす。

ああ、欲しい。描きたい。欲しい。描きタい。欲しイ。ホシイ。


息が切れる事も構わず、僕は光の下へと走り急ぐ。



からから、と響く彼女の進む音はいつの間にか大きくなっていた。


彼女に近づいている。縺れそうになる足を懸命に動かし、光の方へと視線を向ける。


そこに、やはり彼女は其処にいた。


 ボロボロで錆びついた車椅子。

 そして、そこに座る白いワンピースを着こんだ少女。

 

 背中まで伸ばされた黒い髪。中学生か、それとも高校生ぐらいだろうか。まだ幼さが残る身体つきをしており、アクセサリー等の化粧っ気もない。異様に白いその肌は車椅子も合わせ、まるで入院患者であるかの様であった。


だが、入院患者では決してあり得ない錆びた鎖が外れる事なく、彼女を締め付けている。締め付けられた身体は赤く色づき、その痛々しさは想像に難くないだろう。


誰にも押されていない車椅子は、軋み声をあげながら静かにゆっくりと動き続ける。視界も手足の自由も鎖に奪われている彼女は成すがままに、連れまわされている。



改めて、美しいと思う。



こんな痛々しい姿を見て、またそう感じる自分自身に驚くが、それ以上に彼女の存在そのものに僕は目を奪われてしまう。何処が美しいか、何が美しいかなんかではない。彼女そのものが、彼女という存在が美しく、そして眩し過ぎるように感じるのだ。


かた、という音がして、彼女の車椅子が僕の目の前で止まった。まるで、僕に挨拶でもするかのように、車椅子に載った少女は僕の方へと視線を向けていた。


けれど、見えてはいないだろう。気付いてもいない筈だ。彼女の表情はただただ怯えたものであり、痛みと恐怖に耐えるように口を噛みしめている。

それは、突然やって来る痛みと苦しみに耐えられるようにだろうか。それとも、この夜の街の絶望に押し殺されない為にだろうか。


鎖で殆ど隠されている彼女の顔は、それでも年端もいかない可愛らしい少女なのだろうと分かる。そんな彼女が、この夜の街を耐える事が、どれ程辛い事か。分らない筈がない。



「だ、大丈夫かい」


 何と声を掛けるべきか。そう考えるよりも前に、いつの間にか、僕は彼女に声をかけていた。今にも潰れてしまいそうな彼女を見て、声を掛けずにはいられなかったのだ。

そんな僕の言葉が耳に届いたのか、彼女は驚いたように身体を身動ぎさせ、そして恐る恐るといった様に、声を出す。


「え、あ。だ、誰ですか?」


 震えた、か細い声。恐怖と僅かな希望を混ぜた彼女の言葉に、僕は答える。


「僕は、……その、何と言ったらいいのか。この夢の夜の街に迷い込んだ、人間なんだ」


「…あ、」


 詰り詰りと答える僕に、彼女は少しばかり呆けた様な表情を浮かべた。そして、僅かな逡巡の後に声を上げた。



「あ、ああ、人がいた。人が、良かった。ああああ、よかったよぉぉ」


 驚き、安堵、そして破顔。張りつめていたモノが切れだ。身動ぎすらしづらい身体で、それでも身体を軋ませながら、彼女はそう言って涙を流した。

 零れ落ちる涙には沢山の意味があるのだろう。本当に不安だったのだろう。心細かったのだろう。そして、怖かったのだろう。鎖を濡らし地面へと零れ落ちる涙。それは止まる事なく、喉の奥から溢れ出る彼女の嗚咽と共に、延々と流れ続ける。


唯々涙を流し続ける彼女にかける言葉を持っていない僕は、ただその彼女を眺める事しか出来ない。そして、改めて彼女を見つめて思う。やはり、美しい、と。

姿や表情ではない。ただ彼女の根本から湧き出るような何かが、美しく思えるのだ。言葉でも写真でも決して伝える事が出来ないその美しさ。鎖でその身体の殆どを隠されているにも関わらず、輝くような美しさの彼女。


もし、彼女の鎖が全て取れた時、彼女はどのような美しさを放つのだろうか。

描きたい。ただ単純に、その姿を描きたい僕は思った。


そして、同時に彼女がトマトの様にひしゃげ潰される瞬間を想い出し身震いする。

駄目だ。それは駄目だ。彼女が穢されるような事はあってはいけない。駄目だ。駄目だ。そのような事はあってはならない。彼女を、美しさを、この世界に染まらないその輝きを。染めてはいけない。駄目だ。彼女を守らなケレば──、


 それから、どれ程の時間が経っただろうか。


 彼女から止め処なく溢れていた涙が漸く止まる。ズビズビと鼻を鳴らす彼女に、僕は尋ねる。


「落ち着いたかい?」


 そんな僕の言葉に、彼女はコクコクと頷く。そして、流した涙を拭う事すらできない彼女は、少しだけ身体を身動ぎすると、僕に向かって僅かに頭を下げる。


ギシリと、鎖か車椅子かが音を鳴らす。 


「助けてください。お願いします。助けて、助けてください」


それは、心の底から吐き出す彼女の願い。手も足も動かない。目だって開かない。ただ恐怖を煽る街の音しか聞くことしかできなかった彼女が、ようやく出来た助けを求めるという行為だった。



だから──、


「大丈夫。僕が助ける」


だから、僕は躊躇すらせずに頷く。

何が出来るかなんてわからない。助ける方法なんて微塵も分らない。だけど、それでも彼女が助けを求めるのであれば、僕は助けようと思った。眩しく、美しい彼女を助けなければならないと、何故かそう感じたから。


「ああああ、あ、有難う、ございます」

深々と頭を下げようとしたのだろう。だが、鎖で縛られた身体は僅かな金属音を鳴らしただけで、殆ど動くことはできていなかった。そんな彼女に、僕は小さく頷き、答える。


「いいんだ。君を助けたいと思ったのは僕だから。でも、ど──「あははははははははははははははははははははははははは」、」


どうして縛られているのか。どうして、夜の街にいるのか。そう尋ねようとした僕の言葉が、狂った笑い声に止められる。


慌てて僕はその声がする方へと視線を向けると、そこには白いマネキンを固めたような夜の住人、声多き少数派が、此方に向かって地響きを立てながら転がってきていた。

彼らは明らかに此方を見つめていた。此方に悪意を持ちながら、殺意を持ちながら、僕たちを狙って転がってくる。


ごくり、と乾いた喉が鳴る。彼らに認識されるという事が、これほどまでに恐怖なのか。ぞわりと背中を駆け抜ける悪寒に、僕は身震いする事しかできない。


「な、なにが」


 けれども、現状が分らずに怯える彼女の言葉に、僕はようやく現状を認識する。

 逃げなければ、彼女を連れて逃げなければ。思考よりも、本能に近いのだろう。僕はすぐに彼女の車椅子に手を伸ばすと、一目散に車椅子を押しながら走り出した。


「ちょ、ちょっと辛抱しててっ!」


「えっ、ええ? な、なにが起きて!?」


 驚きで声をあげる彼女の疑問に、僕は答える余裕など持たずに走り出す。何処かに当てがある訳ではない。

 それでも、現状から逃げるために、夜の街を僕は走り出した。









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