息子と駆け抜けた4年間について
ことは今から4年前にさかのぼる。
私は、ある決断に迫られていた。
どちらの幼稚園に息子をお願いするか。
そんなことかと笑われる方もいらっしゃるかもしれない。でも、それはとても幸せなことだということに気付かない方が多い。
私の息子は、震災の前の年の生まれだ。そして、2歳にして今の土地に越してきた。この場所は私の母方の実家のあった場所。転居の際、ご近所にご挨拶に伺ったときには、○○さんのお孫さんだねぇと、田舎の集落に溶け込むことは比較的寛容に受け入れていただいた。
この場所は、同じ市内に大学病院、併設して子ども医療センターなどもあり、医療的には比較的恵まれている。
幼稚園もいくつか選択することも可能だ。
しかし、それだけではなかった。
息子は2歳半にしてまだ言葉が出ていなかった。2歳を迎え相談を始めた頃には、個人差ということで様子見だったが、2歳半にもなると、親の方も少し焦ってしまう。市の担当の保健師さんに相談させていただき、では時期が来たときにしかるべき準備をしましょうと言っていただいた。
幼稚園、これは私たちの時代と大きく変わってしまっている。私は年少と年長の2年生保育園が主流だった頃。少し後から、年中が間に入る3年。そして、今は年少の前に1年という4年が可能になっていた。
ここに息子を入れようという計画があった。
ただそうなったわけではない。前述の話を、市の療育施設の園長先生に直接お話させていただいて、なんとか言葉を出したい。ここまで遅いというケースには自閉症も考えられる。もし、それならば、少しでも早くリハビリをスタートさせてやりたい。
私たちからすると母親の世代になる女性の園長先生は、息子を抱っこして、ぐるぐるっとブランコ回しをして言い切った。
「大丈夫。目が回っていますから、自閉症ではありません。必ず言葉は出ます。安心してください。リハビリもやりましょう」
市のサポートも得られることが決まった。そして、同時に大学病院の子ども医療センターでの診察と言語療法も始まることになった。
次に、刺激を与えるために集団生活を送らせてみた方がいい。それもなるべく速やかに始めるに越したことはない。
そこで、この4年保育の幼稚園に通わせる準備に取りかかった。
しかし、言葉も出ていない、おむつも取れていない子を果たして預かってくださる園があるのか。
私の中で、幼稚園には一つ決意していたことがあった。小学校に上がったときに、クラスに友だちがいる園にしたい。
私は、小学6年まで関東南部のある大都市育ちだ(その後父の仕事の関係で渡米することになる)。私の両親は地元の幼稚園ではなく、当時口コミなどで、よく教育してくれるというミッション系の幼稚園に私を通わせてくれた。クリスマスや収穫祭などは非常によく覚えていて、私がクリスマスの空気が好きだというのも、この頃の影響が多分にあると思う。
しかし、学区からは離れていたため、1年生になったときに、クラスに友だちがいなかった。近所の幼稚園からあがった子たちは、既に友だち関係が出来上がっている。この疎外感を味あわせたくはなかった。
そうなると、家から近い幼稚園は2軒。幸いにして、そのどちらにも息子は子どもサロンのような形で行ったこともあった。
候補はその二つに絞った。そこで、直接、二つの園にお時間を作っていただき、正直に話した。このような息子でも見ていただくことが出来るのでしょうかと。
最初は、私はこのような子の場合、ある程度小さめのクラスの中でスタートさせた方がいいかもしれないと思っていた。
1園目は、1クラス15名に先生一人という構成。園長先生とも直接お話をさせていただき、大丈夫だというお答えもいただいた。そちらの園の系列には、自閉症などのお子さんもお預かりしたことのある別園もあり、そちらと連携することもできるということ。
経験があるのであれば、それに越したことはない。
もう1つは、地域でもマンモス園と言われる幼稚園。30人クラスに先生二人という構成。
園長先生はお忙しかったのですが、副園長先生と、保育主任のS先生とお話をさせていただいた。
そちらでも大丈夫だと言っていただいた。そして、重要なことを知った。息子が小学校に通ったとき、こちらの幼稚園の方が割合は大きい。しかし、クラスの人数の多さが不安だった。またサポートが必要な子どもの保育実績でいえばまだ少数だった。
ここまできたら、あとは本人に選ばせよう。息子は後者を選んだ。市の子育て支援センターが併設されており、いつもそこに遊びに行って、場所を知っていたことも影響していたと思う。
入園をお願いしに再び伺ったとき、S先生は担任となるR先生も同席させ言ってくださった。
「大丈夫です。私たちに任せてください」
その言葉に本当にすがるしかなかった。
あれから4年。本当に色々あった。
結局、言葉は年少の夏に急に出てきた。今ではそれこそうるさいほどだ。しかし、当時はコミュニケーションが取りにくいことからくる遅れはあった。
加配と言って、追加の先生を付けるための診断書も毎年病院から貰った。
園の生活も頻繁に担任の先生と取らせていただいた。恐らくトップクラスの回数だったのではなかろうか。
トラブルだけでなく、例えばトイレトレーニングも年少時の先生と何度もトライした。園と家で同じトレーニングをした。
一度出来たことはすぐに連携して、それを定着させるようにした。
初めて先生の名前を呼んでくれたとか、幼稚園で完全にトイレが出来るようになったと、先生から喜びの電話もいただいた。廊下でハイタッチして、他のクラスから何ごとかと驚かれちゃいましたなんて笑いながら。
遠足に行くなら、その前に家族で1回下見をして、本人に見せておく。また苦手な物があるときは、それを先生に伝えておいた。
とにかく、小学校に入る前に、生活面だけでも追いつければいい。そう目指していた。年長になってからは、同じ市内にある特別支援学校の入学前教室も追加した。
そして、小学校の選択。普通なら学区にある学校に行けばよい。しかし、不安は取り除けず、教育委員会のサポーターの先生とも何度もお話をした。普通級、学校は別になってしまっても、支援学級、そしてその中間とも言うべき通級(特定の時間のみ別の教室に行く)の教室も見せていただいた。
正直これが一番重かった。
幼稚園やリハビリや療育の先生からは、出来ているということが家で出来ない。どちらを信じればいいのか。一時的に不眠症から鬱にもなり、私自身薬も飲んだ。
最終的には、地元の小学校に入れて、通級を使うというもの。
決め手は、1年生18人の構成の中で半分の9人が同じ幼稚園からあがると言うこと。クラスの半分が知っているなら、1人、2人になってしまう支援学級よりもそちらの方がいい、また少し背伸びさせた目標を目の前にしていた方が結果的に出来るようになったという幼稚園時代の様子から決めた。
運動会、発表会も毎年夫婦で見た。
運動会で順位は問わない。発表会も泣かずに舞台に立てればいい。年少までは本当にそれだった。年中になってからは、端役でもいい。無難にこなせればそれでいい。両親の心配をよそに、年中では準主役級、年長でもそれなりの役を演じさせてもらった。本人の希望で挙手もあったそうだが、それを行けると決断した先生には本当に頭が下がる。
私たちは周りのお母さんたちにも、隠さなかった。遅れがあるので、迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。その時は教えて欲しいと。
担任の先生には、本当にご配慮していただいたと思っている。
そして昨日、卒園式があった。
まだ不十分なところはあるにしても、生活面についてはなんとかここまで持ってきた。
各年度の先生方にも、よくここまで来ましたと言っていただいた。
式典の直前、あのS先生と一瞬だけ廊下で2人になるタイミングがあった。
「4年前に、任せてくださいと言っていただいて、本当にありがとうございました……」
「いや、本当にお父さんお母さんみんな頑張りました……」
S先生、この春にご退職されることが発表されており、最後の卒園式になると分かっていたから、どうしても言っておきたかった。
もう、そこから先がお互いに出なかった。
「卒園式子どもたちと頑張りましょう!」
と別れた直後、段取りの説明に出たS先生、頭から泣いてしまって、会場のお母さんたちの涙腺を崩壊させてしまったが、恐らく直前の原因は私にあったのかも知れない。
私も式中はなんとか泣くまいと決めていたけれど、子どもたちが退場しS先生が最後の挨拶をされていたときにこらえきれなくなった。
4月から、下の娘が同じ園に通うことになる。最初から4年保育と決めていた。
こちらは、食物アレルギーを持っているので、またいろいろあるだろう。
卒園式が終わり、帰りがけのことだ。会議室にそれまで見たことがないものがあるのに気づいた。
私たちは子ども医療センターで何度も見たこともある、自分で体を支えられない子のためのサポート車いす。年頭まで間違いなくそれは無かった。つまり、新年度そういう子が入ってくるということだろう。大丈夫だ、この園ならばやれる。今では自信を持って言うことが出来る。
いろいろ途中で知ったことは、わが家以外にも、同じようにサポートが必要な子が他にも数人いたこと。そして、今では相当のレベルまで障がいがあるお子さんを受け入れているという実績。
ただ、やはり言ってくださったのは、園だけでは出来ない。家族の協力があってこそだと。逆に私たちからは、親では出来ないことを園ではやってもらえた。
これは、卒園式でハッキリ感じた。謝恩会は父母の中から仕切りが出て子どもたちを誘導するが、なかなか手こずっていた。しかし、卒園式で子どもたちはちゃんと先生の合図を見てひとりひとり別の動作でも動くことが出来る。この信頼関係がきちんと出来ている。幼稚園の先生は凄いんだなぁと改めて感じた。
今度は新1年生と、新入園児を抱えるわが家だけど、また一歩ずつ歩いていくしかない。
少なくとも、また悩んだらいろいろ巻き込んでやっていくしかないんだろうなと思った卒園式だった。